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2024年6月23日 (日)

東武伊香保軌道線保存車 ほか

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関東地方も梅雨入りしましたが、偶々土曜は晴れたのと、ちょっとだけ時間が取れたのですこしでかけたくなりました。

ちょうどこの土日、新潟交通の旧月潟駅でイベントをやるらしく、X(旧ツイッター)で宣伝していました。そちらに・・、と思ったのですが、時間的には確かに不可能ではないものの、それだけのために新潟往復と言うのも何なので却下。

もうすこし規模を縮小して・・と考えているうち、ふと伊香保軌道線の保存車のことを思い出しました。

記憶の隅にあっただけなので改めて検索してみると、伊香保の公園に保存してあるらしい。

で、車をだして。。

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改めて実感したのですが、この辺って自分の頭の中に地図が全く入ってなかったですね。。

草津には行ったことあるけど、伊香保は全然行ったことなかった。

群馬って、南側に都市が集中しているけど、山すごいね。。

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渋川と言うと東上鉄道が当初目指していた街ですね。

八高線の計画がなければ、池袋から渋川行特急が発着していたかもしれない。

もしかしたら伊香保軌道線も箱根登山鉄道的な発展を遂げていたかもしれんぞ。

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東武鉄道が買収したのは昭和2年の事らしく、その頃既に東上線の延長区間は免許失効していたと思います。

それに東武は日光線開業を控え、高崎、渋川エリアまでは手が回らなかったらしい。

なので、せっかく買った鉄道はほったらかしにされていたらしく、戦後早々に全廃されてしまいます。

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木造の車両は経年で痛んでくると、地元の大工さんが補修にあたったとか、伊香保線の下り側はポールを降ろして、惰行だけで走って行ったとか、けっこうワイルドなエピソードは手持ちの本で読みました。

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木造単車は明治大正ぐらいの仕様でしょうね。鉄道を整備するよりはバスを走らせた方が、時代に合っていたといわれればそれまでですね。。

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直接制御、常用のブレーキは手ブレーキだったようです。

ここは公園と言ってもごく小さいものですが、安住の地を得たのは電車にとって何よりです。

ウェブの記事を見ると、10年ほど前にこちらに来たようです。屋根付きなので、保存状態は比較的良好です。


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さて、後半は近況です。

うさぎ鉄道の特殊軌間路線としてこの5月に開業した?Zゲージ路線ですが、その後待避線セットを追加して、こんな感じになりました。

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ロクハンの線路は、様式がトミックスのNゲージそっくりですが、走行性そのものは良好です。

ただ、ジョイナーの部分はやや注意が必要です。道床そのものの接合(プラ)とレールの金属ジョイナーで構成されていますが、どちらも外れやすくて、線路を取り外すときに相手側の線路に持って行かれたりします。金属ジョイナーは極めて小さいので、飛ばしたらすぐ紛失しそうです(幸い今のところ失くしてませんが)。

そもそもこのジョイナーはただレールに着いているだけで、本体側をカシメて止めたり、耳をつけて取れないようにするという工夫をしていない。フレキ用のジョイナーと同じです。フレキは一度接合したら着脱はしませんから良いのですが、こういう道床付きの線路はつないだり外したりを繰り返すので、そこは一工夫欲しいところです。

私の経験した限り、トミックスでジョイナーが取れるような事は皆無です。昔の関水の固定式線路だって、ジョイナーの線路側に耳がついて取れないようになっていました。

こうやってテーブルに線路敷いて走らせるのもちょっとおっくうになっています。一応補修用のパーツは取り寄せていますが。

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走行そのものはとても好調です。ポイントでの脱線もありません。

セットの曲線がR95という急カーブなので、天賞堂の165系は最初ちょっと脱線していましたが、今日は長時間走らせても全く脱線しませんでした。

手許に鉄道模型がこれしかないなら、少し妥協しながらも色々楽しむことはできるかと思いますが、うちにも模型店にもNの製品がたくさんありますからね。どこで差別化していくか、そこは考えどころでしょうね。。

 

2024年6月16日 (日)

てっぱく、D51なめくじほか

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近況です。

金曜日は、てっぱくに行ってきました。上田に行った時と同様、今月限りの株主優待券がありましたもので。

前回行ったのは2007年12月でしたから、かれこれ17年ぶりですか。

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この辺が増えていますね。

EF58 61, 同89もいますが、なんとなくこないだまで動態でいたのになあ、という気持ちも心のどこかにあります。

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高崎の機関車が引退というニュースを聞きましたが、そのうちいくつかがこちらに来るんでしょうかね。

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ちょうどこれの転回と汽笛吹鳴をやっていました。

京都に比べると蒸機が少ないのが弱みでしょうか。とはいえ、関東全体でいうと動態の蒸機に触れる機会は関西よりも多いので、その辺は。

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これ、けっこう好きなんです。

HO、Nともかなり前に模型が出てますが、どちらもややデフォルメが強いようです。オクをみているとHOもNもあまり値段は変わらないみたいですが、どうもねえ。

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ここらへんは新しいですね。

まあ、そんな感じで。

これも上田同様、鉄系の仲間に話題提供したけどあまり盛り上がりませんでした。。


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さて、こちらも唐突ですが、マイクロのD51 なめくじをオクで落札しました。

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この1月はじめ、正月輸送に使用していたKATOのD51標準型(旧製品)が、モーター焼損で不動になってしまいました。

2009年に入線したもので、ほぼこのレイアウトと同時期に使用開始したものです。

モーターだけどこかで調達しようと探したのですが、メーカーでも供給終了してるし、オクにも出てきません。というか、本体ごと買ったほうが早いかも。

それで、すこしひねってマイクロの中から安いのを探してきました。

ひじょうに安かったですし、走行状態も良好(ただしエンジン部の接着が緩んでいたので接合し直しました)ですが、かなり初期の製品です。25年ぐらい前のロットかな。

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実は正月の故障後、新品でKATOのD51 498(副灯付)を調達していたのでした。

D51 200も見たのですが、いちおう馴染みのあるこちらに。200も去年京都で見ましたけどね。検修中のやつを。

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うさぎ鉄道はいちおう、蒸機が現役の時代の鉄道を模したレイアウトの風味でやってるつもりなのですが(時々変なのも走ってますけど)、これはこれで使い道がありそうです。ただ、こいつに貨物列車を牽かせるのはちょっとなので、やはり上記マイクロも欲しかったわけです、

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ちょっとピントが抜けてますけど、左から故障したKATO D51(旧)、同D51 498、マイクロD51 、一番右はマイクロのD52。

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KATOの旧製品をさいしょに買ったのは'76年でした(写真のは2代目)。以来このプロポーションはすっかりお馴染みですし、整ったプロポーションと模型として適切なレベルのディティールとそこからくる日常使用の扱いやすさは、今でもひじょうに満足しています。

確かにすこし大きいので、D52を入れたときはサイズ感が逆転して違和感を感じていたところではありました。

今回のマイクロもやや大きいのですが、KATO旧よりは多少小さい(というかあちこちのバランスが悪い感じ)ので、あんがい違和感がないような気がします。

旧D51もどこかでモーター調達したら復活するかもしれませんが、これを機会に現行のD51を増備する機運でおります。たぶん夏に出る北海道型も、手配を検討しているところです。

 

2024年6月13日 (木)

うさぎ鉄道 レイアウト制作の思い出(2)

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中学を受験したので一応勉強した。

今から思えばかなり呑気で、直前の年末年始にかけて103系オレンジ4両を買ったりしていたし、紙で東武8000、阪神青胴とかを作っていた。。

とはいえ、直前には相当緊張したし、それ以前も長い間もやっとした重さを感じていた。

なので、受験の終わった2月から3月にかけてはとても解放された気分で、なかなか楽しかった。


その頃、ベニヤの切れ端を手に入れた。大きさはよく覚えていないが、40cm x 20cmくらいだっただろうか。

そこに線路を敷いて、レイアウトセクションもどきを作った。参考にしたのは「レイアウトモデリング」の「私鉄駅」だ。

記事のセクションよりは小ぶりの板なので、上下の本線とポイント1つ、側線一本しか敷けなかった。

ホームと駅舎、トイレは記事の設計をNにコンバートして、ボール紙かなにかでそれらしく作った。

これを紙箱に収めて学校に持って行き、友達に見せたりした。

けっこう女の子にも好評だった。。最初、駅舎は紙のままだったが、後に薄灰色に塗装したら「あら、そんな色に塗っちゃったの?」と言われたのを覚えている。


このセクションを含む、壮大なモジュール・レイアウトのプランを大きな紙に書いた。どうやって作るのかは考えてなかったけど。

30センチ四方ぐらいの板に、丘と草原のモジュールもちょっと作ったけど、その辺で無理だと悟って、別の事を考え始めた。

 

この後もしばしばそうなるのだが、最初にもらったセットに入っていた関水のレイアウトプラン集、あの中のプランがどうも気になり、制作を試みるか、完成図を書いて夢想することがよくあった。モジュールは無理なので考えたのはやはり、そのプラン集のなかの一つだった。複線と待避線みたいなのがついたやつで、単純だがいろいろな列車を走らせやすそうだった。

ベースになるテーブルは、前の定尺ベニヤのやつがまだ残っていた。

しかしこの後中学に入り、色々忙しくなったのでしばし中断する。

2024年6月 2日 (日)

うさぎ鉄道 レイアウト制作の思い出(1)

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前回少し触れたが、この頃Nゲージの線路はいわゆる固定式というハシゴのような形のものしかなかった。セット同梱のカタログやレイアウトプラン集には、線路は必ずボードなどに固定してくれ、畳の上などで運転しない事、とあった。

親に頼んで900mm x 900mのボードを作ってもらった。写真のパネルの大きいようなやつで、二つを掛け金のような固定金具でつなぐ形にしていた。

セットについてきた線路はR3,半径315mmの曲線と162mmの直線だ。これを固定した。

TMSなどを見ると、線路にはバラストを撒くべしとある。川砂をとってきて木工用ボンドで留めるとか、それでは大変だから紙粘土や家庭用壁材で代用するという記事もあった。

しかし、近くにホームセンターもなかったので、家庭用壁材が何たるかも知らなかった。チリ紙を糊でこねて、線路の隙間に詰め込んで絵具で着色した。

ポイントは久しく買えなかったが、夏頃トミー(トミックスではなく、香港製の輸入品)の小型ポイントを500円で買った。おそらく半径19cm位の、手動ポイントだ。

秋ごろ「レイアウトテクニック」を買ってもらったが、製作記事に書かれた材料等はほとんど理解できなかった。まず石膏プラスターなるものがわからない。ペーパータオルと言うのも見たことなかった。発泡スチロールか何かを芯材にして、上にチリ紙を茶色の絵具を入れた水に浸して重ねてみるが、紙が水に溶けてぺたぺたになってしまった。

線路もバラストのせいで(レールの側面塗装もしたかもしれない)通電しなくなり、単なるゴミの山と化してしまった。


秋ごろには誠文堂新光社のムック本「Nゲージ」を買ってもらい、模型知識も少しは増えてきた。

機芸社のTMSや特集本というのは年少の初心者に向けた本ではない。小学生には読めない漢字も多かったし、フレキシブル線路とか真鍮ドロップ、エッチング、ダイカストがどうのと言うのも初めて聞いた言葉だった。ディティーリングやウェザリングするというのはどうも良いことらしいということは分かったし、玩具的という表現はたぶん良くないのだろうと思いもした。子供でもというか、子供ゆえというか、意識高いことの方が好きなのだ。

だから本当は、ベニヤ板にセットのエンドレスとポイント一つつけたぐらいで、シンプルに楽しむ方が良かったのに、余計な知識がついてよりグタグタにしてしまった。機芸社が悪いような事を書いているが、もちろん自分の責任である。

「Nゲージ」はもう少し初心者に寄り添った編集がなされている。それでも保里さんの手になるレイアウトは、今思うと相当レベルが高かったけど。

それはともかく、初代レイアウト(と言えるほどのものではなかったが)の反省を踏まえ、12月の末、父にねだって神田の科学教材社で線路やポイントをまとめ買いした。

年が明けてすぐ、前回の反省から5.5mmの定尺ベニヤに杉材の台枠をつけた本格的なテーブルを作ってもらい、固定式レイアウトの製作を開始した。

プランは最初の図(とりあえずエクセルで作ったが大分しょぼいな)で、線路は全部関水の固定式線路である。同社のレイアウトプラン集に載っていたプランそのままではないが、何かを参考にした記憶がある。本線は全線勾配なし、支線は駅を出ると勾配を上がっていき、終端駅は本線よりやや高いところにある。登りきったところに橋があったはずだが、どうなっていたのか(本線と立体交差させたかった?)記憶がない。

関水の手動ポイントはR481の曲線路が付属している。ヤードの一番奥側の線はこれを利用して全体がカーブしながら、他の線とは離れた位置にあった。本線の駅は列車交換ができるようになっているが、両側とも左分岐でその分左右の本線の位置が少しずれて出ていく。これを調整するため、駅の反対側にR481を使った不自然なSカーブがあった。

駅のホーム(本線)は10mmぐらいのバルサの厚板から作った。表面は灰色に塗ったが木目は処理していなかったと思う。ホームが島式だったのかどうか、どうも記憶がない。支線終端駅のホームは、たしかFallarだかKibriだかのキットを買ってきた。欧州式のホームなので高さがとても低い。その上割と近代的なホームだったので、上屋が総ガラス張りだった。当時日本にはそんなおしゃれな上屋はなかったので困り、茶色に塗りつぶしてしまった。駅本屋と便所は「レイアウトテクニック」河田氏の記事から、ヤードの貨物駅は「レイアウトモデリング」の記事からバルサとボール紙で自作した。

向かって右側は山とトンネルで、前回と違い新聞紙を芯材として石膏で作り上げた。石膏は模型店に1キロぐらいの単位で売られているのを見つけた。手に入らない時があったので、建材店で小分けのセメント(灰色の)をつかったりもした。固くなるけどゴワゴワで、小型模型にこんんなのを使ってはいかんのだが。左手の曲線内側は田んぼであるとして、畔を石膏か何かで作り、水面を木工用ボンドで形成したー表面にボンドを塗りつける形。時間が経つとボンドがかさぶたみたいにめくれあがってしまった。

駅前に少し大きめの市販の樹(たしか500円ぐらいしたと思う)を植えた。他は家庭用スポンジを油絵の具(最初はテレピン油で溶いていたが、なくなると灯油を使ったりした)で緑に染め、つまようじに焼き鳥よろしく刺して形を整えた。山の奥の方はTMSか何かで習った発泡スチロールで作り、やはり油絵の具で彩色した。

いちおうできたような気がするのだが、あまり運転した記憶がないのは、配線が完成できなかったからだ。

特にヤードは線ごとにギャップを切って、スイッチをつかって通電させることを企図した(固定式線路のポイントは非選択式)のだが、その配線が子供には難しかった。

関水のカタログにはレイアウト配線用にアトラス社のスイッチボードを紹介していて、これは模型店でも買えたのだが、千円ちょっとするので少しお高い。工作用の一つ20円ぐらいのスイッチが売られていたので、それをたくさん買ってきた。

しかし、はんだ付けもやったことなかったし、どうもだめだったらしい。

レイアウトは'75年の間ずっと部屋に置いてあった気がするが、たしか年末には解体されてなくなっていたと思う。

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