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2018年3月19日 (月)

グリーンマックスの客車編成表

1年前も引っ越しで忙しかったですが、今年はそれに輪をかけて色々圧力がかかったり、時間が自由にならなかったり、更には花粉症の影響もあってボロボロでございます。。

 
本当は模型のネタを持っていて、それを書くつもりが2週間ペンディング中です。。
 
それはそれとして、先日実家を整理して下のようなものを見つけました。
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グリーンマックス(当初はホビーショップマックス)は昭和49年末に、それまで完成品オンリーだったNゲージ界に、プラキット形式の客車で参入し、一大センセーションを巻き起こしました。最初はオハ61系3種とナハ10、次いでスハ43と、蒸機時代末期のローカル線にはもっとも馴染み深い車種を選定、翌年春には往年の特急客車、夏には軽量寝台車と範囲を広げていきます。
Nの客車といえば、関水の20系寝台車かオハ31系(CABから金属製軽量客車が完成車体で発売されていたそうですが、私は見たことがありません)という時代ですから、ファン待望の製品であったことは容易に想像がつきます。
 
このカタログは、ラインナップを広げてきた自社の製品を活用してもらうために、GMが編纂した過去、現在の客車編成表です。
初版は76年だそうですが、私が買ったのはちょうど40年前の1978年初頭のことでした。 
 
編成記録というのは、昔はもっとメジャーな趣味行為の一つだったようですが、近年は固定編成化が進んでその意味合いは薄れてきているようです。とはいえ、後進の世代の人もその趣味性は理解できるようで、若い人でも興味を持つ人は多いみたいです。
 
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内容はこんな感じで、模型製作、運転用の編集ですから、車番はなく形式のみ。基本的にはその列車のある時期の代表的な編成例が掲げてあるだけです。模型用ならではの視点としては、塗装が分かるようになっていること。「はつかり」は青に白帯、「つばめ」は青大将色、そのほかは茶色という具合。
 
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「現在」というのは、本書作成の1976年ごろのこと。東北方面の客車は電暖改造のせいか青色塗装が多い(というのは私の一知半解か?)。北陸トンネル事故以降、食堂車の連結はなくなり、まだ12系と寝台車の併結は行われていないという時代。ようやく「銀河」が20系化されたけど、まだ夜行急行といえば窓の開く10系寝台が主力だった。
 
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編成表のページが終わると、次は製品のカタログになる。
この頃は非常にシンプルで、客車は切妻の戦後以降の形式のみ、旧国のキットはちょうど出たかどうかというころ(カタログには予定品として記載あり)。
電車は既に完成品として111系、103系ATC(クハのみ)、72系(更新クモハその他)それに小田急1800がちょうど出たところ。
 
高架橋やプレートガーダーなどもさりげなく掲げられているが、こうしたものは外国製の、ちょっと普段見かけないような形のものしか手に入らない時代だったのだ。
 
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最初に書いたように、これらオハ61系列とナハ10が、最初に出た客車キットだった。
この意義は、今ではにわかに理解できないほど大きかった。これを拡大した16番客車キットが中村精密からでたり(16番としては破格の1990円で発売、製品構成もなんとなく似ていた)、完成品しか出していなかった関水から京急800のキットが出たりした。
 
今、うちにはオハ61の在籍はない。いつか往時をしのんで、このキットを今組みなおしてみたいと思っているのだが。
 
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さっきちょっと言いましたね。電車の完成品は111系が最初。ネット上では「グリ完」といわれてるみたいですね。111系の、独特のモールディングは、懐かしいですね。。動力車の3,950円は当時とても高く感じました。72系もこの動力を流用したため、モハ72 920の台車はDT21、強制通風抵抗器付きでした。クハ79(全金)の台車もDT13(TR35系)、サハはノーシル、ノーヘッダでした。
 
111系の横須賀色までは出たけど、阪和色(153系新快速のような色)は出ずじまい。401系も出てません。
 
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これもさっき触れた、電車キット。初弾は3扉ロングシート、平妻の40系列、2扉の43系列、4扉の7系(3段窓)、それにクモユニだった。半流は時間がかかり、出たのは79年夏。70系、80系はその秋。モハは一体型2両一組の構成になる。
 
111系ものちには一体型キットが出た。もともと広告ではキットとして予告されていたが、完成品に変更されたのは塗装等、一般ファンには荷が重いと思ったのか。そういえば、ATCクハ(当時は出たばかり)も、前面部だけ発売と予告されたことがあった(関水のクハを改造するための)。
 
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まあそんなわけで、古い話をしてとりあえずその場しのぎをしようとしたわけでした。。
 

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コメント

工作が下手な自分にとって、GMは遠い存在でした。
板キットも青なり茶色の成形で出ていたかと思われますが、やはり全体塗装は必須でしたのでしょうね。

ただ、完成品はいくつか購入しました。
ATC顔のクハ103と従来の関水103系を合わせて組成したり、GMで発売しましたAU75を後者に乗せて冷房化率の向上も図ったものです。

またヘタなりに関水モハ103の塗装を茶色にしてGMのクモハ73とクハ79の間に挟んで鶴見線もどきをでっち上げたり。
少ない小遣いでいかに楽しむかが当時の趣味だったかと思います。

今や-オクで落としたセットに中古品店のジャンク漁った車両を加え、KATOの100系新幹線V編成組成して、接待レンタルレイアウト(笑)用のアイテムとしています。

12号線さん、コメントありがとうございました。
 
GM初期の板状キットは基本すべて茶または青成型(屋根はぐれー)でした。素組みでも最低限それらしい姿になりましたが、当時の風潮はやはり塗らないと・・というムードだったことは確かです。
 TMS76年6月号に特集記事があり、そこではまず板のまま塗ってしまい、後から箱にすることが推奨されていました。
 
記憶があいまいですが、私が最初に買ったキットはオハフ61(75年)、次いでスロ53(76年12月)、これらは当初車体モールドのまま就役しました。オハフはすぐぶっ壊してしまった記憶が。スロのほうは80年代に通勤型客車(北陸本線風)に改造して今世紀まで生き残り、甥に譲渡後昇天したようです。。
 
103系は欲しかったのですが、財政難で実現せず、高校生の頃は壊れた動力を再生した103系オレンジ4連と、ブルー3連(これに4連つけたかったのですが)で過ごしました。私もこれらに冷房化を施しています。。
 
モハ72970、今でも格好の題材ですよね。。鶴見線で見た記憶もありますが、写真は残っていません。。当時はまだ製品も少なかったですが、おっしゃる通り色々楽しむ工夫の仕方は色々あって、それなりに楽しい時代でした。
 
100系ってなぜか新しいというイメージが今でもあるのですが、とっくにいなくなっているのが不思議?です。一度だけ食堂車を利用したことがあります。のちに乗ったオシ24は非営業だったので、これが今のところ、食堂車を利用した最後の経験です。。

自分も100系新幹線の利用は新大阪→東京のひかり号一度きりの事でした。
普通車でもピッチが広く、しかも大窓とあってその快適性に感心したものです。
親には2FG車の一人掛けや個室利用も奢りましたがw

食堂車となりますと、オシ25901で朝食取ったことが唯一の経験でしょうか。
展望は望めませんが、席の関係で同車の個室に案内されました。
相席も無いので特待気分ですかねw
出雲市発、小浜・北陸・上越線経由上野行きTAP山陰路号での出来事です。

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