鉄道ジャーナル
休刊が決まった鉄道ジャーナルを書棚から探したが、手許に置いてあるものは殆どなかった。
ジャーナルを最初に買ったのは1976年10月号で、特集は「鉄道のサービスを考える」といういかにもジャーナルらしいもの。
目当ては国私鉄の主力電車の比較レビューで、座席やつり革の配置、冷房の効き具合、内装の雰囲気などを論評していた。覚えているのは国鉄103、西武101、東武8000、京王帝都6000、東急8500とかだったかな。
この年はちょうど「間違いだらけのクルマ選び」が刊行された年だが、雑誌の発売はそれよりは多少早いので、その影響ではないとは思う。ただ、電車の設備をレビューするというのは、今思うとかなり新鮮な切り口だった気がする。
その後しばらく間が空いて、次に買ったのは1979年7,8月の特集「首都圏の鉄道」だ。さらにまた間が空いて、1980年9月号「名古屋都市圏の鉄道」からしばらく毎月買っていた。今思うと1981年頃はかなり熱心に読んでいて、表紙を見ると記事内容が目に浮かんでくる。
1983年ごろを境にほぼ買わなくなる。他の鉄道誌に乗り換えたというよりは、ちょうど国鉄末期の紛争やらローカル線廃止が目立ってきた頃で、鉄道趣味と少し距離を置くようになってきた時期と重なる。
最後に買ったのは20年前の福知山線脱線事故について、金沢工業大学の永瀬教授の記事が掲載された号だったと思う。
先の都市圏についての特集もそうだが、現地に出向いてのルポルタージュ記事が特集のメインになることが多かった気がする。竹島紀元氏や檀上完爾氏など、定評のある書き手も多かった。私が読み始めた頃は種村直樹氏がよく書いておられた。
毎月買っていた頃は巻末の編集者のコメント(「乗務員室」)が割と好きだった。鉄道と関係ない音楽の話とか、お酒や野球の話などがおおく、少年には大人の世界を垣間見るみたいで楽しかった。「瀧」氏や「發」氏、「則」氏など、お元気だろうか。
編集者のミニコメントは当時は編集主幹の人が一人で書くのが一般的だった(ファン、ピク、TMSなど)。ジャーナルはスタッフが、わりとくだけた乗りでかいているのが特徴で、もしかしたらこれが一番楽しみだったかもしれない。。今だとピクがそんな感じですけどね。
雑誌が退潮だと言われて久しい。
ただ、さいきん思うに、子供の頃影響を受けて内容を暗記するまでくりかえし読んだものというと、自分にとってはだいたい鉄道(模型)誌だったりする。大人になってからも、新しく趣味を始めてそれに関連する雑誌を買うと、最初の数か月はその雑誌の記事が後々まで頭に残っている。
また、たとえば自分がまだ小さかったころの雑誌を手にすると、記事内容もそうだが広告などにもその頃の世相がパックされていて、タイムマシンに乗ったような気持になることがある。
ウェブは日々更新されるのでそういう、繰り返し見るということがない。個人が開設したサイトは儚い。鉄道まわりでいえば、吉岡心平氏の貨車のサイトは、ご本人の逝去と共に消えてしまった。何かの時に辞書代わりに使っていたので痛手だ。。他方、書き手の不足からかムック本などはウィキやネット上の記事をコピペしたような内容のものも出ているようだ。
とはいえ、、戦前には情報皆無、今は次に来る車両がアプリでわかるなど、情報を巡る環境が時代と共に移り変わることは世の常。
一介の道楽者としては、まあゆるりとやっていくしかないか。
追記:昼に本屋に行ってジャーナルを立ち読みしてみた。なるほど、あれほどにぎやかだった広告が全くなくなっている。紙面構成もかなり簡略になっている印象。昔の記事の再掲もあるようだ。
広告が少なくなったのはファンも同様だ。ピクはもとからあんな感じだし、いちおう両誌ともIMONは広告を出している。
ジャーナルの今の編集長もライターの方々の事は知らないが、少し前にネット上で一部のライターの方の芳しくない噂話を聞いた。
その辺りも含めて良くはわからない。ただ、45年前のジャーナルのようなスタンスは、今の時代には色々難しいだろうな、という直感はあるな。
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