原宿駅
つい先日建て替えのニュースが報道された原宿駅。解体するという話は数年前に発表され、反対運動も起きていたが、強行するらしい。
金曜日、ちょうどNHKホールに行く用事があったので、ついでにと思って訪れましたが、雨が酷くて写真は撮りにくい状態。まあ人は少なかったのは助かりましたが。どのみち、夜間は屋根のあたりが映らないので全体が撮れません。
すみません、鉄道ジャーナル1973年2月号から引用させてください。
これが1970年代初めごろの姿だと思われます。
普段使うことがないので、今もこんな感じなのかな、と思っていましたが・。
左側は地下鉄出口とつながり、屋根も増設されて木組みの妻板は見えなくなっていますし、もう原型をとどめているのは屋根付近だけみたいですね。。
SNSで普段鉄のことには関心のない子が怒っていて、私もせめて移築保存ぐらいは、と発言したけど、こりゃあ復元するのは大変だな。
他にも出口はあるのだし、橋上に改札口を設けてこの建物は復元保存するということだって考えられると思うのだけどねえ。外国人観光客のスポットにもなっているらしいのに。今回はちょっと、JR東の判断に疑問を感じますな。。
東京中央郵便局は完全に解体され姿を消してしまう予定だったが、直前に故鳩山邦夫氏がもったいないことを、と怒り、急遽一部をレリーフ状に保存する形でいまのJPタワーができた。あれは大臣、グッジョブでした。今回もだれか歯止めをかけてくれないかしら。
鉄道車両の保存は、昔よりは理解が進んでいる気もするが、建物や施設はまだまだだ。原宿駅などは大正時代の木造建築で、クラシック建築としての理解が得やすいが、昭和期の高度成長期に建てられた構築物など、たんに古臭い設備と思われてどんどん捨てられている。
もう15年近く前だが、「地下鉄に乗って」という映画がつくられたとき、古いタイル張りの側壁が残っていた竹橋駅と、まだわずかに残っていた5000系(を、無理やり丸の内線500っぽく装飾して)撮影が行われた。竹橋の駅は一辺がとてもちいさい(昔の風呂場のような)タイルが一面に張られた、とても雰囲気のあるホーム壁があったのだが、数年前ついにリフォームされてしまった。千代田線二重橋前、大手町などに使われていた白いレンガ大のタイルも、1970年初めごろのクリーンでモダンな装いだったはず(まさに6000系のモダンさに相応しかった)だが、ここに来て改装され姿を消しつつある。昔の営団の駅名表示が明朝体みたいな硬い感じの文字で、あれも都会風でカッコよかったよね。文字鉄じゃないので詳しくはないですけど。。
沿線の建物だって、70年代と今とでは当然違いますからね。セージクリームの東武78や、グリーンの東急5000が走るレイアウトをつくるとしたら、それに似合う建物を考察しないと。。
まあ今できることは、沿線のストラクチャーも少しずつ取材しておくことでしょうか。。
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