お盆休みを利用して福島の辺りをうろついてきました。
前回は仙台周辺を乗り鉄しましたが、今回は車を利用していにしえの鉄道路線を追いました。
まずは福島交通軌道線。
廃止は1971年4月のことで、個人的には縁もゆかりもないのですが、その存在は中学の頃から知っていました。
ソースはこの鉄道ファン(1964年12月号)の記事です。なぜか古本で近所の模型店に出ていたのを、買って読んでいたのです。
この頃は各路線とも健在で運転頻度も高く、新式の車両も整備されていたようです。
福島駅から市街地を抜けて、国道4号線に並行するようにして伊達方面に北上、長岡分岐点を西に向かうと車庫のある聖光学院前、そこから伊達駅前、および鉄道線飯坂温泉の対岸に駅のある湯野町に向かいます。
長岡分岐点を東に向かうと国道4号と阿武隈川を越えて田園地帯をひた走り、保原へ。さらに北東にある梁川に行く路線と、霊山方面掛田に向かう路線に分かれます。
廃線跡探訪と言っても、かなりてきとうです。
もとより福島駅の中心街などは面影があるはずもなく、一応駅前広場を車でくるっと周り、国道4号に向かいました。国道も今は片側2車線のバイパス線が中心になっています。軌道線は競馬場を過ぎてしばらくしたところから旧道を通るなど、必ずしもバイパス線上を走っていたわけではないようです。
車は399号線との交差を右折して阿武隈川を渡ります。この橋の辺りは写真もたくさん残っているので、止まって撮影しておけばよかったですね。。
保原にはバスターミナルがあり、そこが旧保原駅であったようです。
建物は軌道線時代とは別物でしょう。敷地自体はこんな感じで、奥の方に貨物ホームがあったようです。
掛田行きはかつての掛田線をなぞった経路を行く路線のようです。
梁川線はそれを完全にトレースするようなバス路線はありません。梁川の駅跡自体が全く痕跡がなくなっているとのことです。
私は国道349号線上をずっと走ってしまい、途中から廃線跡を外れてしまいました。
保存車両はその先の公民館等の駐車場敷地にあります。
車両は定期的に整備されているようで、現役引退後50年を超えているにもかかわらずかなりきれいです。
車内に入ることはできませんが、時折公開しているようです。
車幅はほぼ乗用車程度の幅しかなかったようです。
伊達市のウェブサイトにもページがありますが、軌道線は街の歴史の中で重要な位置づけにあるように思得ました。
昔の沿線風景をほうふつとさせるな、と思って撮ったのですが、どうやらここは旧線から外れた位置だったようです。。
この辺でだんだん夕方になってきて、少し焦る。
阿武隈急行の梁川駅です。軌道線の駅はここから数百メートル北側にあったようです。
電車が止まっていますが、近づいてみるとなにやら撮影をしていました。
思わずカメラを向けたら、撮影はご遠慮くださいと。映画の撮影をしているようでした。
ので、ここまでの写真にとどめます。。
続いて保原から南に下る掛田線の終点。
ここは駅舎が当時のまま残っています。
手前の道路が元の線路敷で、柱の並んでいるところがホームでした。
軌道線ですが立派な地方鉄道式の駅舎ですね。築何十年なのか。あのM9の地震も乗り越えたのですね。。
どなたかのウェブサイトで知りましたが、当時の発車ベルだそうです。
中が資料館になっているそうですが、平日開館とのことで見ることはできませんでした。
掛川は奥ゆかし気な街で、少し古めの建物が整然と並んでいました。
保原と梁川はそれぞれ阿武隈急行の駅ができているので、福島へのアクセス性は往時よりだいぶ良くなったことでしょう。
裏を返せばそれだけ輸送需要はあったことになりますが、往時の風潮(路面鉄道からモータリゼーション推進の方向性)はさておき、路線改良と一部区間の廃止で生き延びることができたか。。
駅前周辺の整備さえクリアできれば、もしかしたらはあるかもですが、それでも阿武急開業で命脈は尽きたでしょうし、まあ仕方がないかもですね。。
掛田から今度は湯野町というか、飯坂温泉を目指しました。
一部バイパスを使い、伊達桑折で降りて4号線経由で399号線に戻ります。
途中長岡、聖光学院という地名表示を見かけます。ああこの辺なのかな、と思いながら。
もう午後6時を回ってしまった。
ここから鉄道線に乗ってみようかと思ってたのですが、駐車場はなくて(ファミマに一時駐車。お買い物はしましたけど)、時間も遅いので断念。
駅前の宿に投宿。
また701系に会えました。
阿武急と飯坂線は次回の宿題です。
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