2025年5月18日 (日)

昔のTMS

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相変わらず諸環境がいまいちなので、安易に昔のTMSを取り上げてみます。

 

先日、Amazonに昭和20年代のTMS、鉄道ピクトリアルを電子化したものが売られていました。2冊ほど買ってみたのですが、このうちピクトリアルの書評を見ると著作権者(株式会社電気車研究会)の許可を得ていないのではないか、というコメントが見られます。但し確証はありません。このせいか、ピクの方は販売点数が少ないのですが、TMSは結構出ています。こちらは書評のコメントはありません。

どうなのでしょうね。

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話をこちらに戻します。

1978年の夏から刊行が始まった鉄道模型趣味の増刊号PLAY MODELの第2号です。1978年暮れに出たと記憶しています。

第1号は買わなかったのですが、この第2号はたぶん、表紙に惹かれて買ったのだと思います。

当時TMSは毎月買っていましたが、こちらのほうは全部は買っていないですね。お小遣いも限られていたので。

手許に残っているのは更に少ないです。

確か'81年夏の号は東武8000系キットを切り継いで3000系を作った話と、73系の中間車を作った記事に惹かれて買ったのと、冬の号は作りこまれたミニレイアウトを覚えています。翌年夏号には「樹木の簡単なつくり方」というタイトルの記事があり、非鉄の友人が見て笑っていた(一般人が見たら変な感じですよね)のを思い出します。

この表紙、今見てもとても秀逸ですよね。

今なら画像加工なんて簡単かもしれませんが、相当苦労して作ったのではないでしょうか。

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機芸社の山崎氏が50代の頃の企画ですが、相当思い切った編集方針だったようです。

当時は女子鉄などという言葉はどこにも存在せず、女子に鉄道が好きだというだけで奇異な目で見られるのが普通でした。

他の趣味系でも事情は似てたのではないか。。車の雑誌にレースクイーンは出てきても女性ライターはいなかったし、釣りキチ三平にゆりっぺは出てきても女子アングラーはいなかった気がします。

ただ、とりわけ鉄道は女人禁制感が強かった気がします。

ので、この見開きは編集者から見たら相当攻めた企画だったはずです。

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そのせいなのか、どこか気が引けているのか、カレンダーといいながら裏表紙と連続したページになっているので、切り離して壁に掲示するつくりになっていません。

私はこの子達と全くの同世代ですね。

今頃この子達は孫の世話で忙しいのかもしれない。

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大糸線南小谷駅のセクションは、今見ても相当な密度に感じられます。1978年頃、市販品を駆使しながらこれだけのレベルのレイアウトが作れたという事自体が驚きです。

旧国のキットが出たのは記事の1年ほど前で、当時は43系、41系平妻3扉、73型3段窓とクモユニ74という陣容でした。半流51系が出るのは記事の翌年の事です。

大糸線の旧国は実見せずじまいでしたし、南小谷駅も訪れたことがありません。ので、駅も車両も本当にこんな感じなのだろうと思っていました。

旧国の製作についても本号に紹介されています。車両自体の加工はなく、Mc43+Tc55+Tc55+Mc41の編成で作られたようです。キット発売時、動力ユニットは全くなかったので(各自工夫)、この記事でも関水103系をそのまま流用しています。私も昔やりました(というか、キハ25を流用しました)。そういえば、スカ色に塗るのが難しくて、水色にしたんだったかな。

大糸線は遅くまで旧国が残っていたし、資料も多いと思いますが、他方Nゲージャーは昔は割と気楽に水色の旧国を楽しんでいた気がします。

そのうち昔風味の大糸線風を作ってみようかしら。

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旧国は無加工ですが、他の車両改造記事はかなり高度です。20系を切り継いでナハネフとナハフを作るなんてのは、簡単なようでけっこう難しいだろうし、DD16は動力の切り継ぎを伴うので、本書の対象読者のほとんどには無理だったのではないかしら。

Nの車両加工記事は本書の数年前、誠文堂新光社の「Nゲージ」で相当紹介されていて、あれも相当高レベルでした。朴板とボール紙で151系とかを作ってしまうのです。仕上がりの美しさを含め、本書掲載の車両たちも年少者には難しいものが多かったと思います。ただしそれが不適切という意味ではなく、何かを加工して作ろうというモチベーションを形成する意味では相当価値のある記事だったと思います。

簡単な記事もいくつかあり、この「発泡スチロールでレイアウト」などはその一つです。

メーカー発売のベース板などはなかったころですから、組線路しか持っていないユーザーにはとっつきやすかったと思います。

ではあるのですこれ、読み返してみると結構無理のある技法もあちらこちらにある気が。。

関水の固定式線路を使い、ベースへの固定は両面テープで留める、と言うのですが、その際線路をいったんすべてプラン通りに組んでから「裏返しにして」、テープを張ってまたひっくり返し、ベースに貼る、と書かれています。

頭で考えただけでも、それは無茶だろうと思います。記事でもこの作業は大変で、友人や家族の助けを借りて・・と書いています。固定線路なのだから一本ずつ貼って行けば済むはずなのに、どういう発想なのでしょうか。。

記事ではギャップ切りの話が最後の方に出てきます(関水の固定式ポイントは全通式なので、枝線のジョイナーをギャップつきに取り替えて配線をする必要がある)。記事の順に作っていくと、ギャップなしで線路を固定してしまう事になります。

昔の固定式線路はこれが大変だったのです。Pecoは例外ですが他の外国メーカー製線路も多くは全通式でした。

ギャップを切って、フィーダーを別途引っ張ってきて手許にスイッチをつけて切り替えるようにする。大人ならはんだ付けもできる(いちおう)し、多少の根気もあるけど、子供には意外とハードルが高い。

この記事ではそのあたりの大事なことをはっきり書いてなくて、読者に任せるような書き方になっています。肝心なところがあいまいになっている。たぶん、この記事を見て簡単そうだ、とか思って作った子たちは、いざ作ると色々問題が起きて、自分をふがいなく思ったかもしれません。

細かいことを言うと、30mm厚の発泡スチロールと3mm厚のベニヤ板(共に910x1820mm)を「日曜大工センター」で買ってくる、となっていますが(それを910x600mmの大きさに、カッターナイフで切るとある)、定尺のベニヤなりスチロール板を、店から自宅までどうやって持って帰るのか、子供は悩むと思います。こどもに相談されたパパも考えちゃうかもしれません。パパのパブリカとかサニーには入らないですしね。私はいつの事だったか、自転車で運んだ記憶がかすかにあります。B1のパネルを自転車で数キロ運んだことがありますが、あれも大変でした。

まあしかし、昔はいろいろ苦労したし、大人はいいなあ、と思ってましたね。。

 

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余談です。

雑誌買うのは控えようと思いまよいながら、結局今月のピク(もうすぐ7月号が出る頃になって)買ってしまいました。

奈良電の1200型、1350型が、近鉄になって特急用に改装され、その後志摩線ローカルに使われたり、予備特の1両はク1320となって行商列車に使われたりという変遷がたまらなく面白いです(^^;。

683系は鉄コレになったので、飛びついて買ったのですが、予備特もいいですね。特急塗装なのに中間車はイコライザー付き旧型台車だというところがたまりません。。

2025年4月20日 (日)

鉄道模型趣味 1000号

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だそうです。今日は偶々一般紙の鉄道旅特集(クロワッサン)を見に本屋に行ったのですが、これが1冊だけ置いてあったので買ってみました。

DVDがついて2000円でした。

 

鉄道系の雑誌としてはピクトリアルが2022年に1000号達成していますね。

創刊の順番でいうとピクの方が後だった気もしますが、増刊も1号で数えたのかもしれません。

創刊年の話でいうと、ファンが61年、今月が最終号のジャーナルが67(8)年、とれいんが75年で今年50年、Rail Magazineは84年でした(~2022年)。

やはりピク、TMSの歴史が他を引き離してかなり長いことがわかります。

 

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私が最初に買ったTMSは、前にも書きましたが74年6月号(No.312)です。前の号が北海道のとても魅力的なレイアウトの紹介だったのに比べると、ずいぶんと地味な記事が並んでいました。

しかし、当時小5でしたが、こういう大人の世界を垣間見るのは初めての事だったので、何から何まで刺激的でした。

いちおう一通りの漢字や慣用句は理解できていたみたいです。エッチング、ドロップなんてのはわかりませんでしたし、ライケン、スチールウールというのも見たことはありませんでした。プラスター、ナイロンたわしというのも当時はわからなかった。

各種の汎用の素材と言うのは、大人はある程度汎用的な知識として身についているものですが、子供にはまずそこからわからない。その意味でTMSはすこぶる不親切な雑誌でした。やはり子供相手の雑誌ではなかったのです。本当の意味で背伸びしなくても読めるようになったのは、たぶん中学の1,2年ぐらいではないかな。

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キリ番の号数のTMSは、リアルタイムでは400号(’81年4月)が最初でした。写真の300号は後から古本で買いました。

500号の頃はもう定期購読していなくて、買った記憶がありません。600号はたしか買いました。700もなくて、800は少したってから横浜の篠原模型店で買いました。

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今手許にあるいちばん古いTMS。昔は時折神田の古書店街を歩いて、古雑誌を買ったりしていました。

8年前の転居の時、TMSはだいぶ捨てました(古書店に無料で引き取ってもらった。模型誌、自動車雑誌は価値が低いそうです)。

 

今年の1月号に、「私の1000分の1」という題名で読者とTMSとの関わりに関する投稿を募集していました。

私も確かに、TMSを読むことで社会や大人の世界を知った一人ですが、人様にお伝えできるほどのエピソードはないですね。

最初に買った74年6月以来、遡って買った73年~82年の初めぐらいまでが、最も印象深いTMSです。77年ぐらいまでは毎号の記事をそらで言えるかもしれません。

2004年まで主筆を務めた山崎喜陽氏の文体は、自分の文体の中のどこかに入り込んでいます。

趣味系のライター(の文体)で影響を受けたのは山崎氏、オーディオの長岡鉄男氏、自動車の小林彰太郎氏などですが、いちばん最初に刷り込まれたのは山崎氏ですね。

 

今は雑誌の環境も非常に厳しいので、ここまで続けられたのはすごいことですね。

DVDが付属していますが、使うかなあ。

2025年1月22日 (水)

鉄道ジャーナル

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休刊が決まった鉄道ジャーナルを書棚から探したが、手許に置いてあるものは殆どなかった。

ジャーナルを最初に買ったのは1976年10月号で、特集は「鉄道のサービスを考える」といういかにもジャーナルらしいもの。

目当ては国私鉄の主力電車の比較レビューで、座席やつり革の配置、冷房の効き具合、内装の雰囲気などを論評していた。覚えているのは国鉄103、西武101、東武8000、京王帝都6000、東急8500とかだったかな。

この年はちょうど「間違いだらけのクルマ選び」が刊行された年だが、雑誌の発売はそれよりは多少早いので、その影響ではないとは思う。ただ、電車の設備をレビューするというのは、今思うとかなり新鮮な切り口だった気がする。

その後しばらく間が空いて、次に買ったのは1979年7,8月の特集「首都圏の鉄道」だ。さらにまた間が空いて、1980年9月号「名古屋都市圏の鉄道」からしばらく毎月買っていた。今思うと1981年頃はかなり熱心に読んでいて、表紙を見ると記事内容が目に浮かんでくる。

1983年ごろを境にほぼ買わなくなる。他の鉄道誌に乗り換えたというよりは、ちょうど国鉄末期の紛争やらローカル線廃止が目立ってきた頃で、鉄道趣味と少し距離を置くようになってきた時期と重なる。

最後に買ったのは20年前の福知山線脱線事故について、金沢工業大学の永瀬教授の記事が掲載された号だったと思う。

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先の都市圏についての特集もそうだが、現地に出向いてのルポルタージュ記事が特集のメインになることが多かった気がする。竹島紀元氏や檀上完爾氏など、定評のある書き手も多かった。私が読み始めた頃は種村直樹氏がよく書いておられた。

毎月買っていた頃は巻末の編集者のコメント(「乗務員室」)が割と好きだった。鉄道と関係ない音楽の話とか、お酒や野球の話などがおおく、少年には大人の世界を垣間見るみたいで楽しかった。「瀧」氏や「發」氏、「則」氏など、お元気だろうか。

編集者のミニコメントは当時は編集主幹の人が一人で書くのが一般的だった(ファン、ピク、TMSなど)。ジャーナルはスタッフが、わりとくだけた乗りでかいているのが特徴で、もしかしたらこれが一番楽しみだったかもしれない。。今だとピクがそんな感じですけどね。

雑誌が退潮だと言われて久しい。

ただ、さいきん思うに、子供の頃影響を受けて内容を暗記するまでくりかえし読んだものというと、自分にとってはだいたい鉄道(模型)誌だったりする。大人になってからも、新しく趣味を始めてそれに関連する雑誌を買うと、最初の数か月はその雑誌の記事が後々まで頭に残っている。

また、たとえば自分がまだ小さかったころの雑誌を手にすると、記事内容もそうだが広告などにもその頃の世相がパックされていて、タイムマシンに乗ったような気持になることがある。

ウェブは日々更新されるのでそういう、繰り返し見るということがない。個人が開設したサイトは儚い。鉄道まわりでいえば、吉岡心平氏の貨車のサイトは、ご本人の逝去と共に消えてしまった。何かの時に辞書代わりに使っていたので痛手だ。。他方、書き手の不足からかムック本などはウィキやネット上の記事をコピペしたような内容のものも出ているようだ。

とはいえ、、戦前には情報皆無、今は次に来る車両がアプリでわかるなど、情報を巡る環境が時代と共に移り変わることは世の常。

一介の道楽者としては、まあゆるりとやっていくしかないか。

 

追記:昼に本屋に行ってジャーナルを立ち読みしてみた。なるほど、あれほどにぎやかだった広告が全くなくなっている。紙面構成もかなり簡略になっている印象。昔の記事の再掲もあるようだ。
広告が少なくなったのはファンも同様だ。ピクはもとからあんな感じだし、いちおう両誌ともIMONは広告を出している。

ジャーナルの今の編集長もライターの方々の事は知らないが、少し前にネット上で一部のライターの方の芳しくない噂話を聞いた。
その辺りも含めて良くはわからない。ただ、45年前のジャーナルのようなスタンスは、今の時代には色々難しいだろうな、という直感はあるな。

2021年10月17日 (日)

でんしゃがはしる

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ここのところ多忙で、なかなか更新ができなくなってしまった。

先月買ったリバティも、開封すらしていない。。。

 

それで、この絵本(山本忠敬作、絵 福音館書店2016年再版)です。

5年前、丸善の児童書コーナーで見かけて手に取ったことはあったのですが、その時は買わずにいました。

 

ただ、再版されたものももう書店では入手できなくなっており、いちおうあの時代を生きたものの記念にと手を出しました。。

 

初版は1978年6月です。

山手線を一周させて、そこで出会う電車たちを描いた絵本です。

 

ぱっと目を引く表紙は、編成番号や運行番号がどうもただものではない、という雰囲気です。

友人によるとおそらくこれは、場所は大崎電留線、時代は1977年ごろではないか、という推測です。

編成札緑が品川区、赤が池袋区かな。

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電車は外回りで、品川を出発して京急600(もちろん初代)と交差し、大崎でEF15の貨物列車とすれ違う。

五反田では池上線、次いで目黒で目蒲線3000系を横にして走ります。

渋谷では東横線8514の桜木町行き、7015の急行渋谷行きの下をとおります。

 

代々木では101系三鷹行きが走っていて、横を見ると小田急3100系「はこね」が新宿駅に進入しようとしている(なぜか右側の線路を)。

上の写真は新宿駅ですが、これは見開きになっていて、右側にも電車がならんでいます。5番線に165系「内房」4番線は特快東京行きの103系一次改良型、3番線はスカ色115系で方向幕に「甲府」その右は113系「急行」1番線はちゅうおうせん189けい とっきゅう「あずさ」です。

これまでの記述でわかるように、この本、けっこうリアルな描写でありながら、すこしだけ、突っ込みたくなるところもそこここに見られます。

巻末には福音館編集部から「この絵本がノンフィクション仕立てであることから、電車に関する絵やキャプションなどの誤りについても多くのご指摘をいただく結果となってしまい、・・」これまで再刊できずにいた、と書かれています。

あとは本を見ていただくしかありませんが、いまどきのアマチュアさんがリアルに描いた絵よりも、こちらのほうが楽しさや、作者の意図が伝わってきて、細かいところなど別に良くなってしまいます。

とはいえ、著作権のこともありますから、あまりたくさん写真を掲げるわけにはいきませんね。

ちなみに、上の新宿駅の写真右側に見えるのは西武新宿「ぺぺ(プリンスホテル)」ですね。当時できたばかりです。

このあと、高田馬場ではこれまた新鋭の西武2000系と701系、目白の先ではレッドアロー5000系と交差します。

池袋には隣に赤羽線(方向幕は「赤羽ー池袋」)、隣に東武8000系(「池袋ー川越市」なぜか急行)が。

大塚では都電7000新旧(新のほうは最新鋭)と交差。

 

日暮里に着くとスカイブルーの103系や485系「ひばり」と並走。上を京成AE(色は茶とクリーム)、画面隅にちらっと見える「けいせいせん でんしゃ」はオレンジとクリームのツートンですが、グロベン、片開き高窓なのでたぶん新京成800とおもわれ。

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上野がちかづくとますます賑やかに。

じょうえつせん 153系 きゅうこう でんしゃ は、なんとなく、非冷房のようなきもします。

この後東京駅や品川客車区辺りは更ににぎやかです。

 

お子様むけなのですから、細かいことはきにしない・・んじゃなくて、お子様ほど非寛容ですからね。。

お子様のまま大きくなられた、おっきなおたくのお友達も、色々いいたいことがおありだったのでしょう。

 

それでも、この本がとても楽しい思い出だという、お子様は多かったらしいです。

そして今、この本を眺めると、あの頃の様子がりあるに浮かんでくるなあ。。

 

2020年7月 5日 (日)

最近買った本

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そろそろ出かけても良いかと思った矢先に、連日感染者100人越えとかで、さてどうしたものかというところです。

先日久しぶりにRMライブラリー「日本の蒸気動車」を開いて、そういえばJR東海の博物館に展示してあるんだったな、と思いじゃあちょっと行ってくるか、などと考えもしたのですが。。

とりあえず、図書鉄資料鉄です。

N電。電子書籍で買いました。RMライブラリーは徐々に電子化されるのか、電子では買えないものもあるので、よくわかりません。

N電も明治村か、梅小路に保存車がありますね。見てみたい気はあるのですが。。

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じつはこれは最近買ったのではなく、昨年末ぐらいに買いました。戦前鉄、興味深いのですがここではあまり東京の北西部の鉄道は出てきません。昭和初期ー終戦前後の、首都圏の鉄道に触れた記事を見聞きして良く思うのは、路線などは今と同じものでも、それらが当時まだできたばかりだったということです。本書でも小田急について触れていますが、開業直後の状態です。

各路線とも、今つくばエクスプレスを新しいと感じるぐらいの感覚の鉄道だったのでしょうね。。

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2012年ごろの発行ですが、上下巻のうち上巻は売り切れで入手できていません。電子化されるといいのですが。。

廃線跡を訪ねることはあまりしないのですが、掛田駅駅舎をはじめ、多少の遺構は残っているらしいし保存車もあるそう。場所も手ごろなので、そのうち軽く訪ねてみたい気がします。。

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最新刊かな。

5000系は地方で多数活躍していますが、6000のほうはあっという間に消えてしまった感じが強いです。

個人的には小学校4年の春休みに、親戚と多摩動物公園に行ったときはじめて見て、非対称な正面とか全幅にわたりつながったように見える方向幕/種別幕に非常に強い印象を受けた記憶があります。その2年ほど前、家に車が来てからは電車に乗ってなかったので、新しい電車のことは知らなかったのです。

去年GMのキットを買ったのですが、まだ組み立てていません。クーラーの配置など、これで少し勉強してから着手しようかと。

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在庫僅少です、と書泉からツイートがあったのを見て、慌てて買いました。

明治初期の官鉄、山陽鉄道の時代から、全国の急行列車の歴史を追っていく企画で、1978年から1996年までの長期連載だったそうです。なんでも、あまりにも企画が壮大過ぎて、途中で頓挫してしまったらしい。これはそのうち、東海道、山陽本線を中心にした記事をまとめたもの。

まだ冒頭1/10ぐらい、超特急つばめが出て、丹那トンネルが開業した辺りまでしか読めていません。

ピクトリアルしか知りませんが、さいきんはこういう大型連載、ないみたいですね。青木栄一さんとか、曽根悟教授とか、昔は有名な著者のかたがたくさんおられたのですが、いまはどうなのかなあ。

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残り2冊は古書です。

これは買い直しです。たしか高校生の頃、神保町で買った記憶がある。それが、転居その他で見当たらなくなり、ずっと探していたのですがあきらめて買いました。もう一冊、同年の12月号(西武5000系が表紙)も探しているのですが。。

西武101系の記事は見開き2ページだけです。この時代のファン誌はわりとアカデミックな紙面構成のことが多く、この号でも最初は当時話題のガスタービン車の動きについて、世界各国の様子から概観しています。九州の鉄道旅行記は、ちょっとジャーナル誌っぽいです。

海外の鉄道、ここではスカンジナビア半島の鉄道の現況と、旧大陸の蒸気機関車の記事が出ていますが、これもこの時代っぽいですね。戦前の大陸の鉄道に関する記述は、当時を知る人が多かった時代にはかなり誌面をにぎわしていました。40年前には、旧満州の鉄道を訪ねるツアーなども盛んにおこなわれていたようですが、今はほぼ皆無なようです。

当時はノスタルジーをかきたてる存在でしたが、今の大陸はまた別の存在になっていますからね。この先もしかしたら、海外鉄が盛んになる可能性もなくはないですが、少なくとも今年はちょっとね。

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同じ年の、ピクトリアル5月号です。国鉄の運賃改定の記事が冒頭に出ていますが、この年旅客運賃体系が変わり、等級制からモノクラスになったのですね。前年のダイヤ改正に続き、通勤輸送や翌年の万博開催に向けての準備など、かなり大きなプロジェクトが目白押しのように見受けます。やはり時代のスピードの違いを感じます。リニアなんて、生きているうちに大阪まで届かないかもね。。

東西線が全通して、直通運転が始まったというのがもう一つのニュース。千代田線用チョッパ制御車も、技術的に興味深い話題として取り上げられています。

ここでも旧日本領の鉄道事情についての記事があります。国鉄総裁室の方の執筆で、サハリンの鉄道事情。樺太時代に、日本が敷設した鉄道(1067mm)の現状と将来の展望について触れ、規格が日本と似ているので、車両輸出など、日本の技術が生かせる市場になりうる、とまとめています。

ちょっと興味があったのでウィキで調べてみましたが、サハリンではソ連崩壊後の経済混乱で、鉄道もかなり打撃を受けていたが、最近では近代化が急ピッチで進み、軌間も1067mmからロシア標準の1520mmへの改軌がほぼ完了したとのこと。記事に出てきた新鋭ディーゼル機関車(16型)は近年まで活躍を続け、今世代交代が進んでいる由。鉄道博物館があり、終戦直後に輸出されたD51や、90年代に中古で海を渡ったキハ58なども保存されているらしい。日本から近く、北海道と経済交流も盛んなので、機会があれば一度訪れて・・。

というわけでした。

 

2020年1月27日 (月)

私鉄特急

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ちょうど今月のピクトリアルがレッドアロー50周年ということで、5000系のこともだいぶ詳細に触れている。

それで、ふとこの本のことを思い出して実家から取ってきた。

山と渓谷社 発行は昭和53年10月30日で、私が手にしたのは翌年の夏。ちょうどいちばん多感なころの、私鉄花形電車が網羅されている。関東私鉄で言えば東武DRC、急行だが1800りょうもう、東上線「みつみね」、関西の南海は初代ズームカー「こうや」1001系「四国」一般車7001系による本線特急、キハ5501の「きのくに」など。

懐かしいというよりは、自分的にはそれがデフォルトみたいな世界がそこにある。

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撮影は広田尚敬氏、解説文は吉川文夫氏という、当時のゴールデンコンビ。

吉川氏は軽妙な文体で定評があったが、早世してしまわれたのが惜しまれる。

広田氏の写真に最初に触れたのは、以前紹介した子供向けの本「れっしゃ」だったが、本作でも非常に美しいカラー写真が多数掲載されいる。

この時代の写真事情にそれほど詳しいわけではないのだが、ほとんどの写真は35mmカメラ(キヤノンF1)で撮影されている。京王だけは中判で撮られているが、ほかはF1、レンズも50mmF1.4をF4ぐらいに絞って使っているのが中心。

フィルムはKR(コダクロームのISO(当時はASA)64)が多い。これが当時の商業写真の、標準的な撮影機材、フィルムだったのでしょうね。

特に50mmレンズの多用は、懐かしいというかなんというか、ちょっと考えさせられます。今だとまず、こんなきれいな構図で撮影の出来る舞台があまりなくて、いきおい高倍率ズームでかつかつに撮らないといけなくなってしまうような気がする。

こんど、単焦点レンズばかり持って、撮り鉄に行ってみようかしら。

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あまり誌面を引用するのは考え物だが、こちら、阪急三宮の、あの印象的なアーチに入っていく5100系。

ちょうど先週は1.17から25周年ということで、テレビでも追悼ドラマとかをやっていたので、ページをめくっていてふと手がとまった。

広田氏もこのビルを神戸線の象徴と捉えて、このアングルから撮影されたのだろう。

左側に時刻表か何かを眺めている、この頃にしてはすらっと背の高い感じの若い女性が映っている(人物がおおく映りこんでいるのも本書の特徴だ。今だったら色々難しい話になるのかもしれないな。。)。この方も震災をくぐり抜けて、今頃どうなさっているのでしょうか。。

そんなことを考えさせられる一冊でした。

2018年12月 9日 (日)

鉄道ピクトリアル 近畿日本鉄道特集

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ピクトリアルの特集のうち、東武鉄道の特集は過去のものもかなり網羅していましたが、近鉄の特集はさっぱりです。手持ちの近鉄特集は今回のものを含めて3冊だけです。
ピクの特集は出れば買うというほど徹底はしていなくて、最近では東急の特集も見送っています。書架のスペースがないので、買うときはかなり迷います、さいきんは。
 
近鉄に最後に乗ったのは7年前で、とにかく最近のことはわかりません。時代的には赤一色の一般車と、オレンジとブルーの特急が一番らしく思える世代です。
ので、「いまの近鉄」をすこし勉強しようかと。
 
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本題とずれますが、この2冊を徹底的に頭に叩き込んでいるので・・。なんというか、黒澤明の映画ばかり見ていたフランス人が、あこがれの日本に来てみて唖然とする、みたいなことになりかねない状態です。
 
でもまあ、徐々に世代交代はしているとはいえ、奈良線8000系、大阪線2430系、南大阪線6020系、そして12200や16000あたりの特急車がまだ残っているというのが、奥ゆかしくていいですね。。車両担当者が書いていましたが、特急車で50年、一般車では60年程度の寿命を見込んでいるということですので、長寿でおめでたいお話だという気がします。
 
それにしても、近鉄車両の系譜は、外部の人にはかなりわかりにくい部類に入るのではないでしょうか。。
 
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本特集でも一般形クロスシート車として紹介されていた2600系(のつもり)です。
1980年竣工時は2430系(のつもり)だったのですが、実は中間車は8400系モ8400(のつもり)として1978年にペーパーで自作した車体を、モハ153を改造した足回りで駆動していました。中間車だけ裾絞りの車体というのはインチキが過ぎるため、1983年にキット改造の中間車2両を増備、トイレを設置(=窓を白色プラにした)、動力は早々に廃車になった12200系のものを利用(ちなみにこれはエンドウの30000系ビスタカーと同じもの)し、2600系として生まれ変わりました。づらづらかいて、わかってくれる人がいるのでしょうか。。
 
もとのキットがラインデリア仕様のため、本車両も冷房化以前、いちおう1978年ごろの姿(のつもり)です。排障器は本形式の場合、最初からついていたようですね。なお、動力車以外の台車は、当時指定されていたGMのDT46(直接装架式の、試作車仕様)です。
 
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収納箱に当時のキットの表紙?を張り付けてあります。
GMではエコノミーキットとして長く売られていたと思いますが、今もあるのかな。
たしかこれ、だんだん思い出してきたけど、張り上げ屋根がカーブのところで分割していて(ふつうの103系などと同じところで屋根と車体が分かれている)、パテ盛りしてきれいに仕上げないと継ぎ目が目立ってしまう仕様だったはず。。
 
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2600の写真はあるはずなのがすぐ見つからないので、代わりに西大寺で撮った8000系ラインデリア車の写真を。
 
近鉄は通勤冷房車の導入に一瞬迷いがあったようで、昭和42年ごろから各線でラインデリア車(現在一般的な冷房車の補助送風機として使われているものを、換気装置として冷房機なしで装備したもの)を新製配備した。そのせいか、一般車の冷房装備は、クロスシートの機器流用車2680系こそ1971年に作られたものの、在阪私鉄の中ではワンテンポ遅れた。ラインデリア装備車は、従来の車両より屋根のカーブがきつく、屋根全体が低い。8600系などの新製冷房車は逆に屋根がより深く、高くなっている(風道の関係か)。ラインデリア装備に冷房準備という意味合いがあったわけではない。一般車は冷房なしで換気を改善すればよい、というつもりだったのだろう。
 
今となっては、ラインデリア装着の有無でどの程度換気効果がちがったのか、確かめようもないが、少しは涼しかったのでしょうか。。
 というのも、子供のころ自分の部屋には冷房はなく、代わりに「ウインドファン」を付けてもらっていた。窓付け換気扇みたいなものだが、あれ、今でも売ってたら使ってみたい気もするな(冷房、あまり好きじゃないから)。
 

2018年6月20日 (水)

こどもの観察カメラ れっしゃ

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オールカラーの、すっきりした装丁の児童書。
発行は1969年と、半世紀近く前の本だ。子供向けの本を多く出している、フレーベル館の本。この装丁のセンスは、今店頭に並べても違和感ない気がします。
 
撮影と解説文はなんと、あの広田尚敬氏である。当時は気鋭の若手写真家でらしたのでしょうね。。
 
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1号機関車の模型写真から始まり、新幹線、海外の鉄道(主に欧州)と、幅広く紹介している。(書籍なのであまり詳細に引用しては差しさわりがあるかもしれませんが、何しろ昔の本ですので、とりあえず。。)。
 
ちなみにD51の解説で「D51は1115両もつくられ、日本一顔のひろいきかんしゃです」と書かれているのを読んで、(煙室扉がでかいということだろうか。でもなんか違う気が?)、と子供らしからぬことを考えていた記憶があります。この解説文、かなり大人向けの書き方がされていました。
 
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子供向けなので1ミリぐらいの厚紙にコーティングして写真印刷していますが、技術的なことはわかりませんが、解説文の印刷が多少かすれています。当時、親が読みにくくなっているところを加筆してくれたようです。
 
小田急だけは実物を知っていましたが、他の車両はこれを見て初めて知りました。当時は名鉄のほうがカッコよく見えたな。
 
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海外はアメリカの「メトロライナー」と、オランダやデンマークの鉄道など。右側の黄色い機関車の写真はイギリスで、光の加減で線路が金色に見える。それで、どこかで鉄道模型の真鍮レール(たとえばカツミの金属道床線路は真鍮レールだった)を見て、ああ、外国の線路は金色をしているんだ、と理解していました。。
 
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さて、今回のオチです。
このページは各地で活躍するディーゼル、電気機関車の写真ですが、注目したいのは右下のED77です。
 
きれいな写真ですが、この色、どこかで見たような気が。
 
 
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交流電気機関車の塗装はED70以来、赤2号、つまり上の181系の窓周りと同じ色だったはずですが、なぜかこの写真はディーゼルの朱色4号に近い色合いをしているんですね。
 
それで、かつての関水EF70が、やはりオレンジ系の色をしていて、どうしてこんな色合いをしているのか不思議という議論があった(後年になって)のですが、子供の頃はとくに違和感を感じなかった気がします。それは、この写真を見ていたから。 
 
それにしても謎です。この目で交流機を見たのは13歳の頃(ED71)でしたが、あれはオレンジ色には見えなかった。
当時はコダクローム系が使われていたと思いますが、たしかに多少渋い発色になる傾向があったとはいえ、こんな風に色が転ぶのは普通だったのだろうか。。
 
しかし、同じ色が転ぶなら、「しおじ」の色もオレンジになっているはずでしょうし。。なぞです。。
というより、もしかしたら昔の交流機は本当にこういう色をしていたんじゃないか、私が知らないだけなのかも、という気がしてきます。。
 
余談ですが、右上の「みずほ」の写真の片隅に、青い屋根の小さな家が写っています。子供のころ、きっとこの家の人は、毎日窓を開けると色々な電車が走っているのを目の当たりにしているのだろう。なんて羨ましい・・と思っていました。
 
それにしてもここはどこなのだろう。大船とか茅ヶ崎のあたり?
 

2018年5月28日 (月)

鉄道風景30題

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川田耕一著 機芸出版社2008年
 
さいきん出た本ではなく、もう10年も前の出版だ。刊行当時は知らなくて、丸善の書棚に並んでいるのを見たのは6~7年前だったか。。
 
手元に丸善の商品券があったので、ゴールデンウィークの少し前に思い切って買ってみた。
 
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同じ機芸出版社の「シーナリィ・ガイド」(1974年)とテーマ、題材の取材年代は変わりない。多忙な本職の合間を縫って、全国の鉄道とその周辺を撮影、取材したものを回想している。「シーナリィ・ガイド」は鉄道模型趣味誌に掲載されたものの再録で、その趣旨に沿った書かれ方をしているが、「鉄道風景」のほうは、もっとゆったりした昔語りのような文体である。
 
掲載された写真の少なからぬものは、「シーナリィ・ガイド」や同氏がやはり投稿していた鉄道ピクトリアル誌に掲載されたものの再録となっている。私は「シーナリィ・ガイド」はそれこそ毎ページ暗記するように何度も見ていたので、たいていの写真は「ははあ、これは」と気がつくものが多い。以前はわからなかった撮影時期や、関連する新しい写真を見ることができる。
 
写真が主体ではあるが、どちらかというと随想の部分の比重も大きいようで、適当に開いたページをつまみ食いするように眺めるのに向いている。全体を一気に読もうとすると、散漫な印象のほうが強くなってしまう。それと本書は、ある程度当時(昭和30年代~40年代)の鉄道事情を知っていることを前提とした書きかたをされているように思う。平成生まれの若い方が読むと、また違う印象を受けるかもしれない。とはいえ自分もシーナリィ・ガイドは予備知識なしでガリガリ読んだくちなので、若い人はそれなりに読んでしまうものかもしれないが。

2018年2月26日 (月)

ピクトリアルが153系特集

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今週は記事2本くらい書けるかと思っていたのですが、やはりダメみたいです。。
 
軽くまとめます。
 
表題の通りですが、最近ピクトリアルで買うのはこういう国電特集みたいのばかりです。去年は583系、72系、さいきんでは103系と。手持ちの雑誌を大量に処分してからまだ1年ですし、そう簡単には買えません。。
 
現代史なんかだと、例えばナチス時代の考証でも時代とともに研究が進んで、昔とは論調が変わったりしますが、さすがに鉄道車両でそういうのはないんじゃないかとは思います。。
今回も概要等の記事は特に目新しいものはありませんが、写真は例えば当時のビュフェの様子など、興味深いものがいくつかありました。
 
ビュフェは今見ると、羨ましい感じがします。軽く一杯やりながら(酒弱いのでちょっとでいいです)、寿司をつまむなんて、今の自分ぐらいの年配になってちょうど似合うような感じがして、しかしながらもはや長距離急行もサハシもサシもいないという不幸。。ただ、当時の東海道の軌道保守はどうだったのでしょうね。グラスのビールがこぼれたりしなかったのかな。。
 
一番気になったのは、普通車が冷改された1974年の急行「山陽」の写真。サハシもサロも連結した10連、ビュフェは非営業だったようですが、サハシの客室が冷改された姿は珍しい。これ、うちの関水153系で近い編成が再現できそうです。というより、関水の初期の製品(全車冷改済)の姿で、実物が走っていたことがあるのか、ということに興味があって、たぶん全車冷房付き、サハシもついた急行というのは、ここだけしかなかったのかもしれない。それも、71年ごろから新幹線博多開業までのごく短い期間にだけ見られた編成ということになりそう。153系はやはり普通車(3等/2等)が非冷房の時代のほうが、より元気に活躍していた車両なのでしょうね。。
 
また思いついたのだけど、先日増備したMM'を使って、サハシを外した7連にしたほうが、より70年代的な153として見られそうですね。。サロも外してローカル運用とすることもできそう。あまり夢のない話ですが。。
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