2019年9月30日 (月)

近鉄30000系

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近鉄30000系は昭和53年(1978年)に、その年から始まっていた2代目ビスタカー10100系の跡を継ぐ形で登場、翌年には10100系を置き換えた。京都線や志摩線などの改良工事により、70年代前半は主要路線で特急網の整備が進み、利便性は高まったが増強されたスナックカー以降の車両は実用的な色彩が強くなり、特急の華やかさという点では物足りなさが感じられた。もっともこの時期は国私鉄とも似たような傾向にあり、いずれも特急のカジュアル化と輸送力の強化を主眼にした経営姿勢が目立っていた。国鉄では485系の全国展開と、近距離特急としての183系の導入、私鉄では西武5000系、特急ではないが東武1800など。小田急は通勤輸送に手いっぱいで特急車は70年代には新製されなかった。

73年秋に始まった第四次中東戦争とその後に引き起こされたオイルショックは鉄道業界にも大きな影響を与えた。東武は1974年に最初の複々線区間が開業したこともあり、8000系の新造を行ったが翌年は車両の新製を見合わせた。手元に資料がないが、他社でも同様な事例があると思う。今ではいささか信じがたいが、諸物価が短期間に急騰し、経済の先行きが見通せなかったのだ。

落ち着いてきたのは76年ごろのことで、この頃から従来の車両を一段と改良した、新世代の車両がまとめて登場し始める。国鉄でいうとキハ40系列、オハ50系、北海道用の781系など。通勤用の201系は近鉄30000よりは少しあとだが時期的にはほぼ同じだ。先ごろ引退した京急800もこの頃で、斬新な塗装や固定式の窓など、随分と新しい車という印象があった。

組成の都合から正面デザインこそ前年登場の12400系に合わせたデザインだが、30000系も当時としては非常にフレッシュに見える客室設備を持っていた。1990年代以降、2階建ては国内でもJRのグリーン車、215系など、私鉄でも京阪などが採用し、ごく身近な存在になったが、当時は近鉄が唯一の存在で、近鉄特急=2階建て、という印象が強かったのだ。

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とまあ、与太話が長くなってしまいました。近鉄30000、70年代終わりごろの鉄道ファン/鉄道模型界にあっては非常に華のある目立つ存在だったことをなんとか伝えようと。。

79年秋、カツミが従来の国電シリーズとは一線を画す新世代仕様の模型の題材として、30000系を取り上げたのをよく覚えています。床下モーター(これも中間車を動力にしていたような気がします)、室内完備でアクリル導光式のパネルライトを取付というのは、後には一般化していますがこの車両が最初です。それからエンドウのNゲージ30000系、これもインパクト強かったです。たしか79年の暮れ、値段は14,800円でした。私鉄型Nゲージというと、GMはまだ未着手でしなのマイクロが何か始めていた程度、という状況の中、すっきりした金属車体に薄くブルーがかった側窓の模型は、非常に魅力的でした。また話が長くなったな。。

ですが、トミックスが30000系を出したのはそういうブームのころではなく、だいぶたって落ち着いてからのことです。たしか85年ぐらいじゃなかったかな。名鉄7000系とか、小田急7000系よりは後だったと思います。今回入手した模型も、かなりすっきりしたシャープな造形ですので、時期的には80年代中ほどのことでしょう。

実物同様、トミックスのモデルも時代とともにリニューアルされ、この初期塗装モデルはなかなか新品では入手しにくくなっているんじゃないかな。ので、オークションで探して未使用品を手に入れました。中間車のビスタカーというロゴがユーザ後付けになっていますが、未取り付けのままです。マーク類も未使用です。

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先ほども書きましたように、全体の造形や動力は80年代半ばのトミックスの仕様で、動力はたぶんスプリングウォームじゃないかな。かなり好調であまり神経使わなくていいタイプです。よく思うのですが、トミックスはいやにディティールに凝りだした近年よりも、この頃のほうが色々モノとしてのバランスが良くて、好きだったんですけどね。まあたぶん、その時代の設計者の方が上手だったのでしょう。今は時代がちがうのは確かですが、多少ごつくても感じのいい模型というのはあるものです。。

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30000系に一番最近のったのは8年前のことで、このときよく覚えているのはたしか桑名あたりから名古屋まで、2階席にいたのですが冷房が恐ろしく寒くて、そのあとしばらく風邪をひいてしまったこと。あれは強烈だったな。

この写真はその1年前、滞在していたホテルから見えた風景。

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40年近く前、80年7月。西大寺で。当時車だってスカイライン・ジャパンとか初代クレスタとかいう時代ですから、この造形結構男前に感じられたのだと思います(かなり強引)。

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色をいじればもっときれいに見えるはずだよな。

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この頃のほうが若々しくて明るい感じの色合いですね。

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階下も、今見ても明快でモダンだな。。

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そういえば消費増税すると模型のねだんもあがっちゃいますね。鉄コレのパーツ、買えるものならあした買っておこうかな。。

2018年12月 9日 (日)

鉄道ピクトリアル 近畿日本鉄道特集

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ピクトリアルの特集のうち、東武鉄道の特集は過去のものもかなり網羅していましたが、近鉄の特集はさっぱりです。手持ちの近鉄特集は今回のものを含めて3冊だけです。
ピクの特集は出れば買うというほど徹底はしていなくて、最近では東急の特集も見送っています。書架のスペースがないので、買うときはかなり迷います、さいきんは。
 
近鉄に最後に乗ったのは7年前で、とにかく最近のことはわかりません。時代的には赤一色の一般車と、オレンジとブルーの特急が一番らしく思える世代です。
ので、「いまの近鉄」をすこし勉強しようかと。
 
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本題とずれますが、この2冊を徹底的に頭に叩き込んでいるので・・。なんというか、黒澤明の映画ばかり見ていたフランス人が、あこがれの日本に来てみて唖然とする、みたいなことになりかねない状態です。
 
でもまあ、徐々に世代交代はしているとはいえ、奈良線8000系、大阪線2430系、南大阪線6020系、そして12200や16000あたりの特急車がまだ残っているというのが、奥ゆかしくていいですね。。車両担当者が書いていましたが、特急車で50年、一般車では60年程度の寿命を見込んでいるということですので、長寿でおめでたいお話だという気がします。
 
それにしても、近鉄車両の系譜は、外部の人にはかなりわかりにくい部類に入るのではないでしょうか。。
 
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本特集でも一般形クロスシート車として紹介されていた2600系(のつもり)です。
1980年竣工時は2430系(のつもり)だったのですが、実は中間車は8400系モ8400(のつもり)として1978年にペーパーで自作した車体を、モハ153を改造した足回りで駆動していました。中間車だけ裾絞りの車体というのはインチキが過ぎるため、1983年にキット改造の中間車2両を増備、トイレを設置(=窓を白色プラにした)、動力は早々に廃車になった12200系のものを利用(ちなみにこれはエンドウの30000系ビスタカーと同じもの)し、2600系として生まれ変わりました。づらづらかいて、わかってくれる人がいるのでしょうか。。
 
もとのキットがラインデリア仕様のため、本車両も冷房化以前、いちおう1978年ごろの姿(のつもり)です。排障器は本形式の場合、最初からついていたようですね。なお、動力車以外の台車は、当時指定されていたGMのDT46(直接装架式の、試作車仕様)です。
 
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収納箱に当時のキットの表紙?を張り付けてあります。
GMではエコノミーキットとして長く売られていたと思いますが、今もあるのかな。
たしかこれ、だんだん思い出してきたけど、張り上げ屋根がカーブのところで分割していて(ふつうの103系などと同じところで屋根と車体が分かれている)、パテ盛りしてきれいに仕上げないと継ぎ目が目立ってしまう仕様だったはず。。
 
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2600の写真はあるはずなのがすぐ見つからないので、代わりに西大寺で撮った8000系ラインデリア車の写真を。
 
近鉄は通勤冷房車の導入に一瞬迷いがあったようで、昭和42年ごろから各線でラインデリア車(現在一般的な冷房車の補助送風機として使われているものを、換気装置として冷房機なしで装備したもの)を新製配備した。そのせいか、一般車の冷房装備は、クロスシートの機器流用車2680系こそ1971年に作られたものの、在阪私鉄の中ではワンテンポ遅れた。ラインデリア装備車は、従来の車両より屋根のカーブがきつく、屋根全体が低い。8600系などの新製冷房車は逆に屋根がより深く、高くなっている(風道の関係か)。ラインデリア装備に冷房準備という意味合いがあったわけではない。一般車は冷房なしで換気を改善すればよい、というつもりだったのだろう。
 
今となっては、ラインデリア装着の有無でどの程度換気効果がちがったのか、確かめようもないが、少しは涼しかったのでしょうか。。
 というのも、子供のころ自分の部屋には冷房はなく、代わりに「ウインドファン」を付けてもらっていた。窓付け換気扇みたいなものだが、あれ、今でも売ってたら使ってみたい気もするな(冷房、あまり好きじゃないから)。
 

2017年12月27日 (水)

近鉄モ6251

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40年来気になっている、誠文堂新光社の私鉄電車ガイドブック「近鉄」のカット写真からのイラスト。これは山田線伊勢市駅とのことで、国鉄参宮線の列車が背後に写りこんでいる。人物の服装から季節は梅雨時~夏頃と推測される。天候は明らかに雨で、線路やホームが光って見える。
 
モ6251型というのは、もとは参宮急行デニ2000型である。同時期の2200型は直通急行用として、特色あるスタイル、客室設備を備えた高性能車だが、こちらは区間用。「私鉄電車プロファイル」によると、「あまりに有名なデ2200系のかげにかくれて、極めて地味な存在に終始した電車である」とある。スマートな2200型に比べると、たしかに登場時の2000型は、わざとそうしたのではないかと疑りたくなるような、重い感じのするスタイルである。
 
いくつかの変転を経て名古屋線に移ってからは、地味ながら収容力の大きさ等からけっこう重用されたようだ。戦後外板を更新されてノーシル、ノーヘッダーとなり、名古屋線改軌の際シュリーレン台車に振り替えられている。また、荷物室を撤去してモニからモになった。さらに、1968年には前照灯2灯化と併せて張り上げ屋根となったのが、上の姿のようだ。当初は地味な存在だったが、案外長生きして’70年代前半まで活躍した。
 
のだが、しょうじき、イラストは細かいいきさつを知らずに書いたので、扉配置も2ドア(実物は荷物室ドアを転用して変則3ドアだった)に見えるし、顔も似ていない。。なんだか1600型のようにも見えるし、もっと言えば阪神電車みたいにも見える。。
 
地味だが使い勝手が良いので、手を加えて長生きした電車というと、例えば西武401系とかかな。東武に何かいるかな、と思ったが、思い浮かばない。。だいたい、東武はおしなべて長生きするので。。
 
背後の参宮線の列車は、おそらくC57とスハ32系あたりらしい。だいたい蒸機の写真というと、蒸機そのものが主役であることが普通なので、このようにすみっこにちょっと姿を見せている、というのはむしろ新鮮な感じがします。蒸機なんかそのへんにありふれている、という感じが伝わるからかな。

2017年12月10日 (日)

近鉄モニ6221

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これも誠文堂新光社の私鉄電車ガイドブックシリーズ「近鉄」カット写真を参考に描いた。

背後の電車車庫は3線ほどの木造のもので、色はわからないが明るい、白系に近い色に思える。なんとなく、アメリカっぽい感じが漂う。電車は・・。

 

先日、鉄道系の友人たちと集まって飲んでいた。比較的運転関係に強い人たちの集まりだったので、車両とかのことはあまり話題にならなかったのだが、話しながら思ったのは、俺、さいきんの各路線に走っている車両の形式、ぜんぜんわからなくなったな、ということ。地方都市の地下鉄なんて、そもそも最近開業した路線すらわからない(福岡市営七隈線って?なにこのきみどりの電車?仙台市東西線?そういえばどっかで聞いたような。。)。

 

首都圏の鉄道ならなんとかかんとか、アップデートはしているつもりだが、結構知っているつもり、というのが多いのかもしれない。白状すれば、名鉄なんか、何が主力なのか、言えない。日車ふうの、京成3000系みたいなたたずまいの電車あたりが中心なのかしら。。

 

それがショックに思えるのは、一時期はかなり各路線の車両構成について、頭に入っていたからだ。一番知っていたのはやはり80年代のはじめくらいかな。。雑誌記事もフォローしていたし、例えば保育社の私鉄電車シリーズ、なんていうのもそろえていたりした。自分は一通りわかっている、という意識がどこかにあると、時代が変わり昔とは違ってきたときにつらいというか、気づきにくくなりますね。まあ仕事でもそんなことが。。

 

今の若い子たちなら、E231系の路線、製造時期ごとの細かい違いが分かるように、自分たちもある時期のある路線や鉄道の車両についてはいろいろと語ることができる。。が、それを数十年にわたりフォローし続けるのは、う~ん、不断の努力が必要なのですね。。

 

それで、知ってるか近鉄’69ですが、これは名古屋線の前身伊勢電鉄のモハニ221であったようだ。取材当時名古屋線に2両が残存していたが多くは養老線に転出していた。小柄で多少窓配置に特徴があるが、同じ時期の関東私鉄に比べて、も軽快でいかにも速そうな感じがする。調べてみたら、「私鉄電車プロファイル」(機芸出版社)にも記載があった。

この時代の名古屋線は、大阪線系統の大型車と、狭軌時代からの中小型車が入り乱れて、かなり興味深い車両構成であったようだ。

 

今の名古屋線車両のことも、聞かれるとなんとも答えられないですね。。私が知っているのは、1400系統のVVVF車と、さいきん?シリーズ21なるものが出たらしいということ(^^;、古くからの1800系統、2800系統もまだ活躍しているらしい、ということぐらいかな。

2016年8月29日 (月)

夏の踏切

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前回の京都線に続き、今回は南大阪線です。前回同様、誠文堂新光社の「近鉄」のカット写真から図案を拝借しました。ただし、実際の写真には中央に道路標識がかぶっていましたが、イラストでは外しています。今回はちょっと手抜き気味で、白いところが多すぎるかな。。本当は無理せずに、薄墨を使ったほうがいいのでしょうね。
もとのカット写真はコントラストが強く、正面が影になっていて必ずしも教科書的な写真ではないのですが、雰囲気はいい。
 
針中野-矢田間の写真、おそらくは1968年の撮影だと思いますが、8年後にこの区間は高架化されていますので、今は見ることができないようです。
 
林立する架線柱や周りの雰囲気が、いかにも都市部の電車路線という感じで、好ましい感じがします。
 
南大阪線、実は乗ったことがないです。「近鉄」の時代(1969年ごろ)は、旧型の6601型が活躍していて、その豪放なスタイルにとてもそそられるものを感じますが、今はどんな雰囲気なのでしょうね。
関東から見ると、路線長のわりに車両数が少ない感じがします。というより、関東私鉄はどこも編成が長くなりすぎという気もしてくる。。

2016年8月 8日 (月)

近鉄京都線小型車を描く

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昨年書いた、近鉄奈良線の地上時代のあと、次の絵としてこれを書きかけていた。が、架線柱やら背景の住宅やらが多くて描きにくく、いろいろあって手が止まっていた。
 
参考にした写真は前作同様誠文堂新光社の私鉄電車ガイドブック4「近鉄」(1969)に記載されたカット写真である。
高架線、標準軌、小型車の短編成というのが、どこかアメリカのインターアーバン-都市鉄道っぽいイメージも感じられ、頭の隅に数十年巣食っていた映像だ。
 
京都線の伏見駅から丹波橋方面を見た風景らしい。はるか先に見える天守閣らしいもの(これは昔のテーマパーク的な施設としてつくられたものらしい)が印象的だ。
 
電車は整ったデザインの600型3両。全長15m,全幅2450mm、阪神ほど細身ではないが、良く整った側面に比べるとやや車体幅がコンパクトな印象だ。
 
関西急行モハ1を小さくしたような洗練されたデザイン。日本風味を加味したインターアーバン。こういう車両は戦前の関東私鉄には存在しなかった。「私鉄電車プロファイル」を見ていると、当時の東西格差は相当なものだったのだろう(もちろん西高東低)。わずかに京浜-湘南電鉄が気を吐いていた程度だ。
 
これが1968年ごろの風景だとすると、奈良電鉄から近鉄京都線になってから5年ほど経過したころ、ということになる。子供のころ、もし身近な鉄道が、ある日突然別の会社に編入されたら、どんな気分だろうか、と考えたことがあった。。70年代から80年代半ばくらいまで、鉄道の廃止はあっても合併や吸収みたいなことはなかったからね。むしろ今のほうがそれほど珍しいことではないけど。
 
奈良電は普通に中型の車両を使っていたようなので、車両限界的には問題はなかったと思うが、運用の都合で京都線でも使われたのだろう。
 
小型車たちは’69年秋の昇圧で多くが廃車となったが、一部はMM'ユニットを組む形になって生き残った。これも長くは続かず、奈良電が貨物電車の電装品を利用して製作した湘南窓の異端車モ409+ク309の編成を残して、70年代半ばまでに廃車になった。
 私鉄電車ガイドブックの新版は’78年の発行だが、ここには409F以外の小型車は掲載されていない。
 
409Fは車体だけ見ると近鉄らしさはぜんぜんないのだが、ずいぶんと長生きしたようだ。私も'80年に生駒線かどこかで見かけて、写真も撮ったような気がする。乗ったかどうか、覚えていない。
 
昇圧前の600型などは、模型にするにはいい題材だと思うけどな。。今ならNでも部品があるので、作りやすそうな気がするが。。

2015年12月13日 (日)

近鉄油阪付近

先月近畿日本奈良の併用軌道のことを書いた。その時誠文堂新光社「ガイドブック」昭和44年版掲載の写真をイラストにしたものを掲げたが、あのとき同時に油阪付近をモ680型が走る写真も書きかけていた。

しかし、こちらのほうはちょっと難産で、うまくかけずにしばらく放置状態になってしまった。その後週末落ち着いて家にいる時間もなく、絵を描く気にもなれずにいたが、今朝ようやくペンを取る気になった。
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特に主題のモ680がいまひとつ・・。もとの写真が、アングル的に少し描きにくい位置にあること(側面がごちゃつきやすい)、モ680自体が、平凡なようで微妙なスタイリングなことなど、私の画力では厳しかったようだ。近畿日本奈良の時は、あまりディティールを入れずにさらさらと終わらせたのだが、こちらは書きこんでごまかさないと様にならなくなってしまった。

なんだかマイクロエースの電車とか、建物コレクションみたいになってしまった(失礼)。

もとの絵がモノクロなので、ペン画にするのは比較的楽だが、2次元の写真を改めて絵にすること自体、けっこう難しいのだ。写真は日中小雨の時の撮影らしく(奥のほうに傘を差した人が映っている)、光が比較的回り込んでいて陰影が少ない。スクリーントーンなどを使わずに、丸ペンだけで微妙な陰影の差を再現するのも、これまた難しかった。

ただ、写真というの実に面白いもので、パッと見ただけでは気がつかないが、こうして絵にするためにルーペなどで見ていくと、実にいろいろなものが映りこんでいることに気がつく。最初は黒っぽいごちゃごちゃにすぎなかったものが、よく見るとトラックの後部が見えてきたり、樹木の向こう側に建物が見えてきたり。

この写真は前回書いたように昭和43年のおそらく7月ごろの撮影と思われる。

一見何ということのない町風景だが、よく考えてみると今はもう見ることのできないディティールが見られる(まあ、鉄から話が外れるが、例えば蒸機時代のレイアウトなどを作るとしたら、参考になるかもよ。といっても、細かすぎる話だけど)。

どちらの絵にもコーン型のポールが映っているが、黄色と黒のゼブラ模様のもので、おそらくゴムのような材料でできている、ちょっと重い奴だと思う。考えてみるといまはこういうものではなく、紅いプラスチックのコーンが普通ではないかと思う。昔のは肉厚だったが、プラの奴は薄くて、使わないときは積み重ねておける。

黄色と黒のゼブラ、というのも、考えてみると世間であまり見かけなくなってきた。もちろん踏切とかは今もあるが、昔はもっとあちこちで見かけたような気がするけど。入替専用になった蒸機の煙室扉や端梁をゼブラ模様にしたり、鉄道には割となじみ深いですよね、虎縞。
ここでは、電信柱の何というのか、地面から斜めに張られているケーブルのカバーにも、虎縞が施してある。途中に野球ボールのような、白い陶器の碍子がついているが、こういうのって、いまもあるのかしら。

商店のショーウィンドウと入口のところに留めてあるスーパーカブ、軒のところにかかっているナイロンか何かの縞模様の庇、なんでもないディティールだが、いずれも今日こうしたお店にお目にかかることは少ないのではないかと思う。

このお店は何を売っているのか、よくわからない。その手前に灌木(イチョウだろうか?)が茂っているが、ここはどうやら旅館らしく、ネットで見つけた別の写真を見ると、モルタルづくりの大きな建物が樹木の背後に映っている。樹木と建物の間に、国道と並行する細い道があり、画面手前に向かって緩く上り坂になっている。奥に白壁の、傾斜のきつい屋根の家が見えるが、ストリートビューを見るとこれはどうやら現存するのではないかと思う。

ただ、そうだとするとその手前の低い屋根の家のあたりに、今は3階建てくらいのビルが建ち、商店のあたりは駐車場なのだが、この推理が正しいかどうか、ちょっと自信がない。旅館だったらしいところは普通の民家と駐車場になっている。道路は画面左側の建物を撤去して拡幅したらしい。

油阪駅は画面奥、線路のカーブした先にあったらしい。ホームらしきものが見える。

近鉄奈良線は地下を走っていて、今は見ることができない。国鉄(JR)関西本線は今は高架を走っているので、遠くからでも見ることができそうだ。画面奥に向かってあるいていき、高架が見えたら左に曲がってしばらく歩くとJR奈良駅の前に出る。昔の奈良駅舎も残っている。’09年に訪れたときも、そうやって歩いていった。1980年夏にも、近鉄奈良から国鉄奈良まで歩いたと思うのだが、その時の風景は記憶にない。


2015年11月 4日 (水)

近畿日本奈良駅の併用軌道

誠文堂新光社 私鉄ガイドブック・シリーズ「近鉄」初版は、中学の時図書館で借りて以来バイブルとなっていて(なんでなのか、自分でもわからないのだが)、掲載された写真や記事は、自分の脳の海馬の奥の方に、深く染みついている。

ふしぎなもので、子供の頃に頭に焼き付いたものは、たとえ行ったことのない風景であっても、自分が直接見聞きしたものと区別がないように思える。同じように懐かしいのだ。
ただし、基本的に自分の見た風景はウェアラブルカメラの動画だとすると、写真の風景は文字通りスチルカメラの2次元的映像なのだが。

奈良線の油阪-近畿日本奈良間もそんな、実際には見てないけど見たような風景、の一つだ。

ガイドブックでは個別車両の形式写真と共に、カット写真も掲げられている。併用軌道区間は2ショットが掲載されていた。一つは油阪駅付近、もう一つは近畿日本奈良駅に進入するところだ。この本の写真は、昭和43年7月から44年7月までに撮影されたものを掲載した、と言うことなので、これらの写真はおそらく43年夏頃のカットと思われる。どちらも工事が進行している途中の写真らしい。

その写真、だが、ここで転載するのは著作権の侵害なのでできないっす。
ので、ちょっと思い立って、写真を元にイラストを描いてみました。

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さらさらと書いたのでちょっと荒いですが。
このカットは大好きな写真の一つだ。撮影された方は本当に写真がお上手なようで、荒れ気味の併用軌道から車体をくねらせて、大型車が駅に侵入している様子がよくわかる。

傍らでは作業員が合羽を着ながら作業に余念がない。ただ、監督らしき人がこちらに視線を送っている。その背後、解体しかけている民家では、少し開けられたシャッターの奥からおっさんが工事の様子を眺めているようだ。
工事用トラックの傍らに、なんだかわからないが大きなリールのようなものが置かれている。非常に印象的だ。

左側に目をやると、黒っぽいクラウンのハイヤーが土埃をあげている。駅の近くにも軽自動車(スズキフロンテらしい)が止まっている。

もちろん今はこの風景は一変している。道路は3車線に拡幅され、右の民家のあたりはバスターミナルか広場担っているのかな?8000系のいるあたりに、たぶん駅ビルが建っているんだと思う。

イラストは写真を元にはしているが、昔からの癖でパンタが無用に大きかったり、建物や小物の位置関係も多少ずれている。別の機会に書くが、油阪までの併用軌道区間の一部は、50年以上前も今も余り変わっていないところがある。さっきストリートビューで見たけど、本当に同じ建物が写っているのだ。さすがは奈良だなあ。

冒頭で書いたとおり、私がこの風景に直接接した訳ではない。私が奈良を訪れたとき、駅は既に地下にあった。’09年秋に訪れたときは、その地下駅もすこし古めかしい雰囲気を漂わせていた。
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京都から乗ってきた特急(だと思う)。これは昔から変わっていないですね。_dsc4898
奥の8400系も、ガイドブックの頃既に登場していましたね。

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昭和43年頃も、京阪から乗り入れ直通車が来ていたようです(車両は旧奈良電車だったらしい)。
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雰囲気横浜から川越まで直通する、というのと似ているでしょうか・・。

関西私鉄の常で、地下駅でも構内はかなり広かった。なんとなくレトロなムードは漂っていたな。ラッシュ時は終わった頃で、ほとんど人がいなかった。

JRに用があったので、このあと地上に出て歩き始めたが、併用軌道の面影は探すべくもなかった(先ほど書いたように、建物は残っているのだが、そのときは気がつかなかった)。
JRも高架化されていて、JR奈良駅も全然変わってしまい驚いた。ので、当時の面影を追う、ということはできなかった。

イラストだが、こういうのは作品としてはどうなんでしょうね。一応完全にオリジナルだとは思うけど・・。





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