じゃ、いきます。以下の写真、ここでは再掲のものもいくつかあると思います。
小泉線の3050系。この運転室仕切りのアレンジは昭和45年製の8000系と共通です。
4Rでは8152F-8155Fがそれに相当しますが、東上線にもいました。冷房改造で8156~同様(右側も運転台側と同様の位置にセットバック)に改造されました。
この車両もデコラが退色していますが、初期車の退色はもっとひどくて、冷改で張り替えた部分との色の差がはっきりしてるのが目立ちました。
1994年9月。
8000はこんな感じですね。
デコラの退色は、初期車から昭和42年ぐらいまでに製造された車両が顕著で、その後は何か製法が改良されたのか、それほど目立たなくなりました。これは国鉄の薄緑色も同様で、なにか業界的な技術革新があったのかもしれません。
ところが、こののち9000系から薄クリームの内装が出現するのですが、歴史は繰り返すというか、この色合いのデコラも短期間で退色してしまいます。もともと白っぽいので目立ちはしないのですが。
この写真の当時(1980年夏)、東上線には550両ぐらい車両がいて、2/3ぐらいが8000,そのうち初期車は100両かそこらでしょうか。ちょっとくたびれた感じの内装をしていた。そう考えると、今の東上線もまあ似たようなものかなと。ただ、今のほうが内装30年以上そのままという車両も多いですけど。。ちょっと話が長くなってしまった。。
同じころ(81年4月)、7300系はこんな感じでした。
前回国鉄72系の内装を掲げましたが、あれに比べるとこちらは金属板(塗装仕上げ)の内貼り、アルミサッシと、多少近代的です。
国鉄車両は全検で再塗装する際に、内装は刷毛塗りで仕上げていたようで、前の塗装の剥がれも十分でなく、年数がたつと若干見苦しいものがありました。初期の103はドアなんかが鋼製で塗装仕上げだったのですが、この辺からヤレを感じたものです。
東武は8000系もそうですが、内装の再塗装も吹き付けで、国電よりは綺麗に手入れしていました。その点は良かったかな。
この内装色はもとは灰緑色(シートは青色で、ようするに国電と同じ)だったものを、昭和43年ごろに替えたらしいです。
実はかすかに覚えています。
その前はこうだったのでしょう。
東武博物館のデハ5。流石にこれに覚えはない。。
同じく博物館の展示、8000の内装のように見えるけど、窓柱の感じは3000系ふう。
2010年撮影ですが、3070系辺りから取ってきたのでしょう。こういうのは将来、とても貴重になると思います。
西武は501系から。
ただしこれは流山に移ってからのもの。前回書きましたが、この臙脂のシートとベージュの壁は、当時の2等車の内装を模したものだそうです。
1981年4月。
これも流山に移ってからの101系(新)。
オリジナルの壁、シート色ですが、背ずりは新しい様式のもの。
101(新)は1979年の登場ですが、その内装はもともと2000系(1977年)から始まったものです。
2000系は15年以上前に全車内装更新を終えていますが、オリジナルはこんな感じでした。
クリーム色の色合いが、ちょっと他では見られない感じです。
どこかに低運101の写真があったはずだけど、今出てこない。またいずれ。。
これは701系の内装。蛍光灯が少なくて、内装も暗い感じでぱっとしないのです。
中央線(201系)利用から西武沿線に転居して、これに乗って都落ちを実感したものです。。
引退の近いメトロ8000系の、登場当時。
鉄道友の会主催のお披露目会で。
まだ冷房は準備段階です。
こどもの国線の、東急3000系(3608)。今見るとわりとモダンな内装ですね。古参の3450も、更新後はこんな感じでした。
大井町線かな。7200。
この時代の東急は内装がかなりあっさりしています。
田園都市線でしょうから、8500だと思います。
この次も含め、1979年1月です。
相模鉄道の6000系初期型。
寒色系なのですが、国鉄とは色合いが違います。
相鉄も2100型からは暖色系の内装に代わります。
西武20000系は今もこんな感じですが、ちがうのは広告の数でしょうね。昔はうっとおしいぐらい広告がついていたのに、なくなると寂しいというのは不思議な感覚ではあります。。
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