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2023年4月24日 (月)

線路の記憶

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例によってうろ覚えです。

最初に体験(意識)したロングレールは、たぶん山手線の新大久保ー高田馬場間だったような気がする。

父がこの区間はしばらく(ジョイントの)音がしないんだ、と言っていた。っても、幼稚園ぐらいの頃の話なので、本当にその区間だったのかはっきりしない。

 

ロングレールとPC枕木は、国鉄の幹線には早くから普及していたようだが、例えば東武東上線辺りでいうと、1970年代半ばまではどちらもほぼなかった。PC枕木は池袋口から徐々に交換が始まっていたが、成増を過ぎるとほぼ木枕木だった。

あの頃、8000のミンデン台車とかは飛ばしていると軸ばねのあたりからバシャバシャ音を立てて?ピッチングさせながら走っていたような記憶がある。家の近くの線路を見ていたら、1959とか書いてあって、ずいぶん古いなあ、と思っていた。まあ15年ぐらい前ということなのだが。

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よく見てもらうと、線路の間に細い鉄板が2本平行に、間をおいて打ち付けてある。

枕木が長い時間のうちに移動してしまうのを防ぐため?

私の記憶ではこの手の補強?は東武以外では見なかったような気もする。

 

木枕木からPC枕木への交換は、一本ずつ(当たり前か)行われていた。工事の中途では一部が真っ白い枕木ときれいなバラスト、途中から茶色い枕木とバラストという具合に、コントラストが鮮やかだった。

なので、子どもの頃は手持ちの線路を一部灰色に塗って、近代化工事中、みたいな遊びをしていた。

あと、PC枕木化は高速で列車が通る本線から始まり、駅構内、それも待避線や留置線などは遅くまで木のまま残っていた。留置線は今でもみられるかな。

なんでそんなことを書いているかというと、最近トミックスのファイントラックを見ていたら、いつの間にか標準線路がPC枕木に変わっていたからだ。昔は新幹線でも、木枕木、茶道床の線路を走らせるしかなくて、いつになったら変わるのかね、とか思っていた時期もあった。

さすがに、実物で木枕木が延々続く路線ってもうあまりないですよね。。

もうひとつ、旧型車は制輪子が鋳鉄製のため、駅周辺の線路が赤さびで真っ赤になっていた(ブレーキ時に鉄粉が飛び散る)。複線区間だと列車が止まる側の線路がより赤く、発車して加速する側はそうでもない。勾配区間はやはり赤っぽいなど、区間によって色の具合が異なっていた。

これも子供にはとても印象に残る現象で、なんとかレイアウトでもこれを再現しようとしたものだ。レベルカラーのレッドブラウンとか、使うのだけど、どうしても暑苦しい感じになるのだよね。。実物の駅周辺もそんな感じで、沿線の民家なども相当やられていたと思う。

考えてみると、今の駅構内や周辺は昔よりずっときれいだ。バラストもまばらで枕木が半分土に埋もれたような線路とか、今は想像がつかないのではないか。側線になると急に枕木がまばらになったり、レールも37kgレールで細くなったりとか。

そろそろ、そういう考証が伝承されて行かないといけない時期なのかもしれませんね。

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コメント

和光市~志木の複々線化で内側の緩行線には中古、外側の急行線に新品のPC枕木と使い分け行っていました。
レール自体は新品ですので、乗り心地にはさして差はないと思われますが敷設から30年以上経ち、省力化に対応した物と交換なされている頃合いかもしれません。
また、鉄製架線柱も見かけなくなった存在の一つでしょうか。更に2本毎に高圧線を線路上に巡らせる梁の太い柱もありましたが、鉄製はコンクリポールとなり、高圧線も別に鉄柱立てての配線となって線路上すっきりしたのではないでしょうか。

12号線さん、コメントありがとうございます。お返事が遅くなり申し訳ございません。
枕木も物理的、会計的な耐用年数が決められているのでしょうけど、レールほど厳格ではないのかもしれませんね。
鉄製アングルの架線柱は懐かしいです。子供の頃家の近所の架線柱はみなそれでした。濃い目のグリーンに塗られていましたが、今残っているところはあるのかな。
高圧線併設の架線柱は、東武練馬付近にあった気がしますが、こちらもどうでしょうか。。

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