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既に報道等でご覧になったことと思いますが、18日12時12分頃、東武東上線の普通列車が、中板橋駅を発車してまもなく脱線、列車は中板橋-大山間で立ち往生となり、乗客は最寄りの中板橋駅に徒歩誘導されたそうです。けが人等はいませんでした。
18日午後8時現在、池袋-上板橋駅間が不通となり、上板橋-小川町間で本数を減らして運行されていました。現場総出で復旧作業の結果、19日は始発から通常運転となったようです。いや、本当に大変でした。ご苦労様です。
事故を知ったのは昼過ぎ、会社の子が教えてくれたのですが、そのときはそれほど気に留めていませんでした。帰宅時になっても復旧しないのを知り、だいぶ大事であることがわかってきました。
夕方、日本橋で用務を済ませたのですが、まだ7時過ぎ。いけるかな、と思い、大手町から三田線に乗りました。板橋区役所前から歩くことしばし。。
野次馬根性丸出しで、いささか申し訳ないのですが。。(幼なじみの子から、物好き!といわれてしまったけど)。
最初に大山駅に寄ってみる。駅の照明はついており、改札も機能していた。バスルートなどの案内も、比較的詳細に表示されていた。
駅を訪れる人はそれほど多くはなかった。当然だが、駅前の繁華街は通常通りのにぎわい(人はすくなかったかも)。
大山からしばらく歩き、看護学校のさきあたりまでいくと、列車が止まっているのが見えてくる。
'11年7月。これしか写真がなかったけど、現場はこの奥のマンションの先の方かな。
脱線した車両を切り離したところでした。
一時は踏切が開かなくなっていたらしいが、このときは開いていた。線路の部分は細いひもを張ってあり、職員が見張っていた。
中板の駅前の踏切付近。
線路が相当のダメージを受けていたらしい。
こんなときにあれですが、この踏切で思い出すのは、5年前の震災の頃、ACのCMで「こだまでしょうか、いいえだれでも」ってCM、あれに一瞬出てきてましたね。
中板橋駅。1,4番線に列車が留置されていました(室内灯は消灯され、たぶんパンタも下ろされていたと思う)。
中板からときわ台は列車だと近いが、線路沿いにはいけなくて、すこし歩く。
左にバスが見えるが、代行バスで、ここから上板まで行く。短時間で代行輸送のバスまで用意できているのはさすがと言うべきでしょうね。
ときわ台から上板までは線路沿いにずっと歩いて行ける。ただ、多少距離はある。列車が発着しているのを見るとほっとする。
一部報道に池袋-和光市不通と、遅くまで書いてあったが、上板まで復旧したのは影響をすこしでも低減することに寄与していたと思う。
ここから池袋へ行くには、いったん森林公園方面の列車に乗り、下赤塚で降りてメトロに乗り換える。駅のアナウンスではそう言っていた。
4番線は回送の50090、3番線の10030は森林公園の行き先を示した状態で、このあと引き上げ線に入った。上板橋の方向幕は残念ながら撮れなかった。
掲示されていたのでしょうかね。
下り方面の案内板は生きているが、上り方面は事故の時点のまま止まっているようだ。写真は撮れなかったが、大山のホーム案内板は、上りは事故の時点で止まっており(12時xx分 池袋行き)、下りは通常ダイヤと思われる案内(見たときは20:01 志木行き)となっていた。中板もそんな感じだった。中板はなぜか自動改札が開いていて、乗客らしき人が出入りしていた。さすがにホームに人はいなかったと思うが。
上板から森林公園行きに乗り、和光で降ります。「車両の一部が脱線した・・」とあります。
ここから有楽町線に乗りますが、上りホームの案内板。一番上は生きてますが、次発以降の案内は事故当時で止まっているようです。
上板橋行きを待とうかと思いましたが、だいぶ時間が遅くなってきたので断念。
池袋駅。報道が行き渡っていたのか、どこも人は少なめでした。和光市は多少人がいたけど、池袋の東上線改札はあまり人がいなかった。
有楽町線、副都心線でバイパスされているので、混乱は少ないのでしょう。
北池、下板の人は有楽町線、三田線または埼京線、大山も有楽町線と三田線で代替できる人が多かったと思う。ときわ台も三田線かな。上板、東武練馬、下赤は動いていたし、有楽町線も使えたので。
池袋で印象的だったのは、留置されていた9001Fと10030が、中板と違って室内灯までついていたこと。今日中に復旧したら、すぐ使えるように、ということだったのでしょうか。
というわけで、怪我された方がおられずに、本当に良かったですね。影響を受けた方々、関係者の方々、お疲れ様でした。野次馬、失礼いたしました。
本当は連休の後半に書いてupしようと思っていたのですが、その後疲労困憊の状況に陥り(すこし大げさですが)、いつの間にか5月も半分が過ぎてしまいました。。
5月の連休に、いままで遠出したことがない、という趣旨のことを書いていましたが、その辺は削除して。。
もう35年ぐらい前の今頃、自転車でエコーモデルに行ったことがあった。
春に近所のひとからスポーツサイクルを譲ってもらい、行動半径が広がった。バイクや車ほどではないが、やっぱりどこか遠くに行ってみたくなるのだ。当時埼玉県在住だったが、自分の足で都内に出るのは初めてだった(さいきん、その頃は関所があったという説が出ていますが、そういえば・・)。
ちょうど、会田充彦氏の作品展を店内でやっていて、それを見たかったんだと思う(TMSに広告があった)。会田充彦氏とは、湘南交通という、ストーリー仕立ての架空鉄道とフリーランスのペーパー車両の記事をよく投稿されていた。ちょうどNから16番に進出し始めた頃だったこともあり、かなり影響を受けていた。「湘南交通」は、車両の仕上がりもすばらしかったし、従来のTMS記事とは少し違う、洒落た文章にも強く惹きつけられた。
(ああ、そういえば、このあとしばらくしてから、再び「湘交」(べつの。もちろん)に夢中になった時期がありましたね。。今思い出すと懐かしいんですけどね・・)。
私の場合、鉄道模型の入門がNゲージだったので、16番は正式に入門セットを買って、という過程を経ていない。中学の鉄道研究会で、16番の模型を共同(各自が担当車両を製作する)で作ったとき、クハ165だかを作ったのが最初だ。あ、クモハ165だったかな。
Nでペーパー車体を作っていたので、腕に覚えがあるつもりでケント紙から自作した。前面も小高の真鍮パーツなどは使わずに自作した。当時のお手本は西尾博保氏の記事や、いくつかのTMSの製作記。クハ165というか、153系のクハは翌年にもう一度作っている。このときも共同製作で、私はクハとサロを担当した。モハを作った友人と組み合わせるはずだったが、縦型モーターとインサイドギアの当時普通の動力だったのに、うまく動かずに運転できなかった。
話が脱線したが、この次点でもペーパー車体の作り方はきちんと習得したわけではなかった。
ので、TMSを読みながら色々と研究を続けていた。TMSは教科書代わりにしてかなり熱心に勉強した。’78年から’80年くらいの話だ。ペーパーで魔法のように綺麗に作られた、名鉄6000系とか、地方私鉄のフリーランス、運転用に様々な工夫をしたブルトレ、近鉄初代「あおぞら」、などなど。「とれいん」でも、ペーパー車体の記事は結構出ていて、少し古いが’75年後半から継続的に様々な制作記を掲載していた。山下健一郎氏とか、小田急の製作記はTMSでも紹介されていたな。あと、京成の大熊重男氏とか。
高校に入って最初に作ったのは、水色のクハ103(当時続々新製されていた)だったが、けっこうへろへろの作りだった。その後も色々手を出していたが、よりシリアスにディティールを追求した、本格的な模型として、東武7820を作り始めたのが’80年の夏頃だ。
サンディングシーラーで屋根を完全に平滑に仕上げ、床下機器も実車を取材して、パイピングもある程度引き回していた(一部を実際に通電に使った)。2両作るのに8ヶ月以上かかり(その間に別の車を4両くらい作っているけど)、完成したのは’81年春。当時池袋西武鉄道模型売り場で開催されていた、ペーパーキットコンクールに出品した。
今思い返すとこれもへろへろの作りだったと思うが、入選はしなかったものの(選外次点ということかな)しばらく店頭に展示されることになった。
私の車両は、t0.2-0.25位の、非常に薄いケント紙を使っていたので、線が細くていかにも壊れやすそうなのだ。というより、実際に壊れやすかった。(まあ、窓周りなんかは、けっこうスケールに近い作りだったとは思うけど。スチールの細いサッシを、頑張って1ミリ以下の寸法で作ったりしたのですが)。
2003年頃撮影した写真だが、もう部品があちこちとれてぼろぼろ。屋根も埃だらけ。ジャンパ栓なんかの細かいパーツも、とれてしまっている。
で、話をエコーモデルに行ったときのことに戻すと、ショーウィンドウから会田氏の車両群を眺めて、最初に受けた印象は;
「車体、分厚い。彫りが深い・・」
というものだった。
まず、四角いものを四角く作る、というところから全然私の作った車両と違っていた。
今度作るときは、もっとしっかりした、t0.5位の厚板で作ろうか、と。
そのころ、次に作る車両は新京成の8000系にしようと思っていた。偶々鉄道ファンの紹介記事と図面が手元にあったこと、当時の新塗装が、会田氏の「湘南急行」にも通じる、落ち着いた感じの色で気に入っていたことなどの理由からだ。
台車は日光の伊豆急用を使うつもりだった。友人から4両分、譲ってもらっていたのだ。これにブレーキシリンダーをつけると感じが少し変わる。当時は私鉄用台車が少なかったので、こういう加工を記事でよく見かけた。
写真こんなのしかなかった。奥がもちろん8000ですね。
エコーのご主人に、ブレーキシリンダーください、といって「どういうシリンダー?たとえば、客車用とか、蒸気機関車用とか・・」とかいわれながら、挽き物のシリンダーを32個買って、たぶんまだあれは開封していないだろうな。35年間。
結局新京成は作らなかった。今でもかっちり作って、綺麗に艶を残して塗装した車体をつくれば、かなり魅力的な模型になりそうな気がします、新京成8000.
ネット時代になって、当時あこがれていたモデラーの方々がブログを書いているのを時折見かけます。皆さん、とてもお元気に人生を満喫している様子。。
考えてみると、自分がいろいろな理由で(鉄道)趣味を十分に全うできなかったのは、自ら同好の士たちと交わることをしなかったからか、と思うときがある。鉄道研究会にも一時期在籍はしていたんだけどねえ。。
まあとにかく、これからも諸先輩の背中を見ながら、ぼちぼちとやっていきましょうか。。
以下も賞味期限切れのおまけ写真です。
ごついレール(60kgレール?)、狭い複線間隔。なんというか、模型ぽいですね。
この駅、電車はぜんぜん来ないという印象が強いですが、定点観測しているとそれなりに来てはいますね。。それにしても、施工をKATOかタカラトミーがしたのではないかと思うような高架駅とその周辺。。
(1)の続きです。以下、結構長いです。
新松田から開成駅まではそれほど離れていない。まわりには工場やマンションが建ち並ぶ、結構立派な駅だ。
子供の頃この展望席に乗った。それ以来のファンですが、展望席の楽しさはまた格別でしたね。
その塗装や登場年代から、どうしても円谷プロ的な世界を連想してしまうのですが・・。
あの時代ならではの、美しいデザインですね。このライトケースは、実は衝突に備えた緩衝装置の突き当て座を兼ねているそうです。
このコンセプトはNSEに先立ち登場した名鉄7000と同様ですが、小田急の方がより優美なデザインになっています。
もっとも、子供の頃、本で名鉄7000を知って、名鉄の方が力強いデザインに見え、小田急はちょっと弱いイメージだな、と思っていました。
この塗装はNSEが最初ではなく、SE(初代3000型)からですが、洋画家の人に配色をお願いしたとか。昔は手の込んだ塗装をしたものです。国鉄20系客車も、細い3本帯が綺麗でした(晩年は1本削られてしまったけど)。相鉄6000系とか、一時期の関東鉄道とか、ああいう手の込んだ塗装がされることはもうないでしょうね
もっとも、塗りじゃなくて、シートなら、帯でもグラデーションでも何でもありになってしまいますが。
小田急にはめずらしいミンデンドイツ式台車(FS346/046)。小田急と言えばアルストム。昔は鉄道会社ごとに台車の好みがあって、小田急アルストム、東急パイオニア、京急OK型、近鉄シュリーレンと、それぞれに特徴があった。相鉄の外出しディスクも個性的だった。
阪急はアルストムからミンデン、更にSミン(後にS型)となって、東武、京成、南海などもこれに追随して民鉄界の主流となる。
京阪はちょっと台車フェチ、西武は逆にひとつのものにこだわる傾向がある。TR11好きというか、FS372好きというか、たとえは変だが反グルメ嗜好で、昼飯にまいにちチャーハンばっかり食ってる人みたいな印象があるな。。
話が思い切り飛んでしまった。
というわけで?開成駅を後にします。折しも、現役最新の展望車VSEが通過中。
ここから駅前の道をまっすぐ歩くと、大雄山線の和田河原駅に行ける。ので、てくてく歩いたが、これはいささか疲れた。新松田もそうなのだが、この一帯はのどかな田園地帯というより工業地帯で、大企業の工場、研究所、オフィスなどがけっこう点在している。開発も進行中で、あまり風光明媚という感じではない。
駅に着く頃にはかなり疲れてしまい、駅前の喫茶店で休憩。
この和田河原を含め、後で書く大雄山、塚原付近を、30数年前に訪れている。和田河原は、今は駅ビルが建っているが、当時は普通の田舎駅だったらしい(というのは、今や「行った」という以外、残された写真のほかはほとんど記憶がないのだ)。ただ、ホームや線路配置は昔のままのようだ。
大雄山。電車庫は記憶の通りだが、まわりにビルが建ち並んでいるのを見てちょっとびっくりする。
駅舎の雰囲気は昔のままだが、反対側を見ると大きなビルが建ち並び、スーパーや飲食店が入っている。バスもかなり頻繁に出ているようだ。
さて、今回の最終目的地はこれでした。
コデ165,今では本当に貴重な、吊り掛け式17m車ですね。
昭和3年、鉄道省モハ30として製造され、相模鉄道を経て1976年に大雄山線に来たそうです。ウィキを見ると、クハと車体を振り替えている旨の記述が見られます。モハ30166(昭3川車)→クハ38108→クハ16156→相鉄クハ2510→伊豆箱根モハ165ということらしい。同じくウィキによると、電装品は昭2汽車の30145までさかのぼれるのではないかと思うが、頭が混乱してきたので省略。それにしてもウィキペディアはなんでこんなにマニアックなんだろうか。。
相鉄2000系はいずれも結構長命の血筋らしく、本家でもつい最近まで残っていたし、地方に行った車両たちも結構長生きしたようだ。
CS-5型主制御器。16番で旧国の模型を作ったことのある人なら、目をつぶってもその形を描くことができるかもしれません。私はNの、GMの動力ユニット(DT13)の床下機器ユニットがCS10だったので、ダイカスト製のユニットからCS-5の部分を削りだして換装したことがあります。
ところで、この制御器の表面にMeidenshaのロゴが見えますが、あの明電舎でしょうか?この筐体は昭和2年から90年近く使われてきているものなのでしょうか?それはさすがに。。
左が遮断機、右の丸いのがAK-3型コンプレッサーですね。つい最近まで西武2000系(クハ2414)その音を聞くことができましたが、これのマニアもいそうな感じですね。
昔の16番模型では形状把握が難しかったらしく、真鍮挽き物と折り曲げた帯板で構成された、素朴なパーツが市販されていました。エコーモデルがこれを正確に再現したパーツを売り出して、これはこういう形をしているものだったのか、と感心した記憶があります。
DT10型台車。この系列の台車には、西武で過去何度も乗っているはずです。車両史的には(新製時から)この台車を履いた車両はそう多くなくて、木造のデハ63100系からモハ30の二重屋根車くらいまでではないでしょうか。その割には再生利用されたものがとても多い。
手前の警笛の下に見えるのが、釣り合い空気ダメです。
戻ります。 線路配置は昔からこんな感じでしたが、昔は左側の建物がなくて、そちら側からホームにいる車両を撮影できました。どうなっていたのか、全然記憶がないのですが。
この車庫は33年前も同じ感じだった。この辺だけ地方私鉄らしさが残る。
これが登場したのが1984年だそうで、私が訪れたのはその1年前だった。
全部旧国17m車だった。あの頃、さすがに珍しかったかな。もっとも、東急池上線や目蒲線にも戦前型はいたし、西武も多摩湖線でなくても、551系などはまだ本線にいたんじゃないかな。
5000系は、旧国に比べると魅力は劣るが、とはいえ転換クロスはいいなあ。
西武も3000系を残して、転換クロスとかにしといてくれれば、レッドアローが通過する駅の利用者から恨まれずにすんだのに。。
午後4時を回ったので、塚原に移動。33年前、全く同じところで撮影している。
狩川という、酒匂川の支流なのでしょうかね。
鉄橋はトラフガーダー?と、下路式のスルーガーダーです。
昔話ですが、Nゲージの鉄橋として入手しやすかったのは、このタイプのスルーガーダーしかなくて(関水とトミー)、日本でよく見かける上路式ガーダーは、GMが発売するまでなかったのです。ので、トミーのガーダーを切って上路式に改造したりしました。
まあ、余談ですが。
5000系はわりといま風ですが、時代的には80年代後半のファッション。台車は西武FS372似。内装も更新前の2000N系そっくり。
抵抗制御は保守がしやすいのかな。
細かいバリエーションもあるので、趣味者的にも楽しめる要素はありますね。
パンタグラフも、まだシングルアームに変えられていない。
本数が多いので、撮影は楽。昔の写真を見ると、富士山をバックにロングで撮ったものがあったが、あれはどこで撮ったのかな。
何かのカメラのレビューで、さいきんこの提灯を撮影してるのを見たのだが、なんだか思い出せない。
行きが小田急だったので、帰りは湘南新宿という手もありありますが、やはりロマンスカーで。
やはり締めはこれですね。NSEとくらべると、たしかに80年代的にモダンな感じがするな。
それでは。
29日昭和の日、前日までの雨が止み、近場ならどこかに行けそうな天候になった。もう9時を過ぎているので、たいしたところにはいけない。とりあえず、新宿から小田原方面をめざすことにする。
というわけで新松田まで来ました。
ちょうど、「あさぎり」がやってくる時間が近いので、短絡線でどこか撮影できないか、探しましたがいい場所がなさそう。
今思えば、ホームまで上がってしまえば良かった気もしますが、先のこともあるので、手堅く313系でも撮ろうかと。
御殿場線は、実を言うと乗ったことがないかも知れない。
そのうち、乗りに行きましょう。
小田急小田原線の酒匂川橋梁。テレビのコマーシャルでも出てきたという記憶があります。
小田急は橋が割と多いですね。京成もけっこうある。東武は隅田川を渡る橋が有名ですが、西武はほとんど橋がない。
待っていればいろんな列車が来るので飽きませんが、先があるのでささっと。
天気は良かったのですが、富士山付近は雲に隠れて見えず。この写真では方角が違いますが。
(続く)
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