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2024年4月28日 (日)

架空鉄道はどこから

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SNS(X-旧ツイッター)で「あなたの架空鉄道はどこから」というのが流れてきて、各自思い思いの回答を寄せてるのを見た。

架空鉄道と言う言葉はさいきんのもので、昔は聞いたことがなかったと思う。架空線といったら第三軌条に対する言葉で電車線、トロリー線とかのことだ。とはいえ、もちろん架空鉄道の意味するところは明白でだし、次第に定着していくのだろう。

ちなみに中高生時代の鉄道仲間の間では想像鉄道、略してそうてつなどと呼んでいた。

これはポピュラーなあそびで、それこそ幼稚園ぐらいの頃から頭の中で走らせていたと思う。

いま、架鉄がクローズアップされるようになったのは、例のオオカミのマンガ辺りからかもしれない。

らつたさんの毛鉄はそれこそ従来の概念を覆すくらいのパワーがあった。あれほどち密に考えられた設定や、それを可視化した画力はすごいとしか言いようがない。

 

とはいえ、雑誌などで紹介された想像上の鉄道に魅力や説得力を感じたのは、これが初めてではない。

いちばん最初に惹かれたのはちょうど50年前のTMS'74年5月号、喃武鉄道だ。

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どちらかというと車両模型に視点を置いて設定を構築した感じで、読者もファンタジーであることを了解しながら楽しむ記事(鉄道)だ。

なのだけど、本文の所々に挿入された構内配線図や、カット写真(実景。もちろんどこか別の鉄道の)も雰囲気を盛り上げている。

この喃武鉄道と、同じ号に掲載された近鉄タイプの自由形作品は、子どもだった私に強いインパクトを与えた。

近鉄タイプは独自の車両デザインもさることながら、独自の車両工作法(鉄道用以外の素材を生かした、鮮やかな床の模様や個性的な色のあしらいかたなど)がひじょうに印象的だった。例えば快速用6000系の屋根の色は阪急のようなマルーン、クーラーはキハの水槽を使っている。屋根上、床下機器の色は銀色だ。実物を模した模型というよりは、芸術作品に近い視点でつくられている。さいきんの極端なリアリズム傾向からは絶対に出てこない発想だ。

この手の文字通り自由な発想から来る模型作りはラリー仕様の蒸気機関車(TMS76年6月号 作:大辻清司氏ー有名な写真家)のような突拍子もない想定のものや、湘南交通(同'79年8月号他)のようにファンタジックな要素を持つものなど、見る者の想像力を掻き立てる作品が時折発表されてきた。印象に残ったものを列挙すればそれこそきりがない。

以上はいわゆる模型用語でいう自由形というカテゴリーに入るものであり、これには路線の想定などは必ずしもなくてもよい。

模型とは離れて、路線の設定や車両、運用などを構築するのはまた別のジャンルなのかもしれない。私たちが想像鉄道と呼んでいたのはそちらの方だ。架空のダイヤを作ったり、運転系統や種別を作ったりするのはまた別の楽しさがある。

自分で子供(高校ぐらい)のころ考えたのは、国鉄(当時)川越線が私鉄だったらという想定で車両や運転系統を考えたというのがある。ダイヤを組んで、急行運転とかを考えた。やった人はわかると思うけど、速達列車ってあまり速くできないし難しいんだよね。西武新宿線みたいになってしまう。。

もっと大人になってから考えたのは、吉祥寺からほぼ北に向かって川越に至る鉄道だ。いちおう山手急行電鉄および帝都電鉄と接続、乗り入れを念頭に(当初改軌が計画されていたので)はじめから標準軌で建設されたという想定だった(なので、想像上では結局井の頭線との乗り入れは果たせておらず、仮設ホームがそのまま使われたので改札も離れていると想定された)。

その頃住んでいたところから実家まで行くのに便利そうだったので考えた。。現実世界で田無ー東久留米まで延伸計画があったことは、当時は知らなかった。

たしか平林寺の辺りに車両基地があった(野火止と称した)。新座市役所も近いから、ほんとうにあったら便利だったと思ふ。

東上線とどこでつなげようとしたのか、もう忘れてしまった。。昭和初期の建設ということなので、志木でオーバークロスさせましたかね。。

その先は東上線よりも荒川寄りを通って(昔からバスが走っていた)、たぶん本川越あたりに至る。その頃も川越は用地買収が困難でしたろう。

実はその先の別会社が高崎まで走ってて、川越でスイッチバックすることにしていた。こちらの方はもっと昔に考えてて、一部有料の特急も走ってた。3両固定で中間車が指定なのね。ドアが近鉄30000みたく中央に一つで(乗降に問題があるな)。

昔はスマホなどないので、駅や電車内でなにもできない時によくそういう事を考えていた。

でも、年を取ったら自然に想像力が枯渇してきてしまった。

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自分で自由形の模型を作ったことはあまりない(結果的にそうなったとか、ゆきがかりでというのはよくあるけど)。

これは意識的に作ったフリーで、昔作ったレイアウトに合わせて作ったもの。

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お分かりの通りクモハ41+43の切り継ぎ。ドアと尾灯は銀河?かタバサかな。もう40年もまえのはなしです。

 

 

 

 

 

2024年4月14日 (日)

新井薬師 葉桜

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今年は日程の都合で満開からかなり時間が経ってしまいました。

自宅の辺りはまだそれほどでもないのですが、ちょっと場所が変わるとだいぶ様相が違いますね。

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今は樹木の入替が進行中で、かつてのような桜のトンネルは見られなくなっています。

実質的に踏切と桜のシーンを撮ることはできなくなっていると言ってよいでしょう。

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右の樹がまだ残っていますが、左側は植え替えられました。青い葉が見えるのが桜の若木です。

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踏切の北側も既に植え替えが完了しています。

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新井薬師駅周辺。

撮影可能な場所からは撮れないのですが、電車に乗って外を見ていると、線路が掘り下げられた地面の数メートル上に乗っているのがわかります。着工と言うか、地下化すると報じられてから10年、そろそろ終わりが見えてきたのでしょうか。

 

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線路が移設されているはずですが、もとがどうなっていたのか、わからなくなりました。

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周辺の建物撤去も進行中。この雑居ビルも、1階のテナントは撤退完了のようです。

この撮影場所側にある交番は営業中?ですが、西武信金新井薬師駅前支店は仮店舗に移転、今解体が進行中。

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果物屋で買い物したことあります。

文林堂書店は古い映画のパンフレットとか、車の雑誌とか、魅力的な商品がたくさん並んでいたのですが・。

店内に入ったことはあったけど、買ったことはなかったな。

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こ線橋や北口改札が仮のものに変わった後も、ここだけは従来のままですね。このまま最後まで行くのか。

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完成図を見るに、曲線は緩和されるらしいけど、地下区間内もやはり曲線ホームになるようですね。

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こういう駅ではたいていカメラを複数設置してモニターしますが、ここでは駅員さんが立って確認しています。

これも地下化では変わるのでしょう。

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さて、来年はどうなっているか。

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