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2013年9月30日 (月)

関水金属 固定式線路

福生にある模型店で、偶然見つけた関水の固定式線路。製造中止になったのはいつだろうか。KATOの21年前のカタログには既になくなっている。
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イラストの機関車はEF70、タキ(形式不明。タキ5450のように短いが、鏡板が丸い)、チキ1000?、トキ15000、ホキ2200、下段はタンクコンテナを積むコキ10000、ワキ10000、レサ10000、コキフ10000。40年前のパッケージだが、その頃タンクコンテなんてあったのだろうか?
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福生のエアベース沿いにある、横山模型店と言うところで見つけた。
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今はおばさんひとりでお店を切り盛りしているとのことだった。塗料関係はかなり豊富。
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遠くからわざわざ来る常連さんも多いそうだ。写真を撮りそびれたが、豆ラッカーも置いてあった。豆ラッカー、店頭から消えたのはいつのことだろうか?レギュラー缶のほか、容量の大きいサイズもあり、名前がマメラッカー ダイと言った。ラッカーサーフェサーは大きな缶をよく使っていた。
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おばさんにお断りして写真を撮らせてもらった。昔ながらの模型店の風景。
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行くところに行けばあるのかもしれないが、これだけプラモが置いてあるお店を見るのは久しぶりだ。
鉄道模型はほとんどない。おばさん曰く、細かすぎるからもう仕入れないのだそうだ。
「アメリカさん(ベースの軍関係者だと思う)が全盛の頃は、かなり良く出たんですけどね。」
米軍関係者にも鉄道ファンは結構いたようだ。

関水の線路は、一番奥の方のケースにあった。他にアトラスの90度クロスとかもあったが、こちらは現行品かもしれない。車両はほとんどなくて、キシ80(動力つき)3,500円、153系のトレーラーなど。35年前の製品と言ったところか。

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街から模型店が消えてしまったのは寂しい限り。西荻にあったナカマ模型も閉店してしまった。
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一応12本組で買ったが、目的は記念用だ。

並べてみるといい感じ。バラストをきっちりと撒けば、さぞ実感的なレイアウトになることだろう。
今は道床付ばかりになってしまったが、70年代後半にはこうした軌匡-レールと枕木の組み合わせ-の方が、組線路としては普通だった。関水のオリジナルであるアトラス、トミーが輸入していたバックマン、イギリスのピィコ(セトラック)、ドイツのミニトリックス、アーノルトなど、いずれも同じスタイルだった。フライッシュマンは例外で、薄いバラストのモールドがついていたが、厚みはなくて、関水の線路と組み合わせ可能だった。

トミックスが出たとき、これを固定式レイアウトに使うのはちょっと抵抗があるな、と最初思っていたのだが、いつの間にかそれが普通になってしまった。

本格的なレイアウトならフレキを使うことになるが、フレキは曲線の処理が面倒だし、部分的なメンテナンスも大変だ。バリエーションがある程度あれば、こうした固定式組線路はかなり使い勝手が良いと思うのだが・・。もう復活はしてくれないかな。

2013年9月29日 (日)

鉄道模型趣味の旧号を古本購入

少し前のことになってしまった(この時の話)が、古い鉄道模型趣味誌を中古通販購入した。
TMSは以前は定期購読していたのだが、さいきんはたまに本屋で手にする程度だ。知識や技術をどんどん吸収していたのは、高校生ぐらいかな。当時は色々な制作記を、教科書のように参考に使っていたが、だんだんついて行けなくなってきてしまった。また、これは雑誌のせいではないが、市販される模型やパーツの数が多すぎて、それを紹介する雑誌を見ていると、変な話、気が散るばかりで楽しめないwobbly。実物誌と違い、模型は時代をクロスオーバーしているので、ブラインドでここ10年ぐらいの模型誌のページを見せられても、どれがどの時代のものか、たぶんわからないと思う。

ネガティブな話が続いたが、でも、昔の模型誌は面白いのだ。総合的には勿論今の模型の方が上だし、使える周辺技術は向上しているが、いわゆる腕の良し悪しで言うと、昔の人も相当上手だ。それと、たぶん時代的なものか、多少拙くても良しとする、みたいな懐の深さが昔にはある。

さて、今回は4冊を買った。年代順に紹介していこう。
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1963年5月号(第179号)
井上大令氏の私鉄風駅セクションが表紙。記事はレイアウトモデリングに再録されている。モデリングには再掲されなかった写真もいくつかある。

小学校6年の時、その辺に落ちていた板きれにこの記事を参考にして同じような駅セクションを作った(Nゲージ)。線路はあり合わせのものを使用。駅舎やホームは、記事を参考に自作した。今のようにストラクチャーのキットがほとんどなかった頃だ。

作り始めたのは中学受験の前、だったと思う。受験の後、帰りに東武デパートでトミーの人形セット(ナインスケールとして、300円で売られていたやつ)を買ってもらった。ずいぶん暢気な話だ。良く受かったな。箱に入れて学校に持って行ったら、鉄ではない友達や女の子にも好評だった。
フレームもない、ただの3ミリベニヤに線路をつけただけのものだったので、やがて壊してしまった。

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定価140円。時代を考えるとやや高いかも知れない。カラーページはない。セクション以外の記事は、ポイントの調整の話、名鉄パノラマカー(当時の最新鋭)、タンクロコ、そしてカワイモデル店頭の展示用レイアウトが載っている。当時なりの作りだが、今見ても楽しそうだ。
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この頃のTMSはまだ、実物誌の役割も担っていた。この月は新型の貨車と、103系、165系デビューの話。103系は後に900番台となる編成だ。車体は101系と大差ないが、塗装と、正面の通風器が目新しく、マスコンを傾けた運転台が大きな特徴だ、とある。

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1964年10月号(196号)

表紙がカラーになった。枚方電気鉄道は、レイアウト全書収録。やはりここで初めて見る写真がいくつもある。

交通文化社のリストでは、本号の見出しに、「新幹線で思うこと」というタイトルを乗せていて、それが気になって買った。鉄道エッセイで、新幹線の話よりは、ゲージとスケールの話だった(たいして面白くなかった)。ちょうどカツミの新幹線0系が製品の紹介として掲載されている。先頭車が2,650円、電動車が3,370円と、今で言えばNゲージ並の価格だが、当時の貨幣価値や平均所得などを考えると、どう見えたのだろう?製品の紹介では、新幹線が一般的なモデルマニア-特に本誌の読者にどうアピールするかは疑問、としている。今でも、E6系辺りは、一般ファンによく売れているようだ。

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裏表紙はカツミの広告

伊藤正光氏の小田急1700の制作記が載っている。この方、非常に長い期間にわたって小田急電車を、真鍮の非常に凝った作りで自作されている方だ。たしか、80年代になっても、オレンジとブルーの塗装の通勤車を発表されていた。

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71年7月号(277号)。この表紙デザインは74年まで続く。

大きく扱われているのは末近氏のライブスチームだ。この時代はSLブームで、ライブスチームの記事もかなり多かった。もっと後になると、アスターホビーが非常に安価なライブ蒸機を販売して、一般ファンにもライブを身近に感じられるようになった(どのくらい普及したのかはわからない)。今はどうなのだろう。

G&D鉄道はTMS初期の頃から盛んに取り上げられている。カラーグラフを見ると、色調が独特だ。これはカラーフィルムに起因するのか、ジョンアレン氏の感覚的なもの、アメリカのこの時代が実際こういう雰囲気だったのか、いずれか、あるいはその全てなのかも知れない。以前は時々日本人の作ったアメリカ風レイアウトの紹介もあったが、何となくG&Dの影響を、この色彩的な面からも感じる。

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製品の紹介では関水のC11が取り上げられている。豊沢氏のウェブで、当時の批評が辛らつだった、と書かれていたのを読んでいたが、なるほど、かなり手厳しくやられている。当時は重連用カプラーがなかったようで、加工例も紹介されている。「製品の紹介」は、今のTMSでも看板記事みたいな扱いになっているが、その紹介の仕方は昔とは全然違う。昔の記事は完全なレビュー記事であり、実測寸法や重量なども掲載している。TMSの製品の紹介記事は、「とれいん」が創刊した頃から、だんだんおかしくなってきた気がする。

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最後は1973年6月号(300号)

TMSを買い始めたのは、関水のセットを買ってもらったとき、74年6月号からだ。すぐに5月号を買った。その後、長い時間をかけて、73年5月~74年4月号までをそろえていった。73年7~9月号は、中学1年の冬に、西荻窪のニットー教材に買いに行った。それ以外は古本だが、この6月号だけは買うことができなかった(あと、74年2月号も、部数が少なかったのか長く入手できずにいた)。そんなわけで、これを手に入れることは40年ぶりの悲願なのである。

300号だが、それを特に祝うようなムードはほとんどない。表紙が久保田氏の力作(模型の流し撮り)なのと、平野氏の千曲鉄道が大きく扱われているくらいだ。400号(81年)はかなりのお祝いムードだったのだが。ページ数は100ページを超え、かなりボリュームがある。

 

2013年9月26日 (木)

goo地図

メインブログでも同じネタで書いているが、ここでは鉄道系の話題をもう一度まとめておく。

  • 東上線池袋の、目白寄りには転車台が見える(22年)。機関車もいるみたいだ。どこかで写真は(地平の)見たことがあったが・・。昭和38年にはもうデパートになっている。
  • 池袋電車区は22年、38年とも車両でいっぱいだ。38年頃は101系の時代で、編成は8両だが、1線に2本入れていたのだろうか?奥の方にクモヤ22らしきものがいる。車体長が短い。
  • 他方、後の品川(山手)電車区になるあたりはまだ何もない。品川駅の、京急の脇あたりには電車庫が見える。新幹線はこの付近でも工事中。
  • 新宿駅南口は工事中。38年の写真は、おそらく春から夏にかけての撮影らしく、京王線の地上駅が廃線になっているのが見える。今のデパートの辺りで、盛んに工事をしているが、甲州街道にはまだ線路の痕跡が見える。初台もまだ地平。もちろん幡ヶ谷も。この辺りも鼻血が出そうなシーンだ。
    そう、文化服装学院の、まるい建物も見える。
  • 渋谷からはもちろん、玉電が出ている。驚いたのは東横線渋谷駅がドーム型ではないこと。駅改良工事が完成したのは64年のことだそうだ。ホームは山下書店よりも南側にあり、長い通路が見える。バスターミナル辺りに、都電がたむろしているのは以前別の写真で見たことがある。ちなみに、六本木通りはこの頃まだできていない。地図を重ねると、道路の上に全然知らない街が広がっていて、住宅がたくさん建っている。全部立ち退きになったんだろうな。
  • 昭和22年の写真には焼け跡が目立つ。やはり戦災の影響は大きい。
  • 田端機関区、尾久のあたりには転車台が3つほど見える(38年)。扇形庫もあり、機関車が煙を上げている。東京機関区にはEF58とおぼしき細長い機関車がたくさんいる。

う~ん、寝られなくなりそうだ。

2013年9月25日 (水)

朝霞駅(複々線化前)の配線について

朝霞のことを色々調べていて、goo古地図のことを知った。昭和22年と、昭和38年の航空写真を見ることができる。本来は23区の写真だが、朝霞駅もぎりぎり写っている。

これ、おもしろい・・・もう鼻血が出そうだ。昭和22年の写真では、朝霞駅構内にもそこかしこに貨車が留置されている。被服支廠-当時はキャンプドレイクと言ったらしいが-にも貨車が止まっているのが見える。ずっと見ていくと、啓志線にもいくつかの留置線があり、やはり貨車がたくさん止まっている。和光市駅-当時はまだ大和町でもなくて、新倉と言ったらしいが-は停留所ではなく、上り線側に貨車留置線があり、無蓋車らしきものがいる。成増の引き上げ線は当時からあったようで、2両編成の電車が止まっている。

38年の写真をみると、あちこちに4両編成の電車が見える。73,78系らしい。4つのドアが開いているらしいことまでわかる(幻想かな?)。グロベンらしいものも見えるようだ。

川越街道は22年の写真でもかなり立派に見える。軍関係の施設があったので、整備されていたのだろう。自分の生まれたところ、最初に住んだ辺りとか、見ていると興味が尽きない。

話を戻そう。’74年当時の朝霞駅は、国鉄の汽車駅のようなたたずまいを残していた。駅舎、ホーム上屋、トイレ、跨線橋、信号所、上り線ホームの待合室など、トミックスやGMのローカル駅プラキットそっくりだった。

貨物扱いはさすがになかったが(よね)、下り線寄居寄りには貨物ホーム跡があり、上屋も残っていたと思う。国鉄の駅にあるような、短い引き込み線と上屋だ。今の南口側に駅本屋があり、こちらが1番線(片面ホーム)。跨線橋を渡って、上り線ホームに出る。

上り線ホームは島式で、内側というか、南口に面した方が2番線、こちらが本線だった。上り線と下り線の間に中線があったが、その頃既に使用されていなかった。たしか76年の春頃だったかに、本線が外側(旧3番線)になった。たぶんその年の11月に行われた、10両編成運転に備えたものだったと思う。ほぼ同時に6月か7月頃、下板橋の下り本線が、今のように上り本線と平行するようになった。以前は留置線が上下本線の間にあり、下り本線は南側に大きく迂回していたのだ。
保線用車両は当時も今と同じような位置にあったと思う。たしかオレンジ色のモーターカーがいたのではなかったか。ああいうのは今はいなくなってしまったな。そうえいば貨車移動機なんていうのも、いたなあ。

ドレイクへの引き込み線へは、中線からスイッチバックして入線したものと思われる。本線に沿って新倉方に引き上げ線が延びていたようだ。今のメトロ車庫の辺りかと思うが、本線よりやや低い位置に築堤が伸びていて、和光市寄りにのこぎり屋根状の形をしたコンクリートの構築物が長く伸びていた。未だにどういう目的の構築物なのか、わからない。

引き込み線のカーブは、廃線跡として長く車窓から見ることができた。今の変電所のあたりだ(変電所は移設したらしい。今のパチンコ屋の裏辺りにあったようだ)。当時はヒマラヤ杉の木がぼそぼそ立っていて、平屋の家があって、なんとなく鄙びたムードが漂っていた。

’79年3月、もうすぐ学校も終わるという頃、帰りに駅の周辺を歩いたことがある。歩いても何の引き込み線かわからず、要領を得なかった。あの頃はまだ、基地の街のムードが残っていたかもしれないのだが、その辺のことは全然記憶にない。

2013年9月24日 (火)

朝霞

朝霞駅は小学校5年生の頃、南口にできた学習塾に通うため利用したことがある。塾は程なく北口から少し歩いたところにあるマンションに移設されたが、子供達(つまり自分たち)が行き帰りに廊下やエレベーターで騒いだので住民に怒られてしまい、成増に再度移転となった。初めて定期券を買ってもらったのは、中学入学時ではなくこのときだった。その頃一緒に勉強した子達とは、高校生の頃いちど再会したが、先生やみんなはいまどうしているのだろうか?

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’79年3月にいちど、陸軍被服廠引込線を見に降り立ったことがある。’98年には自転車でうろうろしたことはあるが、駅を利用するのは複々線になってから初めてだcoldsweats01

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ので、駅の写真は撮ったが、本田美奈子の碑は知らなかったので撮りそびれた。
ここの再開発に携わった友人を知っている。相当難しかったらしい。
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まあ、そんな話も色々あるが、ここに来た。
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今日は薄曇り状態で、写真は撮りやすそう。
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ここまでの写真は、ペンタックスのナノ一眼、Q10で撮った。望遠(換算249mm F2.8)とスポーツモード(連写は秒5コマらしい)で、鉄道がどのくらい撮れるかと。小さな画面ではわからないかも知れないが、何となく浮世離れした色合いで映るのが特徴。このコマはあきらかに露出オーバーだが、3本いる8000のうち8185Fを捉えたので、特採とする。
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ここからはいつものママ一眼、Lumix G3で。
カメラを出していたら、隣に同業の方がいらして、気さくに声をかけてくれた。
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しばらく一緒にお話ししながら、撮影する。これは8181F。
これをみるといつも心の中で「はいはい」と唱えたりしていた。
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隣の方は和光市の方だそうで、さいきんの東上線の動きにかなりお詳しい。10030,30000については、ここ数年でだいぶ変化があったようだが、その辺りのことを色々伺った。
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私は初対面の人と話すのはあまり得意でなくて・・。失礼がなかったかどうか心配。
ありがとうございました。
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カメラを設定する前に話し始めてしまったので、AF設定が23点(至近優先)になっていて、どうも失敗が多い。
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もう少し、遠くのカーブから狙えるといいはずで、G3のEXテレコン(8メガで画質劣化なしに2倍にズームできる- 装着の45-200mmなら180-800mm相当になる)を使えば面白く撮れたかも知れない。まあ、トリミングしても見た目は同じかも知れないが。
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3本目の8000、8175F。全部後追いになってしまいました。
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いずれまた、再挑戦してみよう。
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ここまで撮って、先ほどの方とお別れした。そろそろ日が傾いてきている。
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よく、上から撮ろうとしたがるのだが、行くとたいてい失望する。障害物が多くて撮りにくいのだ。レンズを望遠から標準ズームに替える。編成全体は撮りにくい。
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東急車も撮りたいところだが、18時台まで来ないそうだ(先ほどの方より)。このへんでお開きに。
昔ならときわ台か大山で降りて、模型店を冷やかしたりできたが、今はないからなあ。まあ、池袋は東武、IMONがあるから、まだましか。

2013年9月21日 (土)

古本を買ったら入っていた写真

先日通販で(京都の交通文化社)TMSの旧号を買った。

71年7月号を開いたら、折り込み図面のところに手札サイズの写真が2枚、出て来た。
一応、掲げておきます。心当たりのある方、コメントでご連絡頂ければ幸いです。また、掲載に差し障りがあるようでしたらご連絡ください。
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D51 758とD51 838。 ウェブで確認すると、昭和46年4月21日、お召し列車運転の時の写真らしい。雑誌の発売時期とも近い。

2両の日章旗が、飾りの紐のようなもので結ばれている。

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きれいな機関車だ。こちらが本務機だったようだ。模型化も盛んで、Nでもマイクロから発売されている。

昭和46年4月というと、私はテレビで帰って来たウルトラマンとか、新おばQとか見ていたな。プラレールではもう遊んでなかったか。

この時代、現役蒸機を見たければ見られたし、自動車や一眼レフカメラなども、だいぶ普及していた。16番の模型も数多く出回っていたし、加工して楽しむ人も多かったようだ。良い時代だったんだろうな。そんなことを言っていると、40年後に今はその気になればEF65やEF81がゴロゴロいた、いい時代だった、なんて言われるかも知れない。

そういえば、伯備線の写真は(自分や家族が撮ったのではないが)なぜか実家の居間に長く飾ってあった。

2013年9月18日 (水)

ATSと超特急

北斗星の機関士が操作ミスを隠蔽するために、ATSスイッチを壊したというニュース。あまりファンとしては語りたくない話ではあるが・・。

実は反射的に思い出したのは、なぜか戦前の超特急「燕」のことだ。ノンストップの速達運転を実現するために、乗務員は走行中に交代した。交代要員は客車に控えており、交代の時は水運車(ミキ)の外側ステップと、C51の炭水車に設けられた通路(炭庫の中に潜り込むような感じか)を通ってキャブに向かったという。手すりがあるとは言え、タンク車のタンク外周を歩くわけだから、相当危険な話だ。

もっと凄いのはC53だ。Rail Magazine 08年9月号(300号)の髙木宏之氏 国鉄蒸機発達史によると、本機には主台枠が変形しやすく軸焼けが多発したといい、

特に中央シリンダーの過負荷による中央主連棒ビッグエンド(中ビク)の発熱は致命的で、検修員が台枠内にもぐりこみ、走行中に給油しながら運転するといいった危険なことを日常的におかしていました。

C53は当時の花形機関車で、検修員は鉄道の沽券に関わると決死の乗務をさせられたのだろう・・。今そんなことをさせたらそれこそ、ブラック企業の烙印を押されてしまうし、そもそもそんなことを強要しようにもやるやつはいないだろう。

ただ、当時酷い環境で必死になって乗務したり、検修していた鉄道員達は、ある意味幸せだったのかも知れない。最重要幹線を任されて意気に感じながら仕事をしていたのだろう。

持たざる国であった時代、ハードウェア的に足りない部分は、精神力で補えというのが当たり前だった。我々日本人は、そうやって出来もしないと思われた成功を成し遂げた。しかし、物事には限界がる。過度に精神に依存しすぎた結果が、先の大戦での惨敗を招いた。

それに懲りた日本人は、精神主義を捨て・・・てもいなかったようで、戦後もしばらくは精神主義で行かざるを得なかったようだ。しかし、持たざる国から次第に持てる国になると、精神主義は自然とどこかに消えてしまった。

代わりにやってきたのはなんだろう。鬱病の時代なのかも知れない。上から下まで、後ろ指をさされることにいつもびくびくしている。こいつはやっかいだ。色々な権威はひっくり返され、自分のプライドを保つことは難しい時代だ。何とかみんなが、誇りを持って働ける社会を取り戻せれば、と思うのだが。

2013年9月15日 (日)

レイアウトモデリング、レイアウトテクニック

以前にレイアウト全書のことを書いたが、同じようなレイアウト関係の特集本としては、1967年発行の全書の後、72年にレイアウトモデリング、73年にはレイアウトテクニックと続けて出版されている。翌年に出たシーナリィ・ガイドは実物関係の特集だし、76年に出たナローゲージ・モデリングは、ナローの実物、車両、模型全部を扱っている。80年代以降にもレイアウト関係の特集は出ているが、一応、全書、モデリング、テクニックの3冊は、日本の鉄道模型発展期の、レイアウト事情を今日に伝える貴重なまとまった資料となっている。

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レイアウトモデリング:巻頭カラーと、前半部分は坂本衛氏の「摂津鉄道」の一連の記事が掲載されている。坂本氏はさいきんも日経新聞のコラム(32面の文化欄)に記事を載せておられており、鉄道、模型関係では相当有名な方だが、これらの記事は氏のかなり若い頃に書かれたものだ。

レイアウト設計に至るまでの、心境の変化-最初は雄大な渓谷や複雑な線路配置などに惹かれていたが、車掌乗務中に車窓から見た平凡な農村の風景を見て、この田園風景にこそ美が宿っている、と言うことに気づく。これを読んだのは11歳の頃だったが、なんというか、そのわびさびにも通ずるような哲学的考察に、訳もわからず影響を受けた。その影響は-トラウマと言っては語弊があるが-今日まで自分の中に残っているのではないかと思う・・鉄道模型一つ作るのにも、哲学があるのだ。

とはいえ、当時の自分から見ても、摂津鉄道に表現された風景は、どこか遠くの国のエキゾチックな風景であったこともたしかだ。カラーグラフにはC10が牽くナハ22000系の写真があるが、せいぜいオハ61(の写真)しか知らない子供には、ものすごく古い世界のように見えた。

Nゲージのレイアウトが二つ、掲載されている。今見ると何ともないが、当時はものすごく斬新なものだったのだろうな。話は飛ぶが、保育社のカラーブックス、山崎喜陽著「鉄道模型」に、大阪の米人ショール氏の手になる組み立て式レイアウト(N)の写真がある。モデリングの記事と同じ頃の写真に見えるが、いつ頃のTMSに載っているのだろう?

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レイアウトテクニック:失礼、裏表紙しか残っていないので・・。なぜか昭和50年10月6日に製造された調理パンの、シールが貼ってあるcoldsweats01

買ったのはこちらの方が古く、’74年秋だ。小学5年生の子供が読むと、日本語としては理解できても、全体的には完全に大人の世界で、訳がわからなかったはずだ。

しかし、不思議と編者の山崎喜陽氏が持っている、啓蒙的な意思は伝わってきて、よし僕ももっと「高級な」鉄道模型を目指さなければ、と思ったりした。そして、ペーパータオルというものがなんなのかよくわからずに、ちり紙を石膏に浸してぐずぐずにしたり、油絵の具をサラダ油や灯油で希釈してべとべとになったり部屋中石油臭くしたり、砂場から持ってきた砂をばらまいて部屋中砂だらけにし、ポイントが動かなくなったり、とにかくありとあらゆるめちゃくちゃなことをしまくって、買ってもらった鉄道模型セットを台無しにしてしまった。こどもがこんな本を読んではいかんのである。いや、だからそれはこの本のせいじゃないってば。

またまた話が飛ぶが、この頃、駅の待合室などに行くと、「悪書追放箱」というのがあったが、レイアウトに’70年代の時代感覚を表現するには格好のアクセサリーになる、かな?

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表紙が取れてしまい、一番表側でのこっているのがこのページから。
雲龍寺鉄道祖山線である。
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樹木の表現など、時代を感じる部分もあるが、線路配置、全体の色合いなど、今日でも十分に通用する、優れたレイアウト表現だ。荒崎氏の記事も、最初はコンセプトから始まっていて、ブレーキシューのついた機関車、そのためには・・・、おかしな帰納法ですが・・という名調子がつづられている。

山崎氏の意思、と書いたが、この時代のTMSには、日本の鉄道模型界をある方向に導いて(引き上げて)いこうとする-欧州大陸系のトイ的なものではなく、アメリカのシリアスな鉄道模型の考え方にちかいもの-が、背後の流れとして感じられることがある。おそらく山崎氏という人は、アメリカを範に取りながら、戦後日本の鉄道模型界を自らの手で方向付けたいという意思を、強く持っていたのだろう。詳しい事はわからないが、70年代に入ると模型界も層が厚くなり、山崎氏個人の影響力も、以前よりは小さくなっていく。本書に掲載されているように、山崎氏個人が技法などを紹介することも、次第になくなってくる。

山崎氏がこの時代この世界の、カリスマであったことはたしかだ。戦後の日本の鉄道模型界は、彼の意向が非常に強く働いていた。

私が子供の頃既に、「とれいん」の松本氏とかも活躍し始めていたし、さいきんではメーカーの井門氏が一家言を持ち、自らの主張を込めて製品を出したりもしているが、やはり今と昔とでは時代が違う。想像でしかないが、鉄道模型に限らず、むかしは日本の社会全体がもっとコンパクトだったのかも知れない。

とにかく、70年代半ばを過ぎると、TMSの論調もすこしずつ変わってくる(たぶんその節目は、'78年頃なのではないかと、今のところ思っている)。その後も誌上には数多くの優れたレイアウトが発表されたが、それらに感心はしつつも、私にはなにか物足りないというか、どこかで「方向性」を求めたくなるような、妙な感情が残ってしまうようになった。

なんかだんだん話が堅くなってきたが、昔のレイアウト(模型)には時代を超えた良さがある、というのが私の持論だ。ハイレゾがなんだとか、PCオーディオなんちゃらという時代になっても、アナログレコードをのんびり回すのが楽しいように、縦型モーターとインサイドギアの電車も生き残っていて欲しいと思う。

2013年9月 8日 (日)

アリイのD52(電動プラモデル)を一応作った

前回夏休みの宿題 と言っていたはずなのに、もう9月だ・・。
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こんなものを紹介してどうなるのか、と言われるとそれまでだが・・。
前回も書いたが、このシリーズのC62を、豊沢氏がレポートしている。金属の蒸機キットは作った事がないが、こうして豊沢氏と同じ機関車を作ってみると、氏との腕の差がはっきりして情けなくなる。

豊沢氏は調子よく走ったそうだが、私の場合、ギアボックスフレーム(金属の枠)がプラの台枠の中で動いてしまい、モーター側のピニオンギアが浮いてしまう。これは、台枠の動軸受け部分が合っていなくて、動軸が通るように軸受けを広げたしたせいもあるかもしれない。いずれにしてもギアボックスを固定すればいい話(今は台枠の突起にはめ込んでるだけ)だが。

それと、煙室扉の電池蓋が馬鹿になってしまい、はめ込もうとしても下側のフロントデッキのところがバネで飛び出してしまう。仕方なくゴム系接着剤で止めようとするが、固定しなかったのでとりあえず撮影時には電池を外した。

通電すればいい感じのスピードで走りそうだ。

バリは多いし、パーツの合いも今ひとつなところがあるが、組み立てそのものは難しくない。・はずだが、大人がつくるとどのくらい丁寧に仕上げたら良いのか、考えてしまうところもあり、結構時間がかかってしまった。
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煙室など、左右のパーツがきれいにつながらいところとか、車輪など、一応ヤスリをかけるが、そうするとペーパーをかけてヤスリ目を消したくなり、そこまでやると塗装しておきたい。一応、水溶性のアクリル塗料で筆塗りしておいた。なぜか銀メッキになっているハンドレール、汽笛、安全弁と発電機はそのまま。結構賑々しくて楽しい。

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作っているときは意外と楽しかった。精密モールドでスケールに気を遣わないといけない模型と違い、おおらかな楽しさがある。今の模型というか、社会全体にだんだんなくなりつつあるものだ。ゴルフやテニスのやりかた、料理の作り方、ペットの飼い方、みんな情報が充実してあれこれ神経を使わないといけなくなり、面倒くさくなってしまう。変なことをすると人から指摘される。結果、セミプロみたいな人か、何にもしない人に2極化してしまう。模型で言えば、作る人は減って完成品をコレクションするだけになる。

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それにしても、私が小学生の頃からあったのだから、かれこれ40年ぐらい作り続けているわけだ。すごいなあ。
できれば現代の技術でリニューアルし、お気軽に楽しく遊べるキットを作って欲しい。
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前輪が浮いているのははじめからそういう作りだから。従台車は接地しているようだが、電池を外して重心が後ろに下がったせいでそうみえるだけで、実際には浮いている。

さて、次がつかえているので、この機関車はこの辺でおしまい。

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