2025年11月 4日 (火)

収納

Pb031670

鉄コレやGMキット組み立て品を収納するとき、ケースをどうするかという問題があります。

鉄コレについては一度、KATOのブック型ケースを買って収納したことがありました。しかしご存じのようにケースはとても高いのです。

その後は面倒なので、鉄コレもGMキットの塗りキットは元箱にそのまま入れていました。鉄コレは箱が弱いので、重ねると下の方の箱がつぶれてきます。塗りキット(要するにプラモの箱みたいな)は車両を固定するものがないので、安定しません。

というわけで、100均(Can Do)に行って、少しずつケースを買いだめして、時折これに移し替えています。

小さめのケースで、仕切りが短辺方向に4つあるものが売られていますが、多少緩いものの5両が収蔵できます。

Pb031672

京王6000の場合。ちょうど両数が5両だったので収まりがいいです。

これでも車両が動いてしまいますが、不織布かなにかを敷くとよいのでしょうね。

これのいいところは、重ねるときにストッパーがついているので、崩れにくいことです。

Pb031676

貨車はこんな仕切りのやつが使えます。

そういえば、マイクロのタム5000キットを買いそびれました。もうどこにも売ってないんですね。

簡単なようで、テムはレタリングが大変で、それで買う気が失せたんですよね。

Pb031674

元箱をどうするかはまだ結論が出ていません。事業者限定のタイプは元箱も多少しっかりしていて(蓋がついてたり)、捨てがたい気もします。

切り取ってケースに貼ろうか、という案も考えてます。

Pb031675

元箱がものすごく古い場合も、捨てにくいですね。

ただの箱にすぎませんが、42年前の箱です。201系だけ、初心者向けに安くて、1600円だったんですよね。

 

5両入りというのは、状況によっては使いにくい場合もあります。6両の時はどうするかとか。

5両よりは6両編成というパターンのほうが多い気がします。

Pb031673

これはオクで落札したものですが、出品者の方がこういう形で送ってくれました。

元箱はなく、中身の車両を収める凹みの部分だけ利用して、やはり100均のA4ファイルケースに収めたもの。

市販のブック型ケースと並べて収納できますし、車両も傷まない。

ので、このタイプも併用しようと思います。

Pb031679

そういえば、先日触れた7820のけん引力不足問題は、GM純正の補重ウェイトを乗せることで解決しました。

8両編成1モーターで、うさぎ鉄道の外周線(おそらく勾配4%ぐらいと思われます)。を走行できます。

同時に、やはりけん引力不足の鉄コレ系の車両も補充しました。

これは東武9001F(登場時)です。10両フル編成で1モーターでは登れず、運用に難がありました。

GM純正のウェイトは1つ8.5gでした。

釣り具用の板錘(300gぐらい)を買ってきて、前後におよそ20gのウェイトを追加しました。

窓からウェイトが見えますが、気になるようなら後で黒系に塗っておこうと思います。

Pb031678

もっとも、10両だとうちには長すぎるので、あまりこういう形では運用しないかもしれません。

Pb031681

もう一編成、東武57も、(昔の自分の記事を見ると)坂を登れないようでした。

これは台車の走行抵抗の関係もあるともいますが、とりあえず板錘で補重しました。

 

だんだん取り留めない話になりましたが、これまた先日ふれた、78(GM新)の2Rを、クロポや鉄コレの編成につなげるための、TNカプラー換装工事、追加のTNカプラーが今日届きました。

クロポの78の、動力車はTN換装が難しそうなので、M車を中間に封じ込めて前後に、鉄コレの7800、7820もそれぞれ両端をTN化しようと考えています。

 

2025年10月26日 (日)

東武7820(GM新製品)運用開始

 Pa191620

製品が届いてから1月以上かかった気がしますが、ようやくGM7820系の艤装が終わり、運用を開始しました。

 

TMSやとれいんでは模型の新製品を紹介するページを設けています。TMSは文字通り「製品の紹介」というコーナーですが、昔はちゃんと商品レビューをやっていました。毎月発売する製品が増えたせいもあると思いますが、今は小さな写真がずらずらと並び、文字通り簡単な「紹介」をしているだけで、論評は一切ありません。「とれいん」もむかしよりは簡潔になりましたが、署名入り記事でまだましかな。

もう30年以上、もっと前からそんな感じですが、あれほど意味のない記事はないと思っています。

今はむしろ個人のウェブサイト、豊沢氏の「Nゲージ蒸気機関車」とかのほうがよほど情報価値があると思っています。新製品予定も表にして掲げておられますし。蒸気機関車だけですが。

とか、いいながら、このブログで製品論評をするだけの力量も財力もございません・・。大変申し訳ございません。。

ただ、この78については製品レポート的な書き方をちょっとだけしてみたく・。写真がね。けっこう大変なんです。

これ一つとっても、豊沢氏のサイトは本当にすごいと思います。


うちには20年ほど前のクロポキット組み立て品と、鉄コレの78が既にあります。

それらと比べると本製品は、見た目の精密さは多少上かもしれないです。

また、動力ユニットは最近のコアレスモーターのもので、これは3製品の中では一番扱いやすいです。

 

また、ヘッドライト、テールライトが点灯します。

今回4R+2R+2Rの8両セットを買ったのですが、このうちライトが点くのは4コテの前後と、2コテのうちモハ(8両全体をつないだ時、先頭に立つ車両)のみです。2セットある2コテの、中間に入る車両はライトが装備されていません。

つまり・、8両セットのうち、4両編成で運用する、4+2の6両にする、全部つないで8両にする、という3種類の運用が想定されているようです。

2コテは動力が入っていないので、単体では運転できませんからライトがなくても差し支えなし、ということなのでしょう。

また、東武は(この時代)編成のつなぎ方がある程度決まっていて、2両の「付属」編成は必ず寄居方につくようになっていました。

ので、これで差し支えないかと。

 

R8315143

ユーザー取り付けのパーツがいくつかあります。量数が多いので作業が結構大変。

前回書きましたように、プラモールドが純白だったりするので、塗装しないと格好がつかないパーツもあります。

屋根の歩み板はパンタ側(長いもの)、それ以外(短いもの)共に同じランナーにモールドされています。短い方は所要ギリギリの数しか入っていないので、ピンセットでつかんで飛ばしたらアウトです。実は1か所やってしまい、長い方を加工して取り付けました。

貫通路渡り板は倒した状態のみですが、中間に入る車両は接触を避けるため前後が短いパーツをつけます。畳んだ状態のパーツがあればよいのですが(中間なので畳んでいるのはおかしいけど)。

Pa191615

幌は専用品でちょっと凝った形をしています。本当は枠をクリームに塗るべきですね。

実物の貫通扉両脇の手すりは白色です。折を見て塗るのも良いかもしれません。

パンタはタスキの形が少し実物と違うようです。

Pa191611

ブレーキ管が左右から計4つ出ています。なぜそうしたのかは不明。

一応実物がついている側のコックを赤白で塗っています。

 

R8315142

中間に入る車両は出荷時にはこの形の胴受けがついています。デフォルトでは長短どちらかのドローバーを取り付けます。

使わなかったので着脱の使い勝手はわかりませんが、外した時に格好悪いし、意味がない気がしたのでTNに換装しました。

ドローバーは先頭車同士を中間で連結する部分に使われています(車体マウント)。

それ以外の中間連結器は台車マウントのアーノルト型です。やるなら全部ドローバーにするか、少なくともTN対応にしてほしいところです。

Pa261626

中間連結部。アーノルトのため、連結面間隔は必然的にやや広くなります。

Pa261627

TNに換装した連結面。R280も通過できます。すべてこれに統一したいところです。

Pa261625

左側が動力車です。形態的に、もと先頭車同士の連結面なので、確かにやや連結面が広く見えるのですが、動力車のカプラーが必要以上に長く、遠目で見ても連結面間が長く見えます。同じ編成内で場所によって連結面間が違うのは、あまり格好良いものではありません。

キット組なら目をつぶるか、自分で何とかするかもしれませんが、完成品でこれはなんだか納得がいきません。

先頭車のドローバーも意味不明で、胴受周辺にディティールはついていないのだから、アーノルトで統一しても良いはずです。

コアレスの走りは良好ですが、うさぎ鉄道の外周線の勾配を8両で走らせるとややきつい。

ウェイト追加を検討します。なお、6両では十分ですし、8両1モーターは他車でもややきつい勾配ではあります。

Pa211622

乗務員室立ち入り禁止のステッカーまで入っています(ルーペで拡大しても読めない)。

が、期待していた検査表記(形式モハ7820 自重41.0t 53-11 川工 みたいな)が入っていないので不思議に思ったら。

乗務員室後方の検査票受けのところがツルツル。。

屋根に上るためのステップもついていない。

Scan15003_20251026214901

この部分は実車を見た時、非常に目立つポイントです。

昔1/80で自作したとき、ステップは市販パーツをつけたものの、検査表記受けはパーツがなく、自作にも自信がなくて表現を断念せざるを得ませんでした。

Pa211623

クロポの旧製品にはちゃんとついてます。

ほかのディティールにはこだわっているのに、なぜ省略したのか、不明です。

Pa191612

動力の補重はおっつけやりますが、走行自体は悪くないので運転は楽です。

ただ、うちでは終日8両はやや長く、ライトのない中間2R(7835+835)をクロポの2+2とつなげてブツ六にできないか検討中です。

Pa261630

細かいことを言えばキリがありませんが、とりあえず往年の東武車はひととおりそろったかな。

70年代~80年代前半の車両は。

先日ちらっと書いた32型(真鍮ワイヤブラシ、クエン酸と超音波洗浄機で洗いました)と、35年ぐらい仕掛品の8000系非冷房オレンジ(予定)のキットがどこかに置いてあるはずです。あれを組まないと。

その前に、1年前からほったらかしている近鉄のほうが先か。

 

2025年10月13日 (月)

まだ終わらん

Pa131605

手を動かせるのが週末数時間程度なので、いまだに78の設定が終わりません。

さすがに今日は番号のインレタを入れて、一部で優先席のシールも張りました。

車番は同梱のインレタから以下の様にしました。

823+7824+824+7823 - 835+7835 - 849+7849

東上線を走った7820の4Rというと7833-34が思い浮かぶのですが、この編成は1970年代末までに本線に転属してた記憶があります。

その後は4Rというと73と7800系ばかりだった(あと5000系)のですが、7823-24Fはいつの間にか東上線に来ていたような気がします。

この4Rは運転台側の窓が大きいタイプ(7890のような)として作り分けられています。

2Rの番号はインレタの中から適当に選んだものです。2Rのほうはいずれも運転台窓がやや小さいタイプ(窓下に通風器のある)です。

製品出荷時の状態ではブレーキホースが左右に2個ずつ合計4つついています。説明書では2つは切り取る(上級者向け)と書かれています。

当時の写真を見るとクハは向かって右側に二つ並んでいて、モハは左右に分かれて(元ダメ管が向かって左)ブレーキ管のほうは連結器胴受けにステーを介して固定されているようです。この辺は詳しくないので肘コックだけそれらしく塗って、切らずにおいています。

運転台直上にある小さなベンチレータは任意取り付けとなっていましたが、小さいし面倒なのでつけていません。

中間(先頭同士)の連結器はドローバーではなくTNにしました。渡り板や電連カバーは手元にあったクリーム1号で塗りました。幌枠も塗る方がよいのですが、まだ手を付けていません。

手元にはクロポの旧製品(2+2)と鉄コレの7800(4R)、7820(オレンジ2R)があります。本製品の8両はうさぎ鉄道には輸送力過剰なので、クロポの先頭をTNにしてブツ6組ませるとか、考えてみたいと思います。外観は今回のほうが細かいですが、どのみち1m離れたらみんな同じだし(ただ、性能がちがう動力が3種類なのがどうもね)。

単なる雑談でした。

 

2025年10月 6日 (月)

真鍮車体の錆取り失敗

Img_0883

GMの7820艤装を進めていますが、なかなか進みません。まあ、絶対的な時間も取れないのですが、ユーザー組み立ての部分がやたらと多くて。。

先頭車(モハのみ)はジャンパ栓を取り付けますが、このパーツが白(純白)のプラモールドのため、塗装しないといけません。貫通路渡り板も同様。渡り板は倒した状態のものしかなく、別パーツにする必要があるのだろうか?

色々疑問もあるのですが、その辺は竣工したときに。

 

それで掲題の件ですが、つい余計なことに手出しをして、痛い目に合っています。

写真は東武3210型のキットです。いまから29年前に購入したもので、買ってからぼちぼち組み立てを進めたものの、途中から長期放棄状態になっていました。

たまたま東武車の入線が続いたので、こいつもすこし手を加えてみようかと。

時間が経過して、全体に生地ボディが黒っぽくなっていたので、まず酸洗いをしようと思いました。

昔、TMSで「サンポール」を使って洗う、と読んだ気がしましたので、スーパーで買ってきてやってみました。

原液をかけると汚れがとれて金色になります。それでは水で希釈して、しばらく置いておけばきれいになるかも。

と思ってしばらく放置しておいたら、逆に真っ黒(または白っぽく)になってしまった。

表面が酸化して、錆の層を作ってしまった模様。

慌てて取り出し、別の方法(クエン酸はなかったのでとりあえずレモン汁かけたり、タバスコかけてみたり)しましたが、錆の層が分厚いのでだめ。

こういうの、どうしたらいいんでしょうかね。

とりあえず耐水ペーパーで水研ぎしてみましたが、錆の層は塗装なみの厚みがあるみたいです。

水研ぎしても表面は金色ではなく、妙にエイジングされた金属塊と化してしまいました。


32型は裾部分の台枠が露出しているのが特徴で、この表現のためロストパーツが車体裾につきます。もともと車体幅が狭いのですが、ロストパーツのために更に車幅が狭くなり、現行の動力ユニットが入れられません。

一時期、昔のGMのユニットを分解し、床下機器を全部撤去して(というかプラパーツを全部外して)収めてみたことがありました。こうすると、床下機器を別途構築しないといけなくなります。このことで考え込んで、製作がずっと中断してしまった次第。

今回再開の際思ったことは、この2両は動力なしとして、別途54型辺りと4両編成を組み、54型に動力を入れてみようかと。

運輸省規格型とか、東武には戦後作られた電動車がいくつかあり、それらは標準的な車体構成、車幅なのでユニットに困ることはなさそう。

最初はGMのクモハ11を使うとか、もしクハ500(2扉車)を作るならモハ43系を切り次いで作るとか、できるかなと思ったのですが、今11のキットは高級化してしまい、高そう。クハは外観は省電ぽいのですが、窓配置がうまくいかない(2扉の省電はドアの位置が両端寄り)ようです。切り継ぐのも1、2か所では済まなそうだし、いっそ自作した方がよいかもしれない。となると、かんたんな手間ではなくなるな。

というわけで、またお蔵入りになる可能性が。

思えば昔の鉄コレは、かなり古い車両が取り上げられることがあり、東武のデッカーも期待できるかな、とおもったこともあった(そんなに真剣には思わなかった)けど、最近の傾向を見るとそれはなさそう。まあ、売れないでしょうね。

2025年9月28日 (日)

東武2000系、3000系鉄コレ

P9281584

先週書きましたように、購入したままN化していなかった鉄コレに手を付けました。

P9281586

3000系のほうは事業者限定で10年前に発売されたようです。

4両セットで、台車はクハがKS系の、弓状イコライザを持つタイプ。電動車は標準的なKS31L。サハはTR11です。

P9281585

動力ユニットはTM-06Rを使いますが、このユニットは軸距が14mmで、16mmのKS31とは合いません。

セットには動力化用台車枠が付属しておらず、当時同時発売された専用ユニットに付属してたそうです。

R8315137

KS31の側枠はたまたま手持ちしていたのですが、ここはあっさりD16系の動力(これはHB14mm)を装着。

モールドが黒色だったので、トレーラーを含め全車の台車、床下機器をつや消しグレーで筆塗りしました。

車号は選択式です。実物は小田急の帯のような青色でしたが、本模型では青色2号みたいな濃い色合いです。

ちなみにこの動力ユニットは昨年から今年にかけて暫定運用していた近鉄18200の転用です(その後本来想定していた12200系の増結用となり、電装解除)。台車はエアサスシュリーレンのままのほうが、乗客にはよかったかもしれません。。

P9281587

2000系はたしか通常の販売形態で、4両基本セットと増結4両の2種が発売されたと記憶しています。

手元にあるのは基本4両のみです。8両はうちには少し長い。前9001Fをフル編成(このときは5+5だった)で買ったら、10両にユニット1セットでは走行抵抗に負けて動きが厳しかったことがありました。2000は本当は、6両ぐらいだと模型的にはちょうどいいのですが。

P9281588

こちらはセットに専用台車枠が付属し、動力化はスムーズ。

車号も印刷済み、日比谷線乗り入れマークや前サボもあらかじめ貼り付け済み。

展示用の茶色線路までついてました。あれはいつごろまでついていたのでしょうか。

P9281590

東武車に席巻されたうさぎ鉄道。

まだこのあと、GM7820が8両入ります。

もっとも、田舎風景はともかく、給炭台や水タンクのあるうさぎ鉄道に私鉄車を走らせる機会は少ないのですけどね(右下のオレンジなら蒸機とも多少は関係あるかもですが)。

2025年9月20日 (土)

越生線

Imgp2377

PCが復活して、写真を掲げることができるようになりました。

別に目新しいものではありませんが、軽く撮りに行った越生線の写真を掲げます。

Imgp2442

撮影は先週の15日。ここのところ季節が一気に変わったので、だいぶ前のことのような気がしますが。

Imgp2465

この日は色変わりの車両はいなくて、3本とも標準色の編成でした。

Imgp2428

以前は橋の西側から撮ることが多かったのですが、東側のほうが橋の近くまで寄れます。ただし午後は逆光です。

もっと前は川の対岸の、橋のたもとで撮れたのですが。

さて、少し涼しくなったので、工房*を再開しました(*実はただのカッティングマット)。

先日買った78の艤装をしなければ。

あと、昔買った東武2000と3000のN化をすべく、部品調達しました(動力ユニットのひとつは昨年近鉄18200に取り付けて運用していたもの)。

全部の作業が終わると、セイジクリームの電車が16両増えることになります。胸やけがしそうですね。。

2025年9月 8日 (月)

東武7820

メインブログでお伝えしましたが、先月末にPCが壊れてしまい、現在修理依頼中です。ブログはなんとか書けるのですが、写真はPCで管理していて、掲げるのはちょっと無理っぽいです。。

さて、掲題の東武7820、グリーンマックス製(東上線仕様8両セット)が届きました。

週末に箱開けてみたら、右上の方にたくさんのユーザ取付パーツが束ねてあって、思わずそっと箱を閉じました。。

気を取り直してもう一度箱を開けて、取説と付録の冊子などを眺めてみます。

 

78は15年以上前にクロポのキットを組んだ事があります。その後鉄コレの7800、7820旧塗装などが入線しています。

今回の製品はGM50周年記念だそうで、かつ実物の退役40年の記念とのことで冊子(といっても8ページくらいのパンフレットのようなもの)が付属していました。

他に車号のインレタ、サボなどが付属しているので、これは手持ちの車両にも使えるかもしれません。。

ざっと眺めて珍しく思ったのは、先頭車同士の連結にドローバーを使うことです。先頭に出た時の正面下回りの印象を重視しての事かと思いますが、実用上はやや不便かもしれません。TNに換装も可能なので、そうした方が良いのかも。この車はそれほど色々、スカートとか付いている方ではないのに、妙なこだわりですね。。そのくせ中間はアーノルトだし。一応、4、6、8両が組成できるように考えられているようです。

記念パンフを見て、改めて気づいたこと。

78は前パンですが、パンタからの母線は屋根を伝って連結面側に降りるように配線されています。

模型にするとき目立つので、取付板等を丁寧に作る必要があり、やや手が掛かります。前1/80で自作したとき、真鍮線を焼きなまして、取付板を紙で作ったりと結構大変でした。Nでも自作や改造の時は大変そうです。

パンフでは、これは製造時からのものではなく、60年代に踏切事故が多発した頃、先頭車の損傷で高圧線が破損するのは拙いとのことで、移設改造したのだとの説明でした。

言われてみて、手持ちの資料を漁ってみたのですが、それに言及した記事はありませんでした。ピクトリアルのアーカイブスセレクションは、読者短信が載っているので、あるかな、と思ったのですが。。

写真を見ると、確かに製造直後の7800は、屋根から太い線が運転台側に降りてきています。私鉄電車ガイドブック(初版)には7820の同様の姿(野田線)が載っていました。この本では連結目側に伸びている78も載っていて、移設改造はこの頃(昭和40年ごろ)に進められていたように思えます。後ろパンの車や、中間車改造された車両は当然、パンタからすぐに下に下ろされています。

この件、新たな気づきでした。

2025年8月24日 (日)

ほしあい眼科さんの保存車

Imgp2365

*すべての写真は敷地外からの撮影です。

金曜日は休暇で日中用務がありましたが、午後は少し時間が空いたので、前から気になっていたこちらを訪れてみました。

といって、うちから県東部に行くのは地図上ではそうでもなくても、意外と時間がかかるものです。整備途中の見慣れない道路を走るのは意外と手間でした。ちょうど夕方だったので、だいぶ時間もかかってしまった。

Imgp2346

ナビに従って、浦和美園駅のロータリーを抜けて細い道からイオンの脇を抜け、中央分離帯のある広い道を直進すると、反対車線にそれらしいものが見えてきます。

すぐ近くにコイン駐車場らしきものもなかったので、ドラッグストアをみつけてそこに駐車し、もちろんお店に入って龍角散をちゃんと買って、ちょっとだけ歩いて見に行きました。

道を走っていて、これを見かけたらすごいインパクトですよね。

Imgp2347

1両丸ごとではなく、このようにカットされています。特にEF66の切られっぷりはすごいです。台車ですら1/3ぐらいしか残っていません。

Imgp2348

66の方は機械室との仕切りらしきところでカットされています。仕切り部分は室内色で塗られています。

Imgp2366

81の方は台車1つ分の長さで切っています。なんとなくBトレイン風味が出てきますね。

Imgp2361

気動車は1両まるごとの保存です。患者さんも待合などで利用できるようです。

Imgp2354

オリジナルは羽幌炭鉱鉄道発注のキハ22だったようですが、直近は茨城交通(ひたちなか海浜鉄道)に転じて、そこで廃車となり保管されていたようです。

Imgp2359_20250824211501

流山の2両は、建物から飛び出している所を見ると、室内から運転台にはいれるのでしょうか。

Imgp2358

Imgp2357

どちらも運転室仕切りは遺っていることがわかります。

Scan15950

2008年の2月。顔に光が回っていませんし、珍しくポジで撮っていて、露出もいまいちです。

Scan15957

こちらは既に廃車のようで、ヘッドライトも外されています。反対側の先頭車がいませんが、これが保存されたのですかね。

または別の編成で、色だけ変えたのかな?

というわけで。

ひじょうに感心したのは、車両の塗装管理がとてもしっかりしていることです。

鋼製車体なので、塗装の退色や錆は数年で発生してしまいます。機関車の端面の処理と言い、かなり丁寧に管理されている様子がうかがえます。

先日私も眼科のおせわになりましたが、生憎と遠路ここまで来て診療をうけることはちょっと無理です。しかし、ご近所では相当な評判でしょうし、行きたいという子供の患者さんも多いでしょうね。

 

それにしても、廃車がこれだけ集まっているのに、診療する科目は眼医者さんなのですね。。

 

2025年8月17日 (日)

鹿島鉄道の保存車を見に行く

Imgp2320

寝る前によく見ているタブレットのブラウザに、ほっとパーク鉾田のページが開いたままになっていた。

しばらく前に検索して、保存車がここにあることを見ていたのだと思う。

メインブログには書いてるけど、この夏は体調が悪いのだが、今日は多少良さそうなので(個人としてはちょっと冒険だが)、足を延ばしてみることにした。

事前に検索すると、保存会の方々が整備をして、時折「公開」をしているらしい。

この「公開」は車内の公開等を示しているものと思われるが、ウェブでは内容が確認できなかった。ほっとパークは入浴やプールなどの施設だが、その一角にあるという事は何らかの入場料が必要なのか、それもわからなかった。

わからないが、とにかく行ってみた。

ナビに従って細い道を曲がりながら進むと、大きな駐車場の入り口に着いた。

その先に保存車が見える。特にアドミッションのようなものはないみたいだ。

Imgp2304_20250817123001

保存されているのはKR505とキハ601である。

Imgp2312

601は1936年製のキハ07を譲受して改装を加えたもの。最終期には冷房化もされていた。

505のほうは1992年製。

Imgp2316

有志の方々の手で、かなり丁寧に整備されているようだ。

ただ、野外保存で限られた空間のため、整備は簡単ではなさそうに思えた。

Imgp2309

場所は鉾田駅の西方、旧坂戸駅に近い辺りになると思う。かなり広々とした場所で、土地勘のないよそ者にはスマホの小さな地図ではわかりにくい。

せっかく来たので、ほっとパークのレストランで食事をした。冒頭の写真はレストランの窓から撮ったもの。

Imgp2335

その、鉾田駅跡にも行って見た。

ナビでは場所を特定できず、スマホの地図を見ながら適当に走った。

バスが多数駐車しているのでよくみたら、崩れたホームが見えたのでここだとわかった。

Imgp2324_20250817132401

駅構内は廃止当初そのまま保存されていたそうだが、東日本大震災のとき、液状化現象でホームが崩壊してしまった由。

今はこんな状態になっている。

Imgp2327

当時の様子は不明だが、敷地の一部は転用されてここだけが残っているようだ。

Imgp2329

線路のあったであろう方角は草で埋もれている。

Imgp2333

駅舎は特徴的な建築だったため、保存の検討もされたが老朽化がひどく、解体された由。

この辺りだったらしい。

Imgp2334

名前としてはまだ残っている。

Imgp2337

ついでなので、鹿島臨海鉄道の新鉾田駅にも行ってみた。

こちらは高架線で駅前のターミナルも整備されている。鉾田駅からは歩いて20分ほどあり、連絡バスもほとんどない。

お互い関係ない存在なのかもしれない。

廃止から18年になるが、駅跡などはバスターミナルとして再整備されるか、宅地として再利用されるなどして、遺構はあまり残っていないようだ。以前訪れた榎本駅でも見てみるか、と思ったが、何も残ってないらしい。体調も万全ではないのでこれを潮に帰宅することにした。


P8100235

鹿島鉄道は現役当時、全線乗車はしていない。

写真を撮りに1,2度訪れただけだ。

2001年8月、銚子電鉄を撮影した帰りに、はるばる銚子から北上してここまで来た(車で)。

どういう考えで行ったのか、全然覚えていない。

ただしここ(榎本駅)は、TMS1974年12月号の冒頭グラフで、駅の様子が図入りで詳細に紹介されていた。

それが記憶に残っていたのだと思う。

既にグラフで紹介された木造駅舎はなく、ログハウス風の小さな駅舎に変わっていた。

石油タンクや抜き取り施設もまだあった。後から聞いた話だが、この2001年8月に当駅での貨物輸送(パイプラインへの石油積み込み)が廃止されたらしい。この日(8月10日)が廃止前であったかどうかはわからない。

現役の頃の601。既に冷房が使われていて、車内から出てきたおばさんが外の暑さにたじろいでいる。

Scan12382

2003年1月。石岡駅の機関区は駅東方に広がっていた。南側に陸橋があり、ホームからも車両の様子がよく見えた。

右奥の500型が保存されている505。手前の600は602の方。

Scan13862

601の方は運用中。四箇村-常陸小川間。

常陸小川までは区間列車もあり、運転本数は(ローカル線にしては)結構多かった。

常陸小川には、当時すでに廃車になっていたがカバさん(DD901)もいた。

線路脇にも小径があるが、柵や電柱もないし、冬場は下草も整備されて足回りが隠れないし、撮影するにはすばらしい条件の所だった。

沿線の田園風景もとても美しかった。

今google mapで見たら、線路わきの小径はもちろん、廃線跡の築堤や、踏切跡も多少残っているようだ。

やはり体力の都合で今回は見合わせたが、いつか訪れてみたい。

 

2025年8月11日 (月)

線路の話

前回、50年ぐらい前のNゲージの固定式線路の話を書いたら、色々思い出してきた。

ので、もう少し補足を書けないかとネットで検索していたら、自分のブログが出てきた。10年ぐらい前にも同じようなことを書いてたみたいです。。

ので、それとはちがう雑談のようなことを書きます。

最初に鉄道模型を始めた頃、主力はいわゆるHOゲージでした。私の場合、ちょうど興味を持ち始めた頃に発売された関水のブルートレイン・セットを買ったのですが、HOではカツミがいくつもの入門セットを発売していて、そちらを買う可能性も大いにあったのです。

カツミのセットに入っていたのは、同社(カツミ=エンドウ)の金属道床線路でした。

P8102964

鉄板をプレスして枕木を浮き出し、そこに真鍮製のレールを留めたものです。

仮設線路としては使いやすいものだったので、恐らく当時、初心者からベテランまでかなりの人が使っていたものと思われます。

P8102966

表面は何か模様の入ったビニールで、道床部分と左右のレールとは絶縁されています。

枕木は色分けされていませんが、今見るとPC枕木風でむしろ昔より違和感がないかもしれません。

P8102965

レールは真鍮です。うちにあるのは40年ほど前に中古で買ったものですが、この直線路は引き抜きレール、16本組という曲線路は薄板をプレスしてレールの形にしたガラレールでした。

レールジョイナーは右側についています。

仮設線路としてはひじょうに便利でしたが、これを固定式レイアウトに使った人はいなかったと思います。

P8102967

レイアウト全書(機芸出版社)P30「組み立て式レイアウトのすべて」山崎喜陽より。

記事は60年代半ばに書かれたものと思われますが、当時の16.5mmの線路の状況がこれで読み取れます。Aがいわゆる木製道床(ムクの木材から枕木部分を削りだしたもの)、Bは木製道床にボール紙の線路を貼り付け、Cはベニヤ道床で、篠原の固定式線路を組み合わせるもの。

Dが上述カツミの金属道床、Eはコルク道床にフレキ線路を乗せる形のもの、という説明です。

山崎氏はここで、Aが現在最も普及している、と言っています。

木製道床は博物館などで時折見かけることがあります。灰色に塗られていることが多いようですが、時々ニス塗りになっているのを見ると、なにか高級感のようなものを感じます。枕木全体がやや大きめで、篠原の線路に比べると狭軌の感じが出ている気がします。

固定式レイアウトにもよく使われました(上記レイアウト全書掲載の多くのレイアウトにも採用されています)。

当時でも相当の手数がかかった製品だったのでしょうね。いつだか忘れましたが(平成になってから?)たしかカワイがTMSに一部の線路を再生産した旨の広告を出していた記憶があります。

上の表でCと言っているのは、篠原の固定式線路と対応する木製道床と思われます。これは近所の模型店で見かけたことがあり、線路と道床両方買って自分で固定すればいいんだな、と思っていました。昔のTMSの広告には固定式線路の事は描いてありますが、道床の値段は載っていません。それほど普及はしなかったのかもしれません。

記事で「ジョイナーは反対側」と言っているのは、篠原の線路のジョイナーが左側という意味なのでしょう。木製道床は右側という事になりますが、先の金属道床も右側、さいきんのエンドウの線路も右側です。

詳細は不明ですが、日本由来の線路は右ジョイナー、海外向(または海外からきたもの)は左ジョイナーという区分けができるのでしょうか。

Nではトミックスが右、KATOは(HOも)左ですね。


最初に戻って、私が模型を始めた1970年代半ばごろは、HO界隈では金属道床の線路と、篠原の線路ー組線路よりむしろフレキシブル線路を中心とした製品群ーが主体でした。フレキは使いようによっては便利ですし安いので(当時400円台)、当時でも年間数万本は売れたそうです。但し、ご存じのように買ってそのままという訳には行きませんから、最低でも道床を作って一定の組線路にする必要があります。

これは想像ですが、当時の車両模型偏重の16番で、そこまで熱心に(組み立て式であれ)レイアウトに取り組んだ人はあまりいなかったのではないでしょうか。

与太話が続きましたが、一定の結論としては;

  • 1960年代後半には木製道床線路が市場に出回らなくなり、その隙間を金属道床とフレキ線路+ポイント群が埋めていった
  • 金属道床はレイアウトには使えない。フレキは簡単な運転ボードを作るにしても、一定の工作が必要になる。
  • 当時の16番は車両模型が中心。車両のみで良しとする層は金属道床を主に使った。
  • フレキは安価故普及したし、TMSではフレキを使った本格的なレイアウトが紹介されていた。しかし、それを使いこなせる人は少なかった。
  • 結果、16番ユーザーは運転をあまりしない層と、一部の工作力(と、スペースなどの諸条件)のある層に分化していった。同時にNゲージが普及し、中間ユーザー的な人はNなら簡単にレイアウトが作れると感じてそちらに移行した。

というナラティブを考えてみました。
もともと日本は、特にHOは英米の影響が強く、メルクリンをはじめとする欧州的な模型とは違う方向(市場というよりは業界やマスコミが)だったのですが、その中ではカツミ-エンドウの普及型模型システムは頑張ってきた方なのかもしれません。

それでも、カツミがもう一歩踏み出してメルクリン的な線路システムを、70年前後に展開してくれたら、その後の状況は変わっていったような気がします。

とか書きながら、やはり70年代半ばの日本におけるNの台頭(と16番の退潮)は市場とのマッチングその他の条件を考えると、必然だったのでしょうね。

«関水金属 レイアウトプラン集

無料ブログはココログ

最近のトラックバック