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2024年8月31日 (土)

中京地区乗り歩き

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新幹線を降りて最初に乗ったのがあおなみ線です。

16号車付近で上りの新幹線を待っていると、目の前に見えるのでそのうち乗ろうと思ってたのですが、こんな時でないとなかなか機会がなくて。

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ホームドアがあって、一度乗っちゃうと撮りにくい。

電車はいかにも2000年代初期風の、日車風の通勤車です。なんとなく京成3000型を連想するので、スペックを見るまでは18m車かと思っていました。中身は313系に準ずるらしいですね。

鉄コレとかでも取り上げられていないようです。

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リニア鉄道館を出て、またあおなみ線で名古屋に戻ったのがちょうど5時過ぎ。そろそろ夕方のラッシュが始まっていました。

名鉄新名古屋は例によってカオスでしたが、並ぶ位置がわかりやすく示されているのは良いです。

準急河和行きに乗って大江まで。

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名古屋の鶴見線。

日中は列車がありません。

大江駅の専用ホーム入口に改札があり、ここを通ると東名古屋港までの改札が終了したことになります。

東武大師線と同じ方式ですね。

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電車は最新鋭の9100系です。運用に着いたのは今年かららしいですが、LED表示機ではなく、方向板を使っています。

昔はサハを機関車で挟んでプッシュプルとか、かなり半端もののような車両を使っているような記事をどこかで読んでいたので(相当昔の話です)、かなり玄人向けの路線かと思ってましたが、まあ普通。

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折り返しの列車が入線した時、車内は6割ぐらいの入りでけっこう混んでいました。

ひじょうに戸惑ったのは、折り返しのはずなのに車内には乗客が沢山残っていたことです。

もちろんヲタのような人は一人もいなくて、ふつうの勤め人やおばさんのようなひとが。

このまま金山まで直通するとか、そういう話は聞いていないし、それでは改札の意味がなくなってしまう。

 

どうやらこれは、改札に一度に押し掛けるよりは車内で少し待った方が涼しくて楽、という、生活の知恵だったようです。

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90℃の平面クロスがあると聞いていましたが、撮影に失敗(もっと手前です)。

帰りに車窓から見ました。帰りは混んでたので写真は撮れなかった。

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東名古屋港に着くところだと思います。

線路は先まで続いてますね。

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今思えばすぐ折り返すこれには乗らないで、平面クロスまで歩いても良かったのですが。

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名古屋に戻り、今度は近鉄に。

1111ぞろ目。これには乗らず、急行を待ちました。

裾が絞られているのがわかりますが、これはもと奈良線920系です。

昇圧(1969年)を生き延びた小型車の電装品と新製車体を組み合わせて登場、後に冷房化、新性能化を図り、更に名古屋線に転属して今日に至っています。更新後の車齢だけで52年です。

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普通列車に活躍する2000系。新ビスタ10100系の電装品を用いて1978-9年に製造された車両です。

こういう車両たちを見ると、東武も5000型とか、もうすこし頑張っても良かったかもしれませんね。1800の通勤改造もいいですが、電装品を移植すれば新性能5000が作れたのに。17型の部品も使えたよね。

今また18mになってるなら、3070あたりは冷改して2000の電装品と組み合わせれば使えたのにね。2080も。

なんとなく、話がまとまってしまったので、続きます。

 

2024年8月28日 (水)

リニア鉄道館の蒸機動車

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突然ですが名古屋は金城ふ頭のリニア鉄道館に行ってきました。

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昨年11月に京都、この6月にはてっぱく再訪していますので、その流れ?です。

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展示車両にそれぞれ特色が出ていますが、ここで目につくのはモハ10、流電、今回見たときは奥にいましたがモハ63あたりでしょうか。

モハ10などを見ていると、レストアのレベルがとても高い感じがします。実にきれいです。

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さて、こんかいのハイライトはこの車両。鉄道院ホジ6014として紹介されています。

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中央扉が両開きになっています。

HC85系はこれのオマージュということでしょうか。。

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屋根から出ているのが煙突です。

先ほどの扉は、蒸気機関ユニットをここから抜き出すための扉で、メンテナンス時に使われたようです。

右に見える二つの突き出しと紐のようなものは、機関と反対側からスロットルとブレーキを制御するためのものです。

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15年ほど前、RMライブラリで蒸機動車の記事を読んで以来、なんとなく気になる存在でした。

かなり際物的な印象がありますが、歴史を紐解くと蒸機動車は戦前にはある程度の普及を見せたようです。戦前、内燃機関もそこそこ普及したのですが、戦争で燃料が規制されたため、かなり遅くまで使われたらしいです。

欧州ではより高度な機構をそなえた機関を使用したようですが、日本ではSLを内蔵したようなこの形が使いやすかったようです。

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機関と反対側。前照灯は付け替えるとしても、尾灯掛けも何もないのですね。

「紐」の終端がどうなっているのか確認するのを忘れました。

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室内。

乗務員室も全室式で、ある時期の電車、気動車よりも高級な感じがします。。

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機関部。

まるまるSLが入っている形です。車体とはセンターピンを介してつながっており、適宜首を振る構造だったようです。

いわゆる、男の子ってこういうのが好きなんでしょ的な良さを感じるんですけどね。個人的には。

 

この形ではありませんが、昔からワールド工芸が蒸機動車の模型を出してますね。

ただ、フリーでいいのでKATOのちびロコを使って作ってみたい気がします。というか、スケール感を追うよりはその方が楽しそう。

というわけで、つづきます。

2024年8月19日 (月)

うさぎ鉄道 レイアウト制作の思い出(5)

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このレイアウトを作っていた1976年から77年頃は、Nでいうと黎明期から少し進化して、一般の人がさほど無理なく自分のレイアウトを持てるようになった時期、と言えるかもしれない。マックスが日本型のストラクチャーのプラキットを出し始めたのが'75年、学研やトミーも国内製のストラクチャーを出し始めていた。

ただいずれにしても、中尾氏のプランは大人向けのもので、子供には荷が勝ちすぎた。それよりも作りかけた風景がどんどん自分の心の中に入り込み、現実よりも妄想の中でどんどんレイアウトが発展していってそこで楽しんでいる状態だった。

さんざん線路敷設と撤去を繰り返し、最初に構想したプランとはまったく違う状態のまま、このレイアウトは1977年末に終焉を迎える。

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レイアウトの風景は架空のものだが、自分の心の中ではまるで自分がそこにいたかのように懐かしく思い出すことができる。

今運用中の「うさぎ鉄道」は、前にも書いたがこのレイアウトのオマージュである。基盤サイズや使用線路の関係で、全く同じようには作れなかったが、ドッグボーン型の内周線や、回り込むように流れる川を渡る鉄橋などは、まさに中尾氏のプランをなぞったものである。

このレイアウトを解体した翌年、TMSのレイアウトコンテストで、なかお氏のプランを使ってつくられたレイアウトが賞を取った。

更に翌年の’79年10月号で、詳細が紹介された。

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もとのプラン(のイラスト)は、なんとなく山奥のローカル線、というムードだったが、こちらのレイアウトは作者がお住まいの南伊豆のムードを取り入れて再構成されている。

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市販ストラクチャーを混じえながら、要領よくまとめられている。奥の川は海に仕立て直され、かなりダイナミックな立体感のある風景に翻案されている。

ちゃんとプラン通りに線路を敷くとこうなるんだなあ、と感心?した。同時に、レイアウト全体が意外と狭く感じられるという印象を受けた。

 

2024年8月12日 (月)

うさぎ鉄道 レイアウト制作の思い出(4)

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なかお氏のプランではポイントが23個ある。プラン解説の中でなかお氏自身、ポイントの数が少し多いようですが・、と書いている。

都会や大駅のような、見るからに複雑な線路が錯綜するシーンではなく、一見のどかな地方駅とローカル線のプランなのに、よく見ると意外と複雑な線路構成になっている、というイメージなのだ。

プランの発表された1974年当時、Pecoの標準的な中型ポイント(手動)は970円だった。75年の初め頃に値上げしたらしく、TMS75年4月号では1,400円になっている。英ポンドは今は多少高くなったがそれでも1ポンド200円ぐらい、当時は1ポンド500円以上したと思う。それを思うと今の価格(4,000円程度)というのはものすごく高い。というよりは昔の機芸社がひじょうに良心的に価格設定していたのだろう。当時はちょっとした模型店で入手容易だったから、流通量が今よりはずっと多かったこともあるだろう。

とはいえ、子供にとってはいずれにしても大変な負担だった。マシンは680円で線路下格納式であり、工作の難易度も高かった。もっとも、中型ポイントに関しては関水の固定式が900円で買えたので代替は可能だった。


いつ無くなったのかわからないが、昔の雑誌には「交換欄」というのがあった。

 

『当方の関水EF65を貴方のEF70と交換します。うさぎ市たれ耳町1-4 兎跳太郎 』

 

みたいな感じ。単に譲る、求む、というのもあった。

いまだったら個人情報だだ漏れということで成立しないと思うけど(というかヤフオクか今は)、これを中1のとき、いちどだけ使ったことがある。

ミニトリックスT3蒸機とR1ポイント左右計6個を譲ります、という話だった。先方は高校生の方で、電話で値段を聞いて郵便振替か何かで支払った。

R1ポイントは同社線路シリーズの中で最も急曲線であるr=192mmのカーブに合わせたもので、レールわきに着けられた電動マシンはものすごく巨大だった。とにかく電動ポイントが安く手に入るというので、飛びついてしまった。

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画面中央付近に見えるのがそれ。実は左奥の小山の脇、詰所の左側にT3蒸機も見える。

 

76年の秋ごろ、フライッシュマンピッコロの手動ターンテーブルというのが模型店に流通し始めた。

たしか6千円だったかしら。国産品は存在せず、輸入品ではアーノルドの電動が2万4千円ぐらいで売られていた時代、これは安かった。

大山のグリーンマックスで買った。

オリジナルのプランでは機回しはターンテーブルを用いず、ループ線を周回して行うことになっている。


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と、ここまで書いてきて、オリジナルプランをまだ掲げていないことに気が付いた。

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裏面のプラン図ですが、自分で書き加えた余計な渡り線とかが入っています。。

画面下の対抗式ホームの側を1番線とすると、内周線を左側通行で走ってきた列車(蒸機牽引)は左側の渡り線を渡り、2番線に入線する。機関車を切り離し、少し前進した後バックして給炭水する、あるいは機関庫に入る。または、そのまま前進して内周線途中から分岐する機回し線を進み、少しトンネルに首を突っ込んだのちバックして転回を完了する。外周線経由で1番線に到着した列車も、同様に機回し線を使って展開できる。支線から来た列車は1~3番線どこにも入れる。支線の終点では機回しはできるが、帰りはバック運転になる。

お分かりかと思うが、1列車当たりの長さはかなり短くなる。20m級2両がせいぜいだろう。貨車も、右側の引き上げ線を使って中央の貨物駅(専用線?)に入れられる量数は極めて少ない。中尾氏は運転についてよく考えて配置したので、紙の短冊を使って紙上で列車の動きを追ってほしい、と書いているが、氏の頭の中ではどんな列車を想定してたのだろう。

(とはいえ、この右側に延びる引き上げ線と、貨物駅の辺りの雰囲気はシーン的にとても魅力的で、私が最初に線路を敷いたのもここからだ。池と小山の脇に突っ込まれた線路は、たまらなく魅力的だ)。


というわけで、一つには資金不足、もうひとつは原プランの意図を十分に把握できず、プランに対する不満がいろいろかさんできて、'76年後半になるとだんだんとオリジナルとはかけ離れた線路配置に改変して行ったのであった。。

(続く)

2024年8月 4日 (日)

蒲原鉄道、新潟交通の保存車両

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先月末に新潟、山形南部を訪れましたが、その際廃止になった地方私鉄とその保存車両を見てきました。

訪れた都市、長岡、五泉、新潟、鶴岡いずれもかつては私鉄が走っていましたが、今は全て廃止になっています。

そのうち蒲原鉄道と新潟交通は30年ほど前に訪れたことがあり、その際乗車した車両などがまだ保存されています。

蒲原交通は冬鳥越のスキー場に保存車両があります。

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スキー場は今夏なので当然やっていませんが、施設には人がおり、保存車の整備もきちんとされているようです。

とはいえ、私はスキー客でも何でもないですし、施設内に入って近くで眺めることが許されるかどうかわかりませんでした。

ので、通りから望遠で撮影するにとどめました。

 

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この木造車両はモハ1型というそうで、蒲原鉄道開業時に作られた車両である由。

廃車後村松の車庫で倉庫代わりに使われていたものを復元したとのことです。

ということは;

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不鮮明な写真で恐縮ですが('92年8月。以下同じ)、これですね。

昔TMSにもストラクチャーガイドとして紹介されていましたね。ここからよく今の状態にしたものです。

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もう1両の電車はモハ61です。

廃止当時まで使われていた車両なのでしょうね。

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奥の方にもう一両、ED1というELがあります。

やや外装が痛みつつある様子です。

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木造車にかけられた屋根も、最近追加されたそうなので、ひきつづき保存整備が続けられることでしょう。

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機関車の現役時代はこちら。

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この2枚窓はモハ31ということで、保存車とは違うようです。

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こちらがそうなのかな。

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このときは気動車改造のクハ10に乗りたくて、朝のラッシュ時に間に合うように行ったのでした。

五泉からクハの狭いクロスシートに腰を掛け、TR26の乗り心地を味わいました。低速と言うこともありましたが、あんがい柔らかい乗り心地でした。

帰りはこの単行だったのかな。

これは五泉駅だと思いますが、駅の様子は変わっていたので、今でいうとどのあたりに相当するのか、現場ではわかりませんでした。

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たぶんこの辺りだと思うのですが。

中央付近に見える黄色い電車のようなものは、公衆トイレです。

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五泉を訪れたのは既に5時ごろでした。村松の方から来たのですが、駅跡(バスターミナルとして使用中らしい)を訪れるか迷いましたが、月潟に日のあるうちに着きたいので断念。

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ここも熱心な方々により、きれいに保存されています。

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ラッセル車と荷電とモハ。

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いわゆる日車標準型として、模型界では今でもけっこうポピュラーですね。

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これも、手ごろな大きさが非常にそそられるのか、模型ではよく見かけます。

鉄コレにもなっていますが、1/80で作りたいです。キットもあるけど、あまりいいのはなさそう。

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キ116。全国に同型が残っていますね。

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同じく1992年8月。東関屋。

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現役当時はこんな感じ。

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主力車両でした。

このほか小田急2200もいたと思います。

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路面区間で会った白山前までの区間は、撮影の直前に廃止されていました。

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まだ線路撤去前のようす。

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このとき乗ったのは元小田急のクハでした。

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車内。早朝だったので、乗客は私一人でした。

東関屋も白山前も、新潟駅からはかなり離れてますね。新潟は大きな町で、ちょっと車で来ただけでは様子はわからず、廃止跡を訪れることはできませんでした。

ただ、今も新潟都市圏はJRが四方に通じているものの、都市交通はバスが中心ですし、地盤が軟弱なので地下鉄も広島と同じく難しいでしょうから、宇都宮のようなLRTができるといいのですがね。。新潟交通も今更ですが、新潟駅まで乗り入れるとかできていれば、経営状況も変わっていたかもしれません。

という訳でした。

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