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2023年3月25日 (土)

準急のときわ台停車

Scan15300

そのうちだんだんボケてきてわかんなくなっちゃうから、とりあえずうろ覚えで書いておこう。。

電車通学は中学からだったのですが、最初の頃は背が低くて満員電車は大変でした。。

早めに電車乗って、志木で始発に乗り換えたりしていた。

慣れてくると準急に乗り通すようになりますが、最初の頃は貧血おこして座り込んだりしてたな。

 

その頃(言い忘れてますが東武東上線です)車両は73,78型と8000系でした。平日朝以外はどちらも混用で走っていましたが、ラッシュの最混雑時間帯はすべて8000系で運用していました。高性能車に統一して、遅延を少しでも防止するためでしょう。種別は普通と準急のみで、成増-池袋間は平行ダイヤになっていました。

つまり、準急は途中停車はしないが追い越しもせず、普通と同じ所要時間で池袋まで走破します。

駅に停車するための加減速、客扱いがないので、時間に余裕はありますが、当然、ノロノロ運転になります。

冷房のない車両も多かった(というか当時冷房化率は2割あるかどうか)ので、今なんかよりはるかに過酷な環境で。子供にはきつかったです。

池袋の国鉄ホームも、入場制限で相当待たないと乗れなかったのです。

4月に入学した時、東上線の最長編成は8両で、準急が8両、普通が6両でした。

この年11月に10両編成が登場します。ホーム延伸の他、前回ちょっと書いたように下板橋の留置線を上下線間から西側に移設(本線は上り線と平行に)します(おそらく10連を止められるようにしたのでしょう)。これが6月ぐらい。このころ、旧塗装で残っていた8156Fが、全倹でセイジクリームになり、前車新塗装になりました(と記憶してます)。

平行して、ときわ台駅の改修工事が進んでいました。前は池袋方のホーム端から階段を降りていたのが、今の位置に変わったのですね。

このときホーム延伸もやっていたのだと思います。

ダイヤ改正で、朝の準急はときわ台停車になります。平行ダイヤは変わらず、停車駅を増やした形です。

成増を出ると、日中なら10分で池袋ですが、朝は20分ぐらいかかります。その中間ぐらいで一息つけるので、少し気がまぎれるようにはなったかな。

ただ、いつも寄居方に近い方に乗っていたせいか、ドアが開いても誰も乗りもおりしなかったような記憶があります。ホームにも人、いなかったな。

大山駅は池袋方にもおおきな踏切があり(今はないけど、踏切脇にパチンコ屋があって、大きなゴリラが壁を上っているオブジェが置いてあった)、6両分のホームしかありませんでした。みずほ台駅開業の77年に普通も8両になり、池袋方2両を締め切り扱いにしていました。

これの解消と、普通の10連化が柳瀬川開業の79年11月のことです。。

・以上はぜんぶ記憶で書いてますので、間違ってたらつっこんでくらはい。。

ラッシュ時の混雑はその後徐々に緩和され、混雑率も下がっていったようです。ときわ台停車も83年に終了し、同時に平行ダイヤも解消して途中追い越しがされるようになります。

写真はいいものがないので、79年に撮ったときわ台を。たぶんるー模型店に行った帰りでしょう。なんで片側が感光しているのかわかりません。。

Scan15310

お口直しに鶴瀬。右端のモダンな信号所は73年の橋上駅と同時に落成したもの。以前はホームはここまでだったものが、10連化で建物の脇を抜けて寄居方に簡素な延長ホームが作られた。手前に待避線が見えます。貨物のほか、試運転によく使われていたことは、ここで繰り返し述べました。当時西口は未開業で、自転車置き場が多少あったほかは畑でした。

8000の先頭部上あたりに、ごく最近まで残っていた富士ビルが見えています。

 

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コメント

朝の上り8両準急には通学で乗ったものです。
8000系8コテ登場前の話ですが、下車駅は最後部が良いため非冷房車の充当がほとんどでした。
当時の森林公園区、2コテ冷房車は8563~8565Fの3本だけでしたし。
また、運転席後部だけ客室に突出する8559・61・62は導線もイマイチな気がしました。

当時乗車した車両で今も残るは牽引用の8505Fくらいなものでしょうか。

初めまして
言われてみれば当時の朝上りは8000系ばかりでしたね。8000系限定運用が組まれていたとは知りませんでした
自分の記憶にあるのは川越基準で9時台になると寄居(森林公園)から6両の7800・7300系急行が6両で上がってきて、これがヘタなラッシュ時よりもめちゃ混みで当時小学生だった自分にはつらかった思い出があります
ときわ台停車の準急は自分の覚えてる限り朝に7本あったと思いますが、ダイヤ改正でときわ台停車がなくなると知ってお名残で乗りに言ったはいいのだけど、大混雑で川越からでは座れるわけもなく、車両中央に押し込まれて駅に止まったのか機外停車だったもよくわからなかったなあ…

初めまして
言われてみれば当時の朝上りは8000系ばかりでしたね。8000系限定運用が組まれていたとは知りませんでした
自分の記憶にあるのは川越基準で9時台になると寄居(森林公園)から6両の7800・7300系急行が6両で上がってきて、これがヘタなラッシュ時よりもめちゃ混みで当時小学生だった自分にはつらかった思い出があります
ときわ台停車の準急は自分の覚えてる限り朝に7本あったと思いますが、ダイヤ改正でときわ台停車がなくなると知ってお名残で乗りに言ったはいいのだけど、大混雑で川越からでは座れるわけもなく、車両中央に押し込まれて駅に止まったのか機外停車だったもよくわからなかったなあ…

12号線さん、コメントありがとうございます。すみません、お返事が遅くなりました。
冷房化は初期には6R、新製も6R中心で2Rは後回しでしたね。
運転席でっぱり仕切りは昭45,46製のグループですね(46年は3050型のみ)。個人的にはちょっとおもしろい気がしていましたが、冷房化で消えてしまいましたね。。

内装、座席を含め、乗客として見ると今でも越生線辺りの8000の方が、池袋口の10030よりもむしろ良いくらいですが、野田線以外の残存8000を、この先どうするつもりなんでしょうね。。

サマンサさん、コメントありがとうございます。すみません、お返事遅くなりました。。
私の場合は志木~鶴瀬辺りを基準で見てましたが、おおむね朝6時台の終わりごろから7時台半ばぐらいまで、下り列車が73・78ばかり連続して来る時間帯がありました。逆に上りは全部8000。
このことを利用して、当時模型用に78の資料写真を撮るにあたり、夏休みの朝早起きして取材に出たりしていました。。

ときわ台停車の準急は7本だったのですね。。今のように複雑なダイヤではなく、朝の上りは準急と普通が交互に来るだけでした。コロナ前ほどではないですが、混雑するのは相変わらずですね。。

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