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2024年7月22日 (月)

うさぎ鉄道 レイアウト制作の思い出(3)

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中学に入って最初の期末試験が終わってから、新しいレイアウトに着工した。

ベースとなった台枠は2年前に作ってもらった定尺1枚のものだ。5.5mmのベニヤと、縁に幅100mmくらいの杉角材を貼り付けたもので、かなり頑丈なもの。

このベースの上に、なぜか20mm角くらいのラワン角棒を張り巡らせ、その上に3mmベニヤをかぶせた。勾配があるところはこの3mmベニヤを切って持ち上げ、川や池は穴をあけると底にベニヤのベースが見えてくる。

なのだが、配線のコードを通すときは二つのベース板に穴をあけて通さないといけないし、ほとんどの平地は二重底にする意味がない。自分でも何でそんなことをしたのか、よくわからない。。

プランは、前にも何度か書いたけどTMS312号('74年6月)の折り込み、中尾豊氏の手になるものだ。

改めて折り込みのイラストとプランを眺めると、何よりもフレキの特性を生かした流れるような曲線がひじょうに美しい。

これは中尾氏、またはこの時代のTMSとその界隈に顕著な特徴かもしれない。当時でも組線路を使ったレイアウトは盛んに作られていたが、70年の半ば頃は本格レイアウト=フレキ使用というのが暗黙の了解になっていた感がある。そして、フレキの特性をフルに生かすため、ひじょうに緩い曲線が特に意識されたのだ。最近の模型界の状況は全然わからないが、今でもフレキを使って緩いカーブ、というのはふつうに行われているとは思うけど。

中尾氏は線路の美しい曲線にこだわりがあったようで、この少し後のTMS321号(75年3月)でも緩和曲線を見事に取り入れたプランとその記事を書いている。

今書店でよく見かける、池田邦彦さんや諸星昭弘さんのレイアウトプラン、イラストもとても素敵だが、個人的には中尾豊氏のレイアウトプランやそのイラストがいちばんしっくりくる。

池田さんは漫画家のせいか、プランに対するナラティブが強いんだよね。尤も、今どきのTMSはそんなレイアウトが多いので、その流れに沿っているのだとは思うが。

中尾氏の場合、ご自身の考えておられる運転の様式がある。蒸機中心、オートカプラーの解放機能を駆使した入替、短編成中心という前提が暗黙の裡にある。このプランも、旅客列車でいえばせいぜい3両ぐらいが似合いなのだと思う。

 

そういうことは中学生の自分にも何となく感じられたが、それとは別に頭の中ではどんどん妄想が広がっていったのであった。


同じ76年の夏ごろに、「シーナリー・ガイド」を買った。

1950年代後半から、1970年代初頭頃までの日本の鉄道風景を描いたものだ。

これには非常に強い印象を受けた。

76年というと、この年の3月に国鉄最後の蒸気機関車が火を落とした時期だ。煙を見ることこそできなかったが、まだ蒸機時代の施設や沿線の風景は遺っていた。幹線でも例えば高崎線鴻巣の駅構内には貨物引き込み線があり、黒いワムが数量留置してあった。

頭の中に広がっていたのは、目の前を走る181系「とき」」や「あさま」、165系「佐渡」とかじゃなくて(勿体ない!)、古の薄暗い、煙の臭いのする駅構内と黒っぽい客貨車や側線を行き来する機関車という風景だった。

これに、海外鉄の要素が加わる。

当時のNの蒸機というとC11, C62, D51の3種類だけ(C50は製造終了後長期経過)という状況だった。あえて言えばこれにトミーのKSKタンクを加えた4種類が、日本型上記のすべてだったのだ。上記以外の形式が製品化されたのは、1980年のC51なんじゃないかな。

ので、もうすこし種類が欲しいとなると、当時は当たり前に行われていた?輸入品欧州型を同居させる、という方法が必要になる。

ドイツのBR024型蒸機はなんとなくC56の風味がある。改造してスケールにするのは非常に無理があるが、雰囲気だけ蒸機するなら十分だ。いちどそれを受け入れると、50,52型の大型貨物機や、01型パシフィックなども視野に入ってくる。

実際、このあとCタンクのT3が入線することになるが、頭の中の妄想には様々な蒸機がレイアウトを走る姿が浮かんでいた。

先ほど、煙臭い蒸機時代の駅構内と書いたが、実はそれとは裏腹に、駅本屋と信号所は近代的なタイプを自作していた。

駅本屋は「シーナリー・ガイド」に近代的なタイプとして紹介されていた、奈良線玉水駅のものを参考にした。実物はレンガ壁らしいが、模型ではファーラーの石壁模様の紙(灰緑色)を使った。この模様紙(ボール紙ぐらいの厚さ)は、本線の擁壁にも使っている。本屋は翌年だったか、ノーマルな国鉄風のものに置き換えている。信号所は鉄筋モルタルのもので、たしか誠文堂新光社の、昔の鉄道模型入門書(HOゲージ)の記事から作ったものだ。今見たらどう思うかわからないが、当時は結構よくできたと思っていた。

(つづく)

2024年7月18日 (木)

近鉄10100系

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KATOの近鉄10100系を買いました。

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IMONで買いましたが、ちょうど応対してくださった方が同じくらいの世代の方で、昔3重連やっていた頃盛んに撮影に行かれたとおっしゃっていました。

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残念ながら私はそれに間に合ってないんですよね。。関東在住だったこともありますが、最初に近鉄を見たのは77年の京都線、あちこち乗り歩いたのは新ビスタ引退の翌年の事です。

ちょうどニュービスタ(=30000系)が最新の車両としてもてはやされていた頃でした。賢島まで乗った記憶があります。

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それでもエースカーとかはまだ現役でしたし、もちろん12200も大いに活躍していた頃でした。

このデザインも配色も、実にいいですね。

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今まだ試運転段階ですが、箱から出したままだと6両に組成できなくて、貫通側の幌を外す必要があります。

それと、うさぎ鉄道では区間によって必ず脱線するところがあるようです。まず渡り線がダメ、留置線から渡り線に向かう区間も脱線します。

トレーラーを手で押していても脱線しますから、これは調整位では直らないと思います。

まあ、実際にはエンドレスを手放しで運転するぐらいしかしないと思うので問題はないのですが。

 

特急車が入線すると(既に30000系は活躍中ですが)、一般車ももっと欲しくなってきますね。

やはりマルーン一色がいいです。。

2024年7月 4日 (木)

白棚線

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JRバス(元国鉄)白棚線の専用区間が6月いっぱいで一部廃止になるとのことで、ちょっと見てきました。

ニュースを知ったのは廃止の1週間くらい前でしたし、ものすごく興味深いことでもなかったのですが、偶々土曜日1日予定が空いたので、行くことにした次第です。

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白棚線の名前は少し年季の入った鉄道ファンならみんな知っていると思います。戦前に買収されて鉄道省の路線になりましたが、終戦前に不要不急路線として線路を撤去。戦後の復活に際し、近代化のモデル線区としてレールバス(キハ10000、のちキハ01)とDD11を投入の予定が、直前になってよ予定変更になりバス路線として再起しました。軌道敷を舗装してバス専用とし、「高速自動車道」と称してやはり近代化の象徴的な宣伝をされていたようです。行き場を失ったレールバスは木原線で活用されたことも良く知られているかと思います。

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磐城棚倉駅はもとは白棚鉄道の駅として開業し、後に水郡線が乗り入れたという形のようですが、今は鉄道として残っているのは水郡線のみです。

駅舎は少し離れた位置にあり、こ線橋で結ばれています。駅舎の土台がなんとなく低いホームにみえますが、これが白棚線の遺構?

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駅前にバスの車両区(と言うのでしょうか)があります。日中でも1時間ヘッドで走っているので、水郡線より立派です。

ここに着いたのはちょうど正午ごろでしたが、水郡線は3時間ぐらい列車が来ない時間帯でした。

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今回廃止になる専用道は三森 - 表郷庁舎前間です。画面真ん中の、斜めに入っていく道です。Imgp1007

標識はありますが、なければただの枝道にしか見えません。

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今回「乗りバス」しようかなとも思ったのですが、想像してたよりずっと普通のバス路線だったのと、白河まで20キロ以上ある路線なので、ちょっとかったるく思い乗りませんでした(ヲタ失格)。

その代わり、専用道出口付近で「撮りバス」しました。

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沿線の緑が美しいです。これが線路敷になってて、車両もキハだったらどんなに良いかとは、つい思っちゃいますね。

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廃止の理由は設備の老朽化だそうです。設備と言っても舗装道路だけだと思いますが。

とはいえ、かつては「高速自動車道」でしたが、今や並行する国道289号線の方がずっと立派ですし、たいていの車は60キロ+で走っています。

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専用道は歴史的使命を終えたのでしょう。

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廃止される専用道の反対側、表郷庁舎前付近です。

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バス停が移動しますという案内。ここの停留所の場合、すぐ目の前の国道沿いに移動するだけです。

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新バス停標識は設置済み

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国道沿いの方が人気は多い気がします。

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専用道はもう一か所残っています。

時折記事を読んだりして、どんな感じなのか想像をしていたのですが、行ってみると思ったより普通というか、ただの田舎道と言うか。

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東日本大震災でBRTに衣替えした気仙沼線等の大先輩にあたりますが、80年近くが過ぎるとなんというか、ふつうのバス路線になっている感じです。バス路線としては盛業中なのが何よりです。

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今回偶然撮影できた、国鉄時代の看板。かつては高速自動車道として、未来をさきどりした存在だったのです。なにしろ周りの道は砂利道なのに、ここだけ舗装されていたのですから。

ウィキを見ると東名高速が開業した1969年に「高速」の看板を外したらしいです。

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うちにもレールバスがあったなと思い、久しぶりに出してみました。

15年以上前のものかな。調子よく走りますが、運転してるとなんだかレーシングカーみたいで、そんなにおもしろくはないんですけど。

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