2025年1月 5日 (日)

レイアウトは実用品

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正月休み後半は、開業15周年を迎えたレイアウト(うさぎ鉄道)のリフレッシュを行いました。

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あまり変わって見えないですね。。

レイアウトは埃との闘いとよく言われますが、うさぎ鉄道も12年ほど前、埃だらけになったことがありました。

その後使用しない時はカバーをかけるようにしていましたが、ここ6年ほどは特にカバーをせずそのままにしています。

リビングに置いてあるので、カバーをかけると体裁が悪いからです。いちおうオブジェ代わりという感じになっています。

 

線路などの清掃は適宜行っていますが、樹木や草などは埃と経年で真っ白になってしまいます。

樹木等(の葉)の交換や手入れはおおむね5,6年おきに行っています。

もっとも、既に設置された樹木の葉を取り替えるのは簡単ではなく(外せるものは少ない)、とりあえず数本手を付けただけです。

カラーパウダーは昨日できるところは撒き直しました。

ライケンを使った灌木(草)は、できれば取り替えた方が良い(埃が相当つく)のですが、多くは表面にカラーパウダーを撒く程度にとどめています。カラーパウダーもライケンも10年近く前に買ったものです。ライケンはしんなりした状態は維持していますが、なんとなく弾力が落ちてつぶれやすくなっているようです。

レイアウトに完成なし、などという言葉もありますが、うちの場合レイアウトは作品とか、そういう類のものではなくどちらかと言うと実用品的な存在です。車両を買ってくるのはレイアウトで走らせるためで、走っている姿を眺められればそれでよし、という感じ。その意味では車両も作品となる要素は少なく、支障なく走ってくれればそれでよいという事になります。

自動車をカスタマイズして自分好みの状態に仕上げる人がいますが、他方実用に徹して使い倒す人もいます。うちはどちらかと言うと後者に近い感じかもしれません。

たぶん昔は、そういう感覚はなかったかもしれません。。久しぶりにTMSの1月号を買いましたが、もしかしたら自分って、だんだんちがう趣味の世界に入りつつあるのかしら、とふと考えたりしました。。

 

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改修ついでに、シーナリー用品の入っていた袋から発見した黒毛和牛をレイアウトに配置してみました。

小松菜線に使おうと思って、しばらく行方不明になっていたやつです。

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背景に映っていた車両は超ノスタルジックな関水のEF70とオハ31。

この子達は後からそろえたものですが、いまから50年前のお正月も、買ったばかりのEF70を眺めながら、オハ31系が沢山走っているTMS1月号のレイアウト記事を読んでいました。。

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去年秋に買ってそのままになっていた、KATOのD51ギースルをようやく箱から取り出しました。

D51は1/80の模型も今年再発売になるらしいですが、うちはどうするかな。。

2024年12月28日 (土)

近鉄18200系 ほか

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18200系は京都線、橿原線用特急として1966年に登場しました。

奈良電鉄を吸収して京都-奈良、伊勢ルートの特急が開設されましたが、当初は輸送需要が見通せず、奈良電の車両を改装(680系)したり、600系の電装品を流用した吊り掛け車18000系を新造するなどして対処していましたが、京伊ルートは非常に好評で需要が急拡大し、ついに新造車に至りました。車両限界の関係で18m、幅2600mmと小型ながら、当時としては出力の高い電動機を搭載し、車内も転換クロスを採用することで狭幅のハンデを克服するなど、工夫が凝らされています。

と言う話は実物が現役の頃よく説明されていたのを読んだのですが、実車が現役だった1980年代初頭の頃は、なんとなく古そうな電車というイメージでした。後継の18400系は幅は同じながら21m級のスマートな車体で、デザインも12000系以降の洗練されたものに変わりましたし。

トミックスが12200系をリニューアルさせて暮れに発売、ほぼ同時に鉄コレで18200も発売と聞き、12200基本4両に18200を組み合わせて6両を組成しようと思い立ちました。18200は11月に発売になりましたが、12200は生産計画が遅れ、1月に持ち越されています。その間運転できないのもなんなので、最初は電装しないつもりが動力も購入して2両で走らせることにしました。本当は写真の30000系とも併結できるといいのですが、これは古い製品なので連結するには改造が必要なのですよね。

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ふつうにN化しただけなので特記することもないのですが、片側の連結器をTNカプラーにしています。

12200が入線したら電装解除して、予定通り併結させるつもりでいます。。

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今年は近鉄特急イヤーでして、夏に10100系、10月には680系が入線して、60年代末~70年代の近鉄ムードが盛り上がっています。

一般車の方は2600系(非冷房、クロスシート時代)がいますがこれは40年前(先頭車は44年前)の作品なので、改めて2410系を新造することにして今製作中。本当は年内に完成の予定でしたが、例によって無理。2両は冷房化されたスタイルとし、そうすると搦手から時代は70年代末の姿となる予定。うちでは未だにマルーン一色が標準塗装となっています。

さて、年内にもう一回くらい記事をかけるかな。

2024年12月15日 (日)

うさぎ鉄道 レイアウト制作の思い出(8 最終回)

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前回掲げたレイアウトは1984年夏に着工、年内に運転はできるようになり、86年ごろにはシーナリィを含めておおむね完成した。

これは実家に置いたまま、94年ごろまでは運用していた。自分は実家を離れていたが、一部の車両は実家に残したまま、帰宅した時に運転したりしていた。

レイアウト自体はまだ実家にある。近年、ネズミが入り込んで暴れたらしく、建物がだいぶ破壊されてしまっている。

 

 

転居先で本格的なレイアウトを作ることは無理だったので、写真のような運転盤を作って時々運転した。

ベースはただのベニヤ板で、継ぎ目の所は線路を取り外して、組むときに取り付ける。駅以外はなにもない状態だったが、そこそこ直線が長いので運転するのは意外と面白かった。カーブはR315と外側にR354を新たに買って設置した(当時のいちばん緩いカーブ)。

94年末の転居と共に運転終了となった。

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手持ちのトミックスの線路はこの後も資産として使いまわして、その時その時で運転盤を作り直している。

これは2000年頃、B1のパネルに作った運転盤。いちおうシーナリィまでつけるつもりでいたが、中途半端に小さいので運転する車両が限られ、制作は中止になった。

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その後も作りかけては気に入らず、あるいは多忙でそれどころではなく、形にならない状態が続いた。

2006年ごろ、どこからか定尺ベニヤ板を買ってきて、線路を敷いてみた。これは数日で解体してしまった。

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同じ年の秋、A2のパネルにPecoのフレキを敷いてなにか作り始めた。

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延長ボードも作って、小型車両を運転できるようにした。

というか、大型の車両も結構走らせることができる。

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ミニカーブレールというのは当時出ていたのかな。2007年の2月ごろ。

本来は数編成の車両を置いて駅や引き込み線を往復させる、という遊び方になる。

ただ、これもシーナリィとなるとなかなかアイデアが浮かばず、このままの状態が続く。

この後、小松菜線に発展した。

 

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いまのうさぎ鉄道の原型ができたのは2008年2月の事だ。

既に本線部分は現在とほぼ同じ形になっている。

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アングルを買ってきてB1パネルを固定し、本格的な工事が始まった。

その後の事は以前ここにまとめている。

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うさぎ鉄道は2009年12月末に一連のシーナリィ工作を終え、2009年12月30日を一応開業の日としている。

エンドレスとパック、機関車を買ってもらって、鉄道開業した’74年5月から数えて今年は50年、現行レイアウトが完成してから15年という事になる。

 

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おまけ。

これは2011年の年末に、天賞堂で線路一式を買ってきて、「Nゲージ蒸気機関車」の記事にでてきたプランを再現したものだ。

当時木造2階建ての家に住んでいて、レイアウトは2階和室に立てかけてあった。冬は寒いので暖かい居間でちょっと遊ぶのにいいかと思い。。

この線路一式、どこかの箱にまとめて入れてあるはずだが、実は買ってから2回ぐらいこの形で運転したきり、ぜんぜん使っていない。

 

*いちおう、自分用にうさぎ鉄道史というか、レイアウト史の集大成とすべく書いてきたが、撮ったはずの写真が見つからないとか、昔のことで忘れたとかが色々あり、全部書ききったとも言えなくなってしまった。まあ、それをブログに書いて人がどう思うかというのはあるのだけど。

2024年12月 7日 (土)

うさぎ鉄道 レイアウト制作の思い出(7)

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1978年から1983年までは、定尺ベニヤにレイアウトらしきものを作りかけてはとん挫する、を繰り返していた。

79年の夏頃には一応線路は敷いていたと思う。80年頃にはキャンベルのきめ細かいバラストを散布して、ケント紙を使ってストラクチャーをつくりかけていた。81年の夏ごろ、勾配を上って駅に向かう支線をトミックスの線路を使って敷いた。

そして83年の夏だったか、レイアウトボードをベランダに出してしまい、制作は完全にとん挫した。

84年の2月ごろ、何とか別の構想でレイアウトが作れないかと、TMSをめくってはプランを渉猟した。

電車を中心とした都会風レイアウトというのがあった。2階建てになっていて、確かターミナルと待避線のついた中間駅があった。車両は20m級3両ぐらいを前提としていたが、密度の高い運転ができそうな気がした。

篠原からN用のフレキ線路、ポイントが出たのは’76年の夏頃だ。KATOもPecoもレールは#83で、高さは2mmぐらいある。篠原は#70で、少し低いのと横腹のえぐりが深いというか、しっかりとしたエの字型をしている。KATOは頭でっかちのI,PecoもI型でエッジがあいまいだ。

ポイントをいくつか買ってみた。HOのポイントと同じ構造で、枕木だけはNゲージ流に分厚い。フログが金属製なのが特徴でー当時Tomixはまだ出ていなかったー、この部分がプラで車両によっては集電できずに止まってしまう懸念のあった他社製に対するアドバンテージとされた。

半面、先端レールのみで通電させるため、接触不良を起こす可能性が高いと言われていた(N故HOよりもデリケート)。

HOはかなり巨大なスイッチマシーンが使われていたが、この頃Nでも使えそうな小さなマシンも発売になった。

結局電車用レイアウトは作らなかったが、このとき買った篠原のポイントは次のレイアウトに使った。

次のレイアウトとは、前回と今回、冒頭で写真に掲げたレイアウトだ。プランはまたしても関水のプラン集から拾ったもので、エンドレスを二重巻きにして、駅を奥に、ヤードを手前に配置してある。かなり小さい(120m x 80cmくらいだったかな)サイズだったが、やや拡大して140x 70だったかにしてある。

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誠文堂新光社 Nゲージ より 鉛筆書きは子供のときの落書きだが、駅の側線の配置は今回レイアウトのものと同じだ。

 

この頃は車の運転もできたので、ドイトに行って材料を買ってきて台枠から自分で作った。「レイアウトテクニック」だかに書いてあった、Lガーダー式を採用している。長手方向のフレームは木材を組み合わせてL型にしたもの、横は普通の角材だ。この上にクッキー・カッター式で購買部を持ち上げた5.5mmべニアを張っている。取り付けは全てくぎを使わず、木ネジを使った。

後から取り付けた背景板も5.5mmべニアを使っている。脚は別体だが、やはり木材で自作した。

このフレームは今まで自分の作った中で、最も本格的なフレームだ。きわめて丈夫だが、また非常に重くなった。山などをプラスターで作ったので、これを一人で持ち上げることは困難かもしれない。

先の篠原のポイントは駅構内の2か所に使い、他に関水のもの、Pecoの中型を用いている。駅のポイントは全て電動で、フレーム手前のヤードは手動だ。篠原のうち1つは、ベース板裏側にマシンを取り付けるためのキットを使っている。確か500円弱だったと思うが、真鍮線やパイプ、ネジなどが入っていて、N用のマシンを組み合わせる。昔のHOレイアウトでは自分で真鍮線を買ってきて作ったのだろう。それに比べれば便利だが、ベース板裏につけるのは結構骨で、ここ1か所しか使っていない。もう一つのポイントは表側につけて建物で隠した。関水のものも篠原のマシンを使い、これは周りが狭いのでむきだしのままだ。

そのほかの線路はPecoのフレキを使っている。関水も混じっているかもしれない。ベースへの取り付けは以前やったように、厚手のボール紙を下に敷いて、ピンでとめている。バラストは当時出ていたTomixのものだ。これは同社の線路に合わせて多少目が粗く、また、一定の色に着色してある。どこかの砂とうよりは、大きな石を加工して砕いたもののように思える。ボンドバラスト法による固着はとてもやりやすかった。

レールの側面塗装は全線にわたり行った。たしか枕木も塗ったかもしれない。手間はかかったが、若かったから。

トミックスのMカプラーを利用して、自動解放による機関車の付け替えができるようにした。磁石は解放ランプ付きレールから外して、枕木を切って埋め込んだ。

ヤードを出発した列車は、左回りにエンドレスを何周かする。やがて駅で停車し、貨車を開放する。機関車は少し前進してポイントを切り替え、反対側の線を使って移動、再び貨車を連結して今度は右回りに走る。やがて再び駅に着き、貨車を伴いながら少し移動、推進運転をしながら側線に貨車を押し込める。側線のもうひとつは機関庫になっているので、機関車はそこに収まる。

と、なるはずだったが、Mカプラーと言うのは本線上に配置してはいけないものなのだ。理屈ではカプラーアームに引張力がかかっているとき(走行中)は解放しないことになっているが、現実にはほぼ毎回カプラーが跳ね上がってしまう。

こればかりはいかんともしがたく、数年で諦めてケイディー(は、古いのか。マグネティック・カプラー)に取り替えた。機関車は当初DE10(当然トミックス)だったが、ケイディーのはKATOの鹿島鉄道版DD13にした。

ケイディーはきちんと動作したので、上記のように遊ぶことができた。

取り外したMカプラー用の磁石はもとのトミックス線路に戻した。後に今のレイアウトを作るときに利用している。

 

2024年12月 1日 (日)

うさぎ鉄道 レイアウト制作の思い出(6)

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8月に(5)を書いてからだいぶ間が空いてしまいました。

1977年末に、さんざん遊んで製作途中のまま廃棄となったレイアウト(3代目と言うべきか)の後、翌年には早くも9mmべニアの上に線路を敷いて運転できるようにした。

プランの原型は関水のレイアウトプラン集だったと記憶しているが、写真が残っていないので、正確なプランはよく覚えていない。単線でロングランができることがコンセプトで、たぶん8の字をもうひとひねりしたものだったと思う。1mmぐらいの厚手のボール紙を道床に使い、全線関水の固定式線路(ユニトラック以前の)を用いていた。文字通りの運転板で、ホームだけはGMの「都会用」を使って取り付けたが、シーナリー付きには発展しなかった(ちょっとだけ団地のビルを自作したり、信号所を作った記憶もある)。ベースがただの板で補強フレームがなく、取り付けるには線路を外さないという状態で、発展しようがなかった。

このころ比較的気前よく車両増備していたので、それらを素朴に運転して楽しんでいた。発売直後のトミックス113系(初代)、ライト点灯式になったEF65 500、コキ10000系コンテナ車(前々回記事に出てきた冷蔵コキはこの時の生き残り)、キット組立の10系寝台車などなど。

このレイアウトは半年ほどで解体し、シーナリー付きのものをあらためて作ろうと考えた。これは90x90の2分割式で、中央で接続するという構想だったが、細々と作っているうちに挫折してしまう。

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78年の秋ごろ。覚えていたよりはちゃんと作っていた気がするが、たしか周回して走らせるまではできないで終わったと思う。

右側に見える急行型電車らしきものは文化祭用に依頼されて作ったクハ165。

 

1979年の初めごろ、ノートに新分割式レイアウトの構想をまとめた。

モジュールレイアウト方式で、都心のターミナルから郊外に向かう私鉄をテーマとしていた。

ターミナルは2面3線か2面2線だったか、それほど大きくない。

次の駅は対向式ホームの、各停しか止まらない小駅。西武新宿線下落合とか、そんな感じ。

その次は緩急結合できる、2面3線か4線の中規模駅。引き上げ線も設けて、折り返し列車も設定される。

イメージとしては東武東上線成増とか。

次はやや郊外の駅。島式ホームで「準急」あたりが止まる。たぶん橋上駅で、周辺は住宅地。

再びやや大きめの駅が次。ここには車両基地がある。ここまでは複線で、この先は単線になる。

終端駅のことはよく覚えていないが、風景的には田畑や森が広がる、という想定だったのだろう。

部屋の中をいくつものモジュールをつなぎ合わせて、上記のような配置にする。駅と駅の間は適当に端折り、折りたたむように駅を配置することになる。

これを紙に書いて、妄想して楽しんだ。車両にはあまりこだわらず、なんなら関水の103系やトミックスの113系を4両ぐらいで走らせればいいと思っていた。各停は上記「成増」で折り返し、準急は「成増」から各駅停車、急行は「成増」停車、郊外駅は通過して車両基地のある駅から各駅停車、という具合の、ダイヤ運転とする。

これは構想と言うか妄想だけで着工すらできなかった。実際に上記のモジュールを作ったとして、それを自室(和室6畳)に組付けたら自分が身動きできないか、そもそも設置できなかっただろう。更に、それを収納する場所もなかったはずだ。

 

と、ここまで書いて一区切り。冒頭に掲げた写真まで行ききれなかった。また次回。

2024年11月24日 (日)

クモニ81 100, クモニ13 の完成

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いつから作り始めたのか忘れたのですが、荷電が完成しました。

このブログを見ると、去年の春頃構想(キット購入)を開始(72系の動力を更新し、玉突き式に余剰となったユニットを荷電で使う)、制作を開始したのは今年に入ってからのようです。春には完成させる勢いで作っていたのが、今年は早めに体調不良になりダウン。

部屋の隅に、いつでも作り始められるようにこんな状態に店広げたまま、先日まで放置していました。

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次の車両制作予定が入り、ここを片付けないといけなくなったので、残っていた作業を一気に進めました。

最後に残されていたのは側窓の取り付けとレタリングです。

レタリングはかなりいい加減になってしまいました。とはいえ、今のレタリングセットはひじょうに充実しているので、作り映えがします。

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ほとんど素組です。

多少何かしたかと言えば、正面窓をはめ込みで作った事(81)。Pb240951

これが今回の荷電制作のきっかけとなった写真です。 

とれいん'76年3月号(No.15)。

正面窓のデフロスター、板を並べた仕切り板などの表現もしたかったのですが、今回は見送りました。

ただし、動力ユニットの正面寄りの所を薄緑に塗っています(電気機関車のようですが)。

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湘南型の前面の造形は悪くないですね。

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クモニ13の方は、以前にお見せしたように乗務員室仕切りと室内の荷物を追加してあります。

外から見てわかるかと言うと、自己満足の範疇ですが。

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手持ちの車両を使って荷電併結編成を。

手前の2両は40年前に組んだものです。これもほぼ素組です。

この頃と比べ、今回制作分が技術的に向上しているかと言うと、かなり落ちていますね(^^;;;。

視力も気力も落ちました。こればかりは仕方がない。

古いキャンバス屋根の色を再現していますが(こげ茶とグレイの混色)、こうしてみると効果的ですね。

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冒頭で触れた次の車両制作の予定とはこれです。先日IMONで一式買ってきました。

いちおう年内完成を目指しています。意外と制約があって、そのまま素組すると冷房車2連x2か、冷房車とラインデリア車の組み合わせしかできない(というか、非冷房4両にできない)。この場合時代的にもっとも遡れるのは1979年頃、冷房化が始まった頃でしょうか。

手許には44年前に買った2410系、を40年前に改造した2600系(非冷房時代)があります。いちおうこれよりは上の仕上がりを目標に、細かな手は加えず早めの竣工を目指します。

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おまけ:先月買った680系をN化しました(ナンバー貼り付け未済)。大阪線系統のスナックカーなどは21m級ですが、こちらは17m車なのでなかなかかわいいです。

漠然と、今回の2410系もこの車両の時代と合わせられればと思ったのですが、同系列が冷房化したころこの車は志摩線で一般車となっていましたから、すれ違いになりますね。

後ろにいる新ビスタ6両ですが、7月に入線した時、内周線を走らせようとすると必ず脱線していました。また、トレーラー車も走行が不安定で、しばらく1ユニットのみで走っていました。今回改めてチェックしたら、トレーラー車の中心ピンが外れかけていたことがわかり、調整したところ脱線しなくなりました。

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おまけその2。南海21001系がオクで安く売られていました。もとは中間車ふくめ4両でセットになっていたようですが、これは2両だけです。この状態だと大井川鐡道の方が近いかもしれません。

うちの関西私鉄系の車両は近鉄、京阪、阪神、京都市交通局に、今回の南海が加わり、大手では阪急以外は1編成はいる、という状態になりました。阪急も1/80の方で大昔に作った810系がいるにはいます。

関東では東武、西武、京王、小田急、相鉄、東京メトロがいます。こちらも1/80で大昔に作った3450型がいるにはいます。

関東の方がカバー率が低いというか、京成、京急、都営地下鉄あたりがごっそり抜けています。

まあ無理に全国展開することもないのですが。

2024年11月14日 (木)

冷蔵輸送プロジェクト

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なぜか増大する貨物輸送の対応に追われているうさぎ鉄道ですが、夏から秋にかけては冷蔵品輸送を大増発しました。

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いや、とにかくこの夏は社主が体調不良になるほど暑かったため、大量の新鮮なさかな、タコ、モナ王、ガリガリ君の輸送需要が高まったのです。

さいしょは手元の車両の混成で対応し、徐々に冷蔵車を増備していきました。

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カワイのレ2900は模型界では有名ですね。前から持っていたのですが、これを見ているうちに初期の香港貨車を集めたらどうだろうと、ふと思ったのでした。

うしろにタムが見えますが、これも思い付きで銀色を買ってみました。

その前に、土管や丸太を積んだチ1が売られているのを知り、これも入手していたのでした。

今年はなぜか、貨車がどんどん増えていたのです。

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コム1冷蔵です。

昔は二軸コンテナなんて買う気になれなかったのですけどね(実物を見たこともありませんでしたし)。

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うちに45年ぐらいいる、コキ10000冷蔵コンテナです。レタリングが変わった後のやつですね。

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これも古いKATOのレ12000。屋根は黒です。

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こちらは最近買ったトミックスのレ12000です。ブレーキてこほか、足回りはだいぶディティールがついています。

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これも最近買いました。どこかに40年前に買った同型があったはずなのですが、甥にあげてしまったのかもしれません。

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白ワムも、割と昔から売っていましたが、買ったのは今回が初めてです。

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じつは、レサ10000を1両だけ持っていました。

15年ほど前、天賞堂が中古屋をやっていたころ、タキ3000を5,6両買ったのと一緒にレサも買いました。

1両では編成に困るのですが、あまり煩いこと言わなければ一般貨物に混結してもいいし。

そのうち増やそうと思ってたのですが、探してみると今はセット売りしかないみたいですね。

手持ちの1両を生かすには、これと同じ時代の仲間を増やさないといけない。

ので、オクで探して、2両組で出てたやつと、レムフ10000をそれぞれ落札しました。

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これでレサ3両とレムフ1両。

オクでは1両ずつ売っている人がおおくて、これを買っていくのもしんどいと思い、残りはまだ単品で売っているレサ5000をIMONで買ってしまいました。

いちおう東鱗1号風味としても編成できるように、ヨ5000も買いました。

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いつも2、3m離れてみているので、台車が違っても常備駅が違っても気になりません。

白い貨車が連なっているのはなかなか・今風にいうとエモいです。

ただ、対応に追われているうちに季節は変わり、さすがにアイスの輸送量も減ってきました。

とはいえ、こんどは鍋物の食材を運ばないといけないですから。。

2024年10月20日 (日)

近鉄モ680

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近鉄グッズマート限定品の680系を買いました。

もとは奈良電鉄デハボ1200でしたが、近鉄合併後、京都線、橿原線系統の特急網設定のため、当時の近鉄特急に近い仕様に更新されて形式も改められました。

後年一冷房や固定窓、クロスシートはそのままに一般用に格下げされ、志摩線等で1987年まで活躍しました。

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この模型は特急仕様時の姿です。昭和40年代の仕様ということになりますか。

京都線、橿原線系統の特急は、当初利用客が見込めるかわからず、とりあえず既存車両の改造で様子を見たという事らしいです。

ふたを開けてみるとかなりの需要があることがわかり、吊り掛けの機器流用、車体新造の18000、更に本格的な18200、18400を新造していきます。その後は車両限界の拡大で大型車が入線するようになり、現在に至ります。

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私はこの電車が志摩線に移ってからの姿を見ています。あの頃名古屋線系統のローカル区間と言うと2250、1460あたりが中心でした。これは見たのだけど乗りはしなかったかな。写真は同行の友人が撮った(自分はフィルム換装かなにかでチャンスを逃した)と記憶してます。

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ただ、この電車で最も印象に残っているのはこの「私鉄電車ガイドブックシリーズ」に掲載された、奈良線併用軌道区間を走る姿です。

おそらく梅雨時(’68年?)に撮影されたと思われ(右側の木々や奥の人物が半袖で傘を持っているところから)、既に地下化の工事が進行している時期だったからなのか、なんとなく周辺が雑然としています。

可能ならこの部分だけセクションとして模型で再現したい。

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模型は鉄コレの標準的な仕様ですが、今日的な目で見ると分厚い窓ガラス周辺や固定窓付近の造形が少し目立つ感じです。

これで価格が5,200円ですから、もうちょっとなあという気はします。

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今年は近鉄特急の当たり年らしく、うちでも夏に10100系が入線しましたが、このあと同じ鉄コレで18200(予約済み)、トミックス仕様で12200が年末にリリースされます。

いずれも往年の姿なので、これに見合うマルーン一色の一般車も何とかしなければなあと(言いながらぜんぜん動けていない)思ってるところです。

2024年8月19日 (月)

うさぎ鉄道 レイアウト制作の思い出(5)

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このレイアウトを作っていた1976年から77年頃は、Nでいうと黎明期から少し進化して、一般の人がさほど無理なく自分のレイアウトを持てるようになった時期、と言えるかもしれない。マックスが日本型のストラクチャーのプラキットを出し始めたのが'75年、学研やトミーも国内製のストラクチャーを出し始めていた。

ただいずれにしても、中尾氏のプランは大人向けのもので、子供には荷が勝ちすぎた。それよりも作りかけた風景がどんどん自分の心の中に入り込み、現実よりも妄想の中でどんどんレイアウトが発展していってそこで楽しんでいる状態だった。

さんざん線路敷設と撤去を繰り返し、最初に構想したプランとはまったく違う状態のまま、このレイアウトは1977年末に終焉を迎える。

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レイアウトの風景は架空のものだが、自分の心の中ではまるで自分がそこにいたかのように懐かしく思い出すことができる。

今運用中の「うさぎ鉄道」は、前にも書いたがこのレイアウトのオマージュである。基盤サイズや使用線路の関係で、全く同じようには作れなかったが、ドッグボーン型の内周線や、回り込むように流れる川を渡る鉄橋などは、まさに中尾氏のプランをなぞったものである。

このレイアウトを解体した翌年、TMSのレイアウトコンテストで、なかお氏のプランを使ってつくられたレイアウトが賞を取った。

更に翌年の’79年10月号で、詳細が紹介された。

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もとのプラン(のイラスト)は、なんとなく山奥のローカル線、というムードだったが、こちらのレイアウトは作者がお住まいの南伊豆のムードを取り入れて再構成されている。

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市販ストラクチャーを混じえながら、要領よくまとめられている。奥の川は海に仕立て直され、かなりダイナミックな立体感のある風景に翻案されている。

ちゃんとプラン通りに線路を敷くとこうなるんだなあ、と感心?した。同時に、レイアウト全体が意外と狭く感じられるという印象を受けた。

 

2024年8月12日 (月)

うさぎ鉄道 レイアウト制作の思い出(4)

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なかお氏のプランではポイントが23個ある。プラン解説の中でなかお氏自身、ポイントの数が少し多いようですが・、と書いている。

都会や大駅のような、見るからに複雑な線路が錯綜するシーンではなく、一見のどかな地方駅とローカル線のプランなのに、よく見ると意外と複雑な線路構成になっている、というイメージなのだ。

プランの発表された1974年当時、Pecoの標準的な中型ポイント(手動)は970円だった。75年の初め頃に値上げしたらしく、TMS75年4月号では1,400円になっている。英ポンドは今は多少高くなったがそれでも1ポンド200円ぐらい、当時は1ポンド500円以上したと思う。それを思うと今の価格(4,000円程度)というのはものすごく高い。というよりは昔の機芸社がひじょうに良心的に価格設定していたのだろう。当時はちょっとした模型店で入手容易だったから、流通量が今よりはずっと多かったこともあるだろう。

とはいえ、子供にとってはいずれにしても大変な負担だった。マシンは680円で線路下格納式であり、工作の難易度も高かった。もっとも、中型ポイントに関しては関水の固定式が900円で買えたので代替は可能だった。


いつ無くなったのかわからないが、昔の雑誌には「交換欄」というのがあった。

 

『当方の関水EF65を貴方のEF70と交換します。うさぎ市たれ耳町1-4 兎跳太郎 』

 

みたいな感じ。単に譲る、求む、というのもあった。

いまだったら個人情報だだ漏れということで成立しないと思うけど(というかヤフオクか今は)、これを中1のとき、いちどだけ使ったことがある。

ミニトリックスT3蒸機とR1ポイント左右計6個を譲ります、という話だった。先方は高校生の方で、電話で値段を聞いて郵便振替か何かで支払った。

R1ポイントは同社線路シリーズの中で最も急曲線であるr=192mmのカーブに合わせたもので、レールわきに着けられた電動マシンはものすごく巨大だった。とにかく電動ポイントが安く手に入るというので、飛びついてしまった。

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画面中央付近に見えるのがそれ。実は左奥の小山の脇、詰所の左側にT3蒸機も見える。

 

76年の秋ごろ、フライッシュマンピッコロの手動ターンテーブルというのが模型店に流通し始めた。

たしか6千円だったかしら。国産品は存在せず、輸入品ではアーノルドの電動が2万4千円ぐらいで売られていた時代、これは安かった。

大山のグリーンマックスで買った。

オリジナルのプランでは機回しはターンテーブルを用いず、ループ線を周回して行うことになっている。


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と、ここまで書いてきて、オリジナルプランをまだ掲げていないことに気が付いた。

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裏面のプラン図ですが、自分で書き加えた余計な渡り線とかが入っています。。

画面下の対抗式ホームの側を1番線とすると、内周線を左側通行で走ってきた列車(蒸機牽引)は左側の渡り線を渡り、2番線に入線する。機関車を切り離し、少し前進した後バックして給炭水する、あるいは機関庫に入る。または、そのまま前進して内周線途中から分岐する機回し線を進み、少しトンネルに首を突っ込んだのちバックして転回を完了する。外周線経由で1番線に到着した列車も、同様に機回し線を使って展開できる。支線から来た列車は1~3番線どこにも入れる。支線の終点では機回しはできるが、帰りはバック運転になる。

お分かりかと思うが、1列車当たりの長さはかなり短くなる。20m級2両がせいぜいだろう。貨車も、右側の引き上げ線を使って中央の貨物駅(専用線?)に入れられる量数は極めて少ない。中尾氏は運転についてよく考えて配置したので、紙の短冊を使って紙上で列車の動きを追ってほしい、と書いているが、氏の頭の中ではどんな列車を想定してたのだろう。

(とはいえ、この右側に延びる引き上げ線と、貨物駅の辺りの雰囲気はシーン的にとても魅力的で、私が最初に線路を敷いたのもここからだ。池と小山の脇に突っ込まれた線路は、たまらなく魅力的だ)。


というわけで、一つには資金不足、もうひとつは原プランの意図を十分に把握できず、プランに対する不満がいろいろかさんできて、'76年後半になるとだんだんとオリジナルとはかけ離れた線路配置に改変して行ったのであった。。

(続く)

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