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2017年4月10日 (月)

ももいろクローバーZ駅

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鉄の方よりは、一般のファンの方たちのほうで話題になっているのかもしれませんね。
ふじみ野駅がももいろクローバーZ駅(ん?ももいろクローバー駅Zなのかな?)に駅名変更・・期間限定ですが。
 
といっても、ホームの駅名票や車内アナウンスは変わらず。
それどころか、西口側の駅名表示も変わっていない。
 
東口側だけ変わったのは、こちらからコンサート会場方面に行くバスが出ているから、だと思います。
 
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遠くから来る人のために、「ももクロ」などという案内表示が出ています。
他にも、改札を入ったところで迷わないように、「川越方面」「池袋方面」という表示が大きく掲げられていました。
 
遠方からファンがたくさん訪れたのかな。
 
私自身は超多忙のさなかでしたので・・。この写真を撮るのがせいぜい。
 
今日は、レイアウト(うさぎ鉄道)現宅での最後の運転をしました。(たぶん)。
普段出しっぱなしの車両は撤収。この木曜日に、人間に先立ち転居先に移転します。

2017年3月 2日 (木)

快速

ああ、ついにこの日が。。

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区間快速ではなくて快速として乗車したのは、1996年頃が最後かな。。乗車距離に比して設備も適切で、かなり好きだったんですけどね。。 
 
最近は区間快速での乗車がなんどかありますが、停車駅が多く、乗っていると昔の客車鈍行を思い出すような雰囲気でした。
 
思い出すのは、6年前の成人式の3連休のとき、宇都宮に餃子を食べに行きました。行きは新幹線に飛び乗ったのですが、帰りは東武にしようと、駅を探して歩き始め・・。場所も知らなかったし、まあ川越から本川越行くぐらいの位置関係だろうと思っていたのですが・・。
 
とにかく、新栃木から乗車した区間快速、かなり混雑はしていたけど、なんとかボックスシートの一隅を確保。自分のボックスには前にちょっと怖そうな労務者ふうのおじさん、もう一人は忘れたけど、となりには髪をアップにした、たしか着物着た中年の女性。この人、たぶん年末年始に、鬼怒川温泉あたりの旅館で臨時雇いしてたんじゃないかと、想像したりしましたが。。荷物はキャリーバッグに小さくまとめられ、妙に職業っぽい雰囲気を漂わせながら、おとなしく座っていた。
 
反対のボックスは、かなりくたびれた様子の家族連れ。やはり鬼怒川温泉辺りに泊まっていたのでしょうか。長旅に子供が飽いてぐずぐず言ったり、ふざけまわったりしていたが、親たちは叱る気力もなさそうな。。予算の関係でスペーシアには乗れなかった感を漂わせていましたが、たしか春日部を過ぎてもまだ乗っていた記憶はあるな。
 
なんというか、客層が、例えば上越新幹線や常磐線特急などとはずいぶん違う感じがして、とても印象に残っています。やはり長距離鈍行っぽいというか。。
 
最近では2年前に、南栗橋から乗った記憶があるな。南栗橋は田舎ではあるが、東急車10両も入って来るし、駅施設は普通に都市部の電鉄式の作りだ。時折入線する6050は編成も短く、なんとなく場違いな雰囲気を漂わせていた・・。これが春日部とか、北千住あたりだとしっくりくるんだけどね。。
 
6050、その前の6000系は東武車の中でも特に好きな電車だけどなあ。その割に写真はあまり撮っていないけど。西武における4000系みたいに、時折臨時かなんかで運転すれば、かなりプレミアム感をもって迎えられるのではないかと思うが。
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2017年2月 5日 (日)

TJ中毒

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昨年まではたまにしか利用のなかったTJライナーだが、今年に入って週に数回利用するほどのヘビーユーザーになりつつある。。
 
私のTJ利用基準は、「今利用可能な最短時間で目的地に到達できる列車を利用する(一定基準のもとで料金の要不要は問わず)」、であり、もし数分前に出発する準急に間に合えばそれに乗る。最近の準急は結構空いているし、途中で座れることも(時間帯によっては)珍しくない。
 
ところが、遅い時間の準急はふじみ野で接続せずに、途中でTJに抜かれてしまう。ので、それなら10分待ってTJに乗ったほうが速いことになり、TJ利用可能時間帯が増えてしまった。
50090系のクロスシートはリクライニングしない(よね?)し、非常に快適というわけではないが、確かに定員乗車で必ず座れるのはありがたいのだ。
 
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先日、京都の知人(鉄道ファンではない)と話をしていて、TJのことを話題にした。
知人は大阪に出向くときはいつも、料金不要特急に乗る。クロスシートで快適な車に乗れるので、非常に便利だ、という話をして、それにくらべ関東は・・という話になった。
 
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別に珍しい話でもないが、関東地区のクロスシート欠乏症は深刻だ。
中電がセミクロスシート車だったのは遠い昔の話になり、今や普通車のクロスシートはおまけ程度、どうしても乗りたければ料金を払って、というのが定着している。
そういえば着席通勤は小池百合子都知事の政権構想に出ていたな。
 
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6050系のクロスシートは快適だが、利用者としても現実問題として、こういう車が首都圏近郊で幅を利かせる時代が来るとは、あまり考えていないかもしれませんね。。
たぶん、6050の後継は出てこないのでしょう。。
 
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一方で、直通区間の長距離化が進んでいるわけで・・。多扉、トイレ設備付で、マルチアレンジシート付の車を発展させていくしかないでしょうね。。
とにかく、安易にTJに乗ることと、仕事中につい甘いものを口にすることは、最近の私の悪い癖。。

2016年12月31日 (土)

東武6000系と、うさぎ鉄道のこれから

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東武の関連グッズサイトAccessでは、今年は17系(モハ1700)が目玉商品として売り出されている。そちらも興味深かったが、現実問題として自分は実物を知らない(’71年にDRCと同型に更新。ちなみにうちのDRCはその更新型で、台車がコイルばねだった時代のもの)のと、ずっと売れ残っているこちらのほうが順番としては先だったので、この冬は6000系をチョイスした。2セットの購入である。
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いずれは動力化するつもりで、2両ではちょっと寂しいので4両とした。6000系はたしかペアーハンズあたりがキットを出していた気がするし、クロスポイントにも製品(キット)があった。ただ、私が見ていたときはすでに販売開始から長期間経過という状況で、再発売の予定はなさそうだった。
 
 Accessの製品も、1年以上売れ残っているので、それほど人気はないのだろうな。更新からすでに30年以上経過しているのだから、実物を知っている人も限られているし、現役当時も地味な存在だった。
 
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年末で忙しく、今回は軽く書くだけにとどめるが、いろいろと環境が変わりつつあり、うさぎ鉄道もこのまま存続できるかどうか、微妙になってきた。ある程度ゆったりした線路配置で、20m車をそこそこの編成で走らせることのできるレイアウトとして、うさぎ鉄道はとても扱いやすい存在だった。鉄道模型は好きな時に気楽に走らせるもの、と思っている私としては、なんとも言えない気持ちだが。。
ちょうど昨日が、開業7周年に当たる。
 
まあ、まだ本格的に話が進んでいるわけではないのだが。年末にそんなことをかきながら、今年も暮れていきますね。。

2016年12月25日 (日)

赤い電車

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クリスマスイブのイベントなど別に何もないのですが、せっかくなので普段はめったに運転しない車両を引っ張り出してみました。
安物の赤ワインを飲みながら運転。
 
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東武1800は10年くらい前に買ったかな。あのころは物価が安くて、6両で17000円ぐらいだったようです。
 
253系は実物が登場して間もなく発売された製品を、発売時に買った記憶があります。天賞堂で、KATOとトミックスを比べ、KATOを選びました。そろそろトミックスがHG路線になってきていて、3両基本、増結3両を合わせるとかなり高くついた。KATOは室内灯標準装備で6両セットだった。
 
当時のこととて、室内灯は電球色です。未だにうちでは唯一の室内灯装備車両です(スハ431両だけ、室内灯装備したことがあるけど、今は電球が切れてしまったらしい)。トラブルが起きるのを嫌って。。
 
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1800は今でも人気がありますね。はっきりした赤い塗装は、東武らしからぬ感じがしたもの。デザインは急行用らしく節度のあるもので、今見ても新鮮です。
 
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253系も、今見ても非常にあか抜けたデザインですね。1991年に登場して、この写真の頃(2009年)には後継車の登場が告げられていましたので、かなり交代が早いな、と思いながら写真を撮っていた記憶があります。
 
両車に共通するのはシートがリクライニングしないこと、かな。1800は回転はしますが、253は集団見合いだっけ、集団離反だっけ。一度乗りましたけど、ちょっとびっくりした記憶がある(後期型は回転式)。空港アクセス特急として、ビジネスライクに徹底していたのでしょうね。赤黒のシート模様は格好良かったな。
 
強引に両車の縁を続けると、253はこののち日光特急に起用されることになり、東武線内を走ることになりますね。まあ、1800も300,350になって、日光方面に行くこともあるので、そういう意味でもつながりはあるかな。
 
しかし、あの赤と黄色の253は、登場時の良さが思い切りスポイルされている気がして、個人的にはどうもねえ。。
 
というわけで、安酒は悪酔いするようでした。。

2016年6月26日 (日)

東武81103F 新製艤装のころほか

久しぶりに古い写真の話だ(たしか、一部の写真は以前にも掲げた記憶があるが、いま探しても見つからなかった・・)。

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1980年、いまから36年前の6月中旬か下旬ごろの土曜日のことだ。
当時学校は半日だったが、帰りに鶴瀬駅の貨物側線に8000が止まっているのが見えた。
いったん帰宅してカメラを持ちだして、駅に戻った。
この側線は、今でも線路の一部が残っているが、平日は毎日貨物列車が退避していた。もうだいぶ記憶が薄れてしまったけど、たしか午後3時台に下板橋を出発して、この側線で40分近く退避する。貨物列車の廃止は1986年10月のことで(たしか14日)、廃止直前に写真を撮りに行った。そしたら、秋の日は短くてすでに暗くなりかけていて、当時せいぜいISO400だったネガフィルムでは撮影できなかった。
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電車は81103Fだった。前年11月のダイヤ改正時(柳瀬川駅開業、大山駅の踏切解消と各駅停車の10両化など)、8193F-81101Fという大量増備を行ったが、この年はこの81103Fと81105Fの2編成16両が新製された。
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この年の増備車の特徴は何といっても、この押え金式のドアだ。8000系は1963年の登場時から74年の8166F,8568Fまでが黒色Hゴム、内張り鋼製塗装の仕様で、8167F、8569Fから黒色Hゴム、内張りステンレス無塗装になった。
Hゴムというのは、今はほぼ絶滅したと思うが、1950年代半ばごろからこの頃にかけて、固定窓の取り付け方法として広く普及していた。ゴムが劣化してしまうのが問題らしくて、1970年代の終わりごろ登場した新車はアルミ押え金方式に変更されたものが増えてきた。
押え金方式自体は別に新しいわけではなく、東急や営団などでは古くから採用していた(両社ともHゴム方式の車両と併存していたが)し、関西ではHゴム方式のほうが珍しかったんじゃないかな。イニシャルコスト的に、Hゴムのほうが安かったのかもしれない。
国鉄でいえば、79年の201系試作車は全面的にHゴムが排除されていて、側面の雰囲気がかなり変化した。
余談ですが、古いクリームと赤色の電話ボックスも、窓の固定は黒色Hゴムですね。あれと、今でも見られるアルミ押し出し材の電話ボックスの間に、アルミ製で窓を抜いたようなかたちの過度期的なボックスがあったと思うのだけど、今検索しても画像が出てこないな。。
話が横道にそれた。
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このときは、車内の広告などを取り付けていたので、営業運転に向けた最終段階だったのだろう。
鶴瀬駅ふじみ野方には、いまでも保線車両向けに簡易渡り線があるが、当時は普通の分岐器を使った本格的な渡り線であり、今とは逆に上り線から下り線への片渡りだった(ちなみに、保線車両の側線も当時からあったが、ポイントの分岐方向が今とは逆で、ホーム先端部にポイントがあった)。
前述のように、退避線は午後遅くの貨物列車以外、通常は使用されていなかったので、こうした試運転列車にはよく使われていたようだ。
このあと9000系試作車が習熟運転のため、この側線に止まってるのを見たときは、それこそ狂喜乱舞したものだ。。
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ついでなので、同じころ撮影した池袋電車区(当時)のスナップ。カメラはOlympus OM-1、レンズは50mm F1.4なので、網目が切れないですね。左の編成は中間3両が非冷房という、当時の典型的な編成。ATC化のため、先頭車だけ新製して、中間の8両が全部非冷房という編成もあった。この場合、電源がないのでクハの冷房も使用できなかった。が、一部の利用者は、運転士だけ冷房しているんだろう、と勘繰る人もいたりした。。
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赤羽線が103系になったのはたしか’78年初めごろ。山手線が黄色の101系から103系に変わったとき、赤羽線のみ101で残されていた。103系化されて、黄色塗装のみ引き継がれた。
もっとも、全車黄色の編成はめったになくて、当初から黄色と緑の混結が多かった。クハは低運が主力だったが、次第に緑のATC車が先頭に立つことが多くなり、'79年には黄色いATC車が登場した(新製ではなく、200番-300番台の塗り替え)。今見ると何とも思わないが、高運転台の黄色いクハが出たのはこのときが最初だ。
黄色は埼京線には引き継がれなかった。今思うと、外回り電車は新宿でも池袋でも、ホームの反対側に黄色い電車が止まっていたわけで、勘違いして誤乗するひともいたのではないか。。

2016年5月30日 (月)

TJ With The Beatles

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池袋からTJライナーに乗るチャンスは、意外と少ない。休日でも夕方17時以降は30分おきに出ているが、10分前の急行に乗っても、ふじみ野には数分先着する。池袋の改札に着いたとき、ホームに急行が止まっていたら、それに乗ったほうが安いし早く着くのだ。確かに着席はできないが、着席整理券は310円、乗車時間は20分ほどだし。。
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早くから列車を待つ人も結構多い。とにかく座っていきたいという人は多少遅くなってもそうしたいのだろう。私は休日の利用がほとんどだが、一度平日10時過ぎに利用したことがある。疲れて帰るときに、着席できるのは実にありがたかった。
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とにかく、自分のルールとしては、「現在利用可能な最短時間で目的地に着ける列車を選択する」という原則に基づき、列車を選択する。ので、10分前の急行に乗れれば、それを使う。
 
 TJ発車1-2分前だと、整理券が買えないので、あきらめて次の準急に乗る。一度、5分くらい前に券売機に並んでいたら、前の人で整理券完売になってしまったことがあった。
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余談だが、年に数回用務で出かける常磐沿線の駅から帰京する際、数分の差で「ときわ」より普通のほうが速い時がある。特急より1.5倍以上時間がかかるが、原則に従いそういうときは普通に乗る。。ただし、グリーンに乗れるのでそんなには疲れないけど。。
 
 チャンスは少ないとはいえ、最近頻繁に東上線を利用するので、この春以降でも数回TJを利用した。簡素なクロスシートだし、乗車時間も短いが、それなりに旅気分を味わえるものだ。
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最近は耳に悪いので電車で音楽はあまり聞かないが、今日は今日はBeatlesのWith The Beatlesをかけてみた。8000系がデビューした頃、イギリスでリリースされたアルバム。車窓に見えるのは、私が生まれた街。
 
 ビートルズって、ちょうど日本の高度成長期の時代に活躍したグループだからか、彼らの初期の音楽を聞くと、なんとなく昔の「第一こだま」とか、「雲仙・西海」とか、京王5000系とかが走っている姿を連想しまう。。
                                 
 最新の8000の車内で、ゆうべFENで聞いたビートルズの最新版のことを語り合う若者、なんてシーンも、そのころ実際にあったかもしれない。。50年以上前も今も、人々の風景はそう大きくは変わっていないような気がする。
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車窓の風景を眺めながら、そんなことを考えていると、もう別になんだっていいや、などとつい諦めたくなるこの人生にも、少しは未練が残っているかな、という気がしてくる。
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8000が去ってから、これのことがなんだか気になって(先日不幸にも事故に遭ってしまったけど)。'83年の秋、習熟運転のために鶴瀬の貨物側線で退避していたのを何度も見たのに、あの時は写真を撮りそびれてしまったんだよな。。

2016年5月19日 (木)

東武東上線脱線事故

既に報道等でご覧になったことと思いますが、18日12時12分頃、東武東上線の普通列車が、中板橋駅を発車してまもなく脱線、列車は中板橋-大山間で立ち往生となり、乗客は最寄りの中板橋駅に徒歩誘導されたそうです。けが人等はいませんでした。

18日午後8時現在、池袋-上板橋駅間が不通となり、上板橋-小川町間で本数を減らして運行されていました。現場総出で復旧作業の結果、19日は始発から通常運転となったようです。いや、本当に大変でした。ご苦労様です。

事故を知ったのは昼過ぎ、会社の子が教えてくれたのですが、そのときはそれほど気に留めていませんでした。帰宅時になっても復旧しないのを知り、だいぶ大事であることがわかってきました。
夕方、日本橋で用務を済ませたのですが、まだ7時過ぎ。いけるかな、と思い、大手町から三田線に乗りました。板橋区役所前から歩くことしばし。。

野次馬根性丸出しで、いささか申し訳ないのですが。。(幼なじみの子から、物好き!といわれてしまったけど)。

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最初に大山駅に寄ってみる。駅の照明はついており、改札も機能していた。バスルートなどの案内も、比較的詳細に表示されていた。
駅を訪れる人はそれほど多くはなかった。当然だが、駅前の繁華街は通常通りのにぎわい(人はすくなかったかも)。
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大山からしばらく歩き、看護学校のさきあたりまでいくと、列車が止まっているのが見えてくる。

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中板を出てすぐ、カーブしながら築堤をのぼるあたりです。

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'11年7月。これしか写真がなかったけど、現場はこの奥のマンションの先の方かな。
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脱線した車両を切り離したところでした。
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一時は踏切が開かなくなっていたらしいが、このときは開いていた。線路の部分は細いひもを張ってあり、職員が見張っていた。

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中板の駅前の踏切付近。
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線路が相当のダメージを受けていたらしい。
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こんなときにあれですが、この踏切で思い出すのは、5年前の震災の頃、ACのCMで「こだまでしょうか、いいえだれでも」ってCM、あれに一瞬出てきてましたね。

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ポイントマシンがいったん外されています。
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中板橋駅。1,4番線に列車が留置されていました(室内灯は消灯され、たぶんパンタも下ろされていたと思う)。
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中板からときわ台は列車だと近いが、線路沿いにはいけなくて、すこし歩く。
左にバスが見えるが、代行バスで、ここから上板まで行く。短時間で代行輸送のバスまで用意できているのはさすがと言うべきでしょうね。
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ときわ台から上板までは線路沿いにずっと歩いて行ける。ただ、多少距離はある。列車が発着しているのを見るとほっとする。
一部報道に池袋-和光市不通と、遅くまで書いてあったが、上板まで復旧したのは影響をすこしでも低減することに寄与していたと思う。
ここから池袋へ行くには、いったん森林公園方面の列車に乗り、下赤塚で降りてメトロに乗り換える。駅のアナウンスではそう言っていた。

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4番線は回送の50090、3番線の10030は森林公園の行き先を示した状態で、このあと引き上げ線に入った。上板橋の方向幕は残念ながら撮れなかった。
掲示されていたのでしょうかね。

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上板橋駅改札の案内。かなり本格的な掲示。
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下り方面の案内板は生きているが、上り方面は事故の時点のまま止まっているようだ。写真は撮れなかったが、大山のホーム案内板は、上りは事故の時点で止まっており(12時xx分 池袋行き)、下りは通常ダイヤと思われる案内(見たときは20:01 志木行き)となっていた。中板もそんな感じだった。中板はなぜか自動改札が開いていて、乗客らしき人が出入りしていた。さすがにホームに人はいなかったと思うが。

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上板から森林公園行きに乗り、和光で降ります。「車両の一部が脱線した・・」とあります。
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ここから有楽町線に乗りますが、上りホームの案内板。一番上は生きてますが、次発以降の案内は事故当時で止まっているようです。
上板橋行きを待とうかと思いましたが、だいぶ時間が遅くなってきたので断念。

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池袋駅。報道が行き渡っていたのか、どこも人は少なめでした。和光市は多少人がいたけど、池袋の東上線改札はあまり人がいなかった。
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有楽町線、副都心線でバイパスされているので、混乱は少ないのでしょう。

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北池、下板の人は有楽町線、三田線または埼京線、大山も有楽町線と三田線で代替できる人が多かったと思う。ときわ台も三田線かな。上板、東武練馬、下赤は動いていたし、有楽町線も使えたので。
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池袋で印象的だったのは、留置されていた9001Fと10030が、中板と違って室内灯までついていたこと。今日中に復旧したら、すぐ使えるように、ということだったのでしょうか。

というわけで、怪我された方がおられずに、本当に良かったですね。影響を受けた方々、関係者の方々、お疲れ様でした。野次馬、失礼いたしました。




2016年3月29日 (火)

亀戸線の復刻塗装8000系

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亀戸線は2月に行ったばかりだが、その後、この23日にこのオレンジ/黄帯の復刻塗装車が運行を開始した。

3.4Kmと短く、日中2編成の運用でそこそこ本数もあるから、撮影はそう難しくない。
釣り堀の鮒を釣るようなものだ。。ただし、住宅地を縫って走るので障害物だらけ。

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この塗装は数年しか使われなかったそうで、一般の人はどれくらいこの塗装を覚えているだろうか。。昭和20年代生まれくらいの、電車好きの子供だった方々なら、かなり頭に刷り込まれているかも知れない。伝聞では(鉄道ピクトリアル2013年10月号東武東上線特集)、黄帯は近距離系の73,78型のみの採用で、32,54型などは一時オレンジ一色だったらしい。かつての写真を見ると、黄帯はこれほど太くはないように思える。

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亀戸水神駅前の踏切から、換算400mmで撮影。レンズの性能か、腕のせいかちょっと甘い感じ。

遠くから見ると’80年代の京成赤電のように見えないこともない。
そういえば、京成も3300型で各種復刻塗装を一斉に施したことがあった。

ここ数年の、8000復刻塗装ラッシュを見ていると、8000もそう遠くない先、5,6年ぐらいで、任務全うとなるのかな。。とか、ふと思ってしまう。

東武にとっても、8000は通勤型で最後の塗装車だし、20m車導入で余剰となる20000系が、今ローカルで8000のいるところに廻されていくのだろうな。。

あと10年もすれば、本当に自分たちが子供時代慣れ親しんだ車両たちは、全く姿を消してしまうのだろう。

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自分もおじさんになってから、こういう所でカメラ構えてのそのそしていると、人から声かけられるようになった。東武じゃなくて京急の大師線で1000を待っていたときも、買い物帰りのおばさんに「何か珍しいものが来るのかしら」と聞かれた。
「そうですね。。でも、見てもよくわからないかもしれません」 なんて答えたりした。

ここ亀戸も下町だから、通りがかりのおじさんも気軽に声をかけてくれる。まあ、これは珍しい色だから、普通のおじさんでもわかりやすい。
「これ1本だけなんですよ。ほかのは、普通の色です」
「あの、なんかくすんだような、こんなような(ベージュのブルゾンを指さして)・」
「しろ、ですよね」
「あれ、しろかあ?なんかもっと灰色がかったような色だよね」
ああ、この人、もしかしたらセイジクリーム時代のことを言っているのね。。
と気がついたけど、適当なこと言ってごまかした。

あと、亀戸水神駅でうしろから「こんにちわ~、こんにちわ」と声をかけてくれた、ニコンD4みたいなカメラをもった方、すみません、挨拶を返すのが遅くなりました。。同業の方とは気がつかなくて。。

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ノルマーレの塗装のは8568Fです。これ、貫通幌がちゃんとついているのがいいですね。

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昔の(特に関東圏の国私鉄の)塗装がど派手だったのは、なぜなんでしょうね。まわりの建物や風景が今とは比べものにならないほど、くすんだ色合いだったので、むしろ電車は派手にできたのかな。

京急なんか、赤と黄色ですからね。湘南色も歌舞伎カラーだし、東急、小田急はそれの応用みたいな感じです。東武も旧型車にオレンジ色、というのは総武流山電鉄的な、一畑電鉄的な、田舎者精神の発露なのだろうか。

考えてみると、そんな関東私鉄の中で登場した京王帝都5000というのは、ものすごくスマートでセンシブルに見えたことでしょうね、当時。

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20年ぐらいしたら、50000系使ってこれの復刻塗装とか、やったりして。

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今日来るときは東京駅から快速乗り継いで来ましたが、最初にここに来たときはどなたかいらしたので避けて別の場所を探した。少ししたら移動されたようなので、戻って撮影してみました。
亀戸-亀戸水神間です。

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実は今日ここにきたときも、新小岩方面へこれがジイジイ音を立てながら走っていたのだけど、歩いている途中だったのでカメラは向けられなかった。

で、今8000を撮っている途中で、また向こうからジイジイ音を立てて機関車が走ってくるのが、目の片隅に写った。
ので、返す刀で反対を向いて、捕らえた。

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出発風景。

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今日は天気が悪いと聞いたので、出かけるつもりはなかったのだが、日中はこの季節らしく暖かくて、快適でした。
雨は夜、酷かったけどね。

というわけでした。


2016年3月26日 (土)

春休み

ダイヤ改正で、鉄の皆さんはお忙しいことと思いますが(ぜんぜん他人事・・coldsweats01)、私は今回はお休み。去年は始発の新幹線を見送ったり、上野東京ラインに乗ったりと、元気でしたが、今年は肩こりで朝もしんどい。。

確かに北海道新幹線は大きなニュースでしたが、今更私が新線初乗りをしても。。他に関東近県で目立つ改正項目はないな。もちろん色々変わってはいるが。

あくまでも個人視点ですが、あえて言えば東上線平日の通勤急行廃止でしょうか。。

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ファンの皆さんの間ではけっこう話題になっていたようです。早起きして写真撮ろうかと思ったけど、やっぱり元気なかった。

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志木まで各駅に停車し、朝霞台を飛ばして和光市、成増、と停車というパターンは、設定時から変わりませんでした。

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昭和62年8月25日の、有楽町線直通開始ダイヤ改正で登場。それ以前は、朝ラッシュ時(ピーク時間帯)は準急と各停による運行でした。

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開業時の「ゆあ東上」臨時増刊。池袋朝7時半から9時までに到着する準急以上の列車は、改正前準急13本、急行1本だったものが、改正後は急行1本、通勤急行7本、準急8本となり、2本増加とあります。また、通勤急行は準急に比べ3分のスピードアップになるとあります。

複々線開業による、スピードアップのメリットを生かしたい、という意図があったのでしょうね。

当時は急行は朝霞台停車はなく、そもそも改正前は和光市にも停車しませんでした。ふじみ野もなかったしね。そんな時代に設定された優等列車と言うことで、時代と共に役割を終えた、という所でしょうか。

さて、春休み。

この時期は子供の頃、模型のかき入れ時だったという記憶があります。
ちょうど40年前、私は受験を終えて小学校から中学へあがるという時期だったのですが、思い起こすとずいぶんとあれこれ手を出していました・・。

前年暮れから(受験中なのに)作り始めていた、東武8000の中間車に着手。これは工作用ボール紙を使って作ったもので、車体が分厚くてドアが引っ込んでいた。8000系は8200、8300までは一応作ったが、結局編成にはならなかった。最初の8100がへろへろだったのに、8200になると技術が進んでいやにすっきりと作れるようになり、落差がすごかった。動力用に関水のモハ103を買ったのに、買うと惜しくなってクハやモハを追加購入して編成にしてしまい、動力の当てもなくなった。

ペーパー製の模型は難しいようなのでと、別途挑戦したのが東武クハ500。これは、ちょうどこの頃買った「私鉄電車ガイドブック1 東武・東急・営団」に写真が掲載され、「私鉄電車プロファイル」にもイラストがあるが、国鉄モハ42系をすこし短くしたようなクロスシート車だ。TR47に似たウィングバネ式台車を履いており、後に3050系に更新された。これを、0.3mm厚のプラバンで作ろうとした。

8000系は窓の桟という概念がなくて!?、外板と窓の中桟を同じ紙で作っていた。後から気がついて表面を少しはがして段差をつけたりしていた。なにしろ、小学生のやることだから。。クハ500はその反省から、車体はt0.3の板、桟は別に作って裏から貼り付けた。中桟など、0.5mmぐらいの細い帯になるが、頑張って作った。ドアのHゴムも立体的に作った記憶がある。写真が残っていないからあれだが、どんな出来だったものか。。これは左側面だけ作って挫折。

もう一つ、東武6000系も作りかけた。今度はt0.5の板で、屋根と側面を一体に作って折り曲げた。角の所は曲げにくいので、裏からシンナーをティッシュに浸し、こすってプラを柔らかくして?曲げた。ちょっとひびが入ったが、とにかくコの字型には曲がったと記憶している。ただ、6000のRの緩い先頭部は作れず、8000系のような前面になってしまった。これも、この辺まで作って、先には進まなかった。

もう少したって、5月か6月頃になって、今度は東武5300(デハ10)を作ろうとした。これは架空鉄道の車両と言うことで、塗装がフリーだった。ダークグリーンに窓まわりが薄いグレイが急行型としていた。一般用は上下がブルーで、ちょっと京成青電に似た色だ。なぜかしっかりと補強しなければと思い、16番で使うような太い角材を使って、屋根も朴の木か何かで作った。車体もまたボール紙になったが、今度は窓ガラスを1枚ずつはめ込みにして、そこに塗装で桟を書き込む、という方式にした。。1,2枚作ってすぐに音をあげた。。ドアは、どういうわけか薄いアルミ板(デパートで安く売っていた)を使っていた。

他にもなにか作ったかも知れないが、それにしてもたいへんな行動力だ。続かないという弱点はあるが。。

「レイアウトモデリング」に載っていた、井上大令氏の「私鉄風の電車駅」を元に、駅舎やホームをコピーして作り、拾ってきたベニヤの切れ端を使って簡単なジオラマを作った。学校のあるうちは、これを菓子箱に入れて持ち込み、友達に見せたりしていた。小さな駅舎などは女の子にも好評だった記憶がある。。

これを発展させて大レイアウトを作る計画も紙に書いたりしたが、それは実現せず、一般的な定尺ベニヤサイズのレイアウトに変更した。プランは最終的にはTMS312号(’74年6月号)折り込みの、中尾豊氏設計のものにしたが、そう決まるまでは関水のレイアウトプラン集からいくつか(N59型という、複線レイアウトとか)検討し、頭の中で列車が走る姿を想像しては楽しんでいた。

ベースをいつ調達したのか覚えていないが、新潟から親戚の子が遊びに来たときに、一緒に作るのを手伝ってもらった。その子が「完成するのを見て見たい」と言うので「そんなにすぐには無理」と行ったのを覚えいてる。

実際には試行錯誤して、2年近く遊んだ上、未完成のまま廃線になった。いや、廃線ではないのかな。頭の中にしまったまま、新構想で再挑戦ということで。
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いまのうさぎ鉄道本線が、この時のレイアウトのオマージュだということは前に書いたと思う。

1年後の春休みには、このレイアウトを作っていた。

2年後の春休みには既に新しいレイアウトがあった。これは簡単に線路をベニヤに止めただけのものだが、ロングラン可能なもので、買ったばかりのトミックス初代113系とか、GMのキットを組んだモハ43や寝台急行などを走らせた。

高校2年の春休みは、西武デパートで開催されていたペーパーキットコンテストに出品するため、東武7820系(16番、自作)を連日必死になって作っていた。一方で息抜きと称し、東急3450(やはり16番。自作)を3日くらいで作ったりもしたな。
その翌年には、営業を開始したばかりの東武9000系(9001F)を作っていた。

きりがないが、昔は元気だったな、と思う。今は体力もないのと、模型界全体が進歩しすぎてついて行けず、ついおっくうになってしまう。

さて、40年後の春休み。。

小松菜線は少しずつ進んでいるが、バラストなどを散布する前の段階。実は、ポイントの接触不良に悩まされている。ピンセットにティッシュの切れ端をつけて、軽く拭くだけで治るのだが、運転のたびに拭かないと止まってしまう。。。ポイントはPecoだが、こんなに調子が悪いのは経験したことがない。何か良い方法はないものか。。

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ちょっと長話でしたね。


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