2024年10月 6日 (日)

上信電鉄再訪

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連休の予定が一つ空いたので、近場で行くところを探しました。

下仁田は6年ほど前に訪れたことがあります。高崎の駅からちょっと撮影したこともありました。

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千平というのは下仁田の一つ手前の駅で、忘れてたけどここにも前回行っていたのでした。

山間の小駅で、駅周辺には商店らしきものはありません。住宅はいくつかありました。

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上掲の橋ですが、どうやら英国製らしいです。CARGO-FLEET ENGLANDと読めます。年号は見つけられなかった。

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以前訪れたときは西武車を中心に自社発注車やら色々走っていましたが、今回は107系(700型)がほとんどでした。

700型も、カラーは色々のようです。

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もともと107系は80年代風と言うか、JR初期の色変わり電車が多かった時代の車両なので、何色でも似合うようなところがあります。

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先ほど書いたように千平駅は終点の一つ前なので、戻ってくる電車は基本同じ車両なのですよね。

下仁田には留置線があるので、それと入れ替わることもあるのかな。

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165系時代から数えると、機器類は55年以上使っていることになりますが、長年の使用で信頼性は高いのでしょうね。

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これで3色目。

このカラーは以前は元西武101系が纏っていた色です。

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下仁田にて。

行くとつい撮ってしまいます。車籍はもうないのかな?

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これで4色目。

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今日初めて見た700型以外の車両。

この車両はもとは先ほどのサファリ模様を纏っていました。

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8月に西の方で黄色い電車に遭えましたが、ここでもまた。

そういえは新2000の2コテがどこかに行くらしいですね。2000系が他社に渡るのは初めてかと思いますが、どこに行くのかな。

2024年4月14日 (日)

新井薬師 葉桜

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今年は日程の都合で満開からかなり時間が経ってしまいました。

自宅の辺りはまだそれほどでもないのですが、ちょっと場所が変わるとだいぶ様相が違いますね。

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今は樹木の入替が進行中で、かつてのような桜のトンネルは見られなくなっています。

実質的に踏切と桜のシーンを撮ることはできなくなっていると言ってよいでしょう。

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右の樹がまだ残っていますが、左側は植え替えられました。青い葉が見えるのが桜の若木です。

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踏切の北側も既に植え替えが完了しています。

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新井薬師駅周辺。

撮影可能な場所からは撮れないのですが、電車に乗って外を見ていると、線路が掘り下げられた地面の数メートル上に乗っているのがわかります。着工と言うか、地下化すると報じられてから10年、そろそろ終わりが見えてきたのでしょうか。

 

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線路が移設されているはずですが、もとがどうなっていたのか、わからなくなりました。

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周辺の建物撤去も進行中。この雑居ビルも、1階のテナントは撤退完了のようです。

この撮影場所側にある交番は営業中?ですが、西武信金新井薬師駅前支店は仮店舗に移転、今解体が進行中。

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果物屋で買い物したことあります。

文林堂書店は古い映画のパンフレットとか、車の雑誌とか、魅力的な商品がたくさん並んでいたのですが・。

店内に入ったことはあったけど、買ったことはなかったな。

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こ線橋や北口改札が仮のものに変わった後も、ここだけは従来のままですね。このまま最後まで行くのか。

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完成図を見るに、曲線は緩和されるらしいけど、地下区間内もやはり曲線ホームになるようですね。

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こういう駅ではたいていカメラを複数設置してモニターしますが、ここでは駅員さんが立って確認しています。

これも地下化では変わるのでしょう。

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さて、来年はどうなっているか。

2023年9月27日 (水)

サステナ

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なんと言ったらいいのか、意味不明のとかいうと語弊があるし、想定外では平凡な感想すぎるし、どうなんですかね。

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どちらも撮影は2012年だから古いですね。。

東急車は今や日本全国どこでも走ってるので・・。たぶん多摩川線なんかむちゃむちゃ似合いそうですね。武蔵境に行ったら、おお、20m車になったのか、蒲田行こうかと思ったり。

西武鉄道と東急電鉄・小田急電鉄「サステナ車両」を授受 各社連携して、SDGsへの貢献を加速してまいります

 

小田急8000って、西武3000とだいだい同期ですよね(1983年)。

製造終了して1000型が量産されるようになったのは2000N系と同じころ(1987-8年)。つまり最終型でも2000Nよりも古いのですよね。

更新車はインバータ方式に改造されているけど、それが理由なら2000Nインバータにしてもいいのにね。

結局、そのこころは何?って話になってしまう。

しかしまあ、ネタとしては面白いからいいか。。

 

2023年4月 7日 (金)

新井薬師さくら2023

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今年もまた撮影できました。

いろいろな予定をかいくぐり、撮影できたのは雨の日曜(3月26日)の事でした。

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地下化工事が始まった(準備が始まった)のは9年ほど前ですが、その頃はこんなに長くここで撮影できるとは思っていませんでした。

毎年今年が最後かな、と思っていた。

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ただ、線路よりも桜の方がさきになくなっちゃうとは思いませんでした。。

昔はこんなもんじゃなかったんです。

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2004年です。

もうあまり覚えてないけど、朝、通勤の途中で途中下車して、何枚か撮ったような気がします。

当時はデジタルじゃなくてフィルムのF80Dで、タムロンのA03 (28-200mm)ですね。シグマ70-300だったかもしれない。

今思うとむちゃむちゃ懐かしいね。。

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小学校が建て替えになったのが大きいですね。西側の古木がみんな切られちゃった。

今年も中野方の歩道橋に、けっこうな人がカメラやスマホ持って構えてましたけど、当時はそこから撮ろうとしても、桜で電車がほとんど見えないくらいだったんですから。

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ソメイヨシノの寿命は60-80年と言われます。ここもそうですが、前宅のあった杉並の住宅街でも、家の庭にあった見事な桜の木が次々伐採されていました。通りに面している木が多くて、倒木や枝が落ちるなどの懸念もあるのでしょう。

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新しい苗木を植えているので、10年もすればまたちょっとした木になるとはおもいますが、その頃にはもう線路が地下ですからね。。

2022年4月 3日 (日)

新井薬師さくら2022

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たぶん最初にここに来て撮影したのは平成の中頃だった気がしますが。。はっきり覚えているのは平成21年の春に、三脚とD70s持ってここで長時間露光したこと。当時のCCDセンサーは高感度が最大でもISO1600、常用800もどうか、という感じでした。

2011年は撮影どころじゃなくて、その後しばらくは訪れていませんが、14年以後はだいたい毎年行っている気がする。

昔は沿線でしたから、ちょと早起きして出勤前に30分ほど撮影とかしていました。地下化工事の完了が予定より遅れているようで、毎年今年が最後かな、と思いながら撮影してますが。ここ数年は一般の方々がカメラを向けている姿をよく見かけます。

今年はむしろ、一眼レフ持った撮影者の人をかなり見かけます。すっかり撮影名所になってしまい、中野側の歩道橋はそうした人たちで占拠されてしまっていました。

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小学校はいったん閉鎖になり、令和小学校としてリニューアルされたようです。

これに伴い、昨年だと記憶しますが、小学校側の古木が伐採されて若木に植え替えられました。

ので、全体としての桜のヴォリュームは以前ほどではありません。

前はほんとうに桜のトンネルでしたが、今はそれなりです。

それでも、黄色い電車とピンクの桜の組み合わせは、絵になることは違いないですけど。

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こんな感じですね。左側はかなり寂しくなっています。右側も、踏切近くはマンション建設のときに一部伐採されたっぽいです。

ただ、かつてはこんな位置で撮影しようにも、桜で電車が隠れてしまっていたような気がします。ましてや、歩道橋の上から取るとアングルが限られれました。ここは小学校側の歩道橋の踊り場付近ですが、今回はこの辺から撮っています。

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あまり書くことじゃありませんが、踏切のそばに三脚立ててる方がいます。この方の三脚、道路側にかなりはみ出ていて、このあと走行車線側を通っていた路線バスにホーン鳴らされています。撮影時には周りへの配慮を忘れずに。

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撮影的には背の高い自動車は少ない方がありがたいんですけどね。

車の往来は激しく、ダンプカーや路線バスも通ります。

だからこそ、立体化の意義があるのですけどね。

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昔は長い玉(Nikonでは70-300mm, MFTは45-200mmなど)を使いましたが、今回Pentaxは18-135mmしか使いませんでした。

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生憎引退間近の2007Fは通りませんでした。

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踏切向こう側のマンションは、以前は工務店かなにかでした。

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2009年4月ごろはこんな感じだったのですよ。

だいぶ、すっきりしてしまいましたね。。

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さて、地下化工事の状況ですが、外見上はあまり変わっていないですね。

沼袋駅もこんな感じで安定しています。

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3線になってからもう5年が経過しました。

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新井薬師駅から沼袋方面を望む。

この辺改めて思うに、かなり起伏が激しいですね。。

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曲線もかなり急ですが、地下化でもそのあたりはあまり変わらないのでしょうか。。

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中野通りから沼袋方面。

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原型2000系もいよいよですが、まだまだ黄色い電車とNRAは健在です。

というわけでした。

2022年2月23日 (水)

車内(主に関東私鉄)

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じゃ、いきます。以下の写真、ここでは再掲のものもいくつかあると思います。

小泉線の3050系。この運転室仕切りのアレンジは昭和45年製の8000系と共通です。

4Rでは8152F-8155Fがそれに相当しますが、東上線にもいました。冷房改造で8156~同様(右側も運転台側と同様の位置にセットバック)に改造されました。

この車両もデコラが退色していますが、初期車の退色はもっとひどくて、冷改で張り替えた部分との色の差がはっきりしてるのが目立ちました。

1994年9月。

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8000はこんな感じですね。

デコラの退色は、初期車から昭和42年ぐらいまでに製造された車両が顕著で、その後は何か製法が改良されたのか、それほど目立たなくなりました。これは国鉄の薄緑色も同様で、なにか業界的な技術革新があったのかもしれません。

ところが、こののち9000系から薄クリームの内装が出現するのですが、歴史は繰り返すというか、この色合いのデコラも短期間で退色してしまいます。もともと白っぽいので目立ちはしないのですが。

この写真の当時(1980年夏)、東上線には550両ぐらい車両がいて、2/3ぐらいが8000,そのうち初期車は100両かそこらでしょうか。ちょっとくたびれた感じの内装をしていた。そう考えると、今の東上線もまあ似たようなものかなと。ただ、今のほうが内装30年以上そのままという車両も多いですけど。。ちょっと話が長くなってしまった。。

 

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同じころ(81年4月)、7300系はこんな感じでした。

前回国鉄72系の内装を掲げましたが、あれに比べるとこちらは金属板(塗装仕上げ)の内貼り、アルミサッシと、多少近代的です。

国鉄車両は全検で再塗装する際に、内装は刷毛塗りで仕上げていたようで、前の塗装の剥がれも十分でなく、年数がたつと若干見苦しいものがありました。初期の103はドアなんかが鋼製で塗装仕上げだったのですが、この辺からヤレを感じたものです。

東武は8000系もそうですが、内装の再塗装も吹き付けで、国電よりは綺麗に手入れしていました。その点は良かったかな。

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この内装色はもとは灰緑色(シートは青色で、ようするに国電と同じ)だったものを、昭和43年ごろに替えたらしいです。

実はかすかに覚えています。

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その前はこうだったのでしょう。

東武博物館のデハ5。流石にこれに覚えはない。。

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同じく博物館の展示、8000の内装のように見えるけど、窓柱の感じは3000系ふう。

2010年撮影ですが、3070系辺りから取ってきたのでしょう。こういうのは将来、とても貴重になると思います。

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西武は501系から。

ただしこれは流山に移ってからのもの。前回書きましたが、この臙脂のシートとベージュの壁は、当時の2等車の内装を模したものだそうです。

1981年4月。

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これも流山に移ってからの101系(新)。

オリジナルの壁、シート色ですが、背ずりは新しい様式のもの。

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101(新)は1979年の登場ですが、その内装はもともと2000系(1977年)から始まったものです。

2000系は15年以上前に全車内装更新を終えていますが、オリジナルはこんな感じでした。

クリーム色の色合いが、ちょっと他では見られない感じです。

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どこかに低運101の写真があったはずだけど、今出てこない。またいずれ。。

これは701系の内装。蛍光灯が少なくて、内装も暗い感じでぱっとしないのです。

中央線(201系)利用から西武沿線に転居して、これに乗って都落ちを実感したものです。。

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引退の近いメトロ8000系の、登場当時。

鉄道友の会主催のお披露目会で。

まだ冷房は準備段階です。

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こどもの国線の、東急3000系(3608)。今見るとわりとモダンな内装ですね。古参の3450も、更新後はこんな感じでした。

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大井町線かな。7200。

この時代の東急は内装がかなりあっさりしています。

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田園都市線でしょうから、8500だと思います。

この次も含め、1979年1月です。

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相模鉄道の6000系初期型。

寒色系なのですが、国鉄とは色合いが違います。

相鉄も2100型からは暖色系の内装に代わります。

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西武20000系は今もこんな感じですが、ちがうのは広告の数でしょうね。昔はうっとおしいぐらい広告がついていたのに、なくなると寂しいというのは不思議な感覚ではあります。。

2021年10月31日 (日)

新宿線地下化工事状況2021

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と、タイトルを銘打つほどたいした内容ではないです。。

久しぶりに旧宅付近での用務が復活しつつあり、かつ日中多少時間が空いたので、帰りがけ沼袋で降りてみました。

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新宿線も今年はかなり長いこと利用しなかった期間があります。移動の制限、リモートによる活動などが原因です。

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そのあいだにも工事は進んでいたのでしょうけど。。

前回取材したのは、桜の時期、それも夜でしたね。

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最初に地下化工事の取材をしたのはもう7年前のことで、その時もこんな感じで線路に養生がされていました。

3線になってからもかれこれ5年近くになります。

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沼袋の北口は今、西武新宿寄りに移設されています。ちょうど一時期の新井薬師前みたいに。

それはわかっていたのですが、周辺の建物がほぼなくなり、仮囲いの続く道になってしまったのには、ちょっと驚きました。

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いくらかでも昔の面影があるのは、この飾りのついた建物でしょうか。

この手前側には、西友があり、ちょっとした商店街が広がっていたのですが。

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みずほ銀行がなくなってしまったのも、ちょっとショックでしたねえ。

前にも同じこと書いているかもしれないけど。。

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この辺はまあいいのですが、全体に仮囲いがかなり増えてきて、もはや列車の撮影ができるところはかなり限られてきました。

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このYポイントは2016年に新設されたものです。この線路自体はもともと、上り線用の追い越し線でした。

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南口は、位置自体は変わっていません。

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ぐるっとまわって、新宿方を展望します。線路の両脇に、鉄柱等が立ったため、この辺での列車撮影は不可能に。

昔(50年ぐらい前)はよい撮影場所だったらしいです。

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妙正寺川を渡り、春には桜で華やかな中野通りの交差点に来ました。

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ここでも線路両脇の鉄柱が目立ちます。

左側は統合で建て替えられた小学校。これも前書いたけど、子供たちが描いた壁画を見るのが、通勤時の楽しみでした。

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ここから新井薬師駅までは工事の痕跡がなく、昔の面影を強く残しています。

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ここだけ見ていると何事もないようです。なぜここだけ変わらずにいるのか、理由は不明です。

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線路近くまで住宅が迫ってきています。(撮影している側は線路沿いに道路がある)。

どの家も撤去されるような様子はありません。昔、この辺に崩れかけた木造家屋があったけど、どこだか特定できなかった。

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バス通りを超えると新井薬師前駅の北口。

移設されてもとの位置に戻った感じですが、前の改札口のおもかげはまるでありません。

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上りホーム脇に続いている道。前はこの辺に仮改札口がありました。

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この跨線橋は工事の進捗に伴い、新設されたものです。従来から使っていた跨線橋は3年ほど前に撤去されました。

この辺はたたずまいは変わっていないようで、相当変化しています。

前はホームのすぐ脇に、小さな踏切がありました。

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上り線は移設されて、下り線との間隔が広くなっています。

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ちょっと戻って南口。

ここだけ見るとあまり変わっていない感じ。

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この商店がいはおおすじであまり変わっていない。

果物屋じゃなくなったのかな?

古本屋はやってるけど、この時間は閉まっていた。

それと、この手前の飲み屋街がかなり寂しくなっていました。これはコロナの影響なのかも。

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そこそこ歩いたので、この辺で終わりにして上りホームに上がりました。

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この監視台と駅員さんは、この駅の象徴ですね。。

前宅時代は時々、新井薬師前からバスに乗って、中野まで行くことがありました。

なつかしいなあ。。

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黄色い電車に乗って帰ります。

それでは。。

 

2021年9月 3日 (金)

2021年ディーゼルの旅

1892年にドイツのルドルフ・ディーゼルが発明したレシプロ式の内燃機関は、一般にディーゼルエンジンと言われ、船舶から鉄道、自動車に至るまで広く用いられています。

どちらかと言えば大型の機関のほうが効率が良いため、船舶や鉄道の内燃機関としてはもっぱらディーゼルが、自動車においては大型のトラック、バスなどに用いられることが多いです。

その構造上PMやNOxを処理することが難しく、環境面では問題も指摘されています。

鉄道分野では、従来機関から直接動力を駆動に用いるようにしていたのを、機関を発電に用いて電気モーターで駆動する形(ディーゼルハイブリッド)に代わりつつあり、これは自動車でも同様の方向性にあります。

という訳で、ふだんはあまり乗れないディーゼル車に乗ってみようかという、暇人の夏休み企画。

微妙に県境をまたがる処は目をつぶってもらい。

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ちびっとでかけてみます。

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すごい久しぶりの新幹線。たぶん2020年以降は乗ってない。

奥になにかいます。。

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イーストアイでした。

ドクターイエローに比べると知名度は低いものの、やはり見ると幸せになれるというおめでたい電車ですね。。

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この日の気温は35度。

昔ここに会社のBCPサイトがあったので(ここは地盤が強固で、災害に強いとい言われていた)、探して見たけど見つからなかった。

街が変わったというか、記憶が薄れたというか。もう15年も前だからな。。

撮り鉄あまりしないつもりだったけど、いちおう。

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車両基地は賑やかですが、外から気軽には撮影できなさそう。

この107系は到着後入庫して、中央の6000型が次の列車に使われていました。

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107系は本線上をこの辺まで移動して、この後転線。

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こんなふうに。

貴重なDT32、TR69装備車なので、そのうち乗り心地を味わいに行きましょう。

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涼しいところで少し休憩して、そろそろホームへ。

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電車ホームよりもかなり低くなっています。

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すこし涼しくなってきました。

今日から学校始まったらしく、学生さんがたくさんいます。

そこそこに乗客はいます。

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キハ111(200番台)は、今見ても結構格好いいですが、車内はいささかやれてきた感じも。

関東圏ではこのクロスシートは破格の待遇です。

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エンジン音も勇ましく、発車。

昔に比べると(キハ35時代)加速はたくましい感じ。

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冷房はすこしぬるいけど、乗り心地も良好ですし、なんの不自由もない。

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八高線は無人化、合理化がだいぶ進んできている印象。

丹荘は駅舎が新しくなっていた。

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首都圏であることを考えれば、なかなか車窓風景も好ましい感じです。

ただ、この辺はいいのですが、印象として休耕地というか、田畑をやめて雑草が茂るままになっている土地が増えたような気がする。

他方、住宅や倉庫はけっこう目立つ。

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きょうび、遠くまで旅にはいけないからね。。

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行程にして一時間25分、ディーゼルにこれだけ乗っていられるのも、首都圏であることを想えばなかなか。

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昔はこの先八王子までディーゼルで行けましたが、今はここまで。

26年前、拝島から高崎まで乗ったことがありました。キハ35だったけど、あれはちょっと疲れた。

それに比べれば楽勝です。

 

というわけで、通勤帰りの客をたくさん乗せた川越線に乗って、day 1はおしまい。

 

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さて、day 2はここです。

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ですね。

ん、しらない?

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まんなかの行き先、全区間の終点じゃないんです。

平日12時のバスだけ系統が違うせいですが、これ1本だけ、大宮まで行くんです。

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治水橋堤防停留所。これは反対側ですが、ほとんどのバスは途中で別れてららぽーと富士見に向かっています。

撮影は2020年5月でしたが、約半年後に平日の便が廃止されました。

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待つことしばし。

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いよいよです。

後ろから乗ります。

パスモをぴいと言わせて。

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一日一本と言うと、さぞひなびた区間を走るものと思われるかもしれませんが、流石にサイタマなので、そんなことはありません。

たしかに畑は多いですが、あとは様々な物流倉庫がね。

上福岡まではけっこう定期客らしい、女子高生とか乗ってる。

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実を言うと今回乗ってみて分かったのですが、路線のほとんどは自分で車でしょっちゅう走っている道でした。

だから、ぜんぜん旅気分になりませんでした。。

乗ってる車が違うのと、自分で運転しないだけ。

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上福岡駅を過ぎると1日一本の区間になるのですが、その割には結構人が普通に乗っている。

この辺は非常に人通り、車通りのいい区間で、利用客は多いような気がするのですが、バス経営、厳しいんですかね。

まあ人のこと言えた義理じゃありません。自分だって車でしか通らないから。

 

ただ、先ほどの治水橋を渡ると二ツ宮バス停があり、ここから始発のバスががんがん出ています。

平日朝ラッシュ時は6分間隔で出てる。

あれですね。バスの時刻表って、同じ会社でも営業所によって表示が違うので、すごいわかりにくいね(ネットとかで見る限り)。。

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13時20分、大宮駅到着。day 1と同じく、約1時間半のディーゼルの旅でした。

地元感横溢で、あまり旅気分ではなかったけど。

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所沢ー大宮間のバスは、昔は鶴瀬駅経由のもけっこう走っていたのを記憶しています。

ふつうに所沢から大宮行くなら、電車で秋津から新秋津出て武蔵野線ですかね。

本川越から川越線乗るのもけっこう歩くし、意外と難しい。西武大宮線が今も残っていたら。。ただあれも、本川越との間が結構あるみたいで・。西武って昔からその辺は・。

それ以前に所沢から大宮に行く人があまりいないかも。

埼玉県南部って、どうも荒川を境に東西で若干文化が違う感じがします。川越を中心とした地域は入間郡、中山道界隈は旧足立群というのが影響しているんでしょうか。。

 

 

2021年5月 5日 (水)

KATO マニ60 200

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先日GMの塗装済みキットマニ60を組んだ話をしましたが、連休最初の日にKATOの完成品マニ60 200も到着しました。

 

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古くから製品化されているタイプ(確か1980年の春頃出たと記憶しています)は半室合造車(オハユニなど)改造のもので、ゆったりした窓配置が特徴でしたが、こちらは幅700mmの窓が並ぶタイプです。

外見上はやや重苦しい印象があるかもしれません。

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GMのモデルも基本的には同じタイプです。但しマニ60には色々なバリエーションがあるので、完全に同じタイプではないかも。

GMは片側のドアがHゴム化されています。また、ベンチレーターの数がやや少ないようです(これは説明書の指示に従っただけで、制作時に追加することも可能。手許の資料を見ると、KATOのタイプが多いように思えます)。

というわけで、連休中の鉄道関係の活動はこの程度です。。

以前は毎年どこかしら撮影に行くなどしていましたが、どこも行かなかったな。

コロナ禍とはいえ、近場なら行っても良かったのですが。。

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ここ数か月、撮り鉄方面の不祥事が色々伝わってきて、ちょっと気が引けた、と言うのはあります。

鉄橋付近で線路内立ち入りしたファンが運転士に注意されたり、私有地に入りこんで植木を勝手に刈り取る、ホームでトラブルの末、中学生に頭蓋骨骨折の重傷を負わせて逃走する、などの犯罪行為が相次ぎましたね。。

引退間近の車両を撮影しようと躍起になって、ということらしいですが、どこかで何とかしないといけなくなっている気もします。

ただ、鉄道側もファンの活動をあおる、と言っては語弊がありますが、昔ならやらなかった告知をしていることも事実です。

先月1か月、SNSの西武関連グループでは投稿のほとんどがレッドアロークラシック一色になっていました。

鉄道側が4月29日運用終了を告知していますし、記念列車も運行しました。

幸いこちらはトラブル等は報告されていませんが、人気の高いJR車などは、鉄道側も報道を考えるべきだという気がします。

西武のSNSグループは、あんまりレックラばかり見せられるので、しばらく表示しないようにしています。グループの方々に罪は全くないけど、少し考えさせられるところがあって。。

写真は10年前の拝島。自分も撮り鉄している(た)し、こういう場に行くと挨拶交わしてくれる、マナーの良い方も多いことはよく知っているので、一部の人たちのことはとても残念。。

2021年3月18日 (木)

震災後の特別運行 

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10年前のこと、メインブログの方には11日と12日以降の体験をまとめて書いた。

こちらは鉄道関係のことをまとめてみたい。

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(画像は過去の再掲が多いです。。)

11日は首都圏の鉄道が完全にマヒしましたが、私は結局利用していません。

親戚の家に泊まりました。これは京王新線新宿。京王は遅くに運転再開したようです。

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13日(日)深夜11時ごろ、Yahoo!のニュースだったかで、西武の運休のニュースを見た。

ネットだけでは、と思いリビングでテレビを点けたが、フジテレビだったかがやはり同じことを言っている。

新宿線は鷺宮折り返しだと。

まさかと思い、念のため夜中ではあったが駅まで確認に行った。

既にほかの人が駅員と話している。駅員の答えは、こちらもわからないがどうもそうらしいと。

翌朝、たしかニュースを見て、とりあえず運転はしているらしいことがわかる。ので、上井草駅に向かった。

この写真、過去にも乗せたことがあるが、今回プロパティを見て気がついた。撮影時刻が7時19分(やや進んでいるので15分ぐらい)となっている。ふだん、8時前ぐらいに駅に着くのが普通だったから、かなり早めに家を出たらしい。

所沢行きの方向幕も珍しい。

上り列車は各停のみで、それほど待った記憶はないがかなり混んでていた。高田馬場から東西線に乗ったが、こちらは空いていた。

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帰りは当初の報道の通り鷺宮折り返しになっていた。

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ふだんならホームが乗客でいっぱいになる時間帯だが。

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車両は30000系で、表示は「臨時」

鷺宮駅は2番ホームのみ使用。西武新宿方に亘り線がある。

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西武新宿へ折り返す。

当時使っていたコンデジは高感度が弱く、こういう撮影は苦手だった。それでなくても町中真っ暗なのだ。

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ホームにはたくさん人がいる。

これらの人たちは新宿方面に行くのではなく、ここ以遠に行くため運転再開を待っていたのだと思う(夜9時だかを過ぎると本川越方面に列車が出ると聞いた気がする。。自分に関係ないことはよく覚えていないのだ)。

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ただ、駅の時刻表は、折り返し運転のダイヤしか書かれていない。

列車は6分おきに運行され、終電まで同間隔だったようだ。

このあと歩いて家まで帰ったが、思ったよりは時間がかかった(1時間近くはかかったのかもしれない)。

このため、翌朝の出勤には新宿線を使わずに、練馬高野台まで歩いて行くことを想いついた。池袋線も短縮運転で池袋ー練馬高野台折り返しだったのだ。

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3月15日。これは西武池袋。

電車がメトロ7000系だというのがあれです。

練馬高野台までは歩いて30分ほどで、始発なので座れはしなかったもののスムーズに乗れた。

高架線から車窓を楽しむ乗り方は新宿線では味わえないので、快適だった。良く晴れた日だったことを覚えている。

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朝の通勤時だし、この非常時に写真撮るのもなんか気が引ける感もあったから、あまり撮影はしていない。

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まあこれは。。

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同日帰宅時。再び高田馬場。運行区間は上石神井に伸びている。

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井荻で降りた。どういう訳か普段とはちがう南口から降りようとしている。

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この日の12時頃から上石神井-西武新宿間に変更になったという。

更に・・

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14日(月)の当初の運行計画は、新宿線で言えば西武新宿-鷺宮間だった。

しかし実際には14日朝にはより広範囲(写真で判断する限り、少なくとも所沢までは行っていた)を運行していた。

張り紙は、鉄道側が状況判断に苦悩した様子を伝えている。

昨日3月14日(月)の運行においては、通勤通学の輸送支援を最大限行うべく、計画停電の変更に応じできる限りの運行を検討した。
その結果、乗客から一定の評価を得たが、一方以下の問題点について検討せざるを得なくなった。

・東京電力からの電力供給事情により輸送サービスを都度変更すると、安定的、一定的な輸送ができない。

・帰宅時の対応が万全でない輸送は、結果として多くの乗客の帰宅困難を招きかねない。

・運転打ち切り終端駅において、降車した数百人規模の乗客の線路内歩行を発生させてしまった事実がある。

以上により、より安全安心な輸送を目指し、かつ節電への協力を踏まえ、15日以降の運行計画を変更した。

15日12時以降の運行は、池袋線池袋-小手指、豊島線、狭山線の全区間、新宿線西部新宿-上石神井間。そのほかの区間、路線は終日運休。

 

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16日(水)、時刻は午後7時半ごろの高田馬場駅。

案内板が消灯している。

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運行計画はより細かくなり、混雑時は全線で運転するようになった。それでも例えば拝島線は14:30-19:30の間は運休している。

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全体としては通常の4割程度の運行だという。有楽町線直通輸送も行っていない。

振り替え輸送は実施位していませんの文言も、この時期よく見られた。

 

17日(木)は自宅待機となり鉄道は利用していない。

計画停電はその後もしばらく続いたと思うが、住んでいた地域、勤務していた地域では行っていなかった。

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しかし、駅の照明も最低限度を残し待合室は消灯するなど、かなり徹底した節電が続いた。

特別ダイヤは続いたが、次第に安定してきたように記憶している。

このような災いを思うとき、こんにちの我々は直近というか今も続いているコロナ禍のことを、つい連想する。

がらんとした街並みは、昨年春の緊急事態宣言下の東京を思い起こす。ただ、首都圏についていえば、基本電気以外は徐々に立ち直っていった。流通経路の混乱や、一部商品の枯渇も4月を過ぎると解消していく。

街は以前の賑わいを取り戻していく。

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電車の窓開けも、今日の我々が見るとあまり何も感じなくなっている。もちろん2年前には通勤電車の窓を開けるなどという人はいなかった。

10年前も同じだ。この年の春まで、窓は閉まっていた。開いているのは節電で冷房を作動させていないからだ。

室内灯の一部取り外しも、これは結構ながく続いた。混雑した車内だと、一部エリアが暗くなって本とかが読みにくくなってしまう。

私はこれを機会に電子書籍を導入した。

 

今日の窓開け習慣は、いつまでやり続けないといけないんでしょうね。。

 

 

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