2023年10月31日 (火)

新京成

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世間一般いろんなことが起きてますが、鉄道界もぶったまげるニュースが多いですね今年は。

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新京成を初めて意識したのは実物よりも模型が最初で(そういうことは多い)、TMS77年7月号に掲載された大熊重男氏の100型の製作記でした。模型が良くできていたので好ましい印象でした。実物に接したのはその2年後の3月です。松戸駅に停車中の電車に乗ろうとしたら、ドアの真正面に人がすわっているのが見えてびっくりしました。

そのさらに2年後にもくぬぎ山付近を訪れています。

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このカラーは8000型が最初ですが、これが良かったです。

8000型を1/80, 16.5mmで作ろうとしたことがありますが、どちらかというとこの塗装に惹かれて作りたくなったのだと思います。

ずいぶんとカラーリングの変わる会社で、2015年に訪れたときはこの色、直通系のN800カラー、上掲の8900色、現行ピンク色が現役でした。

いずれはグループ標準型に統一されていくのでしょうけど、カラーリングはこのまま(今はピンクだけですが)でいてほしい気がします。

あと、京成はこの合併で総路線延長が178.8kmになり、西武をわずかに抜いて大手私鉄5位に浮上するんですね。ちょっとびつくり。

サプライズついでに西武も頑張って、東上線買っちゃいましょうよ。川越で線路つないでさ。沿線住民もその方が電車がきれいになってうれしい(以下省略)。

 

2020年12月14日 (月)

10年前の12月

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今の仕事に就いて最初の12月ですが、忙しいです。コロナの影響もいくらかあるが、年末年始がどうなることやらわからない。

気がついたら年が明けていそうです。。

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なので、出かけることも儘ならぬ。

在宅勤務のあと、疲れをいやすために古い写真を繰っていたら、10年前の12月の映像に目が留まりました。

この日は午前中用務で出かけて昼頃帰宅。たぶん昼飯食いながらネットでも見てたんじゃないかと思うけど、ふと八高線の戦後間もない頃の事故に関する記事を読んだ、らしい。

八高線は終戦直後に2度にわたり大きな事故を経験している。一つは1945年8月24日の正面衝突事故、もう一つは1947年2月25日の脱線事故である。このうち正面衝突事故については、2001年、多摩川の川底から当時の事故車のものと思われる車輪が発見され、川岸に保存されている。

という記事を読み、急にこれが見たくなった。午後遅い時間だったが、場所(八高線拝島-小宮間)的に割と気軽に行けると踏んだらしい。

拝島から青梅線で中神駅まで着いた時はもう4時近かったようだ。今地図で見ると結構歩いたな、と思うが、途中暮れ行く多摩川の写真などを色々撮っている。

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この橋ですね。

橋のたもとだったと思うけど、その車輪は見つかった。

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ひとつはスポーク車輪、もう一つはプレート車輪です。スポーク車輪のほうはフランジがちょっと欠けています。

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これが長軸なのか短軸なのかは、よくわからないですけど。

ネットで調べると、以前は川岸にそのまま放置されていたようですが、2004年ごろに引き上げられてここに設置されたようです。

 

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日もとっぷり暮れてしまったので、小宮駅まで歩きましたが、結構遠かったです。車はたくさん走っていたけど、小宮駅はほとんどだれもいない静かな駅でした。

 

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拝島まで戻って、帰りはこれに乗ったらしい。

101系が本線をふつうに走っていたなんて、古き良き時代ですねえ。。

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ついでなのでその翌週に行った佐倉のオランダ風車付近から撮った写真を。冒頭カット写真がそうですね。

このときも用務帰りで行ったのは午後ですが、京成佐倉から歩いているのです。帰りは臼井まで歩きました。

佐倉市のホームページを見ると、【交通】京成佐倉から徒歩40分、京成臼井から徒歩30分とあります。

先の小宮同様、今だったらぜったいに車で行っちゃうはずの場所です。

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風車の中に入って、職員さんから興味深いお話をうかがうことができたのを覚えています。

電車は遠くに走っているのを撮っただけですが、これだけ見晴らしの良い場所も関東近県では珍しいですね。

2010年12月というと、その年の7月に日暮里の改良工事が終わり、スカイアクセス線の営業が始まったころです。

ただ、まだ船橋経由のスカイシティライナーも健在で、そこそこの本数が走っていて、時々使っていました。この写真の3か月後に東日本大震災が発生し、運転再開後ももとの本数には戻らず、やがて消えてしまいました。

実はAE100型には結構乗っていたのですが、今のAEにはたぶん乗ったことないと思います。AE100、成田エクスプレス(253系)よりも快適で結構好きだったんですけどね。

2020年6月14日 (日)

京成青砥駅脱線事故

 12日午前、京成電鉄青砥駅に進入しようとした羽田空港駅各駅停車の列車(北総7818F)が停止直前に脱線した事故で、電車の台車に複数の亀裂が生じていることがわかった。

 台車は側梁の空気バネ付近のところで断裂に近い状態になり、車輪はレールから20センチもずれていた。

 当該編成は京成3700型を北総鉄道にリースしたものだが、1994年に東急車輌で製造されたものであるらしい。台車はFS-547といういわゆるSUミンデン式というタイプで、阪急や東武などで広く用いられている台車だ。

手元にある鉄道ピクトリアルのアーカイブスセレクション「住友金属の台車」によると、このタイプの台車は1966年に千代田線新型車両の選考試作として、東西線5016に装備されたFS364という台車が最初の様だ。

 Minden型というのは軸箱支持装置の一つの型だが、住友金属(当時)では1961年に西ドイツKHD車と提携し、同社の客車用台車を元に自社で設計した台車を製作し阪急2011で試用した。

 これは側梁が一体鋳鋼製だったが、次いで作られたFS-345/45はKHDのオリジナル台車に忠実に設計製造しようと、台車枠全体を鋼板切板溶接により製作している。阪急で幅広く採用されたFS-345系や、小田急NSE用のFS-346、営団日比谷専用のFS-348などは鋼板切板溶接製で、これらは台車の外観が非常にシャープに見える。

 南海7000系と東武8000系は共に1963年の製造初年だが、これらの台車はいずれもミンデンのFS-355/055、FS/356/056で外見は非常に似通っている。共に台車枠は鋳鋼製だ。

 前掲書によると、「・・日独の台車文化のさまざまな違いが本来の溶接構造による標準化の妨げとなり、一方では頑丈な鋳鋼台車を好む客先もあって、鋳鋼製の台車枠も併行して製作された。」とある。製法の詳しいことはわからないが、メーカーとしては鋳鋼製よりは鋼板切板製を推進したいところ、客先側の認識は丈夫な鋳鋼製を所望した、というように読める。

 ミンデンの新設計は1960年代半ば頃まで行われていたが、その後SUタイプが開発されたために終熄したように見える。標準ミンデンの欠点である、長い台車前後長の改良がその主眼であるようだが、SUタイプでは標準ミンデンで採用されていた鋼板切板溶接方式は見られず、もっぱらプレス鋼板製(前掲書ではプレス鋼板もなか貼り合わせ式と称している)で製作されているようだ。

 もなか合わせというのは、コの字型断面のものを組み合わせてロの字型にしたものではないかと思うが、今日では標準的な台車枠製法であるようだ。なお、先のFS-348は増備型がこの鋼板貼り合わせ式になっている。オリジナルと比べるとやや鈍い外観だ。

 外野の立場としては、鋼板貼り合わせ式に強度上の問題があるのではないか、などと言うことはできないのであるが、今回の東武、京成の事故を見るに、そこにはなにか今まで人知の及ばなかったなにかがあるのかもしれない、と考えざるを得ない。

 「頑丈な鋳鋼台車」、あるいはミンデンオリジナルの鋼板切板溶接台車を今日に復活させることは難しいのか。メーカーの事情はわからないが、ひとつ覚えていることがある。東武8000が’76年にマイナーチェンジした際、台車をSU式のFS-396/096に改めた。これは従来の台車(鋳鋼式FS356/056)がメーカーの都合で作れなくなったためと、当時読んだ雑誌に書かれていた。

 素人目にも、鋳型に流し込む鋳鉄より上からドスンとプレスする方が手っ取り早いようには思えるけど。。

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2016年5月の東上線中板橋-大山間。このとき上りは上板橋折り返しで一部区間バス代行になっていましたね。

私は当時まだ西武新宿沿線に住んでいましたが、板橋区役所前から野次馬してしまいました。。

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11003Fは長期休車となっていましたが、昨年復活を遂げました。

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運輸安全委員会の事故調査書。報告では台車に設計上の問題はなかったとされ、亀裂発生の要因は溶接欠陥の可能性はあるが特定不能としています。また国交省では国内を走る同種の11,000台車を点検した結果、問題のある車両はなかったとあります。

東武では再発防止策として、非破壊検査の測定箇所を増やす、などの再発防止策を講じたようです。

 

さて、新しい車両も到着しているのですが、本日は予定を変更して、でした。

 

2015年5月18日 (月)

常盤平

昨年ピンクの新色が発表されて以来、ずっと気になっていた新京成線を訪れた。
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京成本線は所用でちょくちょく利用するけど、新京成の方は正直、なにかの用事でつかうことはまずないですね・・。まあ私は終日机に向かう仕事なので、首都圏を仕事で出歩くことはほとんどないのですが。

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撮影のために訪れるのはなんと34年ぶりだ・・。

新京成はですね・・。最初に訪れたのは'79年の春だったかな。当時は100型とかの吊り掛け車が中心で、こぎれいに整備された、電車らしい電車を好ましく思っていた。
左右でドアの位置が違うなど、ちょっと異文化に触れるようなエキゾチシズムも感じたりしていた。

2度目に訪れたのは'81年の春休みで、武蔵野線で新松戸まで行って松戸に出たんだったかな。くぬぎ山から初富あたりを歩いた。北総線が乗り入れていた頃で、7000型の写真とか、撮ったな。

ちょうど8000型の増備が進んでいる頃で、800型の一部が、アイボリーとブラウン塗装に変わり始めていた頃だった。更新前の車体は良くまとまっていて、新塗装も上品な感じで好きだった。8000型はちょうど鉄道ファンの紹介記事と図面も持っていたので、16番で模型を作ろうかと試作したりもしていた。

まあとにかく、私にとってはあの好ましい旧型電車たちこそが、新京成を印象づけていた。

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それから幾星霜・・。なんか風の噂に、VVVF車が入ったとか、新鎌ヶ谷ができたとかなんとか、聞こえては来ていたが・。

今は今なりに、好ましい車両群が多数走っているという感じですね。

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8000型が出たのが'78年、中学生の時だったかな。当時は旧型車と同色で、いまひとつふっきれない感じだったが、新塗装(アイボリーに茶帯)はシックで魅力的だった。
模型にしたとき、軽く艶を出したアイボリーの塗装がきれいに決まると、いいだろうな、と夢想したものだ。

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これが最新のN800型の新塗装。ずいぶんとイメージが変わるが、ステンレスのこの電車には意外と似合っている気がする。以前の色はステンレス車にはちょっと暗い感じがしたものだ。

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自社発注車としての最高峰といえる、8800型。
なんとなく、新京成が一番気を吐いていた時代を象徴する車両という感じだ。

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デザインも良くまとまっている。

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阪急を連想する、一段下降窓。とても美しい車だ。

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乗り入れ塗装はちょっとごちゃごちゃした感じでいまひとつ。
新塗装は・・・。

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8900型になると、京成との融合がだいぶ進んでしまっているが、正面など、個人的には本家よりちょっとかっこいいデザインに思える。ただ、全体的な印象はやや平凡な感じがぬぐえない。

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本当はくぬぎ山の、昔歩いたところも行こうと思っていたが、疲れたのでこの辺で手じまい。

新鎌ヶ谷で野田線じゃないアーバンパークラインにのりかえます。
高架化工事が進んでいるようです。

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新鎌ヶ谷は初めてです。3路線が乗り入れています。

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野田線じゃないアーバンパークラインの、このあたりの区間に乗るのも久し振り。
前にいつ乗ったのか、全然思い出せない。

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野田線というと、個人的にはどうしても5000系とかを思い出してしまうので、アーバンパークだかなんだか、そういうイメチェンを図りたい気持ちはよくわかる気がする。
電車も気合いが入っているしね

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まあ、あとは乗り鉄というか、野田線じゃないアーバンパークラインをひたすら大宮まで乗り通したのでした。

柏駅ホームにホームドアが設置されていたので驚いた。東武では和光市(有楽町線側のみ)と、ほかにどこか設置されている駅、あるのだろうか?

この辺もすっかり都会の鉄道っぽくなりましたね。60000系とか10030系が青いので、なんだか気分は藤沢駅、みたいな気分になってきます。

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野田線も新京成も、本数的には問題ないが、外環状方向に走る列車はどうも優等列車が設定されず、やたらと時間がかかるのが難点だ。

鉄道会社としては、短時間利用客が多い、という分析なのかな。まあ、じっさいのところそうなんだろうね。

というわけでした。

2013年2月25日 (月)

シティライナー

所用があって時々使う。今は1日1往復と、非常に希少な列車となってしまった。
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 スカイアクセス開業直後には7往復と、結構な本数が運行されていたが、東日本大震災後、電力事情逼迫の影響を受けて長期間運休になり、その後ももとの状況に戻ることはなかった。
 AE100は、ふつうなら新AEに道を譲った段階で引退するところだが、京成は温情的?というか、第2の人生として、のんびり余生を送る道を残してくれた。ところが・・。
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 車体はまだまだきれいだが、シートの背面テーブルなどは、やや年齢を感じさせるようになってきた。デッキ脇の、大型ラゲッジスペースなどが往年を忍ばせる。
 乗客は少ない。が、船橋からも乗ってくる客がいるなど、この列車を必要とする人はいるようだ。
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空港アクセス特急として、10数年前には首都圏の他路線でも、この列車をあしらった車内広告を盛んに出していた。海外旅行でこれに乗った人は相当いることだろう(先代からの累計だが、6年前には1億人乗車を記念していた)。華やかだった頃を知っているだけに、今の姿には多少痛々しいものを感じる。

先頭の貫通扉も、活用できずに終わってしまった。
エアポート快特にでも使ってあげれば良かったと思うが。

話は飛ぶが、京急の羽田空港アクセスはいいのだが、満員のロングシート車はどうも興ざめだ。それに、空港駅はホームの配置を工夫してある(荷物の重い客のアクセスがいい)のに、品川駅はだめ。今京急の構内図をウェブで見つけられないが、前疲れて帰国したとき、大荷物を持って階段を上り下りしなければならなくて、酷い目に遭った(探せばどこかにエスカレータがあったかもしれないが、わからなかった。来日したらしい外国人も、必死になって階段を上っていた)。羽田だけじゃ片手落ちだぞ。京急!!

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2009年11月。京成100年のステッカーのついた姿。
右奥は宗吾車両基地。
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まあ、何となく日本離れした顔だとも言える・・。
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出庫。
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90年代初期の車両としての時代性を感じる。
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このスタイルでライバル253系と闘ってきた。あっちより座席はゆったりしていて、良かったと思う。ちょっと野暮ったいのも、愛嬌だ。

2012年8月27日 (月)

スカイアクセス線とか

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スカイアクセス開業後、京成本線の上野-成田間は、すこし不便になってしまった。以前は急ぐときはスカイライナーに乗れたが、シティライナーも日中は運休したままだ。

一方、スカイアクセス側は実はこれまで乗ったことがなかった。初日乗りの習慣がないので、そのうち空港に用があれば、と思っていたが、いっこうにない(昨年海外に出たときは羽田から)。ので、時隔が開いて上り列車が来ないのをきっかけに、成田から成田空港経由で東松戸まで行ってみることにした。

成田から東松戸に行くには、本来なら空港第2ビルで乗り換えるのが筋だが、成田空港の様子を見たい事もあったし、接続もうまく行かないので、成田空港まで行ったん出た。
成田空港はJR,スカイアクセス線、京成本線経由と3ルートがあり、スカイアクセスと京成本線はホームを途中で分けたようなつながり方をしている。日本の事情を知らない外国人にはわかりにくいかもしれない。
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手前が京成本線、奥がスカイアクセス線(スカイライナーホーム)。京成から乗り換えるには、いったん階段を上がり、中間改札を抜けて、スカイアクセス線のホームに出る。改札の外には出ないが、パスモの料金は中間改札でいったん精算されるようだ。
この辺は詳しくないので、友人にメールして確認を請うた。

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今更レポートしても仕方ないので、詳細は省略するが、迷いながらもアクセス特急のホームに到着。本数は少なく、30分待ち。乗ったのは羽田空港行きの京急1000。
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乗り換えなしで羽田まで行くので、便利そうだが、本数が少ないようだ。
先頭の車両に乗ったが、鉄の親子連れが運転室背後にいたので(改札を出ずに、折り返し乗っているように見受けた。こどもの教育上よろしくないと思うが)、写真は撮らずにおとなしくしていた。
信号場での待避や、新線区間の120km運転など、なかなか楽しめる。
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東松戸についたときは、もう5時過ぎだったので、少しだけ撮影した。下りホーム空港側(この時間順光なので普通こちらを選ぶ)にはいわゆる同業の方がおられたので、遠慮してAEだけ撮影。
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ちょっと西日がきつい。

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今朝(というか昼)、日暮里から乗った本線経由の成田空港行きも、この3050型だった。普段京成になじみがなくて、本線で3050に乗るのも初めてだったのでちょっと不安で、ドア上の液晶をしばらく注意してみていた。簡体字中国語表記と、ハングル文字が珍しいですね。

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下り列車でも、真西という訳ではなく、夕方はそれなりに撮れる。

この後、武蔵野線でぐるっと回って帰ったが、時間はともかく金ばかりかかって仕方がない。西浦和で、鉄橋に防風壁が取り付けられているのを確認した。何度か撮影に行ったのだが・・。


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