2024年12月28日 (土)

近鉄18200系 ほか

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18200系は京都線、橿原線用特急として1966年に登場しました。

奈良電鉄を吸収して京都-奈良、伊勢ルートの特急が開設されましたが、当初は輸送需要が見通せず、奈良電の車両を改装(680系)したり、600系の電装品を流用した吊り掛け車18000系を新造するなどして対処していましたが、京伊ルートは非常に好評で需要が急拡大し、ついに新造車に至りました。車両限界の関係で18m、幅2600mmと小型ながら、当時としては出力の高い電動機を搭載し、車内も転換クロスを採用することで狭幅のハンデを克服するなど、工夫が凝らされています。

と言う話は実物が現役の頃よく説明されていたのを読んだのですが、実車が現役だった1980年代初頭の頃は、なんとなく古そうな電車というイメージでした。後継の18400系は幅は同じながら21m級のスマートな車体で、デザインも12000系以降の洗練されたものに変わりましたし。

トミックスが12200系をリニューアルさせて暮れに発売、ほぼ同時に鉄コレで18200も発売と聞き、12200基本4両に18200を組み合わせて6両を組成しようと思い立ちました。18200は11月に発売になりましたが、12200は生産計画が遅れ、1月に持ち越されています。その間運転できないのもなんなので、最初は電装しないつもりが動力も購入して2両で走らせることにしました。本当は写真の30000系とも併結できるといいのですが、これは古い製品なので連結するには改造が必要なのですよね。

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ふつうにN化しただけなので特記することもないのですが、片側の連結器をTNカプラーにしています。

12200が入線したら電装解除して、予定通り併結させるつもりでいます。。

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今年は近鉄特急イヤーでして、夏に10100系、10月には680系が入線して、60年代末~70年代の近鉄ムードが盛り上がっています。

一般車の方は2600系(非冷房、クロスシート時代)がいますがこれは40年前(先頭車は44年前)の作品なので、改めて2410系を新造することにして今製作中。本当は年内に完成の予定でしたが、例によって無理。2両は冷房化されたスタイルとし、そうすると搦手から時代は70年代末の姿となる予定。うちでは未だにマルーン一色が標準塗装となっています。

さて、年内にもう一回くらい記事をかけるかな。

2024年10月20日 (日)

近鉄モ680

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近鉄グッズマート限定品の680系を買いました。

もとは奈良電鉄デハボ1200でしたが、近鉄合併後、京都線、橿原線系統の特急網設定のため、当時の近鉄特急に近い仕様に更新されて形式も改められました。

後年一冷房や固定窓、クロスシートはそのままに一般用に格下げされ、志摩線等で1987年まで活躍しました。

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この模型は特急仕様時の姿です。昭和40年代の仕様ということになりますか。

京都線、橿原線系統の特急は、当初利用客が見込めるかわからず、とりあえず既存車両の改造で様子を見たという事らしいです。

ふたを開けてみるとかなりの需要があることがわかり、吊り掛けの機器流用、車体新造の18000、更に本格的な18200、18400を新造していきます。その後は車両限界の拡大で大型車が入線するようになり、現在に至ります。

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私はこの電車が志摩線に移ってからの姿を見ています。あの頃名古屋線系統のローカル区間と言うと2250、1460あたりが中心でした。これは見たのだけど乗りはしなかったかな。写真は同行の友人が撮った(自分はフィルム換装かなにかでチャンスを逃した)と記憶してます。

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ただ、この電車で最も印象に残っているのはこの「私鉄電車ガイドブックシリーズ」に掲載された、奈良線併用軌道区間を走る姿です。

おそらく梅雨時(’68年?)に撮影されたと思われ(右側の木々や奥の人物が半袖で傘を持っているところから)、既に地下化の工事が進行している時期だったからなのか、なんとなく周辺が雑然としています。

可能ならこの部分だけセクションとして模型で再現したい。

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模型は鉄コレの標準的な仕様ですが、今日的な目で見ると分厚い窓ガラス周辺や固定窓付近の造形が少し目立つ感じです。

これで価格が5,200円ですから、もうちょっとなあという気はします。

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今年は近鉄特急の当たり年らしく、うちでも夏に10100系が入線しましたが、このあと同じ鉄コレで18200(予約済み)、トミックス仕様で12200が年末にリリースされます。

いずれも往年の姿なので、これに見合うマルーン一色の一般車も何とかしなければなあと(言いながらぜんぜん動けていない)思ってるところです。

2024年9月 8日 (日)

中京地区乗り歩き (2)

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翌日はこれに乗車。

西日野行きでしたので、まずそちらに行くことに。

 

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もとは伊勢八王子まで通じていたので八王子線なのですが、50年前の水害で西日野より先が廃止になりました。この駅も復旧時に移転開業したそうです。

 

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夏休み期間でしたが、学生がけっこう利用しているようでした。

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あすなろう鉄道に移管した際、車両をリニューアルしたそうですが、電車はとてもきれいですね。

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折り返しの電車に乗って、日永で降ります。

八王子線のホームはかなりカーブしています。

 

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帰りに車内から撮影しました。内部線との間のホームの三角地帯に、台車と車輪の保存展示がされています。

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内部線は列車交換可能な配置になっています。内部方面に行くには踏切を渡って反対側のホームに。

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ほどなく内部行きが到着。

朝の通勤時間帯ですが、けっこう乗客がいます。

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内部駅。

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車両基地があります。

庫内では職員の方たちがラジオ体操をしていました。

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機回しをしていた時代の遺構が残っています。

延伸計画もあったようですね。

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帰りは撮影のため、いったん赤堀駅で降車しました。

四日市にもほど近い駅で、内部線、八王子線双方の列車が来るので運転密度が高いです。

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八王子線の線路はもっと草に覆われていました。

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後追いですが。

あまりそんな気がしませんが、海が近いせいか川が多く流れ、それらをつなぐ?水路も設けられているようです。

50年前の水害も、そんな中で起きたのでしょうか。

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塗装のせいか、近鉄時代の面影をあまり感じません。

車内外ともにとてもきれいです。

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もうすこし内部方面に歩いて、踏切を渡ったところから。

こちらのほうが周りがすっきりしていますが、架線柱があるので善し悪しですね。

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さて、ナロー線をあとにして、名古屋線の高架ホームをあがり、湯の山線へ。

こちらも出自は内部、八王子線と同じナロー線なのだそうですね。

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昨日に続き、また1010系に出会いました。

3両なので、支線区にはちょうど使いやすい車両なのでしょう。

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車内は更新されているので、古さは感じません。

もとナロー線ですが、改修されたのは60年前の事で、その面影は全くありません。ただ、志摩線ほどではありませんが、結構カーブが多いようです。

道中ただの?乗り鉄をしていただけですが、桜駅と菰野駅の間、橋のある辺りになにやら引き込み線のようなものが、本線からカーブして伸びているのを見かけました。旧線の遺構のようですが、線路幅はスタンダードに見え、何なのかな?と思いました。

→旧線の線路敷を利用した保線車両の留置線らしいです。

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名前がいい感じですが、駅の周りに温泉旅館とかはなさそうです。

路線長15.4Km、行き止まり線で列車本数は30分おき程度、走る車両も名古屋口で見られるふつうの車両(車齢52年の1010系が普通かという議論はあると思いますが)と、その気にならないとなかなか行けない路線でしたが、いちおう乗車してみました。

というわけで、個性的な路線が集まる四日市を後にして、旅は最終章へ。

つづく

2024年8月31日 (土)

中京地区乗り歩き

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新幹線を降りて最初に乗ったのがあおなみ線です。

16号車付近で上りの新幹線を待っていると、目の前に見えるのでそのうち乗ろうと思ってたのですが、こんな時でないとなかなか機会がなくて。

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ホームドアがあって、一度乗っちゃうと撮りにくい。

電車はいかにも2000年代初期風の、日車風の通勤車です。なんとなく京成3000型を連想するので、スペックを見るまでは18m車かと思っていました。中身は313系に準ずるらしいですね。

鉄コレとかでも取り上げられていないようです。

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リニア鉄道館を出て、またあおなみ線で名古屋に戻ったのがちょうど5時過ぎ。そろそろ夕方のラッシュが始まっていました。

名鉄新名古屋は例によってカオスでしたが、並ぶ位置がわかりやすく示されているのは良いです。

準急河和行きに乗って大江まで。

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名古屋の鶴見線。

日中は列車がありません。

大江駅の専用ホーム入口に改札があり、ここを通ると東名古屋港までの改札が終了したことになります。

東武大師線と同じ方式ですね。

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電車は最新鋭の9100系です。運用に着いたのは今年かららしいですが、LED表示機ではなく、方向板を使っています。

昔はサハを機関車で挟んでプッシュプルとか、かなり半端もののような車両を使っているような記事をどこかで読んでいたので(相当昔の話です)、かなり玄人向けの路線かと思ってましたが、まあ普通。

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折り返しの列車が入線した時、車内は6割ぐらいの入りでけっこう混んでいました。

ひじょうに戸惑ったのは、折り返しのはずなのに車内には乗客が沢山残っていたことです。

もちろんヲタのような人は一人もいなくて、ふつうの勤め人やおばさんのようなひとが。

このまま金山まで直通するとか、そういう話は聞いていないし、それでは改札の意味がなくなってしまう。

 

どうやらこれは、改札に一度に押し掛けるよりは車内で少し待った方が涼しくて楽、という、生活の知恵だったようです。

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90℃の平面クロスがあると聞いていましたが、撮影に失敗(もっと手前です)。

帰りに車窓から見ました。帰りは混んでたので写真は撮れなかった。

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東名古屋港に着くところだと思います。

線路は先まで続いてますね。

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今思えばすぐ折り返すこれには乗らないで、平面クロスまで歩いても良かったのですが。

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名古屋に戻り、今度は近鉄に。

1111ぞろ目。これには乗らず、急行を待ちました。

裾が絞られているのがわかりますが、これはもと奈良線920系です。

昇圧(1969年)を生き延びた小型車の電装品と新製車体を組み合わせて登場、後に冷房化、新性能化を図り、更に名古屋線に転属して今日に至っています。更新後の車齢だけで52年です。

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普通列車に活躍する2000系。新ビスタ10100系の電装品を用いて1978-9年に製造された車両です。

こういう車両たちを見ると、東武も5000型とか、もうすこし頑張っても良かったかもしれませんね。1800の通勤改造もいいですが、電装品を移植すれば新性能5000が作れたのに。17型の部品も使えたよね。

今また18mになってるなら、3070あたりは冷改して2000の電装品と組み合わせれば使えたのにね。2080も。

なんとなく、話がまとまってしまったので、続きます。

 

2024年7月18日 (木)

近鉄10100系

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KATOの近鉄10100系を買いました。

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IMONで買いましたが、ちょうど応対してくださった方が同じくらいの世代の方で、昔3重連やっていた頃盛んに撮影に行かれたとおっしゃっていました。

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残念ながら私はそれに間に合ってないんですよね。。関東在住だったこともありますが、最初に近鉄を見たのは77年の京都線、あちこち乗り歩いたのは新ビスタ引退の翌年の事です。

ちょうどニュービスタ(=30000系)が最新の車両としてもてはやされていた頃でした。賢島まで乗った記憶があります。

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それでもエースカーとかはまだ現役でしたし、もちろん12200も大いに活躍していた頃でした。

このデザインも配色も、実にいいですね。

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今まだ試運転段階ですが、箱から出したままだと6両に組成できなくて、貫通側の幌を外す必要があります。

それと、うさぎ鉄道では区間によって必ず脱線するところがあるようです。まず渡り線がダメ、留置線から渡り線に向かう区間も脱線します。

トレーラーを手で押していても脱線しますから、これは調整位では直らないと思います。

まあ、実際にはエンドレスを手放しで運転するぐらいしかしないと思うので問題はないのですが。

 

特急車が入線すると(既に30000系は活躍中ですが)、一般車ももっと欲しくなってきますね。

やはりマルーン一色がいいです。。

2022年9月12日 (月)

京都ちょっとだけ

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メインブログの方にいきさつは書きましたが、とんぼがえりで京都に行ってきました。

本来、前泊して京都鉄道博物館に行ったり、あちこち見て回る予定にしていたのですが、ぜんぶキャンセルに。

道中隙間を見つけて何枚か電車の写真をとっただけになりました。

 

現地用務では地下鉄を利用しました。前日は10系に乗りましたが、撮影はできず。撮っておかないとなくなりますね。

20系もちらっと見ました。雰囲気東京メトロの16000系に似てますね。。

 

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近鉄京都線は今回ぜんぜん使わなかったのですが、入場券買って入ってみました。

これはいまでも現役30000系ビスタカー。

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1230系統だと思いますが、この辺が一番わからないです。昔は近鉄のこともよく本とかで勉強してたけど、もういまどきの電車はまるでわからなくなりました。これがお年ってやつです。

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でもこっちはわかります。8400系は1978‐9年にNでラインデリア仕様のを自作しました。もちろん赤一色です。

さすがにそろそろかと思いますが、外見きれいですね。。

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連結面間隔が長いですね。。

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横型碍子が、関東在住の者には珍しく感じられます。

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できればもっと訪れて、記録を残しておきたいところです。

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京都線は前回利用は2009年です。

こういう雰囲気の路線は、関東にはありそうでないですね。。

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去り際に8600系が来たので、カメラ向けました。

屋根の深い、肩のカーブの浅い感じが、エキゾチックです。

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JRはほとんど時間がなくて、ほんの数枚。

117がまだ走っているの、かんがえてみるとすごいね。

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変わってないものね。1980年に新快速、乗りましたよ。。

と、いうわけで、いずれまた博物館ふくめ関西、行ってみたいです。

2022年5月16日 (月)

近鉄旧型車写真集

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昨年12月に書泉の通販で買いました。林基一さんの写真集は現在までに8シリーズ出ていますが、これは旧型車、ナローゲージなどを中心とした写真集です。

 

近鉄電車をリアルタイムで目にしたのは1977年が最初ですが、脳内にはその頃読んだ誠文堂新光社の「近鉄」の写真が染みついていて、車両に関する知識もその時代のもの(1969年ごろ)が意識にこびりついています。ちょうど昔住んでいて、今は滅多に訪れなくなった街のイメージが、転居直前のそれから更新されないように。

もっとも、同じ誠文堂新光社から出た新シリーズの「近鉄」も買っていて、これが1978年ごろの様子です。さらに1980年には南大阪線系統を除く多くの路線を乗車しています。なので、だいたい1970~80年ぐらいの近鉄が、私にとっては近鉄らしい近鉄です。

それで、旧型車はその時代、淘汰の波に襲われている最中でした。

戦前からのモ1000~2200、名古屋線のモ6301系統、大阪線の6601系、奈良線の小型車などは、ほとんど実見していません。多くの車両たちは、70年代前半に退役しました。

わずかに伊賀線にいた6311の生き残りとか、湘南顔のモ400系等とかには出会っていますが。

ただ、実際に見たかどうかはあまり関係なくて、2200なんていうのは雑誌で繰り返し見てカッコいいなと思っていました。

というわけで、この本はその辺の車両たちが次々と出てきて興味深い。。昨年暮れ現在、シリーズ在庫は結構残っていましたが、迷わずこれを選びました(おねだんけっこうするから、そうたくさんは買えません)。

リトル出版というのは、リトル・ジャパン・モデルズという模型店が併営する出版社のようで、流通も模型店系統に限られているようです。

本業の出版社ではないせいかわかりませんが、とくにカラーページは何と言ったらよいのかー普通紙に写真印刷したみたいな、べたっとした色合いになっているのが残念です。。用紙自体は厚みのあるアート紙で問題はないのですが。

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この週末は用務で出かけて、近鉄名古屋線を10年ぶりぐらいに利用しました。

道中車窓からは養老鉄道や三岐鉄道、近鉄も復刻ツートンとか色々見ることができました。

ただ、用務で知人と一緒という旅行だったので、車両の写真はほぼ全く撮れていません。。上の写真が唯一という。

しかも、実際に乗車したのはこれではなく(行きはこれだった)、アーバンライナープラスでした。。

この色になってから、乗るのは初めてかも。

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前はこんな感じでしたよね。これもホテルの窓から撮ったのであれですけど。

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こっちも元気でした。近鉄特急と言えばこれ、という時代が、それこそ50年近く続いたのですから、大したものです。

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先日近鉄では一般型車両を450数百両置き換える計画、という発表をしています。

特急車の新車は出ていますが、一般車両は15年新製されていません。昭和40年代製造の車両もまだ多く走っています。

近鉄通勤型と言うと、1957年の南大阪線6801が、その後の各線通勤車の標準デザインとなり、これが1980年の8800系辺りまで続きました。

8810,1400辺りから新デザインとなり、インバータ制御の車両も出ましたが、シリーズ21を含め全体を置き換える勢力とはなりませんでした。

今回の旅でも、あのデザインの車がふつうに走っているのを見ましたが、それが夢のように消えてしまう日も近いのかもしれません。

ので、今度は撮影のための旅に行ってみたいですね。。

2021年5月25日 (火)

近鉄伊賀線の旧型車

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先日安価なフィルムスキャナを購入して、実家にあったフィルムを整理しはじめたのだが、偶然40年ほど前の私が撮った写真(のネガ)が出てきた。

これは1980年7月末に、主に南紀方面に友達と行ったときの写真だ。このフィルムに取り換える前の写真は、以前スキャンをとっていたのだが、この分のフィルムは自分で持っていなかったのだ。

 

だたまあ、写真はご覧の通り妙にハレっぽい感じでぱっとしないが、ご笑覧を。

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上野市駅である。当時は近鉄伊賀線だったが、名古屋線の6311/6331型を改装した5001型が活躍していた。

2扉18mの、非常に整ったスタイルの車両で、M車は両運で単行運転も一部であったらしい。沿線の風景も美しく、模型的に非常にそそられる題材であった。この車両基地も、近代的だが好ましいまとまりの車庫など、このまま全体を模型化してみたくなるようなたたずまいだ。

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ではあるのだが、今手元に残っているのは不完全な写真だけだ。

今でも伊賀鉄道として活発に活動してくれているのはうれしいけど、車両とかはやはりちょっと切ない感じがしないでもない。。

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お、5001型の運転台の写真が出てきた。

伊賀線への転属はこの写真の3年前のことで、その際ある程度の更新工事が行われている。

5001型の前は信貴山電鉄の5251型とか、多種多様な小型車両が活躍していて、まるで地方鉄道そのものという感じだったようだ。

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今回の新規スキャンは以上だが、ここから先は、以前から手元にあったフィルムを10数年前にスキャンしたもの。

登場当時はセミクロスだったが、さすがに改装後は長めのロングシート。窓枠は木枠かな?内装はデコラ張り、床もリノリウムに直されていて、いちおう本線筋の高性能車たちに近い水準にまでは整えられている。

会社によって方針がちがうからあれだけど、東武の73,78も、このくらいまでアコモ改造してくれれば、もう少し穏やかな評価になっていたと思うが・。まあ板張りも趣味的には良かったんですけどね。。

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マルーン一色は、このタイプの車両にはよく似合っていますね。

このときのスキャン作業はキヤノンのフラットベッドタイプのスキャナ(フィルムスキャン機能付き)を使ったが、色々調整はできるもののスキャンには非常に時間がかかった。一度に6枚スキャンできるが、総行程で30分以上かかったと思う。つまり、36枚撮りで3時間。

これはセンサーが少しずつ動いて捜査するタイプだが、今回のサンワサプライのスキャナは、たぶん画像をデジカメで撮るようなタイプだと思う。その割には写りは悪くないが、まあ限界はある。安いものだから仕方ない。

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伊賀神戸にいるときは晴れていたが、上野市に着いたころには急に曇ってきたみたいですね。。

だから写真もちょとぱっとしないんだな。。

 

という訳で。そのうち5001型の模型でもつくれるといいんだがねえ・・。

スキャンはまだ面白いのがあるので、また近々。。

2019年12月15日 (日)

養老線

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続きです。

一宮から大垣に移動しました。

今年から東急7900の投入が始まり、大きく変わろうとしている養老鉄道です。

いろいろ回って、駅に着いたのはちょうど11時頃。

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揖斐行きに入っていたのがこちら601F。

もと名古屋線モ1650ですが、テールライトのライトケース形状がより新しい形ですね。

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こちらは624F。もとは南大阪線6000系です。こちらは標識灯が60年代前半頃製造のタイプ。

この車両には見覚えが。

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2011年7月に桑名の留置線で見かけました。

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同じ日、豪雨の中運用中の623F。こちらは今年廃車になってしまった模様。

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幌取り付け座があり、より原型に近い形の613F。こちらも今年廃車になってしまいました。

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などと回想しているうちに、揖斐行きが発車。

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それにしても非常にクラシカルな車体。。

6000系は1963年~の製造で側窓はアルミサッシ式、ベンチレーターはかまぼこ形、台車はこの車の場合直接装架のエアサス式。

私らの世代にはこれこそザ・近鉄という感じですが、とはいえそれはセージクリームこそ東武だと行っているようなもので、さすがに今の人には通じないのかもしれません。。

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昭和41年。53歳。

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内装は一通り更新されているので古さを感じません。

広幅の貫通路が今や懐かしいですね。。

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出発します。

ワンマン運転のはずですが、今日は石田三成運転士が添乗して采配をふるいます。

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西大垣で東軍を迎え撃ちます。

石田運転士はどっか行ってしまった。。

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インバータで武装した東軍が相まみえます。

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天下分け目の勝負は、どうやら西軍には不利な模様。

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このあと、駅を出て大垣車庫が外から見えないか探したのですが、この辺、鶴見線並に工場が密集していて、外から区を眺めることは全く無理でした。。

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この日の交戦状態はじゃなかった光線状態は桑名方に向かうと逆光。

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駅はどこも立派です。もとは近鉄なんだし、その前の養老電鉄(初代養老鉄道)はそれなりに由緒ある鉄道であったよう。

今年が開通100年ですね。

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少し離れた踏切から7706Fの入れ替え風景。

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近鉄対東急の割合は、だいたいの見当で半々ぐらいだと感じました。

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621F。残っている620系のもう一方。。

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幌枠がないので、いまひとつ近鉄感が盛り上がらない感じもします。。

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そのまましばらく待っていたら、桑名行きが来ましたが、さっきと同じ電車ではありますね。。

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オリジナルに近い感じの7903F。

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この辺で西大垣を後にし、すぐ近くにある室駅から再び大垣に向かいます。

ちょっと時間ぎりぎり。

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大垣で「樽見鉄道のりば」というのを見てちょっと気を引かれ、入場券買って入ってみました。

新快速大垣行きが、折り返しの際2両解結する様子を見てたり。

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乗り場を見たのですが、1時間以上列車が来ないので断念。

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少し、田園風景をとらえてみたくなり、移動しました。

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手前は田んぼですが、こうしてみると住宅がけっこう写ってしまう。

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ブレイクタイム

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関東から来た者としては、やっぱりこの電車は魅力的なのですが、さすがに車齢50年を超えれば不具合も出るでしょうし、供給元だった近鉄も一般車をなかなか手放さない状況で。。

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残念ながらこの風景もいいとこ数年で変わってしまうのでしょう。

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美濃高田駅。貨物営業をしていた頃は中線があったのでしょうか。

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ファン心理としては、地方鉄道にこれが入るというのはなんか時代が30年ずれてないか、という感じがしないでもない。

どうせなら西武2000とかやってくれると良かったのにね。。N系ならマルーンに塗れば窓周りに違和感なかったのにな。。

しかしながら、こうして走っているのを見ると、インバータ音も頼もしい感じですし、それなりに新車感は漂っています。

悪くないです。

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色変わりの車両には会えなかったけど、とりあえず満足。

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タイムトリップ感あり。

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これまた立派な養老駅に寄って、旅を終えます。

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今年で築100年になるという駅舎。左側に喫茶店があったそうですが、今は別の用途に使われているよし。

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変にレトロ風になってはおらず、それでも天井が高いので広々とした感じで古びていないです。

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ここでまた列車交換。大垣で出会った601Fが再び。

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7905Fを見送って、この後帰路につきました。

2019年9月30日 (月)

近鉄30000系

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近鉄30000系は昭和53年(1978年)に、その年から始まっていた2代目ビスタカー10100系の跡を継ぐ形で登場、翌年には10100系を置き換えた。京都線や志摩線などの改良工事により、70年代前半は主要路線で特急網の整備が進み、利便性は高まったが増強されたスナックカー以降の車両は実用的な色彩が強くなり、特急の華やかさという点では物足りなさが感じられた。もっともこの時期は国私鉄とも似たような傾向にあり、いずれも特急のカジュアル化と輸送力の強化を主眼にした経営姿勢が目立っていた。国鉄では485系の全国展開と、近距離特急としての183系の導入、私鉄では西武5000系、特急ではないが東武1800など。小田急は通勤輸送に手いっぱいで特急車は70年代には新製されなかった。

73年秋に始まった第四次中東戦争とその後に引き起こされたオイルショックは鉄道業界にも大きな影響を与えた。東武は1974年に最初の複々線区間が開業したこともあり、8000系の新造を行ったが翌年は車両の新製を見合わせた。手元に資料がないが、他社でも同様な事例があると思う。今ではいささか信じがたいが、諸物価が短期間に急騰し、経済の先行きが見通せなかったのだ。

落ち着いてきたのは76年ごろのことで、この頃から従来の車両を一段と改良した、新世代の車両がまとめて登場し始める。国鉄でいうとキハ40系列、オハ50系、北海道用の781系など。通勤用の201系は近鉄30000よりは少しあとだが時期的にはほぼ同じだ。先ごろ引退した京急800もこの頃で、斬新な塗装や固定式の窓など、随分と新しい車という印象があった。

組成の都合から正面デザインこそ前年登場の12400系に合わせたデザインだが、30000系も当時としては非常にフレッシュに見える客室設備を持っていた。1990年代以降、2階建ては国内でもJRのグリーン車、215系など、私鉄でも京阪などが採用し、ごく身近な存在になったが、当時は近鉄が唯一の存在で、近鉄特急=2階建て、という印象が強かったのだ。

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とまあ、与太話が長くなってしまいました。近鉄30000、70年代終わりごろの鉄道ファン/鉄道模型界にあっては非常に華のある目立つ存在だったことをなんとか伝えようと。。

79年秋、カツミが従来の国電シリーズとは一線を画す新世代仕様の模型の題材として、30000系を取り上げたのをよく覚えています。床下モーター(これも中間車を動力にしていたような気がします)、室内完備でアクリル導光式のパネルライトを取付というのは、後には一般化していますがこの車両が最初です。それからエンドウのNゲージ30000系、これもインパクト強かったです。たしか79年の暮れ、値段は14,800円でした。私鉄型Nゲージというと、GMはまだ未着手でしなのマイクロが何か始めていた程度、という状況の中、すっきりした金属車体に薄くブルーがかった側窓の模型は、非常に魅力的でした。また話が長くなったな。。

ですが、トミックスが30000系を出したのはそういうブームのころではなく、だいぶたって落ち着いてからのことです。たしか85年ぐらいじゃなかったかな。名鉄7000系とか、小田急7000系よりは後だったと思います。今回入手した模型も、かなりすっきりしたシャープな造形ですので、時期的には80年代中ほどのことでしょう。

実物同様、トミックスのモデルも時代とともにリニューアルされ、この初期塗装モデルはなかなか新品では入手しにくくなっているんじゃないかな。ので、オークションで探して未使用品を手に入れました。中間車のビスタカーというロゴがユーザ後付けになっていますが、未取り付けのままです。マーク類も未使用です。

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先ほども書きましたように、全体の造形や動力は80年代半ばのトミックスの仕様で、動力はたぶんスプリングウォームじゃないかな。かなり好調であまり神経使わなくていいタイプです。よく思うのですが、トミックスはいやにディティールに凝りだした近年よりも、この頃のほうが色々モノとしてのバランスが良くて、好きだったんですけどね。まあたぶん、その時代の設計者の方が上手だったのでしょう。今は時代がちがうのは確かですが、多少ごつくても感じのいい模型というのはあるものです。。

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30000系に一番最近のったのは8年前のことで、このときよく覚えているのはたしか桑名あたりから名古屋まで、2階席にいたのですが冷房が恐ろしく寒くて、そのあとしばらく風邪をひいてしまったこと。あれは強烈だったな。

この写真はその1年前、滞在していたホテルから見えた風景。

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40年近く前、80年7月。西大寺で。当時車だってスカイライン・ジャパンとか初代クレスタとかいう時代ですから、この造形結構男前に感じられたのだと思います(かなり強引)。

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色をいじればもっときれいに見えるはずだよな。

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この頃のほうが若々しくて明るい感じの色合いですね。

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階下も、今見ても明快でモダンだな。。

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そういえば消費増税すると模型のねだんもあがっちゃいますね。鉄コレのパーツ、買えるものならあした買っておこうかな。。

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