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2025年8月24日 (日)

ほしあい眼科さんの保存車

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*すべての写真は敷地外からの撮影です。

金曜日は休暇で日中用務がありましたが、午後は少し時間が空いたので、前から気になっていたこちらを訪れてみました。

といって、うちから県東部に行くのは地図上ではそうでもなくても、意外と時間がかかるものです。整備途中の見慣れない道路を走るのは意外と手間でした。ちょうど夕方だったので、だいぶ時間もかかってしまった。

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ナビに従って、浦和美園駅のロータリーを抜けて細い道からイオンの脇を抜け、中央分離帯のある広い道を直進すると、反対車線にそれらしいものが見えてきます。

すぐ近くにコイン駐車場らしきものもなかったので、ドラッグストアをみつけてそこに駐車し、もちろんお店に入って龍角散をちゃんと買って、ちょっとだけ歩いて見に行きました。

道を走っていて、これを見かけたらすごいインパクトですよね。

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1両丸ごとではなく、このようにカットされています。特にEF66の切られっぷりはすごいです。台車ですら1/3ぐらいしか残っていません。

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66の方は機械室との仕切りらしきところでカットされています。仕切り部分は室内色で塗られています。

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81の方は台車1つ分の長さで切っています。なんとなくBトレイン風味が出てきますね。

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気動車は1両まるごとの保存です。患者さんも待合などで利用できるようです。

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オリジナルは羽幌炭鉱鉄道発注のキハ22だったようですが、直近は茨城交通(ひたちなか海浜鉄道)に転じて、そこで廃車となり保管されていたようです。

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流山の2両は、建物から飛び出している所を見ると、室内から運転台にはいれるのでしょうか。

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どちらも運転室仕切りは遺っていることがわかります。

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2008年の2月。顔に光が回っていませんし、珍しくポジで撮っていて、露出もいまいちです。

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こちらは既に廃車のようで、ヘッドライトも外されています。反対側の先頭車がいませんが、これが保存されたのですかね。

または別の編成で、色だけ変えたのかな?

というわけで。

ひじょうに感心したのは、車両の塗装管理がとてもしっかりしていることです。

鋼製車体なので、塗装の退色や錆は数年で発生してしまいます。機関車の端面の処理と言い、かなり丁寧に管理されている様子がうかがえます。

先日私も眼科のおせわになりましたが、生憎と遠路ここまで来て診療をうけることはちょっと無理です。しかし、ご近所では相当な評判でしょうし、行きたいという子供の患者さんも多いでしょうね。

 

それにしても、廃車がこれだけ集まっているのに、診療する科目は眼医者さんなのですね。。

 

2025年8月17日 (日)

鹿島鉄道の保存車を見に行く

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寝る前によく見ているタブレットのブラウザに、ほっとパーク鉾田のページが開いたままになっていた。

しばらく前に検索して、保存車がここにあることを見ていたのだと思う。

メインブログには書いてるけど、この夏は体調が悪いのだが、今日は多少良さそうなので(個人としてはちょっと冒険だが)、足を延ばしてみることにした。

事前に検索すると、保存会の方々が整備をして、時折「公開」をしているらしい。

この「公開」は車内の公開等を示しているものと思われるが、ウェブでは内容が確認できなかった。ほっとパークは入浴やプールなどの施設だが、その一角にあるという事は何らかの入場料が必要なのか、それもわからなかった。

わからないが、とにかく行ってみた。

ナビに従って細い道を曲がりながら進むと、大きな駐車場の入り口に着いた。

その先に保存車が見える。特にアドミッションのようなものはないみたいだ。

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保存されているのはKR505とキハ601である。

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601は1936年製のキハ07を譲受して改装を加えたもの。最終期には冷房化もされていた。

505のほうは1992年製。

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有志の方々の手で、かなり丁寧に整備されているようだ。

ただ、野外保存で限られた空間のため、整備は簡単ではなさそうに思えた。

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場所は鉾田駅の西方、旧坂戸駅に近い辺りになると思う。かなり広々とした場所で、土地勘のないよそ者にはスマホの小さな地図ではわかりにくい。

せっかく来たので、ほっとパークのレストランで食事をした。冒頭の写真はレストランの窓から撮ったもの。

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その、鉾田駅跡にも行って見た。

ナビでは場所を特定できず、スマホの地図を見ながら適当に走った。

バスが多数駐車しているのでよくみたら、崩れたホームが見えたのでここだとわかった。

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駅構内は廃止当初そのまま保存されていたそうだが、東日本大震災のとき、液状化現象でホームが崩壊してしまった由。

今はこんな状態になっている。

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当時の様子は不明だが、敷地の一部は転用されてここだけが残っているようだ。

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線路のあったであろう方角は草で埋もれている。

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駅舎は特徴的な建築だったため、保存の検討もされたが老朽化がひどく、解体された由。

この辺りだったらしい。

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名前としてはまだ残っている。

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ついでなので、鹿島臨海鉄道の新鉾田駅にも行ってみた。

こちらは高架線で駅前のターミナルも整備されている。鉾田駅からは歩いて20分ほどあり、連絡バスもほとんどない。

お互い関係ない存在なのかもしれない。

廃止から18年になるが、駅跡などはバスターミナルとして再整備されるか、宅地として再利用されるなどして、遺構はあまり残っていないようだ。以前訪れた榎本駅でも見てみるか、と思ったが、何も残ってないらしい。体調も万全ではないのでこれを潮に帰宅することにした。


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鹿島鉄道は現役当時、全線乗車はしていない。

写真を撮りに1,2度訪れただけだ。

2001年8月、銚子電鉄を撮影した帰りに、はるばる銚子から北上してここまで来た(車で)。

どういう考えで行ったのか、全然覚えていない。

ただしここ(榎本駅)は、TMS1974年12月号の冒頭グラフで、駅の様子が図入りで詳細に紹介されていた。

それが記憶に残っていたのだと思う。

既にグラフで紹介された木造駅舎はなく、ログハウス風の小さな駅舎に変わっていた。

石油タンクや抜き取り施設もまだあった。後から聞いた話だが、この2001年8月に当駅での貨物輸送(パイプラインへの石油積み込み)が廃止されたらしい。この日(8月10日)が廃止前であったかどうかはわからない。

現役の頃の601。既に冷房が使われていて、車内から出てきたおばさんが外の暑さにたじろいでいる。

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2003年1月。石岡駅の機関区は駅東方に広がっていた。南側に陸橋があり、ホームからも車両の様子がよく見えた。

右奥の500型が保存されている505。手前の600は602の方。

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601の方は運用中。四箇村-常陸小川間。

常陸小川までは区間列車もあり、運転本数は(ローカル線にしては)結構多かった。

常陸小川には、当時すでに廃車になっていたがカバさん(DD901)もいた。

線路脇にも小径があるが、柵や電柱もないし、冬場は下草も整備されて足回りが隠れないし、撮影するにはすばらしい条件の所だった。

沿線の田園風景もとても美しかった。

今google mapで見たら、線路わきの小径はもちろん、廃線跡の築堤や、踏切跡も多少残っているようだ。

やはり体力の都合で今回は見合わせたが、いつか訪れてみたい。

 

2025年8月11日 (月)

線路の話

前回、50年ぐらい前のNゲージの固定式線路の話を書いたら、色々思い出してきた。

ので、もう少し補足を書けないかとネットで検索していたら、自分のブログが出てきた。10年ぐらい前にも同じようなことを書いてたみたいです。。

ので、それとはちがう雑談のようなことを書きます。

最初に鉄道模型を始めた頃、主力はいわゆるHOゲージでした。私の場合、ちょうど興味を持ち始めた頃に発売された関水のブルートレイン・セットを買ったのですが、HOではカツミがいくつもの入門セットを発売していて、そちらを買う可能性も大いにあったのです。

カツミのセットに入っていたのは、同社(カツミ=エンドウ)の金属道床線路でした。

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鉄板をプレスして枕木を浮き出し、そこに真鍮製のレールを留めたものです。

仮設線路としては使いやすいものだったので、恐らく当時、初心者からベテランまでかなりの人が使っていたものと思われます。

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表面は何か模様の入ったビニールで、道床部分と左右のレールとは絶縁されています。

枕木は色分けされていませんが、今見るとPC枕木風でむしろ昔より違和感がないかもしれません。

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レールは真鍮です。うちにあるのは40年ほど前に中古で買ったものですが、この直線路は引き抜きレール、16本組という曲線路は薄板をプレスしてレールの形にしたガラレールでした。

レールジョイナーは右側についています。

仮設線路としてはひじょうに便利でしたが、これを固定式レイアウトに使った人はいなかったと思います。

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レイアウト全書(機芸出版社)P30「組み立て式レイアウトのすべて」山崎喜陽より。

記事は60年代半ばに書かれたものと思われますが、当時の16.5mmの線路の状況がこれで読み取れます。Aがいわゆる木製道床(ムクの木材から枕木部分を削りだしたもの)、Bは木製道床にボール紙の線路を貼り付け、Cはベニヤ道床で、篠原の固定式線路を組み合わせるもの。

Dが上述カツミの金属道床、Eはコルク道床にフレキ線路を乗せる形のもの、という説明です。

山崎氏はここで、Aが現在最も普及している、と言っています。

木製道床は博物館などで時折見かけることがあります。灰色に塗られていることが多いようですが、時々ニス塗りになっているのを見ると、なにか高級感のようなものを感じます。枕木全体がやや大きめで、篠原の線路に比べると狭軌の感じが出ている気がします。

固定式レイアウトにもよく使われました(上記レイアウト全書掲載の多くのレイアウトにも採用されています)。

当時でも相当の手数がかかった製品だったのでしょうね。いつだか忘れましたが(平成になってから?)たしかカワイがTMSに一部の線路を再生産した旨の広告を出していた記憶があります。

上の表でCと言っているのは、篠原の固定式線路と対応する木製道床と思われます。これは近所の模型店で見かけたことがあり、線路と道床両方買って自分で固定すればいいんだな、と思っていました。昔のTMSの広告には固定式線路の事は描いてありますが、道床の値段は載っていません。それほど普及はしなかったのかもしれません。

記事で「ジョイナーは反対側」と言っているのは、篠原の線路のジョイナーが左側という意味なのでしょう。木製道床は右側という事になりますが、先の金属道床も右側、さいきんのエンドウの線路も右側です。

詳細は不明ですが、日本由来の線路は右ジョイナー、海外向(または海外からきたもの)は左ジョイナーという区分けができるのでしょうか。

Nではトミックスが右、KATOは(HOも)左ですね。


最初に戻って、私が模型を始めた1970年代半ばごろは、HO界隈では金属道床の線路と、篠原の線路ー組線路よりむしろフレキシブル線路を中心とした製品群ーが主体でした。フレキは使いようによっては便利ですし安いので(当時400円台)、当時でも年間数万本は売れたそうです。但し、ご存じのように買ってそのままという訳には行きませんから、最低でも道床を作って一定の組線路にする必要があります。

これは想像ですが、当時の車両模型偏重の16番で、そこまで熱心に(組み立て式であれ)レイアウトに取り組んだ人はあまりいなかったのではないでしょうか。

与太話が続きましたが、一定の結論としては;

  • 1960年代後半には木製道床線路が市場に出回らなくなり、その隙間を金属道床とフレキ線路+ポイント群が埋めていった
  • 金属道床はレイアウトには使えない。フレキは簡単な運転ボードを作るにしても、一定の工作が必要になる。
  • 当時の16番は車両模型が中心。車両のみで良しとする層は金属道床を主に使った。
  • フレキは安価故普及したし、TMSではフレキを使った本格的なレイアウトが紹介されていた。しかし、それを使いこなせる人は少なかった。
  • 結果、16番ユーザーは運転をあまりしない層と、一部の工作力(と、スペースなどの諸条件)のある層に分化していった。同時にNゲージが普及し、中間ユーザー的な人はNなら簡単にレイアウトが作れると感じてそちらに移行した。

というナラティブを考えてみました。
もともと日本は、特にHOは英米の影響が強く、メルクリンをはじめとする欧州的な模型とは違う方向(市場というよりは業界やマスコミが)だったのですが、その中ではカツミ-エンドウの普及型模型システムは頑張ってきた方なのかもしれません。

それでも、カツミがもう一歩踏み出してメルクリン的な線路システムを、70年前後に展開してくれたら、その後の状況は変わっていったような気がします。

とか書きながら、やはり70年代半ばの日本におけるNの台頭(と16番の退潮)は市場とのマッチングその他の条件を考えると、必然だったのでしょうね。

2025年8月 2日 (土)

関水金属 レイアウトプラン集

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オクで入手しました。出品者のかた、ありがとうございます。

 

私がこれを最初に読んだのは1974年春の事です。最初の鉄道模型として買ってもらった、EF65+20系客車+固定式線路のセットに、カタログと共についていました。

「Nゲージ蒸気機関車」の豊沢氏によると、(豊沢氏が参照した)プラン集は1972年の発行で、掲載されたプランはもともとはアトラスのものだった、となっています。

固定式線路のプランを道床付き線路で

今回入手できたプラン集は、私の記憶していた通りの内容ですので、1974年現在に流通していたものと思われます(上記ブルトレのセットは1974年の発売)。

プラン集は何度か改定されたらしく、TMS72年9月号の広告には「レイアウトプラン集の改訂版ができました」、という告知があります。
初版は71年頃でしょうか。

1960年代、関水は今とはちがう規格の線路を展開していたそうです。1966~69年頃にTMSで発表された9mmゲージのレイアウト(第2次銀河鉄道、八里九里観光鉄道、新諸国鉄道、ナローですが祖師谷軽便)を見ていると、この旧規格の線路が使われていた様子が見られます。

私が模型を始めた頃は既に、アトラス規格の線路になっていました。

関水vsアトラス?(KATOの固定式線路について)

更に言えば、アトラス製のポイント類もほとんど知りません。1974年の夏頃、固定式の最後まで同型、同価格で製造された手動ポイントが発売になっています。それまではマシン付きの電動ポイントで、転轍機のような形のマシンスイッチで切り替える、アトラス規格のものが売られていた(らしい)です。標準ポイントのほか、6番ポイント、ダブルスリップやスリーウェイもあったようです。ポイントではありませんが、15度クロッシングもありました。

あまり細かいことを書いていると鉄道模型考現学みたいになってしまいますが、このプラン集が何度か改定を重ねたものであるらしいことは、最初に読んだ時から感じていたことです。

ポイントとポイントマシンの説明が、新旧交錯しています。

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この写真では新電動ポイントとなっていますが、少なくとも1974年夏頃には手動ポイントが900円で発売されており、電動化パーツは同年冬に発売、となっていました(TMS広告)。1974年12月、レイアウト用の線路を親に買ってもらったとき(神田錦町の科学教材社で)、買ったのはこの手動ポイントです。

1975年の関水金属カタログを見ると、既にアトラス製ポイントは載っておらず、ポイントは標準手動ポイントのみ、クロッシングは90度のみに整理されていました。以後、固定式線路は車止め線路以外、種類を増やすことなく、90年代初めごろに製造を終了します(ポイントやフレキは2010年ごろまで)。

 

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改定を重ねたな、という印象を持つのは、各プランに付された番号がバラバラなところもその一つです。

このレイアウトはN52ですが、このプラン集ではN51というのは出てきません。これより前のページにオーバルに側線を追加したプランが3種類紹介されていて、その中で一番小さいものがN51であるようです。

なぜそうわかるかというと;

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誠文堂新光社のムック「Nゲージ」に掲載された、科学教材社の広告の中に出てくるからです。

これは関水のプラン集に掲載された「最小サイズの側線付き環状線(1)」そのものです。

これを見ると、上に掲げた電動ポイントが1,400円であることもわかります。

「Nゲージ」は初版が1973年頃であるらしいのですが、うちにあるのは1974年秋に買ったもので、多少改定されているようです。

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「Nゲージ」からもう少し。

これはN55型、というプランです。これはプラン集には載っていません。

貨物引き込み線をいくつか備えた、なかなか興味深いプランですね。

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N57型というプランです。立体交差のように見えますが、内訳表を見ると15度クロス(500円)とあるので、平面交差のようです。

N55、N57は「レイアウトプラン集」には載っていません。N51は上記のプランだとして、プラン集にはN51~54,N59が「N系列」として掲げられています。

N56はなにかというと;

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「Nゲージ」にはこれがN56であると紹介されています。

しかし、「レイアウトプラン集」では「P-29のレイアウト」、と書かれています。

このプラン集にはN-のプラン名と、P-のプラン名の2系統の名前が出てくるのです。

なぜ2系統あるのか、よくわからないのですが、よく見るとP-の番号はただのページ数(P-29は29ページに載っている)を示しているだけのようです。

なお、N-58は全く不詳です。

ちなみにこのP-29のプランは、40年ほど前にこのままの線路配置で作りました。

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全体が見えないのであれですが。

ベースが横長なのと、フレキで作ったので印象はぜんぜんちがいます。

あと、N-52のプランはやはり豊沢氏が道床付き線路で再現していて、それを基に線路だけ買って家のテーブル上で組んだことがあります。

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別にサブレイアウト作ろうとか、あまり考えずに線路買ってきたのですが、試しに組んでみた後、箱にしまい込んでそのままになってます(どこかにあるはず)。

何やってんでしょうね。

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小5の時作ったレイアウトは、これがヒントになっていたと記憶しています。

手前の駅の内側にある引き込み線はなく、外側の分岐はもっと右からついて支線の起点とし、支線は本線と並行して左を半周して、やや小高いところにある奥の駅に続きました。線路をたくさん買ってもらったのに、ろくにエンドレスも走れないていたらくでした。。

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見開きの右側にプラン、左側にコントロールボードのイメージを図説したプランN59。

右側の3線区間が特徴的ですが、長い直線路が取れないので、ここを待避線的に使う意図があるのかもしれません。

なんとなく惹かれるものを感じるのですが、どうやって遊んだら良いのか、ちょっと考えてしまいますね。

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改めてプラン集の表紙を。

保里康太郎氏のレイアウト(同時期のカタログに全景写真あり)ですが、何度見てもすごいな、と思います。

当時の市販品が多数使われていますが、巧みな配置で一貫した独特のムードを醸し出しています。

線路は関水製ではなく、Peco製のようです。

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社長のご自宅?会社?の壁にあるタイル絵、ですよね。

今回改めてみると、左隅に呼び鈴のようなものが見えることに気がつきました。

 

このプラン集は私の鉄道模型の原点みたいな感じですね。。

完成予想図は掲げられていませんが、それゆえに想像力を掻き立てられるところもあったな。

 

 

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