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2018年11月18日 (日)

東武モハ7800

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東武商事のウェブサイト によると、今年の鉄コレは78型となる(12月2日の南栗橋で先行発売)そうだ。登場時のオレンジ+黄色帯、オレンジ/ベージュ(ツートン)、セージクリームの3バリエーションで、2両と4両のセットがあるが、塗装だけではなく形態にも変化がある。
 登場時の黄色帯バージョンは前照灯が白熱灯1灯、ドアがプレス飾りつき、これとツートンは7820型だが、セージクリームのほうは7800型で、前面、通風器、戸袋窓などが異なる。
 
以前にも7300型が発売されたことがあるし、7820はクロスポイントからキットが出ていて、私も4両組んだが、7800型は初めてかと思う。
 
ここで78系のバリエーションを軽くおさらいしてみましょう。
 
モハ7800(1952-1954)
国鉄モハ63(モハ6300、のちに7300)の導入を受けて、自社設計した東武初の20m4扉車。最初はモハ7330と称した。
 製造当初は窓にHゴムは用いられず、内装(内張り)、窓枠は木製。日よけは金属製の鎧戸。通風器はガーランド型。連結面は戦前のモハ40のように丸屋根。
 機構的には一般的な旧型国電と同様の1M式。モハの台車はFS-10だが、クハはTR25,NL-1(FS-10類似)。
1966年発行の私鉄電車ガイドブックでは既に改装後の姿が掲げられている。正面がHゴム化され、ドアもHゴム支持のものに取り換えられている。車内の写真を見るとドア部中央にスタンジョンポールが立っている。ヘッドライトは1灯だが、この系列のみステーの付いたタイプで砲弾型ではない。70年代までに、いずれもシールドビーム2灯に改造される。
 
1965年から66年にかけて一部の車両が中間車化され、4両固定編成になった。長くなるので以後車番等の明細は一部省略するが、7800については7802+802、7803+803、7804+804、7805+805が中間車化され、それぞれの運転台方向が向き合う形で組み込まれた。即ち、818+7802+802+7818のように。7800に関しては、4両固定は東上線のみに見られたようだ。というより、東上線の7800型はすべて4両固定だった。
 
私がこの車両を初めて意識したのは1975年の初め頃(小学5年)で、塾帰りに乗った電車が余りにも古風な内装なのに驚いて、川越まで乗り越したことをよく覚えている。中間化された連結面はもとの丸みを帯びた縦断面がそのままで、余計に古臭く感じた。ほかの73,78は戸袋窓がHゴムだが、これのみ木製で日の字型をしていた。ドアの沓摺は、以後の車両がグリーンのゴムシートなのに対しこれのみ鉄板(網目がついていたはずだが、擦り切れて銀色に光っていた)だった。
 
とはいえ、性能はその後も基本的に変わらないし、乗り心地も同じだった。
 
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1979年春、竣工した5000系(既に53型改造の同型があったが、これを3070型と改称して2代目を襲名した)は、この7800型が種車であった。7800がなくなるかも、と思い、狙い撃ちすべく沿線で待ったが、数が少ないのであまり撮れなかった。これは珍しい急行寄居行き。下板橋。トリミングしているが、もとはかなりお粗末な後撃ち。
 
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志木の電留線に憩う。鎧戸式の日よけが見える。この頃は当時の8000と同じ、クリームの内装(ペンキ塗り)にラクダ色のモケットだが、こうなったのは1969年ごろからで、それ以前は国鉄風の薄緑、青シートだった。この変化については子供のころ、わずかに覚えている。クハなのにパンタ歩み板みたいのがついているが、これは当初からの仕様で、パンタを撤去したわけではない。
 
いかん、軽くといいながら、くどくど書いてしまった。7801、2は後パンとか、そういう話はまた別の機会に。
 
モハ7890(1956)
製造当時は7850型と称した。以後の増備車のもととなった形で、車幅がわずかに広くなり、内装と窓枠が金属になり、戸袋窓もHゴムになる。ヘッドライトは砲弾型。ベンチレータは国鉄80系に似た押し込み型。連結面は半切妻というか、屋根の部分に丸みを持たせた独特の形。この形式からMTユニット式になり、補機が一部クハに搭載される。
本形式最大の特徴はクハにトイレがついていたことだが、昭和46年に撤去された由。4編成のみの小世帯で、本線のみの配置。見たことはあるがほとんど記憶がない。
 
モハ7820(1957-1959)
一族の中では最も両数が多い。制御器の違いで前期型、後期型に分かれる。日よけは普通のサランカーテンで、緑系の色をしていた。4両固定は東上線に1本いたが、残りは本線系統で活躍した。東上線では池袋寄りに73か78の4両固定、それに7820の2両固定を1,2組連結して6両から8両を組成していた。いわゆるブツ6は本線では見た気がするが、東上線では記憶がない。
 
モハ7860(1958)
この形式のみ日立の製造。今は日立製の電車は珍しくないが、以前はこれが唯一の存在だった。特徴は屋根を鋼板として全鋼製となったこと。半鋼製というのは、屋根断面の形をした金属性の柱に、長手方向に板切れを並べて、上にキャンバスを貼るというつくりだったらしい。7865は踏切事故で運転台側のみ、8000系(もちろん製造時の)の運転台に準じた高運転台に改造された。たしか北千住かどこかで一度見たが、写真は撮りそびれた。本線系のみで活躍した。
 
モハ7870(1960,1961)
最終型は再び半鋼製となるが、連結面が広幅(ドアなし)となり、窓枠がアルミサッシュとなる。1960年製は前パン、61年製は連結面に設置。東上線は61年製のみの配置だった。
1961年といえば地下鉄乗り入れ用2000系が登場した年である。西武はまだ吊掛け車100%だったが、京王は2000系、小田急は2400系、東急は5000系を作り終えて6000系を作っていた(いずれも初代)ころである。実はこれが打ち止めではなくて、7300の車体更新はこの7870に準じた仕様で1964年まで続く。車体更新といってもボディは基本新造である。
 
だから、小学生時代、友達と(8000系冷房車などと比較して)「ボロ電」などと揶揄していた73,78型は、当時まだ車体新造してから10年ほどしかたっていなかったことになる。。
 
まとまりはない文章になってしまいました。
鉄コレ78ですが、資金を工面するか。。
 

2018年11月12日 (月)

元加治、週末雑記

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土曜日は用務があり、入曽のイベントには行けなかったのですが、日曜日は日中時間があったので何かしようかと。
 
そういえば元加治の鉄橋はまだ行ったことがないし、比較的近いのでレッドアローでも撮ろうかと画策。車を出した。
 
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ところが、地図で見るとそれほどでもないと思ったが、所沢からほぼ池袋線沿線をなぞる国道は、各所で渋滞してさっぱり進まない。帰りにナビを使ったら、もっと近いルートがあった。おまけに元加治付近で道を間違えて、飯能市内まで行ってしまった。
 もうこの辺で気持ちが萎えてしまう。。
 
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撮影のとき、ふと思い出して西武線アプリを立ち上げた。下りにレッドアロークラシックが入間市付近。上りは普通のレッドアローが出発したばかり。とりあえず上りを狙って、それから下り方面に移動しようと思っていたら。。
 
先行してきたのは下りレッドアローだった。。
西武線アプリはカーナビではないので、そこまでの精度を求めるのは無理なようです。。
 
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最初に特急がまとめて来てしまったし、夕方用事もあるのでそこそこに引き上げる。結局、車で渋滞の中を泳いだだけになってしまった。。
 
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またいずれ。
 
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撮影もそうだが、どうもこの週末はご難つづき。
C50は上り勾配を客車(オハ31)6両牽くとスリップが酷い。ゴムタイヤを交換した。
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車体上下を分解して、更にキャブ下のパイピングを取らないと作業は難しいが、車体が簡単に外れなさそうだったので、第二動輪とメインロッドのピンを外してなんとかはめ込んでしまった。。とりあえず復活だが、さすがに車齢32年なので、運転には注意しないといけないのかも。
後ろに見える電機はフライッシュマンのE103型だが、内周線を走行中の貨物列車が脱線、緩急車が外周線に倒れこみ、巻き添えを食って45センチ下の床に転落してしまった。
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車体と下回りが外れてしまったので、車体をかぶせなおしたが、電源を入れても反応しない。
上の基盤を外したがよくわからないので、時間を見てさらに分解する必要がありそう。
 
こちらも車齢31年だが、これまで走行に不安を感じたことはなかった。E103はちょうど日本のEF65みたいな存在で、全盛期(もEF65とほぼ同じ)には各社で製品化されていたが、今入手するのは国内ではかなり難しいかも。
 
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36年前のトミックスEF64 1000。以前にも書いたような気がするが、数年前から(前宅にいるころから)不調で走行にムラがあり、半分休車状態だったが、今回クリンビューシリコンスプレー(ホームセンターで198円で売っていた)をギアに噴霧したら、かなり復活した。もう普通に使えるかもしれない。。このシリコンスプレー、かなり使える印象。従来KURE5-56を使ってもうまくいかなかった車のドアミラーやATセレクターも、これを使ったら一発で回復した。べたつかないし、埃もつかない。模型にも広範に使えそう。

2018年11月 9日 (金)

水野良太郎氏

漫画家、エッセイストとして活躍されていた水野良太郎氏が10月30日に亡くなられた。82歳だった。

 
水野氏といえば、模型界では各誌に盛んに寄稿されていたことで知られる。印象深いのは70年代初めから連載の始まった、「鉄道模型趣味」誌上の1コマ漫画だ。
 
 昔朝日、読売等によく掲載されていた政治漫画(いまもあるのかしら。アメリカ版のはネットでよく見かけるけど)と似た手法で、こっちは子供だったから時には難しく感じることもあったし、絵柄も子供にはなじみにくいものだった。だが、今見返すとかなりレベルの高い漫画であることがわかる。
 
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TMS1976年8月号。 訃報を聞いて急遽実家から持ってきた。
ふだんは1枠だけの連載だが、この号は夏休み特集ということで、数ページにわたり漫画が掲載された。
 
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こどもにはかなり刺激が強かったですね。。
テーブルに置きっぱなしにしていたら、偶々来ていた祖父が読んでいたよ、と母から言われて、なんだか恥ずかしい気がしたことを思い出す。。
 
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あまり引用するのは差しさわりがありますので、あれですが、こういうところから大人の世界を垣間見たものですね。。
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美人の描き方がどことなく小島功さんを連想させる様式ですね。
こういう絵柄、とっても久しぶりに見る思いがします。
 
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水野氏のホームレイアウトを紹介した号。
この号の「ミキスト」(山崎主幹のエッセイ)でも水野氏について触れており、かなりのアメリカ大型機(蒸機)ファンであるとされている。
 
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レイアウトもアメリカ風だが、欧州型、日本型もコレクションの対象であったらしい。
後年の記事を見ても、多様な模型を楽しまれていたようだ。
 
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77年に刊行された「鉄道模型入門」(廣済堂出版)。本当は「入門」などではなく、自分の楽しみ方を書きたかったが、版元の要請でこうなったとはこれも「ミキスト」からの受け売り。水野氏はこの時代の各界の趣味人の方に多かった、欧米風趣味生活者?のひとりで、著書にもその考え方がよく表れている。反オタクといっては語弊があるかもしれないが、あまり血眼でカッコ悪いのはお好きではなかったようだ。
 
その影響は多少なりとも私も受けていると思う。
 
ご冥福をお祈りいたします。

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