2025年6月25日 (水)

ちょっと出

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6月は色々と身の回りに出来事があり、こちらを更新できませんでした。

その合間にちょこっと出かけたときの写真を。

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3年ぶりに訪れた宇都宮。

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車庫のある平石停留所。

東北道を宇都宮で降りると、芳賀方面に行くバイパスがありますが、その沿道にあります。

2月に車で通りかかったとき、視界の片隅に黄色い車両が並んでいるのが見えました。

まわりは田んぼで、川越電車区(電車センター)とか、そんな感じです。

停留所から急カーブで直角に曲がったところにある、というのが模型っぽくていいですね。

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乗務員の交代があります。

その辺りはバスっぽいですね。

 

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ラッピングは3年前の開業時にはなかったな。

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この辺の地理はわかりませんが、高架線を含め割とゆったりした感じで作られており、比較的最近に都市化されたのでしょう。

道路自体、比較的新しいのかも。

ここから宇都宮寄りにかなり大きなショッピングモール(ベルモール)があります。

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ところ変わって秩父駅。

車で出かけて西武秩父に停めて、市内を歩きました。

秩父から御花畑まで、一駅乗っただけ。

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ワキ800が置いてありました(保存?)。

この貨車は東武東上線に乗り入れていたので、なじみ深いです。

マイクロから模型が出ていますが、セット売りで高いので手が出ないです。

昔関水のワキ10000を改造した(というか黒く塗っただけ)ことはあります。レタリングさえあれば今もその手で行けそう。

2025年3月23日 (日)

弘南鉄道 大鰐線

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ホテルはJR弘前駅前ですが、中央弘前まで歩くと20分ぐらいかかるそうです。

100円バスがあるらしいですが、運行時間は9時からというので、とりあえずタクシーで行きました。

運転手さんに間違えて「弘前中央駅」と言ってしまった。

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中央弘前駅は川沿いを走っています。線路のカーブの具合が模型的にいい感じ。

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城下町にはありがちな話ですが、最初にできた汽車の駅(JR弘前)は市の中心部からだいぶ離れた位置にあります。中央弘前は弘前城に近く位置しているので、当時(昭和27年)の弘前市民目線で見れば使いやすいターミナル、という事なのでしょう。奥羽本線は汽車で本数も少なかったでしょうから、大鰐温泉までのフリークェント・サービスが期待できる電車路線はそれなりの意義があったかと思います。

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駅員配置駅はかなり限定されていますが、それなりに工夫を凝らして、地域の拠点たるべく努力をされているようです。

ただ、全体的に近代化の遅れが目立つのは否めません。

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車両は弘南線と同じ元東急7000系です。

もとはこちらの方が先に使用開始されたようです。

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リンゴ畑。

乗客は10人ほどで先頭車に集中し、2両目は私だけ。

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津軽大沢で列車交換します。

ここで一度降ります。

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車両基地がありますが、駅員無配置駅のようです。

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駅のすぐそばに高齢者施設があります。線路を経てにも高齢者施設があるようです。弘前方に県道がオーバークロスしていますが、駅からは離れています。ただ、高齢者施設の脇、線路沿いに舗装された道がある。

 

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ちょっと入り込んで写真撮らせてもらいました。

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ウェブを見ると似たようなアングルで撮影されていて、公道から撮影とあります。ただ、行き止まり道なのでこれ以上踏み込むのは遠慮しました。

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大鰐線(大鰐駅)にも前回掲げた弘南線と同じ日に訪れていました。

7031Fはこんな感じでした。

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6000系も現役で、快速もあったようです。

それにしても全然覚えていない。

 

さて、津軽大沢にはほかに何もないし、次の電車まで45分ぐらいあるので、次の駅(義塾高校前)まで歩きます。

地図を見ると線路と並行している道があり、撮影に好適そう。

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と思っていたのですが、あいにくと線路脇にはうずたかく残雪が積もっていて、撮影は不可能でした。

雪の上に乗ったらどうなるかと少しだけ考えましたが、危険ですね。

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駅ホームから撮影。

 

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待っている間に線路を見てみますが、枕木が一部消失しています。一定間隔ごとにPC枕木に交換されていますが、保線状況はだいぶ厳しい様子。

ウィキを見るとこの5,6年の間に数回、脱線事故や線路トラブルによる運休を繰り返しています。

今回の運転休止も、その辺りに原因がありそうですね。

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大鰐行きが来たので先に進みます。

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雰囲気は平成元年と変わってないですね。JRの方はそれなりにきれいになっています。ただ、弘南も駅員さんはいます。

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少し滞在して中央弘前行きに乗りましたが、ちょうど奥羽本線を「つがる」が走るのが見えました。

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石川のオーバークロス。ここで「つがる」と交差したら面白かったのですが。

弘南の高架橋はどこも頼りない感じです。

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市内に戻りました。

やはり気に入った撮影地はこの川沿いに走るあたりですね。

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ただ、残雪は雪国らしいのですが撮影場所は限られます。天候も良くはなかったです。

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帰りに見た701系の3並び。もう30年以上使われていますが、なかなか頼もしい感じです。

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貨物列車も頻繁に運転されているようです。このほか五能線のディーゼルなどが、弘前駅を走る列車の印象でした。

2025年3月16日 (日)

弘南鉄道 弘南線

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弘前に行ってきました。

例の走行中解結事故の関係で、混雑とか心配しましたが、何とか大丈夫でした。

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現在は弘南線、大鰐線ともに元東急7000系が使用されています。全車冷房なし、中間ドアは終日締め切りとなっています。

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パイオニアiii型台車の乗り心地を味わえるのはここ弘南鉄道と水間ぐらいでしょうか。

素人目には降雪時のブレーキとか大丈夫かな、と思うのですが、長年使っているのだから問題ないのかな。

最高速50Km/hとのことですが、この範囲での乗り心地はなかなか良かったです。

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改札は10分前から。

やってきた電車は長年の洗車で車号が読めなくなっていますが、7155だそうです。

方向幕はシール貼り付けという、Nゲージを彷彿とさせるものです。今は途中折り返し等の運用がなく、これで良いみたいです。

 

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こぢんまりとした運転台機器。ワンマン運転対応の為、運転室仕切が解放状態になっているのはJR701系と同様。

弘南線はおもったよりも乗客が多く、また黒石駅まで乗り通す乗客もかなり多い様子でした。

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東急食堂 東急本店8階

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東急百貨 右はFashon Community 109 Shibya

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黒石駅にはきれいに整備されたED333とキ104が。

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他の公道とかもそうですが、ふだんつかうところはきれいに除雪されて、それ以外は場所によっては2~3mも雪が積もった状態になっています。

特に寒くはないです。

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36年前はこんな感じでした。

木造のホーム屋根が近代化されていますが、他はあまり変わらない感じです。

ただし、画面左側に延びていた黒石線(黒石-川間)は廃止されています。

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黒石線のホームも屋根が長く立派な感じですね。

車両は3両だけですが、キハ22は弘南カラーに塗り直されていました。この色はたらこ色よりもいい感じですね。

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おそらく国鉄から移管後に、この研修庫を新築したのだと思います。

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庫は今も残っています。

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庫までの線路がどうなっているのかは確認できませんでした。雪に埋まっているので、いずれにしても使われてはいないのでしょう。

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ただし、弘前方にある踏切に、黒石線時代の線路が残っているのを見かけました。

とにかく、ふだん使わない所は除雪されていないのです。

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キ104とED333は、留置する場所は違うけどこのころも同じ組み合わせで止まっています。機関車の色は変わったのかもですね。

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中央のクハは国鉄型風で奥にもおそらく東急クハ3776がいます。どうやらクハばかり3両ほど、駅構内に留置されているようです。

上記線路までさしかかっている上屋の印象もあり、この頃はここに車両基地があるものだと思っていました。

撮影は1989年6月はじめごろ。車で行きましたが、これをひっくり返してみるまで自分が黒石に行った事を忘れていました。

 

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駅本屋は変わっていないですね。

黒石は城下町で、駅周辺にもそこそこ家があります。

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移動しました。

そろそろ夕方。

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日中は晴れていたのですが、次第に雲が厚くなり、帰るころには雪が降りはじめました。

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晴れていれば背後に岩木山が見えるのですが、そこは残念。

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夕日がもう少しダイナミックだと尚良いのですが。。

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駅周辺まったくなにもありません。

左に踏切が見えますが、踏切の向こうは全く除雪がされていないので通れません。

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黒石行きを見送り、弘前行きを待ちます。

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弘前に戻りました。通勤客そこそこ。。

翌日はいよいよ大鰐線に乗ります

2025年3月 2日 (日)

太子駅とワラ1ほか

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太子(おおし)駅は長野原線の長野原から伸びていた支線の駅。

もとは群馬鉄山の専用線として太平洋戦争中に建設されたが、鉱山が閉鎖となり、本線の電化の際も非電化のまま残り、70年に運転休止、そのまま廃線となった。

鉱石輸送用のホッパーの一部が残っていたのを整備し、今は構内が公園として整備されて全国から集められた貨車の保存が進んでいる。

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なにかの調べもので国鉄貨車のことをたぐっているうちに、ワラ1のことが出てきた(この貨車の脱線が鶴見事故のきっかけとなったとされている)。もとは四国の多度津で保存されていたものらしい。

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他の貨車は太子駅構内に集められているのに対し、ワラ1はなぜか六合ヘリポートの近くに置かれている。

長野原草津口駅から車で向かうと、この貨車が見えるので太子駅とわかる、と言う意味では、目印として使われているという事なのだろう。

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保存状態はとてもきれいだが、このままだと風化するのも早いような気がする。

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大昔、関水金属が二軸貨車としてワム80000、レ12000、ヨ6000を発売し、トミーも香港製貨車を発売したが、このワラ1やワム60000、70000は長い間Nゲージでは発売されなかった。二軸貨車といえばワムハチというのは後年の話(1984~)で、70年代の例えば山手貨物線や地方駅の側線などではこの黒い、プレスドアの貨車を見かけることの方が多かった。

うちにはKATOのワラ1があるはずだが、どこやったのか探さないと出てこない。

河合の東武鉄道ワラ1ならみつかった。3両のうち一部がカプラー破損している。そのうち修理しないと。

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太子駅は駅舎が再築されている。構内は入場料200円で公開されている。

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wikiではどんな列車が走っていたかわからなかったが、C11と無蓋車、ほかにタンク車などの姿が見える。気動車はキハ17系のようだ。

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ホッパーは一部が残っている状態。

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鉱山からホッパーまではコンベアにより輸送されていたとある。

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保存されている貨車は各地から集められたものらしいが、国鉄/JRのものよりは私鉄のものが多い。

大井川鉄道のCワフ0型は2両ある。かなり小さい。

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これも大井川のもの。保線に使われていたのだろう。

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茨城交通のトラ。国鉄のトラ55000相当か。

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トラ45000らしい。整備はこれからのようだ。

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さきほど少し触れたヨ6000があった。車内にも入れる。

世代的にはワラ1とかとほぼ同じで、最終型は1969年の製造だからつい最近(ですか?)。

というか、関水が初代ヨ6000を発売したころは最新型の車掌車だったのだな、考えてみると。

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この貨車は側面に社紋と形式しか書いてなかったので、どこの車両かわからなかったが、静岡鉄道のトコ1型というらしい。

片側の連結器がスクリューカプラーとなっている(もう一方は自連)。

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長野原草津口駅からは車で15分ぐらいかな。

まだ整備中という感じだが、いずれは三岐鉄道のような感じで貨車が集まってくると、マニアも多数訪れるようになるかも。

2024年10月31日 (木)

流鉄再訪

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先日新しいカメラを買ったので、慣らしにと思い、ここを訪れました。

選挙の前日ですが、お天気いま一つでしたね。

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色違いが楽しいのですが、ふつうに日中行くと2編成が往復しているだけなので・。

全線住宅地ですが、撮影ポイントはそこそこありますね。

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まだ慣れてないので、新しいカメラとか言いながら、つまんない写真ですみません。。

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こないだこれの仲間が京都の博物館行きましたけど、今年はあちこちで会っています。

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若葉号。この色になる前は山手線みたいな黄緑色ベースで、もっと前の低運101のカラーリングを引き継いだものでした。

その低運101(3000型)若葉号、のBトレインは今机のそばに飾ってあります。

動力化していたのですが、先日走らせようとしたら動きませんでした。

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今回は鰭ヶ崎から流山まで歩いてみました。

沿線はうちの近所みたいなふつうの住宅街ですから、不思議な魅力がありますよね。

 

2024年10月 6日 (日)

上信電鉄再訪

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連休の予定が一つ空いたので、近場で行くところを探しました。

下仁田は6年ほど前に訪れたことがあります。高崎の駅からちょっと撮影したこともありました。

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千平というのは下仁田の一つ手前の駅で、忘れてたけどここにも前回行っていたのでした。

山間の小駅で、駅周辺には商店らしきものはありません。住宅はいくつかありました。

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上掲の橋ですが、どうやら英国製らしいです。CARGO-FLEET ENGLANDと読めます。年号は見つけられなかった。

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以前訪れたときは西武車を中心に自社発注車やら色々走っていましたが、今回は107系(700型)がほとんどでした。

700型も、カラーは色々のようです。

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もともと107系は80年代風と言うか、JR初期の色変わり電車が多かった時代の車両なので、何色でも似合うようなところがあります。

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先ほど書いたように千平駅は終点の一つ前なので、戻ってくる電車は基本同じ車両なのですよね。

下仁田には留置線があるので、それと入れ替わることもあるのかな。

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165系時代から数えると、機器類は55年以上使っていることになりますが、長年の使用で信頼性は高いのでしょうね。

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これで3色目。

このカラーは以前は元西武101系が纏っていた色です。

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下仁田にて。

行くとつい撮ってしまいます。車籍はもうないのかな?

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これで4色目。

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今日初めて見た700型以外の車両。

この車両はもとは先ほどのサファリ模様を纏っていました。

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8月に西の方で黄色い電車に遭えましたが、ここでもまた。

そういえは新2000の2コテがどこかに行くらしいですね。2000系が他社に渡るのは初めてかと思いますが、どこに行くのかな。

2024年9月21日 (土)

中京地区乗り歩き (3)

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湯の山線往復の後、準急に乗って冨田まで来ました。

ほどなく列車が来たのですが、すぐには折り返さず、相当時間停車しています。

大江と同じで、終点にもかかわらず車内にとどまる人が相当数いました。

 

その間、改札口に行って(最初間違えて東側に行ったらそこは近鉄で、西改札まで行きなおした)一日乗車券(1200円)を買いました。

ものすごい猛暑で、どこか周辺をぶらつこうという気にはなれなかった。

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せいぜい駅撮りするくらい。生憎時間がわからないのですが、45分ぐらい待っていたと思います(1か月前のことで忘れてしまった。カメラ内蔵の時計も狂ってたみたいです)。

乗車した列車は富田12:07発のようです。

 

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401系ひさしぶり。

西武新宿線で乗っていたのは25年以上前でしたか。

シート以外の内装は往時と同じ配色に見えますが、壁などは譲渡時にやり直したのかも知れません。

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保々まで行って降りました。さっきまで乗ってきた101Fは車両交換の為、待機していたこれに乗り換えとなったようです(乗りませんでした)。

これ、異端車クハ1881ですね。事故廃車になったクハ1851の代わりに、旧西武クハ1238を三岐クハ1881として充当したといういきさつだそうです。

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三岐は今のところまだ西武天国の状態です。乗車したのは三岐オリジナルの復刻カラーでしたが、こちらが標準塗装ですね。

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もとはFS372Aのはずですが、FS342に換装されているようです。

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AK-3型空気圧縮機です。

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少し歩きます。

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既に211系は回着している状態です。

ここだけではなく、東藤原などの留置線にも何編成か止まっていました。

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いきなし。

このタイプの正面は、もうここでないと見られないのかな。

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いずっぱこにも10年ほど前にいて、やはり復刻塗装していましたが、あれは101系だったので、「目」が少し離れていましたね。

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さきほどの101編成は富田行きとなって折り返していきました。

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103編成ですが、これを見ると窓枠を塗装しているのがわかります。

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撮影中にやってきた保々止まりの列車に使われいてた、751系です。こちらは折り返しにならず、入庫するようです。

先ほどの1881と違い、もと西武新101系そのものです。

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またもや復刻カラー。

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だんだんどこにいるのかわからなくなってきますね。

電連の黄色は、三岐では何を意味するのでしょうか。

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などと、鼻血をだしていると今度は貨物がやってきました。

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三岐と言えば貨物列車ですね。。

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側線に入ります。

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絵になります。

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台車は東武ED5060あたりと同じかな。

繰り返しですがこの日は恐ろしく暑い日で(というか、今年の夏は毎日そうでしたが)、運転士さんの労働環境はさぞきつかったのではないかと。

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小休止の後、再び東藤原に向けて走り始めました。

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東藤原駅の賑わい。

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車窓から。この感じはワクワクしますね。

周辺がすべて工場敷地なので、車窓以外からの撮影は不可能なようです。

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保々から次の西藤原行きに乗りましたが、再び101Fにあたりました。

この電車もコイルのFS342(DT21相当)ですが、揺れるのなんの。ぼんぼん容赦なく飛び跳ねます。

揺れというか、ピッチングですね。西武時代の701系統がこんな揺れを示したことはないと思います(保線がいいので)。

DT21としても、中央線の山線走ってた115系なんてかなり乗り心地良かったし、水戸線の415系も悪くなかった。

はるか昔、東北線「ひばり」とかを思い出しますね。あれは120km/hでしたが、こちらは85km/hくらいかな。

旧国や国電時代の、エアサスでない台車は乗り心地が悪い、という印象がありますが、保線や速度次第だという気がします。西武1411(TR11)の新宿線時代末期に乗りましたが、わりとふわんとして悪くなかった。東武野田線や日光線の3000系列は、ぐずぐず走っているせいで乗り心地は気にならなかった。

 

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西藤原の終端はこんな感じ。

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駅舎はSL風味。

乗車中豪雨の時間がありましたが、この時雨はあがっていました。

保存機関車の写真は省略して、先を急ぎます。

伊勢治田まで戻って下車。歩いて30分ほどのところにある、北勢線阿下喜を目指します。

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歩く距離は大したことがありません。

ただ、何度も書いてますがものすごく暑いうえ、雨上がりで湿度が100%近いため、もう汗だくです。

駅が見えたころ、ちょうど列車が発車するところでした。1時間待ち。

昼飯を食べそびれたので、近くにある「あらやだ奥さん」という変な名前のパン屋でサンドイッチ買って、待合室で食いました。

阿下喜駅脇にあるモ220保存車は修理中でした。写真は省略。

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おなじみの270型。

全車冷房付きの編成ですが、冷房効果を上げるためドアは手前一つしか開いていません。

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さっきの西藤原もそうでしたが、ここでも乗っているのは私だけでした(発車前にもう一人乗ったかな)。

あすなろう線にくらべると、いささかくたびれが目立つ車内と、音はすごいがあまり効かない冷房が・。

13年前に往復乗ったことがありましたが、その時と変わりがないですね。

 

西桑名に着くころにはだいぶ車内もにぎやかになりました。

相変わらず激暑ですが、JR/近鉄の橋上駅にある自由通路を通り、次の行程へ。

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改札で切符を買いましたが、待合室はなくて簡単なベンチしかない。

余りにも暑いので一瞬身の危険を感じましたが、幸い電車はすぐやってきました。

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3両のうち中間車の一部には転換クロスが備えてあります。

1時間の行程なので、これは良い。

養老線はごく一部を除きロングレールではなく、おそらく短尺の10mレールが多いと思われますが、ジョイント音がにぎやかです。

昔の東急車は乗り心地が固く、ほんとうは整備の良い都会の路線向きなのですけどね。秩父鉄道の東急車も、乗り続けてると疲れてきます。

ただ、クロスシートはすこし落ち着く。

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大垣についたのは午後5時でした。

このあと、新快速で名古屋まで戻りましたが、313系はさすがに滑るように走ってくれて、大東海道線の貫禄を感じました。

というわけで、ほぼ乗り鉄三昧の2日間の記録はこれでおわりです。

2024年9月 8日 (日)

中京地区乗り歩き (2)

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翌日はこれに乗車。

西日野行きでしたので、まずそちらに行くことに。

 

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もとは伊勢八王子まで通じていたので八王子線なのですが、50年前の水害で西日野より先が廃止になりました。この駅も復旧時に移転開業したそうです。

 

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夏休み期間でしたが、学生がけっこう利用しているようでした。

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あすなろう鉄道に移管した際、車両をリニューアルしたそうですが、電車はとてもきれいですね。

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折り返しの電車に乗って、日永で降ります。

八王子線のホームはかなりカーブしています。

 

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帰りに車内から撮影しました。内部線との間のホームの三角地帯に、台車と車輪の保存展示がされています。

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内部線は列車交換可能な配置になっています。内部方面に行くには踏切を渡って反対側のホームに。

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ほどなく内部行きが到着。

朝の通勤時間帯ですが、けっこう乗客がいます。

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内部駅。

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車両基地があります。

庫内では職員の方たちがラジオ体操をしていました。

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機回しをしていた時代の遺構が残っています。

延伸計画もあったようですね。

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帰りは撮影のため、いったん赤堀駅で降車しました。

四日市にもほど近い駅で、内部線、八王子線双方の列車が来るので運転密度が高いです。

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八王子線の線路はもっと草に覆われていました。

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後追いですが。

あまりそんな気がしませんが、海が近いせいか川が多く流れ、それらをつなぐ?水路も設けられているようです。

50年前の水害も、そんな中で起きたのでしょうか。

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塗装のせいか、近鉄時代の面影をあまり感じません。

車内外ともにとてもきれいです。

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もうすこし内部方面に歩いて、踏切を渡ったところから。

こちらのほうが周りがすっきりしていますが、架線柱があるので善し悪しですね。

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さて、ナロー線をあとにして、名古屋線の高架ホームをあがり、湯の山線へ。

こちらも出自は内部、八王子線と同じナロー線なのだそうですね。

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昨日に続き、また1010系に出会いました。

3両なので、支線区にはちょうど使いやすい車両なのでしょう。

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車内は更新されているので、古さは感じません。

もとナロー線ですが、改修されたのは60年前の事で、その面影は全くありません。ただ、志摩線ほどではありませんが、結構カーブが多いようです。

道中ただの?乗り鉄をしていただけですが、桜駅と菰野駅の間、橋のある辺りになにやら引き込み線のようなものが、本線からカーブして伸びているのを見かけました。旧線の遺構のようですが、線路幅はスタンダードに見え、何なのかな?と思いました。

→旧線の線路敷を利用した保線車両の留置線らしいです。

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名前がいい感じですが、駅の周りに温泉旅館とかはなさそうです。

路線長15.4Km、行き止まり線で列車本数は30分おき程度、走る車両も名古屋口で見られるふつうの車両(車齢52年の1010系が普通かという議論はあると思いますが)と、その気にならないとなかなか行けない路線でしたが、いちおう乗車してみました。

というわけで、個性的な路線が集まる四日市を後にして、旅は最終章へ。

つづく

2024年8月31日 (土)

中京地区乗り歩き

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新幹線を降りて最初に乗ったのがあおなみ線です。

16号車付近で上りの新幹線を待っていると、目の前に見えるのでそのうち乗ろうと思ってたのですが、こんな時でないとなかなか機会がなくて。

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ホームドアがあって、一度乗っちゃうと撮りにくい。

電車はいかにも2000年代初期風の、日車風の通勤車です。なんとなく京成3000型を連想するので、スペックを見るまでは18m車かと思っていました。中身は313系に準ずるらしいですね。

鉄コレとかでも取り上げられていないようです。

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リニア鉄道館を出て、またあおなみ線で名古屋に戻ったのがちょうど5時過ぎ。そろそろ夕方のラッシュが始まっていました。

名鉄新名古屋は例によってカオスでしたが、並ぶ位置がわかりやすく示されているのは良いです。

準急河和行きに乗って大江まで。

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名古屋の鶴見線。

日中は列車がありません。

大江駅の専用ホーム入口に改札があり、ここを通ると東名古屋港までの改札が終了したことになります。

東武大師線と同じ方式ですね。

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電車は最新鋭の9100系です。運用に着いたのは今年かららしいですが、LED表示機ではなく、方向板を使っています。

昔はサハを機関車で挟んでプッシュプルとか、かなり半端もののような車両を使っているような記事をどこかで読んでいたので(相当昔の話です)、かなり玄人向けの路線かと思ってましたが、まあ普通。

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折り返しの列車が入線した時、車内は6割ぐらいの入りでけっこう混んでいました。

ひじょうに戸惑ったのは、折り返しのはずなのに車内には乗客が沢山残っていたことです。

もちろんヲタのような人は一人もいなくて、ふつうの勤め人やおばさんのようなひとが。

このまま金山まで直通するとか、そういう話は聞いていないし、それでは改札の意味がなくなってしまう。

 

どうやらこれは、改札に一度に押し掛けるよりは車内で少し待った方が涼しくて楽、という、生活の知恵だったようです。

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90℃の平面クロスがあると聞いていましたが、撮影に失敗(もっと手前です)。

帰りに車窓から見ました。帰りは混んでたので写真は撮れなかった。

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東名古屋港に着くところだと思います。

線路は先まで続いてますね。

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今思えばすぐ折り返すこれには乗らないで、平面クロスまで歩いても良かったのですが。

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名古屋に戻り、今度は近鉄に。

1111ぞろ目。これには乗らず、急行を待ちました。

裾が絞られているのがわかりますが、これはもと奈良線920系です。

昇圧(1969年)を生き延びた小型車の電装品と新製車体を組み合わせて登場、後に冷房化、新性能化を図り、更に名古屋線に転属して今日に至っています。更新後の車齢だけで52年です。

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普通列車に活躍する2000系。新ビスタ10100系の電装品を用いて1978-9年に製造された車両です。

こういう車両たちを見ると、東武も5000型とか、もうすこし頑張っても良かったかもしれませんね。1800の通勤改造もいいですが、電装品を移植すれば新性能5000が作れたのに。17型の部品も使えたよね。

今また18mになってるなら、3070あたりは冷改して2000の電装品と組み合わせれば使えたのにね。2080も。

なんとなく、話がまとまってしまったので、続きます。

 

2024年8月 4日 (日)

蒲原鉄道、新潟交通の保存車両

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先月末に新潟、山形南部を訪れましたが、その際廃止になった地方私鉄とその保存車両を見てきました。

訪れた都市、長岡、五泉、新潟、鶴岡いずれもかつては私鉄が走っていましたが、今は全て廃止になっています。

そのうち蒲原鉄道と新潟交通は30年ほど前に訪れたことがあり、その際乗車した車両などがまだ保存されています。

蒲原交通は冬鳥越のスキー場に保存車両があります。

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スキー場は今夏なので当然やっていませんが、施設には人がおり、保存車の整備もきちんとされているようです。

とはいえ、私はスキー客でも何でもないですし、施設内に入って近くで眺めることが許されるかどうかわかりませんでした。

ので、通りから望遠で撮影するにとどめました。

 

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この木造車両はモハ1型というそうで、蒲原鉄道開業時に作られた車両である由。

廃車後村松の車庫で倉庫代わりに使われていたものを復元したとのことです。

ということは;

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不鮮明な写真で恐縮ですが('92年8月。以下同じ)、これですね。

昔TMSにもストラクチャーガイドとして紹介されていましたね。ここからよく今の状態にしたものです。

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もう1両の電車はモハ61です。

廃止当時まで使われていた車両なのでしょうね。

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奥の方にもう一両、ED1というELがあります。

やや外装が痛みつつある様子です。

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木造車にかけられた屋根も、最近追加されたそうなので、ひきつづき保存整備が続けられることでしょう。

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機関車の現役時代はこちら。

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この2枚窓はモハ31ということで、保存車とは違うようです。

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こちらがそうなのかな。

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このときは気動車改造のクハ10に乗りたくて、朝のラッシュ時に間に合うように行ったのでした。

五泉からクハの狭いクロスシートに腰を掛け、TR26の乗り心地を味わいました。低速と言うこともありましたが、あんがい柔らかい乗り心地でした。

帰りはこの単行だったのかな。

これは五泉駅だと思いますが、駅の様子は変わっていたので、今でいうとどのあたりに相当するのか、現場ではわかりませんでした。

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たぶんこの辺りだと思うのですが。

中央付近に見える黄色い電車のようなものは、公衆トイレです。

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五泉を訪れたのは既に5時ごろでした。村松の方から来たのですが、駅跡(バスターミナルとして使用中らしい)を訪れるか迷いましたが、月潟に日のあるうちに着きたいので断念。

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ここも熱心な方々により、きれいに保存されています。

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ラッセル車と荷電とモハ。

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いわゆる日車標準型として、模型界では今でもけっこうポピュラーですね。

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これも、手ごろな大きさが非常にそそられるのか、模型ではよく見かけます。

鉄コレにもなっていますが、1/80で作りたいです。キットもあるけど、あまりいいのはなさそう。

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キ116。全国に同型が残っていますね。

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同じく1992年8月。東関屋。

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現役当時はこんな感じ。

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主力車両でした。

このほか小田急2200もいたと思います。

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路面区間で会った白山前までの区間は、撮影の直前に廃止されていました。

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まだ線路撤去前のようす。

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このとき乗ったのは元小田急のクハでした。

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車内。早朝だったので、乗客は私一人でした。

東関屋も白山前も、新潟駅からはかなり離れてますね。新潟は大きな町で、ちょっと車で来ただけでは様子はわからず、廃止跡を訪れることはできませんでした。

ただ、今も新潟都市圏はJRが四方に通じているものの、都市交通はバスが中心ですし、地盤が軟弱なので地下鉄も広島と同じく難しいでしょうから、宇都宮のようなLRTができるといいのですがね。。新潟交通も今更ですが、新潟駅まで乗り入れるとかできていれば、経営状況も変わっていたかもしれません。

という訳でした。

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