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2017年3月18日 (土)

鉄道雑誌

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時折ここで触れているように、近々転居を控えている。転居先の都合もあり、手持ちのものを整理しているが、特に問題となるのが書籍、雑誌、資料などの紙類だ。
 
鉄道雑誌、鉄道模型誌について、ここ25年ほどは鉄道ピクトリアルを中心に購読してきた。最初に鉄道関係の雑誌を買ったのは1974年6月の鉄道模型趣味だが、それ以後一貫して43年間買い続けた雑誌というのはない。
 
鉄道模型趣味は’74年から買い始めて、10年間くらいは全号そろっていた。80年代の後半から90年代初めごろまではあまり買っていない。その後復活したが、2000年ごろを境に再び中断、たしか800号の記念号は後から買って、その後数冊買ったかどうか。山崎氏が筆をとっておられたころの記憶が忘れられないというのもあるし、最近の模型界の情勢についていけなくなった、ということもある。
 
とれいんは創刊号が書店に並んでいたことを知っている。書店で最初に買ったのは’75年8月号で、9月号も買ったが、月刊誌を2誌購読することは子供には厳しくて、しばらく中断。’76年1月から1年ぐらいは鉄道模型趣味と並行して買っていた。’77年以降は気に入った記事があるときだけ買っている。とはいえ、とれいんは雑誌としてはかなり高価な部類となり、もう何十年も買っていない。RM誌はよりカジュアルな内容だが、80年代の一時期買っていたことがある。
 
模型誌から入っていったので、実物誌を買うことがなかなかできずにいたが、’76年11月のジャーナルをはじめ、年に数回は気に入った記事のものを買っていた。’80年夏からはジャーナルを毎月買うようになった。種村直樹氏の自伝が掲載されていたころだ。
 
私にとって国鉄改革の前後はどうも暗黒の時代という印象が強い。80年代前半は地方路線の廃止、貨物の合理化、労使関係の悪化、職場規律の悪化のような暗いニュースが続き、鉄道趣味を続けること自体、苦痛に思えるようになっていた。 
 
ので、80年代後半ごろはあまり鉄道にコミットしておらず、だいたい自動車関係の雑誌とかを読んでいた。今から思うと、自動車時代は10年あるかないかというところで、鉄道に比べると短いのだが、車を買ってどこかに出かけたりとかをしていたので、それなりに印象は強い。車雑誌関係は一部を残してほとんど処分してしまった。
 
その後は鉄道に戻り、先ほど書いたようにピクトリアルを主に購読していた。ピクトリアルは鉄道専門誌の中では比較的薄くて保存はしやすいが、さすがに20年を超えると一定のボリュームがある。たしかピクトリアル900号のとき、鉄道研究家の根本幸男氏の書架が掲載されたことがあったが、900冊のピクトリアルで本棚一本分ぐらいはあっただろうか。
 
根本氏ほどの年期もこだわりも持つことができない私にとって、手持ちの雑誌すべてを保管し続けることは難しい。これまで、今思えば大変幸いなことに、保管スペースについてはそれほど気にしなくてもよい環境にいた。これからはそうはいかないし、今後もアーカイブスは増えていくことだろう。ので、自分にとってそれほど重要でない号については、処分することにした。 
 
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たくさん並んでいるように見えるが(そうでもないって?)、これがすべてではない。古い号は別の場所にあり、それは処分しない。ここにあるのは90年代半ば以降のもので、いまのところおよそ半分を処分することにしている。
 
まだ簡単により分けただけだが、90年代以降の鉄道模型趣味誌は大部分が処分される見通しだ。70年代のTMSはどれも-自分のジャンルとはちがうものであっても-記事として読ませるものがあるし、どこに何が書いてあったのか、ほとんど暗記しているものもおおい。90年代以降のもので、印象に残った記事、今でも思い出せる記事というのはほとんど存在しない。
 あくまでも自分の主観だ。紹介されている製品の出来、技法のレベル、文章、どれをとっても、最近のもののほうが格段に優れている。それなのにというか、だからこそ、昔の素朴な模型の素人っぽい文章による紹介記事のほうが、好ましく思えるのかもしれない。
 
ピクトリアルでは、車両ごとの特集、例えばオハ35系特集とか、キハ58系の現状、みたいなのは無条件で残したくなる。反面、信号設備の特集とかなどは、どうしても処分に回る確率が高くなってしまう。地域別でもたとえば、中央線今昔みたいのは残したいし、それ以外の東海、関西地区あたりになると、やや関心が薄れて処分に回ってしまうのはやむを得ないところか。
 
業者さんは明後日に訪れることになっているが、事前に問い合わせたところでは普通にある雑誌などはあまり値がつかないこともあるとのこと。正直、私も自分にとって値打ちのあるものは手放す気もない。。逆に言えば、そういうものを残しておきたいからこそ、網羅的な保存ではなく選別をせざるを得ないともいえるのだ。。
 

2017年3月12日 (日)

鷺宮折り返し

以前メインブログのほうにちらと書いたが、このブログ(メイン、鉄道部)が2011年春から始まっているのは、東日本大震災と無関係ではない。というより、あの災害を一つのきっかけとしている。

それはともかくとして、この鉄道部のほうで、あの時のことについて触れることはほとんどなかった。理由はやはり、このようなゆるい趣味的なブログで取り上げるのは穏当を欠くと思っていたからだ。
この震災のときだったか、もしかしたら尼崎事故のときだったか忘れたが、「鉄道ファン」誌が、編集後記にこうした鉄道災害についての記述に関する見解を示していた。
 
ファン誌はこれらの事故について、紙面に記事を掲載しなかった。理由の一つは心無いファンが記事を「曲解」することを避けたいこと、そして楽しい趣味の雑誌たるべき同誌の趣旨にそぐわないからだ、と。いい方は違ってたかもしれないが、大略そういう趣旨の話だった。
これは一つの見識でしょうね。
 
翻って、このブログに社会的な影響力などはないが、私の場合はまあ、気持ちの問題として。。
 
ただ、あれから6年が過ぎ、自分の記憶も少しずつ失われつつある。それに、間もなくあの頃とは住環境が大きく変わる(転居する)こともあり、少しだけあの時のことに触れてみる気になった。
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以下は当時のメモをもとに記す。
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11日当日、首都圏の鉄道は全て止まり、いわゆる帰宅難民が大量に発生した。私もその一人であり、当日は帰宅せず、家族と親戚の家に身を寄せている。この日はだから、午後は鉄道を利用していない。

その後、徐々に運転を再開したが、この時点では電力事情は関係なかった。しかし、日曜日の午後になると、週明け以降の電力事情ひっ迫がにわかに問題になる。

 

深夜になって、東京電力から計画停電の話が持ち出された。午後11時過ぎ、ウェブを見ていたら、西武は明日、池袋線で池袋-練馬高野台間、新宿線で西武新宿-鷺宮間のみ運行し、他は運休するという記事を見つけた。半信半疑で最寄りの駅まで行ったところ、私と同様の不安を抱えた人が駅員に質問しているところだった。

 

実際に当日、計画通りにいったん実行されたらしいが、私が出かけるころには東電が停電を実行しなかったということで、運行範囲を拡大していた。急行運転はなく、すべて各駅停車でかなり混み合っていた。

 

帰宅時には再び限定運転に戻り、午後7時台は西武新宿-鷺宮間で運転していた。

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おそらく出社を見合わせた人も多かったのだろう。利用客はまばらだった。

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ずっと限定運行しているわけではなく、午後9時か10時ごろに運転再開するとのことだった。

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鷺宮では2番線のみ使用しているようで、ホームについた列車は折り返し西武新宿行きとなり、西武新宿寄りの渡り線を使って上り線に転線していた。

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鷺宮行きという方向幕はないので、30000系の行き先表示も「臨時」である。

車内の液晶モニターはSEIBUというロゴを表示するのみ。そういえば先日乗った電車も、故障なのか同様の表示になっていたのを見た。

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私はここから歩いて帰れたので、改札口を出てバス通りに出た。改札では駅員が誘導をしていた。通りでは同輩を数人見かけたが、家までは思ったよりも時間がかかった。

翌15日(火)は、計画を実行して朝は鷺宮折り返し。このときは池袋線の折り返し駅だった練馬高野台駅を利用した。始発駅で乗客も少ないため、案外快適な通勤だった。メトロ7000系が池袋地上駅に乗り入れていた。石神井公園ではなく、練馬高野台を折り返し駅としたのは何か意味があるのだろうが、なにしろ異常事態続きで、そんなことで驚いていられない、という雰囲気もあった。

 

この日の夕方は前日と違い、上石神井折り返しとなっていた。普段のダイヤでも上石神井行きはあるので、施設的には問題はなさそうだ。

 

16日(水)朝は運行範囲を拡大していた。急行運転はしていないので8両編成で、遠方からの列車なので極めて混んでいた。様子を見ていた通勤客もそろそろ仕事に戻り始めていたのだろう。帰りは田無までの限定運用だった。

 

以後、徐々に輸送状況は改善に向かっていく。


2017年3月 2日 (木)

快速

ああ、ついにこの日が。。

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区間快速ではなくて快速として乗車したのは、1996年頃が最後かな。。乗車距離に比して設備も適切で、かなり好きだったんですけどね。。 
 
最近は区間快速での乗車がなんどかありますが、停車駅が多く、乗っていると昔の客車鈍行を思い出すような雰囲気でした。
 
思い出すのは、6年前の成人式の3連休のとき、宇都宮に餃子を食べに行きました。行きは新幹線に飛び乗ったのですが、帰りは東武にしようと、駅を探して歩き始め・・。場所も知らなかったし、まあ川越から本川越行くぐらいの位置関係だろうと思っていたのですが・・。
 
とにかく、新栃木から乗車した区間快速、かなり混雑はしていたけど、なんとかボックスシートの一隅を確保。自分のボックスには前にちょっと怖そうな労務者ふうのおじさん、もう一人は忘れたけど、となりには髪をアップにした、たしか着物着た中年の女性。この人、たぶん年末年始に、鬼怒川温泉あたりの旅館で臨時雇いしてたんじゃないかと、想像したりしましたが。。荷物はキャリーバッグに小さくまとめられ、妙に職業っぽい雰囲気を漂わせながら、おとなしく座っていた。
 
反対のボックスは、かなりくたびれた様子の家族連れ。やはり鬼怒川温泉辺りに泊まっていたのでしょうか。長旅に子供が飽いてぐずぐず言ったり、ふざけまわったりしていたが、親たちは叱る気力もなさそうな。。予算の関係でスペーシアには乗れなかった感を漂わせていましたが、たしか春日部を過ぎてもまだ乗っていた記憶はあるな。
 
なんというか、客層が、例えば上越新幹線や常磐線特急などとはずいぶん違う感じがして、とても印象に残っています。やはり長距離鈍行っぽいというか。。
 
最近では2年前に、南栗橋から乗った記憶があるな。南栗橋は田舎ではあるが、東急車10両も入って来るし、駅施設は普通に都市部の電鉄式の作りだ。時折入線する6050は編成も短く、なんとなく場違いな雰囲気を漂わせていた・・。これが春日部とか、北千住あたりだとしっくりくるんだけどね。。
 
6050、その前の6000系は東武車の中でも特に好きな電車だけどなあ。その割に写真はあまり撮っていないけど。西武における4000系みたいに、時折臨時かなんかで運転すれば、かなりプレミアム感をもって迎えられるのではないかと思うが。
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