キハ35系
メインブログの方で久留里線のことを書いたので、キハ30というか、35系の話を。
キハ35とその一統は、近くを走っていた川越線で使われていたので、なじみ深い車両である。
最初にステンレス無塗装時代のキハ35 904。この頃は正面に東急8500みたいな赤帯を締めていたが、まもなくいわゆる首都圏色に塗られてしまった。
大宮機関区に憩う35系。既に首都圏色の車両が混じっている。奥に見える方形庫にはこの頃DE10(本線用と入替用)がたくさんいたが、その写真は行方不明。
大宮駅川越線ホームはこの手前にあった。
南古谷。1984年の夏。この1年数ヶ月後、85年10月に電化され、埼京線との直通運転が始まった。ディーゼル最終日に乗ったが、既にホームのかさ上げや路線改良が進んでいて、見たことのないような路線に生まれ変わっていた。
おまけ。腕木式信号機。
時期が前後するが、1980年7月、名松線伊勢奥津駅。ペアを組んでいるのはキハ55。
運休して久しい(もう3年も前)、伊勢奥津であるが、河田耕一氏「シーナリィ・ガイド」(機芸出版社)で取り上げられていたのを読み、個人的にはなじみ深かった。
話は飛ぶが、昨日訪れた久留里線上総亀山駅も、同書で「草深い行き止まり駅」として取り上げられている。構内配線はその頃と全く変わっていないし、駅本屋も基本的に同じだった。(メインブログ参照)。初出はTMSの、たぶん1965年頃だと思うが、そこにもキハ35が既に写っている。もう50年近いわけで、手が入っているし全く同じ車両というわけではないが、同一系列の車両がこれだけ長く使われているのは、考えて見ると興味深い。
さらに脱線するが、木更津駅構内にある機関庫も、「シーナリィ・ガイド」に出ている。外見は余り変わっていないようだ。昔さくら工房というメーカーがあって、ペーパーと角材、wメタルなどを組み合わせたストラクチャー・キットを発売していたが、機関庫と水タンクは木更津をモデルにしたものだった。覚えている人いるかな?水色のケースで、結構流通していた。
さらに時代はくだり、八高線高麗川。上の名松線時代には既に正面の踏切事故対策、前照灯のシールドビーム化は行われているが、この写真で気がつくのは、貫通扉上部にあったベンチレーターが跡形もないことだ。この車両は内装が更新されており、103系のように薄クリーム色の壁(デコラ交換ではなく、表面に何か張ったように思えた)、焦げ茶のシートに交換されていた。そのときにドアごと交換されたものと思われる。正面ドアのHゴムだけ黒色で、他が灰色であるのもそのためだろう。ちなみに客ドアは金属縁に替えられている。
ドアにあったベンチレーターというのは、103系を知っている人はわかるかもしれないが、上にヒンジがあって室内側からねじのようなものを開けると、下が開くような作りになっている。すきま風や雨が入るのか、川越線の35も含めガムテープで塞いでしまっているのをよく見かけた。運伝代窓右側にあるものも、ベンチレータらしいのだが、ここも同様の機能のものだったと思う。この車はさらにテールライトの近くにもあるが、これはなんだかわからない。
昨年引退した関東鉄道の35。映画撮影用の水色塗装。あれ、秩父鉄道101が塗り変わる前でしたね。
通常塗装との並び。
最後はまともな写真を撮っていないのであれですが、カワイのバラキットを組み立てたキハ30。カワイというとねじ1本で組み立てられそうな気がするが、これはドアも雨樋も自分で取り付ける。初めて作った16番の真鍮キットで、結構ボロボロなんだけど、まだ残っている。
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