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2017年3月18日 (土)

鉄道雑誌

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時折ここで触れているように、近々転居を控えている。転居先の都合もあり、手持ちのものを整理しているが、特に問題となるのが書籍、雑誌、資料などの紙類だ。
 
鉄道雑誌、鉄道模型誌について、ここ25年ほどは鉄道ピクトリアルを中心に購読してきた。最初に鉄道関係の雑誌を買ったのは1974年6月の鉄道模型趣味だが、それ以後一貫して43年間買い続けた雑誌というのはない。
 
鉄道模型趣味は’74年から買い始めて、10年間くらいは全号そろっていた。80年代の後半から90年代初めごろまではあまり買っていない。その後復活したが、2000年ごろを境に再び中断、たしか800号の記念号は後から買って、その後数冊買ったかどうか。山崎氏が筆をとっておられたころの記憶が忘れられないというのもあるし、最近の模型界の情勢についていけなくなった、ということもある。
 
とれいんは創刊号が書店に並んでいたことを知っている。書店で最初に買ったのは’75年8月号で、9月号も買ったが、月刊誌を2誌購読することは子供には厳しくて、しばらく中断。’76年1月から1年ぐらいは鉄道模型趣味と並行して買っていた。’77年以降は気に入った記事があるときだけ買っている。とはいえ、とれいんは雑誌としてはかなり高価な部類となり、もう何十年も買っていない。RM誌はよりカジュアルな内容だが、80年代の一時期買っていたことがある。
 
模型誌から入っていったので、実物誌を買うことがなかなかできずにいたが、’76年11月のジャーナルをはじめ、年に数回は気に入った記事のものを買っていた。’80年夏からはジャーナルを毎月買うようになった。種村直樹氏の自伝が掲載されていたころだ。
 
私にとって国鉄改革の前後はどうも暗黒の時代という印象が強い。80年代前半は地方路線の廃止、貨物の合理化、労使関係の悪化、職場規律の悪化のような暗いニュースが続き、鉄道趣味を続けること自体、苦痛に思えるようになっていた。 
 
ので、80年代後半ごろはあまり鉄道にコミットしておらず、だいたい自動車関係の雑誌とかを読んでいた。今から思うと、自動車時代は10年あるかないかというところで、鉄道に比べると短いのだが、車を買ってどこかに出かけたりとかをしていたので、それなりに印象は強い。車雑誌関係は一部を残してほとんど処分してしまった。
 
その後は鉄道に戻り、先ほど書いたようにピクトリアルを主に購読していた。ピクトリアルは鉄道専門誌の中では比較的薄くて保存はしやすいが、さすがに20年を超えると一定のボリュームがある。たしかピクトリアル900号のとき、鉄道研究家の根本幸男氏の書架が掲載されたことがあったが、900冊のピクトリアルで本棚一本分ぐらいはあっただろうか。
 
根本氏ほどの年期もこだわりも持つことができない私にとって、手持ちの雑誌すべてを保管し続けることは難しい。これまで、今思えば大変幸いなことに、保管スペースについてはそれほど気にしなくてもよい環境にいた。これからはそうはいかないし、今後もアーカイブスは増えていくことだろう。ので、自分にとってそれほど重要でない号については、処分することにした。 
 
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たくさん並んでいるように見えるが(そうでもないって?)、これがすべてではない。古い号は別の場所にあり、それは処分しない。ここにあるのは90年代半ば以降のもので、いまのところおよそ半分を処分することにしている。
 
まだ簡単により分けただけだが、90年代以降の鉄道模型趣味誌は大部分が処分される見通しだ。70年代のTMSはどれも-自分のジャンルとはちがうものであっても-記事として読ませるものがあるし、どこに何が書いてあったのか、ほとんど暗記しているものもおおい。90年代以降のもので、印象に残った記事、今でも思い出せる記事というのはほとんど存在しない。
 あくまでも自分の主観だ。紹介されている製品の出来、技法のレベル、文章、どれをとっても、最近のもののほうが格段に優れている。それなのにというか、だからこそ、昔の素朴な模型の素人っぽい文章による紹介記事のほうが、好ましく思えるのかもしれない。
 
ピクトリアルでは、車両ごとの特集、例えばオハ35系特集とか、キハ58系の現状、みたいなのは無条件で残したくなる。反面、信号設備の特集とかなどは、どうしても処分に回る確率が高くなってしまう。地域別でもたとえば、中央線今昔みたいのは残したいし、それ以外の東海、関西地区あたりになると、やや関心が薄れて処分に回ってしまうのはやむを得ないところか。
 
業者さんは明後日に訪れることになっているが、事前に問い合わせたところでは普通にある雑誌などはあまり値がつかないこともあるとのこと。正直、私も自分にとって値打ちのあるものは手放す気もない。。逆に言えば、そういうものを残しておきたいからこそ、網羅的な保存ではなく選別をせざるを得ないともいえるのだ。。
 

2016年12月 4日 (日)

「編集長敬白」が年内に終了(と、201系)

趣味界では有名なブログ「編集長敬白」が、名取編集長の退任に伴い、年内に終了することになった。

 
正直、毎日チェックしていたわけではないが、趣味性とニュース性が適当にバランスされた内容で、編集のプロらしく読ませる内容だったので、好きだった(まあ、好みが必ずしもシンクロしていたわけでもないが、その辺は自分なりに適当に読み流しながら。。)
 
名取氏の場合、趣味と仕事がかなりの割合でシンクロしていたわけで、うらやましい気もするが、それなりに気を使わないといけなかったり、私たちの知りえないご苦労もあったのでしょうね。ご苦労様でございました。
 
ブログが始まったのが11年前と書かれていた。2005年、平成17年である。それほど昔のこととも言えないが、つい先日、とも言い難い微妙な年代だ。
 
名取氏の記事にも書かれている通り、この10年のネットの進歩は、ブログから各種のSNSへの変遷をたどり、より即時的、断片的な情報が飛び交うようになった。ツイッターなどでは例えば、新車の甲種回送の様子がリアルタイムで人を変えながら報じられたり、一般の人でも事後現場の様子を、テレビニュースよりも早く詳しく投稿している。
 
とはいえ、そうした進化の方向性は、11年前にも示されていたことであり、技術の進歩に伴い、徐々に実現してきた、とも言える。これが21年前、1995年となると、インターネット上のコンテンツはごくわずかなもので、携帯やモバイル機器で画像を送るなど考えられなかった。
 
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 名取氏のブログが始まったころ、より半年くらいあとかな、中央線の201系置き換えの話が新聞にでた。たぶん、ネットの新聞記事を見たような気もするが、当時はまだ紙で読んで、時折スクラップにしたりしていたな。。
 
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 中央沿線の同僚(非鉄)がいて、ランチのときにそんなことを話題にしたのを覚えている。
私は中央線OBであり、ちょうど201系の全盛期?であった90年代初めの数年間、通勤で利用した。その後も、用務先に週に数回利用するなどしていたので、なじみ深い車だ。
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 ’05年の12月、はじめて買ったデジタル一眼レフ(Nikon D70s)で撮影した。センサーサイズの関係で、フィルム時代とは画角が変わり、手持ちの70-300mmのレンズがより望遠寄りに写せるようになった。それが面白くて、何度か撮影に行った。
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 201系試作車は、友人が持ってきた鉄道ファン(’79年4月号)で初めて知った。同年8月の、営業運転初日はニッポン放送の昼間のラジオニュースで知り、急遽新宿まで出かけたら、偶然201系が入線、そのまま高尾まで乗車した。カメラも何も持っていなかった。(自分のカメラはなかったし、フィルムは普段入れておかないものであり、どこかで買う必要があった)。
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 ’84年ごろ、両国かどこかまで毎日バイトに出かけ、すれ違う快速線にピカピカの201系が増えているのを実感。もらったバイト料でGMの201系量産車キット一式を買った。今でも探せばあるかな。
 
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 通勤で利用した数年間で、座席の色が茶系統から水色に、正面の特快ヘッドマークが電照式に、スカートがつき(これはいつだっけ?)、連結面の窓が塞がれた。電機子チョッパ制御のモーター音は独自のもので、高架線を走っていると遠くまでその音が鳴り響いた。
 
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KATOのこの模型を買ったのはたしか、'97年ぐらいだったかな。。
当時の最新の姿だったと思う。
 
もう2005年ぐらいになると、はた目にも老朽化が目立つようになる。「あずさ」や「かいじ」を利用するとき、(新宿まで乗りとおさず)八王子くらいで降りて快速に乗り換えないといけないときがあり、快適な特急から乗り換えると、うるさくて隙間風のふく車内をしんどく思ったことも一度や二度ではなかった。
 後年、E233系になってからは、その快適性ががらりと変わったことに驚いたこともある。
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201系はすでに過去の車両だが、活躍を終えたのは(東日本では)10年より少し前のこと。普段はもう忘れいてる存在だが、こうして模型を引っ張り出したり、写真を見ると、つい先日のことのようにも思えてきて、なんだか不思議な気分だ。
 
もっとも、引退して10-15年というタームで見ると、東海道、横須賀の113系とか、183系の房総特急とか、ほかにもいろいろあるはずなんだけどね。。

2015年8月 4日 (火)

古本

ちょっとした行きがかりで実家に置きっぱなしになっていた本を引き取ることになった。
そのまま処分してしまってもいいかな、とも思うが、鉄道模型を始めた頃の本は刷り込みが強いので、やはりとっておきたい・。

以前は甥たちが喜んで見ていたが、最近はあまり読んでいないようだし。

車に積んで持ってきたが、こんな感じ。
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だいたい70年代中頃から、80年代後半までの実物誌、模型誌が中心だ。一生懸命読んでいたのは80年代の初め頃までだ。
80年代半ばを過ぎると、国鉄民営化とか、きなくさい話が増えてきて、ちょっと鉄道から遠ざかりかけた関係で、雑誌も買ってはいるがあまり内容に思い入れというか、記憶がない。

あれこれ紹介するのもなんだが、整理していておおっ、と思ったものをちょっと。

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これ、関水金属(当時はKATOとは言わなかった-ロゴには表記があるが)の、1975年頃のカタログだ。

前にも書いたが、鉄道模型を買ってもらったのが1974年のことで、そのときついてきたB6サイズのカタログの、次にこれが発行されたようだ。 このあと、80年代を迎えると毎年カタログが発行されて、値段も立派になってくるが、この頃は毎年出すほど製品が増えないので、不定期刊行だった。

ちなみにこれは300円だ。それでも、前のカタログの倍に値上がりしている。

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当時のNゲージ紹介の定石、16番との比較だ。カツミのキハ82と比較しているのは同社の最新製品であった同型。窓ガラスを初めてはめ込み式にして、プラの厚みを目立たなくさせた、ご自慢の新製品だ。

レイアウトが1/4の面積でできるよ、同じ面積ならずっと複雑な線路配置にできるよ、というのも、当時よく言われたこと。

左側のレイアウト写真は高田馬場(戸山)にあった、初代のショールームのものだと思う。ターンテーブルはたしかアーノルト製の輸入品。

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C11などは未だにカタログモデルなのだから驚く。C50は最初のNゲージ蒸機だが、当時既に伝説の製品で、このようにカタログには出ていたが見たことはなかった。私の子供時代の常識では、Nの蒸機はここに写真のある3種だけ、というものだった。

ちなみにC11はリニューアル前の、初代モデルで、ロッドがプラスチックのものだ。

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左側の蒸機(予定品)はD52とD62で、未だに実現していませんね。今年なんか、戦後70年なのだから製品化してくれればいいのに・・。

電気機関車はここにある2種だけだが、写真のモデルはこれまたリニューアル前の懐かしい姿。EF70は有名な朱色(ディーゼル機関車のような)のもの。一体なぜこんな色にしたのだろう?私が持っていたのは、74年ごろのロットで、オレンジと言うより首都圏色DCのような色をしていた。
EF65がはいている台車はEF70の流用で、枕バネコイルが2つある。子供が見ても、嘘っぽい感じがした。

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なにやらカタログの紹介みたいな流れになってしまったけど、せっかくだからもう少し。
この時点でも唯一の電車製品である、103系。今見ると、なぜかブルーのモデルの車号が黒字になっているね・・。実物はもちろん白。家にある模型もたしか白だったと思う。

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電車はこのあと、76年秋口に181系が、77年初冬?にこの153系が発売になった。このイラストではハザに冷房がないが、製品にはついていた。

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固定式線路いろいろ。 この頃はポイントも自社製品になったが、以前あったアトラス製6番ポイント、3ウェイはカタログ上は姿を消している。

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後半はなぜか輸入製品がたくさん掲げられている。これも高田馬場ショールームの扱いということで、紹介したのかな。輸入代理店だったか、その辺はわからない。
昔はプラットホームも日本製がなくて、ドイツの輸入品を買うと大陸式で高さが全然足りなかったり、当時日本では見かけなかったガラス製の上屋だったりして、苦労したものだ。
ヘルヤンの貨物駅は今見てもかっこいいね。

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おしまいです。このSNCFの機関車のタイル絵、某所でまだ健在みたいです。

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一緒についていたのは・・おお、これは友の会の会報(臨時増刊)ですね。友の会に入ったとき、友達からもらった。友の会は何年か会費だけ払っていたけど、やめてしまった。

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最後は、おお、これは保育社のカラーブックス!
なぜか東武がないが、当然買っているはず。甥がどこかに持っていたものと推察。
私鉄シリーズの、第1弾は左上の近鉄だった。
当時(80年頃から数年間)の、最新鋭の車種たちですね。京王と阪急以外はいちおう現役かな。

訂正:阪急6300はまだ活躍してますね。

そういうわけでした。

2013年12月21日 (土)

GCより手書きイラスト

形式図ではなく、スケールイラストという呼び方で、車両の側面図をイラスト風に描いたのが元機芸出版社の片野正巳氏だ。「陸蒸気からひかりまで」掲載のイラストは、TMSに1961年から1963年まで掲載されたという。
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当時のタイトルは陸蒸気からこだままでだったそうだ。初期の絵はフリーハンド的な、より絵に近い書き方で、影の表現も斜線や墨ベタによる方法だった。
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要所要所に魅力的なカット絵が入っていた。蒸機動車のイラストなど、イマジネーションをそそられる素敵な絵だった。

1970年の「私鉄電車プロファイル」では、正面図も書かれるようになり、全長などの情報も加えられてより図面に近くなった。代わりに、床下機器がシルエットになっている。
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スケールはいずれも1/150。私が買ったのは1975年(受験中だったが、誕生日のプレゼント)で、当時Nの私鉄電車は皆無(というか、国内の電車は103系だけ)だったが、これらのイラストを見ていると、Nでこんな電車ができたらどんなだろう、とすごく想像力を刺激された。

自分の人生に、一番影響を与えた鉄道本である。

片野氏がこのジャンルの創始者かどうかわからないが、そういえば小学校4年生の時に買ってもらった、学研の図鑑「機関車・電車」も、形式図風イラストが載っていた。いずれにしても、これだけまとまった数のイラストを集成したのは、当時画期的だったことに間違いはない。
ずいぶんたってから、別の方がTMSに紀行文風の文書にイラストを添えた連載を書かれていたが、画風はやはり片野氏流だった。

時代が移って、今はCGでイラストが描けるようになった。鉄道車両は同じ幅の窓をいくつも書いたり、同じ形のベンチレータを書いたりと反復作業が多く、CGで描くのにとても適している。逆にいえば、手書きイラストは形が不揃いになりやすいし、余りメリットがないことになる。

ウェブを見ていると、素敵なCGイラストをいくつも見ることができる。中には背景が流れる(=走っている)ものもある。片野氏も、CGで描き直したイラストをRM誌に連載し、単行本も出ている。

イラストとしては以前の「陸蒸気から」より数等細かくてきれいだし、資料価値も高い気がするが、反面今までのイラストより心そそられるものが少なくなった気がする。
贅沢な話だが、何となくきれいすぎて冷たい感じがするのだ。窓ガラスの表現も画一的で、実感がない。とはいえ、電車のイラストでは床下機器の表現は非常に参考になる。実物の写真では暗かったり、影になっていたりしてわからない部分が多い(どうやって調べたのかな?)。

作家ごとの個性がわかりにくくなったCGイラストだが、やはり細かなところで、仕上がりの違いはあるようだ。最近出ている急行電車のムック本は、CG側面図が多用されているが、ややおざなりで丁寧さに欠ける。交友社から出た国鉄車両のイラスト風図面では、上面図に床の木目模様が表現されていたりする。こうしたディティールの取捨選択に、個性が表れるようだ。

私も絵は描くが、CGは習う機会を逸してしまった。漫画用の安いタブレットや、スマホアプリは持っているが、これで片野氏のような電車はかけない。
3DCGになると更に難易度が上がるが、これも世の中にはため息が出るほど、きれいなイラストを描く人がいる。まだ模型を作った方が楽そうだな。
下は10年以上前に描いて、昔やっていたホームページにも掲載した参急2200。昔の写真をベースに描いたもの。これでもプロの漫画家なら、剽窃と言われてしまうかな。
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2013年12月 9日 (月)

松村豊氏の近鉄タイプ自由形

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年末に入り、掃除とか、いろいろ家事もしないといけなくなってきた。
冬場は鉄道以外の用事も多くなる・・。先日着工した16番車両の年内完成は無理か。予算もきつい・・。

16番のペーパーボディの作り方に関しては、模型誌でも繰り返し記事が載っている。昔は小高などのキットがどこでも売っていたから、そこから入る人も多かったと思う。TMSではもう長いこと、小林信夫氏の記事が連載されいている。私の場合、70年代から80年代にかけてのTMSの記事を参考に、自己流で作っていた。よく読んだ記事は、西尾博保さん、安田謙一さんとか、大熊重男さんなど。今名前が浮かばないだけで、もっと影響を受けた方々もたくさんいるけど・・。

TMSを読み始めたのが’74年の6月号、ここには大熊氏の京成3290の記事がある。そして、そのすぐ後で買った5月号に、松村豊氏の近鉄タイプ自由形の記事が出ていた。

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大熊氏、西尾氏の製作法はわりと当時としてはスタンダードなものだが、松村氏の製作法はかなり独特なものだ。氏はOゲージの時代から自作をされていたようなので、その頃のご経験から来ているものもあるのかもしれない。車体の構造、パーツの使い方や、接着剤、窓ガラス(顕微鏡用ガラス)の使い方などに氏独特の工夫が見られる。
とても美しい造形だが、信じがたいことに塗装は刷毛塗りなのだという。自由形と言うことで、床下機器は銀色、6000系の屋根はマルーンと、とても自由な発想で仕上げられている。

製作の技法が云々と言うよりも、模型そのものに対する視点、物事のとらえ方がユニークで、なんというか、非常に次元が高い。しっかり模型を楽しんでおられ、実物に振り回されていない一方、自分の表現したいものはきちんと表現されている(松村氏を存じ上げているわけではないので、大変失礼な書き方になってしまうかも知れないが、造形関係の専門家の方なのだろうか?)。
もっとも、そんなことを考えるようになったのはもっと大人になってからで、子どもの頃はなんだか面白いなあ、というぐらいにしか感じられなかった。

氏の製作法を私がそっくり真似することはできなかったが、(1)室内を作り込まないまでも、床板の表現に気を遣う(2)窓ガラスの平面性を重視し、厚めのガラス(は使えないのでアクリル板など)の2点は、松村氏の影響からきていると思っている。’79年に初めての編成もの、東武1800を作ったとき、完全スケールではなくセミフリーに近い設計にしたのも、松村氏の影響だ。しかし、実物のエッセンスを捉え、自分の好みをくわえて作るというのは、実物にこだわって超精密に作るのと同じくらい難しいんだな、というのを、この模型で初めて実感した。まあ、今見ると全然レベルが低くて、まさにボロボロだけどね。
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手前のNはどうでもいいが、奥に見えるのが、その頃作った1800。現在行方不明。

今の模型はとにかく精密で、50万円も出せば東武78でも8000でも、驚くほどよくできた模型を入手できる。しかし、模型というものは車両をどんどん精密にしていくと、周りとの違和感が目立ってしまったりするものだ。

なんてことを考えつつ、ネットを徘徊していると、全然模型工作ができない。

追記:そういえば、この月は松村氏の自由形電車が折り込み設計図面で、これにがっかりした、自由形の図面など不要だ、という投書があり、しばらくTMS誌上を賑わした。フリーランスって、敷居は低いが奥は深いんじゃないかと思う。今思うとTMSも、批判を承知で図面化したんじゃないかという気がする。あの頃のTMSは結構気骨があったな。

2013年10月 2日 (水)

東武東上線 街と駅の1世紀

彩流社 2013年7月発行。一般向けのムック本である。
こういう本は余り買わないようにはしているのだが(キリがないので・・)、ずっと店頭に並んでいたこともあり、結局手を出してしまった。
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先日朝霞の昔の状況に興味が出て、この本に当時の朝霞駅が出ていたのもきっかけになった。
ただ、マニア向けと言うわけではないことはいいとしても、編集はちょっと安易な感じがしないでもない。ソースはそれほど多方面から集めてきた感じでもなく(板橋区公文書館の資料、諸川久氏の写真などが広範囲に使われている)、古地図も資料と言うより、カット絵のようにあしらわれているだけだ。一般向けムックとしては、観光地ガイド的な内容にも乏しい。

25ページに東武練馬付近の古い空撮写真が掲載されいてるが、昭和40年とある。本当だろうか?例のgoo古地図を見ると、昭和38年頃でももっと家がたてこんでいる。おそらく戦前の写真なのではないか。

また、成増駅南口(29,30ページ)も昭和50年代とあるが、ほんとうかな?特に30ページの小さな写真は、タクシーのクラウンを見ると、昭和40年代前半ではないか。29ページのロータリーの写真はもう少し新しい(タクシーがスピンドルシェイプのクラウンになっている)ので、昭和50年と言われてもまあ納得できるが、東武バスが古い塗装(ベージュに青、細い線がいくつも入ったやつ)だ。今度板橋区公文書館に行って調べてみようか。

嫌われそうなマニア的突っ込みとしては、77ページ、川角の鉄橋を走っている車両は8000系ではなく、5050系だ。

ちょっとけちをつけすぎたかな??やはりこれは、往時を知る人が気楽にぱらぱらめくるのにはちょうどいいサイズと内容という点で、評価すべきものなのだろう。隣にあった、写真で見る西武鉄道100年(NEKO MOOK)は、ボリュームたっぷりだが、2,800円と高く、手は出なかった。

2013年9月21日 (土)

古本を買ったら入っていた写真

先日通販で(京都の交通文化社)TMSの旧号を買った。

71年7月号を開いたら、折り込み図面のところに手札サイズの写真が2枚、出て来た。
一応、掲げておきます。心当たりのある方、コメントでご連絡頂ければ幸いです。また、掲載に差し障りがあるようでしたらご連絡ください。
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D51 758とD51 838。 ウェブで確認すると、昭和46年4月21日、お召し列車運転の時の写真らしい。雑誌の発売時期とも近い。

2両の日章旗が、飾りの紐のようなもので結ばれている。

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きれいな機関車だ。こちらが本務機だったようだ。模型化も盛んで、Nでもマイクロから発売されている。

昭和46年4月というと、私はテレビで帰って来たウルトラマンとか、新おばQとか見ていたな。プラレールではもう遊んでなかったか。

この時代、現役蒸機を見たければ見られたし、自動車や一眼レフカメラなども、だいぶ普及していた。16番の模型も数多く出回っていたし、加工して楽しむ人も多かったようだ。良い時代だったんだろうな。そんなことを言っていると、40年後に今はその気になればEF65やEF81がゴロゴロいた、いい時代だった、なんて言われるかも知れない。

そういえば、伯備線の写真は(自分や家族が撮ったのではないが)なぜか実家の居間に長く飾ってあった。

2013年9月15日 (日)

レイアウトモデリング、レイアウトテクニック

以前にレイアウト全書のことを書いたが、同じようなレイアウト関係の特集本としては、1967年発行の全書の後、72年にレイアウトモデリング、73年にはレイアウトテクニックと続けて出版されている。翌年に出たシーナリィ・ガイドは実物関係の特集だし、76年に出たナローゲージ・モデリングは、ナローの実物、車両、模型全部を扱っている。80年代以降にもレイアウト関係の特集は出ているが、一応、全書、モデリング、テクニックの3冊は、日本の鉄道模型発展期の、レイアウト事情を今日に伝える貴重なまとまった資料となっている。

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レイアウトモデリング:巻頭カラーと、前半部分は坂本衛氏の「摂津鉄道」の一連の記事が掲載されている。坂本氏はさいきんも日経新聞のコラム(32面の文化欄)に記事を載せておられており、鉄道、模型関係では相当有名な方だが、これらの記事は氏のかなり若い頃に書かれたものだ。

レイアウト設計に至るまでの、心境の変化-最初は雄大な渓谷や複雑な線路配置などに惹かれていたが、車掌乗務中に車窓から見た平凡な農村の風景を見て、この田園風景にこそ美が宿っている、と言うことに気づく。これを読んだのは11歳の頃だったが、なんというか、そのわびさびにも通ずるような哲学的考察に、訳もわからず影響を受けた。その影響は-トラウマと言っては語弊があるが-今日まで自分の中に残っているのではないかと思う・・鉄道模型一つ作るのにも、哲学があるのだ。

とはいえ、当時の自分から見ても、摂津鉄道に表現された風景は、どこか遠くの国のエキゾチックな風景であったこともたしかだ。カラーグラフにはC10が牽くナハ22000系の写真があるが、せいぜいオハ61(の写真)しか知らない子供には、ものすごく古い世界のように見えた。

Nゲージのレイアウトが二つ、掲載されている。今見ると何ともないが、当時はものすごく斬新なものだったのだろうな。話は飛ぶが、保育社のカラーブックス、山崎喜陽著「鉄道模型」に、大阪の米人ショール氏の手になる組み立て式レイアウト(N)の写真がある。モデリングの記事と同じ頃の写真に見えるが、いつ頃のTMSに載っているのだろう?

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レイアウトテクニック:失礼、裏表紙しか残っていないので・・。なぜか昭和50年10月6日に製造された調理パンの、シールが貼ってあるcoldsweats01

買ったのはこちらの方が古く、’74年秋だ。小学5年生の子供が読むと、日本語としては理解できても、全体的には完全に大人の世界で、訳がわからなかったはずだ。

しかし、不思議と編者の山崎喜陽氏が持っている、啓蒙的な意思は伝わってきて、よし僕ももっと「高級な」鉄道模型を目指さなければ、と思ったりした。そして、ペーパータオルというものがなんなのかよくわからずに、ちり紙を石膏に浸してぐずぐずにしたり、油絵の具をサラダ油や灯油で希釈してべとべとになったり部屋中石油臭くしたり、砂場から持ってきた砂をばらまいて部屋中砂だらけにし、ポイントが動かなくなったり、とにかくありとあらゆるめちゃくちゃなことをしまくって、買ってもらった鉄道模型セットを台無しにしてしまった。こどもがこんな本を読んではいかんのである。いや、だからそれはこの本のせいじゃないってば。

またまた話が飛ぶが、この頃、駅の待合室などに行くと、「悪書追放箱」というのがあったが、レイアウトに’70年代の時代感覚を表現するには格好のアクセサリーになる、かな?

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表紙が取れてしまい、一番表側でのこっているのがこのページから。
雲龍寺鉄道祖山線である。
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樹木の表現など、時代を感じる部分もあるが、線路配置、全体の色合いなど、今日でも十分に通用する、優れたレイアウト表現だ。荒崎氏の記事も、最初はコンセプトから始まっていて、ブレーキシューのついた機関車、そのためには・・・、おかしな帰納法ですが・・という名調子がつづられている。

山崎氏の意思、と書いたが、この時代のTMSには、日本の鉄道模型界をある方向に導いて(引き上げて)いこうとする-欧州大陸系のトイ的なものではなく、アメリカのシリアスな鉄道模型の考え方にちかいもの-が、背後の流れとして感じられることがある。おそらく山崎氏という人は、アメリカを範に取りながら、戦後日本の鉄道模型界を自らの手で方向付けたいという意思を、強く持っていたのだろう。詳しい事はわからないが、70年代に入ると模型界も層が厚くなり、山崎氏個人の影響力も、以前よりは小さくなっていく。本書に掲載されているように、山崎氏個人が技法などを紹介することも、次第になくなってくる。

山崎氏がこの時代この世界の、カリスマであったことはたしかだ。戦後の日本の鉄道模型界は、彼の意向が非常に強く働いていた。

私が子供の頃既に、「とれいん」の松本氏とかも活躍し始めていたし、さいきんではメーカーの井門氏が一家言を持ち、自らの主張を込めて製品を出したりもしているが、やはり今と昔とでは時代が違う。想像でしかないが、鉄道模型に限らず、むかしは日本の社会全体がもっとコンパクトだったのかも知れない。

とにかく、70年代半ばを過ぎると、TMSの論調もすこしずつ変わってくる(たぶんその節目は、'78年頃なのではないかと、今のところ思っている)。その後も誌上には数多くの優れたレイアウトが発表されたが、それらに感心はしつつも、私にはなにか物足りないというか、どこかで「方向性」を求めたくなるような、妙な感情が残ってしまうようになった。

なんかだんだん話が堅くなってきたが、昔のレイアウト(模型)には時代を超えた良さがある、というのが私の持論だ。ハイレゾがなんだとか、PCオーディオなんちゃらという時代になっても、アナログレコードをのんびり回すのが楽しいように、縦型モーターとインサイドギアの電車も生き残っていて欲しいと思う。

2013年7月20日 (土)

レイアウト全書

先日、実家で捜し物をしていたら、ずっと前から探していた別のものが出て来た。見つけたときは「うわあっ」と言う声をあげてしまった。ずっと前から、かれこれ10年以上、探していたのだ。
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鉄道模型趣味の機芸社が60年代から70年代に書けて発行した、レイアウト特集シリーズの第1弾。初版は1967年だ。

この本、中学1~2年の頃、ものすごくはまっていた。最初に読んだのは、実は学校の図書室で、1年生の秋頃借りた。それからずっと、冬ぐらいまで借りていた。もちろん違反である。当時は絶版状態で、店で買うことができなかった。その後再版されて、これを買ったのだが、買った時期は覚えていない。たぶん'77年頃だと思う。

TMSに掲載された、60年代初めから65年頃までのレイアウト記事を再構成したものだ。まだNゲージは登場していない。別冊に掲載されるほどだから、当時としては画期的に大がかりな、あるいは技術的に優れたものが掲載されたものと考えられるが、時代が時代だけに、さすがに今日の基準で見ても優れていると思われるものは少ない。

とはいえ猛毛内鉄道只野里線など、プランやシーナリィは良くまとまっていて楽しそうだし、表紙にもなった「或るレイアウト」は傑作と言っていいだろう。「或るレイアウト」は、ウェブによると、50年の歳月を経て再生され、今でも現役らしい。

当時、いちばん感銘を受けたのは、津林高原循環鉄道の作者がつけた日記の記事だ。当時小学6年生だった、作者の弟がレイアウトや車両制作のことをつづった日記で、年齢的に近かった中学生の時はとても興味深く読んだ。子供の書く文章は、年代を超えて訴えるものがある。名古屋在住の作者は、柘植や亀山、中央本線方面に出かけて、うじゃうじゃいたというD51やC57を撮影したりしている。この頃の実物環境は本当にうらやましい。模型も、技術や製品の種類は少なかったかも知れないが、のびのびした雰囲気が伝わってきて、楽しそうだ。今はやはり時代が悪くなったのかなあ。