• Pc183720
  • Dsc_7054
  • Imgp9280
  • Imgp9279
  • Imgp9278
  • Imgp9276
  • Img
  • Imgp1234
  • Imgp1229
  • Imgp1222

« 2013年9月 | トップページ | 2013年11月 »

2013年10月31日 (木)

10月は東武8000系が登場してから50周年

もたもたしているうちに10月も終わってしまう。

日車製の8106F, 8112Fが登場したのは、今から50年前の1963年10月だ。ので、今月(今日までだけど)が、8000系登場50周年と言うことになる。

50周年に伴い、雑誌などでも取り上げられる機会が多くなっている。
ネット上では8000について現況を報告する、詳しいサイトも多く見られる。個人的には思い入れのある本車両が、次々と廃車される現況を見ているのは全く忍びない。
自分なりのオマージュとして、私と東武8000との個人的な関わりを簡単に書いておくことにする。

・小さい頃、東上線には新旧の電車が走っていることはわかっていた。新しい電車(8000)は余り好きではなく、古い電車(73,78)に喜んで乗っていた。8000は運転室仕切りの窓が高い位置にあり、正面窓も高いので子供には背が届かないのだ。78は窓も低く、運転室背後に座席もあるのがうれしかった。ただ、あれは運転席側は窓がないんだよな。

・そういえば、東武は長いこと乗務員室仕切窓のカーテンをを昼間でも閉め切り、助士席側の1枚だけ開放していた。夜間は室内照明が運転に差し支えるので、どこでもカーテンを閉めるが、昼間は普通開けている。沿線住民としては何となく、運転士が乗客に隠れて何かしているみたいで、面白くなかった。国鉄が民営化されてしばらくしてから、昼間も全部開けるようになったような気がする。

・小学校4年生のとき、学研のカラー図鑑「電車・汽車」(だったかな)を買ってもらった。そのとき初めて車両番号の意味を知った。学校の帰り、駅まで行って電車の車番を見ると、クハ8124とある。あれ、新性能電車は3桁で、7,8は交流専用電車なのでは?頭が混乱した。

・5年生の春、塗装がセイジクリームに変わった。それが塗り替えたものであることは、子供でもわかった。これは子供達の間では相当に話題となった。なぜか流言飛語?が飛び交い、水色の電車も見たとか、濃い緑色のもいるとか、いろんなことを言っていた。8000ではないが、池袋で78のクリーム色を初めて見たときは、母親に無理を言って、区間運転のこれに乗って帰ったりした。
ちなみに、東上線で最後まで旧塗装だったのは8156F(最初の冷房車でもある)。これも今はない。'76年の6月頃の話だ。

・'74年秋の思い出。乗った電車、8164Fは新車で、これは最初からセイジクリームだった。車内の、床の台車センターピンの辺りに、金属製の丸いフタがある。新車のときはこれが床と同じ、グリーンに塗られている。時間が経つと塗装がはがれてしまって、それでも全検では塗り直されない。停車中でも、FS056はバネが柔らかいからゆらゆらと揺れている。車体が傾くとぽわ~、くわ~と、エアサスが音を立てる。それを聞いて、なぜか電車にひかれてしまった人(幽霊の)の叫び声のような気がしてきて、怖かった記憶がある。

・'75年12月、Nゲージで8000を自作した。とりあえずクハ8100を作った。車体はボール紙、床板はt1.2のプラバン、台車はグレーに塗ったTR201だった。25日、つまりクリスマスの日、ときわ台のるー模型店でモハ103、オレンジを買った。クハの車号としてつけた8151は、このときに乗った車両番号だ。たつた模型の調色塗料(マッハより安かった)も買って、筆塗りでオレンジ/ベージュに塗った。

モハ103を使って8000の動力車にするつもりだった。ところが、買ってくると情が移り?、翌年1月、お年玉を使って残りの103系を買ってしまった。モハ8200,8300は翌年5月頃作ったが、だんだん腕が上がって最初のクハと出来映えが合わなくなった。最後の8400は作らずじまいだった。

'79年の初め頃、2代目の8000をつくった。車号は8164,今度はセージクリームだ。薄手のケント紙を使い、窓枠は薄紙と、中桟は真鍮線ですっきり仕上げた。塗装も今回から吹き付け(ハンドスプレー)だ。
室内灯装備とした。天井板として透明塩ビにケント紙を貼り、更に天井と屋根の間に、一定間隔でスリットを入れたアクリル棒を入れた。中央に電球を入れる。電球の光は、アクリル棒を通して拡散して照明される。
ちょうど103系の天井がでこぼこしていたのに、201系になるとフラットですっきりした天井板に変わったように、模型でもすっきりした天井板を目指したのだ。やたらと凝った作りだが、天井板が補強を兼ねていて車体は丈夫だった。・・・クハの車体を作ったところで挫折。

まともな編成を組んだ8000は、'81年1月にようやく手に入れることができた。GMのキットがこのとき発売されたのだ。お年玉で買った。初代はまだ床下機器がいわゆるダイキ中ヤス製で、動力車はエンドウ製、しかもFS372仕様の流用だった。塗装は横須賀線クリームの吹きつけ。

・8両固定の8173F~が登場したのは’77年春のこと。まだ日中の列車は6連が多かった。5月頃、8連のサハを抜いた6両で運用しているのを見た記憶があるのだが、幻だろうか?
ちなみに、10連の運転開始は前年’76年11月で、小田急とほぼ同じ時期、当時はラッシュ時のみだった。

・’76年から’81年まで毎年増備があったが、原型でバリエーーションが一番豊富だったのは’80年頃かな。非冷房車もまだかなりあった。初期車はサハ8700、モハ8800を増備する形で6両固定化されたが、いずれも当初は非冷房で、8114F を最後に全て冷房化された(79年11月頃)。初期の車両は内装デコラの退色が激しく、薄い肌色になってしまった。他方増備された中間車や、初期車でも冷房化の際交換された妻板部分の内装はきれいなので、対比が目立った。
’69年までの運転室仕切りは狭く(仕切りから客ドアまでが広い)、’70年のものは運転台側だけ広い変形、’71年は中間車のみの増備、’72年は冷房車で、運転台仕切りは今と同じく広い(仕切りから客ドアまでが狭い)。’76年製はこの頃東上線にいなかったが、台車、クーラー、ドア(ステンレス)が変わった。’80年製は更に、ドア窓がHゴムから金属押さえに変わった。
これらの特徴の多くは、更新により失われ、今度は更新内容による、別の変化が生じてくる。

・更新車は’86年から登場した。78の更新が終わり、塗装も変わり始めた時期だ。
翌年7月、全面を新しくした更新車が登場した。9000の量産車も稼働し始めた。東武もやるもんだな、と感心したのを覚えている。
更新も増備期間と同じ位、長くかかった。私にとっては現塗装から後はもう「現在」に近い。’05年にウェブで、初の廃車が発生したのを知ったときは悲しかったな。

Scan15548
’77年7月。今のふじみ野付近。なぜか斜めっている・・。
Scan15373
’79年5月、志木。

Scan15167
’80年6月、上板橋。
Scan12670
'03年6月、ふじみ野。LED化で方向幕、種別幕が拡大されいて、表情が違う。
Scan12659
'03年6月、鶴瀬ーふじみ野。ついこの間の風景のように思えるが。
Dsc_5967
'11年1月。森林公園(敷地外から)。既に休車状態。
P1000456
'12年1月。越生。これからも現役。
Imgp0756
’13年9月、朝霞8185F。以下、池袋口に顔を出す3本。
P1100193
8181F
P1100239
8175F

2013年10月29日 (火)

メトロ05系の運転法

ずいぶん前に、メトロ東西線の運転がぎくしゃくする 、という記事を書いた。さいきんの電車は加減速が良い。ぐあっと加速したかと思うと、すぐ後でブレーキがかかる。ラッシュ時、つり革等につかまれない状態で立っていると、思わずよろけて周りの人にぶつかったりする。

車で言うと、2速か3速の低いギアで加速、数秒後にエンジンブレーキがかかる、という感じだ。バスでそんな運転をしたら、乗客に睨まれるんじゃないか。後続車に追突される危険もある。コーナリング中にやったら、スピンする危険もある。まあ、鉄道ではそのどちらも関係ないが・・。

ただ、一つ疑問があった。もしかしたら、車両の方に定速制御装置みたいなのがあり、オンオフは自動で行っているのではないか。前乗っていた車にはクルーズ・コントロールがあり、高速でこれを使うと、緩い上り坂などではぐいぐいと加速したり、緩めたり、が体感された。便利だけど、自分でアクセルコントロールした方がやはりスムーズだな、と思ったものだ。

偶々、今日先頭車(05系、40F)のかぶりつき(仕切りのドア)部分に立っていたので、運転の様子を見てみた。運転士は左手でマスコンを握り、神楽坂付近では中立から1段加速、また戻して1段減速、を繰り返していた。
というわけで、そういう運転法が現場で確立しているのだろう。
改善は、やっぱりして欲しいな。乗り心地悪いから。

Dsc_0611

05初期車の写真を探したが、これしかなかった。こないだ出たばっかりだと思っていたんだがねえ。

2013年10月28日 (月)

記念ビールを保存しながら飲む(失敗)

Imgp1045
3月の直通運転開始のときにいただいた記念ビールだ。
Imgp1052
いただいたときも、何とかきれいな状態で保存できないか、という話をしていた。賞味期限が10月なので、何とか考えて見た。
Imgp1056
プルタブを開けずに保存、ということで、ピンバイスで1mmの穴を開けて中身を出そうという計略。奥の方にも空気抜き用の穴を開けてある。
Imgp1060
出るには出るが、すごく時間がかかる。しょうがないから、腹のところを押して絞り出す。

やっているうちに、あることに気がついて一人で爆笑してしまった。
これはまるで放○みたいじゃあないか・・・。

Imgp1063
腹のところを何度も押したので、表面はぼこぼこになってしまった・・。失敗である。
ドリルで開けていけば、アルミくずも出ているはずだ。拭き取りながら開けていったけど、やっぱりよい子は真似しない方がいいと思う。
完全に中身を出すことはできず、いくらか残がある。

ちなみに、少し振ってやると、泡が立つので出しやすくなる。ある程度泡だてた方が、味は良いと思う。

2013年10月26日 (土)

アジアの都市鉄道

オフィスで調べ物をしていたら、台北MTRという言葉に引っかかって、ついあちこち脱線してしまったcoldsweats01

海外の鉄道、人気はどれほどのものなのだろうか?

大体鉄道ファンというのは国粋主義者が多数を占め、開国佐幕派は少数だ。まあ、ネットを見ていると、今は海外鉄道ファンも多いのかな。
乗りつぶしなんてのは、日本だとまあ何とかなるが、これが中国(大陸)だったりするとキリがない。大体、命がいくつあっても足りないかも知れない。

日本の大都市ではJR、私鉄、地下鉄が入り交じり、複雑な乗り入れ運転を行っている。こんな国は世界中どこにもない。東京の地下鉄利用者は世界一らしい。ただ、路線延長は昔から世界一じゃなかったし、ここでも北京、上海の路線がどんどん増えていて、世界一、二位になっているらしい。信じられん。北京なんて、ちょぼちょぼしか走ってないと思ってたのに。

私たちの世代(自分だけか)の弱点というか、わりとアジアの情報には弱いのだが、この10年位、知らないうちにアジアの大都市の鉄道はどんどん発展してきている。クアラルンプール、バンコク、ジャカルタ、台北。昔はバイクか自転車かバスしかなかったが、大量輸送機関としての鉄道が見直され、次々と建設が進んでいるようだ。

私だけかも知れないけど、都市鉄道のない街にはあまり興味が持てない。旅行者にとって路線バスは、何となくこわいからね。日本でもそうか。

台湾の鉄道は日本に近いものがあって、親しみやすい。台鉄はわりと日本風だが、地下鉄は大型、台形断面の国際風?だ(川重で作ってるらしいが)。香港も似たような形だが、あれはもとはイギリス風なんだろうか?

このほか、韓国、特にソウルの都市鉄道は日本に近い。ただ、日本であまりにも見慣れた、20m、4扉箱形の電車は、インドネシアにしかないようだ。あれは貴重だな。見に行きたいけど、治安は大丈夫なんだろうか?

アジアとヨーロッパでは人口密度がちがう。欧米の通勤はずいぶんと優雅だな、と思っていたが、アジアの鉄道でもすし詰め、ということはなさそうな気がする。日本の鉄道は、今風に言うとガラパゴスなのかな?トヨタや日産の車は世界中どこでもいるが、もっと日本風の電車も普及して欲しいものだと思う。

P2200767
などといいながら、私は香港ぐらいしか行ったことがないな。空港鉄道は良かったけど、写真は撮っていない。トラムは面白かった。
P2200740
こんなのが日本にあったら、人気が出る、かな?地震には弱そうだ。
P2200772
地下鉄で撮った写真はこれだけbearingメトロ南北線です、と言っても通用するか・・。

2013年10月24日 (木)

自動運転

自動車の自動運転が話題になっている。日産は2020年に製品発売と言うから、もう夢物語ではないようだ*。

実験などで紹介されているのは乗用車だが、これは公共交通機関に使うべきものではないだろうか。公道でも良いが、専用レーンを使えば、高密度で運行ができる。物理的に連結しなくても、続行運転みたいなことも、簡単にできそうだ。都内の都01系統のような、高密度の路線などでは、大量輸送に役立つだろう。

車両はむしろ小さくして、両数を増やす。沿道のどこでも乗り降りを可能にし、スマホから降車場所を指示したりできるようにする。それだと、止まってばかりいて先に進めなくなりそうだから、区間を限定するか、主要駅停車の急行バスを作り、急ぎの人はそれに乗ってもらう様にするといいかもしれない。

将来的には、都市部の交通は原則自動運転の公有の車両のみの運行、とするべきかも知れない。主要路線はバス形式だが、狭い道はタクシーのような、小型自動運転車を用いる。郊外から乗り入れる自家用車も、都心部では自動運転のみで運行し、他の公有車両の動きを乱さないようにする。自動車の私有は都市部においては(公衆回線に対する専用線のように)特殊な行為となるだろう。

残念ながら、レールなどの施設を要するLRTは、ルートをプログラミングできる自動運転車に追われてふたたび消えていくかも・。

実現には国、自治体の強力なリーダーシップが必要となるが、やっぱ日本では無理だろうなあ。

*今進んでいるのはフェイル・セーフが主眼らしいから、こんなことはまだまだ夢の夢ね。

2013年10月19日 (土)

銚子電鉄 運行本数を2/3に

日経電子版

銚子電気鉄道(千葉県銚子市)は11月21日から1日当たりの運行本数を現状の3分の2に当たる21便に減らす。(中略)上りダイヤの場合、通勤・通学者に配慮し、午前9時台までの便は現行通り走らせる。ただ、午前10時台の便はゼロとなり、それ以降は1時間あたり1便に減らす。現在は日中でも1時間に2便はある。

 減便に伴って乗客数は10~20%減る見通しだ。一方、配置転換などによって鉄道事業に関係する人件費を年間700万円、電力料金で年間300万円のコスト削減を見込む。

地方私鉄としては抜群に話題作りがうまく、しばしば鉄道誌を賑わしている同鉄道だが、経営は大変だ。横領事件により自治体の支援が止まるというのも、何とも不運な話だ。

しかし、必死の経営努力は一般市民にも広く伝わっているようだ。昨日も知人が、いつも濡れせんべいを買っているよ、などと言っていた。

何とかこの危機を乗り越えて欲しいものだ。

Dsc_4420

’09年9月に訪れたときの時刻表。仲ノ町だったかな。たしかこのときは、撮影のためにひたすら外川まで歩き続けたような記憶がある。

まだ113系が健在の頃で、千葉から延々DT21とクロスシートを堪能して銚子まで行った。

Dsc_4413

この2両は揃っていすみ市ポッポの丘に保存。

Dsc_4449

枕木がほとんど見えないほどの軌道。

Dsc_4476

減便前に、できればいちど訪れたい。

2013年10月15日 (火)

三崎口にて

前回いつ訪れたか覚えていない。国道沿いに暫定的に作られたというターミナルだが、周辺は大根畑の広がる、のどかな土地だ。
P1100397
開業は昭和50年4月。既に40年近く前だが、周辺があまり発展していないせいか、まだどこかに「新しさ」を感じる。
P1100395
品川から乗り通してきたた快特から降りる人も、まばらだ。
P1100399
観光客用に水産物屋なども併設されている。
P1100401
ここから多方面にバスが出ている。訪れたのは休日の午後だが、国道134号線は酷い渋滞だった。
P1100402
変電所のある終端部。京急としては市街地まで延伸したいところだが、ハードルは高いようだ。道路の混み具合を見ると、できれば鉄道にその役割を分担させてあげたい気もする。
P1100641
行きしなに乗った600(更新済み)も、この1000初期型も、京急ならではの実に良くできた(内外装)電車だ。1000の長ワイドな側窓から海を眺めながら通勤するなんて、なんと贅沢なことだろうか。京急もさいきんは現実とせめぎ合って、コストダウンした車両作りをせざるを得ないようだが、できれば夢のある電車を作り続けて欲しいものだ。

2013年10月 6日 (日)

横浜線残照

特にあてもなく電車に乗って、偶々たどり着いたのが、新横浜。
P1100360
ステンレス車は画一的ではあるが、光らせると表情が出る。
P1100349
ただ、光の加減とかは難しいですね。
P1100354
夕方の日差しは、分刻みで変わってくるし、電車は動いているし。
P1100372
雲の影になると、輝きがなくなる。
P1100379

P1100382
あまり上手に撮れなかったなあ。気まぐれで撮影しただけだからか。

2013年10月 5日 (土)

京阪2400系

京阪2400,グリーンマックスの塗装済みキットである。Img_5981
唐突な感じもするが、8月に京阪に乗って、久しぶりに緑の電車に触れたのがきっかけ。
実は購入したのは8月末だが、ふたを開けて机に置いたまま、1ヶ月ほど放置してしまった。
GMの塗装済みキットは20年近く前、東武10030系、そのあと西武2000N系を組んで以来だ。
あの頃は以前からの板状キットに、ランナーがついたまま印刷塗装したような構成だった。

それはそれで、なんだか中途半端だなあ、と思いながら作っていた。そのあとクロスポイントの東武78を作った。ボディは一体構成で、ベンチレータの取り付けが主な仕事だった。

今回の2400はずいぶんと作りが変わっている。床板も二重、ライトユニットも、点灯はオプションだが導光材など、完成品と同様の構成。パーツの組み付けも左右の違いを間違えないような工夫がある。が、なんだか作っていると自分が工場の期間工になったような気がしてくる。仕事をしているような気分だ。
きっちり組めるようになっているのに、文句を言うのは筋違いかも知れないが、今までのプラモのような夢がないというのか、何というか。

Img_5968
クーラーはランナーについおらず、抜き型用の長いステーの様なものがついている。これは手で折り取ると取れるが、最初はわからないでニッパーで切ろうとした。それだと、屋根の取り付け部に干渉して着けられなくなる。先頭車のあたまのところのクーラーを、それで失敗してしまった。慌てて取り外そうとして、クーラーと屋根にも傷をつけてしまった。期間工失格だ・・。う~ん、やる気なくした。

Img_5967
ので、フチ子さんを呼んで記念写真を撮ってしまった。
Img_5966
これでFacebookとかにアップロードすると、工場長に呼び出されて、期間工をクビになってしまうかな。社会問題化して、社長が陳謝しないとイケナイかも。
まあ、期間工も工場長も社長も同一人物なので、さわぎにはなりそうにないが・・。

さいきんは工場が弱体化しいていて、簡単なものを作るにも時間がかかって仕方がない。
Img_5971
気を取り直して、一気に完成させる。万歳!
Img_5973
模型にしても地味な車両だが、非常に日本とか、京都っぽさを感じる塗装だ。
関東では江ノ電1000のオリジナル塗装なんかも、センシブルで上品な塗装だ。古都は電車のイメージも変えるのだろうか?
Img_5975
一応、方向幕は急行三条行きになっている。

2013年10月 2日 (水)

東武東上線 街と駅の1世紀

彩流社 2013年7月発行。一般向けのムック本である。
こういう本は余り買わないようにはしているのだが(キリがないので・・)、ずっと店頭に並んでいたこともあり、結局手を出してしまった。
Img_5919
先日朝霞の昔の状況に興味が出て、この本に当時の朝霞駅が出ていたのもきっかけになった。
ただ、マニア向けと言うわけではないことはいいとしても、編集はちょっと安易な感じがしないでもない。ソースはそれほど多方面から集めてきた感じでもなく(板橋区公文書館の資料、諸川久氏の写真などが広範囲に使われている)、古地図も資料と言うより、カット絵のようにあしらわれているだけだ。一般向けムックとしては、観光地ガイド的な内容にも乏しい。

25ページに東武練馬付近の古い空撮写真が掲載されいてるが、昭和40年とある。本当だろうか?例のgoo古地図を見ると、昭和38年頃でももっと家がたてこんでいる。おそらく戦前の写真なのではないか。

また、成増駅南口(29,30ページ)も昭和50年代とあるが、ほんとうかな?特に30ページの小さな写真は、タクシーのクラウンを見ると、昭和40年代前半ではないか。29ページのロータリーの写真はもう少し新しい(タクシーがスピンドルシェイプのクラウンになっている)ので、昭和50年と言われてもまあ納得できるが、東武バスが古い塗装(ベージュに青、細い線がいくつも入ったやつ)だ。今度板橋区公文書館に行って調べてみようか。

嫌われそうなマニア的突っ込みとしては、77ページ、川角の鉄橋を走っている車両は8000系ではなく、5050系だ。

ちょっとけちをつけすぎたかな??やはりこれは、往時を知る人が気楽にぱらぱらめくるのにはちょうどいいサイズと内容という点で、評価すべきものなのだろう。隣にあった、写真で見る西武鉄道100年(NEKO MOOK)は、ボリュームたっぷりだが、2,800円と高く、手は出なかった。

« 2013年9月 | トップページ | 2013年11月 »