非冷房車の記憶
鉄道の冷房装置の普及は日本にあっては1960年代ぐらいからで、1957年に登場した小田急3000(初代)も最初は冷房がなかったらしい。特急や1等車、その後急行型も冷房装置を取り付けるようになったが、ほぼ同じころに通勤型にも冷房車が登場した。
一般的には京王帝都5000系、阪神7001型あたりが(名鉄5500も料金不要だが、クロスシートなので)通勤冷房車のはしり、といわれている。国鉄103系も、試作車を1970年に製作しているので、国私鉄それほど大きなずれはない。
70年代に入ると、ほんの数年で新製車は冷房付きが当たり前になった。東武も西武も、71年ごろまでは非冷房車だったが、72年から冷房付きになっている。地下鉄は別だ。営団(メトロ)が冷房を「容認」したのは昭和の終わりごろだ。
ほどなく従来車の冷房改造も始まったが、代替新造を含め、すべての車両が冷房車になるにはかなりの時間がかかった。東武は79年の5000系まで、更新車には冷房を取り付けていなかったので、冷房化率が100%になったのは1996年のことだ。
70年代の半ば、首都圏各鉄道の冷房車は、一般世間でもよく話題になっていて、新聞に各鉄道の冷房化率が取り上げられていた。
京王などはかなり高く、意外なことに東急はひじょうに低かった。たしか、1975年で7%だったかな。
その頃はステンレスカーを改造するのは難しいのかな、と思ったりしていた。
東上線は72年の新製車8156Fを皮切りに、73,74年製の8161-64F、改造車の8105,6,10,12(多少抜けてるかも)など、6R車の冷房化が先行していた。そのころ電車を日々利用することはなかったが、そこそこの確率で冷房車に乗ることはできた。
非冷房車の場合は車内扇風機+窓開けで対処することになる。
8000は窓が全開できない。上段は落とし込み方式で上1/4程度開き、その場合は下段の上昇も制約を受ける。
下段だけ上に上げると、窓半分程度は開口する。
今は下段の開口はできなくなっている。
上下に少し開けた状態というのは、立ち客にも風が行くし、座っている客も危なくないので、当時としては悪くない方式だったと思う。
が、当時は個人的にはちょっと不満だった。国電や西武は完全に全開できたが、そうした車がうらやましかった。
ちなみにこの上段下降、下段上昇式は国鉄急行電車と同じだ。
旧型は2段上昇式だ。国電72系、あるいは101,103系もそうだが、上段は手で持ち上げて、車体側の溝にのっけて固定する(1アクションのみ)。下段はヒの字型の留め具がついている。101系などのように完全に全開はせず、一番明けた状態でも上端に下段窓の一部が残る。
今、6月なのにすごく暑いけど、学生時代は本当に暑い7月梅雨明けから9月ぐらいまでは朝の電車に乗らなかった。
朝ラッシュの非冷房車が身に染みたのは社会人になってから、地下鉄とその乗り入れ車に乗った時だ。
もっとも、窓の開いているのは嫌いじゃなかった。
今でも一人で車乗るときは、窓開ける方が好きだが、風を浴びながら電車乗るのは結構好き。
日光線の6000とか、とても気持ちよかった。
逆に秋口とか、気温が20度台のときに、ぬるい冷房掛けられると、空気がよどんだ感じがしてあまり好きではない。
ひところ、残り少なくなった非冷房車を追っかけて?乗ろうとしていたことがある。
秩父鉄道1000は、3両のうち中間車のみ、冷房がなかった。
昔を偲べるかな、と思って乗りに行ったりしたが、この時代の人たちは電車の窓を開ける、ということが習慣でないのか、冷房がないことに気がつかないのか、ぜんぜん窓を開けていなかった。
たしか、空いているときを狙って開けた気もするけど、下段は固定されてたかな。開けるのも勇気がいるんだよね。
同じころ、北勢線の非冷房車にも乗った(これも1両のみ冷房がない)けど、やはり窓が開いていなかった。客がぜんぜん乗ってなかったので、やはり自分で開けた。
2年前、コロナで窓を開けることが推奨されるようになった頃、窓から走行音が入ってくるのが妙に懐かしく感じられた。ちょっと、デジャブに浸ったりしていた。
なんだけど、さすがにもう、窓開けはちょっとしんどい。マスク同様、やりだしたら止められないのかもしれないが、何とかならんのかな。。
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- PASMO一体型カード始末記(2025.12.03)
- ほしあい眼科さんの保存車(2025.08.24)
- 冷房化が進んでいた時代(2025.07.27)
- 鉄道フェスティバル&駅弁大会(2025.07.11)
- 25年後半(2025.07.02)








東武7800など木枠の車輌もいたS50年代、窓枠がひしゃげているのか開きづらくもありました。
おまけに日除けが鎧戸で、かつ塗装のラクダ色が暑苦しさ倍増したようにも思えます。
東上線の8000系6コテの冷房改造で、8107Fと8113Fは施工が後になったため室外機側面の開口部が五角形になりました。(それ以前は四角形)
ただ後年の室外機入れ替えで原型タイプもなくなったかもしれません。
また、冷房改造による天井高さの変更で客室内妻面の化粧板がパッチワークになったのもいましたね。
投稿: 12号線 | 2022年7月11日 (月) 14時25分
12号線さん、コメントありがとうございます。
78初期型はたしかに暑苦しい感じでしたね。。7820は鉄枠、7300あたりはアルミ枠でしたが、今にして思うとかなり腕力が必要だった気がします。
クーラーは76年のマイナー(8176F~)のとき、一緒に変わったような記憶があります。。パッチワーク内装はこどもににはとても気になる状況でした。写真に撮っておけばよかったかな。。そういや今の初期10000の内装も記録しておくかな・。
投稿: うさぎくん | 2022年7月15日 (金) 21時21分