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2019年7月20日 (土)

中学生の頃作ったレイアウト

Scan15535

ずいぶん昔に一二度写真を掲載した記憶があるけど、あまり詳しいことかいたことなかったかな。。

撮影したのは昭和52年の、試験休みのころじゃなかったかと思います。この年の夏は学校で岩手のほうに登山にいき、また鉄道研究会だったので、碓氷峠の横川機関区を見学に行っています。家族旅行に行った写真も残っているけど、順番がどうだったのか忘れてしまった。たぶん、横河機関区と前後してこの写真を撮ったのだと思うのだけど。。昔はどこかに出かけて、フィルムが余ったので、適当にその辺の写真を撮って終わらせて、現像に回すとかしていましたね。そういう写真かなと

なので、この写真に写っているレイアウトは未完成です。もっとも、最後まで完成するという形にはならなくて、この年の暮れに廃線になっています。ご覧になるとわかりますが、本線が駅手前で途切れていますね。。

Scan15545

このレイアウトの原型は、前にも書きましたが鉄道模型趣味74年6月号折り込みの、中尾豊氏の記事です。今のうさぎ鉄道はそのオマージュで、ドッグボーン型の本線、左側に機関庫、奥に川と鉄橋、右側の切通しを抜ける内周線とトンネルに入る外周線などのあしらいは、ここからきています。ほんとうは外周線のトンネル途中から支線が分岐して、レイアウト中央を築堤で横切って左側に駅があるというプランでしたが、この写真には見当たりません。

上の写真の一番右は行き止まりの道と商店街、一段上がったところに空き地(トミーの教会を置く予定だった)。溜池らしきもののわきに貨物駅からの引上線が通っていますが、これはこのレイアウトで一番最初に着手したところです。本来は機関車が貨車の入換えをしながらリバース線を抜けて転向する(蒸気機関車主体のレイアウトでは重要なファクター)ためにあります。草深い山の中に線路が突っ込み、車止めがあるという雰囲気が最高に良くて、一人よくもの思いに浸っていたものでございます。。

で、さいしょに作ったせいかポイントなどの調子が悪く、作り直しているようです。なぜか103系が2両で走っている本線の先、線路は比較的直線気味に走っていますが、ここは本当はもっと手前のほうに曲がっていました。上の全体図を見ると、廃線跡がわかります。

Scan15533

駅にとまっているのはトミーナインスケールのタキ30002両とワフ28000です。タキのうち1両は今でも元箱付きで残っています。

奥の留置線にいるのは左からトミー香港製DD13茶色、これは当社2代目で、比較的よく走りました。中央はトミーの2軸貨車の下回りを使った自由形デハ104。車体は紙製、屋根はバルサ。ベンチレーターはGM客車キットのガラベンでパンタはたぶん関水PS102。2扉、1段下降窓で、正面は東武モハ1101のような、中央3枚がやや高くなった5枚窓です。塗装は当社標準の窓周り灰、窓上下青の2トーン。雰囲気近いのは京成青電(あれよりは色がはっきりしている)。近代化改装後という設定なので、窓はアルミサッシ、方向幕の小さいのがついています。のちに火災事故復旧で、片側が上信1000型にちょっと似た3枚窓に改装され、どういうわけかその正面部だけクリーム色1色になっていました(バンパーはグレイ)。

車両の説明が長くなってしまいましたが、ホームは本来2面3線で島式のほうは待避線側がカーブした形でしたが、うまく作れなかったらしく、ここも線路を剥がしてホームも直線状のものに取り換えています。このホームはホウの木からの自作。へろへろの屋根はHO波板(機関車の側面ルーバーなどに使う、真鍮プレス製)をはんだ付けしたもの。柱はたぶん古レール。手前のホームは仮置きで、学研の都会型(改良品)というもの。ここにも昔バルサの自作ホームがあったはず。

駅本屋は上の写真には見当たりませんが、この頃は「レイアウト・テクニック」の記事を基に作った日本風のものを自作して置いていました。初代は「シーナリィ・ガイド」の記事から、奈良線玉水駅を模した近代的な建物(表面は石造り風)でした。写真ではトイレだけ置かれているのが見えます。これも自作でした。

Scan15536

中央の貨物駅も仮置きで、学研の都会型ホームの片割れです。貨物上屋は作りかけているらしいが、もともとホームとともに一度完成させていたような記憶があります(写真でもホームを剥がした跡が見えます)。遠くに機関支区(元のプランではただの駐泊所のはず)が見えます。さいしょはプラン通りに作っていたものの、そのうちだんだん脱線して、当時フライッシュマンで6000円で売られていた(当然当時としても安かった)手動ターンテーブルを設置、切通に突っ込んでいた引上線(ターンテーブルのわきを走り、トンネルに突っ込んでいた)は、なんとなく鉱石積み込み線ということになって、トミーの給炭塔を置いていました。

機関庫はフライッシュマンの石造りで、あまりに日本風ではないので後にバルサ板を表面に張って改装しようとしていました。白く見えるのはトミーの給水タンクで、当然アメリカ風ですが気になるので表面に画用紙を貼って、金属タンクにしようとしています。給水タンクはもともと、缶が金属風ダークグリーン、脚がコンクリート風グレイのものを自作していたのですが、壊したのか気にいらなくなったのかここにはないですね。

ごちゃごちゃしているポイントはミニとリックスのR1対応(要するに小型ポイント。曲線半径192mm)の電動ポイント。名古屋の高校生の人が「とれいん」の交換欄にだしていたのを連絡して買いました。6個買ったかな。まだ持ってると思います。

Scan15532

機関区側ですね。ターンテーブルに乗っているのは当社唯一の国鉄型蒸機D51(関水)。狭い切通しの手前、GM製詰所のわきから顔を出しているのは、ポイントと一緒に買ったミニとリックスT3型蒸機。さっきのDD13は左に見えます。その手前に、トミータム6000の足回りをとったタンク(たぶんディーゼル燃料供給施設のつもり)。右側に見える廃墟のような建物は、本当ならレイアウト左側に位置するはずだった支線の駅舎らしいです。モデルはたしか、「シーナリィ・ガイド」の記事から久留里線上総亀山の駅舎を参考に作ったと記憶しています。

この写真の後、正面右側(いちばん上の写真で言うと下)のトンネルを完成させ、また奥のほう(同右側)の川も底を作って青く塗り、それらしく仕上げています。上を鉄橋が通るはずでしたが、結局外周線はさいごまで完成せず、内周線しか運行できませんでした。右側切通し(同下側)のカーブの途中に、フレキシブル線路のジョイントがあり、そこで脱線が頻発して悩まされたことをよく覚えています。

制作開始は’76年の6月ごろ。その前にフレームだけ春に完成していて、別のプランが用意してあったのですが途中で心変わりしてちがう配線で着工しています。本格的に作り出したのは夏休みで、冬には内周線がいったん開通し、2交代で列車が走れるようになりました。

その後も制作してはぶっこわしを繰り返していましたが、’77年の12月にいったんご破算にすることにした(フレームは5mm板の上にいくつか角材を置いて、その上に3mm板を乗せた変わった構造で、色々問題があった)ため、廃線、解体してしまします。

’78年の1月には新たに12mmの板に8の字変形のレイアウトを作り、車両も増備してしばらく遊びました。これはシーナリィつきに移行しずらくてまた解体、分割式のレイアウトを作りかけますが、接合が難しくて難航、分割をあきらめて真ん中でつないだタイプを’80年1月ごろ着工して、2年ちょっと手を加えていますが、これも挫折。という具合で5年ほど作っては壊しの連続でした。。

そんな昔話でございました。

Scan15531

ちなみにフィルムの前後に移っていたひとつがこれです。

大宮駅。わかりにくいけどキハ58の修学旅行塗装(黄色とオレンジ)です。

たぶん横川からの帰りだと思う。

Scan15539

もうひとつがこれね。

ではでは。

 

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