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2015年11月22日 (日)

科学教材社「模型とラジオ」別冊「Nゲージ」

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たぶん、同じ年代のNゲージャーの人たちはみんな知っている?くらい有名かも知れない。
今Nゲージ関連のムック本など、珍しくも何ともないが、当時はかなり目立つ存在だった。1974年当時、1,500円という値段は安くなくて、親にねだって買ってもらったと記憶している。今なら4,000円ぐらいの値付けになっても不思議ではないかも。

これは増補・改訂版で、オリジナルは背表紙などが赤だったようだ。オリジナルがいつ頃出たのか、判然としないが(だいたい、なぜオリジナルが赤だったのかを自分が知っているのか、覚えていないのだが)、1972~3年ぐらいだろうか。改訂版は74年ごろの発行らしい。

キハユニ26をキハ82系が追い越している?写真が表紙だが、オリジナルの発行当時の事情をしらないと、この写真の価値はわからない。まず、キハ20系(もちろん関水金属製)は、最初にキハ20が出て、キハユニは後で追加発売されたものらしい。本書ではキハユニを金属で自作する記事が出ているが、それは製品がなかったからだ。

同様に、キハ82系が関水から発売されたのは1975年の3月ごろだ。私が本書を模型店で見かけた’74年秋頃には、影も形もなかった。

この、キハ82が掲げられた表紙を模型店で見かけたときは、目が釘付けになった・。キハユニはもう普通に販売されていたから、気にならなかったけど。

ちなみにこの表紙のレイアウトは、記事でも紹介されているが、プラットホームから手前の測線と貨車や重機のあたりは、たぶん撮影用に臨時に追加されたようだ。

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当時、鉄道模型の記事を定期的に掲載する雑誌は「鉄道模型趣味」と「模型とラジオ」ぐらいなもので(「とれいん」の創刊は75年)、ムック本を出す出版社もあまりなかった(と思う)。TMSでは当時Nゲージ(当時の表記は9mmゲージ)を、その小ささからレイアウトを作って走らせるゲージ、と捉えていて、車両製作や加工に関する記事は多くはなかった。まあ、日本のNゲージャーというのも、それだけ少なかったのだろう。

そんな中で、本書掲載の記事-その多くは車両の自作や加工に関する記事-はかなり新鮮に映った。なにしろ市販車両が極端に少ない時代だから、その意義は今日では計り知れないほど高かったのだ。いまだと、たとえZゲージでもみるみるうちに新製品が出てきてしまうけど、あの頃は本当に全然なかったし、製品の発売テンポも遅かったのだ。

前にも何度も書いたけど、それはある種の「焦がれ」感をそそるもので、むしろ幸せな時代だったのだと思う。

記事に書かれている車両達、151系、キハ82系、軽量客車などは今では普通に製品化されているものばかりなので、最近の人達、というか、たとえば1981年頃にNゲージに入門した人達(←いったいどこが最近??)でも、もう記事の価値はわからないだろう。その頃までには、ここに掲載された車両達は何らかの形で製品化が完了しているから。

上の写真のオハフ30なんか、今でも製品はないから(キングスホビーで作っていたかしら・・。それでも今は入手できないでしょう)、これなんかはまだ通用する記事かな。

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こだま型クロ151.朴材(または檜か)とプレスボードらしい紙で、器用に流線型の先頭部を作っている。クーラーも床下機器類も木材を削っての自作。手仕事でできない部分は省略し、印象把握を的確にできないとバランスのとれた仕上がりにならない。

現代の模型は細部優先、パーツの取捨選択が出来栄えを左右するという時代だ。3Dプリンタの普及はそれに拍車をかけていくのかもしれない。

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今でもGMの台車がそうだけど、当時の関水の台車はプラスチックの割ピン方式で、床板を木製にすると固定に一工夫必要だった(市販品と同じやりかただと、着脱するうちに割れる恐れがある。また、床が厚いので、彫り込んで薄くしないと固定できない)。自分でも自作するとき、床板には結構苦労した。

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151系やキハ82はかなり高度な技術を要求される製作記事だ。キハユニ26は真鍮で車体を作っているが、これもむずかしい。そこでより初心者向けに書かれたのがこの165系。クモハ+モハ+サロ+クハの4両で、本誌に型紙が印刷してあった。窓は抜かず、ドアも2次元的に線で表現している。子供向けのブリキのおもちゃみたいで、小学生だった私にもちょっと抵抗があったが(むしろ子供のほうが割り切れないかな)、一応作ってみた。それでも動力車とか買えなくて、編成にならなかったな。ポスターカラーではなくて、油絵具で色を付けたりした。

この型紙は色なしだが、別にカラー印刷した、クモユニ74の型紙も綴じこまれていた。これは切妻だから一層簡単だ。こうして考えると、初心者からベテランまで楽しめる記事を、バランスよく配しているんだな、とわかる。

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本書で唯一のレイアウト記事、「春の山村風レイアウト」。

関水初期のカタログにも作品が登場する、保里康太郎氏の執筆だ。市販品を適宜に配しながら手慣れたつくり方をしている。

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細かな誤植もあるが、70年代初めにTMSで掲載された、初心者向けレイアウト記事(レイアウト・テクニックに収録)よりもずっとまとまりの良い記事だ。TMSはやはり長年山崎氏の模型観に慣れた人でないと、その真意が伝わらないところがあって、初心者向けとは言い難い。

それにしても、市販の建物とかを使いながら、これだけ見事に日本の農村風景を作り上げることができるとは、素晴らしいセンスだと思う。

この時代、トミーがバックマンの安いストラクチャーを、数百円で大量に販売していた。アメリカ風のもので、給炭台というか塔、給水塔などはどのレイアウトでもよく使われていた。

ここでも信号所などがそのまま使われているが、みごとにレイアウトに溶け込んでしまっている。踏切遮断機も黒白縞模様の市販のまま使われているのに、あまり違和感がない。ある意味、大したものだ。

この、2階建ての赤い信号所は、最初に買ってもらったストラクチャーで、思い出深い。保里氏がよく使う、盆景用わらぶき農家なるもの、当時デパートで探したのだが、見つけることができなかった。。

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巻末のほうに市販Nゲージのカタログがある。これはトミー。74年の初めごろなので、まだED75も出ていない(なぜか宮沢の完成品写真が掲げられている)し、貨車は短尺の線路がついている時代-貨車のおまけに、ディスプレイ用に線路がついていた―だ。このあと、家畜車やトラ50000などの第2弾が発売され、短尺線路はつかなくなる。

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前後するが、さっきの見開きの前のページがこっちだった。左側は関水のレイアウトプラン例で、当時のレイアウトプラン集から抜粋したもの。保里氏のレイアウト記事は、左下のN52プランを変形したものとされている。右下のN59は、複線エンドレスと留置線のついた、運転本位のプランで、実際には作らなかったが完成予想イラストを自分で書いて、いろいろな列車を走らせる姿を想像して楽しんでいた。

右側がトミーの最初のページ。テーブルつきの車両セット、機関車、貨車と線路をパッケージしたセットなど。今のトミックスからは全く想像がつかないが、なんとなく売り方のセンスみたいのは、関水と違って大手メーカーらしいところがあって(鉄道ファン的ではない)、そこはいまも同じリネージを感じる。

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商品の流通という観点では、関水、トミーに次いで普及していたのは学研が取り扱っていたミニトリックスだった。ここでも数ページにわたり紹介されている。価格は概して高く、一番安い蒸気機関車(うちにもあるプロイセンT3)と、関水のC62あたりがほぼ同じ値段。大型蒸機は2万円ぐらいした。16番の安い国鉄大型機といい勝負だ。

当時は子供なりに、西ドイツ(当時)の家庭は、日本よりも金持ちが多いんだろうな、などと思っていた。

代表的な01型は、このころ2万円弱、私が大学生のころは23千円前後だった。そのうち懐に余裕ができたら買おうと思っていたが、今では市場が縮小したせいもあって3-4万はするんじゃないかな。こちらの懐具合も縮小して、いまだに手に入らない。

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ミニトリックスの線路のことは、以前にも触れたことがあった。左側が植毛マットで加工したレイアウトシート。線路セットをいくつか買うと、この型紙通りのレイアウトができる。左下は踏切(フルワークする)や、架線集電のキット。架線集電はドイツではわりとポピュラーだったが、こういうのは国民性が現れるな。右が単品の線路。関水に比べると高いが、カーブポイント、ダブルスリップなどは、国産にはなかった。

とまあ、おおらかな時代の楽しい思い出ではあります。

このころ利用可能な電車用パーツは関水の103系のみ。これで151系、165系はもちろん、つりかけ式のクモユニ74や果ては新幹線まで作ってしまっている。でも確かに、走らせてしまえば台車なんかよく見えないのだから、これでいいのだ。

先の165系の記事で、次のような名文句が出てくる。

「・・Nゲージには、通勤型103系の電動車や台車が発売されていますので、それらを利用して車体を新製すれば、165系がすぐできます。台車や床下機器が多少違いますが、がまんします。」

そうかあ・・。二子山親方ではないが、がまんすればなんだってできるのである。。

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飯田線といえば、旧型国電。私のお気に入りはたとえば、セミクロスのクモハ53+クハ68ですね。写真の電車も・・色や形が多少違いますが、がまんすれば旧国に見えてきますね。。。

長くなりましたが、そんな、思い出深いムック本の話でした。




2015年11月18日 (水)

大都市交通センサス

今朝、乗換駅に着いたら、駅員らしき女性が何か配っている。今日は遅れていないのに、遅延証明書ってことは無いよな、と思ったが、これはアンケートだったらしい。

そのアンケート、乗り換えた地下鉄の駅で受け取った。大都市交通センサスという。

大都市交通センサスは、公共交通利用者や交通事業者の皆さまにご協力を頂きながら、昭和35年より、5年毎に行っております。今回は12回目の調査となります。

            

これまでの調査結果は、公共交通を便利にするための政策(鉄道の混雑緩和や乗り継ぎの円滑化など)の検討資料として、活用されてきました。

            

特に、鉄道の新規路線や新駅等の建設計画を検討する際には、どんな年代の方がどんな目的で、どの経路で鉄道を利用しているかといった、利用者特性を把握することが必要です。

(ホームページより)

だそうです。

前回調査の結果、次のようなことがわかったそうだ。

(1)東京都23区においては、全ての地域で8:31~9:00を始業時刻としている割合が最も多く、全体の4~5割を占めています。

 

(2)都心3区、副都心3区と比べて、周辺地域では始業時刻が8:30以前となる割合が多くなっています。同様に周辺地域では、出社時刻が早い傾向にあります。                
   ※都心3区:千代田区、中央区、港区・副都心3区:新宿区、豊島区、渋谷区                

 

(3)出社時刻は、始業時刻と比較して分散する傾向にあります。
                      具体的には、出社時刻は、始業時刻と比べて、7:31~8:00とする割合が多く、1~2割程度存在しています(始業時刻は、1割を超える地域はありません。)。

のだそうだ。

結構朝早く出社する人、多いんですね。

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渡された用紙で回答することももちろんできるが、IDを入れることでネットからも回答できる。

ので、してみた。

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回答欄の最後に出てきたマスコット。パンタグラフとハンドル、下は船のつもりか。なんだかブリーフかおむつみたいに見えるな。

今日利用した電車の区間や時間、行き先などを聞かれた。実は昼休み、知人に会いに電車を使ったのだが、それを書くのを忘れた。訂正は後からでもできるらしいが。。

ご意見欄みたいなのはなかったので、メトロの運転士は加減速をぐらぐらさせすぎだ、とか、自社広告がくどいぞ、とか、停車中の時間調整多すぎだぞ、とかいうことはできなかった。残念。

2015年11月 4日 (水)

近畿日本奈良駅の併用軌道

誠文堂新光社 私鉄ガイドブック・シリーズ「近鉄」初版は、中学の時図書館で借りて以来バイブルとなっていて(なんでなのか、自分でもわからないのだが)、掲載された写真や記事は、自分の脳の海馬の奥の方に、深く染みついている。

ふしぎなもので、子供の頃に頭に焼き付いたものは、たとえ行ったことのない風景であっても、自分が直接見聞きしたものと区別がないように思える。同じように懐かしいのだ。
ただし、基本的に自分の見た風景はウェアラブルカメラの動画だとすると、写真の風景は文字通りスチルカメラの2次元的映像なのだが。

奈良線の油阪-近畿日本奈良間もそんな、実際には見てないけど見たような風景、の一つだ。

ガイドブックでは個別車両の形式写真と共に、カット写真も掲げられている。併用軌道区間は2ショットが掲載されていた。一つは油阪駅付近、もう一つは近畿日本奈良駅に進入するところだ。この本の写真は、昭和43年7月から44年7月までに撮影されたものを掲載した、と言うことなので、これらの写真はおそらく43年夏頃のカットと思われる。どちらも工事が進行している途中の写真らしい。

その写真、だが、ここで転載するのは著作権の侵害なのでできないっす。
ので、ちょっと思い立って、写真を元にイラストを描いてみました。

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さらさらと書いたのでちょっと荒いですが。
このカットは大好きな写真の一つだ。撮影された方は本当に写真がお上手なようで、荒れ気味の併用軌道から車体をくねらせて、大型車が駅に侵入している様子がよくわかる。

傍らでは作業員が合羽を着ながら作業に余念がない。ただ、監督らしき人がこちらに視線を送っている。その背後、解体しかけている民家では、少し開けられたシャッターの奥からおっさんが工事の様子を眺めているようだ。
工事用トラックの傍らに、なんだかわからないが大きなリールのようなものが置かれている。非常に印象的だ。

左側に目をやると、黒っぽいクラウンのハイヤーが土埃をあげている。駅の近くにも軽自動車(スズキフロンテらしい)が止まっている。

もちろん今はこの風景は一変している。道路は3車線に拡幅され、右の民家のあたりはバスターミナルか広場担っているのかな?8000系のいるあたりに、たぶん駅ビルが建っているんだと思う。

イラストは写真を元にはしているが、昔からの癖でパンタが無用に大きかったり、建物や小物の位置関係も多少ずれている。別の機会に書くが、油阪までの併用軌道区間の一部は、50年以上前も今も余り変わっていないところがある。さっきストリートビューで見たけど、本当に同じ建物が写っているのだ。さすがは奈良だなあ。

冒頭で書いたとおり、私がこの風景に直接接した訳ではない。私が奈良を訪れたとき、駅は既に地下にあった。’09年秋に訪れたときは、その地下駅もすこし古めかしい雰囲気を漂わせていた。
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京都から乗ってきた特急(だと思う)。これは昔から変わっていないですね。_dsc4898
奥の8400系も、ガイドブックの頃既に登場していましたね。

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昭和43年頃も、京阪から乗り入れ直通車が来ていたようです(車両は旧奈良電車だったらしい)。
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雰囲気横浜から川越まで直通する、というのと似ているでしょうか・・。

関西私鉄の常で、地下駅でも構内はかなり広かった。なんとなくレトロなムードは漂っていたな。ラッシュ時は終わった頃で、ほとんど人がいなかった。

JRに用があったので、このあと地上に出て歩き始めたが、併用軌道の面影は探すべくもなかった(先ほど書いたように、建物は残っているのだが、そのときは気がつかなかった)。
JRも高架化されていて、JR奈良駅も全然変わってしまい驚いた。ので、当時の面影を追う、ということはできなかった。

イラストだが、こういうのは作品としてはどうなんでしょうね。一応完全にオリジナルだとは思うけど・・。





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