
先週出たピクトリアルの9月号(No. 1041)の特集は冷房車とのこと。
本屋で見かけて、どうしようかなと思ったが結局買ってしまった。
南海が戦前に運行した冷房付き2000型の写真が載っていたのが決め手。今まで見かけた写真は戦後の、冷房運転を終了したものばかりだったが、今回は屋根に分散冷房をつけたクハ2802が、難波の駅に到着している夏姿の写真が載っていた。昭和11,12年の2シーズン(ほとんどの車両は12年竣工なので実質1シーズン)だったそうですね。
料金不要の冷房車は昭和34年の名鉄5500系、通勤型は43年の京王帝都5000系が始まりとされる。国鉄は昭和45年に103系が山手線に、冷改した113系が関西に登場している。
大手私鉄の冷房化元年もおおむね昭和45年頃のようだ。上記写真右のピク1970年8月号では、前述103系冷房車の登場と、各私鉄の冷房車について概観している。また冷房付きの新車として阪急5200系、阪神7001,7801が紹介されている。
’25年9月号でも「大手私鉄の通勤冷房車」という記事があり、各私鉄の通勤車の冷房化の経緯が紹介されている。
ただ、かなり総論的な記事となっていて、少し食い足りない所もある。
通勤冷房車としての始まりは京王だったが、その後の追随は関西勢が早くて、上記阪神、阪急の他京阪が1969年、南海も70年には冷房車を出している。
ただ、近鉄は初代ビスタカーの更新車である2680系を71年に出したが、本格的な通勤冷房車開発は関西他社より少し遅れている。
近鉄では昭和41年にラインデリア付きの通勤車を各路線向けに新造し、これを推進しようとしていた節がある。2600系(1970年)の紹介記事では当社が開発したラインデリア、とあり、夏場の通風装置として一定の成果を期待する向きもあったようだ。大阪、名古屋線用2800系の登場こそ1972年だが、奈良線用8600系の登場は1973年、南大阪線6200系は1974年の登場だ。
京王5000系については詳述されているが、子供の頃はあのクリームに赤帯の電車は全部冷房車かと思っていた。幡谷に親戚があり、良く乗るのがグリーンカーだったので、冷房特急はうらやましかった。’76年の夏に訪れたとき、乗った電車が5000系(たぶん)の非冷房車だったので驚いた。後には吊掛式(5100)もある事を知り、更に驚いたりしている。。
関東私鉄ではほかに小田急の2478が編成で1両だけ冷房改造(1968年)、1970年になって東急8000、71年に東急8000、京急の600(改造)、1000と続く。72年に東武、西武、京成も冷房車を新製して足並みがそろう。ただし東急は新玉川線専用とはいえ、8500の非冷房車を76年に新製したりしている。
東急は冷房車の製作自体は早かったが、経年の浅い車両はオールステンレスのものが多く、冷房改造のペースは遅かったと記憶している。その前の5000系は軽量設計故、冷改ができなかったのだろう。支線区は吊り掛けの3000系で、たしか池上線には長いこと冷房車がいなかったのではないか。
昭和50年頃の新聞記事だったと思うけど、各私鉄の冷房化率(懐かしい言い方!)を表にしたものが出ていた。東急と京成が一けた台だったかな。京成も3300より前の車両が冷改されるのは80年代に入ってからで、冷房化率がとても低かった。
当時は線区により冷房車が偏在する様子が見られた。支線には経年の古い車両が多く、冷房車があまり入らなかった。このため、各鉄道では運用を変更して、最低1編成は冷房車を入れるように工夫する姿も見られた。
昭和53年の国鉄編成表を眺めていると、ここは前年に101系から103系に車両が変更されたが(編成は8両だったので山手線とは別運用)、冷房車としては試作冷房を含む1編成だけだ。

この時の池袋区、品川区(当時の山手線車両の所属区)の編成表を見ると、意外というか冷房化が相当進んでいる。ATC対応のクハを集中的に投入した成果だろうか。クハだけ冷房付き、高運転台の車両を先行して置き換えたため、編成中両端の2両だけが冷房装置付き、となるケースがあったが、編成表を見る限り山手線ではあまり目立たない。京浜東北にはこれが多く、当時下十条に多かった7+3(クモハを含む編成)では3連のユニットが見事に全部非冷房だ。
クハだけ冷房付きの車は、電源がないから当然に冷房使用ができない。これを、乗務員だけ冷房使ってる、という誤解が一般乗客の間にささやかれた事があった。今なら炎上案件かもしれない。

東武では1972年の8156Fが最初の冷房車で東上線に、同時に8157Fを本線に投入した。
6コテを中心に冷房改造も進んだので、冷房化は比較的スムーズだったように思う。例外は快速の6000系で、6050系に更新される1985年まで非冷房のままだった。支線区の3000系統や、本線でも73,78は冷改できなかったが、古い車が非冷房で残るのは各鉄道共通だった。
東武の場合、78の改造車を非冷房のまま更新(5000系、1979年)するという事をやり、流石に時流に沿ってないと感じたのか、2年後に冷房付きの5050系に変更している。
冷房化が進行している頃は通学で利用していた。ラッシュ時に非冷房は暑かったはずだが、学生時代はそれほど記憶がない。盛夏の7,8月は学校行かなかったからかな。何かの用で少し遅く通学したときの電車が73で、そのとき暑かったことは覚えている。
社会人になってからは地下鉄を利用して、地下線に入ると冷房車でも冷房を切られるのには閉口した。

非冷房車は2000年代にはいるとほぼ絶滅してしまう。
その頃、窓の開いた電車が懐かしくなって、あえて非冷房車を求めて乗りに行ったりした。
秩父鉄道1000系は、中間車だけなぜか非冷房だった。
車内も懐かしい感じなので期待して行ったが、窓は下段が固定になっていて、6月のこの時期に窓を開ける人はおらず、失望したのを覚えている。
国電や西武の通勤車の窓は2段上昇式で、夏場には全開できるのがうらやましかった。

東武8000や2000は国鉄急行型電車と同じ上段下降、下段上昇式で、一番開いた状態でも窓面積の半分しか開かない。
78などの旧型は2段上昇式だが、全開すると下段が多少引き残る。
もっとも、いまにして思えば安全面からも、立ち客、着座客双方に通風がある点からもこの方が合理的な気もするが・。
後には安全面からか、西武も東武も下段は固定され、開口範囲は更に狭くなった。
窓の開いた電車が懐かしかった時期があったが、2011年の東日本震災(節電のため)、20年のコロナ期に窓が開けられるようになったのには驚いた。
流石に今年は窓開けしている路線はないと思うけど、あの変な習慣はかなり後を引いたね。夏はまだしも、冬の窓開けには閉口させられた。雨が吹き込んで座席がびしょぬれになったりとかね。。
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