2025年7月27日 (日)

冷房化が進んでいた時代

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先週出たピクトリアルの9月号(No. 1041)の特集は冷房車とのこと。

本屋で見かけて、どうしようかなと思ったが結局買ってしまった。

南海が戦前に運行した冷房付き2000型の写真が載っていたのが決め手。今まで見かけた写真は戦後の、冷房運転を終了したものばかりだったが、今回は屋根に分散冷房をつけたクハ2802が、難波の駅に到着している夏姿の写真が載っていた。昭和11,12年の2シーズン(ほとんどの車両は12年竣工なので実質1シーズン)だったそうですね。

料金不要の冷房車は昭和34年の名鉄5500系、通勤型は43年の京王帝都5000系が始まりとされる。国鉄は昭和45年に103系が山手線に、冷改した113系が関西に登場している。

大手私鉄の冷房化元年もおおむね昭和45年頃のようだ。上記写真右のピク1970年8月号では、前述103系冷房車の登場と、各私鉄の冷房車について概観している。また冷房付きの新車として阪急5200系、阪神7001,7801が紹介されている。

’25年9月号でも「大手私鉄の通勤冷房車」という記事があり、各私鉄の通勤車の冷房化の経緯が紹介されている。

ただ、かなり総論的な記事となっていて、少し食い足りない所もある。


通勤冷房車としての始まりは京王だったが、その後の追随は関西勢が早くて、上記阪神、阪急の他京阪が1969年、南海も70年には冷房車を出している。

ただ、近鉄は初代ビスタカーの更新車である2680系を71年に出したが、本格的な通勤冷房車開発は関西他社より少し遅れている。

近鉄では昭和41年にラインデリア付きの通勤車を各路線向けに新造し、これを推進しようとしていた節がある。2600系(1970年)の紹介記事では当社が開発したラインデリア、とあり、夏場の通風装置として一定の成果を期待する向きもあったようだ。大阪、名古屋線用2800系の登場こそ1972年だが、奈良線用8600系の登場は1973年、南大阪線6200系は1974年の登場だ。

京王5000系については詳述されているが、子供の頃はあのクリームに赤帯の電車は全部冷房車かと思っていた。幡谷に親戚があり、良く乗るのがグリーンカーだったので、冷房特急はうらやましかった。’76年の夏に訪れたとき、乗った電車が5000系(たぶん)の非冷房車だったので驚いた。後には吊掛式(5100)もある事を知り、更に驚いたりしている。。

関東私鉄ではほかに小田急の2478が編成で1両だけ冷房改造(1968年)、1970年になって東急8000、71年に東急8000、京急の600(改造)、1000と続く。72年に東武、西武、京成も冷房車を新製して足並みがそろう。ただし東急は新玉川線専用とはいえ、8500の非冷房車を76年に新製したりしている。

東急は冷房車の製作自体は早かったが、経年の浅い車両はオールステンレスのものが多く、冷房改造のペースは遅かったと記憶している。その前の5000系は軽量設計故、冷改ができなかったのだろう。支線区は吊り掛けの3000系で、たしか池上線には長いこと冷房車がいなかったのではないか。

昭和50年頃の新聞記事だったと思うけど、各私鉄の冷房化率(懐かしい言い方!)を表にしたものが出ていた。東急と京成が一けた台だったかな。京成も3300より前の車両が冷改されるのは80年代に入ってからで、冷房化率がとても低かった。

当時は線区により冷房車が偏在する様子が見られた。支線には経年の古い車両が多く、冷房車があまり入らなかった。このため、各鉄道では運用を変更して、最低1編成は冷房車を入れるように工夫する姿も見られた。

昭和53年の国鉄編成表を眺めていると、ここは前年に101系から103系に車両が変更されたが(編成は8両だったので山手線とは別運用)、冷房車としては試作冷房を含む1編成だけだ。

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この時の池袋区、品川区(当時の山手線車両の所属区)の編成表を見ると、意外というか冷房化が相当進んでいる。ATC対応のクハを集中的に投入した成果だろうか。クハだけ冷房付き、高運転台の車両を先行して置き換えたため、編成中両端の2両だけが冷房装置付き、となるケースがあったが、編成表を見る限り山手線ではあまり目立たない。京浜東北にはこれが多く、当時下十条に多かった7+3(クモハを含む編成)では3連のユニットが見事に全部非冷房だ。

クハだけ冷房付きの車は、電源がないから当然に冷房使用ができない。これを、乗務員だけ冷房使ってる、という誤解が一般乗客の間にささやかれた事があった。今なら炎上案件かもしれない。

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東武では1972年の8156Fが最初の冷房車で東上線に、同時に8157Fを本線に投入した。

6コテを中心に冷房改造も進んだので、冷房化は比較的スムーズだったように思う。例外は快速の6000系で、6050系に更新される1985年まで非冷房のままだった。支線区の3000系統や、本線でも73,78は冷改できなかったが、古い車が非冷房で残るのは各鉄道共通だった。

東武の場合、78の改造車を非冷房のまま更新(5000系、1979年)するという事をやり、流石に時流に沿ってないと感じたのか、2年後に冷房付きの5050系に変更している。

冷房化が進行している頃は通学で利用していた。ラッシュ時に非冷房は暑かったはずだが、学生時代はそれほど記憶がない。盛夏の7,8月は学校行かなかったからかな。何かの用で少し遅く通学したときの電車が73で、そのとき暑かったことは覚えている。

社会人になってからは地下鉄を利用して、地下線に入ると冷房車でも冷房を切られるのには閉口した。

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非冷房車は2000年代にはいるとほぼ絶滅してしまう。

その頃、窓の開いた電車が懐かしくなって、あえて非冷房車を求めて乗りに行ったりした。

秩父鉄道1000系は、中間車だけなぜか非冷房だった。

車内も懐かしい感じなので期待して行ったが、窓は下段が固定になっていて、6月のこの時期に窓を開ける人はおらず、失望したのを覚えている。

国電や西武の通勤車の窓は2段上昇式で、夏場には全開できるのがうらやましかった。

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東武8000や2000は国鉄急行型電車と同じ上段下降、下段上昇式で、一番開いた状態でも窓面積の半分しか開かない。

78などの旧型は2段上昇式だが、全開すると下段が多少引き残る。

もっとも、いまにして思えば安全面からも、立ち客、着座客双方に通風がある点からもこの方が合理的な気もするが・。

後には安全面からか、西武も東武も下段は固定され、開口範囲は更に狭くなった。


窓の開いた電車が懐かしかった時期があったが、2011年の東日本震災(節電のため)、20年のコロナ期に窓が開けられるようになったのには驚いた。

流石に今年は窓開けしている路線はないと思うけど、あの変な習慣はかなり後を引いたね。夏はまだしも、冬の窓開けには閉口させられた。雨が吹き込んで座席がびしょぬれになったりとかね。。

2022年12月 5日 (月)

阪神赤胴車

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前にもちらと書きましたが、阪神赤胴車の鉄コレを集めてみました。

阪神はピクの特集号とか、昔で言うと保育社のカラーブックスとか、時折買って読むと結構興味を惹かれるんですよね。

車両の変遷とか。赤胴車は特に、後年まで編成単位で車両新造をしなかったので、組み合わせが興味深い。京成と似てるけど、京成よりも入り組んでいるし、改造して新系列になったりして複雑。時代背景や当時の企業的な事情により、超経済車、通風機改良型、両開扉採用のチョッパ、冷房車、編成概念の変更、抑速制動付き、と進化していく。さらにこれらが、時代の変化とともに改造新形式となったり、編成が組み変わったりして、バリエーションを増していく。

 

それが、なまじ身近な存在ではないと、情報だけがうわっと入ってくるので、余計複雑な気がする。例えば西武も赤電とか、いろいろやっているが、実際にリアルタイムで変化を見ているので、ざっくりとしたイメージは体にしみている。もし関西のひとが興味を持ったとして、資料を手繰ってみたら、けっこうカオス感があるかもしれない。

 

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それはそうと、今回購入したのはアマゾンの中古とヤフオク経由の鉄コレです。事業者限定を中心に、いろいろな形態が発売になっています。

その中で個人的に最も気になる7801型を中心に、まとめてみました。

先に書いたように部外者ですので、雰囲気だけでまとめていますので、詳しい方が見たら変な気がするかもしれません。

まことにもうしわけございません。。

そういうのはきっと、東武73,78を適当につながれたときの違和感と同じなのでしょうね。。

 

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この7801+7901を両端に逆向きにつなぐのが、果たして考証的に正しいのか、正直自身がございません。

しかしながら、中古商品は選択肢が限られているので、その辺は致し方ないところです。

7801の初期車ですが、当時小型車追放を急いでいた阪神が、少しでも製作費を減らして新造を急いだ超経済車となります。

車体の裾は直線(丸くない)、正面は3面折れのない、切妻。雨樋が露出しています。7901の台車は旧型から流用したボールドウィン、タイプなのが、とても魅力的に映ります。とはいえ、BWを履いていたのは新造後数年のことのようです。

この模型は冷房化がなされた後なので、70年代後期の姿、ということでよろしいでしょうか。

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こちらはオクで入手しました。

鉄コレ的には7801よりもやや古く、微妙に仕様が異なっています。

実物も7801よりは数年早く誕生した形式で、単行で武庫川線で使われていたのがとても有名です。

4両いて、本線でもよく使われていたとはものの本にかかれていましたので、こういう感じで中間に組み込む、ということもあったのではないかと思います。

これも冷房化、パンタ交換後の姿になっています。

模型ではこれを動力車にしましたが、阪神は台車中心間が長い、オーバーハングが短いのが特徴です。模型ではそれに合わせた動力ユニットがなく、やむを得ず床下機器を一部間引きして再配置しています。台車もFS30の側枠がないので、付属のアルストム台車(阪急2000あたりのものかしら)をつけています。

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これ確か乗ったことあったな、と思って、古い写真を探したけど、これは違うんですね。。

たしか青胴車を改造して作ったのでしたっけ。扉が両開きで、中間扉を閉鎖しています。

京福に譲渡されたのはたしかで、国鉄DT21に履き替えたやに聞いています。

この車は古いD16あたりの、吊り掛け車です。

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これだけ単行で走らせても絵になりますね。。

このほかチョッパ車の7001は今も阪神オンラインショップに在庫がありますが、Tc+Mのようで、つまり昔の鉄コレにあった東武8000のクハ+モハみたいなもので、そのままでは編成が組みにくそうです(ネット上でおやりになっている方もいるようです)。

GMには7001、または3801あたりの形態の板キットがあります。気にはなりますが、先に青胴もそろえたくなってきますね。。

 

2022年10月10日 (月)

関西系鉄道への興味

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京都市交通局10系(鉄コレ)をオクで入手しました。

事業者限定ではないと思いますが(元箱はなかった)、関東では店頭に出なかったような気がします。発売されたのは昨年春だったようです。

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となりに103系ATCがいるのは、演出でもなんでもなくて偶々です。。

箱なしでしたが100均の適切な箱に収めて頂いていました。N化は完了しており、但し書きでT車にウェイト非搭載、先頭車にアンテナ未取り付け(パーツなし)とありました。ウエィト無しは全く問題はなく、むしろうちの考証3%、実質4%近い勾配をクリアするには好都合に思えます。手持ちの9001Fとかもウエィト外すかな。。あれ1M9Tでは走らないので。。

なので、とってもお得でした。

ありがとうございます。

 

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先月用務でこれに京都-北大路間乗りました。大荷物で目的地探しながら乗ってたので、撮影なんてとてもできませんでしたが。

これが初めてというわけではないのですが、20系も登場してそろそろ引退モードですからね。。いちおう模型に残しておきたい。

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形態的には関西の風味を感じさせるもの、別にないですね。

試作車は'80年に登場しましたが、同時代ではメトロ8000系がこれに近い感じです。

地方の地下鉄というと福岡市営地下鉄1000系がありますが、あれはけっこう個性的で、西の風味が強いです。

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鉄道ジャーナル'80年9月号。

京都-北大路の開通は翌年ですが、このころすでに試作車が落成していました。

当時なぜかこれを読んでとても新鮮に感じて、当時道具をそろえて覚えたてのGペン、丸ペンを使ってペン画を描いた覚えがあります。

あの絵はどこへやった事やら。。

 

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というわけで、ほんとうは9月の京都訪問時に何か所か撮影をしてみたかったのが果たせず、依頼アンテナが関西方面を向いたまま成仏できずにいます。。

といって、関西の鉄道のことは今やまるで分らなくなりました。昔は知ってたのか、というと、80年代初頭だとそこそこ知識仕入れたり、時折訪れたりはしてたかな。

関東私鉄も40年のうちには相当変わりましたが、関西も当然変わっていますね。

京阪は昇圧や6000~9000系あたりはなんとなく知ってましたが、ここ10年ぐらいの変わり具合が急なようです。

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阪神の赤胴車が運用終了したのは2年前、青胴も終焉間近だそうで、やはり隔世の感はあります。

このスタイルのボディと、上下2色塗りの塗装は、なんか普遍的な私鉄電車っぽさがあって好きなんですけどね。。

関東にもけ〇せ〇とか、ほぼ同様のボディで好ましい感じでした。ステンレス化と編成長大化(関東では長い方ではないが)で、やや個性が薄れてしまったけど。

それで、阪神も徐々に時代の洗礼を受けて、そっちのほうに向かいつつあるのかな、と。

阪神ジェットカーは、小学生の時いちど車体を自作したことがあります(5101。ソースは私鉄電車プロファイルより)。その頃どんな出来だったのか、写真のこってないからあれですが、やはり子供にもいい感じに思えたのですね。。

 

どちらの鉄道も、各形式の詳細な経緯とかは知らなかったので、少しずつ記事を読んで勉強しています。。京阪の方は現行形式が中心で、過去の車両はあまり出てこなかったな。

それとこの別冊は裏表紙に広告がなくて白紙(というか、色は灰色)のまま。今紙媒体の広告って、そんなに厳しいのですかね。。天賞堂も広告出さなくなった気がするし。

昔はカワイモデルとかロコモデルなんかも広告出してたんだけどね。。

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話はまた飛びます。

そんなこんなで昔を思い出しているうちに、自分が乗った(使った)食堂車って・と考え始めて、サシ581のことを思い出しました。

うちのKATOのセットは間にTsが入った7連だったので、サシを増備してみました。やはりオクで入手です。

実物は「はつかり」でコーヒー飲んだだけですが、天井高くて快適だった記憶があります。

あと乗ったのは新幹線100系の168とオシ14かな。。オシ14は食堂営業なしで、自販機で飲み物買ってだべった記憶。。

 

2022年2月23日 (水)

車内(主に関東私鉄)

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じゃ、いきます。以下の写真、ここでは再掲のものもいくつかあると思います。

小泉線の3050系。この運転室仕切りのアレンジは昭和45年製の8000系と共通です。

4Rでは8152F-8155Fがそれに相当しますが、東上線にもいました。冷房改造で8156~同様(右側も運転台側と同様の位置にセットバック)に改造されました。

この車両もデコラが退色していますが、初期車の退色はもっとひどくて、冷改で張り替えた部分との色の差がはっきりしてるのが目立ちました。

1994年9月。

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8000はこんな感じですね。

デコラの退色は、初期車から昭和42年ぐらいまでに製造された車両が顕著で、その後は何か製法が改良されたのか、それほど目立たなくなりました。これは国鉄の薄緑色も同様で、なにか業界的な技術革新があったのかもしれません。

ところが、こののち9000系から薄クリームの内装が出現するのですが、歴史は繰り返すというか、この色合いのデコラも短期間で退色してしまいます。もともと白っぽいので目立ちはしないのですが。

この写真の当時(1980年夏)、東上線には550両ぐらい車両がいて、2/3ぐらいが8000,そのうち初期車は100両かそこらでしょうか。ちょっとくたびれた感じの内装をしていた。そう考えると、今の東上線もまあ似たようなものかなと。ただ、今のほうが内装30年以上そのままという車両も多いですけど。。ちょっと話が長くなってしまった。。

 

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同じころ(81年4月)、7300系はこんな感じでした。

前回国鉄72系の内装を掲げましたが、あれに比べるとこちらは金属板(塗装仕上げ)の内貼り、アルミサッシと、多少近代的です。

国鉄車両は全検で再塗装する際に、内装は刷毛塗りで仕上げていたようで、前の塗装の剥がれも十分でなく、年数がたつと若干見苦しいものがありました。初期の103はドアなんかが鋼製で塗装仕上げだったのですが、この辺からヤレを感じたものです。

東武は8000系もそうですが、内装の再塗装も吹き付けで、国電よりは綺麗に手入れしていました。その点は良かったかな。

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この内装色はもとは灰緑色(シートは青色で、ようするに国電と同じ)だったものを、昭和43年ごろに替えたらしいです。

実はかすかに覚えています。

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その前はこうだったのでしょう。

東武博物館のデハ5。流石にこれに覚えはない。。

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同じく博物館の展示、8000の内装のように見えるけど、窓柱の感じは3000系ふう。

2010年撮影ですが、3070系辺りから取ってきたのでしょう。こういうのは将来、とても貴重になると思います。

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西武は501系から。

ただしこれは流山に移ってからのもの。前回書きましたが、この臙脂のシートとベージュの壁は、当時の2等車の内装を模したものだそうです。

1981年4月。

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これも流山に移ってからの101系(新)。

オリジナルの壁、シート色ですが、背ずりは新しい様式のもの。

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101(新)は1979年の登場ですが、その内装はもともと2000系(1977年)から始まったものです。

2000系は15年以上前に全車内装更新を終えていますが、オリジナルはこんな感じでした。

クリーム色の色合いが、ちょっと他では見られない感じです。

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どこかに低運101の写真があったはずだけど、今出てこない。またいずれ。。

これは701系の内装。蛍光灯が少なくて、内装も暗い感じでぱっとしないのです。

中央線(201系)利用から西武沿線に転居して、これに乗って都落ちを実感したものです。。

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引退の近いメトロ8000系の、登場当時。

鉄道友の会主催のお披露目会で。

まだ冷房は準備段階です。

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こどもの国線の、東急3000系(3608)。今見るとわりとモダンな内装ですね。古参の3450も、更新後はこんな感じでした。

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大井町線かな。7200。

この時代の東急は内装がかなりあっさりしています。

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田園都市線でしょうから、8500だと思います。

この次も含め、1979年1月です。

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相模鉄道の6000系初期型。

寒色系なのですが、国鉄とは色合いが違います。

相鉄も2100型からは暖色系の内装に代わります。

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西武20000系は今もこんな感じですが、ちがうのは広告の数でしょうね。昔はうっとおしいぐらい広告がついていたのに、なくなると寂しいというのは不思議な感覚ではあります。。

2020年1月27日 (月)

私鉄特急

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ちょうど今月のピクトリアルがレッドアロー50周年ということで、5000系のこともだいぶ詳細に触れている。

それで、ふとこの本のことを思い出して実家から取ってきた。

山と渓谷社 発行は昭和53年10月30日で、私が手にしたのは翌年の夏。ちょうどいちばん多感なころの、私鉄花形電車が網羅されている。関東私鉄で言えば東武DRC、急行だが1800りょうもう、東上線「みつみね」、関西の南海は初代ズームカー「こうや」1001系「四国」一般車7001系による本線特急、キハ5501の「きのくに」など。

懐かしいというよりは、自分的にはそれがデフォルトみたいな世界がそこにある。

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撮影は広田尚敬氏、解説文は吉川文夫氏という、当時のゴールデンコンビ。

吉川氏は軽妙な文体で定評があったが、早世してしまわれたのが惜しまれる。

広田氏の写真に最初に触れたのは、以前紹介した子供向けの本「れっしゃ」だったが、本作でも非常に美しいカラー写真が多数掲載されいる。

この時代の写真事情にそれほど詳しいわけではないのだが、ほとんどの写真は35mmカメラ(キヤノンF1)で撮影されている。京王だけは中判で撮られているが、ほかはF1、レンズも50mmF1.4をF4ぐらいに絞って使っているのが中心。

フィルムはKR(コダクロームのISO(当時はASA)64)が多い。これが当時の商業写真の、標準的な撮影機材、フィルムだったのでしょうね。

特に50mmレンズの多用は、懐かしいというかなんというか、ちょっと考えさせられます。今だとまず、こんなきれいな構図で撮影の出来る舞台があまりなくて、いきおい高倍率ズームでかつかつに撮らないといけなくなってしまうような気がする。

こんど、単焦点レンズばかり持って、撮り鉄に行ってみようかしら。

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あまり誌面を引用するのは考え物だが、こちら、阪急三宮の、あの印象的なアーチに入っていく5100系。

ちょうど先週は1.17から25周年ということで、テレビでも追悼ドラマとかをやっていたので、ページをめくっていてふと手がとまった。

広田氏もこのビルを神戸線の象徴と捉えて、このアングルから撮影されたのだろう。

左側に時刻表か何かを眺めている、この頃にしてはすらっと背の高い感じの若い女性が映っている(人物がおおく映りこんでいるのも本書の特徴だ。今だったら色々難しい話になるのかもしれないな。。)。この方も震災をくぐり抜けて、今頃どうなさっているのでしょうか。。

そんなことを考えさせられる一冊でした。

2019年12月15日 (日)

名古屋駅

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12日から13日にかけて、名古屋付近~岐阜付近に行ってまいりました。

前回と同じく2回構成です。

名古屋といいながら、最初のショットは名鉄一宮駅です。。

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急行岐阜行き。このこの連結面の広い感じがなんとなく昔の西武を思い出させて素敵です。

2両固定と4両固定車で車体断面が違うのも趣があります。

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私が乗車したのはこちらです。

3150系。内装は薄いグレーの壁に紫のシート。比較的モダンな感じ。

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名古屋駅に着きました。

お上りさんということで、カメラ取り出して撮影開始。

2200系。この両開き風の貫通扉が魅力的です。

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ここで白状しておきますと、私は名鉄の今の車両についてほとんど知識がありません。。

だいたいパノラマDXが出たころで止まっています。。(^^;

この3500系列がわりと主力級らしいことは、次から次へとくる列車を見てわかりました。

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相鉄よりは名鉄のほうが乗車した回数は多いかも。7000系は2回ぐらい乗った記憶がある。このへんは残念ながら。。

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線路幅は違いますが、名鉄と京成はちょっとイメージがダブります。

空港特急は青系、一般車は赤系というのはあるけど、やはり日車の車両が多いからでしょうね。

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3300系のこのタイプのやつは今回、これしか撮れなかった。

最近の名鉄のイメージというとこれが浮かぶのですが。

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ただ、子供の頃からの名鉄の印象はこちらのほうかな。

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これは1700系というのでしょうか。この辺になるとよくわからないんだよね。。

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最新鋭の9500系。これは9501F。あとでもう一回出てきます。

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窓下の帯が黄ばんでいるように見えて、なんとなく味を感じさせます。。

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こちらは9502F。

ヘッドライトのあしらいが関東私鉄にはない印象。さいきんの乗用車を連想します。

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世代的にはこれこそがザ・名鉄という感じなんですけどね。

お元気そうで何よりです。。

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GMのNゲージでも買いたくなってきました。

ただ、私鉄電車を買うと、その時は喜んでるけどあまり運転しないんだよね。。

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この日は一宮に投宿しています。夕食後名鉄で名古屋に行き、午後8時台を名鉄名古屋で撮影。

9時に入ってからJR線に移りました。。

地下道を歩いてる頃から排気のにおいを漂わせていた「ひだ」。

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師走の木曜日の夜ということで、通勤帰りの客でいっぱいです。

豊橋方面、大垣方面共に混雑しています。

新快速豊橋行き。岡崎行き別ホーム3番線。

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313系はお世辞抜きでいい電車です。バランスのいいデザイン、転換クロスシートの居住性の良い室内。貫通幌のついた電車らしい先頭部。

多少古くはなったけど、これとJR東のE233系あたりと比べると、東はいささか残念な感じ。。横須賀線もオールロングになるらしいし。。

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東海は国鉄時代の113系などは早めに淘汰してしまったけど、211系は名古屋口でも頻繁に見ることができますね。。

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これを見ていると国鉄時代の血統を感じます。西日本にはほぼいないけど、意外と広範囲で見ることができますね、今。

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並び。

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暗いので流れてしまいましたが、旧セントラルライナー仕様。

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これはホームライナー大垣行きです。

関東者には珍しい。

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合間に貨物列車も。

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快速「みえ」

乗ったことあります。

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313系。区間快速武豊行き。

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こちらは中央線用のホームライナー。

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1990年前後、JR東日本の近郊型電車って、なにも開発していなかったのかな。。

E231まで空白がある感じがしますね。。

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この辺で手じまいとしました。新快速に乗って帰ります。この日は中央線列車接続のため、5分ほど遅れていました。

もうあらかた乗車が終わっているのでホームが閑散としてますが、乗車率はかなりのものでした。

同年配らしき女性二人連れが、忘年会の帰りなのか顔を赤くして、ペットの猫の話をしていました。。朝顔をなめて起こしてくれるんだけど、そのくせこっちから呼ぶと答えてくれないんだとか。。

ごく普通の、師走の夜の通勤電車。

そんな電車の乗客の一員となるのも、また楽しい感じ。

 

2017年7月31日 (月)

池袋新名所ほか

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南池袋の新しいビル正面にてんじされているこれ、私も詳しい事情は全く知らないのですが。。
 
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SNSの情報によると、時折行き先が変わるらしいです。今は通勤急行豊島園になっています。
 
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これは昨秋、2000N系で初めて廃車となった2097Fの、クハ2098なのだそうです。
ウェブを見ていると、廃車後かなり早い時期に解体されてしまったようですが、先頭部だけこうして残されたのですね。
 
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京急のことは詳しくないのですが、この812Fは解説によると79年の製造だそう。
「シン・ゴジラ」に破壊された800が何番だったのか、わかりませんがDVDを止めてみると丸灯の初期車のようです。
 
不完全な写真しか撮れなかったので、ここでは掲げませんが、左奥のほうに東急7700のカットモデルも見えます。これも蒲田行きのようでした。
 
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2000N系の展示は少し早すぎな気もしますが。。西武も廃車が始まると早いから。。
 
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この日は中央総武緩行線も少し撮影。山手線でE235系がだいぶ目につくようになってきたので。
 
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ただ、休日は高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪の快速ホームが使えないので、新宿より西方では撮影が難しい。。本数は結構多いけど。
少し待っていると、数本これが走っているのを見かけました。
あまり変わった感じはしないですけどね。。
 
というわけでした。

2012年12月26日 (水)

斜光

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暮はそれなりに慌ただしくて、どこかに撮影に行くなどと言うことはできない。
撮影できる時間は短いが、うまく光を捉えればきれいな写真が撮れそうな気もするけど。

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いつもは退屈に感じるステンレス車体も、光を浴びると多彩な表情を見せてくれるかもしれない。
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他方、こうした人工光もわるくない。
年賀状の準備をしているうち、もうすぐ今年も終わりだ。

2012年10月 9日 (火)

相模鉄道

横浜に用事があったので、ついでに相鉄線を撮影してみた。
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西谷-鶴ヶ峰。 相鉄線を利用する機会は全くなくて、以前いつ利用したかも記憶がない。下手すると30年ぐらい利用していないかも。
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なので、車両についても前期型7000系ぐらいまでしか乗ったことがない。この辺の車両も乗ったことがなかったと思う。もちろん、雑誌等の記事で知識としては知っているけれど。
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これは旧塗装となるらしいが、こちらの方がはっきりした色合いで好ましいような気がする。
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新塗装。だいぶ印象が変わる。
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現状他社乗り入れはない状態だが、系列としては新旧7000系、8000系、9000系、10000系、11000系、それに9000系までは新旧塗装があるので、結構なバリエーションだ。撮影しているときはどんな車両があるのか、全く知識がなかったが、戻って調べてみると、8000系の旧塗装だけ撮っていない。もういないのかな?
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上り電車にかぶられてしまい、後打ちでしか撮影できなかった。

相鉄7000というのは、まだ私鉄型の市販電車がほとんどなかった(Nゲージ)79年3月頃、TMSに簡単な改造で私鉄電車を作るという記事があったときの題材になっていた。KATOの103系(旧型)を改造してこれを作るというもの。簡単に作れて見栄えがするとという、当時としてはとても興味深い記事だった。

その記事から4年ぐらいたった頃、これの模型を自分で作った事がある。GMの営団7000系キットを使って作った。もともとキットにこの電車の前面が付属していた(と思ったけど な)ので、後は客ドアを拡張して、屋根をそれらしく作っただけ。側面の帯はレトレラインかICテープを使ったが、後からぽろぽろはがれて弱った。2009 年の暮れ頃、はがれていた帯を整備し、動力ユニットを換装して、更新復帰させた。が、その時いちど運転しただけで、しまい込んでしまった。
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11000系。ここまで個性がなくなると、ちょっと寂しい感じもするが。
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ヘッドマーク付き。
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10000系。10年前に、ピクトリアル誌上でこの電車の記事を見たときはちょっとショックだった。これまでオーダーメイドが当然だった日本の通勤車は、この車両から大きく変化し始めることになる。
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この電車のクロスシートも結構話題になったし、なかなか、自己主張の強い鉄道だ。

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この外側ディスクを見ると、相鉄だなあ、と思う。

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後打ちしてから、これが戻ってきてくれるのを待ってしばらく粘っていたが、次の予定が押してきたのであきらめて横浜に戻ることにした。結局、これに乗って帰ることになった。
この顔、なかなか模型好きのする顔だと思う。
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おまけ。この日は東横線で再三特急運用についていた7116F。行くときも横浜で上り線にこれが止まっているのを撮影したが、移動に利用するときにもこれがやってきた。折り返しでまた特急になった。車内鴨居の表示板は使われていなかった。

2012年7月23日 (月)

日本の美しい通勤電車

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子供の頃はそれなりに都市部の通勤型電車にも関心があったが、毎日通勤に利用するようになってからはだんだんと興味がなくなってきた。新車には関心はあるが、ほとんどユーザーとして関心であり、新しいビルができたときの関心と余り変わりない。
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・・などといいながら、かれこれ20年ぐらい過ごしてきた。関心がないとは言っても、何かのついでに撮影したりはしていたが、気がついてみると子供の頃からなじんできた車両はあらかた消えてしまった。もはや京王6000も小田急5000も、京急1000もいないのである。
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今ではどこの鉄道に何が走っているのか、子供の頃よりもよくわかっていない。
なので、すこしずつ出かけて現状をチェックすると言うことを、さいきんしている。
撮影してみると、今の電車もそれなりに趣がある事に気がつく。
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 ここで撮影しようとして、ホーム先端に向かっていたら、こどもが横を平行して歩いている。電車に乗るのだろうと思って、そのまま歩いていたら、乗車位置をすぎてもまだ早足でついてくる。あれ、と思ったら、彼も撮り鉄さんなのであった。携帯を片手に、カメラはパナソニックのTZ系かと思うが、こういう都市部では彼のような子とよく一緒になる。そういうのは何となく恥ずかしい感じもする。

 

今は記録する人がいくらでもいるので、自分の撮影したものにどれだけの価値があるのか、疑問だ。撮影ガイドを見て、全く同じアングルで富士山をとって喜んでいるアマチュアカメラマンを連想する。
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走行写真はどこか釣りに似ているところがある。狙った場所で待っていて、ある瞬間で合わせる。それがたのしいのであって、被写体そのものは別になんでもいい?釣った魚を全部食べるわけではない、というのと似ているかな。
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こういう方がいいよね。ただ、構図はちょっと失敗しているが・・。

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