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2016年7月25日 (月)

まだやってます

去年の秋に改良工事に着工し、春ごろに工事再開して建物などを買い、名前を決めるなどしていたうさぎ鉄道 小松菜線。とっくに完成していてもおかしくないのだが、5月ごろからまた長期休工状態となり、数か月間放置状態だった。

こういう、作業の遅さはもう致命的なほとで、もう鉄道模型も廃業したほうがいいのかもしれないと思うほどだ。。レイアウト製作の知識レベルも、30年以上前の状態で止まったままだし。。
模型関係の雑誌(TMSほか)も、もう長いこと買っていないが、そろそろ知識を更新しないとだめだろうな・・。それか、やめるか。。
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6月初めごろの状態。線路まわりの土地をカラージェッソで目止めし、レール側面も塗った。ポイントの接点不良にさんざん悩まされているので、ポイント付近は側面塗装を省略している。
前に書いたが、本当は線路周りを仕上げてから、フレキをあらかじめさび色などで吹き付け仕上げしたうえで敷設するほうが、作業手順としては正しい。今回はストラクチャーを固定した後でレール側面塗装をしようとしたので、ホームわきの線路などは余計な手間がかかっている。また、踏切板を先に張ってしまったので、その部分の側面塗装もできていない。
線路と関係ないが、農家や商店、駅などには鉄コレの照明キットを組み込んだ。電球色というやつだが、電球というより石油ランプみたいな色合いだ。照明下ではあまり目立たず、暗くすると今度は屋根や壁が空けて見えるのが丸見えで、火事現場のようだ。
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LEDはソケットがあらかじめ取り付けられているので、ベースに比較的大きな穴を開けないと通らない(ソケットを切りはなして、あとでつないでもいいが、よけい面倒くさい)。ところがシナべニアはかなり固いので、電動ドリルでもかなり時間がかかる。本当はプラットホームに照明したかったのだが、穴あけに手を焼いたので根負けしてあきらめた。駅舎の照明などほとんどわからないし、ホームこそ見せ場なのだが。
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バラストは昨日からはじめた。バラスト自体は、ずいぶん前に買ったWoodland Scenic sのもので、現在はKATOの製品として流通しているのと同じものだと思う。色は2種類持っているはずだが、なぜかグレイ系のほうが行方不明で、茶色しかみつからない。仕方ないから、単色で仕上げてしまおうと思う。色、粒状感ともに、ミルクココアのように見える。
実物は駅構内であれば、こんな感じでもいいが、本線はもうすこしグレイ系にしたいところだろう。もっとも、昔、ブレーキシューが鋳鉄の車両が走っていたところは、駅付近の汚れ具合はこんなものではなく、赤さびで真っ赤になっていた。あれは炎天下などで見ると、かなり暑苦しい感じがするものだったな。。
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駅構内は、本当は行内全体にバラストが敷き詰めてあるのかもしれないが、とりあえず方のところは最小限にしておく。本線はもうすこし肩を怒らせてユニトラックみたいなかんじにする。
やってみた人にはわかるだろうけど、これは本来、とても楽しい仕事だ。ちいさいころ、砂場で遊んでいた感覚がよみがえってくる。
のだが、このバラストはあまりに細かいので、柔らかい水彩筆を使ってもなかなかきれいな形にできない。道床付き線路と違い、部分的に崩すことも自由なので、あまりきっちりとはしないつもりだったが、意図しようがしまいが、どうしても崩れてしまう。
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固着はボンデッドバラストで、木工用ボンド+水+中性洗剤の溶液をスポイトでたらす。
もう40年以上、同じことをしている。もっとも、前回バラストを撒いたのは30年以上前の話だ。あのときは使い勝手を考えてトミックスのバラストを使ったが、あちらのほうが数倍粒大きい代わり、非常に扱いやすく、溶液も通りやすい。前は普通に買えたが、さいきんはあまり店頭で見かけないかもしれない。
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この先の、駅構内のポイントがたびたび接触不良を起こす。あまりひどいようならポイントごと交換すべきなのだが、工事がここまで延び延びになっているのは、だましだまし、接点を磨いたり接点クリーナーを使って、試運転を繰り返してきたというせいもある。今回も接着剤溶液をたらしたので、試運転すると案の定うごかない。なんとかなだめて動くようにしたが、困ったものだ。最終手段としては(もうポイント交換は難しいので)レールボンドで全通状態にするしかないかもしれない。

2016年7月18日 (月)

古き良き時代

少し忙しい日々が続いて、更新ができませんでした。。

残業で、一人残っている事が多かったが、そんなときつまみ代わりに(^-^;鉄道系のサイトをのぞいたりしていた。。

大抵は古い鉄道の写真とかを見ていた(そうそう長文の記事を読んでいる訳にはいかない。。)。

先日からまた、昔の近鉄のペン画を描き始めているが、その頃の様子を知りたくて、検索をかけていくつか探し出した。その一つがこちらだ。
管理人の方は既に3年ほど前に、鬼籍に入られたようだ。幸い、記事そのものは削除されていないので、こうして全国の貴重な写真を見ることができる。

よく、古き良き時代などと言うが、どの時期が良い時代なのか、決まりがあるわけでもないし、人によって指し示す時代はちがう。いや同じ人でも、そのときの話の流れによっては違ってくる。

ただ、我が国の鉄道でいうと、だいたい活気のあった時代は昭和30年代半ばからの10年ほど、というのが通り相場になっている、という感覚はある。
動力近代化が軌道に乗り始め、次々と新型の車両が投入されていく一方、国鉄制式蒸機はもちろん、専用線などには明治時代の蒸機すら残っていた時代。大都市には路面電車、地方各地にはローカル私鉄や軽便鉄道がまだたくさん残っていた。

Twitterなどで、明治期から戦前にかけての鉄道を探求している若い人の記事を読んだりするが、戦前の客車の色合いや、機関車の手入れの具合(模型化するとき、どの程度ウェザリングしたら良いか!)など、興味深い考察をよく見かける。

とはいえ、明治期は遠い昔であり、残された写真も少ない。昭和に入るとだいぶ増えてくるが、明治大正期から昭和の戦前期を模型化したレイアウトを作りたくても、なかなか敷居が高いのが実情だ。目にする資料が少なすぎるのだ。もとより、その時代を記憶する人も少なくなっている。

それが、昭和30年前後になると、カメラの普及も進み、時代も落ち着いてきたこともあって、格段に写真が増えてくる。先ほどのサイトの方も、写真よりは乗車することが主体の趣味でおられたようだが、それでも多数の貴重な写真を残されている。そういうのを多数見ていると、自分なりに二次体験が積み重なっていく。行ったことがないのに、位置関係を熟知している駅とか、乗ったことも見たこともないのに、見ると懐かしくなる車両などが、私にもたくさんある。

蒸機の運行は終わっていても、蒸機時代の施設はしばらく残っていたし、往時の空気感というのは私達の記憶の隅に残っている。昭和50年代に入っても、まだ大宮には96の入っていた煉瓦造りの機関庫が残っていたし、たとえば鴻巣駅などには貨物引き込み線が生きていて、貨車移動機が黒いワムをつないだまま留置されていたりした。改札口の薄暗い雰囲気も、「シーナリィ・ガイド」(河田耕一著)の時代のままだった。

そんなこんなで、うちのうさぎ鉄道も、見てきたような昭和風だし(ただし線路配置は模型本意で、機回し設備がない点など、往時のマニアの方が見たらとても不自然に思えるだろうな。。)、そもそもうちには平成以降に設計された車両がほとんどない(JRではE5系と251系、たしかコキ100系があったかな。私鉄は西武2000N系が昭和62年、東武10030系も昭和63年で圏外)。

あの時代に、たとえば昭和39年から40年頃に、タイムワープしてしばらく滞在できたらどれだけ楽しいでしょうね。。

もちろん、楽しいだけじゃないでしょうけど。。急行でもロザに冷房がようやくつき始めたくらいで、通勤車は冷房化率0%。新幹線は東海道だけだし、北海道も九州も、鉄道がだめなら飛行機というわけにもいかない。高速道はおろか一般道も地方では整備されていない。そもそも、国産の自動車は100km/hがぎりぎり出せるものがぼちぼち出てきた頃で、これまた冷房のついた乗用車はほとんどなかった。カラーネガはまだ珍しくて、感度はASA100あればいい方だったんじゃないかな。。勤め人の人は、週休1日、土曜日は半日勤務が普通でしょうし。

そんな環境の中、全国の鉄道を撮り歩くのはたいへんな労力が必要だったでしょうねえ。。

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スキャンデータとして残っていた古い写真。ゆうづる6号が青森を発車しようとする、直前の撮影。乗ったのはたしか24系(14系だったかな??)だと思うが、良く覚えていない。さっき調べたら、上野には6:00着だったようだ。2番線からは「十和田4号」が19:52に出発するようだが、ホームに止まっているのは長旅を終えたばかりの583系「はつかり」(5号でしょうか・・)。もちろん盛岡発ではありません。

2016年7月 4日 (月)

赤羽線

先週赤羽線のことをちらと書いたので、もう少し引きずります。

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1979年4月か5月ごろだったと思います。
103系の車番はわかりませんが、走行中の赤羽行きの編成番号は31となっています。
池袋電車区(当時)に留置中のクハは、たぶん黄色なんじゃないかな。車番はクハ103-50のように読めますが、どうかな。。最近はN'EXの定位置となっていますが、この頃は赤羽線の編成がこのあたりに留置されていることが多かった気がします。
サンシャイン60は撮影時の1年前に開業したばかりですね。いまもこんな風に見えるのかな。
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これは上の写真と同じ編成ですね。運行番号4、編成番号31。
前面下の通風器が埋められている以外、ほぼ原形に近い状態のようです。
そんなことを忘れていたけど、赤羽線は8両編成でTcMM'TTMM'Tcと、これまた登場時とおなじ編成だったのでした。
これだけきれいなオリジナル編成が見られたのはこの頃が最後だったのではないかと思う。山手線の低運車はこの頃のこり数編成という状態で、9月に終焉を迎える。
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ATC車の方向幕は「赤羽線」となっている。低運車は「池袋-赤羽」という区間表示だ。低運にも赤羽線表記があったのか、その逆はあったのか、その辺は記憶がないというか、当時はあまり意識していなかったかも知れない。
ATC車(といって今通用するのだろうか)は'74年の初め頃登場し、山手線、京浜東北線を中心に配備が進んでいた。その辺は詳しい人がいると思うが、一時的に中央快速線にも配備されていた時期がある。登場当時はそれなりに新鮮な感じがあった。
模型では早いうちからマックス(後のGM)が製品化予告をしていたが、店頭に並んだのは'76年の夏頃、クハのみで、関水の103と併結することが前提だった。ほぼ時を同じくしてカツミ-エンドウから16番の製品がでたが、さすがにこれは冷房付き、ユニットサッシで編成が組めるようになっていた。
戸袋鴨居のところ、今の車両だと液晶モニタがついているあたりの広告枠に「国鉄ペーパーラジオ」という、鉄道の広報が掲示されていた時期がある。'74年の春頃、そこで山手線に新型車が登場しました、窓が小さくなって、ステンレスの飾りのついたスタイルです、よろしく・・みたいな紹介がされていたのを覚えている。
話は大きく飛ぶが、JR東日本になってからの広報で、人気漫画家の安藤しげきさん筆による「Jr.しげき君」が「連載」されていた時期がある。やはりドア上鴨居に掲示されていたと記憶する。当時主に201系の車内で見ていたが、結構楽しみにしていた。安藤さんはたしか連載中、かなり若くして亡くなられたんですよね。

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