準急のときわ台停車
そのうちだんだんボケてきてわかんなくなっちゃうから、とりあえずうろ覚えで書いておこう。。
電車通学は中学からだったのですが、最初の頃は背が低くて満員電車は大変でした。。
早めに電車乗って、志木で始発に乗り換えたりしていた。
慣れてくると準急に乗り通すようになりますが、最初の頃は貧血おこして座り込んだりしてたな。
その頃(言い忘れてますが東武東上線です)車両は73,78型と8000系でした。平日朝以外はどちらも混用で走っていましたが、ラッシュの最混雑時間帯はすべて8000系で運用していました。高性能車に統一して、遅延を少しでも防止するためでしょう。種別は普通と準急のみで、成増-池袋間は平行ダイヤになっていました。
つまり、準急は途中停車はしないが追い越しもせず、普通と同じ所要時間で池袋まで走破します。
駅に停車するための加減速、客扱いがないので、時間に余裕はありますが、当然、ノロノロ運転になります。
冷房のない車両も多かった(というか当時冷房化率は2割あるかどうか)ので、今なんかよりはるかに過酷な環境で。子供にはきつかったです。
池袋の国鉄ホームも、入場制限で相当待たないと乗れなかったのです。
4月に入学した時、東上線の最長編成は8両で、準急が8両、普通が6両でした。
この年11月に10両編成が登場します。ホーム延伸の他、前回ちょっと書いたように下板橋の留置線を上下線間から西側に移設(本線は上り線と平行に)します(おそらく10連を止められるようにしたのでしょう)。これが6月ぐらい。このころ、旧塗装で残っていた8156Fが、全倹でセイジクリームになり、前車新塗装になりました(と記憶してます)。
平行して、ときわ台駅の改修工事が進んでいました。前は池袋方のホーム端から階段を降りていたのが、今の位置に変わったのですね。
このときホーム延伸もやっていたのだと思います。
ダイヤ改正で、朝の準急はときわ台停車になります。平行ダイヤは変わらず、停車駅を増やした形です。
成増を出ると、日中なら10分で池袋ですが、朝は20分ぐらいかかります。その中間ぐらいで一息つけるので、少し気がまぎれるようにはなったかな。
ただ、いつも寄居方に近い方に乗っていたせいか、ドアが開いても誰も乗りもおりしなかったような記憶があります。ホームにも人、いなかったな。
大山駅は池袋方にもおおきな踏切があり(今はないけど、踏切脇にパチンコ屋があって、大きなゴリラが壁を上っているオブジェが置いてあった)、6両分のホームしかありませんでした。みずほ台駅開業の77年に普通も8両になり、池袋方2両を締め切り扱いにしていました。
これの解消と、普通の10連化が柳瀬川開業の79年11月のことです。。
・以上はぜんぶ記憶で書いてますので、間違ってたらつっこんでくらはい。。
ラッシュ時の混雑はその後徐々に緩和され、混雑率も下がっていったようです。ときわ台停車も83年に終了し、同時に平行ダイヤも解消して途中追い越しがされるようになります。
写真はいいものがないので、79年に撮ったときわ台を。たぶんるー模型店に行った帰りでしょう。なんで片側が感光しているのかわかりません。。
お口直しに鶴瀬。右端のモダンな信号所は73年の橋上駅と同時に落成したもの。以前はホームはここまでだったものが、10連化で建物の脇を抜けて寄居方に簡素な延長ホームが作られた。手前に待避線が見えます。貨物のほか、試運転によく使われていたことは、ここで繰り返し述べました。当時西口は未開業で、自転車置き場が多少あったほかは畑でした。
8000の先頭部上あたりに、ごく最近まで残っていた富士ビルが見えています。
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