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2025年4月27日 (日)

気仙沼線BRT

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メインブログでは震災遺構を訪ねる、という掲題で4回連続記事を書いたのですが、こちらはその余禄です。

実際に乗車したわけでもないので、あまり大した記事にもならないのですが。

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旧志津川駅は被災時の状況のまま遺構として保存されています。

駅名標自体は復刻したもののようです。地名が志津川町となっていますが、2005年には南三陸町になっているはずですから、開業時~の状況を示していることになります。

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私は震災前の志津川も気仙沼線も知りません。

その意味ではあまり語る資格もないのかもしれませんが。。

ウェブ上には震災前の志津川の写真が多数掲げられています。そこに広がるのはどこにでもある、ごく普通の地方の港町の風景です。

鉄道は1977年の開業なので割とモダンで、志津川駅の駅舎もすっきりとしたおしゃれな形の建物だったようです。ホームには近代様式の上屋があり、線路も50kg/mのPC枕木です。2面3線で、同線の中では比較的規模の大きい駅だったようです。

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駅舎は低い位置にあり、ホームへは通路を通って階段で上がる形になっていました。Imgp1778 Imgp1776_20250427203901 Imgp1777

遺構に掲げられた説明看板より

 

これもネット上に掲げられた写真や動画を見ての事ですが、列車はキハ40かキハ100系が2~4連で走っており、現代的なローカル線としてそれなりに立派なものであったようです。

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沿線人口も減少したでしょうし、今はBRT程度の輸送力で見合う形になるのでしょうね。

立派な駅舎もできました。

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レベル2の自動運転の試みもされています。

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一通り南三陸の街を見た後、車で別の場所に向かったのですが、途中旧鉄道らしき高架線が沿道から見えました。

更に行くとこんな感じのトンネルが。

このとき、BRTの事はちょっと頭から飛んでおりまして、なんとなく鉄道廃止後は一般道に活用されてるのかな、などと思い。。

ちょっとした土手を登って様子を見たら、そこがBRTの専用道であることに気がつきました。

昨年訪れた白棚線同様、他の自動車はもちろん歩行者も進入禁止でしょうね。

白棚線は自動車化後、専用道の廃止が相次ぎ、ほぼふつうのバス路線になっています。

今回気仙沼線、大船渡線のBRTはそれなりに整備され、沿線住民に対して単なるバス化ではない、というアピールをしているかに見えますが、この先どうなっていくのでしょうかね。。

2025年4月20日 (日)

鉄道模型趣味 1000号

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だそうです。今日は偶々一般紙の鉄道旅特集(クロワッサン)を見に本屋に行ったのですが、これが1冊だけ置いてあったので買ってみました。

DVDがついて2000円でした。

 

鉄道系の雑誌としてはピクトリアルが2022年に1000号達成していますね。

創刊の順番でいうとピクの方が後だった気もしますが、増刊も1号で数えたのかもしれません。

創刊年の話でいうと、ファンが61年、今月が最終号のジャーナルが67(8)年、とれいんが75年で今年50年、Rail Magazineは84年でした(~2022年)。

やはりピク、TMSの歴史が他を引き離してかなり長いことがわかります。

 

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私が最初に買ったTMSは、前にも書きましたが74年6月号(No.312)です。前の号が北海道のとても魅力的なレイアウトの紹介だったのに比べると、ずいぶんと地味な記事が並んでいました。

しかし、当時小5でしたが、こういう大人の世界を垣間見るのは初めての事だったので、何から何まで刺激的でした。

いちおう一通りの漢字や慣用句は理解できていたみたいです。エッチング、ドロップなんてのはわかりませんでしたし、ライケン、スチールウールというのも見たことはありませんでした。プラスター、ナイロンたわしというのも当時はわからなかった。

各種の汎用の素材と言うのは、大人はある程度汎用的な知識として身についているものですが、子供にはまずそこからわからない。その意味でTMSはすこぶる不親切な雑誌でした。やはり子供相手の雑誌ではなかったのです。本当の意味で背伸びしなくても読めるようになったのは、たぶん中学の1,2年ぐらいではないかな。

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キリ番の号数のTMSは、リアルタイムでは400号(’81年4月)が最初でした。写真の300号は後から古本で買いました。

500号の頃はもう定期購読していなくて、買った記憶がありません。600号はたしか買いました。700もなくて、800は少したってから横浜の篠原模型店で買いました。

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今手許にあるいちばん古いTMS。昔は時折神田の古書店街を歩いて、古雑誌を買ったりしていました。

8年前の転居の時、TMSはだいぶ捨てました(古書店に無料で引き取ってもらった。模型誌、自動車雑誌は価値が低いそうです)。

 

今年の1月号に、「私の1000分の1」という題名で読者とTMSとの関わりに関する投稿を募集していました。

私も確かに、TMSを読むことで社会や大人の世界を知った一人ですが、人様にお伝えできるほどのエピソードはないですね。

最初に買った74年6月以来、遡って買った73年~82年の初めぐらいまでが、最も印象深いTMSです。77年ぐらいまでは毎号の記事をそらで言えるかもしれません。

2004年まで主筆を務めた山崎喜陽氏の文体は、自分の文体の中のどこかに入り込んでいます。

趣味系のライター(の文体)で影響を受けたのは山崎氏、オーディオの長岡鉄男氏、自動車の小林彰太郎氏などですが、いちばん最初に刷り込まれたのは山崎氏ですね。

 

今は雑誌の環境も非常に厳しいので、ここまで続けられたのはすごいことですね。

DVDが付属していますが、使うかなあ。

2025年4月11日 (金)

新井薬師さくらとその他

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5日(土)に現地に行きましたが、もうすっかり有名撮影地(撮り鉄よりはごく普通の人達)になっていて、中野寄りの歩道橋は通るのが大変なほど撮影者でいっぱいでした。

もう20年ぐらいこの辺で撮影していますが、昔に比べると桜も伐採その他でかなり条件が悪くなっています。

10年ほど前までは花の向こうに電車が垣間見えるような感じでした。

 

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なんとなく気勢が削がれたので、ちょっとだけ取って引き上げました。

地下工事も準備を含めると10年以上やってますが、それなりに進んでいるようです。新井薬師駅南側の、果物屋や古本屋のあった特徴的なビルも解体が始まっています。


写真はこれだけなので、話は突然変わりますが先月の東武東上線ダイヤ改正について。

 

日中の準急が急行に置き換わり、急行川越市行きができたことが話題になりました。

もうひとつ変わったことがあって、これまでよりも1番線から発車する急行が増えたようです。特に夕方~夜9時台の時間帯で見られる気がします。この時間帯、ホームが大変混みあうことがあって、列車を待つ列ができているのですが、ちゃんと確認しないと、目当ての急行の列ではない場合があります。

ダイヤパターン自体はあまり大きく変わってないのですが、急行の場合到着から発車まで2分ぐらいしか間がない列車(02分発)があり、この時はホームが列車待ちの乗客でいっぱいになります。2-3番線着の場合、3番線の降車終了から2番線開扉までかなり待たされることが多く、乗客心理として不満を感じさせる一因となっている気がします。また、1番線は整列乗車(降車客終了後、いったん閉扉するなど)の対応が取られていない(と思う)ので、この辺もどうかなと。全部見ていってるわけではないから、ラッシュ時はやってるのかな。

以前は準急が志木駅で後続のTJを退避し、通過後急行線に入っていました。

改正後は志木で緩行線に入り、そのまま転線せずに緩行線を和光手前まで行くようになったようです。TJは朝霞台に着いた辺りで急行線を通過します。従来は複々線のメリットを生かしていない、奇妙な運転だった(準急は急行線を通す、にこだわってた?の割にはFライナーは緩行線通過しているのに)ことになります。

下り準急も志木でTJを退避します(夜の時間帯、毎時池袋20分発)が、こちらは志木駅手前まで急行線を使用、志木で3番線に入って退避で変わりません。このパターンの準急に乗る機会は多いのですが、いつも理不尽だなあと思っています。

東武は線形に余裕があるのか、ダイヤづくりがわりと上手い気がしているのですが、池袋駅の混雑ぶりを見ていると、もう少し何とかならないかという気がします。西武新宿の急行、準急は1番線のみを使って、手際よく整列乗車をさせていますしね。

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