2024年12月31日 (火)

2024年のうさぎ鉄道

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何度かここで書きましたように、今年はうさぎ鉄道の創業50周年(≒入門セットを買ってもらってから50年)、かつ、つい昨日の事ですが今のレイアウトが開通してから15周年と言う節目にあたります。

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ただ、年の半ば頃は体調不良に見舞われ、そのほかのごたごた等もありあまり盛り上がりませんでした。

記念行事とか、考えたりもしたのですが。

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他方、地味ながらあちこちで歩いたりはしていました。

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撮り鉄といえるようなことはほとんどしておらず、かといって乗り鉄でもない、いいかげんな鉄旅です。

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昨年京都鉄道博物館に行き、今年はてっぱく(再訪)、リニア・鉄道館にも行くことができました。

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蒸機動車はよかった。

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カメラを新しくしたので、秋には近場をいくつか巡りましたが、まだあまり撮影には行っていません。

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あと、5月にはZゲージに手を出したのがおおきなニュースですね。。

写真のキハ52と、立て続けに115系、165系と買ってしまったのですが、ちょうど体調不良期と重なっていたせいか、夏以降はほぼ放置状態になってしまいました。。

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白棚線は専用区間廃止の直前に「見に行った」。乗ってないんです。。

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旧西武車は三岐のほか流鉄、上信と見に行って、近江鉄道も行こうと思ったのですが、年内日程が合わず。

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昨年からの継続で製作中だった荷電は、この秋に完成。

もう目がポンコツなのと、夏はくたばっておりましたので、このくらいのペースが精一杯です。

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私鉄型の模型は関東大手では京成、京急と都営地下鉄は全く持っていません。東急は1/80の3450がいちおうありますが、Nはまだ手を出していません。

関西大手では大阪メトロ、阪急を持っていない。ただし阪急は810系もどきを1/80で作ったのが残っています。44年前の話ですが。

近鉄特急は今年10両も増えてしまった。来年あと4両入る予定です。

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D51も大量増備され、年初にD51 498が、春にはマイクロのナメクジ、秋にはKATOのギースル北海道型が入りました。

ギースルは買ったきり走らせてないのですよね。。

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冷蔵車を中心とした貨車も、ずいぶんと買いました。

現役のコンテナ車とか、タキ1000とか、そのうち買おうかと思うのですが、うちにあるのはほぼ1984年より昔の貨車ばかりです。。

 

そんなこんなで。

本年もご愛読いただきまして、大変ありがとうございました。良いお年をお迎えください。

 

 

2023年12月24日 (日)

2023年は不作

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メインブログに書きましたが、先々週後半熱を出しまして、週末回復したので出かけたら、坂戸駅のこ線橋で転倒しました。

信号場跡と貨物引き込み線を取材していたのですが、段々足が痛くなってきて帰宅。

発熱の後遺症と併せ、先週は散々でした。。

 

という話はともかく。

 

珍しく今年一年を振り返ってみます。

4年前に仕事が変わりましたが、だんだんと仕事に精気を抜かれるようになり、完成品を買ってもナンバーうつのがめんどくさくなってきました。さいきんはTMSとか本屋で見ても、あまりにもレベルが高いので買う気になれません。

まだコロナの頃は業務が抑制されていたんですけどね。参ったけど、稼がないと模型も買えないからな。

昔のカワイとか、カツミの国電シリーズみたいなディティールと丈夫さを備えた模型が欲しくて、ちょっと準備したのですが今年は殆ど手を付けられなかった。

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22年暮れのことですが、久しぶりに1/80 16.5mmに手を出しまして、正月はこれを運転してました。客車が2両で中途半端ですが、こんなエンドレスで何言っても始まりません。これだって、最初ちょっと脱線気味だったのを線路整備して、うまく回るように調整しました。そんな面白みもあります。

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その頃既にこれは予約していたのですが、実際に市場に出回ったのは8月末、さらにうちで組み立てたのは10月でした。

鉄コレの拡大版ですが、いちおう運転用には十分な外観を備えています。塗装とか余計なことはしなくて、素の状態を保つようにしています。

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5月にはこの年の東上線唯一の新車が登場しました。

もとは売店でしたが、こういう活用は小さなお子様の多いこの駅にはふさわしいですね。

他方、ここふじみ野駅コンコースにあったサンマルクカフェが7月に撤退、川越駅の本屋さんも空き家のまま、池袋のジュースバーとセブンイレブンも撤退と、少し寂しい状況が続いています。先日行った坂戸は駅ピアノまであって、なかなか良かったのですが。

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7月に仙台近郊鉄道を乗り鉄し、8月には福島交通軌道線と沼尻鉄道、日中線の廃線跡をたどりました。

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廃線跡探訪も乗り鉄も、マニアの方に比べると超てきとうですが、別に鉄道史の発展に貢献する気もないし、商業誌に寄稿するつもりもないのでOKです。

 

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それから、宇都宮ライトレールですね。

友人たちと会ったりしたのが楽しかったです。

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今年の東上線は春のダイヤ改正で快速が廃止になり、準急の上板橋停車、朝霞の急行停車が話題になりました。

湘南台直通にはまだ乗ったことがありません。

9101Fの廃車は個人的には感慨深いです。30000系の方向幕改修(フルカラーLED)と袖仕切りの交換は完了したようです。

10000型未更新車の改善は進みませんね。掃除だけでもきちんとやればいいと思うのですが、こういう社風はなかなか改まらないようです。

もうひとつ身近な鉄道である西武は2000系の撤退が進み、2031Fも引退しました。サステナ車の小田急には驚きましたが、この会社はもっと黄色を大切にした方が良いような気がします。

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じつは、6050以外ではこの車両が今年組みあげた唯一の車両です。もとは昨年仕込んでおいた塗りキットですが、屋根をようやく塗ったのですね。

冬の終わりごろ、とつぜん飯田線のクモニ83 100が気になりだして、キットを買って箱だけ組みました。

動力は、30年前に組んだ73系(台車DT16)のものを充当することにし、73系は鉄コレ動力に換装する計画です。

しかし鉄コレとGM(T車)の床下機器は取り付けに互換性がないので、GMの機器のベース部分を糸鋸で切って取り付けることにしました。

なんとか鉄コレの旧型車用機器だけ入手できないかと探しましたが、適当なものは見つからず。

この計画が決まったのは今年の半ばくらいで、糸鋸を手にしたのは秋ごろ、バラバラになった機器を再度ベースにまとめたのは秋の終わりです。まだ塗ってません。

もとより手が遅いのですが、ほとんどサグラダファミリア並みの事業になってきました。

TMSだけではなく、今SNSにはゴッドハンドの持ち主が、私から言わせればいつ仕事して何時間寝てるの?と思うほど精力的に模型を作って発表しています。若い人も多い。

ですが、世の中にはこんなに超鈍足なモデラーもいるのだぞ、というところを示すため(だから何だってのはありますが)、あえてここで公開しています。

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このネタはメインブログで一般向けに書いたきりでしたね。

架鉄の話をこちらで書こうとしたけど、今年は結局書かなかった。

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11月に念願の京都鉄道博物館に行きました。

去年、今年と京都には所用で出かけたのですが、来年は予定がありません。

また関西にはいって見たいと思っています。

2023年5月15日 (月)

元気です

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連休中は鉄道からみのことが全然できず、こちらの記事も更新できませんでした。

とりあえず元気なのですが、なかなか忙しくて鉄できてません。

所用でこんなところに出かけましたが、電車に乗っただけで趣味関係はできずじまいです。

雨もひどかったしね。

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いちおうkATOの113横須賀線は予約してあって、6月初旬に来るみたいです。

去年買ったGMのオユ12を連休中に組み始めましたが、塗り済のくせに手間取っててまだできてません。

これも衝動買いで4月あたまに買ったクモユニ81キットは、クモニ83 100として組む予定です。動力は昔組んだクモハ73からもってくる予定で、代わりに73には鉄コレ動力を調達するつもり。

それと、昨年暮れ発売予定で予約してる、1/80東武6050は未だに出てませんが、到着したらこれもレポートいたします。

てな感じかな。。

2023年4月24日 (月)

線路の記憶

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例によってうろ覚えです。

最初に体験(意識)したロングレールは、たぶん山手線の新大久保ー高田馬場間だったような気がする。

父がこの区間はしばらく(ジョイントの)音がしないんだ、と言っていた。っても、幼稚園ぐらいの頃の話なので、本当にその区間だったのかはっきりしない。

 

ロングレールとPC枕木は、国鉄の幹線には早くから普及していたようだが、例えば東武東上線辺りでいうと、1970年代半ばまではどちらもほぼなかった。PC枕木は池袋口から徐々に交換が始まっていたが、成増を過ぎるとほぼ木枕木だった。

あの頃、8000のミンデン台車とかは飛ばしていると軸ばねのあたりからバシャバシャ音を立てて?ピッチングさせながら走っていたような記憶がある。家の近くの線路を見ていたら、1959とか書いてあって、ずいぶん古いなあ、と思っていた。まあ15年ぐらい前ということなのだが。

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よく見てもらうと、線路の間に細い鉄板が2本平行に、間をおいて打ち付けてある。

枕木が長い時間のうちに移動してしまうのを防ぐため?

私の記憶ではこの手の補強?は東武以外では見なかったような気もする。

 

木枕木からPC枕木への交換は、一本ずつ(当たり前か)行われていた。工事の中途では一部が真っ白い枕木ときれいなバラスト、途中から茶色い枕木とバラストという具合に、コントラストが鮮やかだった。

なので、子どもの頃は手持ちの線路を一部灰色に塗って、近代化工事中、みたいな遊びをしていた。

あと、PC枕木化は高速で列車が通る本線から始まり、駅構内、それも待避線や留置線などは遅くまで木のまま残っていた。留置線は今でもみられるかな。

なんでそんなことを書いているかというと、最近トミックスのファイントラックを見ていたら、いつの間にか標準線路がPC枕木に変わっていたからだ。昔は新幹線でも、木枕木、茶道床の線路を走らせるしかなくて、いつになったら変わるのかね、とか思っていた時期もあった。

さすがに、実物で木枕木が延々続く路線ってもうあまりないですよね。。

もうひとつ、旧型車は制輪子が鋳鉄製のため、駅周辺の線路が赤さびで真っ赤になっていた(ブレーキ時に鉄粉が飛び散る)。複線区間だと列車が止まる側の線路がより赤く、発車して加速する側はそうでもない。勾配区間はやはり赤っぽいなど、区間によって色の具合が異なっていた。

これも子供にはとても印象に残る現象で、なんとかレイアウトでもこれを再現しようとしたものだ。レベルカラーのレッドブラウンとか、使うのだけど、どうしても暑苦しい感じになるのだよね。。実物の駅周辺もそんな感じで、沿線の民家なども相当やられていたと思う。

考えてみると、今の駅構内や周辺は昔よりずっときれいだ。バラストもまばらで枕木が半分土に埋もれたような線路とか、今は想像がつかないのではないか。側線になると急に枕木がまばらになったり、レールも37kgレールで細くなったりとか。

そろそろ、そういう考証が伝承されて行かないといけない時期なのかもしれませんね。

2022年11月30日 (水)

遅電

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久しぶりに通勤関係です。

と、いいながら上のカット写真は本文とは関係ありません。。考えてみるとこの路線、夕方は真西に向かって走っていくわけなので、角度によっては西日が直撃して運転しにくそうですね。

うちの近所車で走ると、そういうことは結構あります。車だとサンバイザーでなんとかよけますが、電車はそう曲がったりはしないので、大変じゃないですかね。。

 

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昨日、早朝に人身があったことはもう5時台のうちにわかっていました。

以前とは違い、フレックスなので激混みの駅に突っ込むことはほとんどないのですが、この日は10時に会議がありました。

ので、おおむねそれをクリアできる時間に行けばよい。

駅に8時前くらいについたかな。

ちょうど、乗り入れ列車が着線してきたので、自然にそれに乗ることになりました。そのまま乗っていけば、一部定期区間外ですが一応行けます。振替手続きすればいいので無問題です(実はけっこう日常的に乗ってる)。

混み具合は標準的でした。

この件で印象的だったのは、2年前の今ぐらいのこと。もうコロナは蔓延していて、みんな濃厚接触は避けたいと思っていたころです。

濃厚接触は避けたいのに、遅電すると昔の感覚がよみがえるのか、電車が来たらとにかくドアに手をかけて無理くり乗り込む人がたくさんいたのです。Aという駅で、ぜったいに無理なほど混んでいた電車(私はドア袖に立ってた)に強引に乗り込んだ女性のこと、まだ覚えています。

おもわずむっとして相手見ちゃいましたから。その方もなんかばつの悪そうな顔してましたけど。。

ところがその後、いつの時期からか無理しない感覚が次第に広がり、遅電で満員の電車を見ると、乗るのを見送る、という人も出るようになりました。いつだか、ここでも書いたかな。

この日も、あまり血相変えて無理に乗る人は見ませんでした。

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それはそうと、最寄駅から最初に乗ったときは元町・中華街行きだったこの電車、途中から急に行先が変わってしまったのには驚きました。

東急車なのに新木場行きになってしまった。

どうしようかな、と思って。。

小竹向原でふつう、二方向の列車がホームに並んで、お互い接続してますから、小竹についたら乗り換えようかな、と。

思ったのですが、ついてみたら向こうの列車も新木場行きでした。

今って、小竹から新木場までの有楽町線は車掌が乗務しませんよね。

もしかして、運変で車掌が足りなくなってしまったのかしら。

それと、氷川台あたりでかなり乗車があり、無理して降りるのもまた面倒だし・と思って、そのまま乗り続けることに。

実は、池袋駅から都心方向に向かう地下鉄なら、どれに乗ってもオフィスに行けちゃうんですよね。

一回乗り換えるパターンの乗り方が、時間にすると一番早い。だからこれを定期経路にしてます。

もっとも、本数がやや少なめなので、場合によっては時間がかかったりしますが。

有楽町線でも行けるのですが、駅ついてからちょっと歩くんだよね。それが面倒。

ですが、まあ時間も余裕があるしと思って。

有楽町線走る東急車、珍しくはあるけど、結構走ってもいるみたいですね。。

2022年9月25日 (日)

新幹線・

西九州新幹線に初日初乗車した友人たちも、昨夜無事帰ってきたようです。

66キロは短いですね。池袋からラビュー乗って西武秩父行くより短い。23分は池袋からTJライナー乗ってふじみ野行くのとどっこいどっこい。

正直言って、新幹線が開業するなんてこと、全く意識がありませんでした。夏頃友人がSNSで会話を初めて気が付いた。

ふと考えてみたのですが、私はJR発足後に開業した新幹線に、ほとんど乗っていません。

全く乗ってないかと思ったら、東京-上野間だけは乗っていた。東北新幹線は盛岡まで、上越新幹線は新潟、東海道、山陽は博多までは一応乗っています。山形、秋田、北海道、北陸、九州、乗ってないな・。

先日友人が国内線旅客機の搭乗記録をリストしたのを見せてくれましたが、国内線は35年間乗ってないし、海外にも11年間行ってない。

いまの感じだと海外なんか当分行かないでしょうし、国内もあまり行かないかもな。。

もともと乗り鉄じゃないですけど、乗らないにもほどがあるって感じですね。。

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西九州新幹線も、暫定開業にあたっては色々と問題があるみたいですし、先月は北海道新幹線札幌延伸に伴う、並行在来線についても色々ニュースが出ていました。整備新幹線ではありませんが、つい先日はリニア新幹線について、沿線になる地域の県知事が発言しているのがニュースで取り上げられました。

新幹線開業直前の東海道本線は、各種の優等列車が1時間に10本余りも走るような賑わいを見せていたそうです。先日京都からの行きかえり、車窓から見える並行在来線を見て、列車見えねえな、と思ってましたが、当時のファンはそれなりに感慨深いものを感じたことでしょう。もっとも、当時の日本はそれだけ勢いがあったのか、わずか8年前に全線電化して新鋭の電機が牽く特急が走るようになり、その2年後には最新技術に基づく特急と急行、さらに豪華寝台列車が登場し、さらに2年たつと客車に代わって豪華設備の特急電車が走り、その翌年にも増発が行われています。そこからわずか3年、そうした輸送力増強への努力をリセットして、全く違う路線と列車を走らせてしまう。

東北、上越の在来線特急には乗ったことがありますし、あのころ上野ー大宮あたりの国電に乗っていると、ひっきりなしに赤とクリームの特急が走っていて、たいそうにぎやかでした。学校の行事などで東北方面には何度も行きましたが、ほぼ一日がかりでも、旅は楽しかった記憶があります。

長崎も18年前に行ったな。ちょうど今ぐらい。夕方新幹線から乗り換えて、ついたのが夜だったけどきれいな車両(787系?)で快適だった。長崎も地上駅で、ターミナルっぽい感じが良かった。いまはすっかり変わっちゃったのだね。。

列車が速くなればそれだけ利便も増すでしょうけど、概してファンというのは保守的なもの。これまで活躍してきた列車や路線の方にも目を向ける人は多いと思います。

もう日本はそんなに無理すること、できないんじゃないですかね。。あまり古い計画に縛られることなく、鉄道を維持していってもらいたい気がしますねえ。

2022年6月30日 (木)

非冷房車の記憶

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鉄道の冷房装置の普及は日本にあっては1960年代ぐらいからで、1957年に登場した小田急3000(初代)も最初は冷房がなかったらしい。特急や1等車、その後急行型も冷房装置を取り付けるようになったが、ほぼ同じころに通勤型にも冷房車が登場した。

一般的には京王帝都5000系、阪神7001型あたりが(名鉄5500も料金不要だが、クロスシートなので)通勤冷房車のはしり、といわれている。国鉄103系も、試作車を1970年に製作しているので、国私鉄それほど大きなずれはない。

70年代に入ると、ほんの数年で新製車は冷房付きが当たり前になった。東武も西武も、71年ごろまでは非冷房車だったが、72年から冷房付きになっている。地下鉄は別だ。営団(メトロ)が冷房を「容認」したのは昭和の終わりごろだ。

ほどなく従来車の冷房改造も始まったが、代替新造を含め、すべての車両が冷房車になるにはかなりの時間がかかった。東武は79年の5000系まで、更新車には冷房を取り付けていなかったので、冷房化率が100%になったのは1996年のことだ。

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70年代の半ば、首都圏各鉄道の冷房車は、一般世間でもよく話題になっていて、新聞に各鉄道の冷房化率が取り上げられていた。

京王などはかなり高く、意外なことに東急はひじょうに低かった。たしか、1975年で7%だったかな。

その頃はステンレスカーを改造するのは難しいのかな、と思ったりしていた。

東上線は72年の新製車8156Fを皮切りに、73,74年製の8161-64F、改造車の8105,6,10,12(多少抜けてるかも)など、6R車の冷房化が先行していた。そのころ電車を日々利用することはなかったが、そこそこの確率で冷房車に乗ることはできた。

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非冷房車の場合は車内扇風機+窓開けで対処することになる。

8000は窓が全開できない。上段は落とし込み方式で上1/4程度開き、その場合は下段の上昇も制約を受ける。

下段だけ上に上げると、窓半分程度は開口する。

今は下段の開口はできなくなっている。

上下に少し開けた状態というのは、立ち客にも風が行くし、座っている客も危なくないので、当時としては悪くない方式だったと思う。

が、当時は個人的にはちょっと不満だった。国電や西武は完全に全開できたが、そうした車がうらやましかった。

ちなみにこの上段下降、下段上昇式は国鉄急行電車と同じだ。

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旧型は2段上昇式だ。国電72系、あるいは101,103系もそうだが、上段は手で持ち上げて、車体側の溝にのっけて固定する(1アクションのみ)。下段はヒの字型の留め具がついている。101系などのように完全に全開はせず、一番明けた状態でも上端に下段窓の一部が残る。

今、6月なのにすごく暑いけど、学生時代は本当に暑い7月梅雨明けから9月ぐらいまでは朝の電車に乗らなかった。

朝ラッシュの非冷房車が身に染みたのは社会人になってから、地下鉄とその乗り入れ車に乗った時だ。

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もっとも、窓の開いているのは嫌いじゃなかった。

今でも一人で車乗るときは、窓開ける方が好きだが、風を浴びながら電車乗るのは結構好き。

日光線の6000とか、とても気持ちよかった。

逆に秋口とか、気温が20度台のときに、ぬるい冷房掛けられると、空気がよどんだ感じがしてあまり好きではない。

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ひところ、残り少なくなった非冷房車を追っかけて?乗ろうとしていたことがある。

秩父鉄道1000は、3両のうち中間車のみ、冷房がなかった。

昔を偲べるかな、と思って乗りに行ったりしたが、この時代の人たちは電車の窓を開ける、ということが習慣でないのか、冷房がないことに気がつかないのか、ぜんぜん窓を開けていなかった。

たしか、空いているときを狙って開けた気もするけど、下段は固定されてたかな。開けるのも勇気がいるんだよね。

同じころ、北勢線の非冷房車にも乗った(これも1両のみ冷房がない)けど、やはり窓が開いていなかった。客がぜんぜん乗ってなかったので、やはり自分で開けた。

2年前、コロナで窓を開けることが推奨されるようになった頃、窓から走行音が入ってくるのが妙に懐かしく感じられた。ちょっと、デジャブに浸ったりしていた。

なんだけど、さすがにもう、窓開けはちょっとしんどい。マスク同様、やりだしたら止められないのかもしれないが、何とかならんのかな。。

 

 

2022年4月17日 (日)

貫通幌

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SNSで幌の話がでて、ふと古い写真を見直してみたのですが、貫通幌って色んな形があり、しかも今では見られないディティールがあるようなので、ちょっとおどろいているところです。。

6000系の写真ですが、上の中央部分に幌吊(というのかしら)があり、下にはなんというか勾玉みたいな金属の何か(?)、そしてなによりも運転台脇のところに、マジックハンドみたいな金属のパーツがついています。これは、なんという名称なのでしょうか?

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この様式は60年代から70年代にかけての、新型車両に共通した装備のようです。

これは3000系ですが、車体は60年代後半のものです。この車両、色が少しはっきりしませんが、セイジクリームに変更した直後まで見られた、オレンジ色の幌のようです。旧塗装時代、幌は布製ゴム引きで、表面が車体と同じオレンジ(塗り分けはない)に塗られていました。

これが割とやわらかい材質で、経年で穴があきやすいものでした。殊に昔はタバコ吸う人がいて、それを連結面に捨てると焼けて穴になったりしたものです。

そこから流れる線路が見えるので、よく眺めて遊んでいました。

で、塗装変更になっても幌の塗り替えはされずに、このように幌だけオレンジと言う車両がけっこういたのです。

8000の様式装備史に詳しい人なら、どこかの時点で幌の様式変更が行われたか、把握されているはずです。私が知っているのは76年のビッグマイナーの後は、現行のグレイ新材質、金属の介添パーツなしになっています(幌吊を除く)。

確か75年ごろ、きれいなグレイの幌を付けた8000がいて、脇に小さく「新型幌試用」と書かれていたのを見たことがあります。

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旧型はこういう感じです。新型との違いは、運転台脇のマジックハンドがついていないところ。

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連結面。これがオレンジだったかどうかというと、そうではないようです。

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再掲です。他の写真も一二度掲げてるかも。。さいきんは再掲写真が多くなりましたね。。

この頃(80年ごろ)1/80で7820を自作しましたが、幌枠は確かエコーのパーツで、幌自体は0.4mmの真鍮線を重ねて表現しました。

色は軍艦色グレー(床下と同じ)です。そういう感じの色に思えていたんだと思います。

関係ないけど、パンタのフック外しが青色ですね。なんか覚えてるな。

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幌の様式は国鉄でも客車と気動車と電車では違いましたね。

客車は両脇にダンパーみたいな形のものがついていました。京阪はこのタイプだったようです。

運転台脇付近の幌枠に、耳のようなものがついていますが、これ模型ではよく表現されているけど、どういう意味があるのかな。

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近鉄は幌枠がない、というか線状の細いもので、なんだか傘をくしゃっとまとめたような形でした。

旧型車もこれに交換されて、2200型など、昔は京阪みたいな立派なのがついていたのに、ひじょうに貫禄のない顔になってしまいました。

それも今となっては、時代を現す特徴とも思えますが。

 

というわけで、幌の時代考証には色々謎が多いことに気が付きました。

2021年7月11日 (日)

雑談、昔話

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4年前にここでも紹介しましたが、池袋のとあるビルに電車の正面部が保存されました。

やがて丸善池袋店として開業しましたが、4年が経過したこの7月いっぱいで閉店になるのだそうです。

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近くにジュンク堂書店がありますが、これと丸善は同じ企業グループで、丸善池袋店は主に文房具を取り扱っています。

1階は丸善名物の早矢仕ライスも食べられる喫茶店、地下一階が文房具売り場、2階はアウトレット本とか、絵本なんかを売っているようです。地下一階の文具売り場は大手町とかと比べてもゆったりしていて、選びやすい感じですが・、閉店は残念です。

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喫茶店店内側から。京急と西武は乗務員仕切りまで残っていたんですね。。そして東急7700も。

こういうことは、よほどの鉄でないと思いつかない(それもお金がないとね)。

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2階から。車両(のオブジェ)は丸善の持ち物ではなさそうなので、今後どうなるのか、見守りたいと思います。

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丸善に行ったのはもう2週間も前のことです。時間のたつのは早いですね。

今月初めにはこれが来ました。KATOのEF58 150宮原機関区。大窓、鎧戸エアフィルター、PS15パンタの仕様です。

特にこだわりがあったわけではなく、偶々58を買いたいときにこれが発売になったという・。上越型とか、そのうち揃えたいところですが。。

まだ手すりとかつけていませんが、軽く走らせたところではこれ、フライホイール利いてヌルヌルですね。

後ろのトミックス(1993年ごろ購入)もスプリングウォームをズビズビ唸らせて調子はいいです。こちらも手すりが取れてしまったので、2月に銀河モデルのパーツを調達したのですが、まだ手を付けていません。

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急に暑くなりましたが、ふと昔のことを思い出しました。

30数年前、昭和から平成に変わる前後のことです。

職場は内幸町でしたが、夕方帰るときはふらふらと銀座辺りを歩いて、しばしば銀座一丁目あたりから電車に乗っていました。

当時営団地下鉄は、トンネル内に熱がこもると言って、車両冷房を行わない方針を取っていました。

代わりに駅冷房、トンネル冷房を進める、としていましたが、たしか銀座一丁目、有楽町は冷房がなくて、ホームで電車を待っているとどっよ~んとした空気がとても耐えがたい感じで、つらかったです。

有楽町なんかはかなり最近まで冷房なかったんじゃないかな。。利いていないだけか?

銀座一丁目だと、わりと確実に座れたのですが、京葉線が開業して接続するようになると、ディズニーランドに行くのに便利になります。

それでもふだんは気がつきませんでしたが、夏休みに入ると、ドアが開き車内を見渡した瞬間、くたくたになって眠りこけている親子連れが座席を占拠している様子が目に飛び込んで来ます。

引きずり倒してこっちは仕事で疲れてるんだぞ!とか、言いたいところですが我慢します。

それでも席にありついて、昔は小竹で西武線側にも行かなかったし、池袋以北はわりと空いていたんですね。

こんどはこっちが眠りこけていると、そのうち営団成増を過ぎて、地上に出ます。

まだ少し空が明かるくて、寝ざめでチリチリした顔をぬぐいながら、どうにもけだるい気分で外の風を浴びていたのを思い出します。。

2021年5月 5日 (水)

KATO マニ60 200

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先日GMの塗装済みキットマニ60を組んだ話をしましたが、連休最初の日にKATOの完成品マニ60 200も到着しました。

 

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古くから製品化されているタイプ(確か1980年の春頃出たと記憶しています)は半室合造車(オハユニなど)改造のもので、ゆったりした窓配置が特徴でしたが、こちらは幅700mmの窓が並ぶタイプです。

外見上はやや重苦しい印象があるかもしれません。

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GMのモデルも基本的には同じタイプです。但しマニ60には色々なバリエーションがあるので、完全に同じタイプではないかも。

GMは片側のドアがHゴム化されています。また、ベンチレーターの数がやや少ないようです(これは説明書の指示に従っただけで、制作時に追加することも可能。手許の資料を見ると、KATOのタイプが多いように思えます)。

というわけで、連休中の鉄道関係の活動はこの程度です。。

以前は毎年どこかしら撮影に行くなどしていましたが、どこも行かなかったな。

コロナ禍とはいえ、近場なら行っても良かったのですが。。

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ここ数か月、撮り鉄方面の不祥事が色々伝わってきて、ちょっと気が引けた、と言うのはあります。

鉄橋付近で線路内立ち入りしたファンが運転士に注意されたり、私有地に入りこんで植木を勝手に刈り取る、ホームでトラブルの末、中学生に頭蓋骨骨折の重傷を負わせて逃走する、などの犯罪行為が相次ぎましたね。。

引退間近の車両を撮影しようと躍起になって、ということらしいですが、どこかで何とかしないといけなくなっている気もします。

ただ、鉄道側もファンの活動をあおる、と言っては語弊がありますが、昔ならやらなかった告知をしていることも事実です。

先月1か月、SNSの西武関連グループでは投稿のほとんどがレッドアロークラシック一色になっていました。

鉄道側が4月29日運用終了を告知していますし、記念列車も運行しました。

幸いこちらはトラブル等は報告されていませんが、人気の高いJR車などは、鉄道側も報道を考えるべきだという気がします。

西武のSNSグループは、あんまりレックラばかり見せられるので、しばらく表示しないようにしています。グループの方々に罪は全くないけど、少し考えさせられるところがあって。。

写真は10年前の拝島。自分も撮り鉄している(た)し、こういう場に行くと挨拶交わしてくれる、マナーの良い方も多いことはよく知っているので、一部の人たちのことはとても残念。。

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