2025年7月27日 (日)

冷房化が進んでいた時代

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先週出たピクトリアルの9月号(No. 1041)の特集は冷房車とのこと。

本屋で見かけて、どうしようかなと思ったが結局買ってしまった。

南海が戦前に運行した冷房付き2000型の写真が載っていたのが決め手。今まで見かけた写真は戦後の、冷房運転を終了したものばかりだったが、今回は屋根に分散冷房をつけたクハ2802が、難波の駅に到着している夏姿の写真が載っていた。昭和11,12年の2シーズン(ほとんどの車両は12年竣工なので実質1シーズン)だったそうですね。

料金不要の冷房車は昭和34年の名鉄5500系、通勤型は43年の京王帝都5000系が始まりとされる。国鉄は昭和45年に103系が山手線に、冷改した113系が関西に登場している。

大手私鉄の冷房化元年もおおむね昭和45年頃のようだ。上記写真右のピク1970年8月号では、前述103系冷房車の登場と、各私鉄の冷房車について概観している。また冷房付きの新車として阪急5200系、阪神7001,7801が紹介されている。

’25年9月号でも「大手私鉄の通勤冷房車」という記事があり、各私鉄の通勤車の冷房化の経緯が紹介されている。

ただ、かなり総論的な記事となっていて、少し食い足りない所もある。


通勤冷房車としての始まりは京王だったが、その後の追随は関西勢が早くて、上記阪神、阪急の他京阪が1969年、南海も70年には冷房車を出している。

ただ、近鉄は初代ビスタカーの更新車である2680系を71年に出したが、本格的な通勤冷房車開発は関西他社より少し遅れている。

近鉄では昭和41年にラインデリア付きの通勤車を各路線向けに新造し、これを推進しようとしていた節がある。2600系(1970年)の紹介記事では当社が開発したラインデリア、とあり、夏場の通風装置として一定の成果を期待する向きもあったようだ。大阪、名古屋線用2800系の登場こそ1972年だが、奈良線用8600系の登場は1973年、南大阪線6200系は1974年の登場だ。

京王5000系については詳述されているが、子供の頃はあのクリームに赤帯の電車は全部冷房車かと思っていた。幡谷に親戚があり、良く乗るのがグリーンカーだったので、冷房特急はうらやましかった。’76年の夏に訪れたとき、乗った電車が5000系(たぶん)の非冷房車だったので驚いた。後には吊掛式(5100)もある事を知り、更に驚いたりしている。。

関東私鉄ではほかに小田急の2478が編成で1両だけ冷房改造(1968年)、1970年になって東急8000、71年に東急8000、京急の600(改造)、1000と続く。72年に東武、西武、京成も冷房車を新製して足並みがそろう。ただし東急は新玉川線専用とはいえ、8500の非冷房車を76年に新製したりしている。

東急は冷房車の製作自体は早かったが、経年の浅い車両はオールステンレスのものが多く、冷房改造のペースは遅かったと記憶している。その前の5000系は軽量設計故、冷改ができなかったのだろう。支線区は吊り掛けの3000系で、たしか池上線には長いこと冷房車がいなかったのではないか。

昭和50年頃の新聞記事だったと思うけど、各私鉄の冷房化率(懐かしい言い方!)を表にしたものが出ていた。東急と京成が一けた台だったかな。京成も3300より前の車両が冷改されるのは80年代に入ってからで、冷房化率がとても低かった。

当時は線区により冷房車が偏在する様子が見られた。支線には経年の古い車両が多く、冷房車があまり入らなかった。このため、各鉄道では運用を変更して、最低1編成は冷房車を入れるように工夫する姿も見られた。

昭和53年の国鉄編成表を眺めていると、ここは前年に101系から103系に車両が変更されたが(編成は8両だったので山手線とは別運用)、冷房車としては試作冷房を含む1編成だけだ。

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この時の池袋区、品川区(当時の山手線車両の所属区)の編成表を見ると、意外というか冷房化が相当進んでいる。ATC対応のクハを集中的に投入した成果だろうか。クハだけ冷房付き、高運転台の車両を先行して置き換えたため、編成中両端の2両だけが冷房装置付き、となるケースがあったが、編成表を見る限り山手線ではあまり目立たない。京浜東北にはこれが多く、当時下十条に多かった7+3(クモハを含む編成)では3連のユニットが見事に全部非冷房だ。

クハだけ冷房付きの車は、電源がないから当然に冷房使用ができない。これを、乗務員だけ冷房使ってる、という誤解が一般乗客の間にささやかれた事があった。今なら炎上案件かもしれない。

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東武では1972年の8156Fが最初の冷房車で東上線に、同時に8157Fを本線に投入した。

6コテを中心に冷房改造も進んだので、冷房化は比較的スムーズだったように思う。例外は快速の6000系で、6050系に更新される1985年まで非冷房のままだった。支線区の3000系統や、本線でも73,78は冷改できなかったが、古い車が非冷房で残るのは各鉄道共通だった。

東武の場合、78の改造車を非冷房のまま更新(5000系、1979年)するという事をやり、流石に時流に沿ってないと感じたのか、2年後に冷房付きの5050系に変更している。

冷房化が進行している頃は通学で利用していた。ラッシュ時に非冷房は暑かったはずだが、学生時代はそれほど記憶がない。盛夏の7,8月は学校行かなかったからかな。何かの用で少し遅く通学したときの電車が73で、そのとき暑かったことは覚えている。

社会人になってからは地下鉄を利用して、地下線に入ると冷房車でも冷房を切られるのには閉口した。

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非冷房車は2000年代にはいるとほぼ絶滅してしまう。

その頃、窓の開いた電車が懐かしくなって、あえて非冷房車を求めて乗りに行ったりした。

秩父鉄道1000系は、中間車だけなぜか非冷房だった。

車内も懐かしい感じなので期待して行ったが、窓は下段が固定になっていて、6月のこの時期に窓を開ける人はおらず、失望したのを覚えている。

国電や西武の通勤車の窓は2段上昇式で、夏場には全開できるのがうらやましかった。

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東武8000や2000は国鉄急行型電車と同じ上段下降、下段上昇式で、一番開いた状態でも窓面積の半分しか開かない。

78などの旧型は2段上昇式だが、全開すると下段が多少引き残る。

もっとも、いまにして思えば安全面からも、立ち客、着座客双方に通風がある点からもこの方が合理的な気もするが・。

後には安全面からか、西武も東武も下段は固定され、開口範囲は更に狭くなった。


窓の開いた電車が懐かしかった時期があったが、2011年の東日本震災(節電のため)、20年のコロナ期に窓が開けられるようになったのには驚いた。

流石に今年は窓開けしている路線はないと思うけど、あの変な習慣はかなり後を引いたね。夏はまだしも、冬の窓開けには閉口させられた。雨が吹き込んで座席がびしょぬれになったりとかね。。

2024年2月 4日 (日)

国電73系 更新

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前に何度か書いたと思うが、この73系は大昔、たしか平成元年ごろ、これで東武7300、7800系を作るつもりでキットを購入したものがベースになっている。78を作るため、動力ユニットをふくむ2両の台車をDT16(FS10類似)とし、パンタもPS16とした。

その後いろいろあって改造はとん挫し、平成2年の春頃国電73系として素組してしまった。ただ、パンタや台車に少し妙なところが残っていた。73も色々な台車のものが存在するが、DT16と言うのはないのだよね。

もっとも、2023年はじめに現車をチェックしたところ、DT16は動力車のみで、クハの台車のうち一部はTR48になっている。ので、上記の建付けとは矛盾するところもある。

動力台車は昔のエンドウ製の時代のもので、鉄コレ台車のように簡単には取り替えられない。

23年春、この動力台車を流用してクモニ81 100を作る事を考えた。

73には鉄コレ用動力ユニットを新調し、動力性能の改善を図った。

ただ、鉄コレなら元の床下機器を移し替えれば済むが、昔のGM製床下機器(この場合、上記クモニ81キットに入っていた床下機器)は分厚いベース板を独特な形の専用床板に取り付けるため、そのままでは鉄コレ動力にはつけられない。

うまいこと鉄コレのジャンク車体を使えないかと探したこともあったが、結局このGM床下機器を糸鋸でベースと切り離し、t3のプラ板にまとめて鉄コレ動力に取り付けた。

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もとの床下機器は制御機がCS10だが、初期の73には少し新しすぎる。どうせならとCS-5にしたいが、単品で入手できなかった(さいきんのキットは別体でCS-5が添えられているようだ)。ので、バルサと薄紙で自作してしまった。

そんなこんな、頭で考えながら余計なことをしていたのと、昨年は色々忙しかったので作業がまるで進まず、年が明けてしまった。

正月にまとめて作業する時間があり、それを機に編成をまとめた。

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動力交換以外にやったことはパンタの交換だ。一部がPS16だったのをPS13に統一した。3両のうち1両だけなぜかPS13がちゃんと着いていた。

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銀メッキのものは黒く塗装し、台枠を黒、碍子は白く、パンタすり板は銅色に塗ってみた。

ふだんあまりやってないんですけどね。いちおう見栄えはするようになったかな。

旧い(模型として)車両なのでこれ以上手を加えることはしない。

あと、一昨年再発になった全金改造クモハのキット(2両分)が残っている。これは増備の形で追加したいが、このキット、クハがないのでどうするか考えている。なぜかクモハ2両何ですよね。。3段窓のクハをもう一両買って、やれるものなら前面を傾斜型の300番台以降~にし、窓はそのままにするか、テスト的にアルミサッシにしてみるか(つまり昔78作るときに目論んだ方式)、考え中。

2022年9月20日 (火)

国電各種

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回着したのはたしか8月の上旬でした。103系1200番台、トミックスの新製品でございます。

昔は東西線利用者だったので、時折これがくるとけっこう嬉しかったりしました。

編成は結構変化があって、先頭車を中間に封じ込めて中間車と連結されてたりしました。地上型のサハを組み込んでいたりしましたね。

往時の写真はろくなものが残っていません。

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三鷹に行くと土休日は103,301がたくさん寝ていました。今もそうなのですかね。。

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この辺は2002年ごろです。

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スマホじゃなくてガラケーの頃ですね。まだ営団時代かな。

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これがあったか。1979年春です。

 

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模型の話に戻ります。

セットを開封したら、こんな感じでした。モハのクーラー、パンタが破損というか、外れています。

ちかごろこのメーカーさん、ちょっと評判落としてますね。。ただこの場合は、組付けなおすだけであとは無問題でした。

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昔はお手軽改造で関水の103系の先頭だけ直して、塗りなおしたという方も多かったかと思います。

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TOMIXも古くから103系を出していますが、以前よりはだいぶプロポーションが良くなっているように思えます。

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肘コックも表現されていますね。101系は2本、103から3本でしたっけ。

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パンタ周りの配管はこんな感じです。

こんなのを見ると、よくできているなあ、と思うのですが;

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奥は今年発売のKATO 103系です。型は昔のものでしょうけど、それでも細かくできている感じがします。

さらに昔、初代のKATO製品程度でも、もう十分な気がします。

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話変わって、こちらはGMキットを組んだ72系です。

1990年に組みました。本当はキットから東武73,78系を作ろうと思って買ったのですが、めんどくさくなって素組してしまったのです。

全部3段窓で変化がないので、全金のボディが前からほしいと思っていました。

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キットはながらく品切れでしたが、6月に再発売になったので、先日IMONで買いました。

事前に在庫を確認して行ったのですが、店頭にはないようなので店員さんに聞いたら、だいぶ長いこと探してくれて、結局見つからず。。

入荷通知してくれるということで、いったん帰宅。翌週無事購入できました。

最初に73,78を作るつもりだったと書きましたが、今の編成には多少うそがあります。

台車が2両分、DT16なのです。パンタも2両はPS16です(なぜか1両分のみPS13)。

とりあえず、台車とパンタは余分に買ってきました。

ただ、動力台車がDT16なので、どうしようかと思っています。

思っているのは、前から作りたかった70系新潟色を作って、動力台車はそれに回す。

また仕事が増えますが、その前に今回のボディを組まないといけないですね。。

模型作りは全く停滞しているので、それすら容易ではない感じです(103系もまだ艤装とかできてないし)。。

2022年3月27日 (日)

72系全金属車

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Tomixの72系シリーズです。たしか90年代の半ばに3段窓の73型を出したのが最初だったと思いますが、以来いくつかの形態や塗装のシリーズを出しているようです。

今回は5両セットでクハ79920、モハ72920の全金属車を、増結用に3段窓のクモハ73、サハ78、前面が傾斜窓、ヘッドライトが埋め込みになったクハ79の3両セットが出ました。増結のほうは未購入なので、詳細はわかりません。。

 

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Nの72系は歴史的には、1977年夏にグリーンマックスが、今回と同じ全金のクハ、モハを発売したのが最初だと思います。

完成品(いわゆるグリ完)でクハの台車はTR34,モハの動力は前年に発売した113系と同じDT21,床下の抵抗器は強制通風式という仕様でした。

動力なしモハはなかったので、これで編成を組む人は少なかったと思われますが、ほどなくしてクモハ(全金車体更新車)とサハ(実車には存在しなかったノーシル、ノーヘッダーの全金車風)が発売になりました。

同年暮れだったかな、初の板状電車キットが発売になり、その中に3段窓のクモハ73、クハ79がありました。メーカーの意図としては、完成品の72系と組み合わせて編成してほしいという事だったのでしょう。

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うちにいるキット組み立ての72系は80年代の末ごろに買ったものです。手許にある’92年のカタログを見ると6両セットになっていて、全金のクモハ、クハがついてますが、これはそうじゃなかったような記憶があるな。。4両の3段窓セットと、単品のクモハ、クハじゃないかな。。

中間の3段窓モハ、サハはあとから追加されたもので、屋根のカーブが深いんですよね。モールドも少しシャープ。

これは、本当は東武7300、7800に改造するつもりで買ったのです。ので、台車がTR34,DT13とDT16になっています(1両だけTR48に振替)。72系にDT16は使われていないのですが、そのうち70系キットでも組んだらそれと置き換えようかなどと思いつつ・という感じです。

このキットから東武を作ろうとしても、3段窓の改造はもとより戸袋窓の位置も違うし、運転台直後の窓幅もちがうと、かなり苦労と妥協が必要だったことでしょう。

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まだ方向幕や車番の艤装が済んでいません。ご容赦を。

実は79920は小学校6年のときに自作したことがあります。機芸社「陸蒸機からひかりまで」を参考に、作り方は誠文堂新光社「Nゲージ」掲載の165系電車に倣い、窓を抜かずに絵で表現する手法で作りました。台車をどうしたのか、覚えていません。窓の傾斜も絵だったと思う。

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実物は窓隅のRの有無で’56年度製と’57年度製の外観上の区別がつくそうです(他に蛍光灯装備の有無など)。

これは、よくわからないけど’57年度製のように思えます。クハは方向幕の装備で区別がつくそうです。

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パンタまわり。全金車は101系の試作車のように、側板が雨どいと一体化しているのが特徴です。模型にすると、良くはわかりませんが。。

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全金の72系は遅くまで残っていましたので、見たり乗ったりしたことはあると思うのですが、写真は残ってないようです。

この編成の2両目がそうですね(再掲)。番号はわかりません。

増結セットにある後期型クハはたぶんこれですかね。写真は79426で撮影は’79年4月。

1/80ですが、カツミから出ていた72系はたしかこのタイプで、クモハは全金改造車、他も3段窓を改造してアルミ2段にしたタイプでした。

’74年の発売でしたが、その頃はこうした窓周りを改造した車両が多かったので、馴染み深いモデルだったのでしょう。本当はそういうタイプがいちばん欲しいのですが。。

 

2022年3月 6日 (日)

103系ATC車(スカイブルー)

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KATO2月の再生産です。

ウグイスとスカイブルーが先行で、追ってカナリヤとオレンジが発売になるみたいです。

うちはスカイブルーを7両購入しました。

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車番は印刷済みですが、特定番号らしく、友人に見せたらウラ22編成だと言っていました。。

但し、4両(TcMM'Tc)と3両(MM'T)しか発売していないので、10連を組んだら番号が重複します。

もとより古い製品の再生産なので、特定番号を謳うほどには各部が作り分けられているわけではありません。

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奥のウグイスはいつ買ったのか忘れましたが、たぶん25年は越えてるかな。。

今回製品はベンチレーターが明るい色になっています。また、シルバーシートが印刷済みです。

行き先シールも一緒に買いました。

側面方向幕は各行先6両分しかありません。

そりゃ不便だ。7連だと1両分足りない。

面倒くさいので、6両大宮行きにしてクハだけ大船行きにしようか。どうせ普段は見えないですけど。

1枚1250円ぐらいかな、けっこうお高いです。が、手持ちの他の103にも使える。

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低運のおなじみのバージョンは、写真の6両セットのほか、43年前に買った3両を持っています。いずれもスカイブルーで、〆て16両がスカイブルー。ウグイスは同じく新旧(旧のほうは新動力)で小計11両。オレンジの4両は76年に買ったものが車体だけ残っていますが、動力ユニットとかGMで買って再生しようと思いながら、そのままになっています。

大量増備で勇名をはせた103系ですが、往時は批判的にみられる傾向もあったものの、模型界では不思議に人気が衰えないですね。。

 

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神田かな。。

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ちょっとイレギュラーですが、旧原町田

2022年2月21日 (月)

車内(主に国電)

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ついったに「車内の写真を掲げろ」というハッシュタグが出てきたので、応戦したけどいまひとつ盛り上がらなかった。。

自分の写真ログを見ていると、昔はけっこう車内の写真を撮っている。

昔は電車の内装というものに、妙に興味があったのだ。国電の灰緑色、東武/京王帝都の濃い目のクリーム色、西武旧型車のベージュ(国鉄の二等車を意識したものと言われている)、101系の明るいレモンイエロー、などなど。

国鉄一般車は灰緑色でほぼ統一されていて、関東大手私鉄は寒色系と暖色系に分かれていた。東武、西武、京王帝都、東急のステンレス以降、京成などは暖色系、小田急、京急は寒色系だった。営団は路線ごとに少しずつ進化していて、千代田線、有楽町線は木目の袖仕切りがカッコよかった。都営三田線も木目調だったが、かなり退色が早かった。

というわけで、昭和54年ごろ~の、主に関東国電等の車内写真を掲げます。

上の写真は川崎駅に停車中の101系試作車。アルミ細枠の乗務員仕切り窓が、格好いいですね。

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昭和54年4月、京浜東北線。

たしか連休のときに、大宮から大船まで乗りとおす冒険?をしたが、その時だったか、その前後だったか忘れた。

とにかく、自分の中では京浜東北線ブームだった時期。

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同上。

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連結面越しに隣の車両を撮影すること自体、今のJR車ではできないことか。

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横浜線から桜木町に乗り入れてきた72系のサハ78。

亡父がこれを見て、昔学生時代、 このスタンジョンポールにしがみついてセミの真似をした(賭けに負けて)と思い出を語っていた。。。

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信越線(横川か軽井沢)の80系。

客車と同じようで少しずつちがうね。こうしてみると。

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関西新快速で使用中の153系。昭和54年8月。

この頃京阪は3000系(テレビカー)、阪急は6300系でしたが、設備的にはこれも悪くはなかったかな。

とはいえ、この数か月後に117系がデビューして、一段と競争が激しくなるのであります。

 

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最後は少し時代が新しくなって、JR時代のクハ103、たぶん800番台。場所はたぶん中野付近。

1994年9月。103系も内装更新が進んでいましたが、これは座席以外オリジナルを保っています。

最初の101系試作車の大窓と違い、仕切り窓は小さく、Hゴム止めに代わりました。ただ、灰緑色のカラーは同じです。

あの頃、実際蛍光灯の本数も少なかったせいもありますが、夜国電に乗ると、なんだか薄暗い感じがしたものです。

2017年9月25日 (月)

ピクトリアルが72系特集

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引っ越しで所蔵スペースがないので、毎月買うのをあきらめたピクトリアルですが、今月は国電72系だそうで、一応史料価値もありそうなので押さえておくことにしました。
 
たしか昔一度やっていたよな、と蔵書を探していたらありましたね。思ったより古くて、17年前のことです。この間表紙の体裁は変わっていないので、写真のように並べるとどちらが近刊かわからないですね。。
 
もっとも、前回は73系と称しており、今回は(戦後型に重きを置いたので)72系とした、とあります。読んでいて、特に後年の車種中心に編集されている感じはしないですけど。
 
折しも先日、徳川夢声の戦中日記を読み返していて、往時の省電に思いをはせていたところでした。夢声氏は当時、工場慰問のため全国を移動していたので、鉄道移動のことに触れているところが多いのです。とはいえ、「鉄」ではないので、京浜線を待っていたらやってきたのがクハ79002だった、などということは書いてありませんが。
 荻窪の自宅で夜更かしをしていると、省電が室内灯を消して回送されている(疎開のためらしい)なんていうことは書いています。
 
20年5月の空襲では、東海方面からの帰宅の際、横浜で足止めを食い、ふと思いついて横浜戦経由で帰宅しています。不景気な2両連結の電車、と書いていますが、何に乗ったのかな?
 
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そうやって、強引に話を振って東神奈川の写真を掲げます。
 
’79年春で、既に青梅五日市、南武線からは旧型は撤退しています。
 
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もうすこしましな写真があるはずですが、あとで探してみます。
既に103系がだいぶ入っていますが、後に京浜東北乗り入れの関係でATC車に置き換わっていきます。
 
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これはまた別の場所、東二見の山陽電鉄車庫。’81年夏。
山電も63型の供給を受けて、比較的遅くまで使われましたが、これは車体載せ替えされたものを倉庫にしたのかな?細かいいきさつは忘れたので、あとで調べておきます。
というわけでした。

2016年12月 4日 (日)

「編集長敬白」が年内に終了(と、201系)

趣味界では有名なブログ「編集長敬白」が、名取編集長の退任に伴い、年内に終了することになった。

 
正直、毎日チェックしていたわけではないが、趣味性とニュース性が適当にバランスされた内容で、編集のプロらしく読ませる内容だったので、好きだった(まあ、好みが必ずしもシンクロしていたわけでもないが、その辺は自分なりに適当に読み流しながら。。)
 
名取氏の場合、趣味と仕事がかなりの割合でシンクロしていたわけで、うらやましい気もするが、それなりに気を使わないといけなかったり、私たちの知りえないご苦労もあったのでしょうね。ご苦労様でございました。
 
ブログが始まったのが11年前と書かれていた。2005年、平成17年である。それほど昔のこととも言えないが、つい先日、とも言い難い微妙な年代だ。
 
名取氏の記事にも書かれている通り、この10年のネットの進歩は、ブログから各種のSNSへの変遷をたどり、より即時的、断片的な情報が飛び交うようになった。ツイッターなどでは例えば、新車の甲種回送の様子がリアルタイムで人を変えながら報じられたり、一般の人でも事後現場の様子を、テレビニュースよりも早く詳しく投稿している。
 
とはいえ、そうした進化の方向性は、11年前にも示されていたことであり、技術の進歩に伴い、徐々に実現してきた、とも言える。これが21年前、1995年となると、インターネット上のコンテンツはごくわずかなもので、携帯やモバイル機器で画像を送るなど考えられなかった。
 
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 名取氏のブログが始まったころ、より半年くらいあとかな、中央線の201系置き換えの話が新聞にでた。たぶん、ネットの新聞記事を見たような気もするが、当時はまだ紙で読んで、時折スクラップにしたりしていたな。。
 
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 中央沿線の同僚(非鉄)がいて、ランチのときにそんなことを話題にしたのを覚えている。
私は中央線OBであり、ちょうど201系の全盛期?であった90年代初めの数年間、通勤で利用した。その後も、用務先に週に数回利用するなどしていたので、なじみ深い車だ。
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 ’05年の12月、はじめて買ったデジタル一眼レフ(Nikon D70s)で撮影した。センサーサイズの関係で、フィルム時代とは画角が変わり、手持ちの70-300mmのレンズがより望遠寄りに写せるようになった。それが面白くて、何度か撮影に行った。
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 201系試作車は、友人が持ってきた鉄道ファン(’79年4月号)で初めて知った。同年8月の、営業運転初日はニッポン放送の昼間のラジオニュースで知り、急遽新宿まで出かけたら、偶然201系が入線、そのまま高尾まで乗車した。カメラも何も持っていなかった。(自分のカメラはなかったし、フィルムは普段入れておかないものであり、どこかで買う必要があった)。
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 ’84年ごろ、両国かどこかまで毎日バイトに出かけ、すれ違う快速線にピカピカの201系が増えているのを実感。もらったバイト料でGMの201系量産車キット一式を買った。今でも探せばあるかな。
 
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 通勤で利用した数年間で、座席の色が茶系統から水色に、正面の特快ヘッドマークが電照式に、スカートがつき(これはいつだっけ?)、連結面の窓が塞がれた。電機子チョッパ制御のモーター音は独自のもので、高架線を走っていると遠くまでその音が鳴り響いた。
 
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KATOのこの模型を買ったのはたしか、'97年ぐらいだったかな。。
当時の最新の姿だったと思う。
 
もう2005年ぐらいになると、はた目にも老朽化が目立つようになる。「あずさ」や「かいじ」を利用するとき、(新宿まで乗りとおさず)八王子くらいで降りて快速に乗り換えないといけないときがあり、快適な特急から乗り換えると、うるさくて隙間風のふく車内をしんどく思ったことも一度や二度ではなかった。
 後年、E233系になってからは、その快適性ががらりと変わったことに驚いたこともある。
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201系はすでに過去の車両だが、活躍を終えたのは(東日本では)10年より少し前のこと。普段はもう忘れいてる存在だが、こうして模型を引っ張り出したり、写真を見ると、つい先日のことのようにも思えてきて、なんだか不思議な気分だ。
 
もっとも、引退して10-15年というタームで見ると、東海道、横須賀の113系とか、183系の房総特急とか、ほかにもいろいろあるはずなんだけどね。。

2016年8月15日 (月)

夏の国電

タイトルに深い意味はありません。。

カレンダー通り休みはとっていますが、お盆休みは部下に譲ってますし、諸事情であまりでかけられない。それ以上にあまり出る気になれないというのもある。
 
ので、絶賛引きこもり中であります。メインブログでも書きましたが、先週はコンピュータが故障し、その対応にも追われておりました。
 。
そんなわけで、回復したPCを前に、少し前の画像を振り返ってみていました。
2002年の夏の記憶です。。
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鶴見線の103系。今残っている写真は、こんな感じの難あり構図のものしかありません。
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2002年というと、ちょうど今の205系がそうであるように、103系の追い込みが始まったころでした。このころはまだ仙石線、京葉線、武蔵野線、川越線、八高線、南武線、鶴見線、そしてたしかまだ常磐線でも健在。他方、春から山手線に231系が入り始め、玉突きで205系の転出が始まったころです。(記憶に間違いがあったらご容赦を)。
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川越線、八高線にはすでに209系も入っていましたが、電化以来の103系も健在。
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かつて、通学で10年くらいお世話になったこの形、色。
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ただし、この103系3000番台は、もとは仙石線の72系970(600)番台。72系時代に乗ったことはなかったけど見たことはあった。まだ経年が新しかった(改造後2年くらい)のに、制輪子の錆で車体が汚れ、年老いて見えた。
72系時代は初期の黄緑1色、前面に黄色警戒帯、103系と併存時の水色、さらに103系になってからまた黄緑6号へと、短い期間でいろいろと変転している。103系のキットで簡単に作れることから、模型でも取り上げる人が多かったと記憶している。
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車内。冷房は後年の取り付けで、AU712。
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山手線などのATC車は運転台後部の小窓はなく、機器搭載のため、仕切りはドアぎりぎりのところにあった。中央総武緩行線などに配置された高運転台、非ATCの車両は、低運転台車と同様、小窓2枚だった。103系は低運転台車のころから、窓の位置は高いところにあったが、高運転台車の窓はこれよりも小さかったと思う。
 
 この、窓1個の配置は冷房試作車(クハ103-178,189)と同じ(細かい寸法等は違うかもしれません)。
 鴨居のところに大きな器具箱がぶら下がっている。
 運転台直後の戸袋窓は、初期のころから蓋をしてあるような形になっているが(タブレットで破損するのを防ぐためだそう)、最初は開いていたのだろうか。室内側も化粧板で埋められている。
Scan12050
それと、ドアが半自動なので、開口部が小さくて・・といっても、この写真じゃよくわからないか。
Scan12051
対向も103。いずれにしても、このころ103系の黄緑は、関東ではここだけだったので、その点でも貴重だった(この10年後に、京都でまた黄緑の103系に出会えるとは思ってもみなかった)。
Scan12052
八高線電化時に登場した209系3000番台と。
209系や205系も、そろそろ置き換えでしょうかね。。

2016年7月 4日 (月)

赤羽線

先週赤羽線のことをちらと書いたので、もう少し引きずります。

Scan15369
1979年4月か5月ごろだったと思います。
103系の車番はわかりませんが、走行中の赤羽行きの編成番号は31となっています。
池袋電車区(当時)に留置中のクハは、たぶん黄色なんじゃないかな。車番はクハ103-50のように読めますが、どうかな。。最近はN'EXの定位置となっていますが、この頃は赤羽線の編成がこのあたりに留置されていることが多かった気がします。
サンシャイン60は撮影時の1年前に開業したばかりですね。いまもこんな風に見えるのかな。
Scan15368
これは上の写真と同じ編成ですね。運行番号4、編成番号31。
前面下の通風器が埋められている以外、ほぼ原形に近い状態のようです。
そんなことを忘れていたけど、赤羽線は8両編成でTcMM'TTMM'Tcと、これまた登場時とおなじ編成だったのでした。
これだけきれいなオリジナル編成が見られたのはこの頃が最後だったのではないかと思う。山手線の低運車はこの頃のこり数編成という状態で、9月に終焉を迎える。
Scan15367
ATC車の方向幕は「赤羽線」となっている。低運車は「池袋-赤羽」という区間表示だ。低運にも赤羽線表記があったのか、その逆はあったのか、その辺は記憶がないというか、当時はあまり意識していなかったかも知れない。
ATC車(といって今通用するのだろうか)は'74年の初め頃登場し、山手線、京浜東北線を中心に配備が進んでいた。その辺は詳しい人がいると思うが、一時的に中央快速線にも配備されていた時期がある。登場当時はそれなりに新鮮な感じがあった。
模型では早いうちからマックス(後のGM)が製品化予告をしていたが、店頭に並んだのは'76年の夏頃、クハのみで、関水の103と併結することが前提だった。ほぼ時を同じくしてカツミ-エンドウから16番の製品がでたが、さすがにこれは冷房付き、ユニットサッシで編成が組めるようになっていた。
戸袋鴨居のところ、今の車両だと液晶モニタがついているあたりの広告枠に「国鉄ペーパーラジオ」という、鉄道の広報が掲示されていた時期がある。'74年の春頃、そこで山手線に新型車が登場しました、窓が小さくなって、ステンレスの飾りのついたスタイルです、よろしく・・みたいな紹介がされていたのを覚えている。
話は大きく飛ぶが、JR東日本になってからの広報で、人気漫画家の安藤しげきさん筆による「Jr.しげき君」が「連載」されていた時期がある。やはりドア上鴨居に掲示されていたと記憶する。当時主に201系の車内で見ていたが、結構楽しみにしていた。安藤さんはたしか連載中、かなり若くして亡くなられたんですよね。
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