2025年6月 8日 (日)

新幹線0系 (ロクハン)

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ロクハンの国鉄新幹線0系初期型を買いました。

とりあえず(意味はないのですが)NのD51と並べてみましたが、少し前のNの蒸機はオーバースケールが普通だったので、なんとなく自然に収まって、もいないでしょうか。。レール幅は完全に逆転してますね。

 

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昨年のうさぎ鉄道50周年の際に、新企画としてロクハンのスターターセットを買いました。

その後立て続けに同社の115系(中央線仕様)、天賞堂の165系などを買いましたが、その後は箱にしまったままになっていました。

スターターセットの曲線路はR95とかなりきついので、先月の連休の時天賞堂でR220の曲線路を追加で買っています。

 

Zゲージというとかつてはメルクリンの製品をデパートでよく見かけました。日本型がぼちぼち出てきたのは2000年代に入ってからで、東京マルイのブルートレインを吉祥寺のユザワヤで見たときは余程買おうかと思ったものです。その後天賞堂がD51などを発売していて、たしかお手頃なスターターセットも売っていました。

おそらく2010年から数年間が、日本型Zゲージが一番盛り上がっていた頃かもしれません。気がついたら天賞堂は在庫の販売のみになってるらしく(この会社はあちこち手を出してはやりっ放しにするのが好きですね)、例えばIMONでは渋谷店でしかZの扱いがないなど、あまり広がりが見られない気がします。

ロクハンは線路を含め相当力を入れて製品展開をしており、ショーティ版など新しい需要の喚起にも努めているようです。

ただ、ウェブでZゲージを検索してもあまりヒットしないし(熱心な方はおられるようですが)、多くの人は私みたいに「ちょっと手を出してみた」という方が多いように思います。

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前置きが長くなりましたが、この0系の形は心の片隅のどこかに残像が残っているものですから、目の前の模型を見るとそれなりにうれしいものがあります。

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この初期型(開業後数年の状態を示す)、これしか新幹線車両がなかった時代ですし、新在直通なんてもちろんありませんから、なにも1/150(というか9mmゲージ1/160)でなくてもいいか、という思いはありました。なんならマスコット的に置物としてもいい感じですし、小さいことが不利になることはありません。

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手にしたとき、最近のNのスーパーディティールとは流石に差を感じますが、それなりの精密感もありますし、十分な出来かと思います。

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最急通過曲線はR195だそうですので、先日買ったR220の曲線路も生きてきます。

まだ運転はしてないのですが。

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増結セットを買うとフル編成にできるそうですが、そんなことはしなくてよくて、こうして4両でおもちゃ的に割り切る方がそれらしい気がします。

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21型。新幹線の形式はどうも覚えられないのですが、先頭車でパンタなしが21、ありが22のようです。

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26型。これが動力車になっています。

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35型。ビュフェ車両です。4両にまとめるにあたり、この車種選択は妥当かと思います。

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22型。今、手許の文献を調べたのですが、0系の各形式について詳説した本雑誌はありませんでした。。

というわけで、子供の頃のほんわかした懐かしさを感じさせる0系です。

2025年5月12日 (月)

近鉄12200暫定運用、京急230

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ヘンなタイトルです。

確か1月末にイモンで購入したのですが、ちょうど仕事がややこしい状況になりかけた頃で、何故か開封しそびれて3か月以上たってしまいました。

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イモンに予約(12200系基本4両セット)をしたのはずっと前の話で、去年の夏?秋ぐらい?です。

昨年夏に10100系ニュービスタを買い、秋に鉄コレの680系、18200系を買いました。

18200系は12200系に併結する予定で準備していました。ただ、12200の発売は先になるので、暫定的に動力を組み込んで2両で走れるようにしておいたのでした。680系は(実物は)他の特急群とは併結不可ですから、単体で走らせる必要があったのです。

今思うと2024年は近鉄特急イヤーで、熱の冷めないうちにそろえてしまうつもりでした。

近鉄一般車もマルーン一色で年内か年明け早々にも落成するつもりでした。

年初来のごたごたで細かいことに手を付けることができなくなりまして・・。まあ、貨車とかはいじってましたけど。

連休の終わりにようやく開封しました。

とりあえず、18200の動力をそのまま生かし、12200のMc,Tcのみ入線させて4連を組んでいます。

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鉄コレはライト非点灯ですが、ディティールなどは12200と比べてもそん色ないですね。

カプラーのTN交換もスムーズです(スカートを多少切り欠きます)。

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18200は近々動力を外し、12200の中間2両も就役させて6両で運用する予定です。

外した動力は東武2000系に流用しようと考えています。

今のところまだ細かいことに手を出せるかどうかは不明ですが。。

 

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近鉄と京急230はなんの関係もなくて、ますます意味不明なのですが、IMONに予約した12200を引き取りに来た時、たまったポイントで買いました。

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京急230は現役時代を見たことがありません。

ホビーセンターに保存された姿はお馴染みですが、実物が引退したのは1977年のこと。

写真を撮り始めた頃、空港線や大師線で見かけたのは正面2枚窓の400型でした。

辛うじて四国に渡った仲間の姿は写真に収めています。

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うさぎ鉄道はじめての京急車両です。

関東大手私鉄では模型として持っていないのは京成だけになりました(東急はいちおう1/80で3450を作ったが、Nの車両は持っていない)。

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ただ、京急の車両として手元に置いておきたいのは、やはり旧1000型かもしれませんね。

私の中での京急というと1000、700、500/400の吊り掛け車、600にも乗ったし、800はダルマだった、という感じでしょうか。

2025年2月19日 (水)

ED18 2 (マイクロエース)

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色々ややこしい世の中ですが、週明けふと魔が差して衝動買いしてしまいました。

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ED18は貨物用として現役だった時も、復活してトロッコ列車を牽いていた時も、実物は見ていないのですけどね。

トロッコ列車自体は乗ったことがあるのですが、1989年だったのでその頃はDE10が牽いていました。

実物に接したのは昨年夏にリニア・鉄道館に訪れたときが最初です。

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衝動買いしたきっかけはこれです。

ED19も何社かから出てますね。。20年以上前に買った真鍮キット(ワールド工芸?)が未組立のまま、どこかにあるはずです。そういえば鉄コレのED14ってのも、買ってどこかにしまっておいたような気がしてきました。あと、ペアーハンズかどこかのED5060(未組立)ってのもあったな。

 

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A-1-A+A-1-Aなんて軸配置、よく考えついたものですね。

D級の国鉄機を改めてみると、形は似ている私鉄電機に比べ一回り大きいし、なにより動輪が大きいところが違いますね。

私鉄電機はモーターを含め、足回りは電車と大差ないので、余計に小さく見えます。

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去年見た実物です。ED11と並んでいますが、アングル的に撮りにくい場所にいたのか写真はこれしかありませんでした。

足回りとか、撮っておけばよかったな。

トロッコ号の写真も今見たけど、人物が入っちゃっているから掲げるのはよしときます。

 

・それにしても、未だに12200と京急を開封していないな。

2025年2月11日 (火)

テラ1型

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いちおう繁忙期は終わりに近づきましたが、今度は眠くて動きが鈍いです。あと、とにかく寒い。。

 

さて、テラ1は生石灰輸送用に作られた鉄側有蓋車、とのこと。

実車を見たことはなかったかもしれません。鉄側有蓋車自体は上信電鉄とかで何度か見かけています。

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話のついでなので上信のテムを掲げておきます。今から30年前の写真です。

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これはマイクロエースの未塗装キットです。

昨年6月頃発売になったようですが、なんで今ごろ買ったかと言うと先日本屋で立ち読みしたRM誌に記事があったからです。

IMONでは売り切れで、アマゾンで買いました。味タムも発売になるみたいですね。

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キットの組み立て自体はなんてことはなくて、カプラーやウエィトをネジで留めるだけなのですが、慣れないので最初はちょっと戸惑います。

ネジ間違えたりとか。

車体はプラ生地のままで、さすがにこのままという訳にもいかず、軽く艶消し黒を吹きました。

レタリングはディカールでいっぱいついてきます。これはちょっと大変。

小さすぎて、常備駅などははずきルーペにルーペスタンド重ねても何書いてあるのかわかりません。

あまりに大変なので、全部貼ってはいません。

写真の一番左はテラ1ではなく、KATOのテム300ですが、完成品はさすがにきれいです。

RMの記事では使いこまれた姿にウェザリングして、みたいなことが書いてあったと思いますが、まあ普通に組んでもへたった姿にはなっているかなと。。

 

色々遅延しておりまして、1月末には近鉄12200とか、手許に搬入まで済んでいるのですがまだ未開封のままです。。

 

 

2025年1月 5日 (日)

レイアウトは実用品

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正月休み後半は、開業15周年を迎えたレイアウト(うさぎ鉄道)のリフレッシュを行いました。

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あまり変わって見えないですね。。

レイアウトは埃との闘いとよく言われますが、うさぎ鉄道も12年ほど前、埃だらけになったことがありました。

その後使用しない時はカバーをかけるようにしていましたが、ここ6年ほどは特にカバーをせずそのままにしています。

リビングに置いてあるので、カバーをかけると体裁が悪いからです。いちおうオブジェ代わりという感じになっています。

 

線路などの清掃は適宜行っていますが、樹木や草などは埃と経年で真っ白になってしまいます。

樹木等(の葉)の交換や手入れはおおむね5,6年おきに行っています。

もっとも、既に設置された樹木の葉を取り替えるのは簡単ではなく(外せるものは少ない)、とりあえず数本手を付けただけです。

カラーパウダーは昨日できるところは撒き直しました。

ライケンを使った灌木(草)は、できれば取り替えた方が良い(埃が相当つく)のですが、多くは表面にカラーパウダーを撒く程度にとどめています。カラーパウダーもライケンも10年近く前に買ったものです。ライケンはしんなりした状態は維持していますが、なんとなく弾力が落ちてつぶれやすくなっているようです。

レイアウトに完成なし、などという言葉もありますが、うちの場合レイアウトは作品とか、そういう類のものではなくどちらかと言うと実用品的な存在です。車両を買ってくるのはレイアウトで走らせるためで、走っている姿を眺められればそれでよし、という感じ。その意味では車両も作品となる要素は少なく、支障なく走ってくれればそれでよいという事になります。

自動車をカスタマイズして自分好みの状態に仕上げる人がいますが、他方実用に徹して使い倒す人もいます。うちはどちらかと言うと後者に近い感じかもしれません。

たぶん昔は、そういう感覚はなかったかもしれません。。久しぶりにTMSの1月号を買いましたが、もしかしたら自分って、だんだんちがう趣味の世界に入りつつあるのかしら、とふと考えたりしました。。

 

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改修ついでに、シーナリー用品の入っていた袋から発見した黒毛和牛をレイアウトに配置してみました。

小松菜線に使おうと思って、しばらく行方不明になっていたやつです。

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背景に映っていた車両は超ノスタルジックな関水のEF70とオハ31。

この子達は後からそろえたものですが、いまから50年前のお正月も、買ったばかりのEF70を眺めながら、オハ31系が沢山走っているTMS1月号のレイアウト記事を読んでいました。。

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去年秋に買ってそのままになっていた、KATOのD51ギースルをようやく箱から取り出しました。

D51は1/80の模型も今年再発売になるらしいですが、うちはどうするかな。。

2024年12月28日 (土)

近鉄18200系 ほか

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18200系は京都線、橿原線用特急として1966年に登場しました。

奈良電鉄を吸収して京都-奈良、伊勢ルートの特急が開設されましたが、当初は輸送需要が見通せず、奈良電の車両を改装(680系)したり、600系の電装品を流用した吊り掛け車18000系を新造するなどして対処していましたが、京伊ルートは非常に好評で需要が急拡大し、ついに新造車に至りました。車両限界の関係で18m、幅2600mmと小型ながら、当時としては出力の高い電動機を搭載し、車内も転換クロスを採用することで狭幅のハンデを克服するなど、工夫が凝らされています。

と言う話は実物が現役の頃よく説明されていたのを読んだのですが、実車が現役だった1980年代初頭の頃は、なんとなく古そうな電車というイメージでした。後継の18400系は幅は同じながら21m級のスマートな車体で、デザインも12000系以降の洗練されたものに変わりましたし。

トミックスが12200系をリニューアルさせて暮れに発売、ほぼ同時に鉄コレで18200も発売と聞き、12200基本4両に18200を組み合わせて6両を組成しようと思い立ちました。18200は11月に発売になりましたが、12200は生産計画が遅れ、1月に持ち越されています。その間運転できないのもなんなので、最初は電装しないつもりが動力も購入して2両で走らせることにしました。本当は写真の30000系とも併結できるといいのですが、これは古い製品なので連結するには改造が必要なのですよね。

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ふつうにN化しただけなので特記することもないのですが、片側の連結器をTNカプラーにしています。

12200が入線したら電装解除して、予定通り併結させるつもりでいます。。

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今年は近鉄特急イヤーでして、夏に10100系、10月には680系が入線して、60年代末~70年代の近鉄ムードが盛り上がっています。

一般車の方は2600系(非冷房、クロスシート時代)がいますがこれは40年前(先頭車は44年前)の作品なので、改めて2410系を新造することにして今製作中。本当は年内に完成の予定でしたが、例によって無理。2両は冷房化されたスタイルとし、そうすると搦手から時代は70年代末の姿となる予定。うちでは未だにマルーン一色が標準塗装となっています。

さて、年内にもう一回くらい記事をかけるかな。

2024年12月15日 (日)

うさぎ鉄道 レイアウト制作の思い出(8 最終回)

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前回掲げたレイアウトは1984年夏に着工、年内に運転はできるようになり、86年ごろにはシーナリィを含めておおむね完成した。

これは実家に置いたまま、94年ごろまでは運用していた。自分は実家を離れていたが、一部の車両は実家に残したまま、帰宅した時に運転したりしていた。

レイアウト自体はまだ実家にある。近年、ネズミが入り込んで暴れたらしく、建物がだいぶ破壊されてしまっている。

 

 

転居先で本格的なレイアウトを作ることは無理だったので、写真のような運転盤を作って時々運転した。

ベースはただのベニヤ板で、継ぎ目の所は線路を取り外して、組むときに取り付ける。駅以外はなにもない状態だったが、そこそこ直線が長いので運転するのは意外と面白かった。カーブはR315と外側にR354を新たに買って設置した(当時のいちばん緩いカーブ)。

94年末の転居と共に運転終了となった。

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手持ちのトミックスの線路はこの後も資産として使いまわして、その時その時で運転盤を作り直している。

これは2000年頃、B1のパネルに作った運転盤。いちおうシーナリィまでつけるつもりでいたが、中途半端に小さいので運転する車両が限られ、制作は中止になった。

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その後も作りかけては気に入らず、あるいは多忙でそれどころではなく、形にならない状態が続いた。

2006年ごろ、どこからか定尺ベニヤ板を買ってきて、線路を敷いてみた。これは数日で解体してしまった。

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同じ年の秋、A2のパネルにPecoのフレキを敷いてなにか作り始めた。

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延長ボードも作って、小型車両を運転できるようにした。

というか、大型の車両も結構走らせることができる。

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ミニカーブレールというのは当時出ていたのかな。2007年の2月ごろ。

本来は数編成の車両を置いて駅や引き込み線を往復させる、という遊び方になる。

ただ、これもシーナリィとなるとなかなかアイデアが浮かばず、このままの状態が続く。

この後、小松菜線に発展した。

 

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いまのうさぎ鉄道の原型ができたのは2008年2月の事だ。

既に本線部分は現在とほぼ同じ形になっている。

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アングルを買ってきてB1パネルを固定し、本格的な工事が始まった。

その後の事は以前ここにまとめている。

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うさぎ鉄道は2009年12月末に一連のシーナリィ工作を終え、2009年12月30日を一応開業の日としている。

エンドレスとパック、機関車を買ってもらって、鉄道開業した’74年5月から数えて今年は50年、現行レイアウトが完成してから15年という事になる。

 

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おまけ。

これは2011年の年末に、天賞堂で線路一式を買ってきて、「Nゲージ蒸気機関車」の記事にでてきたプランを再現したものだ。

当時木造2階建ての家に住んでいて、レイアウトは2階和室に立てかけてあった。冬は寒いので暖かい居間でちょっと遊ぶのにいいかと思い。。

この線路一式、どこかの箱にまとめて入れてあるはずだが、実は買ってから2回ぐらいこの形で運転したきり、ぜんぜん使っていない。

 

*いちおう、自分用にうさぎ鉄道史というか、レイアウト史の集大成とすべく書いてきたが、撮ったはずの写真が見つからないとか、昔のことで忘れたとかが色々あり、全部書ききったとも言えなくなってしまった。まあ、それをブログに書いて人がどう思うかというのはあるのだけど。

2024年12月 7日 (土)

うさぎ鉄道 レイアウト制作の思い出(7)

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1978年から1983年までは、定尺ベニヤにレイアウトらしきものを作りかけてはとん挫する、を繰り返していた。

79年の夏頃には一応線路は敷いていたと思う。80年頃にはキャンベルのきめ細かいバラストを散布して、ケント紙を使ってストラクチャーをつくりかけていた。81年の夏ごろ、勾配を上って駅に向かう支線をトミックスの線路を使って敷いた。

そして83年の夏だったか、レイアウトボードをベランダに出してしまい、制作は完全にとん挫した。

84年の2月ごろ、何とか別の構想でレイアウトが作れないかと、TMSをめくってはプランを渉猟した。

電車を中心とした都会風レイアウトというのがあった。2階建てになっていて、確かターミナルと待避線のついた中間駅があった。車両は20m級3両ぐらいを前提としていたが、密度の高い運転ができそうな気がした。

篠原からN用のフレキ線路、ポイントが出たのは’76年の夏頃だ。KATOもPecoもレールは#83で、高さは2mmぐらいある。篠原は#70で、少し低いのと横腹のえぐりが深いというか、しっかりとしたエの字型をしている。KATOは頭でっかちのI,PecoもI型でエッジがあいまいだ。

ポイントをいくつか買ってみた。HOのポイントと同じ構造で、枕木だけはNゲージ流に分厚い。フログが金属製なのが特徴でー当時Tomixはまだ出ていなかったー、この部分がプラで車両によっては集電できずに止まってしまう懸念のあった他社製に対するアドバンテージとされた。

半面、先端レールのみで通電させるため、接触不良を起こす可能性が高いと言われていた(N故HOよりもデリケート)。

HOはかなり巨大なスイッチマシーンが使われていたが、この頃Nでも使えそうな小さなマシンも発売になった。

結局電車用レイアウトは作らなかったが、このとき買った篠原のポイントは次のレイアウトに使った。

次のレイアウトとは、前回と今回、冒頭で写真に掲げたレイアウトだ。プランはまたしても関水のプラン集から拾ったもので、エンドレスを二重巻きにして、駅を奥に、ヤードを手前に配置してある。かなり小さい(120m x 80cmくらいだったかな)サイズだったが、やや拡大して140x 70だったかにしてある。

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誠文堂新光社 Nゲージ より 鉛筆書きは子供のときの落書きだが、駅の側線の配置は今回レイアウトのものと同じだ。

 

この頃は車の運転もできたので、ドイトに行って材料を買ってきて台枠から自分で作った。「レイアウトテクニック」だかに書いてあった、Lガーダー式を採用している。長手方向のフレームは木材を組み合わせてL型にしたもの、横は普通の角材だ。この上にクッキー・カッター式で購買部を持ち上げた5.5mmべニアを張っている。取り付けは全てくぎを使わず、木ネジを使った。

後から取り付けた背景板も5.5mmべニアを使っている。脚は別体だが、やはり木材で自作した。

このフレームは今まで自分の作った中で、最も本格的なフレームだ。きわめて丈夫だが、また非常に重くなった。山などをプラスターで作ったので、これを一人で持ち上げることは困難かもしれない。

先の篠原のポイントは駅構内の2か所に使い、他に関水のもの、Pecoの中型を用いている。駅のポイントは全て電動で、フレーム手前のヤードは手動だ。篠原のうち1つは、ベース板裏側にマシンを取り付けるためのキットを使っている。確か500円弱だったと思うが、真鍮線やパイプ、ネジなどが入っていて、N用のマシンを組み合わせる。昔のHOレイアウトでは自分で真鍮線を買ってきて作ったのだろう。それに比べれば便利だが、ベース板裏につけるのは結構骨で、ここ1か所しか使っていない。もう一つのポイントは表側につけて建物で隠した。関水のものも篠原のマシンを使い、これは周りが狭いのでむきだしのままだ。

そのほかの線路はPecoのフレキを使っている。関水も混じっているかもしれない。ベースへの取り付けは以前やったように、厚手のボール紙を下に敷いて、ピンでとめている。バラストは当時出ていたTomixのものだ。これは同社の線路に合わせて多少目が粗く、また、一定の色に着色してある。どこかの砂とうよりは、大きな石を加工して砕いたもののように思える。ボンドバラスト法による固着はとてもやりやすかった。

レールの側面塗装は全線にわたり行った。たしか枕木も塗ったかもしれない。手間はかかったが、若かったから。

トミックスのMカプラーを利用して、自動解放による機関車の付け替えができるようにした。磁石は解放ランプ付きレールから外して、枕木を切って埋め込んだ。

ヤードを出発した列車は、左回りにエンドレスを何周かする。やがて駅で停車し、貨車を開放する。機関車は少し前進してポイントを切り替え、反対側の線を使って移動、再び貨車を連結して今度は右回りに走る。やがて再び駅に着き、貨車を伴いながら少し移動、推進運転をしながら側線に貨車を押し込める。側線のもうひとつは機関庫になっているので、機関車はそこに収まる。

と、なるはずだったが、Mカプラーと言うのは本線上に配置してはいけないものなのだ。理屈ではカプラーアームに引張力がかかっているとき(走行中)は解放しないことになっているが、現実にはほぼ毎回カプラーが跳ね上がってしまう。

こればかりはいかんともしがたく、数年で諦めてケイディー(は、古いのか。マグネティック・カプラー)に取り替えた。機関車は当初DE10(当然トミックス)だったが、ケイディーのはKATOの鹿島鉄道版DD13にした。

ケイディーはきちんと動作したので、上記のように遊ぶことができた。

取り外したMカプラー用の磁石はもとのトミックス線路に戻した。後に今のレイアウトを作るときに利用している。

 

2024年12月 1日 (日)

うさぎ鉄道 レイアウト制作の思い出(6)

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8月に(5)を書いてからだいぶ間が空いてしまいました。

1977年末に、さんざん遊んで製作途中のまま廃棄となったレイアウト(3代目と言うべきか)の後、翌年には早くも9mmべニアの上に線路を敷いて運転できるようにした。

プランの原型は関水のレイアウトプラン集だったと記憶しているが、写真が残っていないので、正確なプランはよく覚えていない。単線でロングランができることがコンセプトで、たぶん8の字をもうひとひねりしたものだったと思う。1mmぐらいの厚手のボール紙を道床に使い、全線関水の固定式線路(ユニトラック以前の)を用いていた。文字通りの運転板で、ホームだけはGMの「都会用」を使って取り付けたが、シーナリー付きには発展しなかった(ちょっとだけ団地のビルを自作したり、信号所を作った記憶もある)。ベースがただの板で補強フレームがなく、取り付けるには線路を外さないという状態で、発展しようがなかった。

このころ比較的気前よく車両増備していたので、それらを素朴に運転して楽しんでいた。発売直後のトミックス113系(初代)、ライト点灯式になったEF65 500、コキ10000系コンテナ車(前々回記事に出てきた冷蔵コキはこの時の生き残り)、キット組立の10系寝台車などなど。

このレイアウトは半年ほどで解体し、シーナリー付きのものをあらためて作ろうと考えた。これは90x90の2分割式で、中央で接続するという構想だったが、細々と作っているうちに挫折してしまう。

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78年の秋ごろ。覚えていたよりはちゃんと作っていた気がするが、たしか周回して走らせるまではできないで終わったと思う。

右側に見える急行型電車らしきものは文化祭用に依頼されて作ったクハ165。

 

1979年の初めごろ、ノートに新分割式レイアウトの構想をまとめた。

モジュールレイアウト方式で、都心のターミナルから郊外に向かう私鉄をテーマとしていた。

ターミナルは2面3線か2面2線だったか、それほど大きくない。

次の駅は対向式ホームの、各停しか止まらない小駅。西武新宿線下落合とか、そんな感じ。

その次は緩急結合できる、2面3線か4線の中規模駅。引き上げ線も設けて、折り返し列車も設定される。

イメージとしては東武東上線成増とか。

次はやや郊外の駅。島式ホームで「準急」あたりが止まる。たぶん橋上駅で、周辺は住宅地。

再びやや大きめの駅が次。ここには車両基地がある。ここまでは複線で、この先は単線になる。

終端駅のことはよく覚えていないが、風景的には田畑や森が広がる、という想定だったのだろう。

部屋の中をいくつものモジュールをつなぎ合わせて、上記のような配置にする。駅と駅の間は適当に端折り、折りたたむように駅を配置することになる。

これを紙に書いて、妄想して楽しんだ。車両にはあまりこだわらず、なんなら関水の103系やトミックスの113系を4両ぐらいで走らせればいいと思っていた。各停は上記「成増」で折り返し、準急は「成増」から各駅停車、急行は「成増」停車、郊外駅は通過して車両基地のある駅から各駅停車、という具合の、ダイヤ運転とする。

これは構想と言うか妄想だけで着工すらできなかった。実際に上記のモジュールを作ったとして、それを自室(和室6畳)に組付けたら自分が身動きできないか、そもそも設置できなかっただろう。更に、それを収納する場所もなかったはずだ。

 

と、ここまで書いて一区切り。冒頭に掲げた写真まで行ききれなかった。また次回。

2024年11月24日 (日)

クモニ81 100, クモニ13 の完成

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いつから作り始めたのか忘れたのですが、荷電が完成しました。

このブログを見ると、去年の春頃構想(キット購入)を開始(72系の動力を更新し、玉突き式に余剰となったユニットを荷電で使う)、制作を開始したのは今年に入ってからのようです。春には完成させる勢いで作っていたのが、今年は早めに体調不良になりダウン。

部屋の隅に、いつでも作り始められるようにこんな状態に店広げたまま、先日まで放置していました。

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次の車両制作予定が入り、ここを片付けないといけなくなったので、残っていた作業を一気に進めました。

最後に残されていたのは側窓の取り付けとレタリングです。

レタリングはかなりいい加減になってしまいました。とはいえ、今のレタリングセットはひじょうに充実しているので、作り映えがします。

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ほとんど素組です。

多少何かしたかと言えば、正面窓をはめ込みで作った事(81)。Pb240951

これが今回の荷電制作のきっかけとなった写真です。 

とれいん'76年3月号(No.15)。

正面窓のデフロスター、板を並べた仕切り板などの表現もしたかったのですが、今回は見送りました。

ただし、動力ユニットの正面寄りの所を薄緑に塗っています(電気機関車のようですが)。

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湘南型の前面の造形は悪くないですね。

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クモニ13の方は、以前にお見せしたように乗務員室仕切りと室内の荷物を追加してあります。

外から見てわかるかと言うと、自己満足の範疇ですが。

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手持ちの車両を使って荷電併結編成を。

手前の2両は40年前に組んだものです。これもほぼ素組です。

この頃と比べ、今回制作分が技術的に向上しているかと言うと、かなり落ちていますね(^^;;;。

視力も気力も落ちました。こればかりは仕方がない。

古いキャンバス屋根の色を再現していますが(こげ茶とグレイの混色)、こうしてみると効果的ですね。

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冒頭で触れた次の車両制作の予定とはこれです。先日IMONで一式買ってきました。

いちおう年内完成を目指しています。意外と制約があって、そのまま素組すると冷房車2連x2か、冷房車とラインデリア車の組み合わせしかできない(というか、非冷房4両にできない)。この場合時代的にもっとも遡れるのは1979年頃、冷房化が始まった頃でしょうか。

手許には44年前に買った2410系、を40年前に改造した2600系(非冷房時代)があります。いちおうこれよりは上の仕上がりを目標に、細かな手は加えず早めの竣工を目指します。

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おまけ:先月買った680系をN化しました(ナンバー貼り付け未済)。大阪線系統のスナックカーなどは21m級ですが、こちらは17m車なのでなかなかかわいいです。

漠然と、今回の2410系もこの車両の時代と合わせられればと思ったのですが、同系列が冷房化したころこの車は志摩線で一般車となっていましたから、すれ違いになりますね。

後ろにいる新ビスタ6両ですが、7月に入線した時、内周線を走らせようとすると必ず脱線していました。また、トレーラー車も走行が不安定で、しばらく1ユニットのみで走っていました。今回改めてチェックしたら、トレーラー車の中心ピンが外れかけていたことがわかり、調整したところ脱線しなくなりました。

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おまけその2。南海21001系がオクで安く売られていました。もとは中間車ふくめ4両でセットになっていたようですが、これは2両だけです。この状態だと大井川鐡道の方が近いかもしれません。

うちの関西私鉄系の車両は近鉄、京阪、阪神、京都市交通局に、今回の南海が加わり、大手では阪急以外は1編成はいる、という状態になりました。阪急も1/80の方で大昔に作った810系がいるにはいます。

関東では東武、西武、京王、小田急、相鉄、東京メトロがいます。こちらも1/80で大昔に作った3450型がいるにはいます。

関東の方がカバー率が低いというか、京成、京急、都営地下鉄あたりがごっそり抜けています。

まあ無理に全国展開することもないのですが。

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