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2020年12月29日 (火)

駆け込み増備

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457/475系(Tomix)はたしか2011年の暮れに入線したもので、基本3両セット+サロ、サハシの5両だった。購入したのはトラモフレートだったと思う。

サロとサハシがついているのに5両というのは少し短いな、とはずっと思っていたが、夏頃再生産の情報を知り、アマゾンでMc+M'ユニットを予約した。到着したのはたしか10月ぐらいだったかな。。以来、開封しなきゃと思いつつ。。

うさぎ鉄道の住民はコロナ禍とは無縁(呼吸していないとも、10年間全く動いていないとも言われていている)で、年末年始の輸送力増強も急務である。ので、とるものはとりあえず増結してみた。

7両というのはうちのレイアウトにはふさわしい長さだ。編成のローカル感もちょうどよい。

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・・ただ、まだユーザー取付パーツをまったく取り付けていない。完成品のはずなのに、買ってからやることが多すぎるのは何とかならないのだらうか。タイフォンまで後付けなんだね。。

中間に入った先頭車のライトも切らずに試運転した。

これ、年末までに設定を終えられるかどうか。。

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これも仕掛品。何と去年買った鉄コレ8000系非冷房車だ。同じくなかなか手を付けられていない8コテと組むか、本当はちょっとおかしいけど8111F動態保存車と組んで、8連X2とするか。

9101Fが長すぎて持て余しているので、一応後者を念頭に準備中。

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これは鉄コレに入っていた行き先幕等のシール。

非冷房2コテの行き先は「西新井-大師前」なんですよね。

ただ、面倒くさいのでそのままにしておくかもしれない。

おでこの角も、取付けないつもり。

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仕事納めのあと、イモンに行って更に増やしてしまった。。

前回8000の予約品を取に行ったとき、グレードアップシールは未発売だったのでそれを取りに行ったのだが。。

9101Fの輸送力過剰に手を焼いていたので、編成短縮して6両しか買わなかった。今のNゲージの風潮はフル編成指向だが、私は昭和時代の生き残りなので編成短縮は平気なのだ。。

こちらは後付けパーツないかも(まだ走らせていない)。

8000も後付けしてなくて、ゆえに走らせてもいない。この辺、正月の仕事かな。。

年初の100系から始まって、今年は東武車30両の大量増備で終わりそうです(当社比)。

2020年12月25日 (金)

クリプレ

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IMONに予約、取りに行きました。

うちは結局、4+2で揃えました。急行、特急はともかく、うちでは通勤車はあまり長いと使いにくくて、この位がちょうどよいです。

ただ6両で2万越えはたけえな。

約40年前にkATOのカタログに予定品掲載されていたという、ウェブの書き込みを見ましたが、見た記憶ないな。。

ちょうど同じころ、すなわち1980年の年末ごろにGMからキットが発売されて、これはお年玉使って買いました。1981年1月7日に完成したことは覚えているけど、番号を当初何番に附番したかわからなくなってしまった。。81107Fかと思ったけど、まだ登場していないんだよね、81年1月現在。
ちなみにキットは先頭車、中間車それぞれ2両入り、袋入りでした。おまけ前面は78系(あまり似てない気がした)、たしか西武2000系。床下機器はまだダイキ中ヤス製。動力はエンドウのユニットで、FS396バージョンはなかったので西武FS372仕様を流用しています。

昔の話はそのくらいに。

今年は1月に100系ゴールドを購入、先日は手つかずだった鉄コレ9000系10両(登場当時)を組み、更に8000クリームを組みかけている(まだ2コテまで)状態。今回の6両と、仕掛品の8両が入線すると今年だけで32両東武車がはいることになる。。この際買わなかった50070も買ってしまおうかと考えたりするが。。ただ、あまり運転しないのでコスパが悪いんだよね。。

2020年12月14日 (月)

10年前の12月

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今の仕事に就いて最初の12月ですが、忙しいです。コロナの影響もいくらかあるが、年末年始がどうなることやらわからない。

気がついたら年が明けていそうです。。

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なので、出かけることも儘ならぬ。

在宅勤務のあと、疲れをいやすために古い写真を繰っていたら、10年前の12月の映像に目が留まりました。

この日は午前中用務で出かけて昼頃帰宅。たぶん昼飯食いながらネットでも見てたんじゃないかと思うけど、ふと八高線の戦後間もない頃の事故に関する記事を読んだ、らしい。

八高線は終戦直後に2度にわたり大きな事故を経験している。一つは1945年8月24日の正面衝突事故、もう一つは1947年2月25日の脱線事故である。このうち正面衝突事故については、2001年、多摩川の川底から当時の事故車のものと思われる車輪が発見され、川岸に保存されている。

という記事を読み、急にこれが見たくなった。午後遅い時間だったが、場所(八高線拝島-小宮間)的に割と気軽に行けると踏んだらしい。

拝島から青梅線で中神駅まで着いた時はもう4時近かったようだ。今地図で見ると結構歩いたな、と思うが、途中暮れ行く多摩川の写真などを色々撮っている。

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この橋ですね。

橋のたもとだったと思うけど、その車輪は見つかった。

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ひとつはスポーク車輪、もう一つはプレート車輪です。スポーク車輪のほうはフランジがちょっと欠けています。

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これが長軸なのか短軸なのかは、よくわからないですけど。

ネットで調べると、以前は川岸にそのまま放置されていたようですが、2004年ごろに引き上げられてここに設置されたようです。

 

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日もとっぷり暮れてしまったので、小宮駅まで歩きましたが、結構遠かったです。車はたくさん走っていたけど、小宮駅はほとんどだれもいない静かな駅でした。

 

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拝島まで戻って、帰りはこれに乗ったらしい。

101系が本線をふつうに走っていたなんて、古き良き時代ですねえ。。

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ついでなのでその翌週に行った佐倉のオランダ風車付近から撮った写真を。冒頭カット写真がそうですね。

このときも用務帰りで行ったのは午後ですが、京成佐倉から歩いているのです。帰りは臼井まで歩きました。

佐倉市のホームページを見ると、【交通】京成佐倉から徒歩40分、京成臼井から徒歩30分とあります。

先の小宮同様、今だったらぜったいに車で行っちゃうはずの場所です。

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風車の中に入って、職員さんから興味深いお話をうかがうことができたのを覚えています。

電車は遠くに走っているのを撮っただけですが、これだけ見晴らしの良い場所も関東近県では珍しいですね。

2010年12月というと、その年の7月に日暮里の改良工事が終わり、スカイアクセス線の営業が始まったころです。

ただ、まだ船橋経由のスカイシティライナーも健在で、そこそこの本数が走っていて、時々使っていました。この写真の3か月後に東日本大震災が発生し、運転再開後ももとの本数には戻らず、やがて消えてしまいました。

実はAE100型には結構乗っていたのですが、今のAEにはたぶん乗ったことないと思います。AE100、成田エクスプレス(253系)よりも快適で結構好きだったんですけどね。

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