2025年5月18日 (日)

昔のTMS

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相変わらず諸環境がいまいちなので、安易に昔のTMSを取り上げてみます。

 

先日、Amazonに昭和20年代のTMS、鉄道ピクトリアルを電子化したものが売られていました。2冊ほど買ってみたのですが、このうちピクトリアルの書評を見ると著作権者(株式会社電気車研究会)の許可を得ていないのではないか、というコメントが見られます。但し確証はありません。このせいか、ピクの方は販売点数が少ないのですが、TMSは結構出ています。こちらは書評のコメントはありません。

どうなのでしょうね。

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話をこちらに戻します。

1978年の夏から刊行が始まった鉄道模型趣味の増刊号PLAY MODELの第2号です。1978年暮れに出たと記憶しています。

第1号は買わなかったのですが、この第2号はたぶん、表紙に惹かれて買ったのだと思います。

当時TMSは毎月買っていましたが、こちらのほうは全部は買っていないですね。お小遣いも限られていたので。

手許に残っているのは更に少ないです。

確か'81年夏の号は東武8000系キットを切り継いで3000系を作った話と、73系の中間車を作った記事に惹かれて買ったのと、冬の号は作りこまれたミニレイアウトを覚えています。翌年夏号には「樹木の簡単なつくり方」というタイトルの記事があり、非鉄の友人が見て笑っていた(一般人が見たら変な感じですよね)のを思い出します。

この表紙、今見てもとても秀逸ですよね。

今なら画像加工なんて簡単かもしれませんが、相当苦労して作ったのではないでしょうか。

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機芸社の山崎氏が50代の頃の企画ですが、相当思い切った編集方針だったようです。

当時は女子鉄などという言葉はどこにも存在せず、女子に鉄道が好きだというだけで奇異な目で見られるのが普通でした。

他の趣味系でも事情は似てたのではないか。。車の雑誌にレースクイーンは出てきても女性ライターはいなかったし、釣りキチ三平にゆりっぺは出てきても女子アングラーはいなかった気がします。

ただ、とりわけ鉄道は女人禁制感が強かった気がします。

ので、この見開きは編集者から見たら相当攻めた企画だったはずです。

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そのせいなのか、どこか気が引けているのか、カレンダーといいながら裏表紙と連続したページになっているので、切り離して壁に掲示するつくりになっていません。

私はこの子達と全くの同世代ですね。

今頃この子達は孫の世話で忙しいのかもしれない。

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大糸線南小谷駅のセクションは、今見ても相当な密度に感じられます。1978年頃、市販品を駆使しながらこれだけのレベルのレイアウトが作れたという事自体が驚きです。

旧国のキットが出たのは記事の1年ほど前で、当時は43系、41系平妻3扉、73型3段窓とクモユニ74という陣容でした。半流51系が出るのは記事の翌年の事です。

大糸線の旧国は実見せずじまいでしたし、南小谷駅も訪れたことがありません。ので、駅も車両も本当にこんな感じなのだろうと思っていました。

旧国の製作についても本号に紹介されています。車両自体の加工はなく、Mc43+Tc55+Tc55+Mc41の編成で作られたようです。キット発売時、動力ユニットは全くなかったので(各自工夫)、この記事でも関水103系をそのまま流用しています。私も昔やりました(というか、キハ25を流用しました)。そういえば、スカ色に塗るのが難しくて、水色にしたんだったかな。

大糸線は遅くまで旧国が残っていたし、資料も多いと思いますが、他方Nゲージャーは昔は割と気楽に水色の旧国を楽しんでいた気がします。

そのうち昔風味の大糸線風を作ってみようかしら。

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旧国は無加工ですが、他の車両改造記事はかなり高度です。20系を切り継いでナハネフとナハフを作るなんてのは、簡単なようでけっこう難しいだろうし、DD16は動力の切り継ぎを伴うので、本書の対象読者のほとんどには無理だったのではないかしら。

Nの車両加工記事は本書の数年前、誠文堂新光社の「Nゲージ」で相当紹介されていて、あれも相当高レベルでした。朴板とボール紙で151系とかを作ってしまうのです。仕上がりの美しさを含め、本書掲載の車両たちも年少者には難しいものが多かったと思います。ただしそれが不適切という意味ではなく、何かを加工して作ろうというモチベーションを形成する意味では相当価値のある記事だったと思います。

簡単な記事もいくつかあり、この「発泡スチロールでレイアウト」などはその一つです。

メーカー発売のベース板などはなかったころですから、組線路しか持っていないユーザーにはとっつきやすかったと思います。

ではあるのですこれ、読み返してみると結構無理のある技法もあちらこちらにある気が。。

関水の固定式線路を使い、ベースへの固定は両面テープで留める、と言うのですが、その際線路をいったんすべてプラン通りに組んでから「裏返しにして」、テープを張ってまたひっくり返し、ベースに貼る、と書かれています。

頭で考えただけでも、それは無茶だろうと思います。記事でもこの作業は大変で、友人や家族の助けを借りて・・と書いています。固定線路なのだから一本ずつ貼って行けば済むはずなのに、どういう発想なのでしょうか。。

記事ではギャップ切りの話が最後の方に出てきます(関水の固定式ポイントは全通式なので、枝線のジョイナーをギャップつきに取り替えて配線をする必要がある)。記事の順に作っていくと、ギャップなしで線路を固定してしまう事になります。

昔の固定式線路はこれが大変だったのです。Pecoは例外ですが他の外国メーカー製線路も多くは全通式でした。

ギャップを切って、フィーダーを別途引っ張ってきて手許にスイッチをつけて切り替えるようにする。大人ならはんだ付けもできる(いちおう)し、多少の根気もあるけど、子供には意外とハードルが高い。

この記事ではそのあたりの大事なことをはっきり書いてなくて、読者に任せるような書き方になっています。肝心なところがあいまいになっている。たぶん、この記事を見て簡単そうだ、とか思って作った子たちは、いざ作ると色々問題が起きて、自分をふがいなく思ったかもしれません。

細かいことを言うと、30mm厚の発泡スチロールと3mm厚のベニヤ板(共に910x1820mm)を「日曜大工センター」で買ってくる、となっていますが(それを910x600mmの大きさに、カッターナイフで切るとある)、定尺のベニヤなりスチロール板を、店から自宅までどうやって持って帰るのか、子供は悩むと思います。こどもに相談されたパパも考えちゃうかもしれません。パパのパブリカとかサニーには入らないですしね。私はいつの事だったか、自転車で運んだ記憶がかすかにあります。B1のパネルを自転車で数キロ運んだことがありますが、あれも大変でした。

まあしかし、昔はいろいろ苦労したし、大人はいいなあ、と思ってましたね。。

 

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余談です。

雑誌買うのは控えようと思いまよいながら、結局今月のピク(もうすぐ7月号が出る頃になって)買ってしまいました。

奈良電の1200型、1350型が、近鉄になって特急用に改装され、その後志摩線ローカルに使われたり、予備特の1両はク1320となって行商列車に使われたりという変遷がたまらなく面白いです(^^;。

683系は鉄コレになったので、飛びついて買ったのですが、予備特もいいですね。特急塗装なのに中間車はイコライザー付き旧型台車だというところがたまりません。。

2025年5月12日 (月)

近鉄12200暫定運用、京急230

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ヘンなタイトルです。

確か1月末にイモンで購入したのですが、ちょうど仕事がややこしい状況になりかけた頃で、何故か開封しそびれて3か月以上たってしまいました。

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イモンに予約(12200系基本4両セット)をしたのはずっと前の話で、去年の夏?秋ぐらい?です。

昨年夏に10100系ニュービスタを買い、秋に鉄コレの680系、18200系を買いました。

18200系は12200系に併結する予定で準備していました。ただ、12200の発売は先になるので、暫定的に動力を組み込んで2両で走れるようにしておいたのでした。680系は(実物は)他の特急群とは併結不可ですから、単体で走らせる必要があったのです。

今思うと2024年は近鉄特急イヤーで、熱の冷めないうちにそろえてしまうつもりでした。

近鉄一般車もマルーン一色で年内か年明け早々にも落成するつもりでした。

年初来のごたごたで細かいことに手を付けることができなくなりまして・・。まあ、貨車とかはいじってましたけど。

連休の終わりにようやく開封しました。

とりあえず、18200の動力をそのまま生かし、12200のMc,Tcのみ入線させて4連を組んでいます。

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鉄コレはライト非点灯ですが、ディティールなどは12200と比べてもそん色ないですね。

カプラーのTN交換もスムーズです(スカートを多少切り欠きます)。

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18200は近々動力を外し、12200の中間2両も就役させて6両で運用する予定です。

外した動力は東武2000系に流用しようと考えています。

今のところまだ細かいことに手を出せるかどうかは不明ですが。。

 

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近鉄と京急230はなんの関係もなくて、ますます意味不明なのですが、IMONに予約した12200を引き取りに来た時、たまったポイントで買いました。

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京急230は現役時代を見たことがありません。

ホビーセンターに保存された姿はお馴染みですが、実物が引退したのは1977年のこと。

写真を撮り始めた頃、空港線や大師線で見かけたのは正面2枚窓の400型でした。

辛うじて四国に渡った仲間の姿は写真に収めています。

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うさぎ鉄道はじめての京急車両です。

関東大手私鉄では模型として持っていないのは京成だけになりました(東急はいちおう1/80で3450を作ったが、Nの車両は持っていない)。

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ただ、京急の車両として手元に置いておきたいのは、やはり旧1000型かもしれませんね。

私の中での京急というと1000、700、500/400の吊り掛け車、600にも乗ったし、800はダルマだった、という感じでしょうか。

2024年12月28日 (土)

近鉄18200系 ほか

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18200系は京都線、橿原線用特急として1966年に登場しました。

奈良電鉄を吸収して京都-奈良、伊勢ルートの特急が開設されましたが、当初は輸送需要が見通せず、奈良電の車両を改装(680系)したり、600系の電装品を流用した吊り掛け車18000系を新造するなどして対処していましたが、京伊ルートは非常に好評で需要が急拡大し、ついに新造車に至りました。車両限界の関係で18m、幅2600mmと小型ながら、当時としては出力の高い電動機を搭載し、車内も転換クロスを採用することで狭幅のハンデを克服するなど、工夫が凝らされています。

と言う話は実物が現役の頃よく説明されていたのを読んだのですが、実車が現役だった1980年代初頭の頃は、なんとなく古そうな電車というイメージでした。後継の18400系は幅は同じながら21m級のスマートな車体で、デザインも12000系以降の洗練されたものに変わりましたし。

トミックスが12200系をリニューアルさせて暮れに発売、ほぼ同時に鉄コレで18200も発売と聞き、12200基本4両に18200を組み合わせて6両を組成しようと思い立ちました。18200は11月に発売になりましたが、12200は生産計画が遅れ、1月に持ち越されています。その間運転できないのもなんなので、最初は電装しないつもりが動力も購入して2両で走らせることにしました。本当は写真の30000系とも併結できるといいのですが、これは古い製品なので連結するには改造が必要なのですよね。

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ふつうにN化しただけなので特記することもないのですが、片側の連結器をTNカプラーにしています。

12200が入線したら電装解除して、予定通り併結させるつもりでいます。。

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今年は近鉄特急イヤーでして、夏に10100系、10月には680系が入線して、60年代末~70年代の近鉄ムードが盛り上がっています。

一般車の方は2600系(非冷房、クロスシート時代)がいますがこれは40年前(先頭車は44年前)の作品なので、改めて2410系を新造することにして今製作中。本当は年内に完成の予定でしたが、例によって無理。2両は冷房化されたスタイルとし、そうすると搦手から時代は70年代末の姿となる予定。うちでは未だにマルーン一色が標準塗装となっています。

さて、年内にもう一回くらい記事をかけるかな。

2024年10月20日 (日)

近鉄モ680

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近鉄グッズマート限定品の680系を買いました。

もとは奈良電鉄デハボ1200でしたが、近鉄合併後、京都線、橿原線系統の特急網設定のため、当時の近鉄特急に近い仕様に更新されて形式も改められました。

後年一冷房や固定窓、クロスシートはそのままに一般用に格下げされ、志摩線等で1987年まで活躍しました。

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この模型は特急仕様時の姿です。昭和40年代の仕様ということになりますか。

京都線、橿原線系統の特急は、当初利用客が見込めるかわからず、とりあえず既存車両の改造で様子を見たという事らしいです。

ふたを開けてみるとかなりの需要があることがわかり、吊り掛けの機器流用、車体新造の18000、更に本格的な18200、18400を新造していきます。その後は車両限界の拡大で大型車が入線するようになり、現在に至ります。

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私はこの電車が志摩線に移ってからの姿を見ています。あの頃名古屋線系統のローカル区間と言うと2250、1460あたりが中心でした。これは見たのだけど乗りはしなかったかな。写真は同行の友人が撮った(自分はフィルム換装かなにかでチャンスを逃した)と記憶してます。

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ただ、この電車で最も印象に残っているのはこの「私鉄電車ガイドブックシリーズ」に掲載された、奈良線併用軌道区間を走る姿です。

おそらく梅雨時(’68年?)に撮影されたと思われ(右側の木々や奥の人物が半袖で傘を持っているところから)、既に地下化の工事が進行している時期だったからなのか、なんとなく周辺が雑然としています。

可能ならこの部分だけセクションとして模型で再現したい。

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模型は鉄コレの標準的な仕様ですが、今日的な目で見ると分厚い窓ガラス周辺や固定窓付近の造形が少し目立つ感じです。

これで価格が5,200円ですから、もうちょっとなあという気はします。

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今年は近鉄特急の当たり年らしく、うちでも夏に10100系が入線しましたが、このあと同じ鉄コレで18200(予約済み)、トミックス仕様で12200が年末にリリースされます。

いずれも往年の姿なので、これに見合うマルーン一色の一般車も何とかしなければなあと(言いながらぜんぜん動けていない)思ってるところです。

2024年9月 8日 (日)

中京地区乗り歩き (2)

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翌日はこれに乗車。

西日野行きでしたので、まずそちらに行くことに。

 

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もとは伊勢八王子まで通じていたので八王子線なのですが、50年前の水害で西日野より先が廃止になりました。この駅も復旧時に移転開業したそうです。

 

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夏休み期間でしたが、学生がけっこう利用しているようでした。

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あすなろう鉄道に移管した際、車両をリニューアルしたそうですが、電車はとてもきれいですね。

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折り返しの電車に乗って、日永で降ります。

八王子線のホームはかなりカーブしています。

 

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帰りに車内から撮影しました。内部線との間のホームの三角地帯に、台車と車輪の保存展示がされています。

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内部線は列車交換可能な配置になっています。内部方面に行くには踏切を渡って反対側のホームに。

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ほどなく内部行きが到着。

朝の通勤時間帯ですが、けっこう乗客がいます。

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内部駅。

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車両基地があります。

庫内では職員の方たちがラジオ体操をしていました。

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機回しをしていた時代の遺構が残っています。

延伸計画もあったようですね。

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帰りは撮影のため、いったん赤堀駅で降車しました。

四日市にもほど近い駅で、内部線、八王子線双方の列車が来るので運転密度が高いです。

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八王子線の線路はもっと草に覆われていました。

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後追いですが。

あまりそんな気がしませんが、海が近いせいか川が多く流れ、それらをつなぐ?水路も設けられているようです。

50年前の水害も、そんな中で起きたのでしょうか。

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塗装のせいか、近鉄時代の面影をあまり感じません。

車内外ともにとてもきれいです。

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もうすこし内部方面に歩いて、踏切を渡ったところから。

こちらのほうが周りがすっきりしていますが、架線柱があるので善し悪しですね。

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さて、ナロー線をあとにして、名古屋線の高架ホームをあがり、湯の山線へ。

こちらも出自は内部、八王子線と同じナロー線なのだそうですね。

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昨日に続き、また1010系に出会いました。

3両なので、支線区にはちょうど使いやすい車両なのでしょう。

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車内は更新されているので、古さは感じません。

もとナロー線ですが、改修されたのは60年前の事で、その面影は全くありません。ただ、志摩線ほどではありませんが、結構カーブが多いようです。

道中ただの?乗り鉄をしていただけですが、桜駅と菰野駅の間、橋のある辺りになにやら引き込み線のようなものが、本線からカーブして伸びているのを見かけました。旧線の遺構のようですが、線路幅はスタンダードに見え、何なのかな?と思いました。

→旧線の線路敷を利用した保線車両の留置線らしいです。

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名前がいい感じですが、駅の周りに温泉旅館とかはなさそうです。

路線長15.4Km、行き止まり線で列車本数は30分おき程度、走る車両も名古屋口で見られるふつうの車両(車齢52年の1010系が普通かという議論はあると思いますが)と、その気にならないとなかなか行けない路線でしたが、いちおう乗車してみました。

というわけで、個性的な路線が集まる四日市を後にして、旅は最終章へ。

つづく

2024年8月31日 (土)

中京地区乗り歩き

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新幹線を降りて最初に乗ったのがあおなみ線です。

16号車付近で上りの新幹線を待っていると、目の前に見えるのでそのうち乗ろうと思ってたのですが、こんな時でないとなかなか機会がなくて。

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ホームドアがあって、一度乗っちゃうと撮りにくい。

電車はいかにも2000年代初期風の、日車風の通勤車です。なんとなく京成3000型を連想するので、スペックを見るまでは18m車かと思っていました。中身は313系に準ずるらしいですね。

鉄コレとかでも取り上げられていないようです。

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リニア鉄道館を出て、またあおなみ線で名古屋に戻ったのがちょうど5時過ぎ。そろそろ夕方のラッシュが始まっていました。

名鉄新名古屋は例によってカオスでしたが、並ぶ位置がわかりやすく示されているのは良いです。

準急河和行きに乗って大江まで。

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名古屋の鶴見線。

日中は列車がありません。

大江駅の専用ホーム入口に改札があり、ここを通ると東名古屋港までの改札が終了したことになります。

東武大師線と同じ方式ですね。

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電車は最新鋭の9100系です。運用に着いたのは今年かららしいですが、LED表示機ではなく、方向板を使っています。

昔はサハを機関車で挟んでプッシュプルとか、かなり半端もののような車両を使っているような記事をどこかで読んでいたので(相当昔の話です)、かなり玄人向けの路線かと思ってましたが、まあ普通。

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折り返しの列車が入線した時、車内は6割ぐらいの入りでけっこう混んでいました。

ひじょうに戸惑ったのは、折り返しのはずなのに車内には乗客が沢山残っていたことです。

もちろんヲタのような人は一人もいなくて、ふつうの勤め人やおばさんのようなひとが。

このまま金山まで直通するとか、そういう話は聞いていないし、それでは改札の意味がなくなってしまう。

 

どうやらこれは、改札に一度に押し掛けるよりは車内で少し待った方が涼しくて楽、という、生活の知恵だったようです。

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90℃の平面クロスがあると聞いていましたが、撮影に失敗(もっと手前です)。

帰りに車窓から見ました。帰りは混んでたので写真は撮れなかった。

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東名古屋港に着くところだと思います。

線路は先まで続いてますね。

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今思えばすぐ折り返すこれには乗らないで、平面クロスまで歩いても良かったのですが。

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名古屋に戻り、今度は近鉄に。

1111ぞろ目。これには乗らず、急行を待ちました。

裾が絞られているのがわかりますが、これはもと奈良線920系です。

昇圧(1969年)を生き延びた小型車の電装品と新製車体を組み合わせて登場、後に冷房化、新性能化を図り、更に名古屋線に転属して今日に至っています。更新後の車齢だけで52年です。

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普通列車に活躍する2000系。新ビスタ10100系の電装品を用いて1978-9年に製造された車両です。

こういう車両たちを見ると、東武も5000型とか、もうすこし頑張っても良かったかもしれませんね。1800の通勤改造もいいですが、電装品を移植すれば新性能5000が作れたのに。17型の部品も使えたよね。

今また18mになってるなら、3070あたりは冷改して2000の電装品と組み合わせれば使えたのにね。2080も。

なんとなく、話がまとまってしまったので、続きます。

 

2024年7月18日 (木)

近鉄10100系

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KATOの近鉄10100系を買いました。

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IMONで買いましたが、ちょうど応対してくださった方が同じくらいの世代の方で、昔3重連やっていた頃盛んに撮影に行かれたとおっしゃっていました。

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残念ながら私はそれに間に合ってないんですよね。。関東在住だったこともありますが、最初に近鉄を見たのは77年の京都線、あちこち乗り歩いたのは新ビスタ引退の翌年の事です。

ちょうどニュービスタ(=30000系)が最新の車両としてもてはやされていた頃でした。賢島まで乗った記憶があります。

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それでもエースカーとかはまだ現役でしたし、もちろん12200も大いに活躍していた頃でした。

このデザインも配色も、実にいいですね。

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今まだ試運転段階ですが、箱から出したままだと6両に組成できなくて、貫通側の幌を外す必要があります。

それと、うさぎ鉄道では区間によって必ず脱線するところがあるようです。まず渡り線がダメ、留置線から渡り線に向かう区間も脱線します。

トレーラーを手で押していても脱線しますから、これは調整位では直らないと思います。

まあ、実際にはエンドレスを手放しで運転するぐらいしかしないと思うので問題はないのですが。

 

特急車が入線すると(既に30000系は活躍中ですが)、一般車ももっと欲しくなってきますね。

やはりマルーン一色がいいです。。

2022年9月12日 (月)

京都ちょっとだけ

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メインブログの方にいきさつは書きましたが、とんぼがえりで京都に行ってきました。

本来、前泊して京都鉄道博物館に行ったり、あちこち見て回る予定にしていたのですが、ぜんぶキャンセルに。

道中隙間を見つけて何枚か電車の写真をとっただけになりました。

 

現地用務では地下鉄を利用しました。前日は10系に乗りましたが、撮影はできず。撮っておかないとなくなりますね。

20系もちらっと見ました。雰囲気東京メトロの16000系に似てますね。。

 

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近鉄京都線は今回ぜんぜん使わなかったのですが、入場券買って入ってみました。

これはいまでも現役30000系ビスタカー。

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1230系統だと思いますが、この辺が一番わからないです。昔は近鉄のこともよく本とかで勉強してたけど、もういまどきの電車はまるでわからなくなりました。これがお年ってやつです。

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でもこっちはわかります。8400系は1978‐9年にNでラインデリア仕様のを自作しました。もちろん赤一色です。

さすがにそろそろかと思いますが、外見きれいですね。。

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連結面間隔が長いですね。。

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横型碍子が、関東在住の者には珍しく感じられます。

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できればもっと訪れて、記録を残しておきたいところです。

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京都線は前回利用は2009年です。

こういう雰囲気の路線は、関東にはありそうでないですね。。

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去り際に8600系が来たので、カメラ向けました。

屋根の深い、肩のカーブの浅い感じが、エキゾチックです。

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JRはほとんど時間がなくて、ほんの数枚。

117がまだ走っているの、かんがえてみるとすごいね。

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変わってないものね。1980年に新快速、乗りましたよ。。

と、いうわけで、いずれまた博物館ふくめ関西、行ってみたいです。

2022年5月16日 (月)

近鉄旧型車写真集

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昨年12月に書泉の通販で買いました。林基一さんの写真集は現在までに8シリーズ出ていますが、これは旧型車、ナローゲージなどを中心とした写真集です。

 

近鉄電車をリアルタイムで目にしたのは1977年が最初ですが、脳内にはその頃読んだ誠文堂新光社の「近鉄」の写真が染みついていて、車両に関する知識もその時代のもの(1969年ごろ)が意識にこびりついています。ちょうど昔住んでいて、今は滅多に訪れなくなった街のイメージが、転居直前のそれから更新されないように。

もっとも、同じ誠文堂新光社から出た新シリーズの「近鉄」も買っていて、これが1978年ごろの様子です。さらに1980年には南大阪線系統を除く多くの路線を乗車しています。なので、だいたい1970~80年ぐらいの近鉄が、私にとっては近鉄らしい近鉄です。

それで、旧型車はその時代、淘汰の波に襲われている最中でした。

戦前からのモ1000~2200、名古屋線のモ6301系統、大阪線の6601系、奈良線の小型車などは、ほとんど実見していません。多くの車両たちは、70年代前半に退役しました。

わずかに伊賀線にいた6311の生き残りとか、湘南顔のモ400系等とかには出会っていますが。

ただ、実際に見たかどうかはあまり関係なくて、2200なんていうのは雑誌で繰り返し見てカッコいいなと思っていました。

というわけで、この本はその辺の車両たちが次々と出てきて興味深い。。昨年暮れ現在、シリーズ在庫は結構残っていましたが、迷わずこれを選びました(おねだんけっこうするから、そうたくさんは買えません)。

リトル出版というのは、リトル・ジャパン・モデルズという模型店が併営する出版社のようで、流通も模型店系統に限られているようです。

本業の出版社ではないせいかわかりませんが、とくにカラーページは何と言ったらよいのかー普通紙に写真印刷したみたいな、べたっとした色合いになっているのが残念です。。用紙自体は厚みのあるアート紙で問題はないのですが。

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この週末は用務で出かけて、近鉄名古屋線を10年ぶりぐらいに利用しました。

道中車窓からは養老鉄道や三岐鉄道、近鉄も復刻ツートンとか色々見ることができました。

ただ、用務で知人と一緒という旅行だったので、車両の写真はほぼ全く撮れていません。。上の写真が唯一という。

しかも、実際に乗車したのはこれではなく(行きはこれだった)、アーバンライナープラスでした。。

この色になってから、乗るのは初めてかも。

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前はこんな感じでしたよね。これもホテルの窓から撮ったのであれですけど。

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こっちも元気でした。近鉄特急と言えばこれ、という時代が、それこそ50年近く続いたのですから、大したものです。

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先日近鉄では一般型車両を450数百両置き換える計画、という発表をしています。

特急車の新車は出ていますが、一般車両は15年新製されていません。昭和40年代製造の車両もまだ多く走っています。

近鉄通勤型と言うと、1957年の南大阪線6801が、その後の各線通勤車の標準デザインとなり、これが1980年の8800系辺りまで続きました。

8810,1400辺りから新デザインとなり、インバータ制御の車両も出ましたが、シリーズ21を含め全体を置き換える勢力とはなりませんでした。

今回の旅でも、あのデザインの車がふつうに走っているのを見ましたが、それが夢のように消えてしまう日も近いのかもしれません。

ので、今度は撮影のための旅に行ってみたいですね。。

2021年5月25日 (火)

近鉄伊賀線の旧型車

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先日安価なフィルムスキャナを購入して、実家にあったフィルムを整理しはじめたのだが、偶然40年ほど前の私が撮った写真(のネガ)が出てきた。

これは1980年7月末に、主に南紀方面に友達と行ったときの写真だ。このフィルムに取り換える前の写真は、以前スキャンをとっていたのだが、この分のフィルムは自分で持っていなかったのだ。

 

だたまあ、写真はご覧の通り妙にハレっぽい感じでぱっとしないが、ご笑覧を。

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上野市駅である。当時は近鉄伊賀線だったが、名古屋線の6311/6331型を改装した5001型が活躍していた。

2扉18mの、非常に整ったスタイルの車両で、M車は両運で単行運転も一部であったらしい。沿線の風景も美しく、模型的に非常にそそられる題材であった。この車両基地も、近代的だが好ましいまとまりの車庫など、このまま全体を模型化してみたくなるようなたたずまいだ。

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ではあるのだが、今手元に残っているのは不完全な写真だけだ。

今でも伊賀鉄道として活発に活動してくれているのはうれしいけど、車両とかはやはりちょっと切ない感じがしないでもない。。

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お、5001型の運転台の写真が出てきた。

伊賀線への転属はこの写真の3年前のことで、その際ある程度の更新工事が行われている。

5001型の前は信貴山電鉄の5251型とか、多種多様な小型車両が活躍していて、まるで地方鉄道そのものという感じだったようだ。

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今回の新規スキャンは以上だが、ここから先は、以前から手元にあったフィルムを10数年前にスキャンしたもの。

登場当時はセミクロスだったが、さすがに改装後は長めのロングシート。窓枠は木枠かな?内装はデコラ張り、床もリノリウムに直されていて、いちおう本線筋の高性能車たちに近い水準にまでは整えられている。

会社によって方針がちがうからあれだけど、東武の73,78も、このくらいまでアコモ改造してくれれば、もう少し穏やかな評価になっていたと思うが・。まあ板張りも趣味的には良かったんですけどね。。

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マルーン一色は、このタイプの車両にはよく似合っていますね。

このときのスキャン作業はキヤノンのフラットベッドタイプのスキャナ(フィルムスキャン機能付き)を使ったが、色々調整はできるもののスキャンには非常に時間がかかった。一度に6枚スキャンできるが、総行程で30分以上かかったと思う。つまり、36枚撮りで3時間。

これはセンサーが少しずつ動いて捜査するタイプだが、今回のサンワサプライのスキャナは、たぶん画像をデジカメで撮るようなタイプだと思う。その割には写りは悪くないが、まあ限界はある。安いものだから仕方ない。

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伊賀神戸にいるときは晴れていたが、上野市に着いたころには急に曇ってきたみたいですね。。

だから写真もちょとぱっとしないんだな。。

 

という訳で。そのうち5001型の模型でもつくれるといいんだがねえ・・。

スキャンはまだ面白いのがあるので、また近々。。

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