気仙沼線BRT
メインブログでは震災遺構を訪ねる、という掲題で4回連続記事を書いたのですが、こちらはその余禄です。
実際に乗車したわけでもないので、あまり大した記事にもならないのですが。
旧志津川駅は被災時の状況のまま遺構として保存されています。
駅名標自体は復刻したもののようです。地名が志津川町となっていますが、2005年には南三陸町になっているはずですから、開業時~の状況を示していることになります。
私は震災前の志津川も気仙沼線も知りません。
その意味ではあまり語る資格もないのかもしれませんが。。
ウェブ上には震災前の志津川の写真が多数掲げられています。そこに広がるのはどこにでもある、ごく普通の地方の港町の風景です。
鉄道は1977年の開業なので割とモダンで、志津川駅の駅舎もすっきりとしたおしゃれな形の建物だったようです。ホームには近代様式の上屋があり、線路も50kg/mのPC枕木です。2面3線で、同線の中では比較的規模の大きい駅だったようです。
駅舎は低い位置にあり、ホームへは通路を通って階段で上がる形になっていました。
遺構に掲げられた説明看板より
これもネット上に掲げられた写真や動画を見ての事ですが、列車はキハ40かキハ100系が2~4連で走っており、現代的なローカル線としてそれなりに立派なものであったようです。
沿線人口も減少したでしょうし、今はBRT程度の輸送力で見合う形になるのでしょうね。
立派な駅舎もできました。
レベル2の自動運転の試みもされています。
一通り南三陸の街を見た後、車で別の場所に向かったのですが、途中旧鉄道らしき高架線が沿道から見えました。
更に行くとこんな感じのトンネルが。
このとき、BRTの事はちょっと頭から飛んでおりまして、なんとなく鉄道廃止後は一般道に活用されてるのかな、などと思い。。
ちょっとした土手を登って様子を見たら、そこがBRTの専用道であることに気がつきました。
昨年訪れた白棚線同様、他の自動車はもちろん歩行者も進入禁止でしょうね。
白棚線は自動車化後、専用道の廃止が相次ぎ、ほぼふつうのバス路線になっています。
今回気仙沼線、大船渡線のBRTはそれなりに整備され、沿線住民に対して単なるバス化ではない、というアピールをしているかに見えますが、この先どうなっていくのでしょうかね。。
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