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2016年5月 1日 (日)

新松田、大雄山線(2)

(1)の続きです。以下、結構長いです。

新松田から開成駅まではそれほど離れていない。まわりには工場やマンションが建ち並ぶ、結構立派な駅だ。

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子供の頃この展望席に乗った。それ以来のファンですが、展望席の楽しさはまた格別でしたね。

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その塗装や登場年代から、どうしても円谷プロ的な世界を連想してしまうのですが・・。

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あの時代ならではの、美しいデザインですね。このライトケースは、実は衝突に備えた緩衝装置の突き当て座を兼ねているそうです。

このコンセプトはNSEに先立ち登場した名鉄7000と同様ですが、小田急の方がより優美なデザインになっています。

もっとも、子供の頃、本で名鉄7000を知って、名鉄の方が力強いデザインに見え、小田急はちょっと弱いイメージだな、と思っていました。

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この塗装はNSEが最初ではなく、SE(初代3000型)からですが、洋画家の人に配色をお願いしたとか。昔は手の込んだ塗装をしたものです。国鉄20系客車も、細い3本帯が綺麗でした(晩年は1本削られてしまったけど)。相鉄6000系とか、一時期の関東鉄道とか、ああいう手の込んだ塗装がされることはもうないでしょうね
もっとも、塗りじゃなくて、シートなら、帯でもグラデーションでも何でもありになってしまいますが。

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小田急にはめずらしいミンデンドイツ式台車(FS346/046)。小田急と言えばアルストム。昔は鉄道会社ごとに台車の好みがあって、小田急アルストム、東急パイオニア、京急OK型、近鉄シュリーレンと、それぞれに特徴があった。相鉄の外出しディスクも個性的だった。

阪急はアルストムからミンデン、更にSミン(後にS型)となって、東武、京成、南海などもこれに追随して民鉄界の主流となる。

京阪はちょっと台車フェチ、西武は逆にひとつのものにこだわる傾向がある。TR11好きというか、FS372好きというか、たとえは変だが反グルメ嗜好で、昼飯にまいにちチャーハンばっかり食ってる人みたいな印象があるな。。

話が思い切り飛んでしまった。

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というわけで?開成駅を後にします。折しも、現役最新の展望車VSEが通過中。

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ここから駅前の道をまっすぐ歩くと、大雄山線の和田河原駅に行ける。ので、てくてく歩いたが、これはいささか疲れた。新松田もそうなのだが、この一帯はのどかな田園地帯というより工業地帯で、大企業の工場、研究所、オフィスなどがけっこう点在している。開発も進行中で、あまり風光明媚という感じではない。

駅に着く頃にはかなり疲れてしまい、駅前の喫茶店で休憩。

この和田河原を含め、後で書く大雄山、塚原付近を、30数年前に訪れている。和田河原は、今は駅ビルが建っているが、当時は普通の田舎駅だったらしい(というのは、今や「行った」という以外、残された写真のほかはほとんど記憶がないのだ)。ただ、ホームや線路配置は昔のままのようだ。

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大雄山。電車庫は記憶の通りだが、まわりにビルが建ち並んでいるのを見てちょっとびっくりする。

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駅舎の雰囲気は昔のままだが、反対側を見ると大きなビルが建ち並び、スーパーや飲食店が入っている。バスもかなり頻繁に出ているようだ。
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さて、今回の最終目的地はこれでした。

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コデ165,今では本当に貴重な、吊り掛け式17m車ですね。
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昭和3年、鉄道省モハ30として製造され、相模鉄道を経て1976年に大雄山線に来たそうです。ウィキを見ると、クハと車体を振り替えている旨の記述が見られます。モハ30166(昭3川車)→クハ38108→クハ16156→相鉄クハ2510→伊豆箱根モハ165ということらしい。同じくウィキによると、電装品は昭2汽車の30145までさかのぼれるのではないかと思うが、頭が混乱してきたので省略。それにしてもウィキペディアはなんでこんなにマニアックなんだろうか。。

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相鉄2000系はいずれも結構長命の血筋らしく、本家でもつい最近まで残っていたし、地方に行った車両たちも結構長生きしたようだ。

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CS-5型主制御器。16番で旧国の模型を作ったことのある人なら、目をつぶってもその形を描くことができるかもしれません。私はNの、GMの動力ユニット(DT13)の床下機器ユニットがCS10だったので、ダイカスト製のユニットからCS-5の部分を削りだして換装したことがあります。

ところで、この制御器の表面にMeidenshaのロゴが見えますが、あの明電舎でしょうか?この筐体は昭和2年から90年近く使われてきているものなのでしょうか?それはさすがに。。

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左が遮断機、右の丸いのがAK-3型コンプレッサーですね。つい最近まで西武2000系(クハ2414)その音を聞くことができましたが、これのマニアもいそうな感じですね。

昔の16番模型では形状把握が難しかったらしく、真鍮挽き物と折り曲げた帯板で構成された、素朴なパーツが市販されていました。エコーモデルがこれを正確に再現したパーツを売り出して、これはこういう形をしているものだったのか、と感心した記憶があります。

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DT10型台車。この系列の台車には、西武で過去何度も乗っているはずです。車両史的には(新製時から)この台車を履いた車両はそう多くなくて、木造のデハ63100系からモハ30の二重屋根車くらいまでではないでしょうか。その割には再生利用されたものがとても多い。
手前の警笛の下に見えるのが、釣り合い空気ダメです。

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重ね板バネ、揺れ枕釣りなどがよく見えますね。

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戻ります。 線路配置は昔からこんな感じでしたが、昔は左側の建物がなくて、そちら側からホームにいる車両を撮影できました。どうなっていたのか、全然記憶がないのですが。

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この車庫は33年前も同じ感じだった。この辺だけ地方私鉄らしさが残る。

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これが登場したのが1984年だそうで、私が訪れたのはその1年前だった。
全部旧国17m車だった。あの頃、さすがに珍しかったかな。もっとも、東急池上線や目蒲線にも戦前型はいたし、西武も多摩湖線でなくても、551系などはまだ本線にいたんじゃないかな。

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5000系は、旧国に比べると魅力は劣るが、とはいえ転換クロスはいいなあ。
西武も3000系を残して、転換クロスとかにしといてくれれば、レッドアローが通過する駅の利用者から恨まれずにすんだのに。。

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午後4時を回ったので、塚原に移動。33年前、全く同じところで撮影している。
狩川という、酒匂川の支流なのでしょうかね。

鉄橋はトラフガーダー?と、下路式のスルーガーダーです。
昔話ですが、Nゲージの鉄橋として入手しやすかったのは、このタイプのスルーガーダーしかなくて(関水とトミー)、日本でよく見かける上路式ガーダーは、GMが発売するまでなかったのです。ので、トミーのガーダーを切って上路式に改造したりしました。

まあ、余談ですが。

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立体交差以外でこのタイプが使われるのは珍しい気がしますね。

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5000系はわりといま風ですが、時代的には80年代後半のファッション。台車は西武FS372似。内装も更新前の2000N系そっくり。
抵抗制御は保守がしやすいのかな。

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細かいバリエーションもあるので、趣味者的にも楽しめる要素はありますね。
パンタグラフも、まだシングルアームに変えられていない。

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本数が多いので、撮影は楽。昔の写真を見ると、富士山をバックにロングで撮ったものがあったが、あれはどこで撮ったのかな。

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そろそろ帰ります。

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小田原へ。

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何かのカメラのレビューで、さいきんこの提灯を撮影してるのを見たのだが、なんだか思い出せない。

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行きが小田急だったので、帰りは湘南新宿という手もありありますが、やはりロマンスカーで。

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小田原市内も、観光で訪れたことはないような気がするな。。

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やはり締めはこれですね。NSEとくらべると、たしかに80年代的にモダンな感じがするな。

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内装も80年代的に懐かしい感じ。。

それでは。

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コメント

ロマンスカー塗装、都内走る小田急タクシーにも受け継がれていますね。

ところで、コデ165の台車は板バネのままなのですね。
相鉄の手によるコイルバネやエアサス化など超進化遂げた釣り合い台車もいましたが、さすがにそちらは手元に残したかったのでしょうか?

12号線さん、コメントありがとうございます。お返事が遅くなりまして、申し訳ございません。

そうでした。タクシーはロマンスカー色のままですね。あれを子供の頃みると、なんとなくうれしかったような記憶があります。

コデの台車、たしかにオリジナルのままですね。。車体の方は、現役旅客車時代、相鉄でかなり手を入れた状態で使われていたはずですが、譲渡車はオリジナルをよしとしたのか、伊豆箱根の方で整備上、他のものと振り替えたのでしょうか・・。

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