線路の話
前回、50年ぐらい前のNゲージの固定式線路の話を書いたら、色々思い出してきた。
ので、もう少し補足を書けないかとネットで検索していたら、自分のブログが出てきた。10年ぐらい前にも同じようなことを書いてたみたいです。。
ので、それとはちがう雑談のようなことを書きます。
最初に鉄道模型を始めた頃、主力はいわゆるHOゲージでした。私の場合、ちょうど興味を持ち始めた頃に発売された関水のブルートレイン・セットを買ったのですが、HOではカツミがいくつもの入門セットを発売していて、そちらを買う可能性も大いにあったのです。
カツミのセットに入っていたのは、同社(カツミ=エンドウ)の金属道床線路でした。
鉄板をプレスして枕木を浮き出し、そこに真鍮製のレールを留めたものです。
仮設線路としては使いやすいものだったので、恐らく当時、初心者からベテランまでかなりの人が使っていたものと思われます。
表面は何か模様の入ったビニールで、道床部分と左右のレールとは絶縁されています。
枕木は色分けされていませんが、今見るとPC枕木風でむしろ昔より違和感がないかもしれません。
レールは真鍮です。うちにあるのは40年ほど前に中古で買ったものですが、この直線路は引き抜きレール、16本組という曲線路は薄板をプレスしてレールの形にしたガラレールでした。
レールジョイナーは右側についています。
仮設線路としてはひじょうに便利でしたが、これを固定式レイアウトに使った人はいなかったと思います。
レイアウト全書(機芸出版社)P30「組み立て式レイアウトのすべて」山崎喜陽より。
記事は60年代半ばに書かれたものと思われますが、当時の16.5mmの線路の状況がこれで読み取れます。Aがいわゆる木製道床(ムクの木材から枕木部分を削りだしたもの)、Bは木製道床にボール紙の線路を貼り付け、Cはベニヤ道床で、篠原の固定式線路を組み合わせるもの。
Dが上述カツミの金属道床、Eはコルク道床にフレキ線路を乗せる形のもの、という説明です。
山崎氏はここで、Aが現在最も普及している、と言っています。
木製道床は博物館などで時折見かけることがあります。灰色に塗られていることが多いようですが、時々ニス塗りになっているのを見ると、なにか高級感のようなものを感じます。枕木全体がやや大きめで、篠原の線路に比べると狭軌の感じが出ている気がします。
固定式レイアウトにもよく使われました(上記レイアウト全書掲載の多くのレイアウトにも採用されています)。
当時でも相当の手数がかかった製品だったのでしょうね。いつだか忘れましたが(平成になってから?)たしかカワイがTMSに一部の線路を再生産した旨の広告を出していた記憶があります。
上の表でCと言っているのは、篠原の固定式線路と対応する木製道床と思われます。これは近所の模型店で見かけたことがあり、線路と道床両方買って自分で固定すればいいんだな、と思っていました。昔のTMSの広告には固定式線路の事は描いてありますが、道床の値段は載っていません。それほど普及はしなかったのかもしれません。
記事で「ジョイナーは反対側」と言っているのは、篠原の線路のジョイナーが左側という意味なのでしょう。木製道床は右側という事になりますが、先の金属道床も右側、さいきんのエンドウの線路も右側です。
詳細は不明ですが、日本由来の線路は右ジョイナー、海外向(または海外からきたもの)は左ジョイナーという区分けができるのでしょうか。
Nではトミックスが右、KATOは(HOも)左ですね。
最初に戻って、私が模型を始めた1970年代半ばごろは、HO界隈では金属道床の線路と、篠原の線路ー組線路よりむしろフレキシブル線路を中心とした製品群ーが主体でした。フレキは使いようによっては便利ですし安いので(当時400円台)、当時でも年間数万本は売れたそうです。但し、ご存じのように買ってそのままという訳には行きませんから、最低でも道床を作って一定の組線路にする必要があります。
これは想像ですが、当時の車両模型偏重の16番で、そこまで熱心に(組み立て式であれ)レイアウトに取り組んだ人はあまりいなかったのではないでしょうか。
与太話が続きましたが、一定の結論としては;
- 1960年代後半には木製道床線路が市場に出回らなくなり、その隙間を金属道床とフレキ線路+ポイント群が埋めていった
- 金属道床はレイアウトには使えない。フレキは簡単な運転ボードを作るにしても、一定の工作が必要になる。
- 当時の16番は車両模型が中心。車両のみで良しとする層は金属道床を主に使った。
- フレキは安価故普及したし、TMSではフレキを使った本格的なレイアウトが紹介されていた。しかし、それを使いこなせる人は少なかった。
- 結果、16番ユーザーは運転をあまりしない層と、一部の工作力(と、スペースなどの諸条件)のある層に分化していった。同時にNゲージが普及し、中間ユーザー的な人はNなら簡単にレイアウトが作れると感じてそちらに移行した。
というナラティブを考えてみました。
もともと日本は、特にHOは英米の影響が強く、メルクリンをはじめとする欧州的な模型とは違う方向(市場というよりは業界やマスコミが)だったのですが、その中ではカツミ-エンドウの普及型模型システムは頑張ってきた方なのかもしれません。
それでも、カツミがもう一歩踏み出してメルクリン的な線路システムを、70年前後に展開してくれたら、その後の状況は変わっていったような気がします。
とか書きながら、やはり70年代半ばの日本におけるNの台頭(と16番の退潮)は市場とのマッチングその他の条件を考えると、必然だったのでしょうね。
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