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2025年3月31日 (月)

新京成電鉄線

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まもなく80年近い歴史に幕を閉じる、新京成電鉄線を再訪してみました。

訪れたのは3月20日春分の日で、日中墓参りも行きましたので夕方になってしまいましたが。

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前回訪れたのは10年ほど前でした。その頃はこのピンクの塗装が始まったばかりで、乗り入れ色、従来のクリームと茶の帯など、色々な電車がいました。

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松戸線が耳になじむのはいつ頃かな。

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そのときは常盤平で降りて撮影した記憶があるのですが、降りてみるとどこで撮ったかさっぱり覚えていない。

もう夕方であまり撮影には向いていないので、とりあえず五香に向かって歩きます。

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走行写真はちょっと無理ですね。

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駅間距離が短いので、気軽に降りて歩くことができます。

再び電車に乗ってくぬぎ山へ

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本社。

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くぬぎ山車両基地

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復刻塗装でしょうか。この色が一番好きだったな。

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きょうびはどこでもそうですが、くぬぎ山も基地周辺は高いフェンスに囲まれています。

44年前のちょうど今頃、ここを訪れました。その頃は周辺もかなりのどかで、里山の雰囲気でした。

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松戸線になっても、しばらくこの風景は変わらないのでしょうね。

塗装はもしかしたら早めに変更になるのかもしれません。

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なにかのラッピングをはがしているようでした。

アルミ地色だけという電車って、考えてみるといないですね。東急はステンレス地色だったけど、最初のアルミ(山陽2000)も帯はあったし。

その前というか63ジュラ電も帯はあったらしい。・・と、そこまで考えていて、この電車はステンレスだという事を思い出した。

 

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1981年4月。そのうちこの辺の写真はまとめたいと思いますが、この頃の新京成は古参の100型も最新の8000型も、電鉄らしい好ましいまとまりの電車が多くて魅力的でした。

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こんなのもいた。
先に発表になった東武90000にも通じるものがあるかな。

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上の場所がどこであるかは確認できませんでした。北初富も高架駅になって変わった事でしょうし(昔の記憶はないです)。

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途中歩いたので櫛の歯のように欠けてますが(昔から通算すれば欠けた区間も乗ってますが)この後京成津田沼まで乗り、いちおう新京成線としての全線乗車をしました(ふだん乗りつぶしを意識してはいませんが)。

津田沼から船橋まで京成、JRに乗り換えて西船橋に行き、武蔵野線で帰りました。

 

 

2025年3月26日 (水)

東武90000系

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デザインが発表になりましたね。

東武は、考えてみるとここ10数年の間に60000系から80000系まで3系統の通勤車を作っていますが(東上沿線にいるとこの間何もしていなかったように思えてしまうのですが)、70000はメトロのOEMみたいな感じなので仕方ないとして、あまりデザイン的な一貫性みたいなのはない気もしますね。

近頃は新しい通勤車というものにどうも興味がなくなってしまい(80000系なんかも全然関心が持てませんでした)、E235系とか近鉄とか福岡市交とかどこかしら人の気持ちを逆なでする?感じのデザインもどうかな(大阪メトロは判断停止)というモヤモヤしたものを感じていたのですが、そういう中でこれはまあいい感じかもしれない、と個人的には思います。

乗り入れ車というカテゴリーで見れば9000系統から45年ぶりのモデルチェンジになりますが、流石に遅きに失したのではないでしょうか。特にここ数年。口さがない若いひとたちからは色々言われてますし、SNSでは乗り入れ先の東横沿線住民から差別的なコメントを浴びるなど、東武鉄道の企業イメージを大いに損ねてしまいました。五直、相鉄線直通など、乗り入れ先で華やかなニュースが相次いだ時だけに、非常に残念です。

 

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予定では7編成70両が製造されるということなので、この辺は引き続き残るのかもしれませんね。

 

話は飛びますが、GM50周年ということで7820型が出るようですね。

ただ値段がね。東上線仕様が8両で定価54千円はどうだろう。クロポの78とか鉄コレの78はもう持っているし。

ほんとうは7300が欲しいですよね。73+78の6両が一番なじみある編成なのだから。

2025年3月23日 (日)

弘南鉄道 大鰐線

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ホテルはJR弘前駅前ですが、中央弘前まで歩くと20分ぐらいかかるそうです。

100円バスがあるらしいですが、運行時間は9時からというので、とりあえずタクシーで行きました。

運転手さんに間違えて「弘前中央駅」と言ってしまった。

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中央弘前駅は川沿いを走っています。線路のカーブの具合が模型的にいい感じ。

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城下町にはありがちな話ですが、最初にできた汽車の駅(JR弘前)は市の中心部からだいぶ離れた位置にあります。中央弘前は弘前城に近く位置しているので、当時(昭和27年)の弘前市民目線で見れば使いやすいターミナル、という事なのでしょう。奥羽本線は汽車で本数も少なかったでしょうから、大鰐温泉までのフリークェント・サービスが期待できる電車路線はそれなりの意義があったかと思います。

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駅員配置駅はかなり限定されていますが、それなりに工夫を凝らして、地域の拠点たるべく努力をされているようです。

ただ、全体的に近代化の遅れが目立つのは否めません。

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車両は弘南線と同じ元東急7000系です。

もとはこちらの方が先に使用開始されたようです。

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リンゴ畑。

乗客は10人ほどで先頭車に集中し、2両目は私だけ。

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津軽大沢で列車交換します。

ここで一度降ります。

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車両基地がありますが、駅員無配置駅のようです。

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駅のすぐそばに高齢者施設があります。線路を経てにも高齢者施設があるようです。弘前方に県道がオーバークロスしていますが、駅からは離れています。ただ、高齢者施設の脇、線路沿いに舗装された道がある。

 

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ちょっと入り込んで写真撮らせてもらいました。

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ウェブを見ると似たようなアングルで撮影されていて、公道から撮影とあります。ただ、行き止まり道なのでこれ以上踏み込むのは遠慮しました。

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大鰐線(大鰐駅)にも前回掲げた弘南線と同じ日に訪れていました。

7031Fはこんな感じでした。

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6000系も現役で、快速もあったようです。

それにしても全然覚えていない。

 

さて、津軽大沢にはほかに何もないし、次の電車まで45分ぐらいあるので、次の駅(義塾高校前)まで歩きます。

地図を見ると線路と並行している道があり、撮影に好適そう。

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と思っていたのですが、あいにくと線路脇にはうずたかく残雪が積もっていて、撮影は不可能でした。

雪の上に乗ったらどうなるかと少しだけ考えましたが、危険ですね。

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駅ホームから撮影。

 

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待っている間に線路を見てみますが、枕木が一部消失しています。一定間隔ごとにPC枕木に交換されていますが、保線状況はだいぶ厳しい様子。

ウィキを見るとこの5,6年の間に数回、脱線事故や線路トラブルによる運休を繰り返しています。

今回の運転休止も、その辺りに原因がありそうですね。

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大鰐行きが来たので先に進みます。

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雰囲気は平成元年と変わってないですね。JRの方はそれなりにきれいになっています。ただ、弘南も駅員さんはいます。

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少し滞在して中央弘前行きに乗りましたが、ちょうど奥羽本線を「つがる」が走るのが見えました。

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石川のオーバークロス。ここで「つがる」と交差したら面白かったのですが。

弘南の高架橋はどこも頼りない感じです。

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市内に戻りました。

やはり気に入った撮影地はこの川沿いに走るあたりですね。

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ただ、残雪は雪国らしいのですが撮影場所は限られます。天候も良くはなかったです。

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帰りに見た701系の3並び。もう30年以上使われていますが、なかなか頼もしい感じです。

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貨物列車も頻繁に運転されているようです。このほか五能線のディーゼルなどが、弘前駅を走る列車の印象でした。

2025年3月16日 (日)

弘南鉄道 弘南線

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弘前に行ってきました。

例の走行中解結事故の関係で、混雑とか心配しましたが、何とか大丈夫でした。

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現在は弘南線、大鰐線ともに元東急7000系が使用されています。全車冷房なし、中間ドアは終日締め切りとなっています。

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パイオニアiii型台車の乗り心地を味わえるのはここ弘南鉄道と水間ぐらいでしょうか。

素人目には降雪時のブレーキとか大丈夫かな、と思うのですが、長年使っているのだから問題ないのかな。

最高速50Km/hとのことですが、この範囲での乗り心地はなかなか良かったです。

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改札は10分前から。

やってきた電車は長年の洗車で車号が読めなくなっていますが、7155だそうです。

方向幕はシール貼り付けという、Nゲージを彷彿とさせるものです。今は途中折り返し等の運用がなく、これで良いみたいです。

 

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こぢんまりとした運転台機器。ワンマン運転対応の為、運転室仕切が解放状態になっているのはJR701系と同様。

弘南線はおもったよりも乗客が多く、また黒石駅まで乗り通す乗客もかなり多い様子でした。

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東急食堂 東急本店8階

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東急百貨 右はFashon Community 109 Shibya

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黒石駅にはきれいに整備されたED333とキ104が。

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他の公道とかもそうですが、ふだんつかうところはきれいに除雪されて、それ以外は場所によっては2~3mも雪が積もった状態になっています。

特に寒くはないです。

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36年前はこんな感じでした。

木造のホーム屋根が近代化されていますが、他はあまり変わらない感じです。

ただし、画面左側に延びていた黒石線(黒石-川間)は廃止されています。

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黒石線のホームも屋根が長く立派な感じですね。

車両は3両だけですが、キハ22は弘南カラーに塗り直されていました。この色はたらこ色よりもいい感じですね。

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おそらく国鉄から移管後に、この研修庫を新築したのだと思います。

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庫は今も残っています。

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庫までの線路がどうなっているのかは確認できませんでした。雪に埋まっているので、いずれにしても使われてはいないのでしょう。

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ただし、弘前方にある踏切に、黒石線時代の線路が残っているのを見かけました。

とにかく、ふだん使わない所は除雪されていないのです。

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キ104とED333は、留置する場所は違うけどこのころも同じ組み合わせで止まっています。機関車の色は変わったのかもですね。

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中央のクハは国鉄型風で奥にもおそらく東急クハ3776がいます。どうやらクハばかり3両ほど、駅構内に留置されているようです。

上記線路までさしかかっている上屋の印象もあり、この頃はここに車両基地があるものだと思っていました。

撮影は1989年6月はじめごろ。車で行きましたが、これをひっくり返してみるまで自分が黒石に行った事を忘れていました。

 

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駅本屋は変わっていないですね。

黒石は城下町で、駅周辺にもそこそこ家があります。

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移動しました。

そろそろ夕方。

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日中は晴れていたのですが、次第に雲が厚くなり、帰るころには雪が降りはじめました。

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晴れていれば背後に岩木山が見えるのですが、そこは残念。

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夕日がもう少しダイナミックだと尚良いのですが。。

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駅周辺まったくなにもありません。

左に踏切が見えますが、踏切の向こうは全く除雪がされていないので通れません。

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黒石行きを見送り、弘前行きを待ちます。

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弘前に戻りました。通勤客そこそこ。。

翌日はいよいよ大鰐線に乗ります

2025年3月 2日 (日)

太子駅とワラ1ほか

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太子(おおし)駅は長野原線の長野原から伸びていた支線の駅。

もとは群馬鉄山の専用線として太平洋戦争中に建設されたが、鉱山が閉鎖となり、本線の電化の際も非電化のまま残り、70年に運転休止、そのまま廃線となった。

鉱石輸送用のホッパーの一部が残っていたのを整備し、今は構内が公園として整備されて全国から集められた貨車の保存が進んでいる。

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なにかの調べもので国鉄貨車のことをたぐっているうちに、ワラ1のことが出てきた(この貨車の脱線が鶴見事故のきっかけとなったとされている)。もとは四国の多度津で保存されていたものらしい。

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他の貨車は太子駅構内に集められているのに対し、ワラ1はなぜか六合ヘリポートの近くに置かれている。

長野原草津口駅から車で向かうと、この貨車が見えるので太子駅とわかる、と言う意味では、目印として使われているという事なのだろう。

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保存状態はとてもきれいだが、このままだと風化するのも早いような気がする。

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大昔、関水金属が二軸貨車としてワム80000、レ12000、ヨ6000を発売し、トミーも香港製貨車を発売したが、このワラ1やワム60000、70000は長い間Nゲージでは発売されなかった。二軸貨車といえばワムハチというのは後年の話(1984~)で、70年代の例えば山手貨物線や地方駅の側線などではこの黒い、プレスドアの貨車を見かけることの方が多かった。

うちにはKATOのワラ1があるはずだが、どこやったのか探さないと出てこない。

河合の東武鉄道ワラ1ならみつかった。3両のうち一部がカプラー破損している。そのうち修理しないと。

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太子駅は駅舎が再築されている。構内は入場料200円で公開されている。

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wikiではどんな列車が走っていたかわからなかったが、C11と無蓋車、ほかにタンク車などの姿が見える。気動車はキハ17系のようだ。

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ホッパーは一部が残っている状態。

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鉱山からホッパーまではコンベアにより輸送されていたとある。

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保存されている貨車は各地から集められたものらしいが、国鉄/JRのものよりは私鉄のものが多い。

大井川鉄道のCワフ0型は2両ある。かなり小さい。

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これも大井川のもの。保線に使われていたのだろう。

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茨城交通のトラ。国鉄のトラ55000相当か。

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トラ45000らしい。整備はこれからのようだ。

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さきほど少し触れたヨ6000があった。車内にも入れる。

世代的にはワラ1とかとほぼ同じで、最終型は1969年の製造だからつい最近(ですか?)。

というか、関水が初代ヨ6000を発売したころは最新型の車掌車だったのだな、考えてみると。

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この貨車は側面に社紋と形式しか書いてなかったので、どこの車両かわからなかったが、静岡鉄道のトコ1型というらしい。

片側の連結器がスクリューカプラーとなっている(もう一方は自連)。

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長野原草津口駅からは車で15分ぐらいかな。

まだ整備中という感じだが、いずれは三岐鉄道のような感じで貨車が集まってくると、マニアも多数訪れるようになるかも。

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