2025年1月 5日 (日)

レイアウトは実用品

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正月休み後半は、開業15周年を迎えたレイアウト(うさぎ鉄道)のリフレッシュを行いました。

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あまり変わって見えないですね。。

レイアウトは埃との闘いとよく言われますが、うさぎ鉄道も12年ほど前、埃だらけになったことがありました。

その後使用しない時はカバーをかけるようにしていましたが、ここ6年ほどは特にカバーをせずそのままにしています。

リビングに置いてあるので、カバーをかけると体裁が悪いからです。いちおうオブジェ代わりという感じになっています。

 

線路などの清掃は適宜行っていますが、樹木や草などは埃と経年で真っ白になってしまいます。

樹木等(の葉)の交換や手入れはおおむね5,6年おきに行っています。

もっとも、既に設置された樹木の葉を取り替えるのは簡単ではなく(外せるものは少ない)、とりあえず数本手を付けただけです。

カラーパウダーは昨日できるところは撒き直しました。

ライケンを使った灌木(草)は、できれば取り替えた方が良い(埃が相当つく)のですが、多くは表面にカラーパウダーを撒く程度にとどめています。カラーパウダーもライケンも10年近く前に買ったものです。ライケンはしんなりした状態は維持していますが、なんとなく弾力が落ちてつぶれやすくなっているようです。

レイアウトに完成なし、などという言葉もありますが、うちの場合レイアウトは作品とか、そういう類のものではなくどちらかと言うと実用品的な存在です。車両を買ってくるのはレイアウトで走らせるためで、走っている姿を眺められればそれでよし、という感じ。その意味では車両も作品となる要素は少なく、支障なく走ってくれればそれでよいという事になります。

自動車をカスタマイズして自分好みの状態に仕上げる人がいますが、他方実用に徹して使い倒す人もいます。うちはどちらかと言うと後者に近い感じかもしれません。

たぶん昔は、そういう感覚はなかったかもしれません。。久しぶりにTMSの1月号を買いましたが、もしかしたら自分って、だんだんちがう趣味の世界に入りつつあるのかしら、とふと考えたりしました。。

 

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改修ついでに、シーナリー用品の入っていた袋から発見した黒毛和牛をレイアウトに配置してみました。

小松菜線に使おうと思って、しばらく行方不明になっていたやつです。

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背景に映っていた車両は超ノスタルジックな関水のEF70とオハ31。

この子達は後からそろえたものですが、いまから50年前のお正月も、買ったばかりのEF70を眺めながら、オハ31系が沢山走っているTMS1月号のレイアウト記事を読んでいました。。

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去年秋に買ってそのままになっていた、KATOのD51ギースルをようやく箱から取り出しました。

D51は1/80の模型も今年再発売になるらしいですが、うちはどうするかな。。

2024年12月31日 (火)

2024年のうさぎ鉄道

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何度かここで書きましたように、今年はうさぎ鉄道の創業50周年(≒入門セットを買ってもらってから50年)、かつ、つい昨日の事ですが今のレイアウトが開通してから15周年と言う節目にあたります。

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ただ、年の半ば頃は体調不良に見舞われ、そのほかのごたごた等もありあまり盛り上がりませんでした。

記念行事とか、考えたりもしたのですが。

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他方、地味ながらあちこちで歩いたりはしていました。

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撮り鉄といえるようなことはほとんどしておらず、かといって乗り鉄でもない、いいかげんな鉄旅です。

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昨年京都鉄道博物館に行き、今年はてっぱく(再訪)、リニア・鉄道館にも行くことができました。

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蒸機動車はよかった。

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カメラを新しくしたので、秋には近場をいくつか巡りましたが、まだあまり撮影には行っていません。

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あと、5月にはZゲージに手を出したのがおおきなニュースですね。。

写真のキハ52と、立て続けに115系、165系と買ってしまったのですが、ちょうど体調不良期と重なっていたせいか、夏以降はほぼ放置状態になってしまいました。。

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白棚線は専用区間廃止の直前に「見に行った」。乗ってないんです。。

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旧西武車は三岐のほか流鉄、上信と見に行って、近江鉄道も行こうと思ったのですが、年内日程が合わず。

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昨年からの継続で製作中だった荷電は、この秋に完成。

もう目がポンコツなのと、夏はくたばっておりましたので、このくらいのペースが精一杯です。

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私鉄型の模型は関東大手では京成、京急と都営地下鉄は全く持っていません。東急は1/80の3450がいちおうありますが、Nはまだ手を出していません。

関西大手では大阪メトロ、阪急を持っていない。ただし阪急は810系もどきを1/80で作ったのが残っています。44年前の話ですが。

近鉄特急は今年10両も増えてしまった。来年あと4両入る予定です。

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D51も大量増備され、年初にD51 498が、春にはマイクロのナメクジ、秋にはKATOのギースル北海道型が入りました。

ギースルは買ったきり走らせてないのですよね。。

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冷蔵車を中心とした貨車も、ずいぶんと買いました。

現役のコンテナ車とか、タキ1000とか、そのうち買おうかと思うのですが、うちにあるのはほぼ1984年より昔の貨車ばかりです。。

 

そんなこんなで。

本年もご愛読いただきまして、大変ありがとうございました。良いお年をお迎えください。

 

 

2024年12月28日 (土)

近鉄18200系 ほか

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18200系は京都線、橿原線用特急として1966年に登場しました。

奈良電鉄を吸収して京都-奈良、伊勢ルートの特急が開設されましたが、当初は輸送需要が見通せず、奈良電の車両を改装(680系)したり、600系の電装品を流用した吊り掛け車18000系を新造するなどして対処していましたが、京伊ルートは非常に好評で需要が急拡大し、ついに新造車に至りました。車両限界の関係で18m、幅2600mmと小型ながら、当時としては出力の高い電動機を搭載し、車内も転換クロスを採用することで狭幅のハンデを克服するなど、工夫が凝らされています。

と言う話は実物が現役の頃よく説明されていたのを読んだのですが、実車が現役だった1980年代初頭の頃は、なんとなく古そうな電車というイメージでした。後継の18400系は幅は同じながら21m級のスマートな車体で、デザインも12000系以降の洗練されたものに変わりましたし。

トミックスが12200系をリニューアルさせて暮れに発売、ほぼ同時に鉄コレで18200も発売と聞き、12200基本4両に18200を組み合わせて6両を組成しようと思い立ちました。18200は11月に発売になりましたが、12200は生産計画が遅れ、1月に持ち越されています。その間運転できないのもなんなので、最初は電装しないつもりが動力も購入して2両で走らせることにしました。本当は写真の30000系とも併結できるといいのですが、これは古い製品なので連結するには改造が必要なのですよね。

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ふつうにN化しただけなので特記することもないのですが、片側の連結器をTNカプラーにしています。

12200が入線したら電装解除して、予定通り併結させるつもりでいます。。

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今年は近鉄特急イヤーでして、夏に10100系、10月には680系が入線して、60年代末~70年代の近鉄ムードが盛り上がっています。

一般車の方は2600系(非冷房、クロスシート時代)がいますがこれは40年前(先頭車は44年前)の作品なので、改めて2410系を新造することにして今製作中。本当は年内に完成の予定でしたが、例によって無理。2両は冷房化されたスタイルとし、そうすると搦手から時代は70年代末の姿となる予定。うちでは未だにマルーン一色が標準塗装となっています。

さて、年内にもう一回くらい記事をかけるかな。

2024年12月15日 (日)

うさぎ鉄道 レイアウト制作の思い出(8 最終回)

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前回掲げたレイアウトは1984年夏に着工、年内に運転はできるようになり、86年ごろにはシーナリィを含めておおむね完成した。

これは実家に置いたまま、94年ごろまでは運用していた。自分は実家を離れていたが、一部の車両は実家に残したまま、帰宅した時に運転したりしていた。

レイアウト自体はまだ実家にある。近年、ネズミが入り込んで暴れたらしく、建物がだいぶ破壊されてしまっている。

 

 

転居先で本格的なレイアウトを作ることは無理だったので、写真のような運転盤を作って時々運転した。

ベースはただのベニヤ板で、継ぎ目の所は線路を取り外して、組むときに取り付ける。駅以外はなにもない状態だったが、そこそこ直線が長いので運転するのは意外と面白かった。カーブはR315と外側にR354を新たに買って設置した(当時のいちばん緩いカーブ)。

94年末の転居と共に運転終了となった。

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手持ちのトミックスの線路はこの後も資産として使いまわして、その時その時で運転盤を作り直している。

これは2000年頃、B1のパネルに作った運転盤。いちおうシーナリィまでつけるつもりでいたが、中途半端に小さいので運転する車両が限られ、制作は中止になった。

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その後も作りかけては気に入らず、あるいは多忙でそれどころではなく、形にならない状態が続いた。

2006年ごろ、どこからか定尺ベニヤ板を買ってきて、線路を敷いてみた。これは数日で解体してしまった。

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同じ年の秋、A2のパネルにPecoのフレキを敷いてなにか作り始めた。

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延長ボードも作って、小型車両を運転できるようにした。

というか、大型の車両も結構走らせることができる。

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ミニカーブレールというのは当時出ていたのかな。2007年の2月ごろ。

本来は数編成の車両を置いて駅や引き込み線を往復させる、という遊び方になる。

ただ、これもシーナリィとなるとなかなかアイデアが浮かばず、このままの状態が続く。

この後、小松菜線に発展した。

 

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いまのうさぎ鉄道の原型ができたのは2008年2月の事だ。

既に本線部分は現在とほぼ同じ形になっている。

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アングルを買ってきてB1パネルを固定し、本格的な工事が始まった。

その後の事は以前ここにまとめている。

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うさぎ鉄道は2009年12月末に一連のシーナリィ工作を終え、2009年12月30日を一応開業の日としている。

エンドレスとパック、機関車を買ってもらって、鉄道開業した’74年5月から数えて今年は50年、現行レイアウトが完成してから15年という事になる。

 

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おまけ。

これは2011年の年末に、天賞堂で線路一式を買ってきて、「Nゲージ蒸気機関車」の記事にでてきたプランを再現したものだ。

当時木造2階建ての家に住んでいて、レイアウトは2階和室に立てかけてあった。冬は寒いので暖かい居間でちょっと遊ぶのにいいかと思い。。

この線路一式、どこかの箱にまとめて入れてあるはずだが、実は買ってから2回ぐらいこの形で運転したきり、ぜんぜん使っていない。

 

*いちおう、自分用にうさぎ鉄道史というか、レイアウト史の集大成とすべく書いてきたが、撮ったはずの写真が見つからないとか、昔のことで忘れたとかが色々あり、全部書ききったとも言えなくなってしまった。まあ、それをブログに書いて人がどう思うかというのはあるのだけど。

2024年12月 7日 (土)

うさぎ鉄道 レイアウト制作の思い出(7)

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1978年から1983年までは、定尺ベニヤにレイアウトらしきものを作りかけてはとん挫する、を繰り返していた。

79年の夏頃には一応線路は敷いていたと思う。80年頃にはキャンベルのきめ細かいバラストを散布して、ケント紙を使ってストラクチャーをつくりかけていた。81年の夏ごろ、勾配を上って駅に向かう支線をトミックスの線路を使って敷いた。

そして83年の夏だったか、レイアウトボードをベランダに出してしまい、制作は完全にとん挫した。

84年の2月ごろ、何とか別の構想でレイアウトが作れないかと、TMSをめくってはプランを渉猟した。

電車を中心とした都会風レイアウトというのがあった。2階建てになっていて、確かターミナルと待避線のついた中間駅があった。車両は20m級3両ぐらいを前提としていたが、密度の高い運転ができそうな気がした。

篠原からN用のフレキ線路、ポイントが出たのは’76年の夏頃だ。KATOもPecoもレールは#83で、高さは2mmぐらいある。篠原は#70で、少し低いのと横腹のえぐりが深いというか、しっかりとしたエの字型をしている。KATOは頭でっかちのI,PecoもI型でエッジがあいまいだ。

ポイントをいくつか買ってみた。HOのポイントと同じ構造で、枕木だけはNゲージ流に分厚い。フログが金属製なのが特徴でー当時Tomixはまだ出ていなかったー、この部分がプラで車両によっては集電できずに止まってしまう懸念のあった他社製に対するアドバンテージとされた。

半面、先端レールのみで通電させるため、接触不良を起こす可能性が高いと言われていた(N故HOよりもデリケート)。

HOはかなり巨大なスイッチマシーンが使われていたが、この頃Nでも使えそうな小さなマシンも発売になった。

結局電車用レイアウトは作らなかったが、このとき買った篠原のポイントは次のレイアウトに使った。

次のレイアウトとは、前回と今回、冒頭で写真に掲げたレイアウトだ。プランはまたしても関水のプラン集から拾ったもので、エンドレスを二重巻きにして、駅を奥に、ヤードを手前に配置してある。かなり小さい(120m x 80cmくらいだったかな)サイズだったが、やや拡大して140x 70だったかにしてある。

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誠文堂新光社 Nゲージ より 鉛筆書きは子供のときの落書きだが、駅の側線の配置は今回レイアウトのものと同じだ。

 

この頃は車の運転もできたので、ドイトに行って材料を買ってきて台枠から自分で作った。「レイアウトテクニック」だかに書いてあった、Lガーダー式を採用している。長手方向のフレームは木材を組み合わせてL型にしたもの、横は普通の角材だ。この上にクッキー・カッター式で購買部を持ち上げた5.5mmべニアを張っている。取り付けは全てくぎを使わず、木ネジを使った。

後から取り付けた背景板も5.5mmべニアを使っている。脚は別体だが、やはり木材で自作した。

このフレームは今まで自分の作った中で、最も本格的なフレームだ。きわめて丈夫だが、また非常に重くなった。山などをプラスターで作ったので、これを一人で持ち上げることは困難かもしれない。

先の篠原のポイントは駅構内の2か所に使い、他に関水のもの、Pecoの中型を用いている。駅のポイントは全て電動で、フレーム手前のヤードは手動だ。篠原のうち1つは、ベース板裏側にマシンを取り付けるためのキットを使っている。確か500円弱だったと思うが、真鍮線やパイプ、ネジなどが入っていて、N用のマシンを組み合わせる。昔のHOレイアウトでは自分で真鍮線を買ってきて作ったのだろう。それに比べれば便利だが、ベース板裏につけるのは結構骨で、ここ1か所しか使っていない。もう一つのポイントは表側につけて建物で隠した。関水のものも篠原のマシンを使い、これは周りが狭いのでむきだしのままだ。

そのほかの線路はPecoのフレキを使っている。関水も混じっているかもしれない。ベースへの取り付けは以前やったように、厚手のボール紙を下に敷いて、ピンでとめている。バラストは当時出ていたTomixのものだ。これは同社の線路に合わせて多少目が粗く、また、一定の色に着色してある。どこかの砂とうよりは、大きな石を加工して砕いたもののように思える。ボンドバラスト法による固着はとてもやりやすかった。

レールの側面塗装は全線にわたり行った。たしか枕木も塗ったかもしれない。手間はかかったが、若かったから。

トミックスのMカプラーを利用して、自動解放による機関車の付け替えができるようにした。磁石は解放ランプ付きレールから外して、枕木を切って埋め込んだ。

ヤードを出発した列車は、左回りにエンドレスを何周かする。やがて駅で停車し、貨車を開放する。機関車は少し前進してポイントを切り替え、反対側の線を使って移動、再び貨車を連結して今度は右回りに走る。やがて再び駅に着き、貨車を伴いながら少し移動、推進運転をしながら側線に貨車を押し込める。側線のもうひとつは機関庫になっているので、機関車はそこに収まる。

と、なるはずだったが、Mカプラーと言うのは本線上に配置してはいけないものなのだ。理屈ではカプラーアームに引張力がかかっているとき(走行中)は解放しないことになっているが、現実にはほぼ毎回カプラーが跳ね上がってしまう。

こればかりはいかんともしがたく、数年で諦めてケイディー(は、古いのか。マグネティック・カプラー)に取り替えた。機関車は当初DE10(当然トミックス)だったが、ケイディーのはKATOの鹿島鉄道版DD13にした。

ケイディーはきちんと動作したので、上記のように遊ぶことができた。

取り外したMカプラー用の磁石はもとのトミックス線路に戻した。後に今のレイアウトを作るときに利用している。

 

2024年12月 1日 (日)

うさぎ鉄道 レイアウト制作の思い出(6)

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8月に(5)を書いてからだいぶ間が空いてしまいました。

1977年末に、さんざん遊んで製作途中のまま廃棄となったレイアウト(3代目と言うべきか)の後、翌年には早くも9mmべニアの上に線路を敷いて運転できるようにした。

プランの原型は関水のレイアウトプラン集だったと記憶しているが、写真が残っていないので、正確なプランはよく覚えていない。単線でロングランができることがコンセプトで、たぶん8の字をもうひとひねりしたものだったと思う。1mmぐらいの厚手のボール紙を道床に使い、全線関水の固定式線路(ユニトラック以前の)を用いていた。文字通りの運転板で、ホームだけはGMの「都会用」を使って取り付けたが、シーナリー付きには発展しなかった(ちょっとだけ団地のビルを自作したり、信号所を作った記憶もある)。ベースがただの板で補強フレームがなく、取り付けるには線路を外さないという状態で、発展しようがなかった。

このころ比較的気前よく車両増備していたので、それらを素朴に運転して楽しんでいた。発売直後のトミックス113系(初代)、ライト点灯式になったEF65 500、コキ10000系コンテナ車(前々回記事に出てきた冷蔵コキはこの時の生き残り)、キット組立の10系寝台車などなど。

このレイアウトは半年ほどで解体し、シーナリー付きのものをあらためて作ろうと考えた。これは90x90の2分割式で、中央で接続するという構想だったが、細々と作っているうちに挫折してしまう。

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78年の秋ごろ。覚えていたよりはちゃんと作っていた気がするが、たしか周回して走らせるまではできないで終わったと思う。

右側に見える急行型電車らしきものは文化祭用に依頼されて作ったクハ165。

 

1979年の初めごろ、ノートに新分割式レイアウトの構想をまとめた。

モジュールレイアウト方式で、都心のターミナルから郊外に向かう私鉄をテーマとしていた。

ターミナルは2面3線か2面2線だったか、それほど大きくない。

次の駅は対向式ホームの、各停しか止まらない小駅。西武新宿線下落合とか、そんな感じ。

その次は緩急結合できる、2面3線か4線の中規模駅。引き上げ線も設けて、折り返し列車も設定される。

イメージとしては東武東上線成増とか。

次はやや郊外の駅。島式ホームで「準急」あたりが止まる。たぶん橋上駅で、周辺は住宅地。

再びやや大きめの駅が次。ここには車両基地がある。ここまでは複線で、この先は単線になる。

終端駅のことはよく覚えていないが、風景的には田畑や森が広がる、という想定だったのだろう。

部屋の中をいくつものモジュールをつなぎ合わせて、上記のような配置にする。駅と駅の間は適当に端折り、折りたたむように駅を配置することになる。

これを紙に書いて、妄想して楽しんだ。車両にはあまりこだわらず、なんなら関水の103系やトミックスの113系を4両ぐらいで走らせればいいと思っていた。各停は上記「成増」で折り返し、準急は「成増」から各駅停車、急行は「成増」停車、郊外駅は通過して車両基地のある駅から各駅停車、という具合の、ダイヤ運転とする。

これは構想と言うか妄想だけで着工すらできなかった。実際に上記のモジュールを作ったとして、それを自室(和室6畳)に組付けたら自分が身動きできないか、そもそも設置できなかっただろう。更に、それを収納する場所もなかったはずだ。

 

と、ここまで書いて一区切り。冒頭に掲げた写真まで行ききれなかった。また次回。

2024年11月24日 (日)

クモニ81 100, クモニ13 の完成

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いつから作り始めたのか忘れたのですが、荷電が完成しました。

このブログを見ると、去年の春頃構想(キット購入)を開始(72系の動力を更新し、玉突き式に余剰となったユニットを荷電で使う)、制作を開始したのは今年に入ってからのようです。春には完成させる勢いで作っていたのが、今年は早めに体調不良になりダウン。

部屋の隅に、いつでも作り始められるようにこんな状態に店広げたまま、先日まで放置していました。

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次の車両制作予定が入り、ここを片付けないといけなくなったので、残っていた作業を一気に進めました。

最後に残されていたのは側窓の取り付けとレタリングです。

レタリングはかなりいい加減になってしまいました。とはいえ、今のレタリングセットはひじょうに充実しているので、作り映えがします。

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ほとんど素組です。

多少何かしたかと言えば、正面窓をはめ込みで作った事(81)。Pb240951

これが今回の荷電制作のきっかけとなった写真です。 

とれいん'76年3月号(No.15)。

正面窓のデフロスター、板を並べた仕切り板などの表現もしたかったのですが、今回は見送りました。

ただし、動力ユニットの正面寄りの所を薄緑に塗っています(電気機関車のようですが)。

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湘南型の前面の造形は悪くないですね。

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クモニ13の方は、以前にお見せしたように乗務員室仕切りと室内の荷物を追加してあります。

外から見てわかるかと言うと、自己満足の範疇ですが。

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手持ちの車両を使って荷電併結編成を。

手前の2両は40年前に組んだものです。これもほぼ素組です。

この頃と比べ、今回制作分が技術的に向上しているかと言うと、かなり落ちていますね(^^;;;。

視力も気力も落ちました。こればかりは仕方がない。

古いキャンバス屋根の色を再現していますが(こげ茶とグレイの混色)、こうしてみると効果的ですね。

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冒頭で触れた次の車両制作の予定とはこれです。先日IMONで一式買ってきました。

いちおう年内完成を目指しています。意外と制約があって、そのまま素組すると冷房車2連x2か、冷房車とラインデリア車の組み合わせしかできない(というか、非冷房4両にできない)。この場合時代的にもっとも遡れるのは1979年頃、冷房化が始まった頃でしょうか。

手許には44年前に買った2410系、を40年前に改造した2600系(非冷房時代)があります。いちおうこれよりは上の仕上がりを目標に、細かな手は加えず早めの竣工を目指します。

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おまけ:先月買った680系をN化しました(ナンバー貼り付け未済)。大阪線系統のスナックカーなどは21m級ですが、こちらは17m車なのでなかなかかわいいです。

漠然と、今回の2410系もこの車両の時代と合わせられればと思ったのですが、同系列が冷房化したころこの車は志摩線で一般車となっていましたから、すれ違いになりますね。

後ろにいる新ビスタ6両ですが、7月に入線した時、内周線を走らせようとすると必ず脱線していました。また、トレーラー車も走行が不安定で、しばらく1ユニットのみで走っていました。今回改めてチェックしたら、トレーラー車の中心ピンが外れかけていたことがわかり、調整したところ脱線しなくなりました。

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おまけその2。南海21001系がオクで安く売られていました。もとは中間車ふくめ4両でセットになっていたようですが、これは2両だけです。この状態だと大井川鐡道の方が近いかもしれません。

うちの関西私鉄系の車両は近鉄、京阪、阪神、京都市交通局に、今回の南海が加わり、大手では阪急以外は1編成はいる、という状態になりました。阪急も1/80の方で大昔に作った810系がいるにはいます。

関東では東武、西武、京王、小田急、相鉄、東京メトロがいます。こちらも1/80で大昔に作った3450型がいるにはいます。

関東の方がカバー率が低いというか、京成、京急、都営地下鉄あたりがごっそり抜けています。

まあ無理に全国展開することもないのですが。

2024年11月14日 (木)

冷蔵輸送プロジェクト

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なぜか増大する貨物輸送の対応に追われているうさぎ鉄道ですが、夏から秋にかけては冷蔵品輸送を大増発しました。

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いや、とにかくこの夏は社主が体調不良になるほど暑かったため、大量の新鮮なさかな、タコ、モナ王、ガリガリ君の輸送需要が高まったのです。

さいしょは手元の車両の混成で対応し、徐々に冷蔵車を増備していきました。

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カワイのレ2900は模型界では有名ですね。前から持っていたのですが、これを見ているうちに初期の香港貨車を集めたらどうだろうと、ふと思ったのでした。

うしろにタムが見えますが、これも思い付きで銀色を買ってみました。

その前に、土管や丸太を積んだチ1が売られているのを知り、これも入手していたのでした。

今年はなぜか、貨車がどんどん増えていたのです。

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コム1冷蔵です。

昔は二軸コンテナなんて買う気になれなかったのですけどね(実物を見たこともありませんでしたし)。

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うちに45年ぐらいいる、コキ10000冷蔵コンテナです。レタリングが変わった後のやつですね。

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これも古いKATOのレ12000。屋根は黒です。

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こちらは最近買ったトミックスのレ12000です。ブレーキてこほか、足回りはだいぶディティールがついています。

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これも最近買いました。どこかに40年前に買った同型があったはずなのですが、甥にあげてしまったのかもしれません。

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白ワムも、割と昔から売っていましたが、買ったのは今回が初めてです。

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じつは、レサ10000を1両だけ持っていました。

15年ほど前、天賞堂が中古屋をやっていたころ、タキ3000を5,6両買ったのと一緒にレサも買いました。

1両では編成に困るのですが、あまり煩いこと言わなければ一般貨物に混結してもいいし。

そのうち増やそうと思ってたのですが、探してみると今はセット売りしかないみたいですね。

手持ちの1両を生かすには、これと同じ時代の仲間を増やさないといけない。

ので、オクで探して、2両組で出てたやつと、レムフ10000をそれぞれ落札しました。

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これでレサ3両とレムフ1両。

オクでは1両ずつ売っている人がおおくて、これを買っていくのもしんどいと思い、残りはまだ単品で売っているレサ5000をIMONで買ってしまいました。

いちおう東鱗1号風味としても編成できるように、ヨ5000も買いました。

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いつも2、3m離れてみているので、台車が違っても常備駅が違っても気になりません。

白い貨車が連なっているのはなかなか・今風にいうとエモいです。

ただ、対応に追われているうちに季節は変わり、さすがにアイスの輸送量も減ってきました。

とはいえ、こんどは鍋物の食材を運ばないといけないですから。。

2024年11月 4日 (月)

東武大師線、亀戸線

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前回に続き、新カメラの慣らしのためにちょっと訪れてみました。

前回と同様武蔵野線を東に向かいますが、今回は少し楽というか、新越谷から急行乗るとすぐに到着しますね。

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ただ、昼飯を食っていなかったので、ここで食います。

お店は有名ですが、囲いとかなくて本当にホームの片隅で食べるんですね。。

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この2枚は写りがいま一つですが、GR2の使い方に失敗したようです。

ラーメンは620円、ワンタンメン(写真)は770円でした。味は抜群とまではいえませんが、お値打ち価格です。

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大師線にも10000型が時折入るようですね。

余りにも見慣れた風景ですが、近々置き換え(自動運転試験開始?)でしょうか。

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書いたかどうか忘れましたが、ChatGPTを使い始めた頃、AIに西板線の事を聞いたことがあります。各駅近くのグルメガイドとかを聞くと、いかにもそれらしいお店をいくつも挙げていました(こちらが誘導したというのもあります)。

浅草から直通の6両編成が上板橋経由でその先啓志線にも経由するという話(に誘導しました)。

大師前から先はずっと地下線です。

実現したら、川越から浅草までつながるの今日的にはとてもいいかも。光が丘も近そうだし。

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曳舟にも急行ですいすい行けてしまいますね(写真は帰るときに撮ったものですが)。

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越生線、野田線の復刻カラーはなじみ深いものですが、引退した8568Fを含め、このへんは何だかよくわからないですね。

何となく西鉄特急を連想します。

 

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一旦亀戸まで行って、そこから東あずままで歩いて移動しましたが、具合のよさそうなところも架線中やら信号などが入るので、あまり撮りやすいところは多くないようです。

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前回流鉄との違いは、複線なことはともかく保線がしっかりしていることです。

その点はさすがに大手の鉄道です。

構内踏切はこの亀戸線に限って言えばむしろ合理的かも。

 

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都電にも見えてきたな。

 

 

2024年10月31日 (木)

流鉄再訪

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先日新しいカメラを買ったので、慣らしにと思い、ここを訪れました。

選挙の前日ですが、お天気いま一つでしたね。

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色違いが楽しいのですが、ふつうに日中行くと2編成が往復しているだけなので・。

全線住宅地ですが、撮影ポイントはそこそこありますね。

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まだ慣れてないので、新しいカメラとか言いながら、つまんない写真ですみません。。

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こないだこれの仲間が京都の博物館行きましたけど、今年はあちこちで会っています。

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若葉号。この色になる前は山手線みたいな黄緑色ベースで、もっと前の低運101のカラーリングを引き継いだものでした。

その低運101(3000型)若葉号、のBトレインは今机のそばに飾ってあります。

動力化していたのですが、先日走らせようとしたら動きませんでした。

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今回は鰭ヶ崎から流山まで歩いてみました。

沿線はうちの近所みたいなふつうの住宅街ですから、不思議な魅力がありますよね。

 

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