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2024年12月 7日 (土)

うさぎ鉄道 レイアウト制作の思い出(7)

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1978年から1983年までは、定尺ベニヤにレイアウトらしきものを作りかけてはとん挫する、を繰り返していた。

79年の夏頃には一応線路は敷いていたと思う。80年頃にはキャンベルのきめ細かいバラストを散布して、ケント紙を使ってストラクチャーをつくりかけていた。81年の夏ごろ、勾配を上って駅に向かう支線をトミックスの線路を使って敷いた。

そして83年の夏だったか、レイアウトボードをベランダに出してしまい、制作は完全にとん挫した。

84年の2月ごろ、何とか別の構想でレイアウトが作れないかと、TMSをめくってはプランを渉猟した。

電車を中心とした都会風レイアウトというのがあった。2階建てになっていて、確かターミナルと待避線のついた中間駅があった。車両は20m級3両ぐらいを前提としていたが、密度の高い運転ができそうな気がした。

篠原からN用のフレキ線路、ポイントが出たのは’76年の夏頃だ。KATOもPecoもレールは#83で、高さは2mmぐらいある。篠原は#70で、少し低いのと横腹のえぐりが深いというか、しっかりとしたエの字型をしている。KATOは頭でっかちのI,PecoもI型でエッジがあいまいだ。

ポイントをいくつか買ってみた。HOのポイントと同じ構造で、枕木だけはNゲージ流に分厚い。フログが金属製なのが特徴でー当時Tomixはまだ出ていなかったー、この部分がプラで車両によっては集電できずに止まってしまう懸念のあった他社製に対するアドバンテージとされた。

半面、先端レールのみで通電させるため、接触不良を起こす可能性が高いと言われていた(N故HOよりもデリケート)。

HOはかなり巨大なスイッチマシーンが使われていたが、この頃Nでも使えそうな小さなマシンも発売になった。

結局電車用レイアウトは作らなかったが、このとき買った篠原のポイントは次のレイアウトに使った。

次のレイアウトとは、前回と今回、冒頭で写真に掲げたレイアウトだ。プランはまたしても関水のプラン集から拾ったもので、エンドレスを二重巻きにして、駅を奥に、ヤードを手前に配置してある。かなり小さい(120m x 80cmくらいだったかな)サイズだったが、やや拡大して140x 70だったかにしてある。

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誠文堂新光社 Nゲージ より 鉛筆書きは子供のときの落書きだが、駅の側線の配置は今回レイアウトのものと同じだ。

 

この頃は車の運転もできたので、ドイトに行って材料を買ってきて台枠から自分で作った。「レイアウトテクニック」だかに書いてあった、Lガーダー式を採用している。長手方向のフレームは木材を組み合わせてL型にしたもの、横は普通の角材だ。この上にクッキー・カッター式で購買部を持ち上げた5.5mmべニアを張っている。取り付けは全てくぎを使わず、木ネジを使った。

後から取り付けた背景板も5.5mmべニアを使っている。脚は別体だが、やはり木材で自作した。

このフレームは今まで自分の作った中で、最も本格的なフレームだ。きわめて丈夫だが、また非常に重くなった。山などをプラスターで作ったので、これを一人で持ち上げることは困難かもしれない。

先の篠原のポイントは駅構内の2か所に使い、他に関水のもの、Pecoの中型を用いている。駅のポイントは全て電動で、フレーム手前のヤードは手動だ。篠原のうち1つは、ベース板裏側にマシンを取り付けるためのキットを使っている。確か500円弱だったと思うが、真鍮線やパイプ、ネジなどが入っていて、N用のマシンを組み合わせる。昔のHOレイアウトでは自分で真鍮線を買ってきて作ったのだろう。それに比べれば便利だが、ベース板裏につけるのは結構骨で、ここ1か所しか使っていない。もう一つのポイントは表側につけて建物で隠した。関水のものも篠原のマシンを使い、これは周りが狭いのでむきだしのままだ。

そのほかの線路はPecoのフレキを使っている。関水も混じっているかもしれない。ベースへの取り付けは以前やったように、厚手のボール紙を下に敷いて、ピンでとめている。バラストは当時出ていたTomixのものだ。これは同社の線路に合わせて多少目が粗く、また、一定の色に着色してある。どこかの砂とうよりは、大きな石を加工して砕いたもののように思える。ボンドバラスト法による固着はとてもやりやすかった。

レールの側面塗装は全線にわたり行った。たしか枕木も塗ったかもしれない。手間はかかったが、若かったから。

トミックスのMカプラーを利用して、自動解放による機関車の付け替えができるようにした。磁石は解放ランプ付きレールから外して、枕木を切って埋め込んだ。

ヤードを出発した列車は、左回りにエンドレスを何周かする。やがて駅で停車し、貨車を開放する。機関車は少し前進してポイントを切り替え、反対側の線を使って移動、再び貨車を連結して今度は右回りに走る。やがて再び駅に着き、貨車を伴いながら少し移動、推進運転をしながら側線に貨車を押し込める。側線のもうひとつは機関庫になっているので、機関車はそこに収まる。

と、なるはずだったが、Mカプラーと言うのは本線上に配置してはいけないものなのだ。理屈ではカプラーアームに引張力がかかっているとき(走行中)は解放しないことになっているが、現実にはほぼ毎回カプラーが跳ね上がってしまう。

こればかりはいかんともしがたく、数年で諦めてケイディー(は、古いのか。マグネティック・カプラー)に取り替えた。機関車は当初DE10(当然トミックス)だったが、ケイディーのはKATOの鹿島鉄道版DD13にした。

ケイディーはきちんと動作したので、上記のように遊ぶことができた。

取り外したMカプラー用の磁石はもとのトミックス線路に戻した。後に今のレイアウトを作るときに利用している。

 

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