2025年8月24日 (日)

ほしあい眼科さんの保存車

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*すべての写真は敷地外からの撮影です。

金曜日は休暇で日中用務がありましたが、午後は少し時間が空いたので、前から気になっていたこちらを訪れてみました。

といって、うちから県東部に行くのは地図上ではそうでもなくても、意外と時間がかかるものです。整備途中の見慣れない道路を走るのは意外と手間でした。ちょうど夕方だったので、だいぶ時間もかかってしまった。

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ナビに従って、浦和美園駅のロータリーを抜けて細い道からイオンの脇を抜け、中央分離帯のある広い道を直進すると、反対車線にそれらしいものが見えてきます。

すぐ近くにコイン駐車場らしきものもなかったので、ドラッグストアをみつけてそこに駐車し、もちろんお店に入って龍角散をちゃんと買って、ちょっとだけ歩いて見に行きました。

道を走っていて、これを見かけたらすごいインパクトですよね。

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1両丸ごとではなく、このようにカットされています。特にEF66の切られっぷりはすごいです。台車ですら1/3ぐらいしか残っていません。

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66の方は機械室との仕切りらしきところでカットされています。仕切り部分は室内色で塗られています。

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81の方は台車1つ分の長さで切っています。なんとなくBトレイン風味が出てきますね。

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気動車は1両まるごとの保存です。患者さんも待合などで利用できるようです。

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オリジナルは羽幌炭鉱鉄道発注のキハ22だったようですが、直近は茨城交通(ひたちなか海浜鉄道)に転じて、そこで廃車となり保管されていたようです。

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流山の2両は、建物から飛び出している所を見ると、室内から運転台にはいれるのでしょうか。

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どちらも運転室仕切りは遺っていることがわかります。

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2008年の2月。顔に光が回っていませんし、珍しくポジで撮っていて、露出もいまいちです。

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こちらは既に廃車のようで、ヘッドライトも外されています。反対側の先頭車がいませんが、これが保存されたのですかね。

または別の編成で、色だけ変えたのかな?

というわけで。

ひじょうに感心したのは、車両の塗装管理がとてもしっかりしていることです。

鋼製車体なので、塗装の退色や錆は数年で発生してしまいます。機関車の端面の処理と言い、かなり丁寧に管理されている様子がうかがえます。

先日私も眼科のおせわになりましたが、生憎と遠路ここまで来て診療をうけることはちょっと無理です。しかし、ご近所では相当な評判でしょうし、行きたいという子供の患者さんも多いでしょうね。

 

それにしても、廃車がこれだけ集まっているのに、診療する科目は眼医者さんなのですね。。

 

2025年7月27日 (日)

冷房化が進んでいた時代

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先週出たピクトリアルの9月号(No. 1041)の特集は冷房車とのこと。

本屋で見かけて、どうしようかなと思ったが結局買ってしまった。

南海が戦前に運行した冷房付き2000型の写真が載っていたのが決め手。今まで見かけた写真は戦後の、冷房運転を終了したものばかりだったが、今回は屋根に分散冷房をつけたクハ2802が、難波の駅に到着している夏姿の写真が載っていた。昭和11,12年の2シーズン(ほとんどの車両は12年竣工なので実質1シーズン)だったそうですね。

料金不要の冷房車は昭和34年の名鉄5500系、通勤型は43年の京王帝都5000系が始まりとされる。国鉄は昭和45年に103系が山手線に、冷改した113系が関西に登場している。

大手私鉄の冷房化元年もおおむね昭和45年頃のようだ。上記写真右のピク1970年8月号では、前述103系冷房車の登場と、各私鉄の冷房車について概観している。また冷房付きの新車として阪急5200系、阪神7001,7801が紹介されている。

’25年9月号でも「大手私鉄の通勤冷房車」という記事があり、各私鉄の通勤車の冷房化の経緯が紹介されている。

ただ、かなり総論的な記事となっていて、少し食い足りない所もある。


通勤冷房車としての始まりは京王だったが、その後の追随は関西勢が早くて、上記阪神、阪急の他京阪が1969年、南海も70年には冷房車を出している。

ただ、近鉄は初代ビスタカーの更新車である2680系を71年に出したが、本格的な通勤冷房車開発は関西他社より少し遅れている。

近鉄では昭和41年にラインデリア付きの通勤車を各路線向けに新造し、これを推進しようとしていた節がある。2600系(1970年)の紹介記事では当社が開発したラインデリア、とあり、夏場の通風装置として一定の成果を期待する向きもあったようだ。大阪、名古屋線用2800系の登場こそ1972年だが、奈良線用8600系の登場は1973年、南大阪線6200系は1974年の登場だ。

京王5000系については詳述されているが、子供の頃はあのクリームに赤帯の電車は全部冷房車かと思っていた。幡谷に親戚があり、良く乗るのがグリーンカーだったので、冷房特急はうらやましかった。’76年の夏に訪れたとき、乗った電車が5000系(たぶん)の非冷房車だったので驚いた。後には吊掛式(5100)もある事を知り、更に驚いたりしている。。

関東私鉄ではほかに小田急の2478が編成で1両だけ冷房改造(1968年)、1970年になって東急8000、71年に東急8000、京急の600(改造)、1000と続く。72年に東武、西武、京成も冷房車を新製して足並みがそろう。ただし東急は新玉川線専用とはいえ、8500の非冷房車を76年に新製したりしている。

東急は冷房車の製作自体は早かったが、経年の浅い車両はオールステンレスのものが多く、冷房改造のペースは遅かったと記憶している。その前の5000系は軽量設計故、冷改ができなかったのだろう。支線区は吊り掛けの3000系で、たしか池上線には長いこと冷房車がいなかったのではないか。

昭和50年頃の新聞記事だったと思うけど、各私鉄の冷房化率(懐かしい言い方!)を表にしたものが出ていた。東急と京成が一けた台だったかな。京成も3300より前の車両が冷改されるのは80年代に入ってからで、冷房化率がとても低かった。

当時は線区により冷房車が偏在する様子が見られた。支線には経年の古い車両が多く、冷房車があまり入らなかった。このため、各鉄道では運用を変更して、最低1編成は冷房車を入れるように工夫する姿も見られた。

昭和53年の国鉄編成表を眺めていると、ここは前年に101系から103系に車両が変更されたが(編成は8両だったので山手線とは別運用)、冷房車としては試作冷房を含む1編成だけだ。

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この時の池袋区、品川区(当時の山手線車両の所属区)の編成表を見ると、意外というか冷房化が相当進んでいる。ATC対応のクハを集中的に投入した成果だろうか。クハだけ冷房付き、高運転台の車両を先行して置き換えたため、編成中両端の2両だけが冷房装置付き、となるケースがあったが、編成表を見る限り山手線ではあまり目立たない。京浜東北にはこれが多く、当時下十条に多かった7+3(クモハを含む編成)では3連のユニットが見事に全部非冷房だ。

クハだけ冷房付きの車は、電源がないから当然に冷房使用ができない。これを、乗務員だけ冷房使ってる、という誤解が一般乗客の間にささやかれた事があった。今なら炎上案件かもしれない。

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東武では1972年の8156Fが最初の冷房車で東上線に、同時に8157Fを本線に投入した。

6コテを中心に冷房改造も進んだので、冷房化は比較的スムーズだったように思う。例外は快速の6000系で、6050系に更新される1985年まで非冷房のままだった。支線区の3000系統や、本線でも73,78は冷改できなかったが、古い車が非冷房で残るのは各鉄道共通だった。

東武の場合、78の改造車を非冷房のまま更新(5000系、1979年)するという事をやり、流石に時流に沿ってないと感じたのか、2年後に冷房付きの5050系に変更している。

冷房化が進行している頃は通学で利用していた。ラッシュ時に非冷房は暑かったはずだが、学生時代はそれほど記憶がない。盛夏の7,8月は学校行かなかったからかな。何かの用で少し遅く通学したときの電車が73で、そのとき暑かったことは覚えている。

社会人になってからは地下鉄を利用して、地下線に入ると冷房車でも冷房を切られるのには閉口した。

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非冷房車は2000年代にはいるとほぼ絶滅してしまう。

その頃、窓の開いた電車が懐かしくなって、あえて非冷房車を求めて乗りに行ったりした。

秩父鉄道1000系は、中間車だけなぜか非冷房だった。

車内も懐かしい感じなので期待して行ったが、窓は下段が固定になっていて、6月のこの時期に窓を開ける人はおらず、失望したのを覚えている。

国電や西武の通勤車の窓は2段上昇式で、夏場には全開できるのがうらやましかった。

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東武8000や2000は国鉄急行型電車と同じ上段下降、下段上昇式で、一番開いた状態でも窓面積の半分しか開かない。

78などの旧型は2段上昇式だが、全開すると下段が多少引き残る。

もっとも、いまにして思えば安全面からも、立ち客、着座客双方に通風がある点からもこの方が合理的な気もするが・。

後には安全面からか、西武も東武も下段は固定され、開口範囲は更に狭くなった。


窓の開いた電車が懐かしかった時期があったが、2011年の東日本震災(節電のため)、20年のコロナ期に窓が開けられるようになったのには驚いた。

流石に今年は窓開けしている路線はないと思うけど、あの変な習慣はかなり後を引いたね。夏はまだしも、冬の窓開けには閉口させられた。雨が吹き込んで座席がびしょぬれになったりとかね。。

2025年7月11日 (金)

鉄道フェスティバル&駅弁大会

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相変わらず仕事がごたついて鉄分補給がてきませんが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

時間がうんぬんよりも、この暑さで出かけるのはいささか冒険ですね。

という訳でやっていることは運転だけですが、猛暑で故障(ではなくて集電不良要整備)した「しおじ」が、福の沢駅に留置されている様子。

整備担当者がくたばっていて、作業のめどが立っていません。左に元箱がどこか奥に入ってしまい、シーズンが過ぎたのにそのままになっているキ100が見えます。


という与太話はともかく・。

池袋東武でやっている、鉄道フェスティバル&駅弁大会に行ってきました。

池袋東武は最近元気ですね。西武が改装に手間取っている間に着実にお客をつかんでいるようです。

鉄道関連の催事はずいぶん昔から毎年やっていたような気がします。覚えているのは小5のとき、歴代東武車両のイラストを見たり、まんすりー東武をもらって1800系なるものを初めて知ったり、という収穫がありました。10年ぐらい前の東上線100年のときも、ちらっと行ったかな。

駅弁も買いましたが、ほかに何か買うものがないか探しました。

まあ、ここでネタにしたいという気持ちがあるわけです。

KATOから東武ワラ1が限定販売されていましたが、2両で4,400円というのがちょっと。

同じところに50070系のクハだけ、3,500円で売られていました。

出展されていたのは模型関係ではほかにグリーンマックス、ポポンデッタなど。

GMは秋口に発売の7820を展示していました(販売はなし)。

7820は値付けがあんまりなので当初見送る予定でしたが、Amazonがかなり値引価格を出していたので予約しました。

しかしこの秋は小田急3100も出るのですね。C622も。。

 

他には東武、JR東、東急あたり(いずれも関連事業者)がグッズを販売していました。関西では近鉄、阪神、阪急が。

関西勢はちょっと興味がそそられたのですが(青電型ペンケースとか)、踏ん切りがつかず。

結局、小さくて実用になってお値段もまあまあの、電車型箸置きを買いました。

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写真のN100、C11のほか、1800,6000,7800などもありました。C11は3両(325,207,123)全部売っていました。

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店頭で見たときも、なんか箸が転げ落ちそうなデザインだな、と思ったのですが。

それなりに長さがあるので大丈夫みたいです。

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こちらのほうが箸置きとして使いやすい気がします。

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いちおうのディティール感はあります。

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箸置きは沢山持ってますので、まあコレクションとしても悪くない商品です。

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おおきさはzゲージサイズぐらいですが、走行化は無理ですね。

話は飛びますが、100系(日光詣)の先頭車が台北(あの台湾の)に送られて保存されるそうですね。

https://www.tobu.co.jp/cms-pdf/releases/20250710091126H1V6Vgxwvb6CUQcbipjjDw.pdf

時期が25年冬季、とありますが、冬が過ぎたらどうするのでしょうか。。

 

2025年7月 2日 (水)

25年後半

メインブログにも同じようなタイトルで書いていますが、2025年もはや半年が経過しました。

前半は仕事関係に神経を使ったせいか、家で模型を作るようなことはさっぱり。。黒い貨車キットを3両作ったきりです。

レイアウトの運転はふつうに毎日のようにしています。車両が増えすぎて取り出すのが面倒なので、同じようなものばかり運転しています。

 

3月に弘前、4月は鉄道主体ではないですが宮城北部を訪れました。

この夏は。今ちょうど仕事が切り替わりの時期で、どうなるのか見通せません。

制度としての夏休みはあるので、落ち着いたら何とか。。

 

昨年末にはすぐにでも完成させるつもりだったキット、再開しないといけないですね。。

今のところ、各メーカーで予約したいような製品はないのですが、先日D51標準型が入りました。

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まだ開封していない。

この1年半ぐらいで、4両ぐらいD51を買っている気がします。

そのくせ、ほとんど運転していません。貨物輸送は昨年~今年は盛んだったのですが(=貨車を三々五々買っていた)、こちらもちょっとご無沙汰ですね。

先日新幹線0系を買ったZゲージですが、組線路をいちいち持ち出すのが面倒なので、運転盤を作ることにしました。

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ホームセンターで板を切ってもらい、木ネジやコルクシートまでは買ったのですが、先週はその辺で燃料切れ。

レイアウトプランはしばらく考えていたのですが、結局何も浮かばず、ただの楕円になる公算が高いです。

 

というわけで・。

もうちょっと、仕事が落ち着くのを待つ感じですね。

2025年6月 5日 (木)

台車の乗り味

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どうもごたごたが続いてまして、鉄道方面はからきしです。

レイアウトの運転はしてますし、雑誌読んだりはしています。5月の模型の買い物はZゲージの曲線路(R210だか)だけかな。

 

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丸の内線2000系に良く乗るのですが(ちなみにもちろん上掲の写真は違います)、前から思ってるのですがこの電車、最新の自己操舵式の台車を備えている割には結構揺れます。もしかしたら02系の方が揺れなかったかもしれません。

自己操舵式の台車って、曲線通過時のきしりとかには有効なのかもしれませんが、乗り心地には直接寄与していないのかもしれません。

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台車が乗り心地に寄与する割合は、我々が想像するよりは小さいのかもしれません。

乗り心地というのは、台車による衝撃減衰、線路の状態(保線、カーブやポイントなど)、速度の総合的な関数であると言えます。

15年前に乗った中央線の115系は、鳥橋の付近の直線ではほとんど揺れを感じさせず、滑るように走っていました。

西武は概して保線が良好ですが、6000系などは枕ばねの動きがダンパー等で規制されないのでゆらゆらと揺れながら走ります。

9000系が新宿線を走っていた頃は、同じFS372なのに101系などに比べると荒れた乗り心地だな、とおもったことがあります。車体との相性のようなものがある感じでした。

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西武には遅くまでこの台車を履いた車が本線にいましたが、設計の古い割に乗り心地は悪くなかった気がします。

子どもの頃、こういうイコライザ式の台車を履いた車が地元にはいなかったので、イコライザ台車の乗り心地はどんなものか、興味津々でした。乗って見るとなんということはないのですが。

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東武は3000系列が色々な台車を履いていましたが、古いKS31系と、比較的新しいFS-7などのウイングばね式台車の乗り心地が違うか、というと、あまり違いはなかった気がします。

野田線などは速度が遅く(当時)、余計わからなかったです。3000系晩年の1995年に日光線ローカルに乗ったのですが、ちょっと加速するとすぐ惰行を始めて、吊り掛けのいい音もあまり聞けずじまいでした。

5000型も野田線はダメでしたね。遅くてストレスが溜まります。良かったのは上毛に移った3000型。あれは実によく揺れた。

本線も東上線も、遅くまで吊り掛け車が高速で良い音させながら走っていたのは、あれは今思うととても幸せな事でしたね。

73のTR35系も、78のFS10も、乗り心地はあまり違わなかったです。73の適度な揺れに身を任せているとよく眠れるので好きでした。中間テストの帰り、昼の空いた各停とかに乗って、寝不足の身体をよく休めていたものです。

あと、8000の後期型(ミンデンからS型のFS396に変わった)が出たときも、どう乗り心地が違うのか興味津々でした。が、走行音も含めてちがいはわかりませんでしたね。6000や1800は軸ダンパがついていて、あれは乗り心地良かったです。

中央特快の103系はかなり豪快で、中野駅のポイントとかすごい音で通過するので、これも好きでした。

一番揺れた記憶というと、新幹線開業前の東北本線かな。はつかり(485も583も)は怖いぐらいゆれた。後年、鉄ではない上司と話してる時(新幹線になってずいぶん経ってから)、あれはよく揺れたと述懐していたほどです。

というわけで、久々の投稿なのに単なる与太話になってしまいました。。

2025年5月 5日 (月)

鉄道博物館の東武8000

最初に事務連絡です。

 

うさぎくんのメインブログ、うさぎくんはこのたび、gooブログからはてなブログへ引っ越しました。

https://usagi-kun25.hatenablog.com/

基本的にgooに書き込んだ記事ははてなのほうに引き継いでいます。

いちおうプロフィールの所にあるURLも更新したのですが、タイムラグがあるのか今のところ表示が変わっていません。

 


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さて、東武8577Fが、先日から大宮の鉄道博物館で特別展示されています。

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8000系の復刻塗装車(2R)としては、8568Fがダークグリーンに白帯、8575Fが黄色に赤帯、8577Fは橙色に黄帯と3種類ありましたが、他の2色は最近引退し、こちらの77Fがてっぱくにいるという状態です。

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2016年3月。

既に10000系が大師線、亀戸線に入っていますので、このまま引退と言う事でしょうかね。

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よく似た企画としては京都鉄道博物館に近江鉄道100(旧西武101系)が入るという形で先年ありました。

あちらは終了後に現役復帰したとおもいますが。.

 

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新幹線との並びは興味深いのですが、撮影アングルとしてはそれほど自由が利くわけでもありません。

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もう少し辛抱強く待っていれば、いろいろな電車との並びも撮れるとは思います。

 

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本館の方には東武8000および東部関連の事項を説明するブースが設けられています。

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車内の中づりポスター。右上下は1967,72年、左は1969,71年のようです。

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同じく右上から76年、80年、左82年。左下は隠れていてわかりません。86年頃でしょうか。

こちらのほうは本線筋の内容が多いようです。76年は東上線が10連運転開始し、また川越に跨線橋ができて(現在とはちがうもの)、これは当時の東上線の中づりに掲示されていたのを覚えています。

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訪問は28日(月)。飛び石の間の平日でしたが、子連れのお客が相当来ていました。

2024年12月31日 (火)

2024年のうさぎ鉄道

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何度かここで書きましたように、今年はうさぎ鉄道の創業50周年(≒入門セットを買ってもらってから50年)、かつ、つい昨日の事ですが今のレイアウトが開通してから15周年と言う節目にあたります。

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ただ、年の半ば頃は体調不良に見舞われ、そのほかのごたごた等もありあまり盛り上がりませんでした。

記念行事とか、考えたりもしたのですが。

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他方、地味ながらあちこちで歩いたりはしていました。

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撮り鉄といえるようなことはほとんどしておらず、かといって乗り鉄でもない、いいかげんな鉄旅です。

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昨年京都鉄道博物館に行き、今年はてっぱく(再訪)、リニア・鉄道館にも行くことができました。

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蒸機動車はよかった。

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カメラを新しくしたので、秋には近場をいくつか巡りましたが、まだあまり撮影には行っていません。

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あと、5月にはZゲージに手を出したのがおおきなニュースですね。。

写真のキハ52と、立て続けに115系、165系と買ってしまったのですが、ちょうど体調不良期と重なっていたせいか、夏以降はほぼ放置状態になってしまいました。。

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白棚線は専用区間廃止の直前に「見に行った」。乗ってないんです。。

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旧西武車は三岐のほか流鉄、上信と見に行って、近江鉄道も行こうと思ったのですが、年内日程が合わず。

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昨年からの継続で製作中だった荷電は、この秋に完成。

もう目がポンコツなのと、夏はくたばっておりましたので、このくらいのペースが精一杯です。

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私鉄型の模型は関東大手では京成、京急と都営地下鉄は全く持っていません。東急は1/80の3450がいちおうありますが、Nはまだ手を出していません。

関西大手では大阪メトロ、阪急を持っていない。ただし阪急は810系もどきを1/80で作ったのが残っています。44年前の話ですが。

近鉄特急は今年10両も増えてしまった。来年あと4両入る予定です。

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D51も大量増備され、年初にD51 498が、春にはマイクロのナメクジ、秋にはKATOのギースル北海道型が入りました。

ギースルは買ったきり走らせてないのですよね。。

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冷蔵車を中心とした貨車も、ずいぶんと買いました。

現役のコンテナ車とか、タキ1000とか、そのうち買おうかと思うのですが、うちにあるのはほぼ1984年より昔の貨車ばかりです。。

 

そんなこんなで。

本年もご愛読いただきまして、大変ありがとうございました。良いお年をお迎えください。

 

 

2023年12月24日 (日)

2023年は不作

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メインブログに書きましたが、先々週後半熱を出しまして、週末回復したので出かけたら、坂戸駅のこ線橋で転倒しました。

信号場跡と貨物引き込み線を取材していたのですが、段々足が痛くなってきて帰宅。

発熱の後遺症と併せ、先週は散々でした。。

 

という話はともかく。

 

珍しく今年一年を振り返ってみます。

4年前に仕事が変わりましたが、だんだんと仕事に精気を抜かれるようになり、完成品を買ってもナンバーうつのがめんどくさくなってきました。さいきんはTMSとか本屋で見ても、あまりにもレベルが高いので買う気になれません。

まだコロナの頃は業務が抑制されていたんですけどね。参ったけど、稼がないと模型も買えないからな。

昔のカワイとか、カツミの国電シリーズみたいなディティールと丈夫さを備えた模型が欲しくて、ちょっと準備したのですが今年は殆ど手を付けられなかった。

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22年暮れのことですが、久しぶりに1/80 16.5mmに手を出しまして、正月はこれを運転してました。客車が2両で中途半端ですが、こんなエンドレスで何言っても始まりません。これだって、最初ちょっと脱線気味だったのを線路整備して、うまく回るように調整しました。そんな面白みもあります。

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その頃既にこれは予約していたのですが、実際に市場に出回ったのは8月末、さらにうちで組み立てたのは10月でした。

鉄コレの拡大版ですが、いちおう運転用には十分な外観を備えています。塗装とか余計なことはしなくて、素の状態を保つようにしています。

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5月にはこの年の東上線唯一の新車が登場しました。

もとは売店でしたが、こういう活用は小さなお子様の多いこの駅にはふさわしいですね。

他方、ここふじみ野駅コンコースにあったサンマルクカフェが7月に撤退、川越駅の本屋さんも空き家のまま、池袋のジュースバーとセブンイレブンも撤退と、少し寂しい状況が続いています。先日行った坂戸は駅ピアノまであって、なかなか良かったのですが。

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7月に仙台近郊鉄道を乗り鉄し、8月には福島交通軌道線と沼尻鉄道、日中線の廃線跡をたどりました。

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廃線跡探訪も乗り鉄も、マニアの方に比べると超てきとうですが、別に鉄道史の発展に貢献する気もないし、商業誌に寄稿するつもりもないのでOKです。

 

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それから、宇都宮ライトレールですね。

友人たちと会ったりしたのが楽しかったです。

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今年の東上線は春のダイヤ改正で快速が廃止になり、準急の上板橋停車、朝霞の急行停車が話題になりました。

湘南台直通にはまだ乗ったことがありません。

9101Fの廃車は個人的には感慨深いです。30000系の方向幕改修(フルカラーLED)と袖仕切りの交換は完了したようです。

10000型未更新車の改善は進みませんね。掃除だけでもきちんとやればいいと思うのですが、こういう社風はなかなか改まらないようです。

もうひとつ身近な鉄道である西武は2000系の撤退が進み、2031Fも引退しました。サステナ車の小田急には驚きましたが、この会社はもっと黄色を大切にした方が良いような気がします。

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じつは、6050以外ではこの車両が今年組みあげた唯一の車両です。もとは昨年仕込んでおいた塗りキットですが、屋根をようやく塗ったのですね。

冬の終わりごろ、とつぜん飯田線のクモニ83 100が気になりだして、キットを買って箱だけ組みました。

動力は、30年前に組んだ73系(台車DT16)のものを充当することにし、73系は鉄コレ動力に換装する計画です。

しかし鉄コレとGM(T車)の床下機器は取り付けに互換性がないので、GMの機器のベース部分を糸鋸で切って取り付けることにしました。

なんとか鉄コレの旧型車用機器だけ入手できないかと探しましたが、適当なものは見つからず。

この計画が決まったのは今年の半ばくらいで、糸鋸を手にしたのは秋ごろ、バラバラになった機器を再度ベースにまとめたのは秋の終わりです。まだ塗ってません。

もとより手が遅いのですが、ほとんどサグラダファミリア並みの事業になってきました。

TMSだけではなく、今SNSにはゴッドハンドの持ち主が、私から言わせればいつ仕事して何時間寝てるの?と思うほど精力的に模型を作って発表しています。若い人も多い。

ですが、世の中にはこんなに超鈍足なモデラーもいるのだぞ、というところを示すため(だから何だってのはありますが)、あえてここで公開しています。

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このネタはメインブログで一般向けに書いたきりでしたね。

架鉄の話をこちらで書こうとしたけど、今年は結局書かなかった。

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11月に念願の京都鉄道博物館に行きました。

去年、今年と京都には所用で出かけたのですが、来年は予定がありません。

また関西にはいって見たいと思っています。

2023年5月15日 (月)

元気です

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連休中は鉄道からみのことが全然できず、こちらの記事も更新できませんでした。

とりあえず元気なのですが、なかなか忙しくて鉄できてません。

所用でこんなところに出かけましたが、電車に乗っただけで趣味関係はできずじまいです。

雨もひどかったしね。

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いちおうkATOの113横須賀線は予約してあって、6月初旬に来るみたいです。

去年買ったGMのオユ12を連休中に組み始めましたが、塗り済のくせに手間取っててまだできてません。

これも衝動買いで4月あたまに買ったクモユニ81キットは、クモニ83 100として組む予定です。動力は昔組んだクモハ73からもってくる予定で、代わりに73には鉄コレ動力を調達するつもり。

それと、昨年暮れ発売予定で予約してる、1/80東武6050は未だに出てませんが、到着したらこれもレポートいたします。

てな感じかな。。

2023年4月24日 (月)

線路の記憶

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例によってうろ覚えです。

最初に体験(意識)したロングレールは、たぶん山手線の新大久保ー高田馬場間だったような気がする。

父がこの区間はしばらく(ジョイントの)音がしないんだ、と言っていた。っても、幼稚園ぐらいの頃の話なので、本当にその区間だったのかはっきりしない。

 

ロングレールとPC枕木は、国鉄の幹線には早くから普及していたようだが、例えば東武東上線辺りでいうと、1970年代半ばまではどちらもほぼなかった。PC枕木は池袋口から徐々に交換が始まっていたが、成増を過ぎるとほぼ木枕木だった。

あの頃、8000のミンデン台車とかは飛ばしていると軸ばねのあたりからバシャバシャ音を立てて?ピッチングさせながら走っていたような記憶がある。家の近くの線路を見ていたら、1959とか書いてあって、ずいぶん古いなあ、と思っていた。まあ15年ぐらい前ということなのだが。

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よく見てもらうと、線路の間に細い鉄板が2本平行に、間をおいて打ち付けてある。

枕木が長い時間のうちに移動してしまうのを防ぐため?

私の記憶ではこの手の補強?は東武以外では見なかったような気もする。

 

木枕木からPC枕木への交換は、一本ずつ(当たり前か)行われていた。工事の中途では一部が真っ白い枕木ときれいなバラスト、途中から茶色い枕木とバラストという具合に、コントラストが鮮やかだった。

なので、子どもの頃は手持ちの線路を一部灰色に塗って、近代化工事中、みたいな遊びをしていた。

あと、PC枕木化は高速で列車が通る本線から始まり、駅構内、それも待避線や留置線などは遅くまで木のまま残っていた。留置線は今でもみられるかな。

なんでそんなことを書いているかというと、最近トミックスのファイントラックを見ていたら、いつの間にか標準線路がPC枕木に変わっていたからだ。昔は新幹線でも、木枕木、茶道床の線路を走らせるしかなくて、いつになったら変わるのかね、とか思っていた時期もあった。

さすがに、実物で木枕木が延々続く路線ってもうあまりないですよね。。

もうひとつ、旧型車は制輪子が鋳鉄製のため、駅周辺の線路が赤さびで真っ赤になっていた(ブレーキ時に鉄粉が飛び散る)。複線区間だと列車が止まる側の線路がより赤く、発車して加速する側はそうでもない。勾配区間はやはり赤っぽいなど、区間によって色の具合が異なっていた。

これも子供にはとても印象に残る現象で、なんとかレイアウトでもこれを再現しようとしたものだ。レベルカラーのレッドブラウンとか、使うのだけど、どうしても暑苦しい感じになるのだよね。。実物の駅周辺もそんな感じで、沿線の民家なども相当やられていたと思う。

考えてみると、今の駅構内や周辺は昔よりずっときれいだ。バラストもまばらで枕木が半分土に埋もれたような線路とか、今は想像がつかないのではないか。側線になると急に枕木がまばらになったり、レールも37kgレールで細くなったりとか。

そろそろ、そういう考証が伝承されて行かないといけない時期なのかもしれませんね。

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