• P7171477
  • P7171475_2
  • P7171469_2
  • P7171468_2
  • P7171467
  • Imgp0288
  • Imgp0282
  • Imgp0275
  • Imgp0273
  • Imgp0271

« 西武新宿線地下化工事 2016 | トップページ | 赤羽線 »

2016年6月26日 (日)

東武81103F 新製艤装のころほか

久しぶりに古い写真の話だ(たしか、一部の写真は以前にも掲げた記憶があるが、いま探しても見つからなかった・・)。

Img0024
1980年、いまから36年前の6月中旬か下旬ごろの土曜日のことだ。
当時学校は半日だったが、帰りに鶴瀬駅の貨物側線に8000が止まっているのが見えた。
いったん帰宅してカメラを持ちだして、駅に戻った。
この側線は、今でも線路の一部が残っているが、平日は毎日貨物列車が退避していた。もうだいぶ記憶が薄れてしまったけど、たしか午後3時台に下板橋を出発して、この側線で40分近く退避する。貨物列車の廃止は1986年10月のことで(たしか14日)、廃止直前に写真を撮りに行った。そしたら、秋の日は短くてすでに暗くなりかけていて、当時せいぜいISO400だったネガフィルムでは撮影できなかった。
Img0025
電車は81103Fだった。前年11月のダイヤ改正時(柳瀬川駅開業、大山駅の踏切解消と各駅停車の10両化など)、8193F-81101Fという大量増備を行ったが、この年はこの81103Fと81105Fの2編成16両が新製された。
Img0026
この年の増備車の特徴は何といっても、この押え金式のドアだ。8000系は1963年の登場時から74年の8166F,8568Fまでが黒色Hゴム、内張り鋼製塗装の仕様で、8167F、8569Fから黒色Hゴム、内張りステンレス無塗装になった。
Hゴムというのは、今はほぼ絶滅したと思うが、1950年代半ばごろからこの頃にかけて、固定窓の取り付け方法として広く普及していた。ゴムが劣化してしまうのが問題らしくて、1970年代の終わりごろ登場した新車はアルミ押え金方式に変更されたものが増えてきた。
押え金方式自体は別に新しいわけではなく、東急や営団などでは古くから採用していた(両社ともHゴム方式の車両と併存していたが)し、関西ではHゴム方式のほうが珍しかったんじゃないかな。イニシャルコスト的に、Hゴムのほうが安かったのかもしれない。
国鉄でいえば、79年の201系試作車は全面的にHゴムが排除されていて、側面の雰囲気がかなり変化した。
余談ですが、古いクリームと赤色の電話ボックスも、窓の固定は黒色Hゴムですね。あれと、今でも見られるアルミ押し出し材の電話ボックスの間に、アルミ製で窓を抜いたようなかたちの過度期的なボックスがあったと思うのだけど、今検索しても画像が出てこないな。。
話が横道にそれた。
Img0027
このときは、車内の広告などを取り付けていたので、営業運転に向けた最終段階だったのだろう。
鶴瀬駅ふじみ野方には、いまでも保線車両向けに簡易渡り線があるが、当時は普通の分岐器を使った本格的な渡り線であり、今とは逆に上り線から下り線への片渡りだった(ちなみに、保線車両の側線も当時からあったが、ポイントの分岐方向が今とは逆で、ホーム先端部にポイントがあった)。
前述のように、退避線は午後遅くの貨物列車以外、通常は使用されていなかったので、こうした試運転列車にはよく使われていたようだ。
このあと9000系試作車が習熟運転のため、この側線に止まってるのを見たときは、それこそ狂喜乱舞したものだ。。
Img0028
ついでなので、同じころ撮影した池袋電車区(当時)のスナップ。カメラはOlympus OM-1、レンズは50mm F1.4なので、網目が切れないですね。左の編成は中間3両が非冷房という、当時の典型的な編成。ATC化のため、先頭車だけ新製して、中間の8両が全部非冷房という編成もあった。この場合、電源がないのでクハの冷房も使用できなかった。が、一部の利用者は、運転士だけ冷房しているんだろう、と勘繰る人もいたりした。。
Scan15188
赤羽線が103系になったのはたしか’78年初めごろ。山手線が黄色の101系から103系に変わったとき、赤羽線のみ101で残されていた。103系化されて、黄色塗装のみ引き継がれた。
もっとも、全車黄色の編成はめったになくて、当初から黄色と緑の混結が多かった。クハは低運が主力だったが、次第に緑のATC車が先頭に立つことが多くなり、'79年には黄色いATC車が登場した(新製ではなく、200番-300番台の塗り替え)。今見ると何とも思わないが、高運転台の黄色いクハが出たのはこのときが最初だ。
黄色は埼京線には引き継がれなかった。今思うと、外回り電車は新宿でも池袋でも、ホームの反対側に黄色い電車が止まっていたわけで、勘違いして誤乗するひともいたのではないか。。

« 西武新宿線地下化工事 2016 | トップページ | 赤羽線 »

国電」カテゴリの記事

東武鉄道」カテゴリの記事

コメント

新製直後の81103F、ドア窓に何もなくて見栄え良いですね。
その反面、ドア内側の「ドアーにご注意ください」の改変のヒドさは目立ちましたがw

赤羽線の103系と言うと、1978年ごろ一般仕様改造されたクハ103-178・179も運用されていました。
この編成も当然ながらモハに冷房用電源ないため、全車非冷房。
黄色の電動車は若番ばかりでしたが、後に新製車や宮原からの転属車が入った時には大変驚きました。
特に、大鉄出身の776-2033ユニットは好んで乗りましたw

12号線さん、コメントありがとうございました。例によってお返事が遅くなって申し訳ございません。。

「ドアーにご注意ください」懐かしいですね。。。
「ド」「にご注意」をコインか何かで削り落とし、あとは「く」か「だ」のどちらかを削る、というのが基本でした・。さすがにこんなことは、公式の記録にはどこにも書かれないはず。当時を知っているひとだけに通じる話かも。。

冷房試作車は中央総武緩行線時代の方が思い出深いです。90年頃から94年いっぱいまで沿線にいましたが、普段は快速乗車のため、車窓からバリエーションを眺めるのが好きでした。池袋出身の103も多くて、妙な因縁を感じたものです。。

103最後の新製車もたしか北池ー池袋間の車窓から眺めたのが最初だったと思います。黒色Hゴム、塗り屋根が異彩を放っていましたが、後年初期車も体質改善でいろいろな仕様が出たので、埋没してしまいました。2000番台車も宮原から来ていましたね。。私はあまり記憶がないのですが、内外装に関東との違いが見られたのでしょうか。。

>内外装に関東との違いが見られたのでしょうか
・外装
現車が吹田工場に一度でも入場していたかは不明ですが、当時妻面のキャンバス止めが白色のままでした。
対して大井出場車はそれを車体同色に塗られます。
・内装
戸袋窓の禁煙ステッカーが現存、逆に天井デコラに貼るべき東京近郊路線図がない(広告受けの位置変更なし)と関西仕様そのものでした。

特に内装は豊田区に移ってから数年でようやく関東仕様に改められた次第です。

キャンバス止めは新車の時は白色で、入場時に車体同色にされたのでしたね。
首都圏を103系が走っていたのも遙か昔の話になりました。
関西圏でもいよいよ終焉を迎える線区が増えてきましたが、未だに低運転台のクハが残っているのにはいささか驚きます。宮原の2000番台も、在阪のままなら今でも健在だったかも知れません。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 西武新宿線地下化工事 2016 | トップページ | 赤羽線 »