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2024年12月31日 (火)

2024年のうさぎ鉄道

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何度かここで書きましたように、今年はうさぎ鉄道の創業50周年(≒入門セットを買ってもらってから50年)、かつ、つい昨日の事ですが今のレイアウトが開通してから15周年と言う節目にあたります。

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ただ、年の半ば頃は体調不良に見舞われ、そのほかのごたごた等もありあまり盛り上がりませんでした。

記念行事とか、考えたりもしたのですが。

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他方、地味ながらあちこちで歩いたりはしていました。

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撮り鉄といえるようなことはほとんどしておらず、かといって乗り鉄でもない、いいかげんな鉄旅です。

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昨年京都鉄道博物館に行き、今年はてっぱく(再訪)、リニア・鉄道館にも行くことができました。

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蒸機動車はよかった。

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カメラを新しくしたので、秋には近場をいくつか巡りましたが、まだあまり撮影には行っていません。

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あと、5月にはZゲージに手を出したのがおおきなニュースですね。。

写真のキハ52と、立て続けに115系、165系と買ってしまったのですが、ちょうど体調不良期と重なっていたせいか、夏以降はほぼ放置状態になってしまいました。。

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白棚線は専用区間廃止の直前に「見に行った」。乗ってないんです。。

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旧西武車は三岐のほか流鉄、上信と見に行って、近江鉄道も行こうと思ったのですが、年内日程が合わず。

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昨年からの継続で製作中だった荷電は、この秋に完成。

もう目がポンコツなのと、夏はくたばっておりましたので、このくらいのペースが精一杯です。

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私鉄型の模型は関東大手では京成、京急と都営地下鉄は全く持っていません。東急は1/80の3450がいちおうありますが、Nはまだ手を出していません。

関西大手では大阪メトロ、阪急を持っていない。ただし阪急は810系もどきを1/80で作ったのが残っています。44年前の話ですが。

近鉄特急は今年10両も増えてしまった。来年あと4両入る予定です。

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D51も大量増備され、年初にD51 498が、春にはマイクロのナメクジ、秋にはKATOのギースル北海道型が入りました。

ギースルは買ったきり走らせてないのですよね。。

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冷蔵車を中心とした貨車も、ずいぶんと買いました。

現役のコンテナ車とか、タキ1000とか、そのうち買おうかと思うのですが、うちにあるのはほぼ1984年より昔の貨車ばかりです。。

 

そんなこんなで。

本年もご愛読いただきまして、大変ありがとうございました。良いお年をお迎えください。

 

 

2024年12月28日 (土)

近鉄18200系 ほか

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18200系は京都線、橿原線用特急として1966年に登場しました。

奈良電鉄を吸収して京都-奈良、伊勢ルートの特急が開設されましたが、当初は輸送需要が見通せず、奈良電の車両を改装(680系)したり、600系の電装品を流用した吊り掛け車18000系を新造するなどして対処していましたが、京伊ルートは非常に好評で需要が急拡大し、ついに新造車に至りました。車両限界の関係で18m、幅2600mmと小型ながら、当時としては出力の高い電動機を搭載し、車内も転換クロスを採用することで狭幅のハンデを克服するなど、工夫が凝らされています。

と言う話は実物が現役の頃よく説明されていたのを読んだのですが、実車が現役だった1980年代初頭の頃は、なんとなく古そうな電車というイメージでした。後継の18400系は幅は同じながら21m級のスマートな車体で、デザインも12000系以降の洗練されたものに変わりましたし。

トミックスが12200系をリニューアルさせて暮れに発売、ほぼ同時に鉄コレで18200も発売と聞き、12200基本4両に18200を組み合わせて6両を組成しようと思い立ちました。18200は11月に発売になりましたが、12200は生産計画が遅れ、1月に持ち越されています。その間運転できないのもなんなので、最初は電装しないつもりが動力も購入して2両で走らせることにしました。本当は写真の30000系とも併結できるといいのですが、これは古い製品なので連結するには改造が必要なのですよね。

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ふつうにN化しただけなので特記することもないのですが、片側の連結器をTNカプラーにしています。

12200が入線したら電装解除して、予定通り併結させるつもりでいます。。

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今年は近鉄特急イヤーでして、夏に10100系、10月には680系が入線して、60年代末~70年代の近鉄ムードが盛り上がっています。

一般車の方は2600系(非冷房、クロスシート時代)がいますがこれは40年前(先頭車は44年前)の作品なので、改めて2410系を新造することにして今製作中。本当は年内に完成の予定でしたが、例によって無理。2両は冷房化されたスタイルとし、そうすると搦手から時代は70年代末の姿となる予定。うちでは未だにマルーン一色が標準塗装となっています。

さて、年内にもう一回くらい記事をかけるかな。

2024年12月15日 (日)

うさぎ鉄道 レイアウト制作の思い出(8 最終回)

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前回掲げたレイアウトは1984年夏に着工、年内に運転はできるようになり、86年ごろにはシーナリィを含めておおむね完成した。

これは実家に置いたまま、94年ごろまでは運用していた。自分は実家を離れていたが、一部の車両は実家に残したまま、帰宅した時に運転したりしていた。

レイアウト自体はまだ実家にある。近年、ネズミが入り込んで暴れたらしく、建物がだいぶ破壊されてしまっている。

 

 

転居先で本格的なレイアウトを作ることは無理だったので、写真のような運転盤を作って時々運転した。

ベースはただのベニヤ板で、継ぎ目の所は線路を取り外して、組むときに取り付ける。駅以外はなにもない状態だったが、そこそこ直線が長いので運転するのは意外と面白かった。カーブはR315と外側にR354を新たに買って設置した(当時のいちばん緩いカーブ)。

94年末の転居と共に運転終了となった。

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手持ちのトミックスの線路はこの後も資産として使いまわして、その時その時で運転盤を作り直している。

これは2000年頃、B1のパネルに作った運転盤。いちおうシーナリィまでつけるつもりでいたが、中途半端に小さいので運転する車両が限られ、制作は中止になった。

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その後も作りかけては気に入らず、あるいは多忙でそれどころではなく、形にならない状態が続いた。

2006年ごろ、どこからか定尺ベニヤ板を買ってきて、線路を敷いてみた。これは数日で解体してしまった。

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同じ年の秋、A2のパネルにPecoのフレキを敷いてなにか作り始めた。

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延長ボードも作って、小型車両を運転できるようにした。

というか、大型の車両も結構走らせることができる。

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ミニカーブレールというのは当時出ていたのかな。2007年の2月ごろ。

本来は数編成の車両を置いて駅や引き込み線を往復させる、という遊び方になる。

ただ、これもシーナリィとなるとなかなかアイデアが浮かばず、このままの状態が続く。

この後、小松菜線に発展した。

 

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いまのうさぎ鉄道の原型ができたのは2008年2月の事だ。

既に本線部分は現在とほぼ同じ形になっている。

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アングルを買ってきてB1パネルを固定し、本格的な工事が始まった。

その後の事は以前ここにまとめている。

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うさぎ鉄道は2009年12月末に一連のシーナリィ工作を終え、2009年12月30日を一応開業の日としている。

エンドレスとパック、機関車を買ってもらって、鉄道開業した’74年5月から数えて今年は50年、現行レイアウトが完成してから15年という事になる。

 

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おまけ。

これは2011年の年末に、天賞堂で線路一式を買ってきて、「Nゲージ蒸気機関車」の記事にでてきたプランを再現したものだ。

当時木造2階建ての家に住んでいて、レイアウトは2階和室に立てかけてあった。冬は寒いので暖かい居間でちょっと遊ぶのにいいかと思い。。

この線路一式、どこかの箱にまとめて入れてあるはずだが、実は買ってから2回ぐらいこの形で運転したきり、ぜんぜん使っていない。

 

*いちおう、自分用にうさぎ鉄道史というか、レイアウト史の集大成とすべく書いてきたが、撮ったはずの写真が見つからないとか、昔のことで忘れたとかが色々あり、全部書ききったとも言えなくなってしまった。まあ、それをブログに書いて人がどう思うかというのはあるのだけど。

2024年12月 7日 (土)

うさぎ鉄道 レイアウト制作の思い出(7)

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1978年から1983年までは、定尺ベニヤにレイアウトらしきものを作りかけてはとん挫する、を繰り返していた。

79年の夏頃には一応線路は敷いていたと思う。80年頃にはキャンベルのきめ細かいバラストを散布して、ケント紙を使ってストラクチャーをつくりかけていた。81年の夏ごろ、勾配を上って駅に向かう支線をトミックスの線路を使って敷いた。

そして83年の夏だったか、レイアウトボードをベランダに出してしまい、制作は完全にとん挫した。

84年の2月ごろ、何とか別の構想でレイアウトが作れないかと、TMSをめくってはプランを渉猟した。

電車を中心とした都会風レイアウトというのがあった。2階建てになっていて、確かターミナルと待避線のついた中間駅があった。車両は20m級3両ぐらいを前提としていたが、密度の高い運転ができそうな気がした。

篠原からN用のフレキ線路、ポイントが出たのは’76年の夏頃だ。KATOもPecoもレールは#83で、高さは2mmぐらいある。篠原は#70で、少し低いのと横腹のえぐりが深いというか、しっかりとしたエの字型をしている。KATOは頭でっかちのI,PecoもI型でエッジがあいまいだ。

ポイントをいくつか買ってみた。HOのポイントと同じ構造で、枕木だけはNゲージ流に分厚い。フログが金属製なのが特徴でー当時Tomixはまだ出ていなかったー、この部分がプラで車両によっては集電できずに止まってしまう懸念のあった他社製に対するアドバンテージとされた。

半面、先端レールのみで通電させるため、接触不良を起こす可能性が高いと言われていた(N故HOよりもデリケート)。

HOはかなり巨大なスイッチマシーンが使われていたが、この頃Nでも使えそうな小さなマシンも発売になった。

結局電車用レイアウトは作らなかったが、このとき買った篠原のポイントは次のレイアウトに使った。

次のレイアウトとは、前回と今回、冒頭で写真に掲げたレイアウトだ。プランはまたしても関水のプラン集から拾ったもので、エンドレスを二重巻きにして、駅を奥に、ヤードを手前に配置してある。かなり小さい(120m x 80cmくらいだったかな)サイズだったが、やや拡大して140x 70だったかにしてある。

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誠文堂新光社 Nゲージ より 鉛筆書きは子供のときの落書きだが、駅の側線の配置は今回レイアウトのものと同じだ。

 

この頃は車の運転もできたので、ドイトに行って材料を買ってきて台枠から自分で作った。「レイアウトテクニック」だかに書いてあった、Lガーダー式を採用している。長手方向のフレームは木材を組み合わせてL型にしたもの、横は普通の角材だ。この上にクッキー・カッター式で購買部を持ち上げた5.5mmべニアを張っている。取り付けは全てくぎを使わず、木ネジを使った。

後から取り付けた背景板も5.5mmべニアを使っている。脚は別体だが、やはり木材で自作した。

このフレームは今まで自分の作った中で、最も本格的なフレームだ。きわめて丈夫だが、また非常に重くなった。山などをプラスターで作ったので、これを一人で持ち上げることは困難かもしれない。

先の篠原のポイントは駅構内の2か所に使い、他に関水のもの、Pecoの中型を用いている。駅のポイントは全て電動で、フレーム手前のヤードは手動だ。篠原のうち1つは、ベース板裏側にマシンを取り付けるためのキットを使っている。確か500円弱だったと思うが、真鍮線やパイプ、ネジなどが入っていて、N用のマシンを組み合わせる。昔のHOレイアウトでは自分で真鍮線を買ってきて作ったのだろう。それに比べれば便利だが、ベース板裏につけるのは結構骨で、ここ1か所しか使っていない。もう一つのポイントは表側につけて建物で隠した。関水のものも篠原のマシンを使い、これは周りが狭いのでむきだしのままだ。

そのほかの線路はPecoのフレキを使っている。関水も混じっているかもしれない。ベースへの取り付けは以前やったように、厚手のボール紙を下に敷いて、ピンでとめている。バラストは当時出ていたTomixのものだ。これは同社の線路に合わせて多少目が粗く、また、一定の色に着色してある。どこかの砂とうよりは、大きな石を加工して砕いたもののように思える。ボンドバラスト法による固着はとてもやりやすかった。

レールの側面塗装は全線にわたり行った。たしか枕木も塗ったかもしれない。手間はかかったが、若かったから。

トミックスのMカプラーを利用して、自動解放による機関車の付け替えができるようにした。磁石は解放ランプ付きレールから外して、枕木を切って埋め込んだ。

ヤードを出発した列車は、左回りにエンドレスを何周かする。やがて駅で停車し、貨車を開放する。機関車は少し前進してポイントを切り替え、反対側の線を使って移動、再び貨車を連結して今度は右回りに走る。やがて再び駅に着き、貨車を伴いながら少し移動、推進運転をしながら側線に貨車を押し込める。側線のもうひとつは機関庫になっているので、機関車はそこに収まる。

と、なるはずだったが、Mカプラーと言うのは本線上に配置してはいけないものなのだ。理屈ではカプラーアームに引張力がかかっているとき(走行中)は解放しないことになっているが、現実にはほぼ毎回カプラーが跳ね上がってしまう。

こればかりはいかんともしがたく、数年で諦めてケイディー(は、古いのか。マグネティック・カプラー)に取り替えた。機関車は当初DE10(当然トミックス)だったが、ケイディーのはKATOの鹿島鉄道版DD13にした。

ケイディーはきちんと動作したので、上記のように遊ぶことができた。

取り外したMカプラー用の磁石はもとのトミックス線路に戻した。後に今のレイアウトを作るときに利用している。

 

2024年12月 1日 (日)

うさぎ鉄道 レイアウト制作の思い出(6)

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8月に(5)を書いてからだいぶ間が空いてしまいました。

1977年末に、さんざん遊んで製作途中のまま廃棄となったレイアウト(3代目と言うべきか)の後、翌年には早くも9mmべニアの上に線路を敷いて運転できるようにした。

プランの原型は関水のレイアウトプラン集だったと記憶しているが、写真が残っていないので、正確なプランはよく覚えていない。単線でロングランができることがコンセプトで、たぶん8の字をもうひとひねりしたものだったと思う。1mmぐらいの厚手のボール紙を道床に使い、全線関水の固定式線路(ユニトラック以前の)を用いていた。文字通りの運転板で、ホームだけはGMの「都会用」を使って取り付けたが、シーナリー付きには発展しなかった(ちょっとだけ団地のビルを自作したり、信号所を作った記憶もある)。ベースがただの板で補強フレームがなく、取り付けるには線路を外さないという状態で、発展しようがなかった。

このころ比較的気前よく車両増備していたので、それらを素朴に運転して楽しんでいた。発売直後のトミックス113系(初代)、ライト点灯式になったEF65 500、コキ10000系コンテナ車(前々回記事に出てきた冷蔵コキはこの時の生き残り)、キット組立の10系寝台車などなど。

このレイアウトは半年ほどで解体し、シーナリー付きのものをあらためて作ろうと考えた。これは90x90の2分割式で、中央で接続するという構想だったが、細々と作っているうちに挫折してしまう。

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78年の秋ごろ。覚えていたよりはちゃんと作っていた気がするが、たしか周回して走らせるまではできないで終わったと思う。

右側に見える急行型電車らしきものは文化祭用に依頼されて作ったクハ165。

 

1979年の初めごろ、ノートに新分割式レイアウトの構想をまとめた。

モジュールレイアウト方式で、都心のターミナルから郊外に向かう私鉄をテーマとしていた。

ターミナルは2面3線か2面2線だったか、それほど大きくない。

次の駅は対向式ホームの、各停しか止まらない小駅。西武新宿線下落合とか、そんな感じ。

その次は緩急結合できる、2面3線か4線の中規模駅。引き上げ線も設けて、折り返し列車も設定される。

イメージとしては東武東上線成増とか。

次はやや郊外の駅。島式ホームで「準急」あたりが止まる。たぶん橋上駅で、周辺は住宅地。

再びやや大きめの駅が次。ここには車両基地がある。ここまでは複線で、この先は単線になる。

終端駅のことはよく覚えていないが、風景的には田畑や森が広がる、という想定だったのだろう。

部屋の中をいくつものモジュールをつなぎ合わせて、上記のような配置にする。駅と駅の間は適当に端折り、折りたたむように駅を配置することになる。

これを紙に書いて、妄想して楽しんだ。車両にはあまりこだわらず、なんなら関水の103系やトミックスの113系を4両ぐらいで走らせればいいと思っていた。各停は上記「成増」で折り返し、準急は「成増」から各駅停車、急行は「成増」停車、郊外駅は通過して車両基地のある駅から各駅停車、という具合の、ダイヤ運転とする。

これは構想と言うか妄想だけで着工すらできなかった。実際に上記のモジュールを作ったとして、それを自室(和室6畳)に組付けたら自分が身動きできないか、そもそも設置できなかっただろう。更に、それを収納する場所もなかったはずだ。

 

と、ここまで書いて一区切り。冒頭に掲げた写真まで行ききれなかった。また次回。

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