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2016年3月26日 (土)

春休み

ダイヤ改正で、鉄の皆さんはお忙しいことと思いますが(ぜんぜん他人事・・coldsweats01)、私は今回はお休み。去年は始発の新幹線を見送ったり、上野東京ラインに乗ったりと、元気でしたが、今年は肩こりで朝もしんどい。。

確かに北海道新幹線は大きなニュースでしたが、今更私が新線初乗りをしても。。他に関東近県で目立つ改正項目はないな。もちろん色々変わってはいるが。

あくまでも個人視点ですが、あえて言えば東上線平日の通勤急行廃止でしょうか。。

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ファンの皆さんの間ではけっこう話題になっていたようです。早起きして写真撮ろうかと思ったけど、やっぱり元気なかった。

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志木まで各駅に停車し、朝霞台を飛ばして和光市、成増、と停車というパターンは、設定時から変わりませんでした。

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昭和62年8月25日の、有楽町線直通開始ダイヤ改正で登場。それ以前は、朝ラッシュ時(ピーク時間帯)は準急と各停による運行でした。

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開業時の「ゆあ東上」臨時増刊。池袋朝7時半から9時までに到着する準急以上の列車は、改正前準急13本、急行1本だったものが、改正後は急行1本、通勤急行7本、準急8本となり、2本増加とあります。また、通勤急行は準急に比べ3分のスピードアップになるとあります。

複々線開業による、スピードアップのメリットを生かしたい、という意図があったのでしょうね。

当時は急行は朝霞台停車はなく、そもそも改正前は和光市にも停車しませんでした。ふじみ野もなかったしね。そんな時代に設定された優等列車と言うことで、時代と共に役割を終えた、という所でしょうか。

さて、春休み。

この時期は子供の頃、模型のかき入れ時だったという記憶があります。
ちょうど40年前、私は受験を終えて小学校から中学へあがるという時期だったのですが、思い起こすとずいぶんとあれこれ手を出していました・・。

前年暮れから(受験中なのに)作り始めていた、東武8000の中間車に着手。これは工作用ボール紙を使って作ったもので、車体が分厚くてドアが引っ込んでいた。8000系は8200、8300までは一応作ったが、結局編成にはならなかった。最初の8100がへろへろだったのに、8200になると技術が進んでいやにすっきりと作れるようになり、落差がすごかった。動力用に関水のモハ103を買ったのに、買うと惜しくなってクハやモハを追加購入して編成にしてしまい、動力の当てもなくなった。

ペーパー製の模型は難しいようなのでと、別途挑戦したのが東武クハ500。これは、ちょうどこの頃買った「私鉄電車ガイドブック1 東武・東急・営団」に写真が掲載され、「私鉄電車プロファイル」にもイラストがあるが、国鉄モハ42系をすこし短くしたようなクロスシート車だ。TR47に似たウィングバネ式台車を履いており、後に3050系に更新された。これを、0.3mm厚のプラバンで作ろうとした。

8000系は窓の桟という概念がなくて!?、外板と窓の中桟を同じ紙で作っていた。後から気がついて表面を少しはがして段差をつけたりしていた。なにしろ、小学生のやることだから。。クハ500はその反省から、車体はt0.3の板、桟は別に作って裏から貼り付けた。中桟など、0.5mmぐらいの細い帯になるが、頑張って作った。ドアのHゴムも立体的に作った記憶がある。写真が残っていないからあれだが、どんな出来だったものか。。これは左側面だけ作って挫折。

もう一つ、東武6000系も作りかけた。今度はt0.5の板で、屋根と側面を一体に作って折り曲げた。角の所は曲げにくいので、裏からシンナーをティッシュに浸し、こすってプラを柔らかくして?曲げた。ちょっとひびが入ったが、とにかくコの字型には曲がったと記憶している。ただ、6000のRの緩い先頭部は作れず、8000系のような前面になってしまった。これも、この辺まで作って、先には進まなかった。

もう少したって、5月か6月頃になって、今度は東武5300(デハ10)を作ろうとした。これは架空鉄道の車両と言うことで、塗装がフリーだった。ダークグリーンに窓まわりが薄いグレイが急行型としていた。一般用は上下がブルーで、ちょっと京成青電に似た色だ。なぜかしっかりと補強しなければと思い、16番で使うような太い角材を使って、屋根も朴の木か何かで作った。車体もまたボール紙になったが、今度は窓ガラスを1枚ずつはめ込みにして、そこに塗装で桟を書き込む、という方式にした。。1,2枚作ってすぐに音をあげた。。ドアは、どういうわけか薄いアルミ板(デパートで安く売っていた)を使っていた。

他にもなにか作ったかも知れないが、それにしてもたいへんな行動力だ。続かないという弱点はあるが。。

「レイアウトモデリング」に載っていた、井上大令氏の「私鉄風の電車駅」を元に、駅舎やホームをコピーして作り、拾ってきたベニヤの切れ端を使って簡単なジオラマを作った。学校のあるうちは、これを菓子箱に入れて持ち込み、友達に見せたりしていた。小さな駅舎などは女の子にも好評だった記憶がある。。

これを発展させて大レイアウトを作る計画も紙に書いたりしたが、それは実現せず、一般的な定尺ベニヤサイズのレイアウトに変更した。プランは最終的にはTMS312号(’74年6月号)折り込みの、中尾豊氏設計のものにしたが、そう決まるまでは関水のレイアウトプラン集からいくつか(N59型という、複線レイアウトとか)検討し、頭の中で列車が走る姿を想像しては楽しんでいた。

ベースをいつ調達したのか覚えていないが、新潟から親戚の子が遊びに来たときに、一緒に作るのを手伝ってもらった。その子が「完成するのを見て見たい」と言うので「そんなにすぐには無理」と行ったのを覚えいてる。

実際には試行錯誤して、2年近く遊んだ上、未完成のまま廃線になった。いや、廃線ではないのかな。頭の中にしまったまま、新構想で再挑戦ということで。
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いまのうさぎ鉄道本線が、この時のレイアウトのオマージュだということは前に書いたと思う。

1年後の春休みには、このレイアウトを作っていた。

2年後の春休みには既に新しいレイアウトがあった。これは簡単に線路をベニヤに止めただけのものだが、ロングラン可能なもので、買ったばかりのトミックス初代113系とか、GMのキットを組んだモハ43や寝台急行などを走らせた。

高校2年の春休みは、西武デパートで開催されていたペーパーキットコンテストに出品するため、東武7820系(16番、自作)を連日必死になって作っていた。一方で息抜きと称し、東急3450(やはり16番。自作)を3日くらいで作ったりもしたな。
その翌年には、営業を開始したばかりの東武9000系(9001F)を作っていた。

きりがないが、昔は元気だったな、と思う。今は体力もないのと、模型界全体が進歩しすぎてついて行けず、ついおっくうになってしまう。

さて、40年後の春休み。。

小松菜線は少しずつ進んでいるが、バラストなどを散布する前の段階。実は、ポイントの接触不良に悩まされている。ピンセットにティッシュの切れ端をつけて、軽く拭くだけで治るのだが、運転のたびに拭かないと止まってしまう。。。ポイントはPecoだが、こんなに調子が悪いのは経験したことがない。何か良い方法はないものか。。

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ちょっと長話でしたね。


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コメント

今の東上線、こんなに列車種別あるのですね。
やはりふじみ野以北の速達化を目論んだ結果なのでしょうか?
メトロ線で利用完結してしまう我が身としては、恩恵少ないのですが(苦笑

12号線さん、コメントありがとうございます。
昔のダイヤはシンプルで、急行の表定速度もけっこう高かったのですが、乗り入れと朝霞台の出世でずいぶんと様子が変わりました。

かく申す私も、2年前成増で列車を待っていたら「快速」がやってきて、はてこれで鶴瀬に行くにはどうしたら良いのか迷い、古巣の東上線の変貌ぶりに驚いたものです。

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