科学教材社「模型とラジオ」別冊「Nゲージ」
たぶん、同じ年代のNゲージャーの人たちはみんな知っている?くらい有名かも知れない。
今Nゲージ関連のムック本など、珍しくも何ともないが、当時はかなり目立つ存在だった。1974年当時、1,500円という値段は安くなくて、親にねだって買ってもらったと記憶している。今なら4,000円ぐらいの値付けになっても不思議ではないかも。
これは増補・改訂版で、オリジナルは背表紙などが赤だったようだ。オリジナルがいつ頃出たのか、判然としないが(だいたい、なぜオリジナルが赤だったのかを自分が知っているのか、覚えていないのだが)、1972~3年ぐらいだろうか。改訂版は74年ごろの発行らしい。
キハユニ26をキハ82系が追い越している?写真が表紙だが、オリジナルの発行当時の事情をしらないと、この写真の価値はわからない。まず、キハ20系(もちろん関水金属製)は、最初にキハ20が出て、キハユニは後で追加発売されたものらしい。本書ではキハユニを金属で自作する記事が出ているが、それは製品がなかったからだ。
同様に、キハ82系が関水から発売されたのは1975年の3月ごろだ。私が本書を模型店で見かけた’74年秋頃には、影も形もなかった。
この、キハ82が掲げられた表紙を模型店で見かけたときは、目が釘付けになった・。キハユニはもう普通に販売されていたから、気にならなかったけど。
ちなみにこの表紙のレイアウトは、記事でも紹介されているが、プラットホームから手前の測線と貨車や重機のあたりは、たぶん撮影用に臨時に追加されたようだ。
当時、鉄道模型の記事を定期的に掲載する雑誌は「鉄道模型趣味」と「模型とラジオ」ぐらいなもので(「とれいん」の創刊は75年)、ムック本を出す出版社もあまりなかった(と思う)。TMSでは当時Nゲージ(当時の表記は9mmゲージ)を、その小ささからレイアウトを作って走らせるゲージ、と捉えていて、車両製作や加工に関する記事は多くはなかった。まあ、日本のNゲージャーというのも、それだけ少なかったのだろう。
そんな中で、本書掲載の記事-その多くは車両の自作や加工に関する記事-はかなり新鮮に映った。なにしろ市販車両が極端に少ない時代だから、その意義は今日では計り知れないほど高かったのだ。いまだと、たとえZゲージでもみるみるうちに新製品が出てきてしまうけど、あの頃は本当に全然なかったし、製品の発売テンポも遅かったのだ。
前にも何度も書いたけど、それはある種の「焦がれ」感をそそるもので、むしろ幸せな時代だったのだと思う。
記事に書かれている車両達、151系、キハ82系、軽量客車などは今では普通に製品化されているものばかりなので、最近の人達、というか、たとえば1981年頃にNゲージに入門した人達(←いったいどこが最近??)でも、もう記事の価値はわからないだろう。その頃までには、ここに掲載された車両達は何らかの形で製品化が完了しているから。
上の写真のオハフ30なんか、今でも製品はないから(キングスホビーで作っていたかしら・・。それでも今は入手できないでしょう)、これなんかはまだ通用する記事かな。
こだま型クロ151.朴材(または檜か)とプレスボードらしい紙で、器用に流線型の先頭部を作っている。クーラーも床下機器類も木材を削っての自作。手仕事でできない部分は省略し、印象把握を的確にできないとバランスのとれた仕上がりにならない。
現代の模型は細部優先、パーツの取捨選択が出来栄えを左右するという時代だ。3Dプリンタの普及はそれに拍車をかけていくのかもしれない。
今でもGMの台車がそうだけど、当時の関水の台車はプラスチックの割ピン方式で、床板を木製にすると固定に一工夫必要だった(市販品と同じやりかただと、着脱するうちに割れる恐れがある。また、床が厚いので、彫り込んで薄くしないと固定できない)。自分でも自作するとき、床板には結構苦労した。
151系やキハ82はかなり高度な技術を要求される製作記事だ。キハユニ26は真鍮で車体を作っているが、これもむずかしい。そこでより初心者向けに書かれたのがこの165系。クモハ+モハ+サロ+クハの4両で、本誌に型紙が印刷してあった。窓は抜かず、ドアも2次元的に線で表現している。子供向けのブリキのおもちゃみたいで、小学生だった私にもちょっと抵抗があったが(むしろ子供のほうが割り切れないかな)、一応作ってみた。それでも動力車とか買えなくて、編成にならなかったな。ポスターカラーではなくて、油絵具で色を付けたりした。
この型紙は色なしだが、別にカラー印刷した、クモユニ74の型紙も綴じこまれていた。これは切妻だから一層簡単だ。こうして考えると、初心者からベテランまで楽しめる記事を、バランスよく配しているんだな、とわかる。
本書で唯一のレイアウト記事、「春の山村風レイアウト」。
関水初期のカタログにも作品が登場する、保里康太郎氏の執筆だ。市販品を適宜に配しながら手慣れたつくり方をしている。
細かな誤植もあるが、70年代初めにTMSで掲載された、初心者向けレイアウト記事(レイアウト・テクニックに収録)よりもずっとまとまりの良い記事だ。TMSはやはり長年山崎氏の模型観に慣れた人でないと、その真意が伝わらないところがあって、初心者向けとは言い難い。
それにしても、市販の建物とかを使いながら、これだけ見事に日本の農村風景を作り上げることができるとは、素晴らしいセンスだと思う。
この時代、トミーがバックマンの安いストラクチャーを、数百円で大量に販売していた。アメリカ風のもので、給炭台というか塔、給水塔などはどのレイアウトでもよく使われていた。
ここでも信号所などがそのまま使われているが、みごとにレイアウトに溶け込んでしまっている。踏切遮断機も黒白縞模様の市販のまま使われているのに、あまり違和感がない。ある意味、大したものだ。
この、2階建ての赤い信号所は、最初に買ってもらったストラクチャーで、思い出深い。保里氏がよく使う、盆景用わらぶき農家なるもの、当時デパートで探したのだが、見つけることができなかった。。
巻末のほうに市販Nゲージのカタログがある。これはトミー。74年の初めごろなので、まだED75も出ていない(なぜか宮沢の完成品写真が掲げられている)し、貨車は短尺の線路がついている時代-貨車のおまけに、ディスプレイ用に線路がついていた―だ。このあと、家畜車やトラ50000などの第2弾が発売され、短尺線路はつかなくなる。
前後するが、さっきの見開きの前のページがこっちだった。左側は関水のレイアウトプラン例で、当時のレイアウトプラン集から抜粋したもの。保里氏のレイアウト記事は、左下のN52プランを変形したものとされている。右下のN59は、複線エンドレスと留置線のついた、運転本位のプランで、実際には作らなかったが完成予想イラストを自分で書いて、いろいろな列車を走らせる姿を想像して楽しんでいた。
右側がトミーの最初のページ。テーブルつきの車両セット、機関車、貨車と線路をパッケージしたセットなど。今のトミックスからは全く想像がつかないが、なんとなく売り方のセンスみたいのは、関水と違って大手メーカーらしいところがあって(鉄道ファン的ではない)、そこはいまも同じリネージを感じる。
商品の流通という観点では、関水、トミーに次いで普及していたのは学研が取り扱っていたミニトリックスだった。ここでも数ページにわたり紹介されている。価格は概して高く、一番安い蒸気機関車(うちにもあるプロイセンT3)と、関水のC62あたりがほぼ同じ値段。大型蒸機は2万円ぐらいした。16番の安い国鉄大型機といい勝負だ。
当時は子供なりに、西ドイツ(当時)の家庭は、日本よりも金持ちが多いんだろうな、などと思っていた。
代表的な01型は、このころ2万円弱、私が大学生のころは23千円前後だった。そのうち懐に余裕ができたら買おうと思っていたが、今では市場が縮小したせいもあって3-4万はするんじゃないかな。こちらの懐具合も縮小して、いまだに手に入らない。
ミニトリックスの線路のことは、以前にも触れたことがあった。左側が植毛マットで加工したレイアウトシート。線路セットをいくつか買うと、この型紙通りのレイアウトができる。左下は踏切(フルワークする)や、架線集電のキット。架線集電はドイツではわりとポピュラーだったが、こういうのは国民性が現れるな。右が単品の線路。関水に比べると高いが、カーブポイント、ダブルスリップなどは、国産にはなかった。
とまあ、おおらかな時代の楽しい思い出ではあります。
このころ利用可能な電車用パーツは関水の103系のみ。これで151系、165系はもちろん、つりかけ式のクモユニ74や果ては新幹線まで作ってしまっている。でも確かに、走らせてしまえば台車なんかよく見えないのだから、これでいいのだ。
先の165系の記事で、次のような名文句が出てくる。
「・・Nゲージには、通勤型103系の電動車や台車が発売されていますので、それらを利用して車体を新製すれば、165系がすぐできます。台車や床下機器が多少違いますが、がまんします。」
そうかあ・・。二子山親方ではないが、がまんすればなんだってできるのである。。
飯田線といえば、旧型国電。私のお気に入りはたとえば、セミクロスのクモハ53+クハ68ですね。写真の電車も・・色や形が多少違いますが、がまんすれば旧国に見えてきますね。。。
長くなりましたが、そんな、思い出深いムック本の話でした。
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