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2014年12月29日 (月)

70年代に作った模型(4)

さて、今日と明日の午後もまだ仕事です。

だからというわけではありませんが、書きそびれた記事を。なんと1年前に用意していたのだが。

70年代に作った模型(1)

70年代に作った模型(2)

70年代に作った模型(3)

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近鉄8400系。近鉄はモ1470を’77年に作った(作ろうとした)が、その約1年半後に製作に着手した。時期としては前回(3)でモ6401を作る時期と重なっている。この頃はなぜか近鉄(特にやや古い車両)にはまっていて、ノートに製作予定の編成をシルエットで書いて夢見ていた。
少なくとも形になったのはこれだけだったけど。

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まあ、これも4両作りはしたが、一度も4両編成で走ったことはなく、3両(最小限の組成)でどうにかまとめた。編成写真が何処かにあるはずだが行方不明。

子供時代の技術進歩は著しい。1470の頃とは車体材料(紙の質)、構成(木製屋根から一体構造へ)、車体と床板の止め方、床下機器のユニット化(そんなことをこの頃やっていたのだ)などなど。内装へのこだわりは以前からの伝統。
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’78年の夏にハンドスプレー(手押し式の塗料吹きつけ器)を買い、それ以降の車両は吹きつけ塗装になった。

エアゾール式の模型用塗料は当時、プラモデル用には普及していたが、鉄道模型用にはちょうど発売されたかどうか、という時期だったと思う。プラモ用のスプレー缶は、粒子が粗く、特にNゲージには使いにくいとされていた。そもそも、近鉄用のカラーなど、製品化されていなかった(GMから近鉄キットが出て、調色塗料が出たのは’80年だったと思う)。

このときは国鉄赤2号(特急電車の赤)を使った。

もっとも、この車両の外装はプラを使っていないから、マッハの調色塗料(ラッカーなのでプラスチックを溶かす)を使っても問題なかったはずだ。

窓ガラスは客窓、ドアと個別に切って貼り付けていた。客窓には中央の桟を、塗装で表現した。
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室内灯は前作同様装備され、前照灯もつく、はずだったが、いろいろ作り込んでいながら、あまりうまくいかなかったようだ。

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車体の補強材は側面の上下に、朴角材を渡している。いわゆるペーパールーフだが、ちゃんと天井板がある。

天井の補強角材は表面をアルミ箔で仕上げてある(「内装」なので・・)。今の私が見てもびっくりするくらい、内装にこだわっているが、実物と同じようにしようという考え方ではないようだ。

下の角材は側面の下端と同じ位置に配置され、床板の一部を構成している。連結面にも小床板があり、いわゆる床板は投影面積に比べかなり小さい。床板と車体との接合は、中央部にプラの板を渡し、2ミリネジで留められる。

このため、床下機器は直接床板につけると引っ込みすぎてしまうので、専用のベースを介して取り付けられた。室内には座席を取り付ける予定で、試作もしていた。

上の写真の左側、連結面のところをよく見ると連結面にプラの補強材、そして隅になにやら黒っぽいパイプの断面が見える。これは隣の車両と電気的に連結する、ジャンパ栓だ。細いリード線の先に真鍮線をつけて、着脱する計画だった。

非常に凝った作りだが、全車両を同じクオリティで作り込むことはできなかったようだ。

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これは、上記近鉄製作の半年後、’79年夏に作った西武新101(の残骸)。この年の夏、新製直後の西武101が留置されているという衝撃のニュースを入手、カメラ片手に訪れたのがきっかけとなって作った。といっても1両だけで、動力化その他の発展はなかった。窓の桟は細く切った紙。ドアは銀色に塗って別付けした。その別付け部分から崩壊してしまい、こんな状態に。GMからキットが出たのは翌年初夏の頃。

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東武8000系。先の近鉄を作った直後、’79年の2月頃から作り始めた。
これを作ったのは今回が初めてではない。最初に8000を作ったのは’75年12月、小学生の頃だった。
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これは1両だけで終わってしまったが・・。
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車体の製作は更に洗練され、今見てもまあまあ見られるぐらいにまで向上したようだ。
窓は薄い紙+真鍮線だが、なかなかすっきりして見える。プラ整形の市販品よりすっきり見えるかも。塗装はたしか、当時あったたつた工業の調色塗料(ラッカー)を使ったと思う。軽く艶を残した、きれいな仕上がりだ。

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内装は以前の、マーカーで塗った方法から進化し、ちゃんと実物(当時)に準じた色をしている。
天井板が見える。中央に四角く開いているのは照明。
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前照灯は真鍮パイプで作られている。導光管を通して、点灯させようとする意図はなかったようだ。
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前作の近鉄8400から進化した一つは、車体の構造で、複雑な床板構成をやめ、ふたたび1枚板に戻った。内装は、以前は外板1枚だったのが、実物に準じた内装色をあらかじめ塗った、別構成のピースを貼り付けてある。ドア板は1枚板で、内側を銀色(ステンレス無塗装を表現)とした。

窓ガラスは前作ではばらばらになっていたものを、側面全体にわたる大きな0.5mm厚透明スチロール1枚に変更。車体強度の一部を担う役割も兼ねるようになった。

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8400では側面下全体に渡してあった、角材による補強がない。床板は1枚板で、このままではこれを留めるものがないことになるが、そのかわりに座席(ロングシート)を角材から製作して、車体側に接着した。ネジ等では留めずに、はめ込むだけとしたかったようだ。

シート両脇の手すりも、透明プラで作ったと思うが、写真にはない。
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いわゆるペーパールーフだが、天井板がある。内側は紙で仕上げてあるが、全体はこれもt0.5の透明プラスチックで、強度の一部を担っている。その裏側に、アクリルの導光材がある。写真中央に見える部分は、電球が入るところ。青のマジックを塗って、蛍光灯っぽく見せていた。直接光を見せると、明かりが均一に見えないので、紙でカバーしてある。

8400に比べると「天井がフラット」になったのは、当時の実物の新車がたどった進化にヒントを得たからに違いない。初期の冷房車は、吹き出し口や巻き取り装置が大きく張り出して、美観を損ねていたが、ちょうどこの時期、201系などが内装を一新し、フラットな天井になった。

もちろん、これは「機能としての模型」で、実物の外観を模したものではない。もし1/150の人間がこの中に入ったら、頭が使えて仕方ないだろう。

思わず長くなってしまった。急いで仕事に行かないと・。



2014年12月21日 (日)

東京駅記念スイカ騒ぎに思う

東京駅開業100周年を記念したスイカが、予想以上の人出のため途中で販売中止になり、買えなかった客が係員に詰め寄るなどして混乱に陥った件。どちらかというとメインブログで書くようなネタだけど・・。

まあ自分も並ぶことがあるからあれですけど、今回のは記念券の発売だが、こうしたイベントものを鉄道会社が乱発するのもそろそろ見直さないといけないのではないかな・・。

開業、廃止など、鉄道にはそれを記念する行事が多いし、車両基地の公開なども、沿線住民とのコミュニケーションとして有効なことは理解できる。また、たとえば銚子電鉄のような経営的に厳しい鉄道が状客誘致のイベントを行うのも、事業者としては適切な行動だろう。

しかし、東京駅の開業100年は確かに記念すべきことだが、東京駅は1日に415千人の乗降客(JR東のみ)がいるターミナル駅であり、東北、上信越、東海から九州地区に至るまでの長距離客が降り立つ、日本で最も重要な駅の一つである。

 普段でも通勤客や観光客(海外から来た外国人、修学旅行生、最近多いのは首都圏から集まる、悠々自適組の方々。先日の乾門通り公開のときなどはすごかった)でごった返している。集中する乗客に手を焼き、直通乗り入れやらなにやら対策に追われている鉄道会社が、混雑地帯に更に客を招き入れるというのはなんか矛盾してないかな?

 東京駅周辺はイベントが多いんだよね。2年前には、毎年行われるミチテラスが、やはり観客殺到で中止になっている。駅構内も周辺も、日本の駅としてはそこそこゆったりしているから、いろいろやりやすいということはあるのだろうけど、人の集まり方はそれ以上にすごい。

 昔の鉄道会社はPR活動に全く熱心ではなかったが、時代と共にそれが見直され(たぶん、かつての労働争議とかストとか、そういう時代の反作用なのかも)、記念イベント、特別塗装車、限定グッズ販売など、百花繚乱の時代になって久しい。もちろん時代的なこともあって、自衛隊が基地を公開したり、自治体がゆるキャラを作ったりということも定着しているので、鉄道もその流れにそっているという面は確かにある。

 それでも、たとえば東京メトロが駅改札に設置した多数のモニターや、車内ディスプレイに延々自社CM(なんだか昔の東京電力を思い出させる)を流したりしているのを見ると、ふとなんでこんなことをやる必要があるの?とか、こりゃ広告代理店の餌食だな、とか考えてしまったりすることがある。

 広報をやるなというのではなく、全体を見極めたうえで、節度を持って活動すべきではないかと・・。鉄道会社というのはいろいろと難しいな。そういえば、株主へのリワードももうちょっと手厚くしてほしい。JR東の株、こないだ売っちゃったけどね。
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お口直しにはならないかもしれないけど、復元工事完成直後(2012年10月)の東京駅。

2014年12月18日 (木)

東武9000系

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池袋で見かけた9000系試作車。元気そうだ。
登場したのは1981年秋のこと(営業開始は翌年3月)なので、もう33年が経過している。

登場時のことはまた別の機会に書くつもりだが、当時高校生だった私には、ものすごく刺激的な出来事だった。なにしろ、東上沿線に自分が生まれてからずっと、8000系だけが延々と増備されていたのに、突然オールステンレス、電機子チョッパのこの車両があらわれたのだから。
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昔持っていたHPでも紹介したが、この頃は新車が入ると鶴瀬-森林公園間で試運転とか、習熟運転とかすることが多かった。下り本線の脇に待避線があり(今も一部の線路が残っている)、寄居方にあった渡り線(今も保線車両用に渡り線があるが、当時は普通のポイントで、向きが逆だった)を使って往復していた。

今の若い子が見たら、これも古い車両に見えるのだろうな。

2014年12月 8日 (月)

最後の(かもしれない)フレッシュ

久しぶりに「フレッシュひたち」に乗った(実は乗ったのは記事を書いた日の1週間前・・)。
来年3月には名称も経路も変わってしまう。おそらく冬の間、この区間を特急利用することはないと思われる。ので、個人的にはこれが最後の「フレッシュ」乗車となる公算が高い。

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通い慣れたこの入り口も、見納めかな?「北斗星」もなくなると言うことだし、ますます寂しくなる上野駅・・。
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「スーパー」と「フレッシュ」、この頃は従来の名称になにか冠言葉を重ねるのが流行だった。グレードアップあずさとか、スーパービュー踊り子とか・。JRとしてはそういう表記の賞味期限は終わりつつあると考えているのかもしれない。

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上野駅って、庶民的な雰囲気ももちろんあるけど、ちょっとヨーロッパのターミナルを彷彿とさせるところがあるんだけどな。東京、新宿、品川はきれいだけど、雰囲気がない。

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とはいえ、新しいぶどう酒を古い革袋には入れてはいけない・。
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左下は「指定席」なのだが、色が飛んでしまった。指定席車、自由席車も見納めに。
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こちらは改正後も上野発なの?
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だんだん見慣れてきたE657系。
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では出発です。

*話は飛びますが、今、家庭の事情があり、更新が滞りがちになっています。もともと不定期更新で、書いたり書かなかったりしていますから、あまり変わらないかもしれませんが、ご理解とご容赦をお願いします(息抜きと称して余計書いたりするかもしれませんが)。

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