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2016年5月15日 (日)

5月のいまごろ

本当は連休の後半に書いてupしようと思っていたのですが、その後疲労困憊の状況に陥り(すこし大げさですが)、いつの間にか5月も半分が過ぎてしまいました。。

5月の連休に、いままで遠出したことがない、という趣旨のことを書いていましたが、その辺は削除して。。

もう35年ぐらい前の今頃、自転車でエコーモデルに行ったことがあった。
春に近所のひとからスポーツサイクルを譲ってもらい、行動半径が広がった。バイクや車ほどではないが、やっぱりどこか遠くに行ってみたくなるのだ。当時埼玉県在住だったが、自分の足で都内に出るのは初めてだった(さいきん、その頃は関所があったという説が出ていますが、そういえば・・)。

ちょうど、会田充彦氏の作品展を店内でやっていて、それを見たかったんだと思う(TMSに広告があった)。会田充彦氏とは、湘南交通という、ストーリー仕立ての架空鉄道とフリーランスのペーパー車両の記事をよく投稿されていた。ちょうどNから16番に進出し始めた頃だったこともあり、かなり影響を受けていた。「湘南交通」は、車両の仕上がりもすばらしかったし、従来のTMS記事とは少し違う、洒落た文章にも強く惹きつけられた。

(ああ、そういえば、このあとしばらくしてから、再び「湘交」(べつの。もちろん)に夢中になった時期がありましたね。。今思い出すと懐かしいんですけどね・・)。

私の場合、鉄道模型の入門がNゲージだったので、16番は正式に入門セットを買って、という過程を経ていない。中学の鉄道研究会で、16番の模型を共同(各自が担当車両を製作する)で作ったとき、クハ165だかを作ったのが最初だ。あ、クモハ165だったかな。

Nでペーパー車体を作っていたので、腕に覚えがあるつもりでケント紙から自作した。前面も小高の真鍮パーツなどは使わずに自作した。当時のお手本は西尾博保氏の記事や、いくつかのTMSの製作記。クハ165というか、153系のクハは翌年にもう一度作っている。このときも共同製作で、私はクハとサロを担当した。モハを作った友人と組み合わせるはずだったが、縦型モーターとインサイドギアの当時普通の動力だったのに、うまく動かずに運転できなかった。

話が脱線したが、この次点でもペーパー車体の作り方はきちんと習得したわけではなかった。

ので、TMSを読みながら色々と研究を続けていた。TMSは教科書代わりにしてかなり熱心に勉強した。’78年から’80年くらいの話だ。ペーパーで魔法のように綺麗に作られた、名鉄6000系とか、地方私鉄のフリーランス、運転用に様々な工夫をしたブルトレ、近鉄初代「あおぞら」、などなど。「とれいん」でも、ペーパー車体の記事は結構出ていて、少し古いが’75年後半から継続的に様々な制作記を掲載していた。山下健一郎氏とか、小田急の製作記はTMSでも紹介されていたな。あと、京成の大熊重男氏とか。

高校に入って最初に作ったのは、水色のクハ103(当時続々新製されていた)だったが、けっこうへろへろの作りだった。その後も色々手を出していたが、よりシリアスにディティールを追求した、本格的な模型として、東武7820を作り始めたのが’80年の夏頃だ。

サンディングシーラーで屋根を完全に平滑に仕上げ、床下機器も実車を取材して、パイピングもある程度引き回していた(一部を実際に通電に使った)。2両作るのに8ヶ月以上かかり(その間に別の車を4両くらい作っているけど)、完成したのは’81年春。当時池袋西武鉄道模型売り場で開催されていた、ペーパーキットコンクールに出品した。

今思い返すとこれもへろへろの作りだったと思うが、入選はしなかったものの(選外次点ということかな)しばらく店頭に展示されることになった。

私の車両は、t0.2-0.25位の、非常に薄いケント紙を使っていたので、線が細くていかにも壊れやすそうなのだ。というより、実際に壊れやすかった。(まあ、窓周りなんかは、けっこうスケールに近い作りだったとは思うけど。スチールの細いサッシを、頑張って1ミリ以下の寸法で作ったりしたのですが)。

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2003年頃撮影した写真だが、もう部品があちこちとれてぼろぼろ。屋根も埃だらけ。ジャンパ栓なんかの細かいパーツも、とれてしまっている。

で、話をエコーモデルに行ったときのことに戻すと、ショーウィンドウから会田氏の車両群を眺めて、最初に受けた印象は;

「車体、分厚い。彫りが深い・・」

というものだった。

まず、四角いものを四角く作る、というところから全然私の作った車両と違っていた。

今度作るときは、もっとしっかりした、t0.5位の厚板で作ろうか、と。

そのころ、次に作る車両は新京成の8000系にしようと思っていた。偶々鉄道ファンの紹介記事と図面が手元にあったこと、当時の新塗装が、会田氏の「湘南急行」にも通じる、落ち着いた感じの色で気に入っていたことなどの理由からだ。

台車は日光の伊豆急用を使うつもりだった。友人から4両分、譲ってもらっていたのだ。これにブレーキシリンダーをつけると感じが少し変わる。当時は私鉄用台車が少なかったので、こういう加工を記事でよく見かけた。

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写真こんなのしかなかった。奥がもちろん8000ですね。

エコーのご主人に、ブレーキシリンダーください、といって「どういうシリンダー?たとえば、客車用とか、蒸気機関車用とか・・」とかいわれながら、挽き物のシリンダーを32個買って、たぶんまだあれは開封していないだろうな。35年間。

結局新京成は作らなかった。今でもかっちり作って、綺麗に艶を残して塗装した車体をつくれば、かなり魅力的な模型になりそうな気がします、新京成8000.

ネット時代になって、当時あこがれていたモデラーの方々がブログを書いているのを時折見かけます。皆さん、とてもお元気に人生を満喫している様子。。

考えてみると、自分がいろいろな理由で(鉄道)趣味を十分に全うできなかったのは、自ら同好の士たちと交わることをしなかったからか、と思うときがある。鉄道研究会にも一時期在籍はしていたんだけどねえ。。

まあとにかく、これからも諸先輩の背中を見ながら、ぼちぼちとやっていきましょうか。。

以下も賞味期限切れのおまけ写真です。

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ごついレール(60kgレール?)、狭い複線間隔。なんというか、模型ぽいですね。

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この駅、電車はぜんぜん来ないという印象が強いですが、定点観測しているとそれなりに来てはいますね。。それにしても、施工をKATOかタカラトミーがしたのではないかと思うような高架駅とその周辺。。

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コメント

東武のHO、なかなか良い出来栄えにてうさぎくんさんの腕の良さが垣間見えます。
運転席との仕切りも再現されていて、簡単に入れた往時を思い起こさせます。

連休、当方は若桜駅ほか巡ってきました。
シーナリーガイドには約50年前の光景掲載されていましたが、変化の有無が絶妙に入り混じっていて、少しでも集客に結びつけようとする努力の跡が見えます。
ただ、ピンクに塗られたC12だけはいただけないものでしたが(苦笑

12号線さん、コメントありがとうございます。お返事が遅くなりまして恐縮です。
78の乗務員室背後は、運転席の側がメクラになっていて、運転の様子が見えませんでしたが(昔は8000でも昼間からカーテン掛けて増したけど)、助士席側は2名がけのシートに座りながら前方が観賞できるので好きでした。

ちなみに模型の仕切り板は屋根の部分2カ所のネジで取り外しができるようになっており、床板から屋根上にむけて、前照灯の電器を導電する機能も兼ねていました。今思うと、そんな所を経由しないで側面に線でも張っておけば良いんですけど。。

若桜鉄道にいらしたのですね。シーナリーガイドの記事の中でも、比較的さいきん(’60年代末?)のものだったようですが、C11と各駅の貨車が、好ましい感じの光景を見せていたと思います。蒸機の復活運転にむけて努力中のようですが、あのピンクはちょっと困りものですね。。

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