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2024年5月19日 (日)

うさぎ鉄道のはじまり

一番最初に買ってもらった鉄道模型は関水金属のワキ10000だ。1973年12月のたぶん25日、450円だった。

勿論実物のことは知らない。貨車だということはわかったし、よく似た秩父鉄道の貨車なら近くを走っていた。

このときはまだ線路は持っていない。

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当時鉄道、特にSLのプラモはよく売られていた。このころ、ナガノのC62(電動で16mmの線路を走る)エルエスのC62(簡単なストラクチャーがついている)をつくったりもした。Nゲージサイズで走るSLはなかったが、路面電車が売られていた。都電6000、または京都市電で、たしか買ったのは京都市電の方だったかな。プラモデルと言っても組み立てるところは殆どない。車体は一体成型で、動力部分もある程度組み立て済みだった。線路は灰色の道床付きで、オーバルの内側に側線(待避線)が入るというものだった。ポイントはフログ一体型だが切り替えは可能。路面といってもふつうに枕木とバラストが表現された線路だ。

路面電車もちゃんと走ったが、何よりこれでNの車両も走らせることができる。

先のワキ10000に加え、クハ103(緑)、ワム80000も購入して、この線路を走らせた。

いちおう、Nゲージの線路も買った。固定式(当時Nには道床付き線路はなかった)162mm直線路12本組960円。

路面電車の線路はすべて一体のプラ製だ。

当時既に模型の動力はレールから電気を得て走る、と知っていた。プラのレールでは集電できない。

ので、レール表面にリード線をほぐした銅線を張り付けて、そこから電気を通そうと考えた。

接着剤でレールに銅線を張り付けるが、当然ガビガビになってしまった。

 


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近所の模型店ではHOの入門セットを数種類、Nのセットを1種類置いていた。

HOはカツミの「たのしい鉄道模型」セットで、EB58+2軸客車またはEB10+貨車で、トランスもついて12,000円。

やや上級のED58+中型客車セットは16,000円だった。

Nは関水で、EF65に20系客車が5両ついている。オーバルの線路はついているが、トランスは別売で9,300円だ。

今の子供がどういう選択をするかわからないが、これは迷う。

池袋のデパートに行くと、たくさんのSL、客車、ガラスケースには東武の電車(*ロコモデル特製)が並んでいる。どれもHOサイズだ。

Nは脇の方に数種類置かれているだけだ。

おそらく、子どもたちがNから始めるのがふつうになるのは、これから数年してからだと思う。この時期、数年の違いは大きいのだ。

 

最終的にはNを選んだが、その後も迷った。そう、日本の鉄道が狭軌から始まって、後に改軌するかどうか盛んに議論されたように。

 


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単品の模型は、この年3月に佐賀に引っ越していった親友が持っていて、いちど見せてくれた。

小さくてよくできていることに驚いた。EF65という機関車を知ったのはこの時が初めてだ。

ただ、B-B-Bという車軸配置は当時奇妙に思われた。なんだか虫みたいな。。

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ブルトレも103系(スカイブルー磯子行き)もD51も、関水製品で再現することができた。

買ったのは5月18日(土)だと思う。平年だったけど、5月のカレンダーは今年と同じだ。

一緒に買ったのは西沢のパワーパック(価3,500円)で、ご主人が2つで12,000円でいいです、と負けてくれたのを覚えている。

西沢というとネットでは青い筐体のものが出てくることが多いが、うちのは黒ボディに薄クリーム色のレタリングがされていた。

2次巻き線から複数のタップがでている(正確な言い方ではないかもしれません)方式で、ダイヤルには4V~12Vと表示されていた。右に回すと徐々に電圧が上がっていくが、間に無電の位置があってそこに重ねると機関車が止まってしまう。見方によっては実物的ともいえるし(0系新幹線はこの原理だったと記憶)、今のフライホイール式の動力なら意外といいかもしれない。しかし当時はなんか変だなあ、という印象はぬぐえなかった。当時の機関車はけっこう唸ったけど、さいしょはヴヴヴ、それがヴィィ、ヒューン、ウィインと音が変わっていく。

炬燵板に線路を敷いてしばらく運転していた。付属のカタログやプラン集では線路を床置きせず、必ずベニヤ板等に固定してくださいとあった。

・・この後しばらくして、これらの模型はみんなぶっ壊してしまうのだが、いちおう3ミリベニヤと角材でテーブルを作ってもらい、そこに線路を固定した。折り畳みではなく金具で二つをつなぐ式にしてもらったのだが、線路の接続がうまくいかなかったと記憶している。


以後、20歳過ぎまでの間にいくつものレイアウトを作ったが、この間エンドレスを脱線なく安定して走らせるということはほとんどできなかった。いつも何かしら作りかけては壊していたし、年中脱線するので嫌になったり、お金がなくて線路が買えないとか、余計な事にこだわって駄目にしてしまうとかの繰り返しだった。TMSを読んで、自分もいっぱしのスケールモデラーのつもりで色々中途半端なことをしてしまうのだ。

13歳の冬休みの頃、建設中のレイアウト(立てか/式)をしばらくおきっぱにして、仮設線路でエンドレス+待避線を作り、ミニトリックスT3 / トミーのC型ディーゼルにオハニ30またはスロ53それぞれ1両で編成を組み、交互に走らせた。

あるいは15歳の時、これまた仮設式でエンドレスを8の字にして周回を長くしたレイアウトを作り、キハ25の動力にGMクモハ43(水色だったかな)をかぶせたやつを延々走らせた。キハの動力はヘリカルギアが削れてダメになってしまったけど。

なので、ふつうのレイアウトを普通に運転できるということに憧れがあるというか、列車をぽんと置いてスイッチ入れればすぐ走る、ということにこだわりがある。

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コメント

ウチでは亡父が買い求めた関水の20系や103系が初の鉄道模型となります。
ストーブの熱で車体変形したり、分解途中でパーツ壊して二度と復元できなかったりと悲惨な最後でした。

ある程度の小遣い得られるようになってからは、トミーにも手を出したりしましたがこちらもチープさや関水との相性の悪さに辟易してしまい車輌のみ集めてその後放置のパターン多くなっていった気がします。

道床付きのレールが出ますとまともに走らせられる環境となり、車両数も増えていきましたがやはり趣味人口の減少なのか、贔屓にしていた模型店が軒並み無くなっています。
管理人さんもご存じのキックもそうですし、当時居住していたところから5分の位置にありました店をストビューで見ますとフツーのアパートと化しており諸行無常をおぼえます。

そうそう、古きKATOカタログに掲載のフランス型蒸気機関車のタイル画がある落合の元本社も取り壊しが決まっているようです。
GWにホビセン行った折に確認できました。

12号線さん、コメントありがとうございます。
うちの父はこちらの方の趣味はなかったのですが、模型が細かくできていることは理解していたようです。。それを分解してぶっ壊してしまうのですから、内心がっかりしていただろうなと申し訳なく思っています。。。

そう、ワキを買ったのはキックでした。あの頃東上沿線にはるー模型店、マックスなど、TMSに広告出すような模型店がいくつもあったのですが。。

あのタイル絵、なくなってしまうのですね。。いつか通りがかって写真撮ったのですが、いま直ぐに見つかりません。

画像貼付します。
https://imgur.com/Uk1lx7J.jpg

おお、ありがとうございます。
ここだけでも、坂戸にでも保存してほしいですね。。

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