10年前のこと、メインブログの方には11日と、12日以降の体験をまとめて書いた。
こちらは鉄道関係のことをまとめてみたい。
(画像は過去の再掲が多いです。。)
11日は首都圏の鉄道が完全にマヒしましたが、私は結局利用していません。
親戚の家に泊まりました。これは京王新線新宿。京王は遅くに運転再開したようです。
13日(日)深夜11時ごろ、Yahoo!のニュースだったかで、西武の運休のニュースを見た。
ネットだけでは、と思いリビングでテレビを点けたが、フジテレビだったかがやはり同じことを言っている。
新宿線は鷺宮折り返しだと。
まさかと思い、念のため夜中ではあったが駅まで確認に行った。
既にほかの人が駅員と話している。駅員の答えは、こちらもわからないがどうもそうらしいと。
翌朝、たしかニュースを見て、とりあえず運転はしているらしいことがわかる。ので、上井草駅に向かった。
この写真、過去にも乗せたことがあるが、今回プロパティを見て気がついた。撮影時刻が7時19分(やや進んでいるので15分ぐらい)となっている。ふだん、8時前ぐらいに駅に着くのが普通だったから、かなり早めに家を出たらしい。
所沢行きの方向幕も珍しい。
上り列車は各停のみで、それほど待った記憶はないがかなり混んでていた。高田馬場から東西線に乗ったが、こちらは空いていた。
帰りは当初の報道の通り鷺宮折り返しになっていた。
ふだんならホームが乗客でいっぱいになる時間帯だが。
車両は30000系で、表示は「臨時」
鷺宮駅は2番ホームのみ使用。西武新宿方に亘り線がある。
西武新宿へ折り返す。
当時使っていたコンデジは高感度が弱く、こういう撮影は苦手だった。それでなくても町中真っ暗なのだ。
ホームにはたくさん人がいる。
これらの人たちは新宿方面に行くのではなく、ここ以遠に行くため運転再開を待っていたのだと思う(夜9時だかを過ぎると本川越方面に列車が出ると聞いた気がする。。自分に関係ないことはよく覚えていないのだ)。
ただ、駅の時刻表は、折り返し運転のダイヤしか書かれていない。
列車は6分おきに運行され、終電まで同間隔だったようだ。
このあと歩いて家まで帰ったが、思ったよりは時間がかかった(1時間近くはかかったのかもしれない)。
このため、翌朝の出勤には新宿線を使わずに、練馬高野台まで歩いて行くことを想いついた。池袋線も短縮運転で池袋ー練馬高野台折り返しだったのだ。
3月15日。これは西武池袋。
電車がメトロ7000系だというのがあれです。
練馬高野台までは歩いて30分ほどで、始発なので座れはしなかったもののスムーズに乗れた。
高架線から車窓を楽しむ乗り方は新宿線では味わえないので、快適だった。良く晴れた日だったことを覚えている。
朝の通勤時だし、この非常時に写真撮るのもなんか気が引ける感もあったから、あまり撮影はしていない。
まあこれは。。
同日帰宅時。再び高田馬場。運行区間は上石神井に伸びている。
井荻で降りた。どういう訳か普段とはちがう南口から降りようとしている。
この日の12時頃から上石神井-西武新宿間に変更になったという。
更に・・
14日(月)の当初の運行計画は、新宿線で言えば西武新宿-鷺宮間だった。
しかし実際には14日朝にはより広範囲(写真で判断する限り、少なくとも所沢までは行っていた)を運行していた。
張り紙は、鉄道側が状況判断に苦悩した様子を伝えている。
昨日3月14日(月)の運行においては、通勤通学の輸送支援を最大限行うべく、計画停電の変更に応じできる限りの運行を検討した。
その結果、乗客から一定の評価を得たが、一方以下の問題点について検討せざるを得なくなった。
・東京電力からの電力供給事情により輸送サービスを都度変更すると、安定的、一定的な輸送ができない。
・帰宅時の対応が万全でない輸送は、結果として多くの乗客の帰宅困難を招きかねない。
・運転打ち切り終端駅において、降車した数百人規模の乗客の線路内歩行を発生させてしまった事実がある。
以上により、より安全安心な輸送を目指し、かつ節電への協力を踏まえ、15日以降の運行計画を変更した。
15日12時以降の運行は、池袋線池袋-小手指、豊島線、狭山線の全区間、新宿線西部新宿-上石神井間。そのほかの区間、路線は終日運休。
16日(水)、時刻は午後7時半ごろの高田馬場駅。
案内板が消灯している。
運行計画はより細かくなり、混雑時は全線で運転するようになった。それでも例えば拝島線は14:30-19:30の間は運休している。
全体としては通常の4割程度の運行だという。有楽町線直通輸送も行っていない。
振り替え輸送は実施位していませんの文言も、この時期よく見られた。
17日(木)は自宅待機となり鉄道は利用していない。
計画停電はその後もしばらく続いたと思うが、住んでいた地域、勤務していた地域では行っていなかった。
しかし、駅の照明も最低限度を残し待合室は消灯するなど、かなり徹底した節電が続いた。
特別ダイヤは続いたが、次第に安定してきたように記憶している。
このような災いを思うとき、こんにちの我々は直近というか今も続いているコロナ禍のことを、つい連想する。
がらんとした街並みは、昨年春の緊急事態宣言下の東京を思い起こす。ただ、首都圏についていえば、基本電気以外は徐々に立ち直っていった。流通経路の混乱や、一部商品の枯渇も4月を過ぎると解消していく。
街は以前の賑わいを取り戻していく。
電車の窓開けも、今日の我々が見るとあまり何も感じなくなっている。もちろん2年前には通勤電車の窓を開けるなどという人はいなかった。
10年前も同じだ。この年の春まで、窓は閉まっていた。開いているのは節電で冷房を作動させていないからだ。
室内灯の一部取り外しも、これは結構ながく続いた。混雑した車内だと、一部エリアが暗くなって本とかが読みにくくなってしまう。
私はこれを機会に電子書籍を導入した。
今日の窓開け習慣は、いつまでやり続けないといけないんでしょうね。。
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