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2018年8月25日 (土)

鉄道ピクトリアル臨時増刊 東武鉄道

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暑さとその後遺症?でなにもできません。。
ピクの東武鉄道特集も、たしか発売は7月下旬ぐらいだったかな。。退社時間が遅くて職場近くの書店が閉まっており、週末に地元の書店(よく東武関係のムックを置いてあるので)を探したのですがおいてなくて・。 入手してからもパラパラと読む程度で、更にこうしてPCに向かうのにも時間がかかり。。
 
手元に東武鉄道特集は6冊あります。それぞれ1972年3月増刊(以下増刊の記述略)、1981年7月、1990年12月、1997年12月、2008年1月、そして今回の2018年8月となっています。このうち1972年3月増刊のみ、後年古本で入手したもので、以後は新刊での購入。たいてい発売時にすぐ購入していますが、90年発行のものは発売時諸事情で趣味的なことに気が回らず、1年ほどたったあと、銀座天賞堂の書籍コーナーで買いました。
 
このほかにアーカイブスセレクションが50年代~と70年代~で平成24-26年に発行されています。
72年3月号増刊は奥付を見ると昭和47年2月25日印刷 昭和47年3月10日発行 昭和50年4月15日複製 となっています。重版ではなくて複製というのが妙ですが、表紙を見ると文字のところなどがコピーしたように滲んで見えます。重版というよりは増補版とでもいうべきもので、本文として同誌73年9月号に花上嘉成氏が寄稿した「東武鉄道・補遺」の記事が追加されています。
 
この73年9月号も持っていますが、面白いのはこのなかに「昭和48年度私鉄車両増備計画」という記事があり、筆者が運輸省の方のためか各社の増備車両、両数、諸元のほか予算額が千円単位まで記載されています。東武については8000系6連x5、2連x1、1800系4連x2、1720系6連1本を新造する由。17型は1両約5千万強、モハ8500は38,256千円、クハ8600は34,483千円、クハ8100は少し安くて24,092千円、クハ1810は39,313千円とのこと。西武クハ5501もほぼ同額の36,500千円。帝都高速度交通営団8号線用車両は車番記載なしですが7000系と見られ、電動客車5千万-7千万、制御客車5千万と全体に高めの予算。東急8000系もデハは4300万円なので、軽合金車はやはり高くついたようです。
 
話が完全にそれました。補遺を書かれた花上氏、最初の特集から最新刊まで毎回寄稿されています。考えてみるまでもなくすごいことですね。。
 
余計なことを書いて紙幅が尽きたので(そんなものはないか。ただ書き疲れただけです)終わりにしますが、例えば今回特集の「東武鉄道のHL制御車」などは、特集号ならではの興味深い記事に思いました。

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コメント

最新号は当方も手にしました。
SL復活プロジェクトは全国の鉄道会社に協力仰いでいる様子がうかがえますね。

ところでS39の路線図、東武バスも記されていますが大和町から川越までR254を経由しない路線があるように記されています。
また大和町の駅前にも自動車教習場の存在。
さすがにその時代には産まれていませんが、後に転用されたであろうゴルフ練習場は憶えています。

12号線さん、早速のコメントありがとうございます。
大樹のC11もご老体のためか、結構病欠しているようなので、仲間が増えると楽になりそうです。私も乗りに行きたいと思いながら、1年たってしまいました。。
 
バス路線図ですが、流石12号線さん、着眼点がするどいです。。
現在の地図と対比してみたのですが、朝霞パブリックゴルフ場は武蔵野線の近くに現存、東大久保の近くにある魚マークは、ヘラブナ釣りで名高いびん沼と思われます。そこから川越線南古谷駅をかすめる道は、私には馴染み深い道です。が、当時は沿道一面田圃だったのではないかと思われます。
 
大和町の教習所はいつごろまであったのでしょうね。。かすみ教習所は書かれていて、鶴瀬自動車学校(現セイコー)がないなと調べたら、鶴瀬は65年の開業でした。wikiでもやまとの記載はなし。関係ありませんが、昔その名を見かけた笹目自動車学校が廃校になっていたのを知りました。。

和光市駅前の自動車教習場ですが、1966年の航空写真でも確認できます。
その4年後になりますと更地(ゴルフ練習場?)になっていました。
ホンダ関係かなとも思いましたが、開校と同時に現在地にコースを構えていたようなのでこちらも違いますね。

笹目自教は後年Naviモータースクールとして、東上線電車の扉上に広告出していましたね。
和光市側河川敷コースには職員控室・物置として京浜急行や東武の払い下げバスが置かれていました。
しかし、台風などで河川敷いっぱいに水があふれた時はどうしていたのでしょう?

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