2021年10月17日 (日)

でんしゃがはしる

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ここのところ多忙で、なかなか更新ができなくなってしまった。

先月買ったリバティも、開封すらしていない。。。

 

それで、この絵本(山本忠敬作、絵 福音館書店2016年再版)です。

5年前、丸善の児童書コーナーで見かけて手に取ったことはあったのですが、その時は買わずにいました。

 

ただ、再版されたものももう書店では入手できなくなっており、いちおうあの時代を生きたものの記念にと手を出しました。。

 

初版は1978年6月です。

山手線を一周させて、そこで出会う電車たちを描いた絵本です。

 

ぱっと目を引く表紙は、編成番号や運行番号がどうもただものではない、という雰囲気です。

友人によるとおそらくこれは、場所は大崎電留線、時代は1977年ごろではないか、という推測です。

編成札緑が品川区、赤が池袋区かな。

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電車は外回りで、品川を出発して京急600(もちろん初代)と交差し、大崎でEF15の貨物列車とすれ違う。

五反田では池上線、次いで目黒で目蒲線3000系を横にして走ります。

渋谷では東横線8514の桜木町行き、7015の急行渋谷行きの下をとおります。

 

代々木では101系三鷹行きが走っていて、横を見ると小田急3100系「はこね」が新宿駅に進入しようとしている(なぜか右側の線路を)。

上の写真は新宿駅ですが、これは見開きになっていて、右側にも電車がならんでいます。5番線に165系「内房」4番線は特快東京行きの103系一次改良型、3番線はスカ色115系で方向幕に「甲府」その右は113系「急行」1番線はちゅうおうせん189けい とっきゅう「あずさ」です。

これまでの記述でわかるように、この本、けっこうリアルな描写でありながら、すこしだけ、突っ込みたくなるところもそこここに見られます。

巻末には福音館編集部から「この絵本がノンフィクション仕立てであることから、電車に関する絵やキャプションなどの誤りについても多くのご指摘をいただく結果となってしまい、・・」これまで再刊できずにいた、と書かれています。

あとは本を見ていただくしかありませんが、いまどきのアマチュアさんがリアルに描いた絵よりも、こちらのほうが楽しさや、作者の意図が伝わってきて、細かいところなど別に良くなってしまいます。

とはいえ、著作権のこともありますから、あまりたくさん写真を掲げるわけにはいきませんね。

ちなみに、上の新宿駅の写真右側に見えるのは西武新宿「ぺぺ(プリンスホテル)」ですね。当時できたばかりです。

このあと、高田馬場ではこれまた新鋭の西武2000系と701系、目白の先ではレッドアロー5000系と交差します。

池袋には隣に赤羽線(方向幕は「赤羽ー池袋」)、隣に東武8000系(「池袋ー川越市」なぜか急行)が。

大塚では都電7000新旧(新のほうは最新鋭)と交差。

 

日暮里に着くとスカイブルーの103系や485系「ひばり」と並走。上を京成AE(色は茶とクリーム)、画面隅にちらっと見える「けいせいせん でんしゃ」はオレンジとクリームのツートンですが、グロベン、片開き高窓なのでたぶん新京成800とおもわれ。

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上野がちかづくとますます賑やかに。

じょうえつせん 153系 きゅうこう でんしゃ は、なんとなく、非冷房のようなきもします。

この後東京駅や品川客車区辺りは更ににぎやかです。

 

お子様むけなのですから、細かいことはきにしない・・んじゃなくて、お子様ほど非寛容ですからね。。

お子様のまま大きくなられた、おっきなおたくのお友達も、色々いいたいことがおありだったのでしょう。

 

それでも、この本がとても楽しい思い出だという、お子様は多かったらしいです。

そして今、この本を眺めると、あの頃の様子がりあるに浮かんでくるなあ。。

 

2020年7月 5日 (日)

最近買った本

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そろそろ出かけても良いかと思った矢先に、連日感染者100人越えとかで、さてどうしたものかというところです。

先日久しぶりにRMライブラリー「日本の蒸気動車」を開いて、そういえばJR東海の博物館に展示してあるんだったな、と思いじゃあちょっと行ってくるか、などと考えもしたのですが。。

とりあえず、図書鉄資料鉄です。

N電。電子書籍で買いました。RMライブラリーは徐々に電子化されるのか、電子では買えないものもあるので、よくわかりません。

N電も明治村か、梅小路に保存車がありますね。見てみたい気はあるのですが。。

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じつはこれは最近買ったのではなく、昨年末ぐらいに買いました。戦前鉄、興味深いのですがここではあまり東京の北西部の鉄道は出てきません。昭和初期ー終戦前後の、首都圏の鉄道に触れた記事を見聞きして良く思うのは、路線などは今と同じものでも、それらが当時まだできたばかりだったということです。本書でも小田急について触れていますが、開業直後の状態です。

各路線とも、今つくばエクスプレスを新しいと感じるぐらいの感覚の鉄道だったのでしょうね。。

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2012年ごろの発行ですが、上下巻のうち上巻は売り切れで入手できていません。電子化されるといいのですが。。

廃線跡を訪ねることはあまりしないのですが、掛田駅駅舎をはじめ、多少の遺構は残っているらしいし保存車もあるそう。場所も手ごろなので、そのうち軽く訪ねてみたい気がします。。

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最新刊かな。

5000系は地方で多数活躍していますが、6000のほうはあっという間に消えてしまった感じが強いです。

個人的には小学校4年の春休みに、親戚と多摩動物公園に行ったときはじめて見て、非対称な正面とか全幅にわたりつながったように見える方向幕/種別幕に非常に強い印象を受けた記憶があります。その2年ほど前、家に車が来てからは電車に乗ってなかったので、新しい電車のことは知らなかったのです。

去年GMのキットを買ったのですが、まだ組み立てていません。クーラーの配置など、これで少し勉強してから着手しようかと。

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在庫僅少です、と書泉からツイートがあったのを見て、慌てて買いました。

明治初期の官鉄、山陽鉄道の時代から、全国の急行列車の歴史を追っていく企画で、1978年から1996年までの長期連載だったそうです。なんでも、あまりにも企画が壮大過ぎて、途中で頓挫してしまったらしい。これはそのうち、東海道、山陽本線を中心にした記事をまとめたもの。

まだ冒頭1/10ぐらい、超特急つばめが出て、丹那トンネルが開業した辺りまでしか読めていません。

ピクトリアルしか知りませんが、さいきんはこういう大型連載、ないみたいですね。青木栄一さんとか、曽根悟教授とか、昔は有名な著者のかたがたくさんおられたのですが、いまはどうなのかなあ。

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残り2冊は古書です。

これは買い直しです。たしか高校生の頃、神保町で買った記憶がある。それが、転居その他で見当たらなくなり、ずっと探していたのですがあきらめて買いました。もう一冊、同年の12月号(西武5000系が表紙)も探しているのですが。。

西武101系の記事は見開き2ページだけです。この時代のファン誌はわりとアカデミックな紙面構成のことが多く、この号でも最初は当時話題のガスタービン車の動きについて、世界各国の様子から概観しています。九州の鉄道旅行記は、ちょっとジャーナル誌っぽいです。

海外の鉄道、ここではスカンジナビア半島の鉄道の現況と、旧大陸の蒸気機関車の記事が出ていますが、これもこの時代っぽいですね。戦前の大陸の鉄道に関する記述は、当時を知る人が多かった時代にはかなり誌面をにぎわしていました。40年前には、旧満州の鉄道を訪ねるツアーなども盛んにおこなわれていたようですが、今はほぼ皆無なようです。

当時はノスタルジーをかきたてる存在でしたが、今の大陸はまた別の存在になっていますからね。この先もしかしたら、海外鉄が盛んになる可能性もなくはないですが、少なくとも今年はちょっとね。

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同じ年の、ピクトリアル5月号です。国鉄の運賃改定の記事が冒頭に出ていますが、この年旅客運賃体系が変わり、等級制からモノクラスになったのですね。前年のダイヤ改正に続き、通勤輸送や翌年の万博開催に向けての準備など、かなり大きなプロジェクトが目白押しのように見受けます。やはり時代のスピードの違いを感じます。リニアなんて、生きているうちに大阪まで届かないかもね。。

東西線が全通して、直通運転が始まったというのがもう一つのニュース。千代田線用チョッパ制御車も、技術的に興味深い話題として取り上げられています。

ここでも旧日本領の鉄道事情についての記事があります。国鉄総裁室の方の執筆で、サハリンの鉄道事情。樺太時代に、日本が敷設した鉄道(1067mm)の現状と将来の展望について触れ、規格が日本と似ているので、車両輸出など、日本の技術が生かせる市場になりうる、とまとめています。

ちょっと興味があったのでウィキで調べてみましたが、サハリンではソ連崩壊後の経済混乱で、鉄道もかなり打撃を受けていたが、最近では近代化が急ピッチで進み、軌間も1067mmからロシア標準の1520mmへの改軌がほぼ完了したとのこと。記事に出てきた新鋭ディーゼル機関車(16型)は近年まで活躍を続け、今世代交代が進んでいる由。鉄道博物館があり、終戦直後に輸出されたD51や、90年代に中古で海を渡ったキハ58なども保存されているらしい。日本から近く、北海道と経済交流も盛んなので、機会があれば一度訪れて・・。

というわけでした。

 

2020年1月27日 (月)

私鉄特急

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ちょうど今月のピクトリアルがレッドアロー50周年ということで、5000系のこともだいぶ詳細に触れている。

それで、ふとこの本のことを思い出して実家から取ってきた。

山と渓谷社 発行は昭和53年10月30日で、私が手にしたのは翌年の夏。ちょうどいちばん多感なころの、私鉄花形電車が網羅されている。関東私鉄で言えば東武DRC、急行だが1800りょうもう、東上線「みつみね」、関西の南海は初代ズームカー「こうや」1001系「四国」一般車7001系による本線特急、キハ5501の「きのくに」など。

懐かしいというよりは、自分的にはそれがデフォルトみたいな世界がそこにある。

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撮影は広田尚敬氏、解説文は吉川文夫氏という、当時のゴールデンコンビ。

吉川氏は軽妙な文体で定評があったが、早世してしまわれたのが惜しまれる。

広田氏の写真に最初に触れたのは、以前紹介した子供向けの本「れっしゃ」だったが、本作でも非常に美しいカラー写真が多数掲載されいる。

この時代の写真事情にそれほど詳しいわけではないのだが、ほとんどの写真は35mmカメラ(キヤノンF1)で撮影されている。京王だけは中判で撮られているが、ほかはF1、レンズも50mmF1.4をF4ぐらいに絞って使っているのが中心。

フィルムはKR(コダクロームのISO(当時はASA)64)が多い。これが当時の商業写真の、標準的な撮影機材、フィルムだったのでしょうね。

特に50mmレンズの多用は、懐かしいというかなんというか、ちょっと考えさせられます。今だとまず、こんなきれいな構図で撮影の出来る舞台があまりなくて、いきおい高倍率ズームでかつかつに撮らないといけなくなってしまうような気がする。

こんど、単焦点レンズばかり持って、撮り鉄に行ってみようかしら。

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あまり誌面を引用するのは考え物だが、こちら、阪急三宮の、あの印象的なアーチに入っていく5100系。

ちょうど先週は1.17から25周年ということで、テレビでも追悼ドラマとかをやっていたので、ページをめくっていてふと手がとまった。

広田氏もこのビルを神戸線の象徴と捉えて、このアングルから撮影されたのだろう。

左側に時刻表か何かを眺めている、この頃にしてはすらっと背の高い感じの若い女性が映っている(人物がおおく映りこんでいるのも本書の特徴だ。今だったら色々難しい話になるのかもしれないな。。)。この方も震災をくぐり抜けて、今頃どうなさっているのでしょうか。。

そんなことを考えさせられる一冊でした。

2018年12月 9日 (日)

鉄道ピクトリアル 近畿日本鉄道特集

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ピクトリアルの特集のうち、東武鉄道の特集は過去のものもかなり網羅していましたが、近鉄の特集はさっぱりです。手持ちの近鉄特集は今回のものを含めて3冊だけです。
ピクの特集は出れば買うというほど徹底はしていなくて、最近では東急の特集も見送っています。書架のスペースがないので、買うときはかなり迷います、さいきんは。
 
近鉄に最後に乗ったのは7年前で、とにかく最近のことはわかりません。時代的には赤一色の一般車と、オレンジとブルーの特急が一番らしく思える世代です。
ので、「いまの近鉄」をすこし勉強しようかと。
 
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本題とずれますが、この2冊を徹底的に頭に叩き込んでいるので・・。なんというか、黒澤明の映画ばかり見ていたフランス人が、あこがれの日本に来てみて唖然とする、みたいなことになりかねない状態です。
 
でもまあ、徐々に世代交代はしているとはいえ、奈良線8000系、大阪線2430系、南大阪線6020系、そして12200や16000あたりの特急車がまだ残っているというのが、奥ゆかしくていいですね。。車両担当者が書いていましたが、特急車で50年、一般車では60年程度の寿命を見込んでいるということですので、長寿でおめでたいお話だという気がします。
 
それにしても、近鉄車両の系譜は、外部の人にはかなりわかりにくい部類に入るのではないでしょうか。。
 
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本特集でも一般形クロスシート車として紹介されていた2600系(のつもり)です。
1980年竣工時は2430系(のつもり)だったのですが、実は中間車は8400系モ8400(のつもり)として1978年にペーパーで自作した車体を、モハ153を改造した足回りで駆動していました。中間車だけ裾絞りの車体というのはインチキが過ぎるため、1983年にキット改造の中間車2両を増備、トイレを設置(=窓を白色プラにした)、動力は早々に廃車になった12200系のものを利用(ちなみにこれはエンドウの30000系ビスタカーと同じもの)し、2600系として生まれ変わりました。づらづらかいて、わかってくれる人がいるのでしょうか。。
 
もとのキットがラインデリア仕様のため、本車両も冷房化以前、いちおう1978年ごろの姿(のつもり)です。排障器は本形式の場合、最初からついていたようですね。なお、動力車以外の台車は、当時指定されていたGMのDT46(直接装架式の、試作車仕様)です。
 
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収納箱に当時のキットの表紙?を張り付けてあります。
GMではエコノミーキットとして長く売られていたと思いますが、今もあるのかな。
たしかこれ、だんだん思い出してきたけど、張り上げ屋根がカーブのところで分割していて(ふつうの103系などと同じところで屋根と車体が分かれている)、パテ盛りしてきれいに仕上げないと継ぎ目が目立ってしまう仕様だったはず。。
 
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2600の写真はあるはずなのがすぐ見つからないので、代わりに西大寺で撮った8000系ラインデリア車の写真を。
 
近鉄は通勤冷房車の導入に一瞬迷いがあったようで、昭和42年ごろから各線でラインデリア車(現在一般的な冷房車の補助送風機として使われているものを、換気装置として冷房機なしで装備したもの)を新製配備した。そのせいか、一般車の冷房装備は、クロスシートの機器流用車2680系こそ1971年に作られたものの、在阪私鉄の中ではワンテンポ遅れた。ラインデリア装備車は、従来の車両より屋根のカーブがきつく、屋根全体が低い。8600系などの新製冷房車は逆に屋根がより深く、高くなっている(風道の関係か)。ラインデリア装備に冷房準備という意味合いがあったわけではない。一般車は冷房なしで換気を改善すればよい、というつもりだったのだろう。
 
今となっては、ラインデリア装着の有無でどの程度換気効果がちがったのか、確かめようもないが、少しは涼しかったのでしょうか。。
 というのも、子供のころ自分の部屋には冷房はなく、代わりに「ウインドファン」を付けてもらっていた。窓付け換気扇みたいなものだが、あれ、今でも売ってたら使ってみたい気もするな(冷房、あまり好きじゃないから)。
 

2018年6月20日 (水)

こどもの観察カメラ れっしゃ

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オールカラーの、すっきりした装丁の児童書。
発行は1969年と、半世紀近く前の本だ。子供向けの本を多く出している、フレーベル館の本。この装丁のセンスは、今店頭に並べても違和感ない気がします。
 
撮影と解説文はなんと、あの広田尚敬氏である。当時は気鋭の若手写真家でらしたのでしょうね。。
 
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1号機関車の模型写真から始まり、新幹線、海外の鉄道(主に欧州)と、幅広く紹介している。(書籍なのであまり詳細に引用しては差しさわりがあるかもしれませんが、何しろ昔の本ですので、とりあえず。。)。
 
ちなみにD51の解説で「D51は1115両もつくられ、日本一顔のひろいきかんしゃです」と書かれているのを読んで、(煙室扉がでかいということだろうか。でもなんか違う気が?)、と子供らしからぬことを考えていた記憶があります。この解説文、かなり大人向けの書き方がされていました。
 
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子供向けなので1ミリぐらいの厚紙にコーティングして写真印刷していますが、技術的なことはわかりませんが、解説文の印刷が多少かすれています。当時、親が読みにくくなっているところを加筆してくれたようです。
 
小田急だけは実物を知っていましたが、他の車両はこれを見て初めて知りました。当時は名鉄のほうがカッコよく見えたな。
 
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海外はアメリカの「メトロライナー」と、オランダやデンマークの鉄道など。右側の黄色い機関車の写真はイギリスで、光の加減で線路が金色に見える。それで、どこかで鉄道模型の真鍮レール(たとえばカツミの金属道床線路は真鍮レールだった)を見て、ああ、外国の線路は金色をしているんだ、と理解していました。。
 
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さて、今回のオチです。
このページは各地で活躍するディーゼル、電気機関車の写真ですが、注目したいのは右下のED77です。
 
きれいな写真ですが、この色、どこかで見たような気が。
 
 
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交流電気機関車の塗装はED70以来、赤2号、つまり上の181系の窓周りと同じ色だったはずですが、なぜかこの写真はディーゼルの朱色4号に近い色合いをしているんですね。
 
それで、かつての関水EF70が、やはりオレンジ系の色をしていて、どうしてこんな色合いをしているのか不思議という議論があった(後年になって)のですが、子供の頃はとくに違和感を感じなかった気がします。それは、この写真を見ていたから。 
 
それにしても謎です。この目で交流機を見たのは13歳の頃(ED71)でしたが、あれはオレンジ色には見えなかった。
当時はコダクローム系が使われていたと思いますが、たしかに多少渋い発色になる傾向があったとはいえ、こんな風に色が転ぶのは普通だったのだろうか。。
 
しかし、同じ色が転ぶなら、「しおじ」の色もオレンジになっているはずでしょうし。。なぞです。。
というより、もしかしたら昔の交流機は本当にこういう色をしていたんじゃないか、私が知らないだけなのかも、という気がしてきます。。
 
余談ですが、右上の「みずほ」の写真の片隅に、青い屋根の小さな家が写っています。子供のころ、きっとこの家の人は、毎日窓を開けると色々な電車が走っているのを目の当たりにしているのだろう。なんて羨ましい・・と思っていました。
 
それにしてもここはどこなのだろう。大船とか茅ヶ崎のあたり?
 

2018年5月28日 (月)

鉄道風景30題

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川田耕一著 機芸出版社2008年
 
さいきん出た本ではなく、もう10年も前の出版だ。刊行当時は知らなくて、丸善の書棚に並んでいるのを見たのは6~7年前だったか。。
 
手元に丸善の商品券があったので、ゴールデンウィークの少し前に思い切って買ってみた。
 
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同じ機芸出版社の「シーナリィ・ガイド」(1974年)とテーマ、題材の取材年代は変わりない。多忙な本職の合間を縫って、全国の鉄道とその周辺を撮影、取材したものを回想している。「シーナリィ・ガイド」は鉄道模型趣味誌に掲載されたものの再録で、その趣旨に沿った書かれ方をしているが、「鉄道風景」のほうは、もっとゆったりした昔語りのような文体である。
 
掲載された写真の少なからぬものは、「シーナリィ・ガイド」や同氏がやはり投稿していた鉄道ピクトリアル誌に掲載されたものの再録となっている。私は「シーナリィ・ガイド」はそれこそ毎ページ暗記するように何度も見ていたので、たいていの写真は「ははあ、これは」と気がつくものが多い。以前はわからなかった撮影時期や、関連する新しい写真を見ることができる。
 
写真が主体ではあるが、どちらかというと随想の部分の比重も大きいようで、適当に開いたページをつまみ食いするように眺めるのに向いている。全体を一気に読もうとすると、散漫な印象のほうが強くなってしまう。それと本書は、ある程度当時(昭和30年代~40年代)の鉄道事情を知っていることを前提とした書きかたをされているように思う。平成生まれの若い方が読むと、また違う印象を受けるかもしれない。とはいえ自分もシーナリィ・ガイドは予備知識なしでガリガリ読んだくちなので、若い人はそれなりに読んでしまうものかもしれないが。

2018年2月26日 (月)

ピクトリアルが153系特集

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今週は記事2本くらい書けるかと思っていたのですが、やはりダメみたいです。。
 
軽くまとめます。
 
表題の通りですが、最近ピクトリアルで買うのはこういう国電特集みたいのばかりです。去年は583系、72系、さいきんでは103系と。手持ちの雑誌を大量に処分してからまだ1年ですし、そう簡単には買えません。。
 
現代史なんかだと、例えばナチス時代の考証でも時代とともに研究が進んで、昔とは論調が変わったりしますが、さすがに鉄道車両でそういうのはないんじゃないかとは思います。。
今回も概要等の記事は特に目新しいものはありませんが、写真は例えば当時のビュフェの様子など、興味深いものがいくつかありました。
 
ビュフェは今見ると、羨ましい感じがします。軽く一杯やりながら(酒弱いのでちょっとでいいです)、寿司をつまむなんて、今の自分ぐらいの年配になってちょうど似合うような感じがして、しかしながらもはや長距離急行もサハシもサシもいないという不幸。。ただ、当時の東海道の軌道保守はどうだったのでしょうね。グラスのビールがこぼれたりしなかったのかな。。
 
一番気になったのは、普通車が冷改された1974年の急行「山陽」の写真。サハシもサロも連結した10連、ビュフェは非営業だったようですが、サハシの客室が冷改された姿は珍しい。これ、うちの関水153系で近い編成が再現できそうです。というより、関水の初期の製品(全車冷改済)の姿で、実物が走っていたことがあるのか、ということに興味があって、たぶん全車冷房付き、サハシもついた急行というのは、ここだけしかなかったのかもしれない。それも、71年ごろから新幹線博多開業までのごく短い期間にだけ見られた編成ということになりそう。153系はやはり普通車(3等/2等)が非冷房の時代のほうが、より元気に活躍していた車両なのでしょうね。。
 
また思いついたのだけど、先日増備したMM'を使って、サハシを外した7連にしたほうが、より70年代的な153として見られそうですね。。サロも外してローカル運用とすることもできそう。あまり夢のない話ですが。。

2017年11月29日 (水)

中尾氏のレイアウトプラン

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ネット上でもと機芸出版社の中尾豊氏が亡くなられたいう記事を読んだので。
 
特に面識があったわけでもなく、こんなところで他の方の興味をひくことを書けるわけでもないが、上に掲げたTMS(’74年6月号。以前書いたが、最初に買ったTMS)の折り込み図面と記事には強い思い入れがある。そのことだけ書きたい。
 
当時は小学5年生で、郊外住宅地に住む身では情報も限られており、模型に関する知識といえば、買ってもらったブルトレセットについていた、関水金属のカタログとレイアウトプラン集だけだった。それらをひとしきり読んだのち、模型店で売られていたTMSを買った。当時はほかに鉄道模型に関する雑誌、ムック本などは身近にはなかった(誠文堂新光社「Nゲージ」を買ってもらったのは、その年の秋)。
 
今読み返せば、子供には理解できないことも多数書いてあるが(またこの号はかなり地味な記事が多いのだ。。)、日本語の読解自体は問題ない年齢だったし(背伸びしたい年齢でもある)、自分ではわかっているつもりで読んでいた。中でも気に入っていたのが、二つのレイアウト記事(都市型組み立て式レイアウトと、この中尾氏のプラン)である。
 
この頃TMSでは、中尾氏の手になる折り込み図面が、看板記事の一つだった。制作記とタイアップした車両図面が多かったが、実物車両の紹介という形で、ディティール写真等を交えながら図面も掲げる、という記事もあった。この前後の号でいうと、キハ391(ガスタービン試作車)や、581,583系電車など。この年の5月号では、フリーランスの電車の記事とともに、折り込み図面を掲載して論議を読んだことは、以前にも書いた。
 
折り込みは車両の図面だけではなく、上のようなレイアウトプランなども掲げられた。この後、75年3月号でも、プランの記事を載せている。ただ、その後まもなく、折り込み記事は姿を消してしまう。
 
上の記事の話に戻る。レイアウトプランの記事を見たのは、これが生まれて初めてのことだった。ので、ひよこが初めてみた相手を親だと思うように(違うかな。。)、このプランこそが、自分が作るべきレイアウトプランだと、当時はとても気に入っていた。
 
それで、実際に2年後に作り始めるのだが、その辺の話はいずれ。書いているうちに夜が更けてしまった。
 
急いでちょっとだけ付け加えると、このプラン、機回し線や引き揚げ線等に特色があるが、基本的には蒸機列車、それも小編成の列車を前提としている。20m級客車はせいぜい3両ぐらい、貨車も数両の2軸貨車を連ねたぐらいの編成でないと、機能しない。ケイディーカプラー(マグネマティックカプラー)による、自動連結、開放も前提としているようだ。ちょうど、中尾氏の制作した「蒸機のいる周辺」、レイアウトセクションの記事ともつながるような、小編成列車の入れ替えが念頭にあるらしい(それだけでは、と思われたのか、2列車を同時に走らせ、時にぼんやりと眺めるような運転にも配慮した、と記事にはある)。
 
ので、最近の長編成指向の運転とはまた別な考え方のプランで、案外マニアックなものだ。
これもくりかえし書いているが、「うさぎ鉄道」の風景の基本はこのプランへのオマージュである(かなり違うが、気持ちだけ)。もっとも、うさぎ鉄道のほうは、ひたすら「ぼんやり眺める」運転に徹している。
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何か、我田引水みたいな話になってしまって申し訳ありません。
ご冥福をお祈りいたします。
 

2017年3月18日 (土)

鉄道雑誌

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時折ここで触れているように、近々転居を控えている。転居先の都合もあり、手持ちのものを整理しているが、特に問題となるのが書籍、雑誌、資料などの紙類だ。
 
鉄道雑誌、鉄道模型誌について、ここ25年ほどは鉄道ピクトリアルを中心に購読してきた。最初に鉄道関係の雑誌を買ったのは1974年6月の鉄道模型趣味だが、それ以後一貫して43年間買い続けた雑誌というのはない。
 
鉄道模型趣味は’74年から買い始めて、10年間くらいは全号そろっていた。80年代の後半から90年代初めごろまではあまり買っていない。その後復活したが、2000年ごろを境に再び中断、たしか800号の記念号は後から買って、その後数冊買ったかどうか。山崎氏が筆をとっておられたころの記憶が忘れられないというのもあるし、最近の模型界の情勢についていけなくなった、ということもある。
 
とれいんは創刊号が書店に並んでいたことを知っている。書店で最初に買ったのは’75年8月号で、9月号も買ったが、月刊誌を2誌購読することは子供には厳しくて、しばらく中断。’76年1月から1年ぐらいは鉄道模型趣味と並行して買っていた。’77年以降は気に入った記事があるときだけ買っている。とはいえ、とれいんは雑誌としてはかなり高価な部類となり、もう何十年も買っていない。RM誌はよりカジュアルな内容だが、80年代の一時期買っていたことがある。
 
模型誌から入っていったので、実物誌を買うことがなかなかできずにいたが、’76年11月のジャーナルをはじめ、年に数回は気に入った記事のものを買っていた。’80年夏からはジャーナルを毎月買うようになった。種村直樹氏の自伝が掲載されていたころだ。
 
私にとって国鉄改革の前後はどうも暗黒の時代という印象が強い。80年代前半は地方路線の廃止、貨物の合理化、労使関係の悪化、職場規律の悪化のような暗いニュースが続き、鉄道趣味を続けること自体、苦痛に思えるようになっていた。 
 
ので、80年代後半ごろはあまり鉄道にコミットしておらず、だいたい自動車関係の雑誌とかを読んでいた。今から思うと、自動車時代は10年あるかないかというところで、鉄道に比べると短いのだが、車を買ってどこかに出かけたりとかをしていたので、それなりに印象は強い。車雑誌関係は一部を残してほとんど処分してしまった。
 
その後は鉄道に戻り、先ほど書いたようにピクトリアルを主に購読していた。ピクトリアルは鉄道専門誌の中では比較的薄くて保存はしやすいが、さすがに20年を超えると一定のボリュームがある。たしかピクトリアル900号のとき、鉄道研究家の根本幸男氏の書架が掲載されたことがあったが、900冊のピクトリアルで本棚一本分ぐらいはあっただろうか。
 
根本氏ほどの年期もこだわりも持つことができない私にとって、手持ちの雑誌すべてを保管し続けることは難しい。これまで、今思えば大変幸いなことに、保管スペースについてはそれほど気にしなくてもよい環境にいた。これからはそうはいかないし、今後もアーカイブスは増えていくことだろう。ので、自分にとってそれほど重要でない号については、処分することにした。 
 
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たくさん並んでいるように見えるが(そうでもないって?)、これがすべてではない。古い号は別の場所にあり、それは処分しない。ここにあるのは90年代半ば以降のもので、いまのところおよそ半分を処分することにしている。
 
まだ簡単により分けただけだが、90年代以降の鉄道模型趣味誌は大部分が処分される見通しだ。70年代のTMSはどれも-自分のジャンルとはちがうものであっても-記事として読ませるものがあるし、どこに何が書いてあったのか、ほとんど暗記しているものもおおい。90年代以降のもので、印象に残った記事、今でも思い出せる記事というのはほとんど存在しない。
 あくまでも自分の主観だ。紹介されている製品の出来、技法のレベル、文章、どれをとっても、最近のもののほうが格段に優れている。それなのにというか、だからこそ、昔の素朴な模型の素人っぽい文章による紹介記事のほうが、好ましく思えるのかもしれない。
 
ピクトリアルでは、車両ごとの特集、例えばオハ35系特集とか、キハ58系の現状、みたいなのは無条件で残したくなる。反面、信号設備の特集とかなどは、どうしても処分に回る確率が高くなってしまう。地域別でもたとえば、中央線今昔みたいのは残したいし、それ以外の東海、関西地区あたりになると、やや関心が薄れて処分に回ってしまうのはやむを得ないところか。
 
業者さんは明後日に訪れることになっているが、事前に問い合わせたところでは普通にある雑誌などはあまり値がつかないこともあるとのこと。正直、私も自分にとって値打ちのあるものは手放す気もない。。逆に言えば、そういうものを残しておきたいからこそ、網羅的な保存ではなく選別をせざるを得ないともいえるのだ。。
 

2016年12月 4日 (日)

「編集長敬白」が年内に終了(と、201系)

趣味界では有名なブログ「編集長敬白」が、名取編集長の退任に伴い、年内に終了することになった。

 
正直、毎日チェックしていたわけではないが、趣味性とニュース性が適当にバランスされた内容で、編集のプロらしく読ませる内容だったので、好きだった(まあ、好みが必ずしもシンクロしていたわけでもないが、その辺は自分なりに適当に読み流しながら。。)
 
名取氏の場合、趣味と仕事がかなりの割合でシンクロしていたわけで、うらやましい気もするが、それなりに気を使わないといけなかったり、私たちの知りえないご苦労もあったのでしょうね。ご苦労様でございました。
 
ブログが始まったのが11年前と書かれていた。2005年、平成17年である。それほど昔のこととも言えないが、つい先日、とも言い難い微妙な年代だ。
 
名取氏の記事にも書かれている通り、この10年のネットの進歩は、ブログから各種のSNSへの変遷をたどり、より即時的、断片的な情報が飛び交うようになった。ツイッターなどでは例えば、新車の甲種回送の様子がリアルタイムで人を変えながら報じられたり、一般の人でも事後現場の様子を、テレビニュースよりも早く詳しく投稿している。
 
とはいえ、そうした進化の方向性は、11年前にも示されていたことであり、技術の進歩に伴い、徐々に実現してきた、とも言える。これが21年前、1995年となると、インターネット上のコンテンツはごくわずかなもので、携帯やモバイル機器で画像を送るなど考えられなかった。
 
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 名取氏のブログが始まったころ、より半年くらいあとかな、中央線の201系置き換えの話が新聞にでた。たぶん、ネットの新聞記事を見たような気もするが、当時はまだ紙で読んで、時折スクラップにしたりしていたな。。
 
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 中央沿線の同僚(非鉄)がいて、ランチのときにそんなことを話題にしたのを覚えている。
私は中央線OBであり、ちょうど201系の全盛期?であった90年代初めの数年間、通勤で利用した。その後も、用務先に週に数回利用するなどしていたので、なじみ深い車だ。
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 ’05年の12月、はじめて買ったデジタル一眼レフ(Nikon D70s)で撮影した。センサーサイズの関係で、フィルム時代とは画角が変わり、手持ちの70-300mmのレンズがより望遠寄りに写せるようになった。それが面白くて、何度か撮影に行った。
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 201系試作車は、友人が持ってきた鉄道ファン(’79年4月号)で初めて知った。同年8月の、営業運転初日はニッポン放送の昼間のラジオニュースで知り、急遽新宿まで出かけたら、偶然201系が入線、そのまま高尾まで乗車した。カメラも何も持っていなかった。(自分のカメラはなかったし、フィルムは普段入れておかないものであり、どこかで買う必要があった)。
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 ’84年ごろ、両国かどこかまで毎日バイトに出かけ、すれ違う快速線にピカピカの201系が増えているのを実感。もらったバイト料でGMの201系量産車キット一式を買った。今でも探せばあるかな。
 
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 通勤で利用した数年間で、座席の色が茶系統から水色に、正面の特快ヘッドマークが電照式に、スカートがつき(これはいつだっけ?)、連結面の窓が塞がれた。電機子チョッパ制御のモーター音は独自のもので、高架線を走っていると遠くまでその音が鳴り響いた。
 
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KATOのこの模型を買ったのはたしか、'97年ぐらいだったかな。。
当時の最新の姿だったと思う。
 
もう2005年ぐらいになると、はた目にも老朽化が目立つようになる。「あずさ」や「かいじ」を利用するとき、(新宿まで乗りとおさず)八王子くらいで降りて快速に乗り換えないといけないときがあり、快適な特急から乗り換えると、うるさくて隙間風のふく車内をしんどく思ったことも一度や二度ではなかった。
 後年、E233系になってからは、その快適性ががらりと変わったことに驚いたこともある。
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201系はすでに過去の車両だが、活躍を終えたのは(東日本では)10年より少し前のこと。普段はもう忘れいてる存在だが、こうして模型を引っ張り出したり、写真を見ると、つい先日のことのようにも思えてきて、なんだか不思議な気分だ。
 
もっとも、引退して10-15年というタームで見ると、東海道、横須賀の113系とか、183系の房総特急とか、ほかにもいろいろあるはずなんだけどね。。

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